PR
Keyword Search
Calendar
Comments
Category
今日は二家族のお友達に会いました。
一人はEdmonton Dance CentreでAに日本語で話しかけてくれたKちゃんご家族です。
やっとEdmontonの暑さも和らいで、(といっても今日は29度ぐらいになっていましたが)KちゃんとAは一緒に遊ぶことができたんです。Kちゃんには7歳になる弟さんもいらっしゃるので、もちろん一緒に遊びました。
子どもたちが3時間盛り上がっている間、大人たち、Kちゃんのお母さんと私たちもたっぷり寸暇を惜しんでお話をしました。
なんていうかKちゃんのお母さんも久しぶりに日本語を使ってお話をされたのだと思います。
私も覚えがありますが、第2言語を使ってお話をずっとしているのと、やっぱり母国語が使えるときとではだいぶ違うのです。
自由さというかなんというか、どんどん話すことが止め処もなく出てくるというか・・・
それにEdmontonに住んでおられる、そしてご主人はカナダ人、その二つが重なっているということで、自然、文化の違い、生活の違い、生き方の違い、いろんなものにぶつかってその中でどんな風に私は生きたらいいのか、どんな風に生きることが許されるのか、何に向かったらいいのか、子どもたちに何を伝えたらいいのか、多くを自問自答の中で毎日をすごしていらっしゃる、ということを感じました。
日本の中にいたら、自分に迷いがあったら、かなりの確立でそれに応えてくれる友人を見つけることができますし、それに応えてもらえる本にも出合えます。
むしろ本はありすぎるほどではないかと私は思うのですが・・・
そういう環境にいるのとKちゃんのお母さんのようなここで暮らしておられるという独自の状況にすぐさま応えてくれるものなどどこにもありません。
頼れるのは自分のみ。ある意味厳しいかもしれません。
でもある意味、もっとも有意義な毎日を自覚することができる、ともいえるでしょう。
私は自分の毎日の中の体験をいかに自分の中に意味のあるものとして取り入れていくことができるか、ということは生きることそのものでものすごく大切なことだと思っています。
だからKちゃんのお母さんのご苦労や迷いを思いながらも、それが生み出していくであろうすばらしいもの、すばらしき力に、大きな夢を寄せます。
またお話しましょう。まだ私はEdmontonにしばらくいます。
カナダの旅をとおして 2 2017.07.01
カナダの旅をとおして 2017.06.30
カナダの旅 Calgaryにて 2017.06.26
Free Space