根っこの今

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#5(1)モモのような活動

nekko

04年1月号(1)

皆さんいかがお過ごしですか?根っこ通信4号を出してから1年たってしまいました。私は相変わらずアジア学院で、朝は平スコップ片手に豚小屋のふん掃除。昼間はオフィスで働いています。今年度は18の国から35名のメンバーが集まりました。5年目の栃木での冬。近況報告です。

モモのような活動って?
前回通信の中で、ミヒャエル・エンデ著書の「モモ」のような活動がこれからは大切なのではないかと書いた。友人から“あなたにとってモモのような活動とは何ですか?”と手紙が返ってきた。一言でいうと、流れに流されずに大切なことを自分なりに見極めて生きる事、だろうか。今の経済優先の世界の流れの中で、いのちが優先とされる生活。顔と顔とがもっと見えるような生活・関係づくり。モモ的活動・・・私なりの考えを、2003年に見聞きした事、学んだ事とあわせて少し書いてみようと思う。

ずーにー運動
5 ずーにー運動
東京の喫茶店で手にした小さなビラに、こう書かれてあった。
【ひとつ持つ事で使い捨てずにすむものってたくさんある。伝統の中の知恵を見直し、新しいスタイルでつながり直し。自前のライフスタイルを創っていきませんか。】【~せずに~する】の「ずーにー」。

例えば・・・
日本には自動販売機が約555万台あって、これが24時間稼動するには原発一基分のエネルギーを使っているのだという(ピースローソク P.45)。便利の裏には犠牲があるということを想う。当たり前のように自動販売機を利用し、冷たい・温かい缶ジュースを飲んでいた。でも水筒を用意する事は少し自分の時間をさけばできる事。ぬるくてもいいじゃないかと思うようになった。

例えば・・・
5 インドネシアのトイレ
インドネシアに行ったときの夜を思い出す。月夜の明かりでコーヒー畑に用を足しに行った。水洗便所はなく、コーヒーの木の根元に穴がある。私の排泄物は土の中で微生物が分解し、土に返っていく。そして少し栄養分としてあのコーヒーの木に還元されるのだろう。月明かりの中でそんな顔と顔の見えるつながりに安らぎを感じていた。それはなんとも素朴だった。それをかわいそうだという人もいる。でも、彼らはそれが普通のようだった。自分たちの出すものが、もっと地域で還元し、循環していくような生活、今の自分の周りには見られなくなっているように思う。

5 ごみ
モモは、人々が時代の流れに流されて急激に変化する中で、自分たちが持っていたものの大切さをもう一度見直していこうと周りの人に呼びかけている。実家で母親が実践しているのだけど、生ごみをバケツにとっておいて、畑や庭先の土に返していくというのも一つのアクションだと思う。使い捨てないために持てるもの、できること、私の身の回りではなんだろう?みなさんの回りでは何かありますか?



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