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慈子さんは首から下が麻痺した状態でしたから手足を動かすことができない。
ベッドに横たわったらそのまま寝返りをすることもできません。
たとえ思うこと考えることを書き留めたいっと思ってもそのすべがありませんでした。
なのでずっとずっと長い間、頭の中その言葉たちを収めておられました。
ある日お見舞いに訪れた友人に彼女は小さな声で言いました。(肺活量が少ないので小さな声しか出せません)
『もし、時間があるようだったら、昨日私寝られなかったときに思ったこと、テーブルの上においてあるノートに書き留めるお手伝い、お願いしてもいい?」
そのノートは宮川さんが家事のお仕事の合間に慈子さんの言葉を書き留めておられるノートです。
友人はそこで初めて慈子さんの心の中で長く温められてきた言葉に触れたのでした。
自分に向けられた言葉ではないけれども、この慈子さんという人が毎日どうやって自分自身を見失わずに生きていくことができているのか、それがわかるような宝物の言葉が書き綴られていきました。
『もしお手伝いが必要だったら、私も時間あるときにこさせてもらいますが・・・」
そんなふうに慈子さんの友人、友人の友人たちがだんだん口述筆記のお手伝いをするようになっていったのです。
でも慈子さんと口述筆記のお友達との間で分かっていても、全体の動きを誰かが分かって、ケアや医療スケジュールとも重ならないように組んでいく必要が生まれてきました。
そこで宮川さんがボランティアの方々のスケジュールを整理されるようになったのです。
宮川さんは医療・福祉関係のお仕事も全くなさったことはありません。資格もお持ちではありません。
けれども友人ご家族のためにその必要にそって動かれ、しかもそのお仕事ぶりはこれほどにも明確に気持ちよくできるだろうか、と思うほどのものです。
ご自身のお子さんも4人、おじいちゃんおばあちゃんもご一緒に生活され、決して暇な方ではありませんでした。慈子さんもすばらしい方ですが、宮川さんも本当にすばらしい方です。
宮川さんの言葉を聴きながら、私はひとしきり『これこそが命の輝き』と感じ入ったのでした。
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