うそ 0
ものがたり 0
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シバザクラは春咲く花だが庭を見たら今は深秋なのに咲いていた。12月8日に県民文化ホールで第九の演奏会があると知ったがこんなに遅くなっては券はないだろうと思って電話してみたらまだ券はあるというので有頂天になって文化ホール迄早速券を買いに行こうとしたら妻が「そんな遠くまでわざわざ行く必要がない。セブンイレブンで買えるのだよ」と教えてくれた。早速文化ホールに電話してその方法を聞いた。この電話で購入して頂き番号を伝えるのでその番号をセブンイレブンに示せば券は自動的に出てきてお金も払うことが出来るとのことだった。そのようにしたら手数料を192円取られたがあっという間にチケットを手にいれることが出来た。便利な世の中になったものだと思った。今年はベートーべンの傑作「交響曲第九番」が初演されてから200年の節目にあたる。最終楽章の「歓喜の歌」は日本でも大いに親しまれている。ベートーべンは1770年12月ドイツのボンに生まれた。父は歌手だったがひどい酒飲みで一家の生活は貧しかった。しかし彼は幼い頃から才能を発揮して11歳でオーケストラの一員になり、父の代わりに家計を助けた。16歳の時、最愛の母親を結核で失い失意の存底に沈んだ。21歳の時オーストリアの作曲家ハイドンに師事するため音楽の都ウイーンに渡った。彼は貴族の屋敷で演奏したり、ピアノを教えたりして生計をたてていた。しかし20歳代後半次第に音が聞き取れなくなってしまったのだ。音楽家にとって聴力を失うのは死にも等しいので次第に人前に出るのが少なくなり、密かに治療を続けたがその効果はなく、31歳の時には日常会話に困るほど聴力が落ちてしまった。1802年10月(31歳)に書いた「ハイリゲンシュタットの遺書」の中で絶望がもう少し大きければ、自らの命を絶っていたと記し、芸術だけが私を引き止めた。自分の中にあると感じているもの全てを生み出すまではこの世を去ることはできない」「忍耐、それを今私は自分の道しるべとして選ばなければならない」と述べていた。難聴以外に経済苦にも悩まされながら創作の手を休めることはなかった。40歳代半ばになると補聴器を使い、その後は筆談でコミュニケーションをとるようになった。交響曲第九番は晩年の1824年(53歳)に完成させたがその頃は耳は殆ど聞こえなくなっていた。第九の初演の頃から体は衰弱し、数回手術を受けたが体が良くなることなく1827年3月56歳で人生の幕を閉じた。生命を鼓舞してやまない人生への贈り物「第九」は決して順風の中でなく、逆境にさらされた苦闘から、そして不屈の志から生まれたものだと言われている。そのようないわれを知ったからにはベートーベンの苦痛や願いをよく聴いて来ようと思っている。思いがけなくチケットがとれて本当によかった。
2024.11.13
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私は最近ASUSのパソコンを買ったがそれは勤め先に置いてあり、自宅ではNECのLAVIEを使っている。7~8年前に購入したものだと思う。メモリが4ギガだったのでパソコンショップに行って8ギガに増やして貰いに行ったら生憎8ギガが置いてなくて16ギガがあるとのことでそれでもいいですと入れてもらったがその後調子悪くて故障することが多かった。1昨年文字が入力できなくなり再起動をかけたらそのまま動かなくなってしまい、職場のパソコンに詳しい人に直してもらおうと職場に持参したがドライバー(パソコン本体)の故障で直しようがない。新しいのを買うしかないですねと言われた。破棄するつもりだったが、しばらくしてどうせ捨てるのだからと色々いじっていたら直ってしまい、約2年間何事もなく作動していた。再起動をかけることもあったがそのまま動かなくなることはなかった。そして昨夜のことである。ブログに返信を書いていたら途中で文字が入力できなくなり、再起動をかけたら再起動の途中でプツンと切れてしまい、文字盤の字やボタンをやたらとめちゃくちゃ押してみたがうんともすんとも言わなかった。夜も遅かったので今朝再挑戦してみた。まずパソコンを裏返し、カバーのネジを外してパソコンの配電盤を覗いてみた。左上に丸い電池があった。2年前に直した時はそれを一回外して入れなおしたら反応があったような気がしてそれを外して入れなおしてみたが何の反応もなかった。電池の寿命切れかと思って7イレブンにCR2025、3Vの電池を買いに行ってきて入れてみたが何の反応もなかった。やっぱり駄目か。今度は捨てなければダメなのかと思ったが、どうせ駄目だと思うが裏返す時に外した電源コードを挿入してみた。最初はやはり反応がなかったが、色んなボタンをめくらめっぽう押していたら、NECの文字が現れ「お待ちください」と出てぐるぐる回転が始まった。そして画面が暗くなったので起動ボタンを押したら何が何だかさっぱり分からない文字の羅列が出てきた。そこでも色々選択してみたが正常なパソコン画面は出てこなかった。その分からない文字列の右下にESCと書いてあったのでパソコン本体の左上にESCのボタンがあったのを思い出しそれを押してみた。すると画面が変わり、しばらく時間がかかったが懐かしい今までのパソコン画面が出てきてくれた。そして正常に機能するようになり今このブログを書いている所である。再起動するとまた壊れてしまうのではないかという心配はあるが、今のところは快調である。専門的知識が全く無い私が、めくらめっぽういじった結果、偶然動いてくれたのだと思うがありがたいことだと思った。パソコンショップにもって行こうかとも思ったが、「なんの反応もないですから修理は無理です」と言われたに違いない。捨てる前に色々いじってみるものだなと思った。約18万円得したことになる。まず裏ブタを外すためにネジを抜いた配電盤の左上に丸い電池があった。この電池はついている機種とついていない機種があるらしい。パソコンが初めて反応して最初に出てきた画面で意味がよく分からずどのように対応してよいか分からなかったが、画面右端の一番下にESCと書いてあったので試しにパソコン画面のESCボタンを押したらしばらくして完全復活した。
2024.09.22
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ヒメオウギズイセン昨日滋賀県から息子家族が来た。早速迎え火をしてもらい今朝はまずナニワイバラを切ってもらった。いつもは私が飛び出している新芽を切り落として形を整えていたが、妻はもっと根元から切り倒して来年芽が出てくるようにしてもらいたくて、息子に大々的な剪定をお願いした。息子は言われるままに大胆にバッサ、バッサと切り落として殆ど丸裸みたいに切り落として見通しが良くなった。浴場の天井の汚れは私が湯船の縁に立って上を向いてブラシで綺麗にしていたが妻が転落したら危険だと息子にお願いした。息子は娘(私からみたら孫)を使って湯船に登らないで竿の長いブラシを使って実に綺麗に天井を磨いてくれた。毎日暑い日が続いており息子達が到着した時は大変暑かった。居間のエアコンについて老夫婦は従来のエアコンで別に不便を感じていなかったが、息子が何十年も前のもので冷気が足りない。電気代も高いので買い換えた方がいいとしきりに言うので仕方なく買い換えるかと言うと早速電気屋につれていってくれて工事代などかなりまけてもらってくれた。老夫婦だけなら殆どまけてもらえなかったと思うので助かった。明日滋賀に帰るが、その間に随分手伝ってもらって妻も満足したことだと思う。
2024.08.14
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自宅庭で一本の樹に一個実った中玉スイカ5/1に、酸素吸入していて要介護4の義兄が庭の畑の野菜作りのコーチに来てくれて、ジャガイモの種芋と、トマト、キュウリ、ナス、ピーマン、スイカの苗を植えた。スイカは中玉一本と大玉一本買ってきて植えたが、両方とも一個しか実がつかず、大玉の方は8月に入ってやっと1個実をつけて今成長中である。中玉は6月下旬に実をつけて段々大きくなり、3日前位に収穫したものである。滋賀県から息子家族が来てくれたので彼らと一緒にそのスイカを食べた。口々に皆が「美味しい」と言ってくれて作った甲斐があったと思った。それにしても一個実がなるということは如何に難しいかを身に染みて感じた。茎が伸び、花が咲く時期は一回しかなく、その時、多数の雄花、少数の雌花が咲く。雌花は根本に小さなふくらみがあるので雄花、雌花の区別は一目瞭然である。雄花の花粉を雌花の中心にある柱頭に授粉してやれば受精が成立して花の根元が大きくなってくれるものと思っていたが、それをしてもそのふくらみは大きくならず数日で黒くなって消滅していった。方法が正しくなかったのかもしれない。自然受粉で一個実が成って成長していくにつれ、新芽の成長も止まり、花も咲かなくなった。今回スイカの実が成るまでを観察して一つの植物が実をならせるまでには様々な偶然が重なり、たまたま一個の雌花が受精して成長を始めると他の新芽は成長を止めてしまうことを学んだ。今までは食卓に出てきたスイカを何気なく食べていたが、一個実るようになるまでには並々ならぬことがあったのだなということをしみじみと味わった。本日はお盆の入りでご先祖さんも一緒に食べてくれたかもしれない。
2024.08.13
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毎年根元から切り倒すが今年も咲いたヒマワリダイソン掃除機のフィルターが届きフィルター交換したら掃除機は100%快調に作動した。ヒュー、ヒューいって止まってしまうのでバッテリー交換したが同じことだった。フィルターが詰まっていて動かなかったことが分かり良かった。でも今までバッテリー劣化と思い5500円でバッテリーを購入し、充電コネクターが悪いのかと思って2500円位で購入したがいずれもそれらの故障ではなく、フィルターが詰まっていたためでその交換は送料込みで1000円で済んだ。見込み違いで合計8000円位無駄使いしてしまったが勉強になった授業料と考えればそれ程高くない。昔は家電製品が故障したら修理屋さんに持参して治してもらったが、今は修理屋さんはいなくなり、新しいのを買った方が早くて安上がりとのことで、私を含め殆どの人が新しいのに買い換えていたが、この度掃除機の故障について自分で直してみて結構直るものだと思った。「○○掃除機の故障修理」で検索するとバッテリー劣化、フィルター交換と出てくる。バッテリーは高価なのでまずフィルター(廉価)を交換することがお勧めと教えてくれる。交換の仕方はユウチーブで教えてくれる。部品はアマゾンや楽天で購入できる。たまには自分で直してみるのも楽しいものだと思った。
2024.08.07
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昨日山梨県昭和町から写した富士山世界的大スタードジャースの大谷翔平選手(29歳)が本日インスタグラムで結婚を発表した。誰からも好かれており比類稀なるスポーツマンであり人格者である大谷の結婚発表、だれもけなす人はいない。素敵な伴侶を得て野球史に燦然と輝く記録を作ってもらいたいと思う。大谷の報告は以下の通りである。「Not only have I began a new chapter in my career with the Dodgers but I also have began a new life with someone from my Native country of Japan who is very special to me and I wanted everyone to know I am now married.」インスタグラムでの簡潔な報告。相手の女性はSomeone from my Native country of Japanとあり、 日本の自分の生まれ故郷の人とのことで秋田の女性ではないかと思う。どこの出身でもいい。二人は世界中の注目の的なので世界に希望を与える幸せな家庭を築いてもらいたいと思う。結婚おめでとう!!
2024.02.29
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病院駐車場から見た周囲の写真病院の側壁と雪の積もった道路昨日雪が降った。当地方はめったに雪が降らないので、雪が降って積もったら大変である。今朝車で出勤しようとしたが、家の庭から細い道に出るまでがかなり大変だったので車を諦めて歩いて出勤した。1時間10分位かかったが無事病院に到着した。途中車に泥をかけられたりしたが、「ほっともっと」の庭から道路に出るところで雪かきをしていたおねいさんがよたよたしながら歩いていた私に「気をつけてね」と優しく声をかけてくれた。私も雪かきに対して「お疲れ様ですね」と返答した。その人の笑顔が綺麗で病院に着くまでの道程で励みになった。笑顔といえば昨日94歳の女性が退院した。尻餅をついて胸椎圧迫骨折した患者さんである。耳が遠いので中々普通に会話はできない。それでも毎朝回診では「リハビリ頑張っていますね」「痛い所はありますか?」など何らかの声をかけてきた。その都度笑顔を向けてくれたが状況が分かっているのかどうかわからないと思ってきた。昨日退院前に、「いよいよ退院ですね。リハビリよく頑張りましたね」と声を掛けたら、「ありがとうございました。毎朝先生が回ってきてくれて笑顔で声をかけてくれて有難かった」と言われた。私も「○○さんの所に行くのが楽しみでしたよ」と言ったら嬉しそうに大声で笑ってくれた。骨折のリハビリは主として理学療法士が行ってくれて私など何もしていないのだが、何も分かっていないかもしれないと思っていた難聴のご高齢患者さんが、私の回診が楽しみだったと言ってくれて私も嬉しくなった。笑顔は笑顔を呼ぶものだなと思った。
2024.02.06
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病棟の廊下で咲いているジョコバサボテン私は今リハビリテーション病院で常勤医として働いている。主な仕事は病棟の入院患者さんのお世話と訪問リハビリの診療である。何人かの患者さんの主治医になっているが、実際のリハビリは理学療法士などがしてくれるのでそのまとめ役と病気になった時の手当てが主な任務である。今患者さん達のカンファレンスを終えてきたところなので、その内容などを紹介する。本日は4人の患者さんについて協議した。集まるメンバーは理学療法士(ST),作業療法士(OT), 言語聴覚士(PT), 病棟看護師、ケースワーカー、医師の6職種である。まず最初に医師が入院してきた経緯を説明し、現在どういう問題点があるかを病状的、社会生活面で説明する。例えば大腿骨頚部骨折患者さんの場合、現状は術後何日で3か月入院できるのでその間歩けるようになって帰れるのか、車いすで帰れるのか協議してもらい、退院する時は自宅なのか、施設なのかについても話し合ってもらう。ケースワーカーが家庭環境を詳しく調べてくれてあり、自宅は無理だとなると施設を探すことになる。このカンファレンスが終わった後、そのカンファレンスの結果を踏まえて家族面談が設定される。家族の意向を聞いて自宅にするか施設にするか決めて退院していくことになる。当院の診療の流れは毎朝医師の回診があり、その後はST等のセラピストによる訓練がスケジュールに沿って行われる。午前、午後とみっちりスケジュールが組まれており、中には訓練は辛いからやりたくないという患者さんもいる。それだと筋力の回復が望めず寝たきりになってしまうかもしれない。そのような患者さんを励ましたりするのも我々の仕事である。ご高齢の方が多いのでみなさんスタスタ歩いて退院して行くということにはならないが、車いす退院でも元気な状態ならうれしい。リハビリして満期になり、少しでも筋力をつけて元気な姿で退院していかれる姿をみるのは嬉しいものである。
2024.01.12
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義兄にコーチしてもらって種を播き(大根)、植え付けた(白菜)野菜が見事に収穫できた。義兄は何十年間も我が家の庭の片隅にある小さな畑のために小型耕運機をトラックに載せて運んできて耕し、私の妻を助手にして野菜を作ってくれていた。しかしここ数年は石綿(アスベスト】肺で息が苦しく酸素ボンベから酸素を吸入しながら指導してくれていた。妻が弟子だったので弟子の言う通りにすればいいのだが、それでは心もとないと思って2~3年前からコーチに来てくれている。耕運機を運んでこれないので最初にスコップで土起こしをするが、私の起こし方は浅いと注意された。畝と畝の間隔、植える白菜と白菜の間隔なども、義兄が作ったメモリが書いてある物差しに合わせて植えるように指導された。肥料を播いて土をかぶせてから種を播くようにと注意された。今年は5月の連休の頃来ていただいて、その眼光を意識しながら白菜の苗を植えて大根と小松菜の種を播いた。芽が出たての頃は大根も白菜も虫に食われて葉が穴だらけで大きくなってくれるだろうかとすごく心配していた。しかし途中から虫に食われるより、野菜が成長するスピードの方が速くなり、日曜日に大根を抜いてみて、白菜を真二つに切ってみたら上の写真のように立派に生育していた。自然の力は凄いと思った。義兄がコーチに来てくれるのも後1~2年かもしれない。私たちも高齢なので後何年耕すことができるか分からない。先のことをネガティブ思考で考えていても得ることはない。こんな立派な野菜が採れるのだから、自然の力を信じて義兄が来てくれなくなっても立派な野菜を作っていこうと思った。
2023.11.28
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風車菊 毎年秋になると義兄が菊の鉢を届けてくれていた。体調が悪くなり、昨年からは届けてくれなくなった。これは一昨年義兄が下さった菊が枯れたのを妻が庭に植えておいて地植えで咲いた菊である。いつも嬉しそうに菊の花の鉢を小型トラックで届けて下さった義兄、もうその姿も見ることも出来ないだろうが、せめて妻が地植えした菊を眺めていようと思う。一昨日会議に遅刻しまいと廊下をすっ飛んでいて廊下で転びそうになって廊下の壁に相当な勢いで衝突して右側の頭と胸と手首を打った。心配した頭は瘤が出ていて触れれば痛いが硬膜下血腫等になって意識が無くなることもなくよかったが、右胸が痛くて息をしても痛い。こごんで靴下を脱ごうとしたら激しい痛みでどうしようもなかったので家人に脱がしてもらった。昨日も今日も痛みは続いており痛み止めを飲んでもあまり効かなかった。病院でレントゲン写真を撮ってもらったが肋骨にひびが入っているかも知れないがポッキリ折れている所見はなかった。筋肉が損傷を受けたのかも知れないが体を少しでも前に曲げようとすると激しい痛みに襲われ明日以後どうしたものか暗い気持ちでいた。本日の夕方、別のことで整体に予約してあったが痛みがあり、車の運転やベッドの上で寝たり起きたりも大儀なので休もうと思ったが無理して受診した。整体師は痛い所を撫でていてそこは整体とは関係ないので止めてもらいたいと思っていたが、向きを変える時四つん這いになってみた。それまでは激しい痛みでとても四つん這いになれなかったのに今度は何の痛みもなく四つん這いになれたのである。まだ咳をしたりするとかなり痛いが、整体に行く前と比べたら格段に良くなった。これで明日からの生活に希望が湧いてきて徐々に良くなっていくように思われた。「肋骨の位置がずれていたので直しておきました」とのことだった。整体師の実力を思い知り、心から感謝した。
2023.11.15
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生きていれば色々なことに遭遇する。悲しくて落ち込むこともあればよかった!と幸福感に浸れる時もある。本日の話は後者である。82歳で認知症があり、施設に入っていた女性が9/19に施設内で倒れて中央病院に救急搬送され、検査の結果、左中大脳動脈の還流領域の殆どに脳梗塞を認め、意識障害と強度の右片麻痺を認めた。手術の適応はなく、保存的療法で9/29にリハビリ目的で当院に転院してきた。広範囲の脳梗塞で呼びかけても反応はなく、体も全然動かなくてリハビリと言っても褥瘡予防の体位変換位しかできないと思っていたが実際そのような状況で1か月が経過した。ところがである、最近になって左手、左足がわずかに動くようになったのである。そして今朝の回診で名前を呼んで挨拶したらハイと返事したような気がした。そこで家族が昨日来たことなどを話したら言葉にはならなかったが何らかの声を出してくれた。今まではいくら呼びかけようともウンともスンとも言わなかったのに今朝は明らかに声を出してくれた。うれしかった。看護師に興奮しながらそのことを伝えたが「そうですか」と意外に冷静だった。一つの事象についての感じ方は、それぞれの人によって感じ方は違うものだなと思った。私にとっては大事件で、嬉しくてたまらなかった。もっともっと少しずつでも良くなってくれればありがたいと思っている。
2023.11.10
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今年もハクモクレン(白木蓮)が咲いてくれたがかなり老木になり、勢いがない印象である。これは昭和59年(1984年)1月24日に医学博士号を頂いた記念に植えた樹である。39歳になり老木化してやがて枯れていくだろう。医学博士号を受けた本人の寿命もだんだん乏しくなってきている。近年、博士号よりも専門医の方が重視される傾向があり、昔より博士号にこだわる人は少なくなっているように思う。博士号を取るには大学院に4年間在籍して博士論文を書いて授与されるか大学病院に5年以上勤務して論文を書いて論文審査で合格した場合博士号を授与される二つのコースがある。私は後者の方法で授与されたが審査された論文は「肝機能検査の軽微異常値の評価」という研究である。人間ドックなどでGOT、GPT、ALP、LDH、ビリルビン、アルブミンなど肝機能に関係する項目について基準値をはるかに超えるものは異常値として病気であり治療の対象になるが、わずかな異常で病気とも言えない軽度異常値を示すものは病気予備軍なのか、肥満など病気とは関係なく上昇しているかを分析した研究である。人間ドックの総合判定などの時に参考にしていただければ役立つかもしれないという研究である。一定期間のすべての人間ドック受診者について性、年齢別にGOT、GPT 、などの平均値を出し、その中で軽微異常値を示すものは何パーセントで、病的意義はあるのかないのかということを検討したが、色々な項目に分類して平均値を出す作業が大変で妻にその計算を手伝ってもらったことが懐かしい。私は細かい計算は苦手だったのでかなり助かった。博士号がもらえた功績の半分以上は妻の物だったと思っている。論文の指導教授はすでにお亡くなりになってしまったが、学位授与式の時の指導教授の言葉は今も鮮明に覚えている。「学位授与は終わりではない。始まりなのだ。研究者の仲間入りをしてこれから研究していって下さいという儀式なのだよ」と言われた。その後そのお言葉を胸に仕事させて頂いてきたが、博士に相応しい研究や仕事をしてきたと胸を張って言えないが、今後もそれを心がけて仕事していきたいと思っている。
2023.03.15
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本日獲れたジャガイモ中部地方の我が山梨県ではジャガイモは3月に種芋を植えて6~7月に収穫する一毛作で、それが当たり前で二毛作などは夢にも思ったことがなかった。所が三重県の友人は一度収穫したジャガイモを9月~10月ごろ種芋を植えて12月に収穫する二毛作を行っているとのことだった。気候が違うので三重県では可能でも当県では無理と思っていた。所がである6月に収穫した時に集めきれなくて地中に残ったジャガイモが何個かあった。しばらくしたらそれから芽が出て夏から秋にかけて青々と茂っていた。そしてこの寒さで葉が枯れてしまったので、もしかしたら実がなっているかもしれないと掘ってみた。そしたら上記のような大きなジャガイモが成っていた。予想外のことで思わぬ収穫に妻は喜んでいた。山梨では二毛作など夢にも思ったことがなかったが本日の収穫をみると二毛作は可能と思われた。来年も収穫時に洩れたジャガイモがあったらしっかり育てて年末の思わぬ収穫物として活用しようと思った。
2022.12.17
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眞子様の夫小室圭さん(31歳)が3度目の挑戦で米国ニューヨーク州の弁護士試験に合格した。昨年真子様と結婚した小室さんは母親の不行跡が原因で様々な非難、中傷を受けてきた。弁護士試験だってきっと受からないだろうなどの推測が多かった。今回の試験は3回目で昨年7月、今年の2月にも受験したが不合格だった。再受験者の合格率は低く、回を重ねるごとに合格の可能性は低くなり、今回も難しいのではないかと思っていただけに、合格の報を聞いて嬉しかった。今回全体の受験者数は9609人、全体の合格率は66%で再受験者は1610人、再受験者の合格率は23%であった。再受験者についていえば4.35倍の難関を突破したことになる。再受験者というだけでなく、母国語でない英語の試験なのでかなりのハンディキャップがあったと思う。ましてや母親のことで皇室の婿には相応しくないとの大バッシングの中での結婚及びその後の厳しい環境の中での受験だったので精神的にも大変だったと思う。これで米国の弁護士試験にも受かるくらい優秀な人物だということが証明された。お母さんはお母さん、小室さんは小室さん、としてアメリカで不当な圧迫や迫害に苦しめられれている人たちのために、弁護士として大いに頑張ってもらいたいと思う。何はともあれ合格おめでとうございます!
2022.10.22
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ホウレンソウの発芽9月10日に庭の片隅の小さな畑に白菜の苗を植え、大根、カブの種を撒いた。白菜は根つき、5日位で大根、カブが芽を出してきた。所が一緒に撒いたほうれん草が毎日見に行くのだが何日経っても生えてこない。「ホウレンソウを発芽させるのは難しい」と父が言っていたのを私の妻が聞いていたとのことだが義兄も難しいと言っていた。この二人とも野菜作りのプロである。その二人が難しいと言っているのにど素人の私に芽を出させられるわけはないかと思っていたが、ある友人に聞いてみた。「ホウレンソウなんて易しいよ。石灰を沢山撒いた後耕して床を造り10日位したら種を撒けば生えてくるよ」と教えてくれた。9月10日に撒いた時にも1週間位前に石灰を撒いてスコップで耕して種を撒いているが駄目だったので今度は前よりも沢山石灰を撒いて耕して床を造り1週間後の先週の日曜日に種を撒いて毎日見に行っていたが今度も駄目だろうと思っていた。所がである。昨日見に行ったら土が割れて緑のものが芽を出していた。早速妻に知らせてやろうと思っていたら、相手もすでに知っていて私に知らせようと思っていたとのことである。友人の言う通りだったなと思った。老人夫婦二人だけの家族なので野菜作りと言ってもままごとみたいなもので2.5m幅の畑にほんの一列ほうれん草を撒いただけだがどれ位育ってくれるか楽しみである。生えてきたことは感謝を込めて友人にも知らせた。生命の不思議を一つ学ばせて頂いた。
2022.10.09
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ダイソン掃除機が突然うんともすんとも言わなくなった。量販店ヨドバシカメラに持参したらダイソン本社に電話してくださいと言われたので帰宅後電話したら要求の番号を押しなさいと言われて何回かのトライで担当者と話すことができた。製造番号を教えて下さいと言われたが何処にも書いてない。「小さい字だから虫眼鏡で探して下さい。もし見つからなければ使用説明書に歯ってあるかも知れません。製造番号が分かったら再度電話して下さい」と言われて虫眼鏡でさがしたが分からず、妻が使用説明書を何処からか探してきてくれてそれに小さい字で製造番号が書かれたシールが貼ってあり助かった。再度電話したら今度は男の人が出て最初でた女の人より親切だった。製造番号を伝えたら充電コードかバッテリーの故障だと思います。まず充電コードを送りますので試してみてください。と言われて2日後コードが現金引換え5500円で到着した。そのコードを差し込んでみたが全然反応しなかった。その旨ダイソンに連絡したらバッテリー故障の可能性が高いですねとのことで代金引き換えで9020円のバッテリーを送ってきた。最初の写真は送ってきたバッテリーと交換の仕方の説明書である。説明書には文字は一切書いてなくて絵が書いてあったがさっぱり分からなかった。途方に暮れてパソコンで検索したらユーチューブアーが交換方法を説明してくれていて3か所のネジを外せば古いバッテリーが取り外せると教えてくれた。ネジのある場所も教えてくれた。上から見たところに一か所、底から見た所に2か所あるとのことでその通りにしたら見事バッテリーを交換することが出来た。交換したら掃除機は普通に使えるようになった。最初に送ってくれた充電コードは返品させてもらえるとのことで9020円で修理することが出来た。新しいのを買えば45000円位すると思うのでよかったと思う。youtubeさんのお陰だと思う。説明書には3本のネジを抜けとかその場所も全く書いてなくて交換出来なかったと思う。youtubeさんに心から感謝申し上げたい。
2022.10.08
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お彼岸の時切り取ってお墓に備えたひまわり先週末は秋分の日(お彼岸)があって連休になり、昨日の月曜日に久しぶりの回診を行った。90才女性で胃ろうの患者さんが発熱し、86才女性の脳梗塞患者さんの下血の問題があったがその他の方は落ちついており、安心した。先々週と先週で合わせて5人の退院があった。それぞれ様々な状態で入院してきて、入院後も色々な問題があったが無事退院出来てよかったと懐かしく思った。ある人はアパート7階から飛び降りて奇跡的に助かった人である。最初は車いすだったが退院時は歩いて帰った。ある女性は散歩中2mの側溝に転落し腰椎と左足踵を骨折したがこの方もリハビリ終了後歩いて退院した。22才の男性は千葉でオートバイに乗っていた時乗用車と接触して転倒し右大腿骨を骨折して千葉の病院で髄内に鉄棒を入れて修復した後当院にリハビリ目的で転院してきた患者さんである。この方も入院当初は痛がっていたが退院時には歩いて退院した。96才女性は庭で梅の実を拾おうとして転倒して大腿骨頸部骨折して、手術をしてもらった後当院でリハビリを行い、歩行車を使いながら退院になった。79才女性は認知症があって転倒し、硬膜下血腫になり、血腫除去術の後のリハビリを当院で行い、車椅子乗車で退院した。骨折の場合は皆さん大体3か月をめどに退院になる。元気な人は1~2カ月もすればよくなってその後はかなり退屈だと思うがリハビリよく頑張ってくれたと思う。リハビリでかなり元に戻るという生体の不思議と、骨折手術の進歩を改めて思った。昔は大腿骨骨折についてもすぐ手術してもらえず、手術後もしばらく安静ということで寝たきりになって認知症になってしまうケースが多かった。今では骨折後すぐ手術して、手術後は直ぐリハビリするので寝たきりおよびそれに続く認知症の発症をかなり抑えられるようになった。今更ながら医学の進歩に感謝する。特に7階から飛び降りたケースでは脚や腕、肋骨や脊柱など一杯骨折していたが何れにも適切な処置をして頂き、お蔭でリハビリ後元気で退院出来て感謝している。今は分業制で私たちは手術は出来ないが、手術後のリハビリを受け持ち、患者さん達の社会復帰へのお手伝いが出来ることに感謝している。
2022.09.27
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体調を崩しているがコーチはして下さるとおっしゃる義兄を迎えに行って9月10日に白菜の苗を植え大根の種を撒いたら生えてきた。義兄は相変わらず厳しかった。「もっと深く耕せ」、「畝が曲がっている」「肥料は手でつまんで均等に入れるのだ」など指導されて午後4時頃までかかった。でも白菜も青々してきて大根も芽をだしてきて嬉しかった。夏の間にアメリカから2日間だけ我が家に寄っていった義息が私のパソコンが遅いので初期化してくれたがその後『このアプリはこのデバイスで実行できません』という画面と『マウスを使えるようにする設定』の画面がパソコンを立ち上げた後必ず出てきてX印で消すことは出来るが煩わしいのでパソコンセンターにそれが出てこないようにしてくれとお願いに行った。「それが出てこないようにすることはできると思いますが、パソコンが遅いのはこのパソコンのメモリが4ギガと少ない事と関係あると思います。8ギガに上げればもっと機能がよくなると思います。8,000円ですがどうしますか?と言われたのでお願いしますと言ったら、店の中を探して生憎8メガがなくて16メガならあります。1万円です」と言われたのでそれでもいいですと言って翌日受け取ってきたが相変わらず『このアプリ・・』の画面と『マウス・・・』の画面は起動する度に出てきた。直してはくれなかった。メモリ交換のように金になることはしてくれるが私が困っていたことは金にならない事なのでしてくれなかったのかと思い諦めるしかないのかなと思った。しかし起動する度にそれが出てくるので煩わしい。この『アプリ云々』の画面をよく見たら【詳細説明】のボタンがあったのでそれをクリックしたらそれが出てこないようにする方法が出てきた。それはウイルスバスターというウイルス防御ソフトと関係していてまず最初にそのソフトを削除してその後新規にそのソフトをインストールすれば消えるとのことだった。最初の削除の手順も再度インストールする手順も難解、煩雑で、試行錯誤しながら何時間もかかったが最終的にその画面が出てこないようにすることが出来た。パソコン関係は難しいので専門のパソコンセンターに行って直してもらおうと思ったが直してしてもらえなかった。素人の自分にはとても無理だろうと思ったが、持ち前の粘りで挑戦したら問題解決できてうれしかった。パソコンなど大したことないと少し自信がついた。
2022.09.21
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高齢になりあと何年運転できるか分からないが兎に角安全装置が完備した車がいいと思って本年4月安全装置完備のコンパクトカーを購入した。コロナで部品の調達が出来ずに納車までに8か月以上かかった車である。安全装置は揃っているし燃費もすこぶる良いのだが、自分の家に入る小道の入口が狭くて壁が突き出ている所を曲がる時気付いたが、斜め前方の視野が塞がれており、壁の付き出している所が見えなくて不安と閉塞感を感じた。今まで乗ってきた車では曲がる時に壁のその部が見えたのに今度の車では見えないので焦ってしまった。しかし次第に慣れてきたらその小道へ曲がるのもそれ程苦痛でなくなってきたが、別の道で電信柱がある所を左折する時視野が塞がれてしまい、やはり自分にはこの車は不向きではないかと思った。路上を走っている車をみると斜め前方部に三角窓を設けている車が多見され、その部の死角を無くすように設計された車が多いと思った。中古車センターのビッグモーターに相談に行ってみた。中古車で良ければ安全装置はついていてしかも斜め先方の視野も三角窓などで確保された車に僅かのお金を追加するだけで交換できますよと言われた。新車を買ったばかりで中古車に交換とは家族から許されないだろうと一人でずっと悩んでいたが、追加のお金が僅かという事で交換のことを家族に話してみた。案の定反対で周囲からも反対された。でも運転するのは私なので止む負えないということになったが、家族の中にどうせその車に決めたのなら新車にしたらどうだという意見が出て、前の車をビッグモーターに売って斜め前方の視野がとれる本田フィットの新車を買うことにして昨日その車を受け取ってきた。運転して見たら斜め前方の視野が十分取れて閉塞感がなく、運転する周りの景色が変わって見えた。安全装置は前の車と殆ど変わりなく、バックモニターは前の車より良いと感じた。大変満足で家族の理解と、ビッグモーターが前車をかなりの値段で買ってくれたことに感謝した。安全装置が付いていて視野が広い車になったからと言って安全は保障されない。今まで以上に安全運転を心掛けて運転しようと思う。
2022.08.28
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7/3に行われたピアノリサイタルで上がってしまって何もわからなくなり、殆ど何も弾けずに恥ずかしさで縮み上がって舞台を下りなくてはならなかった無念さ、やるせなさは口では言えないほどつらかった。月に一回のレッスンなので本日が発表会後の初めてのレッスンだった。発表者は私を含めて全員で19名、その内小学生が14人、中学生が4人、大人(老人)は一人だった。小学生が上がってしまって立ち往生するなら兎も角、大人が立ち往生してしまい、面目なくて穴があったら入りたかった。先生にも恥をかかせてしまいさぞかし辛い思いをしているだろうと思った。本日、先生は発表会の事は何も言わずいつもと同じように迎えてくれた。恐らく私が凄く落ち込んでいるだろうと心配なさって下さっておられたと思うので努めて明るくふるまった。そして発表会で失敗した曲「おもちゃの交響曲」と以前習った曲「トロイカ」を弾かせて頂き、自分ながら落ち着いて力強く弾けたと思う。先生は「よく響いていましたよ」と褒めて下さった。発表会での失敗が帳消しになった訳ではないが、私も、先生もわだかまりが溶けてリベンジ出来たと思う。次に習う曲の選定に入り先生が何曲か弾いて下さった。次の曲はモーツアルトのトルコ行進曲かパッヘルベルのカノンになりそうである。みっちり練習して今回の発表会のようなことにならないように頑張ろうと思う。
2022.07.31
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過ぎし50年を振り返っているところ昨日我が家に来てくれたチワワと混血のトイプードル滋賀県在住の息子家族とアメリカ在住の娘家族が甲府市内の和食店で我々の金婚式を祝ってくれた。有難いことだ。アメリカからの13歳の少年が面白い話を次から次にしてくれたりして場が盛り上がり楽しかった。ご馳走が次から次に運ばれてきたが半分も食べられず食欲がないのは辛いことだと思った。受け持ち患者さんをみていると90才以上でもよく食べる人もいる一方、70才台、80歳台でも食欲がなく食べられなくなってしまう人もいる。そういう人は大体寿命が尽きるのが近い。食べられなくなったらいよいよ近いという印象を持っている。消化剤や食欲が出る薬などを処方してみるがあまり効果がない。寿命なのだと思う。私達も今まで無事50年間連れ添うことが出来たがこれからは食欲のないこと等を考えると寿命のことを考える必要があると思われた。それと同時に体操や運動など食欲のでそうなことにも極力挑戦してみようと思う。健康診断も受けてみようかなとも思っている。滋賀県からはチワワと混血のトイプードルの「マル」が一緒に遠路来てくれた。以前はトイプードルの「コロ」を飼っていて年に1~2回山梨にもきてくれた。人懐こくてよく吠えて特に息子にまとわりつく様子や息子が出かける時の寂しそうな様子、帰ってきた時は飛び跳ねて全身で喜びを表す姿が印象的で目に焼き付いている。その犬が今から2年位前に7才で前足の付け根の所に出来たがんのために亡くなってしまった。ご家族の悲しみいくばくかと思うが、私もその悲しみから中々抜け出せなかった。今度の新しい犬「マル」を見てもどうしても「コロ」を思い出し比較してしまった。今度の犬はおとなしくて賢こそうだがコロのような強烈な印象はない。今回は初対面だったがこれから年ごとの付き合いの中で次第にコロに対すると同じような感情が湧いてくるのだろうと思う。滋賀の彼らは土曜日に来て今日日曜日に帰って行った。アメリカからの客人はもうしばらくいて7/26にアメリカに帰る予定である。今までの50年は充実していたがこれからはどうなるか分からない。精々健康に気を付けて1日でも有意義に暮らせたらと思っている。
2022.07.17
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昨日収穫したジャガイモ何時もは庭先にある小さな小畠に義兄が色々な野菜を作ってくれていたがここに来て石綿肺が悪化して直接耕したり苗を植えたりできなくなってしまったので3月頃ジャガイモの植え付けもなされるまま経過していたがこれからは自分達でしようと義兄がしてくれたように畑を耕し石灰を播いてホームセンターに種芋を買いに行ったが時期が遅くてもう売っていないような状況だった。義兄は実際に手を下さなかったが小畠の脇に座って家にあった芽を出しかけたジャガイモをいくつかに切って植えるコーチをして下さった。所がその翌日妻が町の小さな種屋さんに種ジャガイモを売っていたとのことで買ってきて折角義兄と苦労して植えたのに半分くらい植え替えてしまった。上の写真が昨日収穫したジャガイモだが、家にあった芽を出しかけていたジャガイモでも買ってきた種芋でも殆ど差がなく立派に実がなっていて自然の恵みは素晴らしいものだと感銘を受けた。今後義兄はコーチはしてくれても実際には耕したり植えたりは出来ないのでこれからは自分達でしっかり計画を立てて野菜を育てていかなくてはいけないなと思った。
2022.06.27
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真っ赤なアジサイ7月3日に韮崎の東京エレクトロンホールでピアノの発表会がある。先月末蓄膿症の手術の直前にその話があり、1か月しかないので出演をどうしようかと迷ったが何とかなるだろうと申し込んだ。手術後練習を始めたが何んとかなりそうな気配はまったくなく、1小節、1小説を順次何とか弾けるようになるまでに何日もかかり一応曲の終わりまでその作業が終了できたのが2週間前くらいだ。曲目は長い間モーツアルトの父親の作曲と言われてきて最近アンゲラー作曲とされたおもちゃの交響曲第一楽章である。何とか弾けても楽譜を見ながらポツン、ポツンでは笑われる。楽譜を暗記して弾けるようにならなければならない。ユーチューブなどで見ると小さな子供が軽やかにスラスラと弾いている。高齢の生徒が背を丸めて冷や汗をかきながらもったら、もったら弾いていたら他の生徒や観客も困ってしまうと思う。辞退した方がいいかなとも思った。眠気と闘いながら毎日少しずつ練習したが一向に弾けるようにはならなかった。どういう訳かピアノを練習しているとほぼ毎回眠くなってしまう。それでも半分眠りながら毎日同じところを繰り返して練習してきた。そしたらなんと本日何とか曲がりなりにも弾けるようになったのである。後10日位あり何とかなりそうである。とても無理だ、駄目だと思いながらも続けてきたら一か月弱で何んとか弾けそうだと思えてきたのだ。やれば出来るものだなと思った。自暴自棄になり、感謝の心を忘れかけていたが、弾けそうだとなったらやっぱり自然に感謝し有難いことだと思った。
2022.06.22
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庭のホワイトライオン(水仙)わが職場はどちらが患者さんか分からないような高齢医師が殆どだがこの4月から36才の若い医師が就職してくれた。神経内科が専門なのでパーキンソン病やてんかん、脳卒中後のリハビリ患者さん等を受け持ってもらえて助かる。若いとはいいものだ。医局の雰囲気も若返り活気が出てきた。当院はリハビリテーション病院で日々の診療は理学療法士などのセラピストの療法が中心だが、患者さん達は殆ど高齢で内科的疾患を抱えていることも多い。それらの患者さんに対して医師、看護師、セラピスト、ケースワーカー(退院後の生活の手配をしてくれる人)などで協議しながら療法に当たっているので医師は高齢でも務まることが多いが、若い医師の場合そのエネルギーがスタッフや患者さんにも伝播してプラスアルファを醸し出してくれている。先輩として助言してやりながら大事に関わって行きたいと思っている。
2022.04.15
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コロナはまだ相変わらず蔓延しており、ウクライナに対するロシアの攻撃はやむ様子もなく、病院の階段でつまずいて左手を怪我して体力の衰えを感じ、病棟に行くと発熱者が抗生物質変えたのに相変わらず発熱している報告があり、暗い気持ちで病棟の回診を始めた。高齢の患者さんが多いが「具合どうですか」と聞くとここが痛いなどの訴えもあるが殆どの患者さんはにこにこして「ありがとうございます。元気です。お忙しいのに回って来てくださってありがとうございます。先生もお体に気をつけて下さい」と言ってくれる。患者さんの所を回っていくにつれて最初の暗い気持ちは吹き飛んで明るく楽しくなる。30人位受け持っているが鼻管を入れて栄養している人や腸瘻から栄養している人等意志の疎通が出来ない人もいるが大半は元気に応対してくれる患者さんで、自分が励まされ癒されている毎日である。毎日のように入院者がおり、毎日のように退院者がいるが、退院していく人達をみるのは嬉しいものである。これから本日退院の人の所に挨拶に行くところである。今はコロナのことやウクライナで恐怖に曝されている人達のことを思うと心が暗くなるが、病院で認知症がかった人達に励まされて心が明るくなることもある。暗い世相の中でもどこかに心の明るくなるところがあるものである。それを大事にしていきたいと思っている。
2022.03.04
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平野歩夢選手(23歳)がスノーボード・ハーフパイプで金メダルを獲った。3回滑った内の一番良い記録が採用されるが一回目は着地失敗があり9位だった。二回目はかなり良い滑りだったが2位だった。3回目はかなり緊張するものだが見事に最高の滑りが出来て金メダルがとれた。スポーツなどの勝敗は技術、運動能力、精神力が大切と言われている。平野選手の技術や運動能力がずば抜けていることは誰もが認めるところだがそれらが優れていれば金メダルが獲れるというものではない。技術や運動能力ではナンバーワンの選手がメダル圏内に入れなかった例は数えきれないほどある。平野選手は最初は9位、2回目は2位までこぎつけたが3回目には様々な思いが浮かんでかなり緊張したと思う。失敗を恐れて大技を出さないでいようと思っても思わぬ失敗で脱落することが多いが、平野選手はあえて新しい大技で挑戦してそれを成功させて金メダルを獲った。精神力が余程強いのだなと思った。私はゴルフをする。いつも成績は最下位に近い。技術力、運動能力が低いうえに歳も歳なので止む負えないかなと思っていた。しかし今日ゴルフ関係のメルマガを読んでいたら精神力の弱さもかなり影響していたのかなと感じた。ゴルフは一打にどれだけ精神を集中してクラブを振り下ろすかのゲームだが、私は運動能力は低いし、技術もないのだから「どうせよく飛ぶはずもない」と思って打つのでひょろひょろ球になってしまう。池を超えなければならない場面でのショットは「また池は超えられないだろうな」と思って打つので殆どいつも池の中にぽつんと落としてしまう。タイガーウッズは自分が優勝することだけをイメージしてプレーをしているとのことである。私は「どうせ駄目だろうから」と思いながらプレーしていたことに気が付いた。まさか優勝すると思わないまでも「自分のベスト成績を出す」と言う気持ちでプレーしようと思った。今まで失敗すると「いつもの事でまた失敗してしまった。やる気なくなった」などと失敗を引きずって大崩れすることが多かった。今日のメルマガには「失敗を引きずるな」「自分は成功すると信じてプレーしろ」と書いてあった。自分と平野選手を比べるのは恐れ多いが、平野選手は1回目の着地失敗(転倒)は全く気にしないで「自分は成功できるのだ」と信じて難しい技に挑戦して失敗することなく見事金メダルを獲った。私も見習いたいと思った。金メダル獲得を心より称賛しお祝いを申し上げる。
2022.02.11
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今ニュースを観ていたら岸田首相が学術会議の会長と話し合ったことが報じられた。「前政権の菅総理が決裁したことで手続きは終了している。しかし今後学術会議と連携していくことは重要で松野官房長官に引き続いて話し合って頂く」との談話を発表した。この問題については昨年12月16日の朝日新聞声欄に私が「首相は学術会議会長と話し合ってもらいたい」と投書したことを実現して下さったことで、大変うれしく思い感謝する。政府が科学や学術と喧嘩していてよい政治が出来る訳がない。前の政権が決めたことを簡単に覆すことは出来ないかもしれないが引き続いて協議して頂くことになったのは大変よい事で岸田首相に心から感謝する。
2022.01.13
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ベッドから落ちて骨盤骨折した97才の女性が入院している。回診の度ににこにこ笑いながら「よく来たね、どっからきたで、体に気をつけろし」と言ってくれる。今朝は「よく来たね、顔もおでこもツルツルに光っているじゃん、元気でやるだよ」と激励してくれて左手を出してきたので握ったらその力の強さは私の数倍あり痛い位であった。骨盤骨折の方は恥骨の一部にヒビが入っている程度で大したことがなくリハビリは順調に行われており、体力的には私より数倍力強い印象である。問題は認知症だが、明るい認知症なので周りの人はそれほど苦痛はないのではないかと思った。子供が3人いてその子供の家を交代で泊って歩き、そのつなぎ目はデーサービスを利用して埋めているとのことだった。一般的には高齢者の世話は敬遠されがちで子供が互いに押し付けあうことが多いがこの方の場合は、平等に世話をしようとしており押し付けあいの反対の引っ張りだこの状態ではないかと思った。認知症にも様々なタイプがある、この方の様に明るく、見境なく誰でも激励してやるタイプは嫌われないと思う。物盗られ妄想になっている人もいれば、怒って怒鳴り散らしている認知症の人もいる。外にふらふら出て行って捜索願をいつも出さなければならない人もいる。自分も最後は認知症になるなら、いい認知症になりたいものだと思った。
2021.12.24
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2年連続最下位でことに昨年は借金28でダントツのビリで、その殆ど同じメンバーで戦う今シーズンの予想は評論家のほとんどが最下位を予想していた。外国人サンタナとオスナが加入したがずば抜けた働きをしたわけではない。それでは昨年最下位でお荷物だったチームが優勝できた要因は何であろうか。今年投手コーチに就任した伊藤智仁氏の影響が大きいと思う。昨年までは投手力が弱くて防御率は最低で打撃はそこそこだったが後半に打ち込まれてよく逆転負けを喫していた。そこに伊藤智仁コーチが加入して7回今野、8回清水、9回マクガフのリリーフ体制を打ち立てた。高卒ルーキー奥川を育て高橋や高梨も勝星が取れるように導いた。その結果昨年に比べて防御率が格段に良くなった。これが優勝の最大要因だと思う。評論家達はそのことが予測出来なかったので皆さん最下位を予想したのだと思う。以前伊藤智仁コーチがヤクルトにいた時でも成績が悪かったことがあり、今年はそれらの反省の上に立って良い指導が出来たのではないかと思う。それからチームワークがよかったことも要因だろう。負けてばかりいると他選手を責めたりしてチームワークは乱れる。勝ちだすと他人を批判しないで前向きにゲームが出来るのでたまたま勝って運がめぐってきて歯車がかみ合った結果なのかもしれない。高津監督が優勝の瞬間、選手達が頑張った結果優勝を掴む事が出来たので選手達に「おめでとう」と言ったとのことだが監督だって頑張ったのだからおめでとうと言いたい。次にクライマックスシリーズが待っておりその先には日本シリーズがある。全力で戦って日本一を掴み取ってもらいたいと思う。
2021.10.26
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愛媛県の片田舎出身の真鍋淑郎さん(90歳)が地球温暖化などの予測に役立つ気候モデルを作った功績で他の二人と共に今年度のノーベル物理学賞を受賞することになった。受賞理由は今から40年位前に大気や海洋など様々な要素が複雑に絡み合う気候変動の仕組みについてシュミレーションを可能にする気候モデルの手法を確立してその方程式に大気中の炭酸ガス濃度上昇を当てはめてみたら地球温暖化につながる結果を得ていた。40年前の業績が今評価され本人も奥さんもびくりして大変お喜びになっておられた。真鍋さんはアメリカ国籍を取得してアメリカに住んでいるが、その理由を会見で「自分は周りと協調して生きることが苦手な人間で、他人を傷つけてはいけないと絶えず気にしなければならない日本社会は窮屈で他人の事を気にしないで自由に生きられるアメリカを選びました」と述べている。生活環境、研究環境が日本よりアメリカの方が良かったとのことだ。日本人の本源的良さは他人を思いやることだが、そのために自分が思うように行動できなくて成功を掴むことが出来なかったケースが多い。日本人の良さは守っていきたいが諸外国の人と競争して勝利していくには他人のことはあまり気にしないで自分の思った通りに学んだり、発表したり、仕事していく事が重要と考える。
2021.10.06
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2年位前に買ったダイソン掃除機が使用中にブツという音がして突然作動しなくなった。充電不足かと思って一晩充電してみたがうんともすんとも言わなかった。今時は電気製品の修理は時間はかかるし高額なので新しく買った方がよいと言われているので買い替えるのかなと思っていたら珍しく妻が「新しいのを買うと6-7万円する。まだ2年しか使っていないので何とかしたいという。何とかしたいといってもうんともすんともしなければ掃除ができないが、アメリカに住んでいる娘の夫が電気製品に詳しいのでメールで事情を伝えたらしい。そしたら上図の右側についているバッテリー(充電器)の故障かも知れないので交換したら動くかも知れないとのことだった。それなら外してみようと思ったが機械に組み込まれており外せる状態ではなかった。そしたら義息はユーチューブでその外し方を調べて教えてくれたので外すことが出来た。しかし新しいバッテリーは何処から買って取り付けたらよいか分からなかったが、バッテリーの後ろに型番号を書いた紙が貼ってあるからそれを見て買えばよいとのことだった。しかしそれが出来るような老夫婦ではないとみこしたのか番号を教えれば義息が注文してくれることになった。アマゾンで注文してくれて2日後にはもうその新しいバッテリーが我が家に到着した。取り付けて見たらブーンという音を立てて颯爽と始動した。ありがたかった。バッテリーは2-3千円とのことなので6-7万とは大きな違いだ。電気製品は修理より新しく買った方がよいという風潮があるがユーチューブなどで修理を動画で載せてくれている人もいるとのことなので老夫婦なら無理だが若い方々は検索してみるとよいと思った。
2020.10.28
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妻が絵手紙で展示会用にいくつもの作品を作ったが今年はコロナで展示会が中止になって先生には見て頂くと言って部屋に作品を並べて選んでいたが気の毒に思った。これはそのうちの一つだが柿の絵は全て新聞広告をちぎって貼り付けたとのことで葉や柿の舌などは筆を入れているのではないかと聞いたら「一切筆はいれていない。新聞広告でそれらしいところをちぎって貼り付けた」とのことで感心したのでここに載せさせて頂きました。今日のテーマは地域連携医療体制である。私はリハビリテーション病院に勤めているが、患者さんは医大とか県立中央病院など救急医療センターを備えている大病院から急性期が終わったその後のリハビリを依頼されたケースが殆どである。経過がよくてかなり機能が回復して退院なさる方もいるが長く入院している人もいる。指定難病の進行性核上性麻痺の高齢患者さんもその一例である。パーキンソン病に似たような症状を示すが最初は転びやすくなりだんだん動けなくなり言葉もしゃべれず呑み込めず認知症状も進んでくる病気で原因はまだよくわかっていない。この患者さんも鼻管栄養で栄養は確保されているが周囲とのコミュニケーションは殆ど取れない。その患者さんの右上腕に発赤、腫脹と水泡が出現してきた。痛みなどは訴えることは出来ないがかなり重症の皮膚疾患と思われた。ぬり薬など処方したがとても収まりそうもない。そこでいつも患者さんを送って頂いている県立中央病院(皮膚科)に診察をお願いした。基礎疾患があり、認知機能も低下している状態なので引き受けて下さるか案じていたが、入院を引き受けて下さり本当にありがたいと思った。病院の地域連携室同士で連絡を取りながら各症例の対応を決めているが最近この地域連携室の機能が凄く向上してきていることを感じている。大病院は救急患者を受け入れるがその後の受け皿がないと満杯になってしまう。我々中小病院はそのような患者さんを受け入れるが、手におえないような重症になることもある。そのような時には再度大病院で引き受けて下さる。心から有難いことだと思った。
2020.10.17
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今年もモクレンが咲いた。今から36年前北里大学の岡部教授から医学博士号を授与して頂いた時に植えた記念樹である。もうすでに岡部先生はお亡くなりになられているがその時はバリバリにお元気で、「この学位は終了と言う意味ではない。医学研究者としてこれから研鑽していってもらいたいというスタートだよ」とおっしゃっていただいたことを今でもはっきり覚えている。医学博士号をとるには大学院に行くか大学病院に5年以上勤務して論文を提出して合格しなければならない。私は北海道の大学を卒業した後新宿南口のJR東京総合病で研修医を2年行いその後郷里の国立甲府病院に5年勤めた後にもう少し勉強したいという気持ちと出来れば博士号を貰いたいという気持ちで北大先輩の紹介で北里大学病院に入れて頂いた。私が入れてもらた時は北里大学病院は出来たばかりで最初の卒業生を出したばかりだった。卒業したばかりの一期生の研修医と胃カメラなどを一緒に研修していくことになり自分は彼らより7つも8つも年取っており、気後れした。それをたまたま相模原の家に来てくれていた母に「自分だけ年を取っていてなんだかやりずらい」と話したら「そんなことはすっカマッチョし、年齢は関係ない、やるべこことをやれし」と言われた。その言葉が凄く心に響いてその後は年齢を考えないで若い人と全く同じ気持ちで研修できた。北里で5年間我慢して博士号が貰えたのはあの母の言葉の影響が大きかったと思っている。その母も28年前に亡くなった。いつも思い出すたびに親孝行らとしいことをなにもしなかったと後悔する。「○○(私の事)なんてだめさ」とよく嫁さんに言っていた。その通りだったと思う。もうこの世にはいないがせめて月命日には心込めてのお詫びとこれからの誓いを報告しようと思う。
2020.03.11
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地元自治会の公民館が自治省の助成金(宝くじ助成金)を受けて完成した。助成金は土地代は別で建物の建築費の3/5を助成して下さるというもので2/5は自前で何とかしなければならず、銀行からの融資も当てにして建てられた。近隣自治会公民館を見学に行かせて頂いたり、現在うらやましいような見事な運営をされている笛吹市にある自治会の資料を送って頂いたり、口頭で融資等について細かな助言を頂いたりして、ようやく完成にこぎつけた。皆様の温かいご支援に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。コロナウイルスの関係で落成式や落成記念講演の日程は決まっていないが、建物が出来上がったからにはこれからはその運用の仕方だと思う。皆さんで知恵を出し合い、地域の皆さんの懇親を深め、文化や教養、健康増進、防災の拠点として大いに活用されることを願い、私自身も今後も全面的に協力していきたいと思う。
2020.03.07
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静岡大の奥山皓太外野手が大学始まって以来ドラフトで指名された。甲府西高出身で地元の甲府市などから約100通のお祝いのメールが届いたが夜を徹して全員に感謝の返信をしたとのことである。彼は静岡大教育学部で教員になる勉強をしており卒論のテーマは「スポーツ選手のストレスに関する研究」とのことである。静岡大の前身旧制静岡高校には元総理中曾根康弘さんなども学び寮の押し入れの壁にでかでかと大きな字で自分の名前を書いて残しており、私も医学部に入る前は同大学の寮に入っていたので中曾根さんの字はいつも見ていたがもし取り壊してなければ今でもそれは残っていると思う。早稲田や慶応、法政、東海大などの名門私立大学と違って静岡大は地味な国立大学なのでまさかプロ野球のドラフトで指名されるとは思っていなかったのでうれしさ100倍で徹夜して100通もの返信をしたのだと思うがこれからが大変だ。育成から這い上がるのは並大抵のことではない。ソフトバンクの千賀は育成選手だったとのことだが育成でもナンバーワン投手になれる見本がいるのだから頑張ってもらいたい。私は静岡大を卒業していない中退者だが母校からプロ野球選手として活躍する選手が育つことを心より願っており、阪神よ、しっかり育てて下さいよとお願いする。
2019.10.18
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旭化成の吉野彰さん(71歳)が今年度のノーベル化学賞を受賞した。リチュウムイオン電池を発明し充電のできる電池としてスマートフォンや電気自動車などに広く使われ、生活を便利ににして人類に貢献したということで化学部門での最高の栄誉を頂いてテレビ画面に映る吉野さんは本当にうれしそうで心からおめでとうを言いたい。昨年も本庶佑さんがノーベル生理・医学賞を受賞して国民も喜び本人も嬉しそうだった。がんの免疫療法の理論を打ち立て小野薬品の協力を経てオブジーボというがんの治療薬を開発した。本庶さんは現在小野薬品との間で自分に対する報酬が少ないのでもっと多くしてもらいたいとの訴えを起こしている。本庶さんは学生や若手研究者の育成に熱心で若手研究者のための基金設立のためにもっと多くの報酬を望んでいるみたいだが、ノーベル賞という世界最高の栄誉を頂いた方がいくら若手研究者のためとは言えお金のための醜い争いをしているのをみてかなりがっかりした。画期的な治療薬とされたオブジーボでも治らない癌がまだたくさんある。もっとオブジーボの治療成績を上げるために小野薬品と協力して様々な努力をしてもらいたいと思うが今はそのことよりもお金のことで対立している。本庶さんがノーベル賞をもらった時には我がことのように喜んだが今の姿を見て失望している。ノーベル賞は人類最高の栄誉である。それを受賞した方はそれにふさわしい人格者であって欲しいと願う。
2019.10.09
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小泉進次郎さん(38歳)、滝川クリステルさん(41歳)ご婚約おめでとう。父親の小泉純一郎さんは首相になったが郵政民営化や強引な合理化などが印象に残っている狭量の政治家だったと思う。息子の進次郎氏はまだ若く、全体を評価するのはまだ早いかもしれないが、農村地域や工場で働いている人達から色々なことを聴いている姿勢は明らかに父親とは違っており、視野が広く思いやりのある政治家になる素質があると思っていた。純一郎さんは進次郎さんが生まれてすぐ離婚しており、夫婦で生活する中で国民の生活感や世界観を学ぶ機会が少なかったこともあの政治スタイルになった面もあるかもしれない。滝川クリステルさんは三か国語を自由に使える文化人で世界的視野があり、東京オリンピック誘致でおもてなしを演出した人でもある。いい人を配偶者に選んだと思う。お互いがお互いから学びあって国のため世界のために貢献してもらいたいと期待する。父親の離婚にはそれなりの理由があったのだと思うが進次郎さんは何があっても離婚しないでクリステルさんを護ってもらいたい。
2019.08.07
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山梨日々新聞の4/19号に県内病院の連休中の診療体制の記事が載っていた。困る人がいるのに政府が勝手に休日を作り10連休にしてしまった。特にいつ病気になるかもわからない患者さんにとっては大変困ることなのに政府の言いなりになって追従する病院も出るのではないかと思っていたら、その記事によると昨年の暦通り4月27日、30日、5月1日、5月2日は通常通り診療する病院はただ一つで他はほとんどが連休だった。この記事で初めて自分が勤めている病院が唯一昨年通り診療する病院と知って病院内で誰が決めたのか知らないがでかしたと思い誇りに思った。病院職員も不満には思っていない。当たり前のことなので自慢もしない。だからといって新天皇の即位を祝わないわけではない。祝うからこそ社会で必要な業務に就くのである。
2019.04.23
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昨日高知県から友人がはるばる訪ねて来てくれて昼休みのひと時歓談した。彼とは静岡大学の仰秀寮で一緒に暮らしたことがある間柄である。彼は文科系のドイツ語専攻だったが卒業後中学の教師になり、いろいろ経験したかったとのことで、51歳で退職し庭師見習い、タクシー運転手、赤帽などを経験してきたとのことである。常に理想的な生き方を求めており、私とほぼ同じ年齢だが考え方が若く生き生きしていた。歴史もよく学んでおり、高知(土佐)の英雄 坂本龍馬暗殺犯人についても話してくれた。龍馬は多くの人から恨まれており、京都見回り組、紀州藩、西郷隆盛、武器商人のグラバーその他沢山の人が暗殺犯人疑いに上げられているが、彼は土佐藩に殺されたのだと思うと自信ありげに語った。意見が割れていた土佐藩を倒幕にまとめ、薩長同盟や大政奉還など大きなことを次々とやり遂げた男、味方だか敵だかわからない男、下級武士のくせにのぼせ上っている男として嫉まれてもいた。諸説があり本当の黒幕は誰なのか私には分からないが、惜しい男をなくしたと思う。33歳で亡くなったがあと10年位生きてくれたら世の変革にすごく貢献したと思う。山田方谷は彼が尊敬する人物だという。私は不勉強で全く知らなかった。1805‐77(文化2‐明治10 73歳没) 幕末・維新期の儒学者。名は球,字は琳卿,安五郎と称する。備中松山藩の農民出身。新見藩儒丸川松陰に学び,25歳で藩学会頭に抜擢(ばつてき)される。その後佐藤一斎に従学,帰郷し学頭となる。教学振興につとめ藩治にも功績をあげ,老中となった藩主板倉勝静(かつきよ)を補佐してよく幕末期の難局を処理した。維新後は子弟教育に任じ,備前の閑谷(しずたに)学校の再興に尽力した。人名辞典を引いたら以上のように出ていた。松山藩の大蔵大臣として財政破綻しそうな藩の財政を立て直した手腕は卓越していた。自分が農民出身であることから農民や貧しい人から年貢を取り立てるのではなく、商人や富裕武士などから税金をとり、さらに新しく収入になることを考え、無駄は節約し、民が幸せになることを第一に考えて、義による政治を行い民衆に慕われていた。明治政府が鉄道を作るとき村民の陳情で方谷駅ができたとのことでその人柄がしのばれた。私は不勉強で山田方谷のことは知らなかったが、知っている人がいても少ないと思う。このような隠れた英雄はもっと広く世に知らしめて行くべきだと思った。
2019.04.10
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今年も庭の花桃(源平しだれもも、咲き分け桃)が咲いた。我が家のすぐ近くの武田通りは桜が満開だ。今テレビでは知事や県会議員の開票速報が行われている。入学式や入社式も行われている。愈々草花が咲き揃い、新しい県政もスタートする。私は地域の自治会館建設準備委員として2年前から会合を重ねて色々準備してきた。建築費の3/5を助成してくれる宝くじ助成金制度があり、それに申請書を提出していたが中々採用の連絡がなく、やきもきしていたがやっと先日採用通知があり、うれしかった。日頃仕事のことや自分の体の老化のことで、苦しい日々を送っているが、その報告を受けた時には何とも言えない幸せを感じた。しかしこれは建設への第一歩であり、これからまだまだ困難が立ちはだかっていると思うのでそれらを一つ一つ解決しながら会館建設にこぎつけようと思う。桜花のこの季節に自らの使命を再確認して新しいスタートを切っていこうと思う。
2019.04.07
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滋賀県に住む孫娘が滋賀県立大学環境建築デザイン学科に合格して一人で報告に来てくれた。環境にやさしいものつくりを学び文房具デザイナーか建築家になりたいとのことだった。合格を知った時両親は泣いて喜んでくれたとのことである。今夜は家内の弟一家がお祝いに来てくれて娘さん(姪)のお婿さんも来てくれた。家内はまた例のごとくこれでもかこれでもかと食べきれないほど作って出してきたので「加減すればいいのに」と思うのだが性分で仕方ないみたいだ。来てくれた人たちも食べきれなくて閉口していたみたいだがお目出たい席なので楽しく談笑してくれた。孫も皆さんから色々な合格祝いを頂いて嬉しそうだった。合格はうれしいことで本人も周りの人も幸せを感ずるが、反対に不合格の人もいる。本人はみじめで周りの人はその人以上に悲しむ。みっちり準備して来年こそは必ずや栄冠を射止めてもらいたいと心から願う。
2019.03.29
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人は朝起きた時大なり小なり調子が良いとか悪いとか感ずるものだ。昨日の朝はかなり調子悪かった。勤めにも行きたくない感じでおまけに仕事が終わった後、夜はアピオでの会合にも行かなくてはならずプレッシャーもあり最悪の気分だった。でも通勤途中で「今日は調子が悪いのでまずまごころの対応を心がけよう」と思った。外来では様々な人が様々な訴えをする。自分が調子悪いことを自覚していたのでどんな人の訴えも丁重に聞いてそれに対してベストの対応を心掛けた結果、皆さん大いに満足してくれたようだ。夜の会合も有意義で楽しく最高の気分で家路につくことが出来た。終わってみれば最高の1日で調子とその日の成績はあまり関係ないなと思った。むしろ調子が悪いと自覚した時の方が良い成績につながるのかもしれないと思った。大活躍したプロ野球選手が試合後のお立ち台で、「今日は調子が悪かったので慎重にいっていい成績につなげることができました」と話しているのを聞いたことがあるが昨日の私も同じだなと思った。反対に「今日は調子がいいのでバリバリ行くぞ」と思って試合に臨むと力んだり、気持ちが上ずったりして三振の山を築くこともある。あと4日後の3月10日から大相撲春場所が始まる。練習で調子よい力士と悪い力士がいる。調子悪い力士はどうせ駄目だからとマイナスイメージで土俵に上がれば結果は惨敗である。ところが「調子悪いけれど悪いからこそ本番ではあらゆる場合を想定して全力を出して戦う」と決意した力士は勝つ可能性が出てくる。調子のいい悪いは結果とは関係ない。調子が悪いと思ったら、いつも以上に慎重に周到な準備をして戦えば勝機が見えてくると思うので頑張ってもらいたい。
2019.03.06
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京都大学の本庶佑(ほんじょ・たすく)特別教授がノーベル医学生理学賞を受賞した。心から称賛しおめでとうを言いたい。本庶佑(ほんじょ・たすく)さん達はPD-1という物質を数年前に発見してここ数年毎年候補になっていたが遂に今年受賞出来て大変うれしい。PD-1というのは人にがん細胞が生じるととそのがんが人の免疫細部の頭の上に風呂敷をかぶせてしまい免疫の働きが出来ないようにしてしまってがんを攻撃しないようにしてしまう物質である。私体の免疫細胞は細菌その他の異物が体の中に入ってくるとそれに総攻撃をかけて私たちを病原菌から守ってくれる働きをしている。がん細胞も異物なので当然免疫細胞がやっつけてくれるはずなのにがん細胞だけは免疫細胞の攻撃から守られてがんが成長してしまうのはなぜだろうかと疑問に思うところからこの研究は始まった。その研究の成果が、PD-1であり、免疫細胞の頭に被せられているものである。このPD-1を取り除けば免疫細胞は活性化してがん細胞をやっつけることが出来るのである。それをやっつける抗体が抗PD-1抗体でオプジーボの名前で市販されて肺がん治療などに使われている。それは理想的ながん治療薬のはずだが、まだ完全ではないので世界中の学者が完全な薬を作ろうと研究しているがそのもとになったのがPD-1なる物質なのでそれを発見した本庶佑さん達がノーベル賞をもらうのは当然で遅しに過ぎた感じがする。それにしてもやっとノーベル賞がもらえて本当にうれしい。本庶佑(ほんじょ・たすく)さんのグループに栄光あれ。おめでとうございました。
2018.10.01
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「己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し」--。偽りのない人生を生き、そして死んでいった西郷、その人となりは簡単に評価してはならないと思う。前回のブログ「西郷隆盛の征韓論」で板垣への手紙で「自分を朝鮮への使節に任命してくれ。そうすれば彼らは自分を必ず殺すだろうからそのことを責めて朝鮮を攻めればよい」と書いたことから西郷はとんでもない軽薄な考えを持っていたと書いた。するとある方が「西郷南洲書簡集」を紹介してくださり、誰かを話し合いのために派遣することより直ちに攻撃すべきだと考えている板垣らを説得するために自分は必ず殺されるからその時は攻め込めばよいと書いたのではないでしょうか?と教えて下さった。それまでの西郷の考えや行動からすると当にその通りだと思う。それ以外はないと思う。私は猪飼隆明氏の書かれた「南洲翁遺訓」を参考にして前回のブログを書いたが読み方が平面的過ぎたと反省した。これから大河ドラマ「西郷どん」が征韓論の所はどのように描写するか楽しみである。猪飼隆明氏のような読み方をしたら西郷は軽薄な全く別人として浮き上がってしまう。西郷は一貫した素晴らしい人間だったと改めて思う。
2018.08.04
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昨日の午後韮崎大村美術館に行ってきた。女流画家の作品が主体だったが繊細で心を和ませてくれる作品が多かった。館内には2015年に館長の大村智博士がノーベル生理学・医学賞を受賞した記念の大村智記念室もあり愛用のスキーやゴルフクラブ、卓球用具なども見学してきた。大村館長は東京に住んでおり超多忙な方なので滅多に来館することはないが昨日はたまたま来館しており、家内と3人で写真を撮って下さった。大村先生は山梨大学教育学部を卒業して高校教師などした後東京理科大大学院修士課程を修了して山梨大工学部の助手となり、その後北里研究所の技術補になり、抗生物質ロイコマイシンの構造を解明したりして後に北里大学薬学部教授になられた方である。2015年にノーベル賞を授賞した理由は「線虫寄生虫症治療に対する貢献」で発見した抗生物質イベルメクチンがオンコセルカ症(河川盲目症)やフィラリア、疥癬症などで苦しむ何億人もの人々の命を救ったり病魔から救ったりしてきたことが評価されたものである。非常に多くの抗生物質を発見してきたが主に地中から発見している。受賞時「地中には我々の命を救ってくれる宝が埋蔵されている」とおっしゃっていた。土中には何もないと思っていた人が多かったと思うがその中から宝を見つけ出した慧眼と努力は素晴らしいと思う。土だけでなく一見何もないと思えるものの中にも価値あるものがあるかもしれないのでそれを見出していくことは楽しいことだろうなと思った。
2018.04.09
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あと二日と言っても正確には今30日の午後10時半だから1日と1時間半となる。今年を振り返ると歯のかみ合わせが悪くて右で噛めない状況が約1年続いていた。パソコンは壊れるし、新しいパソコンを買ったら電源コードが壊れていたり、使用法が分からなかったり、車をこすったりと散々な1年だったように思うが、ここにきて歯は金冠を外して造りなおしてもらったら噛めるようになったし、新しいパソコンもやっと使えるようになったし、車も修理が終了して、悩んでいたこと苦しんでいたことすべてが解決した。昨日風呂に入りながら、終わりよしなのでこの1年よかったのだと思った。途中では歯は東村山に行っても治らないしパソコンは壊れるし、車はこするし、人生真っ暗だと思ったことがあったが、思いがけなくすべてが解決することもある。まだまだ人生捨てたものではないと思った。
2017.12.30
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85歳の女性患者さんが来週退院することになった。大腿骨頸部骨折後腸閉塞になり内科に転科してきた患者さんである。腹部手術を何回も受けていたのでそのための癒着が原因と思われたが嘔気、嘔吐で何日間も食事が食べられない状況が続いた。その間、敗血症になり播種性血管内凝固症候群も併発し、何度も危篤状態になった。しかし、浮腫みで点滴が入らなくなった時には外科医が股静脈に点滴用のカテーテルを入れてくれた。DICで血小板が正常の10分の1以下の4000位に減ってしまった時には血液専門の医師が懸命に対応してくれた。全身状態の悪い時、褥瘡予防のために看護師さん達が親身に体位変換や清拭をしてくれていた。助からないと思っていた方が皆さんのおかげで元気になり退院できることになりこんなにうれしいことはない。この患者さんは重症だったが他にも口もきけない体も自由に動かすことができない4人の重症患者さんを受け持っている。看護師、看護助手、理学療法士、薬剤師、ソーシャルワーカーなどがそれらの患者さんに親身に対応している姿を見て本当にありがたいと思う。医療は一人ではできない。皆で協力して初めてできるものだとしみじみ思っている。
2017.12.15
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長崎生まれの日系英国人作家カズオ・イシグロ氏(62歳)がノーベル文学賞を受賞した。私はまだ彼の作品を読んでいないが、彼は小説とは感情を物語に載せて運ぶことだと述べている。戦争や紛争を記事にすることは出来ても、その時に起こる感情を言葉で表現することは難しい。氏は感情を言葉にして人々に読んでもらおうとして小説を書いてきたとのことである。この機会に是非彼の小説を読んでみたいと思う。Mr. Kazuo Ishiguro (62 years old), a Japanese-British author born inNagasaki, received the Nobel Prize for literature. I have not read his workyet, but he states that the novel is to carry emotions in stories. Althoughit is possible to write war and conflict as an article, it is difficult toexpress the emotions that occur at that time in words. He said that he wrotea novel to empathize feelings and make people read it. I would definitelylike to read his novel on this occasion.
2017.10.05
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今日は歌の発表会で朝9時に南アルプス市のホール集合で10時頃まで会場の準備をしてその後リハーサルしてその後お客さんの駐車場係りをして、午後からは本番を歌いその後反省会があり、帰ってきたのは夜8時を廻っていた。でも気分はかなりいい。私は「さざんかの宿」を歌い音程不安定なところもあったが、多くの人から上手だった、上手くなったと褒められた。今までがあまりにひどかったからそういわれたのだと思うがそれでもうれしい。長い1日だったが気分の良い1日だった。Today was the song recital meeting. We met at 9 o'clock in the morning atthe Hall in the city of Southern Alps to prepare for the recital untilaround 10 o'clock, then rehearsed afterwards, next engaged as a customer'sparking lot, and sang before the audience from the afternoon.There was a party after singing out and it was around 8 o'clock that I camehome.But I feel pretty good.I sang "An inn with sasanqua", although there were some places where themusical interval was unstable, I was praised as nice, and got better frommany people. I think that it was said so as it was so bad ever, but I'mstill happy. It was a long day, but it was a good day.
2017.10.01
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妻が遠近両用の眼鏡をどこかに置き忘れてしまい困っていた。郵便局とか整体とかなくしたと思う日に立ち寄った所に聞いてみたがないという。本人は家の中だと思うとのことで病気になるくらい必死に家の中を探した。私も探した。たまたま滋賀から東京へ出張の息子も我が家に立ち寄ってくれた時一階と2階の隅から隅まで探してくれた。眼鏡の一つや二つ新しいのを買えばいいと思ったが、愛着のある眼鏡らしく何日も必死に探していた。私がなくしたのなら誰も探してくれなかったと思うが、妻は人に尽くすタイプなので、周りの殆どの人が恩義を受けており、それらの人も一緒に探して疲れ果てていた。2週間経ち、諦めて新しいのを買おうかと話していた時、姪と甥が昼食を食べに遊びにきた。眼鏡の話をしたらやはり必死に探してくれた。そしてそれまでの人達は家の中を隅から隅まで探していたが甥は家の周りの庭の方まで探してくれた。そして遂に庭につながる畑の中に落ちていたのを見つけ出してくれたのである。ナスを採ろうとして畑に出た時ポケットから落としたらしい。想像もしないところから出てきて皆驚き安堵して喜んだ。My wife was in trouble to forget her near and far eyeglasses somewhere. Shesays she did not find it although asking where he stopped by the day shethought she lost, the post office or the body massage center. She searched it in the house desperately for reason that she thought it wasin the house as like becoming sick. I also looked for it. My son who was onbusiness trip from Shiga to Tokyo dropped in at my house and also searchedfrom the corner of the first floor and the corner of the second floor.I thought that it would be good to buy one or two new glasses, but she wasdesperately looking for it as her favorite spectacles every days. I thinkthat nobody search for me if I lost it, but my wife is a type to administer to her fellows, so almost fellows around her are indebted and they were exhaustedtrying to find it for her.Two weeks later, when we are giving up and talking about buying a new one,my niece and nephew came to have lunch. After hearing about glasses thenephew was desperately searching for it. And while the previous people werelooking through the house from corner to corner, my nephew looked up to thegarden around my house. He finally found out it in the field leading to thegarden. It seems that she dropped it from her pocket when she entered thefield trying to pick up eggplants. Everyone was surprised and delighted tobe relieved as it came out from an unimaginable place.
2017.09.28
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