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2016.10.03
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カテゴリ: 公園 巨木名木 
「道の駅たまつくり」の向かいの公園寄ります。
「高須崎公園」


「霞ヶ浦大橋」

たまつくりのマンホール

名木「高須崎の一本松」も見て来ます。
高須の一本松
 高須の一本松は、その姿が天に昇るといわれる竜が湖岸で水を呑んでいるような
 樹相がよく、水戸藩第二代藩主徳川光圀(義公)、第九代藩主徳川斉昭(烈公)
 ゆかりの銘木であった。昭和二十七年茨城県天然記念物に指定されたが、

 昭和五十五年県文化財の指定を解除された。幸いこの一本松の実生が残っており、
 その跡地に二代目として植樹したのが現在のものである。
 枯れる直前の樹齢は九百余年、根元周り八メートル、樹高約七メートル、
 東西、南北約二十三メートルもあったと記録されている。
 この松は、永承六年(1051)源頼義・義家(八幡太郎)父子が陸奥の
 豪族阿部氏の乱(前九年の役)の平定に向かう途中、鹿島神宮に戦勝を祈願し、
 船で霞ケ浦を渡った。その時、暴風雨にあい高須崎で止むのを待っていたが、
 その時に會尼の長者が炊き出しの接待をしたといわれている。その折に
 義家が歌を詠じたところ不思議にも暴風が止んでその波間に一本の小松が
 漂っていた。それを義家がとりあげて植え、
 「ちはやぶる鹿島の神の授け松 

 また水戸藩とのかかわりも深く、義公が元禄二年(1689)領内巡視の際、
 高須に立ち寄られこの一本松をめでて
 「高須崎波にゆらるる一つ松
       さぞや山路の恋しかるらん」と詠ぜられた。
 以後、松守をおき明治維新の水戸内紛により取り止めになるまで、

 時代が下がって、天保五年(1834)に水戸藩主斉昭が水軍訓練を高須崎付近の
 霞ケ浦で実施した際にも立ち寄られ、
 「つたえ聞く名にも高須の一つ松
       波にこえぬる緑みすらし」と詠じ、
 それを矢立ての筆で松の支柱に書かれた。烈公はその際、松の手入れ金として
 参拾両を下賜された。また烈公の歌集景山詠草に
 「いつの世の子の日にもれてかくばかり
       名さえ高須の松となりぬる」と詠まれている。」

台風の被害、大水で霞ヶ浦に浸かる被害ダメ押しの松くい虫で枯れ死
かなりの大きさの松だったようですが残念です
関東二大名木の面影はもう見れませんが現在は2代目となって元気に成長中です。
もう一つの名木、鎌倉の鶴岡八幡宮の公孫樹も2010年強風により倒れてしまいましたがこちらもヒコバエから2代目を生育してるようです。
近くのコスモス





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最終更新日  2016.10.08 08:46:59
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