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2009年04月27日
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2009年04月26日
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あのオレンジ色のニクい奴! (週刊だけど) 夕刊アカギ ★三億円マニア・Mont.Akagi氏御提供の写真・新聞記事で構成しています 「 ラ ス ト ・ ス パ ー ト 」 (2) 「草色カローラ」は二度盗まれていた!! ▼「三角窓」の手の辺りが壊れてるのが・・分かりますかねえ? 間もなく娘婿の建設会社 社員、土屋忠男さん(33) の手に渡り、車検が切れ る46年12月、同僚の高橋 秀広さん(26)〔写真〕が 8万円で購入。車検代は 5万円。 仕事の現場を移るたび 人気者に。 ・・ところが -- 「お見合い」のため帰省している間、 大田区の工事事務所駐車場にキーを 車内に置いたまま駐車していてまたも 盗難に! 交番に届けた際、「三億円 事件に使われた車だ」と話すと警官は 仰天! すっかりあきらめていた頃・・ "ネームバリュー"が効いたのか、目黒 区の路地裏に乗り捨てられているのが 発見された。 カーステレオなど装備類も無傷だった。 走行7万6千キロのエンジンも快調。 「三角窓」は犯人に壊された当時のまま。 「犯人が捕まったとき役に立てば」と ▲そのカローラが盗まれた鮫陸源・跡は改築中? わざと修理していない --- (09年1月) ●一方、犯人が現金をケースごとセドリック(輸送車)から 積み替えて逃走した紺色のカローラ、「多摩五郎」は?? 小金井市の本町団地で発見されて から5ヶ月後の44年9月、所有者の 多摩平・葛西直矢さんに返還された。盗難後、間もなく別の新車を購入していたが、カローラに愛着があり新車のほうを手放した。偶然、二台のカローラは43年型。両オーナーとも、「走れなくなるまで乗るつもり」・・ "主役"の偽装白バイは? 被害者の日野市平山・ 松本仁悦さんから特捜 本部が買い取った形に なり、その後は府中署 の本部内に。 ポスターにテレビにと、 公開捜査のたびに 引っぱり回され時効後は東京地検 八王子支部に送られた後、「FBI捜査」 のため「警視庁保管」扱いになるという。 ・・長い間、お疲れさまでした。こうして見ると、一生遊んで暮せる(?) 額にしては、意外に少ない感じ?写真の方は 次の給料日、人生がイヤになったに違いない (笑) 青バイク 闇夜に まぎれた つもりでも 寿司屋の 灯りが コリャ チョイと 照らしだす ▲事件9日前の12月1日・午前0時15分頃、日野市の京王線高幡不動駅前の 「大政寿司」に青色ヤマハバイクが停まっているのを通行人が目撃。 犯行に使用された偽白バイは青の「ヤマハ スポーツ R1」を塗り替えた物。
2009年04月11日
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あのオレンジ色のニクい奴! (週刊だけど) 夕刊アカギ ★三億円マニア・Mont.Akagi氏御提供の写真・新聞記事で構成しています 「 ラ ス ト ・ ス パ ー ト 」 (1) ● 所在地・国分寺市 西元町 3-26 ←写真は「七重塔跡」の周辺。おそらく北側からの撮影でこの右手の奥が「H家の墓」だと思う。右端の子が友達に馬乗りになって首をしめているように見えるがそうではないようだ(笑)この子たちももう40歳、中学生くらいの子の親になっているのだろうか?★「過去記事」(ほぼ同時期・小説男氏撮影の別アングル)第二現場・1第二現場・2 ←「空前のロングラン 捜査が終わる」 43年12月10日 午前9時20分の 事件発生から 2552日が過ぎた。 延べ171150人の 捜査員、116270 人の参考人、小は 草の実から大は 乗用車まで124 点の遺留品。 "奇跡の大逆転 ホームラン" を 狙って捜査会議は 深夜までつづく・・ ← そしていよいよあと二日、 府中署特捜本部は指紋 捜査にもFBI方式を採用、 時効後の犯人生存期間 を60年とし、交通違反者 も含めた(!)全犯罪者の 指紋カードを現金トランク や偽白バイから採取した 5個の指紋と照合する作 業を継続する方針を決定。 え? すると3年前、 環七でUターンして捕まっ た私も「犯罪者」?(笑) まさか、あの時押した 拇印も照合されてるとか? う~ん、なぜか名誉に 感じるなあ・・(笑) ●捜査一課の石川安男巡査部長(55)、通称「安さん」がこの七年間、聞き込みに歩いた 距離はざっと一万キロ、東京ー大阪間・九往復に相当し、二十足以上の靴を履きつぶした。 聞き込みに訪ねた家は二万数千戸。この七年間、休んだのは風邪で倒れた二日間だけ。 すっかり顔が売れ、わざわざ「名指し」してくる情報提供者もいた。 犯人の遺留品では特に「トランジスタ・メガホン」に力を入れた。 家を出るときはアメ玉とガムを忘れない。聞き込み先に子供がいれば、という配慮からだ。 「え?時効後?指名されればやりますよ。苦労?デカの苦労なんて、 ホシがあがらなきゃ苦労なんてない。そういうもんですよ。」 本当に真相を知りたかったのは、やはりこの人たちに違いない。
2009年04月04日
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ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 ★三億円マニア・Mont.Akagi氏御提供の写真・新聞記事で構成しています 姿なき挑戦者 (11) 青 と 白 の 目 撃 〔4〕 傷だらけのローラー作戦 -- 日野未練-- -- 2億九千4千万の瞳 -- ★問題・今回の(無理矢理な)サブ・タイトル ↑ から連想されるものとは何か? (ヒント・○御○○) ★正解は記事の最後に! ▲府中刑務所・監視塔(第六哨舎)から犯行現場(バイクのあたり)を撮影した珍しい写真。 時効・四日前の撮影である。読売新聞のカメラマンの方はよく許可されたものだと思う。 犯行の一部始終を最もリアルかつドラマチックなアングルで目撃出来た場所であった。 ▼ 昭和50年10月19~23日の各新聞より。 時効まで50日を切り、 新聞の社会面には連日、 捜査大詰めの見出しが 躍った。 捜査本部はこの段階で 犯人のアジトは日野市 西南部とほぼ断定して おり、青、白、黒に加え て赤(あずき色)のバイ クの目撃も登場している。 府中署特捜本部は日野、 八王子のほか立川、昭島 も対象に徹底したローラー 作戦を開始、また多摩地区 の住民二百万人を対象に チラシを配布する"草の根 作戦"に望みをかけた。 ほかに「12月2~3日、舞踏師匠の佐々木キンさん(43)が 平山団地の1km西北の農道で青色大型バイクに追い抜かれた」 「事件当日、午前4時45分頃、白ヘルに濃紺のかっぱの男が 一方通行の道路を逆に走って行った」などの目撃が。 犯人はよほど一方通行路を逆走するのが好きなようだ。 ▼こちらはツッチー刑事@純情派・提供 ▲(左見出し) 時効が一ヶ月後に迫り、 ▲(右見出しと地図) 事件当日朝4時~4時半頃、 府中署捜査本部は「八王子・日野総 日野市の日野自動車工業前でエンジンをかけた 洗い作戦」を実施、素行不良者など約 偽白バイを採石業Nさんが目撃。また近くの銭湯前 千人をリストアップ。有力容疑者が浮 の空き地では"黒い"大型バイクが目撃された。 かんだ場合、起訴までに最低15日間 この空き地が車のシートなど「小道具」の隠し場所 必要な為、タイムリミットを設定した。 ではなかったかと府中署特捜本部は推測した。 ▲その採石業の男性立会いの下、"七年ぶり"の現場検証が実施され、白バイの 駐車地点は日野署大坂上駐在所(両写真左端)脇と修正された。右は92年の様子。 男性の兄は元白バイ隊員で男性も白バイには詳しく、ガソリンタンクの形状や大き くて間隔の不揃いな赤灯から「誰かがいたずらで作ったのでは?」と見破っていた。 白バイはエンジンがかかっており、座席から後輪にかけて "黒っぽいかっぱ" が かけられており、車体から蒸気が立ちのぼっていた・・。 ★クイズの正解 ・・ コメント欄参照(笑) 「傷だらけのローラ」 西城秀樹 「博多みれん」 野口五郎 (幻のデビュー曲) 「2億4千万の瞳」 ひろみGO
2009年03月27日
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ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 ★このブログの読者であるMont.Akagi氏から御提供して頂いた写真で構成しています 姿なき挑戦者 (10) 青 と 白 の 目 撃 〔3〕 (バンザイ) 食いしん坊犯罪! 大政寿司 / 落川の駐車場 ツマンネ・・ ●腹をすかせた犯人は今度は寿司屋に出没! 事件9日前の12月1日・午前0時15分頃、日野市の京王線高幡不動駅前に ある「大政寿司」に青色ヤマハバイクが停まっているのを通行人が目撃。 (1992年 10月30日 撮影) ●「給料前」ならぬ「強奪前」だというのに寿司屋で飲食とは豪勢である(笑) (それを言うなら「ボーナス前」か) 真夜中とはいえ、店先に盗んだバイクを停めて!? 「海辺にバイクを停めた」のはマッチだが・・ ▲道路はこの向きからの「一方通行」だがバイクは ▲現在はすっかり様変わりしたが写真中央・ 逆向きに停まっていた。その1~2日後、日野市 建物の間に事務所と駐車場があった。 落川988の建築事務所脇の駐車場に使い古した 前回の「百草園交番」から50mだが周囲の シートをかけた"青バイ"が数日間停めてあった。 景色はまるで違う・・(下・右のイラスト) 二ヶ所の距離は直線で約1,5km ▲混乱を避けるため、「雨の追憶」著者様には失礼を承知で書きますが左イラストの大政寿司前のバイクの向きは逆だと思います。 しかしナンバーが「1129」(いいにく)なら焼肉屋にして欲しかった(笑) 上の二件はいずれも「青バイ」の目撃証言で寿司屋前の青バイはナンバーも確認されている。 ・・しかし!!「落川の駐車場」については「白バイ」とする情報もあり・・ 昭和50・10/20の読売新聞夕刊に『(43年)12月9日午前9時頃、日野市落川988の駐車場に シートをかけた白バイがあるのを通りがかりの府中市のミキサー車運転手が二度にわたって 目撃していた』とある。犯行前日であり、先の目撃とは期日もずれる・・ ★他にもこれより以前の11月27日と28日にそれぞれ登下校中の小学5年の男の子が府中市 分梅町と住吉町で白ヘルメット、黒ジャンパー姿の男が乗る青の大型バイクを目撃している。 果たして青か白か?? (つづく?) (バナー製作/サトーハチロー氏)
2009年03月21日
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ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 ★このブログの読者であるMont.Akagi氏から御提供して頂いた写真で構成しています 姿なき挑戦者 (9) 青 と 白 の 目 撃 〔2〕 中央高速下 ~ 三徳食堂 ●府中刑務所前の犯行現場に乗り捨てられた偽白バイは盗難後、400kmを走行していた。 それを裏付けるように改造前の青バイク「ヤマハ スポーツR1」と改造後の偽白バイが 八王子近辺で頻繁に目撃されていたらしい。 ・・が、悲しいかな、やはりこれらも時効直前の情報なのであった。 (1992年 10月30日 撮影) ▲前回の八王子市 中野町団地にほど近い ▲事件三日ほど前の昭和43年12月7日頃で 中央高速南側の土手下でバイクを白バイに 川口川の東岸から約40mの「草むら」。 細工している不審な男が目撃されていた。 (下地図・「白バイ偽装」地点) 昭和50 11/9毎日新聞・提供/ツッチー刑事@純情派) ▲一瞬・ビックリしましたか?(笑) 日野市 ▲「青バイ男走り去る」は事件二日前、中野町の 落川近辺も白バイ、青バイとも目撃情報 倉庫から青バイに乗った男が出てきた、「偽装 があり、写真は白バイ目撃地点から 白バイ停車」は事件当日朝、日野市日野台の わずか50mの「百草園派出所」。(今回の 甲州街道脇にエンジンをかけた偽装白バイが 地域からは外れますがイイ写真なので掲載) 停まっていたとのトラック運転手の証言。 (2008年 11月18日 撮影)▲犯人だって腹はへる(笑) 11月末の夕方5時ごろ、犯行現場に残っていた遺留品にそっくりのハンチングに黒ジャンパー姿の25、6歳、身長170cm位でやせ型の男が八王子市横山町22の「三徳食堂」(事件当時は「三徳支店」)に入るのを二度ほど目撃された。 (上地図・"食堂にハンチングの~")男は「ビカビカ光る」ヤマハの青い350ccバイクで乗りつけ、目撃者は「デカいオートバイに乗ったヤツだな」と思ったが事件時の報道を見た際は場所的に関係ないと思い、届け出ていなかった。 事件当時は青いヤマハ・スポーツR1の登録台数は少なかったとの事。実際、他の情報には懐疑的な方もこの目撃談だけはちょっと興味をひいたのでは? ・・ もし犯人なら、大胆不敵な行動である。 ●そして空腹の犯人は(笑)、次回も飲食店に出没するのであった!!
2009年03月15日
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ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 ★このブログの読者であるMont.Akagi氏から御提供して頂いた写真で構成しています 姿なき挑戦者 (8) 青 と 白 の 目 撃 〔1〕 八王子市 中野町団地 ●昭和50年12月10日の刑事時効が間近に迫った頃、事件の直前に八王子市の都営 中野町団地付近や近くの中央高速下などで不審な白バイや若い男を見たとの目撃情報が。 この年の10月、捜査本部は日野市西北部と八王子市東部の集中捜査を開始、11月には 日野・八王子署員など二千人による両市全域の「絨毯作戦」に最後の望みをかけた。 (1992年 10月30日 撮影) ▲「中野町団地 三地区」(現・中野町第三住宅)。 奥に見えるのは中央自動車道。 事件の2、3日 前、同団地の会社員夫婦がシートをかぶせたオートバイにいたずらしている 子供を目撃、バイクは全体が白く塗られていた。捜査本部は夫婦の証言を重視、犯人が予め 準備した偽装バイクを犯行当日、ここから持ち出したものと"断定"。 ・・七年後の情報である。 (記事提供 / ツッチー刑事 Mont.Akagi氏) ▲昭和50年11月13日 朝日新聞夕刊より。 ▲・・ご覧のようにちょっと近未来的ともいえる 「捜査追い込み」の見出しが今は悲しい。 フォルム(オオゲサ?)にその姿を変えた。 この団地群はその後、完全に取り壊され・・ 一枚目の写真は大変貴重な記録だと思う。 ▲その「二階建て地区」の東側に位置する ▲先の朝日新聞の翌日の記事で報じられており 「中野町第一住宅(アパート)」の「3号棟」 「三号棟(5階建て)の裏側の空き地(写真)で (現存)ここでも白バイの目撃情報があり・・ シートをかぶった白バイを見た」というもの。 ●このふたつの目撃情報はどちらも「会社員夫婦」のものであり、同一である可能性も高い。 (目撃場所の勘ちがい?) 『夫婦がそろって確認している』などの理由から信憑性はある、 と判断されたらしいが・・。 オートバイの車種さえ分かっていれば、と思わずにいられない。 ▲二階建ての中野町団地は地図の3号棟の西側に広がっていた。エンジンの調子が悪く、 ※ 「白バイになり損ねた」ホンダ・ドリーム の盗難場所も近いので図示した。「中央高速の 南側」とする関連本もあるが番地が判明している事もあり、Mont.Akagi説を支持する事と した。写真がないのを本人も残念がっておられたが、この「井上モータース」も現在はない。 ●一番最後に回されてしまった感があり、もしかしたら「盲点」だったかもしれない八王子 エリアへの本格的な捜査着手は、「白」を「シロ」とするにもあまりに遅すぎたようだ。
2009年03月09日
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ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 姿なき挑戦者 (7) その料亭、近隣につき (笑) 日野市 平山 料亭 鮫陵源(跡) ●白バイ改造の「ヤマハR1スポーツ」とそれに被せた「スバル360のシートカバー」が 盗まれた日野市平山団地のすぐ北側、「料亭 鮫陵源」では第三現場で発見された 「草色第一カローラ」が11月30日夜から12月1日朝にかけて忽然と姿を消していた。 [1992年 10月29日(雨天)・11月2日(晴天) 撮影] ▲右下写真と比較すると石垣は崩れているものの、かろうじて残っているのが分かる。 鮫陵源・驚愕の真実!! 今も残る鮫陵源の面影 平山のディズニーランド <鮫陵源> ▲小説男氏撮影の写真 と比較されたし。 ▲事件当時の鮫陵源。 ●盗難は「三角窓を破ってカギを開け、エンジン直結」、といういつもの手口で、 店の女将らがエンジンの始動音を聞いたかどうかの証言は曖昧だった。 車は敷地外まで一旦「手押し」で移動された可能性が高く、庭に大小二個の足跡が残された。 当時の捜査記録にも『大小二個の足跡あり(二人)』とある。「小」は一人で車を押す際に つま先で踏ん張ったものではないかと推測されたが、二つは「平行して残っていた」との 証言もあり、これも「単独犯か」「複数」かを見極める重要なポイントだったが、平塚八兵衛 氏がここでも強く「単独犯説」を推している・・。 (雨の追憶 図説 三億円事件 むらきけい 文芸社より) 車から外したカバーは丁寧に蛇腹状に畳まれ、 後部トランクの下辺りに「落として」あった。この 畳み方も一人か二人かで意見が分かれた。 ●ではなぜシートは畳んであったのか? これは「持ち帰ろうとしたから」ではないか? 他所でわざわざシートカバーを盗んでいる くらいだから置いていくはずはないし、まして畳む必要はない。とすれば、手押しの前に シートは地面に置かずに車の屋根にでも載せておけばよかったのだが・・・。忘れてしまっ たのか、再度、敷地内に戻るのを躊躇したのか、全く謎だが、惜しいことをしたものである(?) ▲鮫陵源跡・脇から平山団地へ下る小道。 ▲地図の番号は盗難発生順。犯行に必要不可欠 写真は坂の途中からでこの先、車は通行 な白バイ用バイクと二台のカローラは全てこの 止。「ショート・カットの達人」(?)である エリアで調達している。盗難はほぼ5日間隔で 犯人が「チッ」と舌打ちしたかも? きっちりスケジュールを立てての実行にも思え ぶらりと散歩に出掛けたくなる景観である。 るが、[5]のスバル360のシートカバーはあまり にも犯行日の10日ギリギリで、まるで 急遽、 ★先ほどの記事の空撮参照 必要性に気づいたかのようだ。 ●思うに、犯人が鮫陵源のシートカバーを持ち帰っていれば、この最後の盗難は 必要なかったのかもしれない。そしてその場合、犯行現場で偽白バイ警官が 引きずったシートカバーはちょっぴり大きめだったかもしれない・・(笑) ★参考・盗難車両ほか
2009年03月01日
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ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 姿なき挑戦者 (6) 狙われた団地族 晴見町団地 ~ 平山団地 ~ 多摩平団地 ●三億円事件の前年から直前にかけて、多摩エリア一帯では車、バイク、それらを 放置する為のシートカバーなどの盗難事件が広範囲で頻発。狙われたのはほとんどが 昭和30年代から次々と建造された鉄筋コンクリート造りの集合住宅、「団地」だった。 (1992年 10月 撮影) ▲「平塚・単独犯行説」における犯人の行動拠点 ▲事件一年前と三ヶ月前に車のシートカバーが と目された晴見町団地。第三現場から徒歩10分、 盗難され、ひとつは本町団地に放置された 第二現場より15分。 「多摩五郎」(紺色逃走用カローラ)に使用。 (雨の追憶 図説 三億円事件 むらきけい 文芸社より) ▲白バイに改造された「ヤマハR1スポーツ」が ▲時期は11/19~20。 盗まれた日野市平山団地22号棟前。いやあ、 12/8~9(事件前日!?)には16号棟裏で あるわ、あるわ(笑) 二輪置場がないのか、 スバル360のシートカバー盗難。偽白バイで 単に遠いのか。 ヘンな気を起こさぬよう(笑) 引きずられて犯行現場へ。 (下地図・青の★印) ▲こちらは「多摩五郎」が盗まれた、日野市 多摩平4-9の公団住宅。(左地図・赤の★印) ※小金井本町住宅・公務員住宅 ▲中央本線豊田駅に近い多摩平1-9では の記事は こちら シートカバーが盗まれた。(左地図・緑の★印) (Google ストリートビューより)ほかにも、現在は西東京市と東久留米市 にまたがる ひばりが丘団地(写真左)及び近辺でブルーバードとプリンススカイライン、小平市のブリジストンアパート(写真右)でもプリンススカイラインが餌食に。調布市染地 3の多摩川住宅ではサニーデラックスなど、全く 犯人の行動力には敬服する(?) ●これらの盗難時期がほとんど東芝の給料・ボーナス支給の直前であったことは無視 できない点だと思われる。各現場の下見、偽装用品購入、現金輸送車の尾行などに 使用された公算はきわめて高い。本町住宅で発見されたスカイラインは事件後から 発見までの三ヶ月間に、少なくとも四回移動していたことが航空写真で確認されている・・ ●「団地」と聞いて連想するのは昔なら「無関心」「団地妻」(笑)、 今だと「団地萌え」 というキーワードもありますな・・
2009年02月23日
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第六回 (最終回) くに八綺譚 (下) ~ 国立・ 居酒屋くに八 (前回のつづき) 「正月だから"うるめいわし"しかないよ」 「・・・。」 仕方がないのでそれを注文する。 出てきたのは早い話が「メザシ」の乾いてない方だった。 一人一匹づつ、うるめをキリンビールで流し込む図は正直、 とっても貧乏くさかったが、これまた紛れもない昭和の味。 しかし、「正月だから」というのはマスターの口実では ないかという疑惑も生じた。壁の「お品書き」は書いてある だけで、もし普段もこんなものだったらけっこうスゴい(笑) マスターの後ろは厨房なのか、奥座敷なのか、障子の戸で仕切られている。 この店はなんともう50年も営業しているそうだ・・。 ▲かつての常連客には漫画家の故・滝田ゆうさんや作家の故・山口瞳さんらが 名を連ね、文化人たちの「知る人ぞ知る社交場」として今日まで生きながら えてきたらしい。おとなしそうなマスターだが、有名人らが一般客相手に仕事の 自慢話など始めると「ここではそういう話はしないでくれ」と一喝する場面もあったという。 ▲壁には小島功さんの絵(直筆?)が貼られてい ▲終戦直後の品だという三菱製のラジオ。 るがご覧の有り様で、しかも木の壁も50年もの 上には山口百恵の廉価版CD「曼珠沙華」 間、客の背中でこすられてすり減っている。 などが飾られていた。 (下図・黒の位置) 週刊朝日 09年 1月16日号より ●S少年は9月4日に少年鑑別所からの移送中に脱走しているが、某・情報筋によると くに八で彼らが催した宴会はその「脱走祝い」だったという。(二十日が経過している) その宴会が行われたのが下写真、後ろのお座敷であり、少年たちはなんとここで ビールのかけ合いをはじめた。座敷でこれをやられたんじゃたまらない。当然、 マスターが注意したところ彼らの逆鱗に触れ四人がかりでボコボコにされたという のが事の顛末のはずなのだが.. ところが・・ 何度聞いてもマスターは「そんな事実はなかった」とおっしゃるのだ!!絶対に忘れるようなことじゃないし、実際「警察は来た」とおっしゃるのでなんだか話のつじつまが合ってない。事情聴取も受けているはずなんだけど・・。マスターの名誉のためにお断りしておくが、けしてご高齢でボケてらっしゃるとかいうわけではなく、どうやらこれはカッコ悪いのでトボけてらっしゃるのだと好意的に解釈することにした。 三億円事件の関連本に店の名は出ているし、当然、客からもこの話題について イヤになるほど聞かれただろうし、何よりジャーナリストとか小説家の皆さんが 放っておくはずがない。そんなこんなでいつしかマスターはこのことを自分の中で 封印してしまったのではないか・・などと考えた。 ●何ともすっきりしないまま、そろそろオイトマ、ということになり、お勘定はむろん、 割りカン。一人300円と聞いたので「なんという激安居酒屋だ!それにしても 中学生の買い食いか!」と思ったが後で聞いたら多めに払った人がいたらしい(笑) 我々はマスターに別れを告げ、40年前に少年たちが転がるように駆け下りて いったであろう、階段を見下ろした・・。 ------こうして第二回「正月返上・大捜査」は終了した。長く、しかし充実した一日だった。四人は国立駅前のチェーン系の居酒屋で食事し、中央線で帰途についた。サトーハチロー氏はすぐに私の肩にもたれて眠ってしまった。そうか、旅行帰りで直行してくれたんだっけ。井上氏らもウツラウツラとし始め、私一人が今日出逢った出来事を思い浮かべながら、らんらんと目を輝かせていた・・
2009年02月13日
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第五回 くに八綺譚 (上) ~ 国立・ 居酒屋くに八 (くに八とは--) 三億円事件の二ヵ月半前の昭和43年9月24日夜、最有力容疑者といわれた「S少年」が 仲間三人とともに国立駅前の居酒屋「くに八」で飲食中、騒いだことをたしなめた店主に 腹を立て全員で暴行、二週間のケガを負わせて逃走後逮捕。 S少年のみ指名手配に。 ●「福生・旧赤線地帯」に続いて今回最後の目的地、「居酒屋くに八」へ向かう。 残念ながらツッチー氏は家が遠いし、愛する新妻が待ってるしでその前に帰宅。 「くに八へ行く」と言っても、私はせいぜいその「跡」か外観を眺めておしまい、 だと思っていた。 ・・ところがとんでもなかった。 そもそも私はまさか「くに八」が現在も営業 しているとはこのときまで知らなかった。 それにしても時期は正月の二日、いちるの 望みをかけて奇しくもあの日のワルたちと 同じ人数の四人は国立駅前の裏通りへと 進んだ・・。 (なお、ほとんどの関連本などでは「国八」と 表記されているが「くに八」が正しいらしい)写真は少年の「彼女」が当時アルバイトして いた場所では?と井上氏が考えている喫茶店 「ロージナ茶房」 ただし、この界隈には古く から営業している店は他にも多く、確証はなし。 (写真撮影 / サトーハチロー&R中サクセション) ・・店の看板を見上げると、電気が消えている。 「あ~、やっぱり休みだ・・そりゃそうだよな・・」 しかし!!こうした取材で数々の修羅場をくぐり 抜けてきた(?)平成の怪人、井上元宏は二階の 窓からかすかに洩れる明かりを見逃しはしなかった。 「あ、だれかいる!?」 我々は店へとつづく「昔の安下宿のような」狭くて ボロい階段をギシギシいわせて上った。 「日光江戸村の忍者屋敷のような」引き戸をガタピシと 開けると、明らかに石油ストーブが不完全燃焼している 匂いが鼻をつく。(しかもこのストーブは後で誰かが けっとばして消えてしまい、店内は異常な寒さとなる) 正面のカウンターの向こうで老人がビールを飲んで いるのが見えた・・。 むろん、客はいない。 ▼これがくに八の店内だ!! 老店主に容赦なく質問を浴びせる井上氏。右は友人のT氏。 のんきなヒラ塚・・ 写真では広く写っているが、店内はとても狭く、4、50年は営業していてもおかしくない古さだ。 傾いた薄いベニヤのカウンターには栓をしたビールと空き瓶がゴチャゴチャに置かれ、 周囲にはビニール袋に入った私物ともゴミともつかぬ物がうず高く積まれている。 「ちょっとは片付けろよ!」と叫びたい衝動を抑え(笑)、ゴミに埋もれたイスを探し当てて 我々は席についた。もう身動きは取れない。 とりあえずビールを二本ほど注文する。(ちなみに、今回の参加者は全員、酒好きである。) 冷えているのか、寒さのせいで冷たいのかよく分からないビールは、なぜかとても「昭和な」 味がした。 75歳だという老人店主はおとなしそうな人で、「家に酒を置いてないし、ここへ来れば 飲めるから店開けてんだ」と笑った。 でもマスター、外の看板、電気消えてますけど・・。 「・・当時、35歳か・・。この人が・・??」皆、同じことを考えていたにちがいない。 「何かつまみでも」ということになり、井上氏がズラリと並んだ壁のメニューから「チーズ揚げ」を 注文すると、老店主は言った。 「正月だから"うるめいわし"しかないよ」 (つづく)
2009年02月08日
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ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 姿なき挑戦者 (5) ~ 昭和な町角で ~ 白糸台周辺 ●この周辺及び、関連のキーワード 多磨農協 府中市役所東部出張所 綿新 府中ガス西部営業所・本店 高校教諭宅 会社員宅・壁新聞 歯科医宅 多磨駐在所 2008年11月・1992年 10月(三枚目)撮影 ▲西武多摩川線 白糸台駅(旧・北多磨駅)。 ▲白糸台駅前、唯一の商店? 神山商店。 ちょっと都内とは思えない風情。 懐かしスギる佇まい。 左奥に白糸台駅。 ▲「白糸台掩体壕(えんたいごう)という戦闘機の ▲○教諭宅ではないかと思われる家(?) 格納庫跡。 整地され観光名所になるとの噂アリ? 道路正面・約100m奥が脅迫状の空き地。 特別企画・(無謀にも) 「犯人の地図」を検証する 第一回 ●犯人が多磨農協に最初に送った脅迫状に書かれていた現金受け渡しの指示用地図。 (さくらデパートの紙袋使用。実は二種類存在するらしい)ちょっと順番が違いますが、 まず中盤あたりの「中央高速下部分」を検証したいと思います。 ▼まず、犯人の地図は一番下の多摩川通りの書き方がテキトーで、別バージョンでは 修正されているようだ。左下「富士工業」の場所は多摩川側だし本当にあったのか?と 思ったが、小説男氏からの情報提供によると地図よりは北西に確かに存在したらしい。 画像内「雨の追憶」版地図にある「飛島(トビシマ)道路」(企業名)も、現在はない。 「コウソクドウロ」と三つも書かなくても分かるのに(笑) (漢字の文は警察側の記入) ▼覚悟はしていたが、道路事情は40年で相当変わってしまった。 「稲城IC」、左の「稲城大橋有料道路」とも当時は無い。(開業は共に95年と遅い) 実際、「富士工業」「飛島道路」はこれらの建設の立ち退きで無くなったのかも。 一番分からないのが右上、「ここは二度通ることになる」の高速・側道部分から 高速下をくぐる箇所で、やはり事件時とはかなり道が変わったのかもしれない。 ▲(現在)Googleマップ ▼Googleストリートビューより ▲写真1 「キクヤプロパン」は町の小さなガス屋 ▲2 多摩川通りから斜めに曲がる重要な地点。 さんを想像していたが(現在の)正式名は「(株) 右に多摩川。犯人の地図ではここから「押立 菊屋工業府中工場」。トラックは近所で配達中 神社」までの距離が異常に短い。 らしき画像を見つけて合成したもの(笑) ▲(下)4 指定ルートは農協職員に府中署員が ▲(下)3 左角が「押立神社」。関連本などには 同行して走行。最も緊張したのが二度も走ら 「犯人はここをただのジンジャと書くなど地元の されたこの側道だろう。実際は上の地図の 人間でない事を自ら暴露している」とある。 区間よりずっと長い距離だったかもしれない。 ●この続編は残りの地図が準備できしだい、しつこくお送りします。 (※ 2010年9月補足・未だにやってません・・苦笑) 次回・「正月返上2」は「えっ!?あの国八へ潜入!?」
2009年02月03日
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ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 姿なき挑戦者 (5) 日本信託銀行脅迫 国分寺駅北口 ~ 小金井第二浄水場 (1992年 10月撮影) 「三百万 この ふろしき に いれ いつも 窓口 に いる 女の子 が 整ふくの まま 左り手 に もち あるいて 七日の よる 五時三十分 に そこ を でて 駅 に 三十三分 に 着き 電話 ボックス の 前 に 六時 まで たち その後 小金い の 第二じょう水場 に 六 時三十分 までに つき そ こで まっていろ もし約束 を やぶれば すがもの うちは ばくは する・・」 (12月6日 日本信託銀行 国分寺支店 藤巻支店長 あて脅迫状 前半部分 ) ▲国分寺駅北口広場を駅側、西方向より。右寄り、白い二階建ては交番。 中央・左の電話ボックス前に女子行員に変装した婦人警官が立った。 ×「整ふく」 ○「制ふく」「左り手」などはわざとなのか・・? 土ようび だが がまんして くれ ・・ ▲上写真左側を正面より。右端に電話ボックス。 ▲右・交番。マックやアコムは今も変わらず たしか東側にも「地方の温泉駅前」のような ここにある。信託銀はこの奥・300m先に タクシー乗り場(笑)があったと思う。 あった。 次に犯人が指定した「小金井第二浄水場」 (小平市 上水南町 3-12 下の地図・★印) 指定当日、50人の刑事がここに張り込んだ。 Mont.Akagi氏によると現在は 「上水南浄水場」という言いにくい名前に 変わっているらしい。 信託銀(●印)、小金井本町住宅(○囲み)、 それに恋ヶ窪などとの位置関係にもぜひ ご注目いただきたい。 そこに「あの辺り」を加えて、ほぼ等間隔、 信託銀を中心に「扇形」に並んでいる・・ これは犯人なりの「美学」なのか?(笑) ※「正月返上2」と「Mont.Akagi写真館」は交互にお送りいたします・・と告知しましたが、 その都度、臨機応変にやらせていただきます。 「ヘタナ予告ワ、多クノ ヒサン ヲ 生ムゾ ヘッヘッヘッ」 「正月返上2」も最後にデカいネタを用意してありますので、「トクベツ チュウイ!」
2009年01月28日
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第四回 彼らが闊歩した 街 ~ 福生 旧赤線地帯 ~ (下) ※今回より、「正月返上2」と「Mont, Akagi写真館」は交互にお送りいたします。 ●東京の北西のはずれ、横田基地に近い旧「赤線地帯」--- アメリカ軍が衛生検査した地域を地図上に 赤い線で囲い、その中だけアメリカ兵の 出入りを認めた売春地帯で、「赤線」の 名の発祥の地である --- (週刊朝日 08年12/19号 『三億円事件 40年目の新証言 1 』 近藤昭二より) (画像内・文 / 「三億円事件」 一橋文哉 新潮社より) ▲彼らが通ったゴーゴー・クラブ 「P」 とは この場所ではないかと井上氏は推測する。 (Google ストリート・ビューより)現在はアジア料理&DJ barの「BORDERLESS」が営業中。 早い時間は創作アジアン料理が楽しめる「ダイニングBAR」、夜遅い時間になれば、そこにはDJが現れダンスフロアーとなる.. ちなみにここで懐かしの「ゴーゴー」を踊ったりすると白い目で見られる・・かどうかは不明(笑) 「クリスマスは新宿で女を呼んで騒ごうぜ」こちらのお店、当時の名前は不明だが、昼間から営業していたためよく彼らの溜まり場になっていたのだとか。井上氏によると「建物は変わってないと思う」とのこと。 「年内を持ちこたえれば・・」 「あれ、お前がやったんじゃないか?」 ・・ 12月12日 撮影 / サトーハチロー&赤線玉の井・抜けられまス 画像内・文 / 週刊朝日 08年12/19号 『三億円事件 40年目の新証言 1 』 近藤昭二より ●この「福生 旧赤線地帯」を改めてGoogleのストリート・ビューなどで見ると、夜は闇にまぎれて 分からないが、頭上には高層マンションが覆いかぶさり、道を隔てれば高級分譲住宅が今にも 侵食しようと迫っている・・。 三億円事件の「もうひとつの街」、福生の裏通りよ、 どうかいつまでも、しぶとく、たくましく 生き延びて欲しい、と思わずにはいられないのだった・・。
2009年01月21日
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第三回 彼らが闊歩した 街 ~ 福生 旧赤線地帯 ~ (上) ●初めて訪れた福生の駅前、東口のロータリー周辺はマクドナルドやケンタッキーなどの ファーストフード店が入ったビルに西友、消費者金融の看板が目立つありふれた景観だが ときどきすれ違う外人やハーフとおぼしき人たちを目にするたび、ああ、ここは「基地の街」 だったっけ・・」と思い出した。 サトーハチロー氏は昔、頻繁に通ったというパチンコ屋を懐かしそうに眺めている。 井上氏の案内で五分ほど歩くと、何とも裏さびれた一角に突き当たった。 撮影 / サトーハチロー&裏通り決死隊 画像内・文/ 「三億円事件」一橋文哉 新潮社 駅前の近代化を思えば、まるでここだけ置き忘れられたような、と言っては失礼か。 お正月で、ほぼ完全に消えているネオン看板が余計にそう思わせるのだろう。 此処こそ、40年前に「彼ら」が自由を求めて闊歩した街である・・。 ▲赤提灯とペプシコーラのレトロな看板に ▲歓楽街というのは白日のもとにさらされると 和洋文化の理想的な融合をみた(?) なぜこんなにわびしく映るのか・・。 (サイト 「古今東西風俗散歩」 より) ●次回は、井上氏の情報を頼りに当時・実際に彼らがたむろしていたらしい店を検証します。 (つづく) ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 姿なき挑戦者 (4) 多磨農協 [2] (府中市白糸台1-11-10) ▲1992年 10月撮影 ▲(右段)2008年11月撮影 やはり、やや見通しは悪い感じ。 ▼ 近年、塀や木は撤去されて開放的に。 ▲「旧・東部出張所」前の電話ボックスも消えた。 ▲でも、「徒歩」の方が見やすい気もする(笑) ▲第一回目の脅迫時、犯人は現金運搬に「黒のクラウン」を指定。二回目には同車か「スバル」 又は「ファミリア」をナンバーまで示して指定したが、「ファミリア」のナンバーは「キャロル」の ものであり、フロントが似ているため間違えたのではないかと平塚八兵衛氏は推測。 また、犯人は競艇・競輪場帰りの車の向きでないと敷地内を偵察しにくいとも考えられた。 脅迫状が置かれた場所は全て、競艇・競輪場の帰り道になっているのは単なる偶然か・・?
2009年01月17日
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第二回 丘の上の墓標 ●さて、府中刑務所をあとにしたヒラ塚、ツッチー両名は --- 井上元宏、サトーハチロー氏が待つ某駅へと急ぐ。カーナビが「最短距離」で設定 されているらしく、メチャクチャ狭い路地を抜けて「ダイハツ・タント」は走る。時間が 無いのだが、ツッチー氏はとにかく安全運転で、スピードは出さないし、踏切では きっちりと一時停止するのだった。 途中、ツッチー氏が「あっ!今、あのクリ林があった」と声を上げるので振り返るが わからない。 まだ残っていたのか・・? どうやら「あの辺り」を走っているらしい。 それにしても遠い・・。カーナビ画面にはなかなか目的地の地名が現れない。 「思えば遠くへみのもんたよしのり」という持ちネタでもかましたろか、いや、世代が 違うからやめておこう、などと考えているうちに、結局30分以上遅刻してやっと到着。参加者の皆さん いつも運転役ご苦労様▲ ナイス・ガイ、▲ ▲井上氏の友人T氏 ▲おなじみ、平成の怪人、 新婚・ツッチー刑事 サトーハチロー氏 「元・ワル」とのこと 井上元宏氏 井上、サトー両氏はお互い面識がないので別々に待っ ていた。駅前の公衆トイレ前に座りこんで新年の宴会 を催してる○ームレス集団がいて、サトー氏はその中 の一人を私だと思い、声を掛けそうになったらしい(笑) 彼は海外旅行の帰りに成田から駆けつけて下さった。 井上氏は友人を連れて来ていて、「こちらが○戸○さん です。あ、冗談です。」と紹介され、一瞬マジなのかと 思い、アセる(笑)。 さっそく目的地へ向かう・・が、ここで問題が発覚。 人数が五人になってしまい、ツッチー氏のタントは四人 乗りで乗りきれない。「正月だし、一人くらい大丈夫!」 「一人がシートの下にもぐっていればいい」などと提案 するが、ツッチー氏は応じない。さすが頑固なB型だ(笑) 最終的に「二回に分けてピストン輸送 する」案で合意を得た一行はやっとの ことで現地に到着。団体行動は事前 の細かい確認が必要だと痛感。 正月で周囲はひっそりとしている。 一行は水おけ片手に急な坂を上る・・。 遠くに新宿の高層ビル群が見えた。 彼は街を見下ろす高台で 永遠の眠りについていた・・ 大変、差し出がましいようだが、また 「ありがた迷惑」と言われそうだが、 我々はお墓の掃除をさせて頂くことに した。 ▲周囲の枯葉やゴミを片付け、墓石を磨かせて ▲特に井上氏がこまめによく動くのが意外だった いただいた。水差し(?)などの水も交換。 (失礼)。小さなゴミや汚れも見逃さない。 ▲大晦日のうちに近所で買い、電車で持ってきた ▲ツッチー刑事はただ黙って見つめていた・・。 お花とたばこのハイライトをお供えした。 撮影 / サトーハチロー&セメタリーズ ・・不思議な事も起きた。 出かける直前に充電しておいたデジカメの 電池が突然切れる。予備もダメ。 サトー氏のデジカメを借りれば写っていな かったり、足元が写っていたりする・・。 (単に充電池が古いのと、写真を撮るのが ヘタなのか・・) 陽が傾き、我々一行はその場を後にした。 「ここだけは一度かぎりにしておこう」と 誰からとなく声が出た。 帰りも「ピストン輸送」の任務が待っている ツッチー氏の背中に、もう太陽が沈もうと していた・・。 (●「Mont.Akagi 写真館」はお休みさせていただきました)
2009年01月11日
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あけましておめでとうございます 本年も Analo-Blog をよろしくお願いいたします 第一回 府中刑務所 リニューアル・ オープン? ▲小さいですが富士山 ●さ~て、また今年も昨年に引き続き、懲りずに行ってまいりました、「正月返上」大捜査! まず手始めに昨年春に大規模な工事が行われたとの噂を聞いていた府中刑務所へ。 JRの西国分寺で武蔵野線に乗り換え、北府中へ。駅の階段を降りると一年ぶりに ツッチー刑事と再会、今回は休養中の愛車「ミニ」に代わり、愛妻・ランラン刑事 (今回は不参加)所有の「タント」でまずは刑務所の正門前へ向かう。 ツッチー氏が車を出してくれて本当に助かったのだが、駐車場所に苦労する。 すぐ向かいのおなじみ「ミツウロコ・プロパン」に駐車して正門の写真を撮って 戻るとツッチー氏がミツウロコの社員に怒られていた(笑) うわ、営業してたのか。 「ここは入り口専用だから 出口の方から出るように!」 「ど~もすいやっせ~ん」 「構内では絶対にタバコを 吸わないこと!」 ・・いちいち小うるせえなあ。 昔、現金輸送車の後ろ走って たくせに・・(← 意味不明) そそくさとその場を去り、 今度は運送会社に無断駐車 して(笑)事件現場側へ。すっかりきれいになった塀。 一部残っていたコンクリート 部分もパネル式(?)に交換 された。でもあのパステル調 の壁画が消えてしまったのは 何だかさみしい・・。 ▲ ミラーの前あたりが犯行現場。 ▲(上)すっかり綺麗にリフォームされた正門周辺。 ▲(上) 歩道橋のパネルの隙間から激写 どこかの工場か、保養施設にしか見えない。もっ した刑務所内。作業棟か何かだと思うが、 とも、保養で入ってるような人もいるが(笑)中央 お正月でひっそりとしていた。一度でいい 白の四角は武蔵野線からの引込み線の名残り。 から入ってみたいものである。 (下)かつての監視塔に代わって設置されている (下) 「学園通り」の案内板とツッチー氏。 監視カメラ。所内のモニターには「海賊マーク」に 右側にぜひ奥方を立たせたかったが残念。 似た怪しい男が大写しになっていたに違いない。 案内板の上の飾りがヒワイである(笑) ●のんびりしていて時計を見てビックリ。本日、ふたつめの捜査場所で井上元宏氏、 サトーハチロー氏と2時に待ち合わせているのだがすでに1時半を回ってる! 楽天家・ヒラ塚とマイペース・B型のツッチーコンビ、果たして間に合うのか? (つづく) ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 姿なき挑戦者 (3) 多磨農協 [1] (1992年 10月撮影) (府中市白糸台1-11-10) ▲東側から見た多磨農協(現・JAマインズ ▲正面の路地から。左に旧・府中市役所東部 多磨支店)。 4月25日(木)午前8時55分、 出張所(現・第四学童クラブ)。5月25日(土) 一回目の脅迫。「預金係」を「預金部」と呼 午前8時35分、二回目脅迫は写真中央の電 んで訂正され、犯人キレる。さくらデパートの 話ボックスのたなに置かれた手紙を前の農協 紙袋裏に書いたコース指示の地図見つかる。 に届けろと出張所に電話。 犯人は現れず。
2009年01月04日
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ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 姿なき挑戦者 (2) 綿新跡 ~ つくば観光物置放火 など (1992年 10月撮影) ▲6月14日、ここでもみどりのゴミ箱を利用して ▲6月20日、同市多磨町2-4「つくば観光会社」 多磨農協へ脅迫状を届けるよう指示があった で物置小屋(写真左手あたり)が放火により 府中市白糸台1-16-3、洋品店「綿新」跡。 全焼。奥は日華KK多磨葬祭場。 会社のビルに変わっている。 小説男さんの写真 とは逆方向からの撮影。 ▲西武多摩川線(旧・是政線)「多磨墓地前」駅 ▲7月25日、高校教諭宅に脅迫電話。 南側踏切。6月25日の「怪文書」の会社員Y宅は 赤マルのついた石の下に脅迫状が置か すぐ東側。歯科医宅は北西、400m。同日、駅構 れた府中市白糸台3-27-1の空き地跡。 内には脅迫状が貼られ、何者かに持ち去られる。 年末ショート・SFミステリー ~ 時空の執念 「ダイナマイトだ!爆発するぞ 下がれ!」 -- 輸送車の行員たちが一斉に逃げ、犯人が車に乗り込もうと したその一瞬、大きな雷鳴とともに一人の初老の男が現れた。 その執念で、霊界から 40年の時間を飛び越え、 犯行現場へ舞い降りた のは、あの鬼刑事だ! どうやらその姿は犯人 にしか見えないらしい。 「そのツラを見せろ!」 一瞬、たじろぐ犯人。 「あっ!お前は・・ なんてことだ・・やはり きさまだったのか・・」 しかし犯人には時間が ない。大慌てで輸送車 のアクセルを吹かすと、 発炎筒の白煙の向こう 側へと消えていった・・ その時また閃光が走り、一発の雷鳴が轟いた。 苦悶に歪んだ鬼刑事の顔は、低く垂れこめた雨雲の彼方へと、 一直線に吸いこまれていった--- ●文・ヒラ塚特兵衛 画像製作・Z氏
2008年12月30日
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ついに発掘!! 四半世紀後の現場を往く Mont. Akagi 写真館 姿なき挑戦者 (1) 怪文書事件 ~ 府中ガスk.k ~ 多摩駐在所 (1992年 10月撮影) ▲6月25日、朝6時半、通称「壁新聞」が貼られた ▲一時間半後、郵便受に「怪文書」を投函さ 府中市朝日町2-16、会社員Y宅付近を東より。 れた紅葉丘の歯科医宅。東芝府中給料日。 ▲同市清水ヶ丘1-5、府中ガスk.k本店。8時40分、 ▲7月25日・爆破予告、8月22日・放火予告が 犯人はみどりのゴミ箱の下の脅迫状を農協に あった府中署多摩駐在所。西武多摩川線 届けるよう、こことは別の営業所にまちがい電話。 多摩墓地前駅から西に150m。 写真右下にそのゴミ箱が見える。 ●今回は短くてすみませぬ。 (つづく)
2008年12月26日
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グループ・サウンズ G . S と 三億円事件 ザ・テンプターズ IN 明星学苑ザ・テンプターズ 涙のあとに微笑みを価格:4,253円(税込、送料別) ▲「僕たちが屋上で待ってるよ!」 (映画「涙のあとに微笑みを」より) ●昭和43年12月10日、三億円事件当日、現金輸送車がその脇を 通過した私立・明星学苑で一本の映画がひっそりとクランク・インした。 グループの同名ヒット曲をタイトルに冠したその映画の撮影中、 突如パトカーのサイレンが鳴り響き、現場は一時騒然となったらしい。 テンプターズは、もともと埼玉の「ちょっとワルな連中」で結成された らしいが当時18歳のヴォーカルのショーケンこと萩原健一はこのとき 「この辺りも治安が悪いな」という感想をもらしている。 そんな彼も2010年、還暦を迎えた。 いうまでもなく、明星学苑は事件の最有力容疑者といわれた「S少年」が 中退した高校であり、また事件前の一連の脅迫事件で同高校の教諭に 電話があるなど、事件との関わりは深い。 ●G,Sのもう一方の雄、ザ・タイガースのジュリーこと沢田研二はこの7年後、 三億円事件をモデルにしたTBSドラマ「悪魔のようなあいつ」で主人公の 犯人「可門良」を演じることになる。 ●また、事件当日同じくG,Sの「ザ・カーナビーツ」は楽器車に楽器を積んで 甲州街道を移動中、事件の検問にあったが、顔が知れていたため事なきを 得たとのこと。 以上、グループサウンズブーム全盛期の逸話でした。 (写真及び情報提供 / 井上元宏氏) MONT. AKAGI PRESENTS 其の壱 " 心霊写真のあの人は、さみしい目をしてる・・ " 監修 / 中岡俊哉(ウソ) ▲これほど鮮明に怪奇現象を捉えた写真はかつて ▲ブラウン管の中に現れた霊の姿。弱冠、 例がない。上半身と下半身が完全に分離している。 ハミ出てるような気もするが、生前は なお、写真の人物はMont.Akagi氏ではないらしい。 「出たがり」な人だったにちがいない。 ▲台所に現れたことから「水まわり」に関係した ▲とある寂しげな山門に浮かび上がった、 霊と思われる。しかしなぜ霊の「目」を隠して どこかで見たような顔。 実際、この顔が いるのか、よくわからない。 「霊」にしては トラウマになってる人は多いらしい。 ヤケに顔の色ツヤが良すぎる気もする。 ◎「恐怖の心霊写真集 其の弐」は「そのうち」掲載いたします。お楽しみに。 ふるえて眠れ! ※ 次回は「Mont.Akagi写真館」・ほかに戻ります。
2008年12月19日
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★特別企画 巨大組織 「警察」の構造とは? ●(表・文 )週刊ポスト 08年6月20日号 『ベテラン刑事怒る・嘆く 巨大組織 「警察」 崩壊の現場』 より ●警察官のキャリア(国家公務員1種試験採用)とノンキャリの昇進スピードは大きく異なる。 キャリアは入庁時に警部補で、警察大学校を出て赴任する際には警部に昇進する。 高卒のノンキャリなら、スピード出世した者でも入庁から10年以上かかる道のりを わずか1年足らずで進んでしまう。それ以後もキャリアは警視長クラスまではほぼ 誰もが昇進する。警察官総計26万人のうち、キャリアはわずか500人ほどとされる。 この数字を見ても、いかにごく限られたエリートが統率するシステムなのかがわかる。 「警察組織は底辺が厚く、頂点が小さい釣り鐘型組織。巡査、巡査部長、警部がそれぞれ 3割を占め、幹部といわれる警部以上は1割程度しかいない」(警視庁OBのジャーナリスト・談) ちなみに、「踊る大捜査線」(フジ系列)の青島俊作(織田祐二)は巡査部長、室井慎次(柳葉 敏郎)はキャリアの警視正。「相棒」(テレ朝系列)の杉下右京(水谷豊)はキャリアで警部だが、 亀山薫(寺脇康文)はノンキャリの巡査部長。「太陽にほえろ!」のボス(石原裕次郎)は警部。 「ケイゾク」(TBS)の柴田純(中谷美紀)は東大を出たての警部補という設定になっている。 ●歴代の「キャリア」たちが知恵を絞り、「ノンキャリ」の皆さんが靴を何足も履きつぶしても 解決できなかった三億円事件。 事件発生直後、自身の勘と判断で持ち場を離れ、放置された輸送車を発見したのは 近くの駐在所の巡査長だった。その褒美は「即賞 百円」という、今の価値で千円にも 満たない額だった・・・ (お詫び) 一部記事を削除しましたので、コメントの意味がつながらなくなっています。 ご了承下さい。
2008年12月14日
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