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世に「なぞなぞ」という遊びが今でもあるが、「(それは)何ぞ、何ぞ?」の「ん」が無表記になっただけのもので、少なくとも室町時代から存在する遊びである。 俺っちはどんなものでも読み解けるのだと豪語する人物がいる。じゃあ「子子子子子子子子子子子子」を読んで見ろと凄まれる。問われた男はたちどころに「ねこのこのこねこ、ししのこのこしし」だよと読み解くという読み物である。正確には「無悪善」と書かれた立札が京洛に立てかけられて、役人が帝に「かく」と報告したところ、はて何ならんと困った帝が知恵者に相談したところ、「さがなくて善からん」でございます。つまり帝(嵯峨天皇)を呪詛し奉る輩の仕業でございましょうと答えたところ、「お前以外にそんな悪知恵のあるものはおるまい」とお怒りになった帝に、「私は書いてあるものなら、どんなものでも読めるのでございます。」と応じたから、それならばこれはと出されたお題である。もっともらしく書かれているが、嵯峨天皇と諡されるのは崩御の後であるから、眉唾には違いはなかろう。 近頃天皇陛下は恐れ多いためか、秋篠宮家をあれこれと揶揄するSNSの記事を散見する。これは馬鹿な左翼や旧宮家に連なる冷や飯ぐらいの仕業ではなかろうかと思い定めているが、己は身分を明かさずこそこそ悪態をつく下種は何時の時代にもおるということでもある。
2024.11.25
ジジイになるとちっとも愉しいことがない。あたり前のことである。 松下幸之助は晩年、全財産と引き換えでも二十歳に戻りたいと語ったそうだが、それは本当だろう。 朝はコーヒーの一杯とバターロールの二つも食べて、昼は中華そば、晩はブリやサンマを焼いて一膳か二膳の飯を食う。これほどのことに別段の金銭が掛かるわけではない。されば、若い頃老後のためには他人を蹴落として迄頑張らねばならぬと思い込んできた我が身が、少し哀れでもある。
2024.11.24
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