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この間畑のごまを収穫し、乾燥させた「ごまの枝を乾燥させる時は、葉っぱを取るんだよ」と、畑歴の長い茨城にいるおばさんに言われたものの・・・「ん???我が家のごまの枝には葉っぱがない・・・」(この写真を撮った後、もっときれいになくなってしまった・・)ははは、そうなんです。イモムシ君たちにたくさん食べられてしまったのですおまけにマルマル太ったイモムシ君たちはこんな感じで”さなぎ”モード・・・おばさんに「葉っぱ取る必要なんてないよ、うちの葉っぱはイモムシが食べてくれたから」と母が伝えると・・・「農薬もかけないでやっているからそうなるんだよ どうせ、中身がきちんとできてないだろうよ~」と言われたらしいそんな事はありません!!乾燥させたあと、黒ゴマさんたちは元気良く殻の中から飛び出てきましたよ!葉っぱを取る手間もはぶけたし少しイモムシ君たちに感謝。しつつも・・・虫のつく時期が少し早ければ、全滅だったなと無農薬でやる事の難しさも感じるそれにしても、小さな小さな一粒のごまの実からその何十倍もの実がなるのだから、すごいあんなに小さなごまの粒から・・・!!!一粒の麦がもし死ななければ、それは一つのままですしかし、もし死ねば、豊かな実を結びます(聖書:ヨハネ12:24)種は、どんなに小さくても、自分の命を基に多くの命を生み出しているこんなに小さな自分だけど他の命とつながって生かし生かされていたいなぁ(私たちのために、一粒の麦として死んでくださった 十字架を見上げながら!)
2005年09月22日
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(茨城のおばあちゃんの家の前のはす畑で撮影)総選挙が終わる今回の選挙で、思うのは・・「知る」ことについて私たちは、目を覚ましていなくてはいけないと思う真実を見極める努力、知る努力をしなくてはいけないと今回つくづく感じる真実を伝えるジャーナリズムに耳を傾けたいはすの花。早朝にポッという音と共に花が開く泥はにごっていたほうがおいしいレンコンができるのだそうです政治家のごたごたの中で、どろどろの中で私たちは、根をはり、アンテナをはっていなくては一党独裁になることがないように・・・私たちは歴史から学び生きていかなくてはいつのまにか戦争に参加しているなんてことにならないように・・・(もう半分足を踏み入れている・・・)(→アウシュビッツの子どもたちにジャンプ)
2005年09月12日
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(写真:我が家のひまわり「おほほほほ・・」!?)この夏、我が家に友人が何人か来てくれたそして狭い部屋だけど・・川の字でお泊りパプアニューギニアから来てくれたあけみんと娘のMちゃん岡山のsnowflakeと娘のSちゃんインドネシアのウミちゃんアジア学院仲間の藍ちゃん個性豊かな人ばかり・・(笑)そして今、姉の家族が我が家に来てくれている(suchada/shinzy)人のつながりを想う今この瞬間に、人と共に時間を共有するそれは、時に自分を犠牲にすることでもあるかもしれないでも、人とのつながりの中で受ける恵みの多さに感謝中学時代の友人が、地元のコンサートに誘ってくれたインドネシアのウミちゃんと行くその友人の友人とそこで出会うそして新しいつながりができる東金市で有機農業をしながら素敵に生活している知りあいの畑を訪れた土と野菜たちを大切にしながら生きているそこで、素敵なカフェに連れて行って頂いたまた新たな出会いがあった最近、このつながりの奇跡が私には嬉しい目の前にいる友人や家族を前に今を大事にできなくて、疲れてしまってそっけなくしてしまう事もあるでも、そんな自分を知る機会に感謝しなくちゃなぁ・・・一人でいるときには、知る事のできない自分の弱さだから悲しいけれど、そんな自分がいることも事実全ての出会いに家族のサポートに今、来てくれている姉夫婦と真歩ちんにありがとう
2005年09月05日
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(無言館の前にある戦没画家の方たちの名前が刻まれたパレット& それをのぞき込む(笑)Sちゃん)何年ぶりだろう・・・大学時代の大親友と(楽天ブログ仲間のsnowflakeさん)娘さんのSちゃんと一緒に長野へ行った長野上田市無言館と信濃デッサン館へ若くして亡くなった画家たちの絵や戦没画家の絵が大切に展示されているやさしさを感じる絵迫力のある絵瞳に力を感じる自画像愛する人を描いた絵召集令状を前に筆をとりキャンバスにむかう彼らの想いがずしりずしりと私の心に響いたこの間私はフィリピンの友人からメールを受け取った「広島の終戦記念式典のニュースを見ました 過去は過去、私たち新しい世代は歴史から学び 生きていこうよ。平和を作りだすのは私たちなのだから」と書かれてあった彼はおじいさんをルソン島での戦いで亡くしているはたして、私たちは歴史から学んでいるのだろうか?歴史の教科書さえも作り変えられている現実・・・イラク攻撃への賛同・・無言館で出会った戦没画家たちの絵それは広島や長崎の原爆と似ている命がけのメッセージ真摯にそれを受け止めたいと思わされた(パレットに書かれている言葉)
2005年08月25日
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私、こんなひまわり初めて見た・・・大きな花が種をつけ始めた頃、わきからひょっこり顔を出した小さなひまわり・・・。同じ一本のひまわりから出ました戦後60周年戦争を知らない世代の私アジア学院にいた頃、多くのアジアの方に出会ったその中でもインドネシアやフィリピンの方は、日本軍の支配下で苦しんだ祖母や祖父を持っている人が多い。日本人はどんなに恐ろしい部族なのだろうと、恐る恐る日本にやってきた人もいた。ネグロス島でホームステイさせていただいた、さとうきび畑で働く家族のおばあちゃんも、日本軍に攻められた時の事を少し話してくれた多くの村人が殺されたのだとただ聞くことしかできなかった私はたまに想像するもしも・・・自分の身近な人や、大切な友が殺されたら・・私が搾取され、不当に働かされていたら・・私の町に空襲がきたら・・戦争を知らない私は貧困を実際に体験していない私は想像力を豊かにしなくてはといつも思う今の現状に甘んじて、人の痛みも感じられない人間にはなりたくない愛の反対は「無関心」とマザーテレサさんは言った無関心・無感覚の行き着く先が、もしかしたら戦争なのかもしれない終戦記念日を前に、そんな事を思うもう一つの花を咲かせた畑のひまわりに最後まで生きるひまわりに命の尊さをまた教えてもらった気がする
2005年08月14日
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この間、父が一枚の新聞の記事を切り抜いてくれた。それは、元野球選手の石毛宏典さんの記事私は野球は詳しくない恥ずかしいことだが石毛選手を知らない・・しかし、父は、記事の中の2行を私に読ませたかったらしい『サイン:最近は「根心」と書く。土中の根も心も目には見えない 大切なものは見えないの意 』そう書かれていた。”根っこの今”のテーマと一緒だ!そして本文には、彼が四国で始めた「四国アイランドリーグ」について。私は、”生きる事”に一生懸命な一人の人を感じた。人の根っこである「心」を大切にしている。びんびんと伝わってきた。(関心のある方は・・23日の朝日新聞be on saturday)(うちの畑のねぎぼうず)根の心・・久しぶりに、原点に返ったそして思った心が、花として現れ私の気となり、生活にしみでてくるんだというあたりまえのことそして、ふと思い出した詩がある「自分の感受性ぐらい」茨木のり子ぱさぱさに乾いてゆく心を人のせいにはするなみずから水やりを怠っておいて(前文はフリーページに載せてあります。)私もみずやりしなくちゃな!
2005年07月26日
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(家庭菜園のいちごとすみれ)6月末に家庭菜園のじゃがいもの収穫をした豊作!自然の恵み、神さまに感謝!じゃがいもを畑に広げて少し乾燥させていたすると・・・大きなじゃがいもに「あり」がたくさん集まってきたなんだなんだ・・・?と見ていると「あり」はじゃがいもの中へ・・・そのうちにアリの行列ができていった「あり」もじゃがいもが好きなのか~「あり」に食べられる前にとあわててまとめて家にもって帰ったもって帰って穴だらけになったでっかいじゃがいも・・は~相当おいしいんだろうなぁなんて母と話しながら中身を見てみることに中を割ってみてびっくり!でっかくて立派なじゃがいもに限ってほぼ、中が腐っていた!!!「あり」はその腐敗した部分に寄ってきていたんだ!考えさせられた外見と中身についてじゃがいもは、あんなに大きくなるはずじゃなかったのかもしれない・・ちょっと無理してしまったのかなぁじゃがいもだけじゃない人もそう立派に見える外側そして中身である心心が外側に染み出るように・・・外見が立派じゃなくても良い小さくても、おいしい自分でありたいなぁ!じゃがいもさんたちから教えられたこと
2005年07月11日
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(写真:フィリピンの子供たち)今日、腹がよじれるほど笑った久しぶりだった~あんなに笑ったの!何気ない事だった・・・母が、まじめな顔をして「今日は日米(にちべい)高速にしようかね」と言ってきた・・・はじめは何のことかわからず、きょとん??でも、座り込んで2人で大笑い炊飯器についている早炊き機能、「白米(はくまい)高速」の事だった目の悪い母には「にちべい」と見えていたなぜ日米(にちべい)高速というんだろう・・母はずっと不思議に思っていたらしいそれにしても「笑う」っていい!すかっとする「おほほ」って笑うんじゃなくて、「わっはっは」って・・最近、頭と顔のつぼの本を読んでいるその本に、「顔の筋肉をなるべく動かしたほうが健康にも美容にもいい」と書いてあった・・・そういえば、インドで「わっはっは体操」というのがあって、朝から公園で「わっはっはわっはっは」と声が聞こえてきた事があった・・学校でコンピューターを使っているとじーっと画面を見つめているから、目や顔の神経がこわばるそうなると肩にも内臓にも支障が出てくる時がある顔の神経ゆるめてしわだらけになってもいい、笑っていこ心にも身体にも良い気がする
2005年06月28日
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(写真:畑に咲いた花)父の日に参加した教会のメッセージでこんな言葉が心に留まった。「"愛する"という言葉・・ 日本人はあまり使わないけれど それを違う言葉で表現すると・・・ 相手を尊敬する 相手に感謝する 相手を励ます 相手を許す という事ではないか 」あ~、わかりやすいなぁと思ったそして励ますというのが新しい感じだった身近にいる人を励ましたりすることって今まであまりなかったかもなぁなんだか照れくさいしお互いに嫌なところも見えてしまったり・・遠い友人を励ましたり、ありがとうって言ったりはするけれど・・日々の中で、少しだけでも意識して生活したい・・・生活しようそんな事を思う
2005年06月23日
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今日、携帯電話を解約した最近、家族で話し合って個人の部屋においているPC(計3台)を1階に置き、共同で使う事にしたそれを機に、携帯も解約しようと決心あると便利なのだけど、なくてもやっていけるかも・・そう思い続けて、ずいぶん経つ昨年の5ヶ月の旅で、再会したアジアの友人があえて携帯を持たずに生活をするのだと言って生きていた「便利じゃなくてもいい」彼らを見ていて、これはSlowな選択だなぁと思った最近思うのは、近代化の波が、Face To Faceの関係を知らないうちに壊しているという危機感Face To Face顔と顔の見える関係便利、速い、手間いらずそんな中に生きていると、いつの間にか自分の思うようにいかないとすぐに苛立ち、がまんを忘れてしまう自分の思い通りに社会が回っているわけではないのに自己中心になっていくそんな感じがする・・・アクナマタタ、マイペンライ、ティダアパアパいろんな国の言葉で「Don't Worry」(だったと思った・・)ま、どうにかなるさ!というわけで、携帯とも離れて生活をしてみます!人は裸で生まれ、裸で死んでいくそのことを忘れないでいたい
2005年06月11日
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綿の芽・・・けなげに芽をだしました!種と、太陽と、雨と、土私はただ、種を土にぽつんと埋めただけ自然の恵みです 土曜日に、友人と東京ちひろ美術館へ・・なんでだろうちひろさんの絵を見ると心がなんだか"ふわっ"と優しくなる心の中の痛みや悩みがふわっとまぁるくなってタンポポの種のように空に飛んでいってしまったそこで出会った彼女の言葉・・「私が力がなくて無力な時 人の心のあたたかさに本当に涙ぐみたくなる このまったく勇ましくも雄々しくもない 私のもってうまれた仕事は 絵を描くことなのだ たくましい、人をふるいたたせるような 油絵ではなくて ささやかな、絵本の絵描きなのである 」「大人というものは どんなに苦労が多くても 自分の方から人を 愛していける人間になること なんだと思います 」ささやかな絵本の絵描きなのである・・・かぁ畑の綿の芽も何を主張するでもなくささやかにそこに在る私もそうありたいなぁ・・・ちひろさんの絵と、綿の芽から学んだこと
2005年06月06日
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今度は、インドネシアの友人が大切なフィアンセを事故で亡くした・・・彼女とは、去年の8月に北スマトラの農村で出会った彼女の住む家には、一つのテーブルだけ農村地域の教会で牧師をしている現在栃木県にあるアジア学院で9ヶ月間の研修中日本で聞く大切な人の悲報はどんなに彼女の心に突き刺さっているだろう・・・彼女から届いた短いメールMany hope many promise.....but today .....I am alone.....8ヶ月前に、私も似た経験をした長い事、いろんな事を分かち合った人との別れ彼は「死」ではなかった、けれど望みも、夢も失った気がした友人がそばにいるのに、心は変に独りだったある晩、突然自分が暗闇にひきづりこまれていく息も細くなり体も冷たくなっていったもしかしたら、暗闇の力に負けるかもしれない・・怖かった一緒にいた友人が手をとり一生懸命祈ってくれたFear Not 恐れるなI am with you 私(神さま)があなたと共にいるから(旧約聖書のイザヤ書 41:10)その祈りの後、体に生きる力が戻り不思議と前向きに、今まで歩んでいる涙が、私に教えてくれた事は多い「流した涙はいつか、心の泉になるから」悲しみの中、友人が私にくれた言葉今は悲しくて、辛いよねでもウミ(彼女のあだ名)あなたの涙も、いつか心の泉になる・・きっと(写真は、姉のsuchadaが昔くれた絵)
2005年05月28日
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先日の日記を読んでくださり、コメントを下さった方メールを下さった方、ありがとうアジア学院(アジア・アフリカ農村指導者養成学校・栃木県)時代の友人で、アフガニスタンで現地の人と共に活動をする友がいるアフロザのことで、彼がこんな風に返事をくれた"(略)アフロザのかけらはそうしてみんなの一部として生きてる僕はいなくなった人に対していつもそう思う寂しいけど で、僕は生きてる(生かされている?)かおりんもまだ生きてるこうしてメールができるし死んだ人に思いを馳せることもできる僕らの一部として僕らのうちにいるもういなくなった人たち僕らの一部として僕らのうちにいる今もいる人たちそういうみんなに思いを馳せることは心の中の水やりみたいな気がしますだから何だというわけではないのだけれどそんな作業を大切にしていく事は僕の中で意味あることと思ってます (略)"私の中に生きる、亡くなった人々私の中に生きる、生きている人々どちらも私の人生に影響を与えてくれている悲しみを超えた時、そこにはただ、深い感謝がある彼のメールを読みながら、私の体も心も「わたし」なんだけど、「いろんな人」が生きているのだと気づかされた。ありがとう表面だけの生きかたじゃなく、心でつながる日々、そう生きていきたい(絵は根っこ作”想う”)
2005年05月21日
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さっき、アジア学院のバングラデシュの卒業生('03)が交通事故で亡くなったという悲報を聞く心がくるしくて、かなしくて・・・私より1才上の情熱的なお姉さんだったおてんばなところもあったけれど・・自国の様々な差別や搾取に心を痛め、障害を持つ子供たちと活動をしていた最後に成田空港で別れたとき、お互い国は違うけれど、自分たちのミッションのためにがんばろうと抱き合った見えなくなるまで、手をふってくれた彼女の姿を今でも忘れられない死は、皆平等に与えられているまだ、信じられない彼女の命が天に上げられてしまったことが今、ここに生きていること今、生かされていること当たり前のことなんかじゃない彼女の、短い地上での生涯、彼女はすごく一生懸命だった。彼女は、「生きろ」と、今語ってくれている大切に生きろと日々の小さな不平不満にとらわれてばかりいるのではなく、自分の栄光のためではなく、大切なことのために・・・生きろとアフロザ、ありがとう。本当にありがとうあなたの生き様は、素晴らしかったょ (きれいなものや花が、大好きだったアフロザへ)
2005年05月19日
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(ちひろさんの絵:虹の橋)今日、ある会合に出席。胸に響いた言葉。「自分の目におかしい事でも、他の人の目にはおかしくない事がある。それぞれの、違った正しさがあって、絶対に正しい。という事なんてないんじゃないか。それぞれがどこか欠けていて、どこかおかしい。欠けている者同志が関わっていく中で、互いに気づける事がある。」関わりあう機会の少ない時代。それは、自分の弱さに気づかなくてもすむという時代。人と関わっていると、間違った自分も、みじめな自分も、弱い自分も見ざるを得ない。そして相手のそれも見えてくる。避けては通れない。そして、自分の正しさを主張したくなる。「絶対・・」「普通は・・」「常識的には・・」「一般的には・・」無意識のうちに口から飛び出る言葉たち。人の数だけ”普通”がある。人の数だけ”弱さ”がある。人の数だけ”素敵”があるのだよね・・。自分に理解できない事も、受け入れられない事も日々、たくさんある。面倒くさい事もある。でも、そんな多様性をexclusive(排他的)ではなくinclusive(包括的)に向き合って生きること。人を受け入れること、それは、赦すことでもある。そして、自分も、赦されて生きている。Inclusiveであるというのは、平和への近道なのかもしれない。そんな事を気づかされる夕べでした。
2005年05月14日
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昨日。種まき。これは、日本綿の種。アースデイのイベントで、頂いてきました!自然農風に、耕さないでトライ・・。 昔は、日本にも、綿の在来種が200種ほどあったそうです。今は?メイド・イン・アースという団体が在来種を集め、40種ほど。私たちの日々活用している衣服や生活用品の綿製品の原料は、ほぼ海外からの輸入なのだそうです。竹林が荒れているらしい・・。新聞を読んでいた兄が教えてくれた。中国産の竹の子が輸入されるようになり、日本の竹の子をとらなくなった事が、里山があれる一因なのだと書かれていました。私たちの足元の、多くのリソースが、活用されずに、遠く離れた地域からのリソースが安く取引されている。この今の社会。グローバルなモノの動きを思うとき、いつも心に浮かぶのが、インドのガンジーさんの自給自足の精神。インドに行くと、もちろんムンバイやカルカッタなどの大都市での西洋化は進んでいるけれど、その傍らで今も、インド産のアンバサダーというごっつい車が走っているし、ガンジーの思想を受け継いだ人々が、インド綿を糸車で紡いで作った服を着て歩いている。種をまき、収穫し、糸車で紡ぎ、つくり、使う。モノができる過程。なかなか今は感じる事のできないこのプロセス。私は、糸車で紡ぐことは考えていないけれど、種をまき、その成長の過程に加わる事で、モノができるまでの時間の流れや見えない苦労を感じたい。お金を払えば、モノが手に入るこの時代にあって、モノにたくさん恩恵を受けている自分ではあるけれど、少しでもそのモノのプロセスに耳を澄ましていたい。いろんなつながりの中に生かされている事を想い、謙虚に生きていたい。スローダウン耳を澄まして一人の力で生きているわけじゃない見えないつながりの中にわたしは生かされている
2005年05月08日
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昨日の午後、我が家の家庭菜園へ。といっても、朝早くにいつも母が手入れをしている。母は、こうやらなければいけないという形がない。だから、畑も自由。ここにじゃがいもがあるとふと隣を見ると、畝も何もなく突然ねぎ。あらま!こんな所に何を蒔いたの~!?小さな芽が出てる・・。写真は、すいかの苗を植える母。周りにはじゃがいも。すいかが腕をのばして、つるがのびたら・・・?じゃがいもとすいかは共存するのです・・きっと(笑)。父はこつこつと雑草抜き。兄は、水をまいたり、ゆっくりタバコを吸ったり。うちの猫はその畑を勢い良くかけていく・・。私は、黒ゴマとモロヘイアの種を蒔いた。アースデイで綿をもらってきたので、今度、それも植えよう。一人ひとりが、それぞれいて、我が家の畑がある。久しぶりに、はだしで土の上を歩いた。いっぱいの太陽の熱を吸い込んだ土はふかふか温かい。普段は使わない足の指で、土をつかむ。今日は、おばあちゃんに会いに。車椅子生活なので、足がいつもむくんでいる。今日のおばあちゃんの足は濃い紫色・・・。足つぼマッサージ。少しずつ赤くなり、いつもの足の色に。おばあちゃんは、極楽にいるみたいだと言ってくれた。涙が出そうになる。元気いっぱいで、いろんな人に関わって生きていた。畑もやって、ゲートボールもやって、たくさんの孫にかこまれていた。数年前、自転車で転んで、歩けなくなってしまった。生花を飾っても、自分で水をかえられないから造花でいいんだというおばあちゃん。あんなに盆栽が好きだったのに・・。昔は自分の足で、土をふんで、歩いて、身の回りの事もできた。突然、不自由になった。どんなに辛いだろう・・。足をマッサージしながら、おばあちゃんの命を想う。90年近く生きてきたその道にはどんなドラマがあったんだろう。どんな事を考えたり、感じたり。どんな喜びや苦しみがあったんだろう。生きて、老いて、死を迎える。でも、どんな命も尊くて、深い。ひとつの命も、無駄なものなんてない。そんな当たり前のことを想う。今の時代は、なかなか命のつながりが見えない事が多いから。最近、姉の赤ちゃんや、おばあちゃんに会って、命のつながりを感じる。大家族だった昔には、幼子と、老人が共存していた。それが当たり前だったんだろうなぁ。命を想うと、今というこの瞬間が愛おしい。出会う、ひとつひとつの命が愛おしい。ふと思い出した聖書の言葉・・・(イザヤ書43:4~)わたし(神さま)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。おそれるな。わたしはあなたと共にいるからだ。
2005年05月05日
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姉が5ヶ月の子供を連れて帰省中。私たちはいつのまにか赤ちゃんからのピースフルなインスピレーションに満たされる。今日、お気に入りの本、辻信一さんの「ピースロウソク」という本を読んでいた。その中に、「アンプラグ」という言葉がでてくる。「コンセントを抜く」という意味。辻さんは、その後で、こう書いている。_____ゆっくり堂「ピースロウソク」p.13,14_____ぼくは思った。「コンセントを抜く」とは、モノの世界からふと時間のくにへと浮遊することだ。「スロー・イズ・ビューティフル」とは、単に時間で計れるような物理的な時間の節約のことではない。シンプル・ライフとは、ただ物理的なスペースを取り戻すことではない。省エネ循環型の暮らしとは、単に資源やエネルギーを節約したり、環境破壊に歯止めをかけることではない。エコロジカルとは技術用語ではない。それは、魂の取戻しを意味することばだ。それは自分の人生に聖性を回復する事。そして魂を遊ばせる事。安息日にローソクを灯す。ぼくたちの革命はそこから始まるのではないか。____________________________聖性の回復・・・!赤ちゃんを見ていると思う。なんてスピリチュアル!生きる中で私の心や体にしみついてしまったいろんな、いろんな固定観念モノからのアンプラグ固定観念からのアンプラグスローにプラグオン、つながりなおしそれは、蛍光灯のあかりではなくローソクの淡いやさしいあかりそれは、すっとばす勢いのよい流れではなくいろんなつながりの中で生かされていくということこんなに小さな私でも生かされているこんなに小さな赤ちゃんでも生かされているそんなことが、今はただただ幸せに感じる
2005年04月28日
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4月22日は、地球の日。アースデイ。アースデイは1970年にアメリカで始まり、地球の事を意識する日として、現在では、多くの国や地域で、様々なイベントが開催されています。土曜日に、代々木公園で行われたアースデイのイベントに行ってきました。フリーマーケットや、オーガニックなお店。多国籍な感じの音楽や、スローミュージック。おいしい、地球を感じる食べもの・・・などなど。いろんなものが集まっていて、刺激的。嬉しかったのは、麻布コーヒーフィルターを見つけたこと!コーヒーを入れたら、粉を洗い流して、乾燥させるだけ!コーヒー好きの父と、姉にと買いました。何度も使えるので、使い捨てのフィルターはもう必要ありません!ヘンプ麻は、農薬や化学肥料を使わずに成長して、茎や種子を使って様々な製品が作られているそうです。 また、このフェスティバルでは、ゴミゼロナビゲーション活動の一環として「お食事する時は、お皿とお箸をお借りして、それを洗ってお返しする」というシステムが実践されていました。こんなにビックイベントで、実践しているその姿に、励まされました。 「つながるこころ」(アジア学院卒業生のスマトラ沖地震・津波等の被災地での活動支援)のページに、私たちが日々、心がけ実践している少し楽しくて、地球に優しい事も書いてみました。もし良かったらそちらものぞいてみてくださいね!つながるこころ与えられている命、その周りでその命を支えてくれている命や自然。つながっている。そして、そのつながりの中で、生活の中で、できる事探し。これがまた楽しい!スローライフは、強制ではなく、自分の中から起こる楽しい気持ち。背伸びするでもなく、少しずつ、ゆっくりとわきあがる、ムーブメントなんだなぁ。そんな事を感じています。____________________麻布コーヒーフィルター、楽天の以下のお店で売っています!cozymomセーディエエコ雑貨のページにあります!
2005年04月25日
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(佐倉市川村美術館の散策路にある“かりん”の花)学校で、車の「HONDA」の創設者の話しを聞いた。その方(ごめんなさい、名前は忘れました・・)の言葉「98%は失敗。2%が成功。失敗を許してくれた人々を私は忘れない」あ~・・・。4月10日の日記、「学びの機会」にも書いたのだけど、あらためて思う。なんて多くの人に私も支えられ、許されてきたのだろう!あの日記を書いた後、両親と話しをしていた。私は、小学校の頃、自分で物事をあまり考えられず、ものわかりも良くなくて、夏休みの宿題の読書感想文も、何を書いていいやらわからず、姉に、「読書感想文はどうやって書けばいいの・・・」と聞いていたのだそうだ。自分の意見もなかったし、考えろと言われれば言われるほどあせってしまっていたのだと思う。ただ、そんな不器用な私を、受け入れ、可能性を伸ばそうと向き合って下さった多くの方々を想う。私の98%の失敗や弱点を許し、2%の可能性や個性をいつのまにか引っ張り出して応援してくれている。私も、2%を見つけられるものになりたい。自分の2%、そして誰かの2%!そしてその陰にある、根っこの部分でその人を支える98%の失敗や欠点を見守れたら、どんなにいいだろう。
2005年04月18日
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私の通う職業訓練校コースは、「マネージメント情報システム科」昨日から、「経営戦略と経営革新」についての講義が始まった。私のことを知っている方は、「ついに気が狂ったか・・・」と思うだろうなぁ~。それほど、私には縁遠く思える分野でもある。でも、これがなかなかおもしろい。専門用語が並んで難しいけれど、この経営戦略の土台にあるのは、「ビジョン」であり、「リーダーシップ」なのだと思う。いかに、掲げているビジョンをアクションに移せるか。リーダーが、いかに自分の言葉・自分の行動で具体的にスタッフにビジョンを伝える伝道師になれるか。それが大切なのだと・・。根っこ通信に、1年前こんな事を書いた。(以下) #5(2) 「人間らしく?」リーダーと呼ばれている人たちがより「人間らしく」なる。そしてリーダーとは、誰か特定の人を指すのではなく、日々の生活の中で、それぞれの機会に、違う方法で人を刺激し、導き、また何かを作り上げていく「みんな・人間」を指しているのだと思う。そして私たちがそれぞれの立場で「いのち」を大切にした生き方を選んでいけるんだと思う。リーダーっていうと“権力”がついてまわるから、リーダーなんて言葉もういらないのかも。皆さんどう思いますか?(根っこ通信、フリーページに掲載しています)そして、1年後の今も、その想いは変わらない。自分の持つヴィジョンや価値観を、どうやって私たちの生活の中で生かしていけるのか。口だけではなく、生きるその姿で・・・。先生はそれを「伝道師」と読んだ。皆がリーダーであるならば、皆が伝道師。生活の中で、何かを互いに伝えていける!こんな風に、感覚で学んでいるから、経営戦略も、人生論みたいになってしまう。試験がないから良いけれど、あったら大変!さて、明日にまた期待して。
2005年04月14日
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昨日は、アラブ首長国連邦ドバイ日本人学校のクラスメートA君の結婚披露宴。素敵な披露宴だった。幸せのおすそわけをたくさんもらって帰ってきた。当時のドバイ日本人学校の校長先生と先生と久しぶりに会う事ができ、子供の時には知らなかった教育の裏話しなども聞かせて頂いた。私たちの無茶な提案にも、真摯に向き合って下さった先生方がいたからこそ、今の私がいて、今のA君がいる。アラビアは暑い。半端な暑さではない。この暑さを活用して、私たち6年生(クラスメートは当時3人)は、数学の先生の愛車のボンネットを使って目玉焼きが作れるか!熱砂の中に卵を入れると、ゆで卵ができるか!の実験を思いつく。(先生は確か・・黙認してくれたかな・・(笑))今思うと、それを黙認してくれた先生もかなりすごい!子供がやろうと思い付いた事を、見守ってくれる、そんな先生たちだった。ボンネットは、傾斜しているから、するするっと卵が滑り落ちてしまって、実験は失敗だったのだけど・・、数学のS先生には、後できちんと謝った。経験の中から、私たちは、学んだし、クリエイティブになる事ができた。これもだめ、あれもだめと、制限することよりも、生徒が経験から学ぶ事を信じて見守ってくれる事のほうがどんなに大変だったか・・今、つくづく思う。感謝。私の成長の過程で、温かく見守ってくださった多くの人や経験。記憶に残っているものも、記憶に残っていないものも。時に、自分の行為を誇るような時、自分は己の力だけで生きているのではないという事を心にとどめておきたい。自分に命を与えてくださった神さまがいて、家族や、出会った人々がいて。通ってきた苦しみや悲しみや喜びがあって。そんな事を考えていたら、目に入ってくる一つひとつのものが、いとおしく感じてしまった。p.s)フリーページの根っこ通信6号(05年3月版)を掲載しました。お時間のある時に読んでみてください!
2005年04月10日
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歩いてバスに乗って、モノレールに乗って、歩いてバスに乗って、また歩いて学校に到着。始まりました脱車生活。かなり楽しい。帰りにモノレールに乗るとき、いつも会う、少し障害を持った方がいるのだけど、今日は「よ。」って挨拶されました(笑)明日はどんな会話をするのだろう。歩いていたら見つけた「生きているぞ」という感じの菜の花。千葉県の花は菜の花だって知っていました?千葉には結構いろんな所に菜の花が植えられています。 学校に今、水筒とお弁当を持っていっています。根っこ通信5号でも紹介したのですが、「ずーにー運動」の一環です。これは、「なまけもの倶楽部」というNGOが推進している活動で、私も賛同しています。「ひとつ持つことで、使い捨てずにすむものってたくさんある。伝統の中の知恵を見直し、新しいスタイルでつながり直し。自前のライフスタイルを創っていきませんか。”~せずに~する”のずーにー。」日本には、自動販売機が555万台(03年当時だからもっと増えているかも?)あって、これが24時間稼動するためには、原発一基分のエネルギーを使っているんですって・・・・。ひとつづつ、できる事から一歩ずつ、私のはやさで(^_^)
2005年04月07日
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これは、畑に行く時にいつも飛び乗って来る我が家の猫、かりん。彼女はなぜかこうして、車から顔を少し出して風に吹かれて走るのが好き。小さい頃から乗せて走っていたら、車好きの変な猫になった。 今まで、山梨・栃木と山あいに住んでいたこともあって私はずっと車で動き回っていた。運転が好きだし、車に乗っている時間というのは、不思議と一人の世界に入れるから、メディテーションの時間でもあった。ある事情で、車を廃車にする事に。山梨で友人が譲ってくれてからかれこれ8年。本当にお世話になった。(この車にはいろんな思い出がつまっている。ありがとう。)これを機に、車ではなく、自分の足や、公共交通手段を活用して生活しようと決意。心のどこかで、いつも車での生活をやめてスローダウンしたいという気持ちがあった。でも、車の便利さにしがみついていた自分がいた。一人の移動のために、たくさんの燃料を消費して、時に、歩いていける所も、車でびゅんっとひとっ走り・・。今日から、失業者向けの職業訓練校に通っている。車で行けば30分で行けるのだけど、乗り換え2回して、1時間ちょっとかかる。1分でも効率的に行くには・・と時間にとりつかれているかのように時間と格闘する自分を発見。それは、すっかり合理主義者に変わり果ててしまっている自分の姿でもあった。バスや電車、歩く道のりの中に、きっと季節の香りや、生きる素敵を発見できるはず!それはきっとキレイなことばかりではなくて、現実を見ることにもつながる。そう期待しながら、明後日からは、車なしの生活に。自分の生活の中から、できる事を実践したい。スローが良い!もっとオーガニックに!とどんなに言ったって、実践していなかったら意味がないものなあ。という事で、根っこのチャレンジが始まるのでした。
2005年04月04日
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旅の話の続きフィリピン・シニップシップの村の教会を訪れた時、いつも、遠回りに見つめている子供たちの姿。お近づきになろうと、話しかけるとこの通り・・・一緒に遊ぼうとすると、逃げてしまう・・ う~ん。言葉は通じないけれど、歌を歌ったら、なんとひざもとに座ってくれた。で、その後は、やんちゃな彼らに。 人の心は、言葉がなくても通じるという経験をした方はたくさんいると思う。逆に言葉が通じるのに、こんなに身近にいるのに、どうして、わかってもらえないのだろうと苦しい事もある。一瞬一瞬、私の口から産まれる言葉。頭ではなく、心で言葉を育むものでありたいと願う。子供たちとたわむれながら、言葉を超える素敵を感じていた。
2005年04月02日
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喜びを心に抱き29日の晩に帰国しました!今回の旅の目的は・・1)「つながるこころ」の活動の支援先であるインファンタの友人を訪問。 スーパー台風被災後の今の状況、これからのニーズを聞いてくる。2)教会の宣教訪問団に参加し、ルソン島北部のsinipsipという村にある、 孤児院・学校・コミュニティーでの生活。はじめの被災地動視察に関しては、つながるこころのHPに詳細報告を写真つきで掲載しましたので、是非そちらをご覧下さい! シニップシップという村は、マニラから6時間ぐらい北上してバギオという避暑地を経由して、さらに4時間ぐらい北上した所にあります。あたりを見渡すと・・・高原野菜が段々畑で栽培されています。かなりの農薬を使っていると思われます・・。というのも、霧がかかると、農薬の匂いでかなり苦しい・・。 私たちが滞在したのは、Grace mountaini academyという、25年前にオランダ人の宣教師(John Visselさん)が始めたコミュニティースクール。家庭内暴力を受けたり、親がいなかったり、片親だったり、生活が苦しかったり。そんな環境の子供たちがここで、生活をし、学校に通っています。彼らの心は傷がたくさんあります。彼らが生活をする家には、必ずスタッフの方が住み込み、一つの家には8人ぐらいの小さい子から大きい子までが共同生活をし、家の周りにはお花がたくさん飾られていました。 はじめはシャイで、なかなか打ち解けなかった子供たちも、最後の方には、ダンスショウ!たくさんの賛美に踊りをつけて披露してくれました。27日は、キリスト教のイースター。(イエス様が十字架にかかり、その3日後に復活された事を覚え、お祝いする日)今、与えられている「いのち」に感謝。多くの「いのち」が「生きていて良いんだよ」と励まされ、自らの持つ可能性をいきいきと活用していけるような活動に、加わっていきたいと願い、祈る、ひと時をもてました。紹介したい事がたくさんあります。また次の機会に!そうそう、前回のマニラからの写真ですが・・・あの家は、本当は1階建ての家だったのです。スーパー台風による土砂崩れで家が埋もれてしまい、流れてきた丸太を活用して、屋根をはずして2階を作って今生活している。そんな家の写真でした。
2005年03月31日
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Infanta yori Manila ni modotte kimashita.Asukara Hokubu he idou simasu.Takusan otsutae shitai kotoga arimasu. Dakedo Nihongo de kakenai node Shasin dake.Sate, kono ouchi wa tada no ouchi dewa arimasen.Naniga okottanode shouka!?? Dewa, Nihon ni kikokugo yukkuri kakimasune!
2005年03月21日
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3日ほど栃木へ行っていました。旅のお話しをさせて頂いたり、アジア学院を訪問したり。知り合いの方々を訪ねたり・・。那須高原の手前に、「創造の森」という農園レストランがあります。有機農法で育てられた野菜たちが、あったかな料理になって私たちをホクホクさせてくれます。写真は、赤米定食。 このレストランで、ちょっと早めの誕生日を友人とお祝い。20代も後半になると、誕生した日というのは、「おめでとう」というより「ありがとう」の気持ちの方が大きい。命を与えてくれてありがとう。出会いにありがとう。苦しみだってありがとう!あれもこれも・・・ありがとう。明日から、フィリピンに行って来ます。前半の1週間、またもやアジア学院の卒業生の活動を視察してきます。昨年11月末にフィリピン・ルソン島を襲ったスーパー台風で多くの地域が土砂崩れにあい、たくさんの方が命を亡くしました。その土砂崩れの原因は不法伐採。政治家や企業が絡んでいます。後半の10日間は、教会の奉仕団の一員として、ルソン島のマウンテン州を訪れます。シニップシップという宣教師が運営している孤児院を訪ねます。どんな出会い、どんな体験が待っているのか!?行って来ます!フィリピンから日記書けたら書きます!
2005年03月14日
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足つぼとの出会いを今日は少し書きたいと思う。私は冷え性で、冬になると特に体の調子が悪くなる。自分は幼少の頃、アラビアにいた。だから肌の毛穴が開いてしまって、寒さを感じやすいのだと勝手に思っていた。さすがに最近、これは冷え性ではないかと思い始める。体を温めるには、生姜が良いと聞いたので、気づいた時には生姜入りの紅茶を飲み、つぼを押し、足浴をしてみたり。でもまだ寒い。これは去年の冬。プロフィールでも書いたけれど、農と向き合っていたら、人との関わりに関心を持ち、心を見つめていたら、体とつながっている事に気づく。体の自然治癒力をもっと知りたくて、つぼを去年、ルームメートと始めた。そのつぼが足の裏にもある!(本当はつぼではなく、反射区)と知る。足って、めったに人には触らせない場所。植物で言えば、目立たない根っこのような場所に刺激を与える事で、体の器官を活性化してくれる!?半信半疑で東京の笹塚にある東京足つぼ学院で足つぼ体験。帰りの栃木への電車の中で、ぽかぽか体が温まるのを感じる。今までは冷えるはずの足先が温かい。あ、私の体も、変わる事ができるのかも!?というひそかな励まし。足つぼを習う事を決心。→足つぼリフレ足つぼを教えている所はたくさんあるけれど、東京足つぼ学院(今はリマイスター学院)は「寺小屋式」。足つぼ師は職人だと考え、ひたすら先生の足で練習。教科書や知識ではない。実践の中から体で覚えていく。足つぼとの出会いから1年。今日は出会いの紹介という事で。足つぼの魅力をこれからも少しずつ書いていきます!
2005年03月09日
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99年度、アジア学院で学び始めた頃から、通信を知り合いの方に送らせていただいている。毎年1回。時に2年に1回。その名も「根っこ通信」。第6号が出来上がった!この通信作りは、私にとっても自らの一年を振り返る良い機会。また、発送する際に、自分の人生で出会った一人ひとりの知り合いの方を思い出し、感謝でいっぱいになる。ドバイ日本人学校6年生の時お世話になった、先生からのお手紙にこんなコメントがあった。“今の教育に加えて育てるべきことは、「意欲」であり、 「個性」であり、「豊かな心情」ではないか。”アジアで出会った子供たちを想う。学校に行きたくてしょうがない彼ら。学校の帰り道には思いっきり遊び、やんちゃな彼ら。遊びの中から、体で人間関係を学び、家に帰ると、いっちょまえに鶏のと殺もこなしてしまう彼ら。 学校で学ぶのが当たり前になると、そのありがたみを忘れてしまうのだと思う。自然も私たちの前から消え、食べものも買うものになる。自分たちが食べているものが、命あったものだなんて気づく事もなく、当たり前のように目の前にあるものを食べる。物が豊かになり、いろいろな事が「あたりまえ」になってしまった時に、どれだけその「あたりまえ」を乗り越えて創造的になれるのか。先生の言葉から、そんな事を考えていた。 写真は、昨年9月に訪問したカンボジアで働くNGOワーカーの友人(アジア学院同級生Yさん)の活動する村の子供たち。
2005年03月04日
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今日、本屋さんで出会った素敵な本「ちひろBOX」 12月に女の子が生まれたばかりの姉に送りたいと思った。ちひろさんの絵にはこどもの素を感じる。やさしさも、やんちゃな感じも、そしてさびしさも。この本の中の、さだまさしさんの言葉が印象的だったのでちょっとご紹介。========ちひろが問いかけてくるのは僕の魂の根元です。あなたはだあれ、あなたはどこから来ましたか?あなたはどこへ行きたいのですか?あなたはどんな風に生きたいですか?大切なものはなんですか?そのたび僕は困る。全部がわからないからだ。だからちひろに問い返す。生まれてきてよかったんですよね、と。ちひろは必ず答える。もちろんですよ、と。そうして最高の少女の肖像を僕に贈る。僕はその度に、その子のためにもう少し生きよう、と思うのである。=========私も、ちひろさんの絵を見ていると、生きる勇気がわいてくる。人はいろいろだけど、生きていこうって、何か新しい表情や、出来事に今日も、明日も出会えるような気がする。
2005年02月28日
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今日、友人と話しをしていた時に出会った素敵な言葉「こどもには、手をかけるんじゃなくて、目をかける事が大切。」私は子育てしていないけれど、すごくうなずけた。子育てだけではなく、日常の人間関係の中でもこの言葉はあてはまると思うから。「こうして」「ああして」「どうして?」と相手に要求してしまう事が多い。心配だから、出すぎた事をしてしまったり、信頼して待つ事ができず、相手を傷つけてしまったり。あ、神様も私たちにあーせい、こーせいと言わない。それよりも、目をかけて、信頼して、見守って下さっている。感謝だなあ。そんな事を話していた。
2005年02月27日
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自分のブログを始める事にした。感じた事、伝えたい事、いろいろあります。でも、言葉にできない時は絵を描いたり。本当は、顔と顔合わせて話すのが好き。人の表情やテンションが伝わってくる。昔、遠距離の友人とメールのやりとりをずっとしていた。私たちはそれをメールティックな関係と呼んでいた。メールだと、嫌なこと書かずに素敵なことばかり伝えられるし、言葉は一人歩きしてしまう事もあるから、誤解もあった。だから、たまに手紙をもらったり、顔を合わせると、また違う関係が生まれてくる。あったかい。この間、NUUのライブに行ってきた。彼女の唄は、彼女の動作や、表情でもっと深いものになる。でも、つながる形には、いろんな形があっていいのかなと思う。
2005年02月26日
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