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老子に学ぶ その②

水仙
   老子に学ぶ

その2

 『無為は何もしないのではない、強烈な生を生きることだ。』と書きました。
今の世の中は、あまりにも暗黙の決まりごとが多い。それに従った生きかたをしていないと、皆がするようにしていないと、何か居心地が悪くなってしまうのでしょう。
 日本の国は特にそれがひどいような気がします。どこの都会を訪ねても、街づくりは大して違いません。多くの町おこしは、いかに多くの人を集めてお金を遣わせるという仕掛け作りのような気がします。

 みやげ物売場は賞味期限が半年も一年もある毒の山。商品名が違うだけで中身は変わらないものが多い。
 冠婚葬祭、これがまたひどい。大量生産されたものをこういうところで消費していく仕組みができているのでしょう。食べないまま捨てられる料理やお菓子、使わずに押し入れに仕舞い込まれてしまう引き出物。わかっていても業者や親戚や周りから自分の考えを貫けない。
 人と違うことをする後ろめたさは何でしょうか。ひとりひとりが矛盾を感じながらも、どうしようもない状況をみんなでつくり出している。日本は変な国です。

 子どもが瞳を輝かして夢を語ります。それがいわゆる一般的なものであれば親は安心しますが、逸脱しているとき「それは理想であって現実はそうではないよ、第一世間が許しません」と一蹴してしまいます。そして「お前はテストでよい成績をとり、大学に入り、大きな会社に就職して高い給料をもらい出世することが幸福なんだよ」と軌道修正しているのではないだろうか。

 無為はそんなことは受け入れません。素直に自分の内なる声に従い、それを実現しようとします。それが自分の幸福であり生きる証ですから。
 自分たちが創り出している現実や世間体に惑うことなく、本当にやりたいことをやる。そのことは周りからみれば強烈な生を生きることに見えるでしょうが、本人からすれば、自然に、素直に生きていることになると思うのですが如何でしょう。



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