うそ 0
ものがたり 0
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スパラキシス今日は日曜日なので朝からマスターズを見てピアノの練習をしたあと、明後日の有価物収集に備えて段ボール箱を壊してまとめて一つの箱の中に入れる作業を行った後、今まで寒かったので廊下に入れていた花たちを外に出す作業をして、妹に貰った土付きのサトイモを洗う作業をした。それだけのことで随分疲れて立ったり、座ったり、動きまわるのがやっとの状態になってしまい、リポビタンゴールドを飲んだら少し元気になったが、体力が無くなったものだとしみじみ思った。勤めでは聴診器とボールペンがあれば仕事出来ているが家では妻に言われたことを少ししただけでこんなに疲れてしまうんだったらもう終点に来ているんではないかと思われた。終点かも知れないがまだ生きている。生きている限りは「インターバル速歩」をして、少しでも体力をつけて最後の人生をを全うしなければと思った。
2024.04.14
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ピンクの線が入った芝桜も咲き始めた「生命の世紀への探求」を読んでいる。ポーリング博士は9歳で父親を失い、25歳で母親を失った。母親の死の知らせを受けた時には何人かと研究のことで打合せ中だったが涙がこぼれてしかたなかったとのことである。母親は、彼がいい会社に入って給料をもらい、安定した生活をすることを望んでいたが、未だに奨学金をもらい、大学院で研究生活を送っていたことに不満を持っていた。しかし自分は世の中に役立つことを成し遂げて、いつかきっと母親にもそれを分かってもらい、感謝してもらえる時がくると願っていたとのことである。それから5年後の30歳の時アメリカでもっとも有能な化学者であるとの表彰状をもらった時には、それを母親に見てもらえなくてどんなに残念に思ったか知れないとのことだった。親と子の関係には様々な形態があり、親が子を殺したり、子が親を殺して事件になることもあるが、一般的には親孝行しなくてはと思っている間に、親に死なれてしまったというケースが多いのではないかと思う。ポーリング博士の場合もそれに近い状態だったのだと思う。親に感謝しその恩に報おうと思っている人達は殆ど成功しているが、その恩を感じていない親子関係の場合は成功はおろか事件につながる場合もある。親が子供に対して無償の愛を注いでいる限り、子供もその恩に報いようとするものだ。親たるもの心したいものである。
2024.03.14
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冬寒の中で咲き残っていた椿胃の調子が悪い時に飲めばすっきりして食欲も戻ってくるエクセラーゼが製造中止になったとのこと、それなら同じ作用のタフマックはとみたらこれも製造中止とのことである。胃腸が弱い人に有効に働き、喜ばれていた薬が無くなってしまう。咳や淡に効く薬も出荷調整とのことで今まで便利に使っていた薬が品不足で医師や患者さん、調剤薬局等が大変困っている。発端は2020年に、ある大手の後発医薬品(ジェネリック)製造会社の不適切な製造法や品質管理の不正が摘発され、国や都道府県が全国の製薬会社の調査に乗り出した。その結果多くの会社で不正が見つかり、多くの製品で製造が停止されたり、出荷調整に追い込まれ、薬の使用者である病院側は毎月今まで使っていた○○薬は入荷できなくなりましたと医師に告げなければならなくなった。主に後発医薬品会社が出荷できなくなったが先発の大手製薬会社でもすでに後発に移行していたジェネリック医薬品をすぐ製造することはできず、今までの先発品で補充することもできなくて品不足になっている現状がある。製薬会社が国の決めた基準に沿わないで製薬していたことに問題があり、大いに反省して頂き、監査体制を整備し、1日も早く、再生産体制に入ってもらいたいと思う。一方、国や県は患者さんが困っているのだから、厳重注意や厳しい処罰は当然としても、いきなり製造中止とか出荷中止にしないでもらいたいと強く願うものである。
2024.02.15
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雪の中でもしっかり青さを保っている彼岸花(葉の時期)世界的指揮者の小澤征爾さんが2月6日に心不全で亡くなった。88歳だった。1935年に中国で生まれ戦争が始まった1941年3月、5歳の時東京立川に帰国しているが中国に対する思い入れは強く中国の音楽発展に貢献し、中国の教科書にも載っている。今回の逝去に際し、各国からお悔やみが寄せられているが中国からのそれは小澤氏の中国に対する特別な気持ちに対する感謝の気持ちが込められていた。小澤氏は押しも押されぬ日本が世界に誇る大音楽家だが若い時には青年特有の悩みや失敗もしている。音楽学校(短大)卒業時に健康上の理由か、履修単位の関係か1年間卒業が延期されてしまった。その時卒業できた人達は色々な分野で活躍しており、焦りや嫉妬心に苦しめられたとのことである。父親にそのことで注意されて嫉妬心を無くすよう集中的に訓練したとのことである。その後卒業出来て国内外で活躍するようになってからNHK交響楽団の指揮者に抜擢された。アジアを演奏旅行していた時、朝6時頃まで酒を飲んでいて朝起きるのが遅くなり、遅刻を繰り返していた。増上慢になっていたのだと思う。ベテランの楽団員から生意気で不真面目な指揮者にはついていけないと総スカンを食らってしまった。世に言うN響事件で訴訟したり社会問題にもなった。あの立派な小澤征爾さんがと思うが、社会でちやほやされだすと驕慢や油断が生ずるのは人の常だと思う。その後はその反省に立って世界中から尊敬される演奏と生活をつらぬいてこられたことは承知の通りである。なお今から14年前の2010年1月(74歳)食道がんで食道の全摘手術を受けている。大変な病気だったがそれを克服しその翌年の腰椎棘突起骨折も克服している。N響から追放されただけでも精神的にダメになってしまう人もいる。食道がんで食道を全て切除されたことで、挫折してしまう人もいる。その中で小沢さんは不死鳥のごとくよみがえり、音楽の歴史を切り開いてきた。音楽界、国際交流界の巨人がお亡くなりになられた。心からご冥福を申し上げる。
2024.02.10
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蝶豆(チョウマメ)今朝は久しぶりに温度が低く快適だったが朝方ポツリポツリと雨が落ちてきた。でも天気予報では晴れとのことだったが今日来る予定の畳屋さんから電話があり「今日は雨かも知れないので畳替えは明日にします」とのことだった。その電話の後どんどん明るくなり晴れ渡ってきた。昨夜のうちに畳替えする座敷は夜遅くまでかけて綺麗にかたずけておいたのに残念でならなかった。結局朝ちょこっと降っただけで快晴の一日であった。畳屋さんが来ないということで庭に出てキュウリ、ナス、トマト、スイカが成り終わり枯れてきたので、支えの棒を外し野菜は根から抜いて蔓を纏める作業をした。昨日雨が降ったので土は柔らかく野菜を土から引き抜くのはそれほど力はいらなかったが、棒に茎を縛りつけていた紐をほどいたり切ったり、伸びた蔓を引っ張って集める作業が大変だった。若い人なら簡単なことなのに、事実私ももう少し若い時なら簡単に出来たことなのに、モッタリ、モッタリ、ふうふう言いながらただそれだけの作業に1時間半近くかかった。体力の衰えは徐々に感じてはいたが、若い時なら20~30分でできることがゆっくりゆっくりでないとできなくなり、1時間以上もかかるとは我ながら悲しくて泣きたくなった。鍛えればできるという問題ではないだけに切なさに苛まれた。でもこの年でも何とかやっている人もいるのだから散歩とか筋トレに挑戦して少しでも体力アップを心がけていこうと思う。
2023.09.09
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沖縄首里城の守礼門首里城沿道のカジュマル首里城は琉球王朝の王様の居城だったが何度も火災に見舞われてきた。最近では1945年(昭和20年)に沖縄戦争で焼失し1992年(平成4年)に復元している。しかし2019年(令和元年)10月31日の深夜の火災で焼失してしまった。現在その修復工事中で2026年に正殿完成の予定である。場所は海(港)の見える小高い丘で見晴らしの良いところであった。正殿は修復工事中だったが守礼門は健在で沿道にはハイビスカスが咲き、歴史を知らせるカジュマルの古木が根を張っていた。火災原因は不明で損害額は53億円とのことだった。沖縄を象徴する世界遺産であるお城が一夜にして簡単に燃えてしまったとは悲しい出来事だった。再建されたら防火装置をしっかりして二度とこのようなことのないようにしてもらいたいと思った。
2023.07.04
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山梨県甲斐市から写した富士山庭の大手毬人の命のはかないことを痛感した。私も治療を受けたことのある同じ病院の歯科の先生が先日突然亡くなってしまった。54歳だった。月曜日だったが朝通勤中に交差点で前の車に衝突して止まり、ぶっつけられた車の運転手が外に出て後ろの車の運転手に文句を言おうとしたらぐったりしているので慌てて救急車を呼んで病院に搬送されたが既に死亡していたとのことである。車の検査で時速は20キロしか出ておらずブレーキもアクセルも踏んだ形跡がないという。恐らく運転中に何らかの病的アクシデントがあり、意識が無くなって運転できなくて前の車に衝突して止まったのではないかと推察された。恐らく心臓麻痺とか脳出血が起こったのではないかと思われた。北大の歯学部卒で技術が高い先生で今後もお世話になろうと思っていたのに残念でならない。まさかお亡くなりになるとは夢にも思っていなかったのでショックで胸にぽっかり穴が開いてしまった。医局が同じ部屋なので朝いつも最初に出勤していて私が2番目だったが今度は誰もいない部屋に私が最初に入ることになってしまった。悲しいことだ。アメリカに住んでいるブログ友達がいるがその人の弟さんも先日くも膜下出血で57歳でお亡くなりになられたとのことである。恐らく脳動脈瘤が破裂したためだと思われるが兄がアメリカに住んでいるので日本の留守を守っていた弟さんの急死にお兄さんは大変なショックをうけ落胆しているが、昨日まで元気な人が若くして突然亡くなってしまうと何とも言えない虚無感を感ずるものだ。人の命のはかなさを感じた数日であった。ご冥福を心よりお祈りいたします。
2023.04.26
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甲府の武田通りの桜今月一杯でご退職の同僚の先生から詩人茨木のり子さん(1926/6/12~2006/2/17)が49歳の時25年間連れ添ってきたお見合いで結婚した夫三浦安信さんを肝臓がんで失い、その悲しい気持ちを面々と綴ってきた「歳月」という詩集について教えて頂いた。その詩集は39編からなり、いずれも亡き夫への恋慕の気持ちを詠っているが自分が死ぬまでは絶対公開してはならないと秘密にしてきたもので79歳で亡くなった翌年の2007年に発行されたものである。何れの詩も如何にご主人を大事に思い、そして突然いなくなってしまってどんなに悲しいかを詠ったものだがそのうちの一つ「一人の人」を紹介する。一人のひとひとりの男ひとを通してたくさんの異性に逢いました男のやさしさも こわさも弱々しさも 強さもだめさ加減や ずるさも育ててくれた厳しい先生もかわいい幼児も美しさも信じられないポカでさえ見せるともなく全部見せて下さいました二十五年間見るともなく全部見てきましたなんて豊かなことだったでしょうたくさんの男ひとを知りながらついに一人の異性にさえ逢えない女ひとも多いのに*恋しい人だけどすべてが素晴らしかった訳ではない。ダメさ加減もずるさも見てきた。可愛い幼児性や信じられないようなポカもやった人間性を見せてくれた。それでも愛おしい。みるとはなしにみんな見てきた。自分は一人の男しか知らないがその男を通じて大勢の異性を知ることができた。世の中にはいっぱい男と付き合いながら、あるいは何十年と結婚生活を送りながら一人の異性にも逢えない人もいる中でこんなに大勢の異性と逢うことが出来て幸せだったと詠んでいる。おのろけだが本当のことだと思う。結婚していながら相手をよく知らないままそれぞれ死んでいく夫婦も多い中でこれほどよく理解しあった夫婦はいないのではないかと思った。同僚の先生は医局で隣席だったので宮沢賢治や井伏鱒二、茨木のり子などの詩人や作家、アフガンで井戸を掘ったり灌漑用水路を作った中村哲医師などを紹介して下さって図書館から借りてきた本を又貸しして下さったりした。お蔭で随分勉強させて頂いたが、明日からはもういらっしゃらないので一抹の寂しさを感ずる。図書館から借りてきた本をまた貸ししてくれる人がいなくなったので、これからは自分で自分を豊かにしてくれる詩人とか小説家を探していかなければならないなと思っている。
2023.03.31
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朝出勤したら昨日同僚医師(86歳、男性)が亡くなったと知らされた。東京から電車で通勤していた先生である。正月休みの前までお元気で病棟回診なさっていた先生なので驚き,衝撃を受けた。詳しいことは聞いていないが突然お亡くなりになってしまったのだという。ピンピンコロリという言葉があるが、死の直前まで元気でお仕事していてコロリとお亡くなりになったのだと思う。昨日、私の不在中受け持ち患者さん(50歳、女性)が呼吸停止して亡くなってしまった。脳梗塞後で気管切開して鼻管栄養をしていた患者さんだが、予測しておらず、小康状態だっただけにショックは大きかった。でも特に苦しむこともなく、眠るように静かに息を引き取ったとのことで少し救われた気持ちになった。研修医時代に新宿の東京鉄道病院(現在はJR東京総合病院)でお世話になったS先生に年賀状を出したのに対し、奥さんから返信がきた。昨年9月にお亡くなりになられたとのことである。90歳とのことだった。ご指導をいただいていた時はお互いに若かったが先生はもう90歳になられていたのかと少なからず驚き、90歳まで生きられたのならよかったかなと思った。3人の死について書いたが、自分もいつ死ぬか分からない状況にある。くよくよしても一生、楽しく暮らしても一生、残り少なくなってきた我が人生、健康と学びを心掛けながらその日を迎えたいと思う。
2023.01.12
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昨日はサッカーワールドカップで、日本がコスタリカに負けてしまい、一次リーグ進出が危なくなってしまい残念である。次のスペイン戦がんばってもらいたいと思う。大相撲九州場所では阿炎の初優勝は目出たいが、大関貴景勝と最近いつも優勝争いしているのに最後に優勝を逃している高安の3人が同点で、巴戦の結果、高安、貴景勝が敗れて涙を飲んだのは気の毒だった。大関、正代は6勝9敗と負け越して大関を陥落することになった。ここ数場所、カド番大関としていつ陥落してもおかしくないような成績だったが、なんとかしがみついて今場所まで来たが、今場所は遂に命運が尽きた。地元熊本は勿論、全国的にもフアンの多い正代だが、この成績ではやむ負えない。他の力士に比べ、内に秘めたる闘志はあったかも知れないが、外から見たら覇気が全くないように感じられた。正代は優しい性格と聞いているが、それと勝負とは関係ない。いくら優しくても、闘志を燃やして練習に励み、必ず大関に復帰してきてもらいたいと思う。闘志満々の正代を見てみたいものである。
2022.11.28
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今友人、知人達から毎日のように喪中のはがきが届く。亡くなった方々の年齢は殆どが90歳以上である。しばらく前までは70歳代、80歳代が殆どだったのに日本人は随分長生きになったものだなと思う。一方で早く死ぬ人達もいる。一昨日大学の同窓会名簿が届いた。自分達の学年で既に25人が亡くなっていた。全部で84人だったと思うので80歳になる前に3.3人に一人が亡くなっていた。40歳代、50歳代で亡くなった者もおり、喪中はがきの90歳よりかなり若くして亡くなっていた。亡くなった者は結構成績優秀だった者が多く、我々あまり出来が良くなかった者が生き残っているような気がした。クラスで一位、二位を争っていた人達が既にいない。自分達も何時になるか分からないが必ず死んでいく。それが早いか遅いかの違いだけだが今の時点だけで見ると死んだ者と生き残った者に分かれる。ほぼ3人に一人が死んでしまった今、生き残っている自分達は残りの期間を大事にしなくてはと思った。残された期間は数年もしくは高々10年以内である。時間を大事にしようと思った。
2022.11.25
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ペチュニアヤクルト優勝の陰で、内川と嶋が相次いで引退を表明した。内川と言えば横浜ベイスターズ、ソフトバンクで活躍し両リーグで首位打者を取った打撃の神様である。ソフトバンクのリーグ優勝4度、6度の日本一に貢献し選手会長までした人である。そんな凄い人でもここ2-3年打てなくなってきて昨年ヤクルトに移籍した。移籍後も思ったような活躍が出来なくて本日プロ野球からの引退を表明した。嶋は楽天野村監督の指導の下にベストナイン、ゴールデングラブ賞をとり、星野監督の下では、日本一捕手になった名捕手である。2020年に楽天からヤクルトに移籍し思ったような成績が残せないで本日引退を表明した。嶋が一昨年、内川が昨年ヤクルトに移籍してきた時にはヤクルトフアンは狂喜した。日本一の捕手と日本一の内野手が入ってくると思うとワクワクした。二人とも目に見えない形ではチームに尽くしてくれていたみたいだが目に見える形での活躍を見ることなくお別れしなければならないのは悲しい。往年の名選手でも年齢的な面で衰えてきたのだと思う。内川はプロ野球からは引退するがリトルリーグや社会人野球でのプレーを模索しているみたいで、嶋は野村監督のような指導者を目指すという。ヤクルトに来てからの二人の活躍は見れなかったが、二人とも凄い経験をつんでおり、指導者に向いていると思う。体力や動体視力が衰えても智力は溢れていると思う。コーチを経験して高津監督のような名監督になってもらいたいと切に願う。
2022.09.28
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別れには色々な場合がある。若い頃の自分との別れ、恋人との別れ、友人との別れ、退職で職場の皆さんとの別れ、ペットとの別れ、など様々な別れがあるが先日不思議と心に残る別れを経験した。新車を買って4か月、何年も乗った愛車ではない。気に入らない部分があり、売って別の車に買い替えたいと思ってきた車である。先日それを中古車センターに売却して帰りしなに前向きに止まっていたその車の前を通った。ヘッドライトが悲しい目のようで車全体が寂しそうで何となく泣いているように感じられた。4か月間嫌われて遂に手放された車の悲しさが伝わってきた。人によって車の好きな所と嫌いな所は違う。私には嫌われたが、次の持ち主には好かれて大事に使ってもらえよと願っている。
2022.08.29
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今日の『英雄たちの選択』は昭和7年5月15日に76歳で暗殺された第29代首相犬養毅さんの事だった。昭和6年12月13日に犬養内閣が発足したので就任5か月で凶弾に倒れてしまった。暗殺数日前のNHKの放送の肉声が残っていたが、それは満州攻略を続ける陸軍をけん制する目的があり、わが国はあくまで話し合いでもめ事を解決し、自ら攻撃を仕掛けることはしないと述べていた。中国の革命家孫文とは孫文が亡命中援助して極めて親しい関係だったので中国上層部に手紙を書き、満州問題は円満に解決するはずだったが、犬養の秘書官が中国からの了承の返書を故意に犬養に届けず、戦争は継続していた。 犬養は「話せば分かる」を信条としており、強権的侵略には反対していた。青年将校に取り囲まれ、鉄砲を突きつけられた時も「話せば分かる」と言ったが、問答無用と殺されてしまった。以後軍部の暴走は止まらず太平洋戦争に突き進んでいくことになるが、日本史の中で犬飼の死は大変大きな痛手であった。それにしても元首相の安部さんが暗殺されて大騒ぎになったが、現首相の犬養さんが首相官邸で暴漢どもに容易に暗殺されるとはその防備はどうなっていたのかと思う。犬養首相の信念は暴漢どもに封殺されたがその信念は人々の心に残っている。言論で平和を貫いてもらいたいと願っている。
2022.08.17
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顔は笑っているが心の中は真っ暗だった東京エレクトロン韮崎文化会館でのピアノの発表会が終った。私は最後から2番目の19番目の出演で上の写真は終わって帰る途中に玄関で撮影したものである。「おもちゃの交響曲」を楽譜見ないで何百回も練習してきた。だから楽譜なくても大丈夫だろうと楽譜は席に置いたまま登壇した。所がである。2小節目に入る所でつまずいてしまい、頭の中が真っ白になってしまいどうしていいか分からなくなってしまった。沈黙が流れる。益々焦る。何も思い出せない。恥ずかしい。立ち往生して結局一番最後の所だけ弾いてお辞儀をして下壇した。この日のために蝶ネクタイも買ってきてもらい並々ならない気持ちだったが動転してしまい硬くなって何も弾けずに無念でどうすることも出来ない気持ちだった。舞台の袖で出場者の案内をしていた先生にも顔向けできなかった。近親者数人の応援団にも何んとお詫びしていいか分からない。楽譜を持参して見なくてもいいから前に置いておけばよかったが恰好をつけて楽譜なしで登壇して今までの苦労が水の泡、大恥をかく結果になってしまった。でもこれで命がなくなってしまった訳ではない。来年出場できるかどうか分からないが、気を取り直して挑戦は続けていこうと思う。
2022.07.03
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当院はリハビリテーション病院なので骨折後とか脳卒中後の方々をリハビリして少しでも機能を回復させて自宅なり施設なりに送り出すのが大きな役割だが中には重症合併症を持っていてお亡くなりになられる方もおられる。当院に赴任してから170人位の患者さんを受け持ってきたが患者さんと一緒に泣いたり笑ったりしながら苦労した思い出のある患者さん達もそれなりに退院していった。退院患者さんには様々な思い出があるがお亡くなりになられた方は特別痛烈な印象が残っている。最近では4人の方が亡くなられた。すい臓がんの方が二人、慢性肺炎の方が二人である。慢性肺炎の内一人だけ当院でお亡くなりになられたが他の3人は退院して自宅でお亡くなりになった人が二人、すい臓がんが重症で転院先の大病院でお亡くなりになられた方が一人である。一人は89才とご高齢だが他の3人は60歳台~70歳台と比較的若い。すい臓がんの二人は60歳台と≪70歳台である。人々の長命化が進み、90才以上も珍しくなくなった現在、癌、中でもすい臓がんの方は若くしてお亡くなりになってしまう。ご本人も私達医療者もお互いに力を尽くしたが命を引き留めることは出来なかった。お亡くなりになった方々は時々思い出してご冥福をお祈りしている。
2022.06.30
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庭のツツジダチョウ俱楽部のあのひょうきんな上島竜平さん(61才)が昨日11日午前零時に亡くなっていた所を発見された。自殺と言われている。5月3日には渡辺裕之さん(66才)も同じような状態で亡くなった。芸能人はいつも華やかな顔をテレビ画面で見せてくれているので「なんで?!」と驚きの気持ちを禁じ得ないが、一般の人より悩みは多く深いのかもしれない。誰にも喜びも悲しみも悩みもあると思う。死にたいと思うこともあるかも知れない。体調がいつまで経っても良くならない悩み、仕事や芸能が思うようにいかない悩み、希望が少しも叶えられなかった悩み、経済的な悩みなど様々な悩みがあるが、自殺に至る場合はそれらの悩みが重なった場合が多いと言われている。ずっとあることで悩んでいたのにさらに新たな悩みが加わって「もうだめだ!!」と決行してしまう場合が多いようだ。多くは自分一人であれこれ悩んで「もうだめだ」となってしまうことが多く、その悩みを誰かに打ち明けることによって危機を脱することができた体験を話している人もいる。その時は「もう絶対絶命でどうすることもできない」と思っていたがその危機を乗り越えた後、その時のことを思い返すと絶対絶命でなく、いくつかの方法があったことが思い浮かぶものである。追いつめられて死ぬしかないと思い詰めたら一度友人でも医師でも恩師でもいいので心の相談をしてもらいたいと思う。私達を楽しませてくれていた有能な芸能人が自ら命を絶つことはことさら悲しい。本人は勿論芸能協会の方々も十分対策をたたててもらいたいと思う。
2022.05.12
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今までずっと寒い日が続いていたがここ数日急に暖かくなってきたので庭の草木も芽を出したり花を咲かせてきた。モクレンもずっと前から蕾をつけていたが寒さで花が開かなかったが昨日一気に開花した。このモクレンは昭和59年(1984年)1月に私が北里大学岡部治弥教授主査で肝機能検査に関する論文で博士号を頂いた時に記念に植えた花である。今から38年前のことで既に岡部教授もこの世にはいないが、面接考査の時緊張していた私に岡部先生がおっしゃた言葉が忘れられない。「医学博士号なんて特別なことではないんだよ。審査で合格すれば研究者として認められるが、それはこれから何らか医学の進歩発展のために頑張って下さい。そのスタートの第一歩が博士号なのですよ」と言われた。それまで博士号というと何か一段偉くなるものかと思っていたがそうではなく、少しでも人類に役立つ研究をして下さいというメッセージだとお伺いして心が洗われ「やるぞ!」という気力も湧かせた。それから38年何をしてきただろうか?日々患者さんと接する中で病気が少しでも快方に向かうように工夫努力はしてきたが今度の新型コロナにどのような対応をしてきたかと言われると心苦しく感じている。これは日本だけでなく全世界的問題で研究者の第一歩を歩み始めた称号である博士号を持っている人は世界で何十万といる筈である。自分も含めその人達は何をしてきたのだろうかと思う。確かに今度の新型コロナは今までの一般常識では考えられないような変異や動きをしており、一筋縄ではいかない面もあるが博士と言われる人たちがそんなに大勢いてかろうじてワクチン開発は出来たがその他には殆ど何も出来ずにウイルスのなすがままで押されっぱなしだった現実は反省しなければならない。博士とは名ばかりで本当の研究者はいなかったのではないかと思えた。研究者と言ってもそれぞれ専門があり、博士(研究者)全てを無能と非難するのは当たらないとの反論があるかも知れないが、研究者全体を見る時、今回はウイルス関係の学者が先頭に立たなくてはならなかったが、それにはすそ野を支える様々な分野がある。免疫学や社会医学、遺伝学など様々な学問が関係しており、ウイルス学を頂点とするすそ野を含む研究集団全体が脆弱だったと考えざるをえない。モクレンが咲く頃になると自分も研究者の一員に加えていただいたが果たして人類のためにどれだけ貢献してきたかと反省している。コロナを3年も放置して多くの犠牲者を出し、人々に不便な生活を余儀なくさせているのはいわゆる研究者と言われる人達がしっかりしなかった結果ではないかと思っている。社会にはそれぞれの守り手、専門家がいる。病気の蔓延については世界の医学者達が専門の筈だった。その我々が何の役目も果たせなかったというのは深く反省すべきことだと思っている。
2022.03.16
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高校時代の同級生が亡くなったので昨夜はお通夜に行ってきた。30年位前から心臓にペースメーカを入れていたがすこぶる元気で果樹栽培を中心に近代農業を展開して美味しいブドウや桃などを生産し、我が家にも時々送ってくれた。20年位前に大腸がんになり、がんの部位が肛門に近かったため人工肛門を作らなければならずお腹に便袋をつるして動いていたがそれでも益々元気で地域の自治会長や連合自治会長などを歴任して人望もあった。いつも快活で周囲に安心感を与えてくれる男だった。数日前新聞の死亡欄をみてびっくりしてしまった。奥さんに電話して聞いてみたら1~2か月前から熱が出て入院していたとのことである。恐らく人工肛門周囲から腹腔内に細菌が入ってそれが抗生物質でやっつけることが出来ない耐性菌でなかなか治すことが出来ず心臓も弱って心不全で亡くなったとのことだった。同級生が次から次に亡くなっていく。人は何時か死ぬのだからそれは仕方ないことだが、同級生が死ぬと同じ歳の自分も遅かれ早かれ死ぬのだと思う。それが何時なのかは分からないが死が目前に迫った感じがする。宗教によって死のとらえ方は異なるが仏教では死すなわち臨終はこの世における善行、悪行の総決算であり、来世への第一歩と考えられている。臨終が間近になってみると今まで何もしてこなかったと焦りの様な気持ちが湧いてくることがあるが、ここにきてジタバタしてもどうすることも出来ない。日々平穏な気持ちでやるべきことを行いながらいつ来るか分からないその日が安らかな気持ちで迎えられるよう生きていきたいと思う。
2022.02.15
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オリンピックのジャンプ混合団体のスーツ測定で日本の高梨沙羅選手始め5人の選手が失格になった原因が明らかになった。通常は女性のコントローラーが測定しており失格になった5人も個人戦の時は同じスーツで合格していた。この時ばかりはいきなり男性コントローラーが測定を行い失格者が出たというのが実情である。その男性は厳格な測定で知られるフィンランド人のミカ・ユッカラ氏である。ルールブックに沿った厳密な測定をしたユッカラ氏からみると自分は間違っていないと思っているかも知れないが、スキー協会及びユッカラ氏に落ち度があったと考える。通常は男性は女性の測定はしていないのに今回なぜ男性が入って測定するのか事前に選手達に通告すべきであったと思う。これではだまし討ちと同じで失格者を出すためにユッカラ氏を測定委員にしたとしか思えない。選手たちがどれだけ辛い思いをしながら4年間この日のために練習して来たか思いやって欲しい。ルールがあることは知っているがそれはそのスポーツが公平に行われるための基準である。選手を失格させるためのものではない。従来の測定法で測定し再試合にすべきだと思う。
2022.02.10
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先月は大阪で、今月は埼玉で我々医師仲間からみても最高レベルの先生二人が患者又はその家族に殺されてしまった。そんな不条理があっていいのかと思った。二人とも患者さんに寄り添い本当に親身の診療をしていた。埼玉の先生は365日24時間休みなしの対応で患者さんに尽くしていた。ある人は親身すぎたことがこの悲劇に繋がったのではないかと論評していたがそうかもしれない。「俺は医者だ、お前は患者だ」と垣根を作っておけば簡単に医者側に土足で入ってこれなかったかも知れない。二人の医師にはそれが出来なくて患者も医師も同じ、同じ仲間だとの認識だったので彼らの自殺の道連れにされてしまったのかも知れない。ところで訪問診療については近年高齢化が進み国の方針もあって、自宅で最期を迎えたいという人の希望を叶えてやる形で、在宅診療専門の医療機関が出現してきた。訪問診療では日常の食事摂取状況や経管栄養、心臓、血圧管理、大小便の管理、点滴の管理などが主な日常業務だと思うが最後の重大な業務に死亡認定がある。最期を迎えるまでの間、家族に見守られながら楽しく安らかに暮らして頂くのが主な目的だが、今度のケースでは息子さん(犯人)は92才の母親を何が何でも生かせと医師に請願していた。人の命は永遠ではない。寿命があり、いつかは尽きるものである。自宅で一緒に住みながら介護したい気持ちは尊いが必要な場合には入院しなければならないこともある。死期が近づいた人には苦痛を与える救命処置で苦しめるより静かに見守ってやった方がよいという常識もある。今度の場合それが通じない相手だったことも悲劇だった。母親が死亡してしまうと母親の年金が途絶してしまって生活に困るという問題もあったかもしれないが、市に相談すれば生活保護の道もあったと思う。独りよがりで自分勝手で暴力的な患者家族とかかわりあわなければならなかった先生のご冥福を心よりお祈り申し上げる。
2022.01.31
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北大医学部同窓会新聞が送られてきた。毎号逝去者の名前が載っているが今号にM君が載っていて大きな衝撃を受けた。学生時代M君はいつも学生服をきていて坊主頭でずんぐりむっくりしていた。浮いた話は聞いたことがなく勉強が良く出来ていつも着実に努力していた朴訥(ぼくとつ)そのものの学生だった。卒業後早くにアメリカに渡り、アメリカで精神科の教授をしていると聞いていた。その体型や生活ぶりから同級生一のタフネスで死に最も遠い男で同級生みんなが死んでも彼ばかりは生き残るだろうと思っていた。それなのに彼は現役合格なので浪人合格の私より3つも若くして亡くなってしまった。あのタフネスそのもので将来が最も期待されていた男が死んでしまったのである。同窓会新聞を見ると順次同級生が亡くなっており、次は自分ではないかと思う。M君はあれだけの人物だったのでまだまだやるべきことが多かったと思われ、思い残すことも多かったと思うが、彼に比べかなりちっぽけな私にも近く順番が来るだろうと思うと焦る気持ちが強くなった。今から頑張っても遅いとは思うがその時が来るまではもがいていこうと思う。M君の冥福を心からお祈りする。
2022.01.12
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転落死した女優の神田沙也加さん(35才)は遺書があったことから自殺と思われ、衝撃的な出来事に感情の動揺があり、理性がそれに対応できなかったのではないかと思われ無念の気持ちで一杯である。私は今転落後に命をとりとめた女性の医療を受け持っている。今から6年前の平成27年8月18日に東京都豊島区のマンション5階の踊り場から転落し日本医大に搬送され頭部陥没骨折と右大腿骨複雑骨折の状態だったので医大で脳圧減圧手術や右大腿骨切断手術を受けた。しかし意識は戻らなかった。この事故の模様は当時新聞で報道されたであろうが何処からも情報が入らず、全くの身寄りのない状態であった。マンションの住人でもなく、知り合いもいなかった。自殺未遂と他殺未遂の両方で捜査されたと思われるが手がかりがつかめず、首に孔をあけて気管切開して呼吸を確保し、胃ろうを造設して栄養管理して生きながらえ、平成28年3月16日に当県内のリハビリテーション病院に転院し、平成29年4月12日に当院に転院してきた患者さんである。状況判断から自殺する目的で見も知らないマンションに上って飛び降りることは考え難い。誰かにそこにつれていかれそこから突き落とされた可能性が高いが捜査の進展状況の報告はない。新聞やテレビで情報公開してもだれも申し出てくる人がいなかったということは日本人ではないのかも知れない。中国、韓国、台湾など日本人に似た東洋系の女性だったのかもしれない。捜査関係者はそれらの国にも情報を流して探したのかどうかは知らない。毎日回診して声をかけたり、肩をたたいたりするが全く反応はない。犯人が自首してこない限り真相はわからないであろう。受傷当時は20歳台だったと思われるが今は30才を越えているだろうと思うが正確な年齢は分からない。このような状態で命を長らえたことが幸せだったのかどうか分からない。しかし我々は(と言っても看護師さん達の介護が主だが)日々の栄養や清拭、大小便の排泄などの管理を行って褥瘡などをつくらないようにと心掛けながら日々管理させて頂いている。
2021.12.23
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アフガニスタンの医師レシャード・カレッドさんが、文化連情報10月号にアメリカ軍が撤退した後のアフガン(アフガニスタン)について「約20年間アフガンをテロの温床にしないために駐留した米軍が国益に合わなくなった戦争の継続は拒否するといってアフガンから完全撤退した現実は誰のための駐留で、誰のための戦いであったのか疑問がのこるのみです」と書いていた。アメリカのバイデン政権はアフガン政府軍にタリバンに十分勝てるだけの兵力養成と資金や装備を与えたのでアフガン民主政府軍はタリバンを抑えて民主政治を続けられるだろうと期待したが武装勢力タリバンは瞬く間に首都カブールを制圧してしまった。無理もない。政府軍は警察官程度の警備力だがタリバンは本格的な軍隊である。ひとたまりもなかったと思う。今、日本は平和で各所に警察官が配備されているがもし武装集団が決起して進軍を始めたらひとたまりもなく征服されてしまうのと同じだと思った。タリバンは隣国パキスタンで宗教教育と軍事訓練を受けてアフガンに戻り米軍がいなくなる時を狙って一気に進軍して来たものと思われる。日本の中村哲医師は井戸を掘り用水路を作って農業を支援してきたがアフガン南部ではケシ栽培が多くの農民やタリバンの収入源になっており、水路争いにからんで中村医師は犠牲になってしまった。今度タリバンが全土を制圧して中村医師が何十年もかけて作ってきた用水路がどのようになったか気がかりである。中村医師が命を注いできたアフガンが今焦土となりつつある。学問の自由を奪い、情報を遮断し、人々、特に女性の教育水準を上げないように統治する。人々に苦痛や恐怖を与える政治は目に見えている。レシャード・カレッドさんは最後に「世界中の皆様にこの国を見放さずに関心をもって温かい目で見守って頂きたい」と結んでいたが、国連を含め世界中の様々な機関や人々が関心を持って継続的に支援していく必要があると思った。
2021.10.07
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谷村新司作詞作曲の昴という歌がありその2番に「呼吸をすれば胸の中 凩は吠き続ける されどわが胸は熱く 夢を追い続けるなり」というのがある。人は様々な夢や希望を持っているがその夢は叶わなくて様々な苦しみに晒されているが、それでも情熱を失わないで夢を追い続けるということだと思う。苦労して作り上げた新商品が全く売れない、何人かに真心のプロポーズをしたが結果はノーだった。何十回とオーディションを受けたが毎回不合格、悲しくて折れそうになるが星を見つめながらまた新たな人に恋をして行こうという歌だと思う。夢を追い続けてもその夢が叶うとは限らないが叶うと信じて生きていこうと呼びかけている。入学試験や入社試験、恋愛、ドラフト会議などでふるい落とされた経験のある人は多いと思う。特に現今はコロナのお陰で夢を潰されてしまった人は数えきれないだろう。でも心を折って萎れていても何の進展もないので、いつか良くなる、いつか願いが叶うと信じて生きて行こうではないか!!いつもは庭木の下の草取りは妻がしているがたまには奥さん孝行と妻が用事で外出した本日午前中草取りをした。結構大変な事で腰が痛くなったが帰ってきた妻に感謝されたのでまあまあかなと思った。病院とは違って草木の様々な変化や地面に小さな穴がいっぱい開いている状況など新たな発見もあった。ツバキの幹は自然界のいたずらだと思った。人間はよくいたずらをするが自然界もいたずらをするものだと思った。自然界のいたずら、ツバキの木彼岸花の花茎が伸びて来ていた。葉など何もない地下からいきなり花茎が伸びてきてお彼岸の頃真っ赤な花を咲かせるのである。そしてしばらくすると枯れてなくなり11月頃細い葉が群生してきて寒風のなか他の草花は枯れてなくなるのに彼岸花のみその緑を見せつけて春になったらその葉も枯れてなくなる。そして9月の彼岸にいきなり花茎が地面から出てきて真っ赤な花を咲かせる。不思議な花である。彼岸花の花茎
2021.09.11
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今日はピアノの発表会の日だった。会場は東京エレクトロン韮崎文化ホールで発表者は全部で22人、私以外は全て小学校1年生から中学1年生までで私の前を弾いたベートーベンの悲愴をひいた生徒は中学1年で大変上手だった。今回はコロナ渦の中で全員が一堂に集まって演奏するのでなく時間を区切って6つのグループに分かれ4人ずつの演奏で付き添いや応援者はそのグループごとに入れ替えするので客席は少人数だったが凄く緊張してしまった。私はシューマンの楽しい農夫とリストの愛の夢第三番を弾いたが舞台の雰囲気やピアノがオーストリアのウイーンで製作された超高級のベーゲンドルファとのことでプレッシャーがかかったこともあるが、随分気持ちが上ずってしまった。練習では何十回、何百回と弾いてそれなりに弾けていたのに本番ではいっぱいミスしてしまい随分落ち込んでしまった。帰ってきて先生に電話して「いっぱいミスしてすみません」と言ったら「ミスなんてみんなするので気にしない。ペダルもちゃんと踏めていて音が響いていましたよ」と言ってくれたので少し気持ちを取り戻すことが出来た。その後娘が撮ってくれた写真をみたら背中の曲がった老人が必死でペダルを踏んでいた。自分はこんなに老人なのかと改めて思った。老人だから音楽をしてはいけないということではないが、自分が思っている自分と現実の自分の違いを認識して背伸びしないで老人に相応しい考え方や生き方をしなくてはいけないなと思った。
2021.07.04
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昨年10月入院したパーキンソン病の76歳の女性はまだ入院している。毎週同じ年齢の旦那さんから手紙が来るが封を開けて中の手紙を取り出して読むのも大変な状況だ。身体はねじ曲がっておりよだれをたらしている。自分は誰れで何をしたいかもよく分からないのではないかと思う。他人の存在もよく認識できないのではないかと思う。隣ベッドの人と話をしている形跡はなく、お友達もいないのだと思う。毎週手紙を書いてくるご主人に「ありがとう」の一言でも書いてくれればご主人は喜ばれると思うがその力はない。コロナで二人が直接会うことは出来ないがおむつ代などをご主人が病院に届けに来る時、何かお伝えしましょうかと聞いたが「何もありません」とのことだった。ある日のお手紙の中に二人で九州旅行した時の写真が入っていた。まだ若い時の写真で今の姿とは全く違ってとびきり美人で美しかった。素直に「すごい美人だったのですね」と感想を言ったら、今までにない笑顔で「ありがとう」と言った。自分とか他人とかの認識も出来ない状況の中でも美人と言われたことが嬉しかったのだと思う。その喜びがずっと持続してくれればよいのだがしばらくするとまたいつものようによだれをたらしてぼーとしていた。パーキンソン病は体の機能が衰えても認知機能はそれほど衰えないケースもあるがこの患者さんの場合は認知機能もかなり障害されている。今日も手紙が来ていたのでお渡しに行ったが半分眠っていた時だったからか不機嫌で「ご主人からの手紙どこに置いときましょうか?」と聞いたら「その辺に置いといて」だった。ご主人からの手紙を待ち望んでいてくれればよいのだがそれほどでもないらしい。一方通行の感じがするがそれにはお構いなしにご主人は毎週手紙を書き続けており、少しやるせない。一度でいいから返事をかいてあげないものかと願っている。
2021.02.26
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昨夜家内から喪中のハガキを下さった方に絵手紙の寒中見舞いを書いたのでスキャナで取り込んで印刷してくれと頼まれた。お安い御用と引き受けたが端が欠けてしまったり不要な線が入ってしまったりして中々思うようにいかず、何度もスキャンし直したり、編集し直して夜も遅くなってからやっと自分が思った通りに印刷できてよかった。簡単と思えることも端の方に字や印や絵が付け加えられているとそれを落とさずそっくり印刷するのは難しいものだと思った。今朝勤めに行く途中そのハガキを郵便ポストに入れてきた。自分は喪中ハガキを頂いた時点でお世話になった方々のご逝去に対し驚きと悲しみでお悔やみの手紙を書いてきたので寒中見舞いはいらないと思っていたが、それを出していなかった方もいたのでこれから書こうと思う。色々お世話になりお元気だとばかり思っていた方が数人昨年はお亡くなりになられた。お元気な時の姿しかイメージできないが、自分もいつかはそうなるのだが悲しいものである。奥さんにお世話になった時のことをさらりと書き加えようと思う。
2021.01.13
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チェリーセージ滋賀県の息子の所で飼っていたトイプードルのコロが亡くなったと昨日連絡を受けた。飼ってから6-7年になると思うが甲府にも何回か来たことがあり、その愛くるしい姿が染みついているだけに不憫でならない。半年くらい前から前足の付け根の部分に腫瘍が出来てそれが次第に広がり肺にも転移して呼吸もあえぎあえぎだったとのことである。あの元気すぎるくらい元気だったコロが苦しみながら死んでいったことに胸を締め付けられている。滋賀県の家の人達の心を推し量ると猶更悲しみがこみあげてくる。コロロスから抜け出すのは大変だと思うが立ち直ってもらいたい。コロよ安らかに眠ってくれ。
2020.10.25
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シラー・ベルビアナ(オオツルボ)28歳の力士が新型コロナ感染症で亡くなった。痛ましいことで無念である。PCR検査については全国の大学に通知を出して本日までにその結果をまとめて今まで日本の検査数は少ないと言われていたが大学の協力が得られるとなると飛躍的に検査数を増やすことが出来る。またPCR検査に変わる簡便な抗原検査も認められてPCR検査と補完しながら感染者の把握をより一層幅広くできるようになった。東京都などで血清による抗体検査も取り入れて過去に感染して抗体を持つ人の割合も調べられるようになった。治療薬についても比較対象試験はまだ不十分ながらまず一剤(レムデシビル)の使用が認められ、2剤目の日本発のアビガンも使用が認められる可能性が出てきた。次第に診断や治療面で充実しつつあるが、問題は死を来すような重症例である。重症例については新型コロナ感染がきっかけになって過剰免疫反応を起こしたり、血栓形成、心不全を起こしたりするケースがあり、様々な可能性を想定しながら慎重に対応しなければならない。幸い日本の医療レベルが高く、諸外国に比べて死亡率が低く抑えられているが、世界的にはかなり高い死亡率で各国とも真剣に対応してもらいたいと思う。
2020.05.14
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武田通りの桜、今年は例年よりかなり早く満開になりました。茶の間に親しまれてきてテレビと言えば志村けんというくらい存在感のあった志村けんさんが新型コロナ肺炎で死亡した。医者の端くれなのに治してやれなくて申し訳なくて沈痛の気持ちだ。医者にはそれぞれ専門分野があり、今度の場合は呼吸器科とウイルス学専門の先生方に頑張って頂いているが、不幸な状態は続いている。今度の場合全世界で被害を受けているので世界中の英知が知恵を出し合って蔓延防止対策、治療対策を立ててもらいたいと願う。2016年7月やまゆり園の重度障害者19人を殺害した植松被告(30歳)が上告しないとのことで死刑が確定した。しかし被告は「重度障害者はいらない」の考えは変えていないという。死刑執行までの期間は決まっておらず短い人もあれば何十年経っても執行されない人もある。植松被告にも一般の人にも残された期間がどのくらいあるかは分からないがそれまでの間に色々多くの本を読んでもらいたいと思う。「重度障害者はいらない」と思うようになったきっかけなどももう一度振り返ってよく考えてもらいたい。この社会の構成は一人の人間が決めるものではない。仕事も出来なくて国のお金を使うだけの人は有害無益と思ったのかもしれないがそれも社会にとっては必要なのだ。社会とは様々な人達によって構成されており、金を稼ぐ人もそれを使う人もいてバランスが取れているのだ。広い心で差別心なく、どのような人に対しても真心を注いでもらいたいと願う。
2020.03.31
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プロ野球の弱小球団ヤクルトスワローズを3回優勝させた名将、野村克也さんが今朝がた急逝した。入浴中の急性心不全と思われる。多くの弟子を育て辛口の解説で人気のあった名監督の急逝に驚きと涙が溢れている。1998(平成28年)年発売の野村さんの著書「弱者が勝者になるために」を読んだ。まえがきに「ずばりヤクルトは弱者だ。まずこれを認めようと私はキャンプで言った。一人一人が自分達は弱いのだと認識しそのうえで勝つ方法を見つけていこうという提唱である。弱さを自覚させるところから強くなり始めるからである」「弱者でも方法論次第、考え方次第で強者を倒せる。これを皆さんの人生や仕事に応用して頂きたい」と書いてあった。ヤクルト監督後阪神の監督をしたがあまりぱっとした成績は残せなかった。その後楽天に行ってからは好成績を残し、野村さんは弱小球団を強くすることで本領を発揮する人だったと思う。弱者でも工夫次第で強者に勝てるという強い信念をもっておられた方でそれをヤクルトで見事に実証した名監督中の名監督だと思う。今頃同じように突然死した最愛の佐知代夫人とお会いしているのではないかと思う。当直していると入浴中死亡で搬送されてくるケースが少なくないが、家族や知人にとってはあまりに急でショックが大きいが、本人にとっては苦しまない突然の死で幸せだったかもしれない。不出世の名監督を心より追悼申し上げる。
2020.02.11
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6月1日に元農水省事務次官(76歳)が44歳の息子を殺す事件があった。相当悩んだ上の犯行だと思う。息子は引きこもりでゲームばかりしていて仕事をしていない。母親にゲーム機を壊されたことを根に持って激しく憎悪していた。両親ともいつも暴力を振るわれていていつその息子に殺されるか分からない状況だったとのことである。川崎の事件を目にしていつ自分の息子もあのような事件を起こすかも知れないと不安になったとのだと思われる。自分が殺せば自分の残りの人生全ては監獄の中で暮らさなければならない。それでも息子が不特定多数に対して殺傷事件をおこして人様に迷惑をかけるよりもよいと考えたのだと思う。事務次官と言えば官僚のトップで最高のエリートである。東大法学部卒業ということで恵まれた人生を歩んでこられたのだと思う。息子にも期待をかけ勉強を強制したかもしれない。おもちゃで遊んでばかりいて勉強しなかった息子の大事なおもちゃをお母さんが壊したことがあったかもしれない。そのため命を狙われることになったお母さんも気の毒だ。それならいっそうのことと思って父親が凶行に及んだと思われるが通常息子の方が若くて体力がある。いかに刃物を持っていても若者に奪われて老人が犠牲になるのが普通だが、父親の執念が勝ったのか息子は力はあったがさすがに父親に歯向かうことが出来なくて自ら命を落としたのかも知れない。犠牲者が逆でなかったことがせめてもの救いだが悲しい事件であった。引きこもりに対して身内の対応は難しい。英国のように引きこもり省を作って国で救い出す方法を考えてもらいたいと思う。
2019.06.03
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家の庭に咲いているボタンである。季節が巡ってくるとつらいことは何もなかったかのように美しい花を咲かせる。花を羨ましい。人間にはつらいことが多すぎる。年賀ハガキの当選番号の一次発表が1月20日にあり、ダブルチャンスの発表が4月20日にあるとのことで、楽しみにして昨夜500枚を調べてみた。当選番号は973157、960380、685677、172768 で1枚1枚調べてみたが当選はなかった。100万枚に4本つまり25万枚に1本の当選とのことで景品は記念切手で景品を欲しくてというより25万分の一の幸運にありつけるかと思ってトライしてみたがそれは報われなかった。世の中には努力すればある程度むくわれることがあるが、このダブルチャンスはただ1枚の切手のために何千枚何万枚努力して調べても当たる可能性はゼロに近い。郵便局もそのようなことのためにダブルチャンスと宣伝して国民に労力と心労を与えなくてもよさそうにと思った。しかし世の中にはこのようなことは一杯あるように思った。最初からそれが叶う可能性はゼロと決まっていることに精力を注ぎこんでいることが結構あるのではないかと思った。それが叶う可能性と叶った時の報酬の価値を見極めて努力すべきだなと思った。
2019.04.23
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私には音楽的センスが全くない。忘年会とか歓送迎会などで私が歌うとあまりに音が外れているので皆が転げまわって笑うのが常だった。名曲を聴くと心が洗われるとか、疲れがとれるとかいう人がいるが、自分にはどれがそういう曲なのかはさっぱり分からなかった。これは遺伝的素質でどうすることもできないものと思っていたが、最近の子供達には音痴の子供はいない。ラジオやテレビやスマホなどで音楽を聴きながら育ってきている。私達の子供の頃は貧乏な家庭にはラジオも蓄音機もなかった。私の母は歌が好きでよく歌っていたがそれが全く音程が外れていたのだと思う。子供達にしてみればラジオもテレビもなかった時代、母親の音程が間違っているなどと知る由もなく知らず知らずの内に母親の音程になじんでしまったのかもしれない。音痴は先天的なものではないかもしれないと思うようになった。音程が外れていて人から笑われるのはあまりいい気分ではないが、人生はそればかりではないのでそれほど苦にしないことにしてきた。しかし心の奥底では上手に歌いたいという気持ちがあったのでどうせ死んでいくのだけれど死ぬまでに何とかまともに歌えるようになりたいとの思いで、歌の先生についてレッスンを受けている。ピアノも習っている。しかし本より音楽的センスがゼロに近かったので殆ど上達していない。それでも最初の頃からみればほんの少し上達したかもしれないので、今年の忘年会には恥も外聞も捨てて一曲歌おうかと思っている。
2018.11.29
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日本の近代化をもたらした二人の英雄、西郷隆盛と大久保利通、二人は鹿児島の同じ村に生まれ育って互いに励ましあいながら成長してきた。 西郷は男気、大久保は頭の良さでお互いを支えあい、大久保は西郷を兄貴と思い、西郷が島流しにあった時などはその救出に全力を尽くしてきた。二人は竹馬の友で親友で明治維新を成し遂げた後は力を合わせて新生日本の舵をきっていくはずだったが大久保が岩倉使節団の一員として先進のヨーロッパ諸国の研修に行ってきてから二人の関係はおかしくなった。 西郷は国内に残り朝鮮問題などに取り組んでいたが大久保の頭の中は近代化が進んだ西洋諸国のことで頭が一杯で朝鮮など問題外だった。西郷にとっては朝鮮は大問題、強情な二人が真正面から衝突して決別することになるが、もし西郷も海外視察団に加わっていたらこのようなことにならなかったと思う。 薩摩の田舎武士の倅が時代の流れの中で国を動かすまでに成長したことは信じられないほどすごいことだがその彼らの一方が外国に行ってきただけでこうも違ってしまうのかというのも驚きであった。こののち西郷は西南戦争で自決し、大久保は暗殺されて亡くなるが、日本の新しい時代を切り開いた二人の英傑の最後は悲しい。しかし彼らのお陰で今があることをしみじみ思う。
2018.11.18
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西郷隆盛は明治維新の立役者で、その人物像はまず民のことを考え己を捨てて民のために尽くす人間で時代の先を読み広く世界を知り、度胸があって心優しい人間として描かれてきた。しかし征韓論になるとあの西郷どんがそんなことを思うはずがない、するはずがないと西郷どんの人物像に傷がつくからと触れたがらない人が多い。しかしどんな人間もいいところもあるし悪いところもあし、間違ったことをすることもある。明治新政府が出来て朝鮮にそのことを認めさせようとしたが頑としてそれに応じようとしなかったことに腹を立てて朝鮮を軍事力で打ちのめそうとしたことは事実であの西郷がそんなことを言うはずがないと言っても駄目である。新政府が出来るまでは朝鮮の釜山で日本の対馬藩(長崎県)を通じて交易がおこなわれていたが今度は新政府が出来たので日本政府と交易するようにしてくれと言っても応じず、明治6年釜山の交易所の役人を対馬藩兵を追い出して新政府軍が入った時に三井の商人もそこに入ってそこを拠点に密貿易を始めた。朝鮮側からそれを取り締まる「伝令書」なるものが掲示されそれは密貿易に対するものだったが日本を馬鹿にする文言が含まれていたとして西郷を含む新政府の高官はいきり立った。朝鮮を軍事力で叩き潰せという声の中で西郷は自分を朝鮮への使者にしてくれと申し出るのである。先週のテレビで禁門の変後長州征伐の時一人で長州に乗り込んで戦争にしないで長州を降伏させたように一人で朝鮮に乗り込んで戦争にしないで朝鮮を降伏させてきますというならかっこよかったが実際は板垣退助への手紙で「自分が一人で朝鮮に乗り込むと必ず彼らは自分を殺すだろう。そうすれば朝鮮はひどいことをするとして攻め込めばよい。そうすれば世界の理解も得られる。」と述べている。伝令書に端を発したいがみ合いから戦争まで起こそうとしていた。しかも自分の命をそのための捨て石にするというのだ。その時代は国のために命をささげるということはよくあったことかもしれないがたかが「伝令書」の文言で戦争を思い、しかも自分の屍を乗り越えて戦ってくれというのだからあの西郷にして浅薄、薄情のそしりは免れないと思う。しかしこの考えは岩倉使節団が帰国して挫折することになり、中央政府を去って鹿児島に帰ることになるが、伝令書などに振り回されてあの西郷が軍事力で朝鮮を威圧しようなどと考えたことは情けないと思う。私は西郷を好きである。英雄だと思う。しかしだからと言って間違ったことをしないとは限らない。一人の人間としてよいことと悪いことは冷静に見ていく必要があると思う。
2018.08.02
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アメリカで生活している娘一家が来日して今夜家族のピアノ演奏会を開催した。写真は娘と孫息子が連弾している所である。予め日が決まっていたので私も練習して参加した。私は「旅愁」と「マイオールドケンタッキーホーム」と孫娘との連弾で「ともしび」を弾いた。練習ではある程度弾けていたが本番となると一杯つかえて恥ずかしかった。特に連弾では孫娘に迷惑をかけたのではないかと落ち込んでしまった。それなりに練習はしたが家族とはいえ人様の前で弾くとなると殆どダメだった。でもこれにくじけないで努力を続けていこうと思う。
2018.07.18
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昨年の7/7の甲府の七夕祭りでメダカ掬いで掬ってきた4匹のメダカの内途中で2匹は死んだが残りの2匹はずっと生きてきた。アメリカに住む孫たちが掬ってきたので何とか彼らが夏休みで再来日する夏までは生かしてやろうと水を替え、餌をやり、対流を起こすモーターを買ってきて大事に大事に育ててきた。おかげで彼らが来日した今年の夏まで元気一杯に生きててくれた。所がである2匹では寂しいだろうと来日した彼らが新たに2匹買ってきてそれをそのまま同じ水槽に入れた。すると数日して新しく入れた一匹が死に、さらに残りの新しく入れた一匹を前からいた雄と思われるメダカがおいかけ攻撃するので攻撃するメダカを別の水槽に移したが元気なさそうなので元の水槽に移したらまた攻撃するのでまた分けようかとしていた矢先、攻撃されていたメダカが死んでいた。そしてその翌日の昨日は攻撃していたメダカも死んでいた。水が悪いのだろうと思って昨日水を替えたが今朝残りの一匹も死んでいた。これで総てが死んでしまった。娘がネットで調べてくれて新しいメダカを入れるときには10日くらい別の水槽で飼って様子を見てから入れた方がよかったとのことだった。いずれにしてもこれで全部死んでしまい寂しい。昨日は日曜日だったので死んだメダカを畑に埋めて皆で線香を立てて手を合わせた。生きとし生けるものは必ずいつかは死ぬ。しかしその死に方にもよるが手をかけて面倒見てきたペットが死ぬと悲しいものである。
2018.07.02
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庭の牡丹昨年7月の七夕祭りの屋台でメダカ掬いで4匹のメダカを掬ってきた。1日おきに餌を与えて今日までに2匹死んで2匹が残っていた。お腹の大きいメダカがいたのでアメリカに住む娘に話したらどこかに連絡してくれて海草を送ってくれた。卵を産むかもしれないとずっと水を変えないできたがその気配もなく水も汚くなったので本日水槽の掃除をして水を変えた。最後にあらかじめ分けておいた小皿の中のメダカを水を変えた水槽の中に戻そうとしたらメダカ以外に5mm位の糸くずのようなものがあった。よくみたら動いており、稚魚だと分った。もっといっぱいいたのだと思うが水を変えたために一匹しか残らなかった。その一匹も水を変えたために環境の変化で死んでしまうかも知れない。あまりに小さなものなので気が付かなくてすまなかったと慙愧の思いに駆られた。6月にはまた孫達がアメリカからやってくる。昨年7月メダカを掬ってきた子供達である。彼らが来るまでは何とかメダカを生かしておこうと思って餌をやったりしてきたが、もし小魚が生まれて増えていたら最高だったがそうはなりそうもない。彼らが来るまでに何とか生きていてくれと願っている。
2018.04.22
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福田次官がセクハラ発言をしたとの報道で辞任した。そのような発言が悪いことには異論はない。しかし福田氏側からすれば信用していた女性に無断で何回も録音を取られマスコミに渡されて社会から非難され抹殺された事態は深刻だ。最近は女性の権利擁護が行き過ぎてなにかあるとすぐセクハラで訴える傾向がある。そのような事例を通じて男女の溝が深くなっているように思う。実際は素晴らしい男性もいっぱいいるのに男性はセクハラするものと思って距離をおく女性もいる。逆に男性もセクハラと受け取られてはいけないと萎縮する傾向もある。男女は互いに思いやり協力すべきなのに敵対しているようにみえる。我々の職場では女性が圧倒的に多く、彼女らの支えがなければ仕事はなりたたない。男女互いに尊敬しあい協力し合って仕事しているが他の社会でも同様であってほしいと思う。一部のセクハラ行為が男女の溝を深めている。男女とも心当たりのある人は猛省してもらいたいと思う。
2018.04.21
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先日私より一つ年下の従弟が亡くなった。私の二人の姉もすでにいない。同級生も数多く亡くなった。自分の明日も分からないがお迎えが来るまではしっかり生きようと思う。悲しみや苦しみはさらりと水に流して明るく前をむいて着実に生きていこうと思う。My cousin of a year younger than me died the other day. I have not even two older sisters. A lot of classmates also died. I do not know my own tomorrow, but I think I will live firmly until the pickup comes. I think I should sneak the sadness and suffering into the water and advance brightly and live steadily.
2018.03.23
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北里大学名誉教授岡部治弥先生が8月15日に93歳の生涯を閉じた。胃潰瘍の診断と治療の第一人者で多くの消化器病医を育ててきた。私もその端くれで肝機能検査に関する論文で先生から医学博士号を授与して頂いた。おおらかで面倒見がよく多くの弟子達から慕われていた。生前のご指導に感謝しご冥福を心奥よりお祈り申し上げる。Professor Emeritus Kitasato University Dr. Haruya Okabe closed the 93- year - old life on August 15. He is a leading expert in the diagnosis andtreatment of gastric ulcers and has raised many gastroenterologists. I amalso a lump of them and awarded a doctorate in medicine from him in a paperon liver function tests. He was broad-minded and kind, so he was loved bymany disciples. I thank him for his guidance on his life and pray for hissouls from the heart.
2017.08.18
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今朝姉が77歳で亡くなった。4年前に脳梗塞を起こし半身不随になって寝たきりだったがある程度喋れて意志の疎通はできた。3か月前に再発作を起こし、食事も食べなくなり意志の疎通が出来なくなった。この段階で胃瘻を造設すれば年単位で命が長らえられるが家族はそれを選ばなかった。点滴のみで命をつなぎ今日静かに息を引き取った。今朝その顔を見てきたが今までの苦痛様顔貌が嘘のように安らかだった。本人も家族も安堵したのではないかと思う。ご主人には頭が下がる。4年前の発作以来1日も休むことなく病院に通い、食事が食べられる時には食事を食べさせていた。毎日通っているので同室の患者さんとも仲良くなり看護師さんやリハビリの人の名前も全て覚えていた。私にはとてもできないといつも思っていた。姉は幸せだったと思う。My elder sister passed away at the age of 77 this morning. She had acerebral infarction 4 years ago and was bedridden as a result of halfparalysis but could speak to some extent and communicate with each other.She had a recurrent attack 3 months ago, she could not eat meals and couldnot communicate.If she was made a gastrostomy at this stage, her life will be long on ayearly basis, but the family did not choose it.She connected her life only with intravenous drip and quietly took her lastbreath today.I saw her face this morning ,her painful face changed to peaceful as a lie. I think both she and her family were relieved. My head fall down to herhusband. He had come to the hospital without rest for a day since herattacks four years ago and when she was able to eat meals he helped hereating. Since he had come every day, he became friend with the patients inthe same room and he remembered all the names of nurses and rehabilitationstaffs. I always thought that I could not do so. I think my elder sister washappy.
2017.02.22
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ここ数か月で多くの友人や知人と別離しなければならなかった。また長い間に多くの患者さんの臨終にも立ち会ってきた。彼らはどこに行ってしまうのであろうか? 私たちは善行を積んできた人は天国に、悪行を重ねて来た人は地獄に落ちると聞かされてきた。しかしほとんどの人は人生の間にいいことも悪いこともしてきた中間の人たちである。これらの人達はどちらかに行くのであろうか? たぶん彼らは、天国でも地獄でもない普通の世界に行くのだと思う。つまり我々の殆ど全ては普通の世界に行くのである。我々は天国や地獄がどんなであるかを教えられてきたが普通の国がどんなであるかは教わらなかった。それは目の前の現実の世界と変わらないのだと思う。家族や友人や知人と別離すると悲しみに暮れるが、もし彼らは別の普通の世界に住んでいると考えるなら、その悲しみは和らぐのではなかろうか。I had to part from many my friends or acquaintances in those several months.And I have also witnessed with the death of many patients during long time .Where do they go? We are heard that if he or she had done a benevolence, onewould go to the heaven, and if one had done badness, one would go to hell.Almost people had done a benevolence and badness in a life, they areintermediate. Where do they go, heaven or hell? Provably they will goaverage world not heaven ,not hell. In other words, we almost all will go tothe common world. We are taught how the world of heaven or hell, but nottaught how the common world. I guess that world is not difference as realworld in front of us. We feel pain when we part from family , friend oracquaintance , but if we think they live another common world, the pain willmitigate.
2016.10.21
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今夜ピアノのレッスンがあった。付点の付いた音符が苦手で正確に弾けなかった。彼女は私が理解できるように非常に熱心に教えてくれたがさっぱり分からなかった。それで最後に難しくて分からないからもっと易しく教えて下さいと言った。先生は「私は決して難しいことを教えた訳ではない。そんなことを生徒から言われるととても悲しい」と泣いてしまった。先生が悲しんで泣かれるのを見るのは辛かった。先生を泣かせないように付点のついた音符をマスターしなくてはと思う。I had a piano lesson tonight. I couldn’t play a note with a dot. She taughtme several methods to comprehensible me very earnestly, but I couldn'tunderstand anything. I said her so and asked to teach more easy at last. Shesaid it was not difficult and cried to hear such comments from a student. Iam also painful to see a teacher crying. I am going to muster the note witha dot not to make a teacher cry.
2016.09.28
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これは金魚のための水槽である。孫たちが7/7の七夕祭りで金魚掬いをして3匹の魚を家に持ち帰った。(一匹は黒色の出目金、一匹は2センチ5ミリ位の赤い金魚、もう一匹は1センチ5ミリ位のメダカ)毎年数日中にその魚が死んでしまうので、今年は電動で泡を産生して酸素を取り込める装置がついた水槽を買ってきた。3匹とも昨日の朝までは元気だった。しかし夜帰ってみたら赤い金魚が水槽の中に見つけられなかったので、死んでしまったのか心配した。実際それが当たってしまい、死んでしまって家内が庭の片隅に埋めたとのことだった。小さな赤い金魚が元気に泳いでいた時の姿が脳裏に浮かんで、死んでしまったことがすごく悲しかった。そのような小さな魚が死んで、何でそんなに悲しいのか分からなかった。夜寝てからも胸が締め付けられていた。This is an aquarium for goldfishes. My grandchildren played with scooping upgoldfishes at the star festival 7/7 in Kofu and brought 3 fishes to my home.As the fishes died in several days every year, we bought this aquarium withthe system of making bubbles for receiving oxygen this year.They were swimming actively until yesterday morning, but when I came home atnight, the red fish was not find in an aquarium , I worried about if thered gold fish died. It was reality and it was buried in the corner of ourgarden by my wife. Reminding in my heart the sight of its active swimmingimages , I felt deep sorrow at its death. I was surprised so sad as the suchsmall fish died. After going to bed, my heart was constricted.
2016.07.20
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