アムリタの青い空

アムリタの青い空

プロフィールその1!


 東京都文京区真砂町の木造二階建て共同炊事場付きの公務員住宅で生まれる。
お産婆さんが双子のお産で手間取り、私は生まれたときには頭がひょうたんの様だったそう。
それがどういう訳かいまは絶壁に(><)。
母乳が吸えず、脱脂粉乳にお砂糖を入れたミルクを飲む「甘い生活」が始まる。

1951 
 年子で弟が生まれる。
あかちゃんの弟はわたしがいじりすぎるので、押入れにかくまわれていた。
住宅金融公庫が開始した年に、父は練馬区上石神井に家を建て引っ越してきた。今はマンションが林立しているが、当時は雑木林が多く、ふくろうが鳴き、富士山もよく望めたという。

1954 
 一駅先の武蔵関にある「白百合幼稚園」に通う。
幼稚園一のイケメン,洋一くんに淡い恋心をいだくも恋はみのらず。
すがたを見ただけでもむねがドキドキするおませな子でした。

1656
 区立上石神井小学校に入学。ぬかるみを泥んこになりながら通学。
その後、新青梅街道の工事が始まる。
砂糖入り粉ミルクで育ったためか大の甘党。
虫歯と口内炎で学校帰りに病院のはしご。
虫にはいつも集中攻撃されて大変なことになっていた。

1959
 盲腸の手術。入院中に皇太子さまがお誕生。よく晴れて風の強い日だった。
伯母からお見舞いにアップリケセットを贈られ、針と糸の楽しみに目覚める。この日を境に人形の服作り、小学生で自分のスカート、ブラウスを作り、中学・高校でも編み物や手芸にいそしむ事になる・・・。
将来きっと良いお母さんになるわ・・・ときめていた。

1969
 西東京市のM短大家政科にところてん式で何の疑いもなく入学。
良妻賢母をめざしていました。ところが一転、ダンスパーティに目覚め、「ダンパあらしのあさこ」と影では言われていたらしい。
紹介した友人と彼の友人はめでたくゴールインしたけれど、私の初恋はここでもやぶれてしまいました。(涙)

1971
 試験の時間を勘違い、いつもの喫茶店でクラスメートがいなくなっているのに気が付かず試験を受け損なったこともあるが、何とか卒業できました。

4月 内幸町にあるI海運(株)に就職。
これで私も花のOL・・・と浮き足たっていました。  つづく・・・



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