SLOWでいこ!!

SLOWでいこ!!

その2


 「流産ですね。。」先生が説明してくれるけど、
 もう耳に入らず。
 内診台の上で泣くだけ。周りの人にも丸聞こえだった。

 受精卵の中には、丈夫じゃないのもあって 
 流れてしまう運命のものもあるんだ。。。と。
 何をいってるんだ?と正直思った。

 自宅に帰って、涙枯れるまで泣いた。
 旦那に謝った。

 よく考えれば納得できるが、自分も無理をした(断る勇気がなかった)
 それもいけなかった。
 妊娠中は、お葬式・法事にはできるだけ行かないように
 後で聞いた。(おじさん、連れて行ってしまったの?)
 (亡くなった人が、連れていってしまう事があると。。)

 翌日の午後から入院、翌々日の午前中に子宮の内容物摘出手術
 という日程となった。
 それから、2・3週間は安静といわれたが、仕事が休めないので
 1週間だけと会社側には頼んだ。
 午前中のうちに、休む日の分の仕事を全部片付けて、、入院した。
 (何でそこまで、しなきゃいけなかったのか?誰も助けてくれなかった)
 この出来事が、退職を決意する発端となった。 

 夜、寂しく一人で病院の食事。
 一人で食べる食事って、こんなにもおいしくないもんだなー。
 旦那を思い出した。ふとんにもぐって、泣いた。

 手術日。ちょうど、テレビで向井亜紀さんが、私と同じく
 子供の命をなくし、さらに自分の命とも戦っていた。
 涙を流しながら、くすりのせいでむくんだ顔で、
 でも戦い続けている姿に、勇気をもらった。

 手術前に、主治医に聞いた。
 「また、授かる事はできますか?」と。
 そうしたら、先生は、
 『大丈夫、そのためにしっかりお掃除しようね。』
 安心して、麻酔の眠気に身をゆだねました。
 10分少々で無事終了。

 さようなら。。大きくしてあげられなくて、ごめんなさい。
 次は、あなたの分と2人分、育てるからね。

 しばらくは、主人の兄弟の方が先に子供ができてしまったため、
 逆に、まだかコールが増し、トラウマになって、赤ちゃんを
 何もなく産める人を
 羨み、ねたみ、うつっぽくもなってしまいましたが・・・・

 2001年7月、やっとまた同じ治療を経て、
 授かったのです。

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