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Molde Jazz, NorwayJan Garbarek, Bobo Stenson, Palle Danielsson, Jon ChristensenBris / Lokk / Skygger / Dansere NRK TV Film
Jun 29, 2018
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Jun 24, 2018
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1967年吉村昭「水の葬列」について、著者の私の文学的自伝によると太宰治賞に星への旅と候補作に残った「水の墓標」を改題して展望で発表されたと。同作には副産物があり、「水の墓標」を執筆のために黒四ダム工事現場に訪問時、仙人谷への途中で難工事を知り、高温を体感することで、「高熱隧道」に繋がったそうだ。 「水の葬列」は虚構小説とのことで、1978年の「闇に閃く」、1982年の「破船」、1988年の「仮釈放」のモチーフを彷彿させ、あたかもその後の作品群の起点のようで、著者の原点を覗くようであった。日暮里での空襲体験、物干し台での目撃もでてきて、濃縮版を読むかのようだった。醸し出される深山幽谷での生活感には、伊藤正一の「黒部の山賊」を思いだした。 ダムに水没する村の人々は、墓を供養して掘り起こし、木箱に回収した後、村に火をかける。そして、白い箱の列が更なる山奥に立ち退いていく。こうしたシーンで「水の葬列」は終わる。西洋人に居場所を奪われていくインディアンの映画「ダンス・ウィズ・ウルブス」のエンディングを思いだした。 発展のために電力を求めて、ダムが盛んに造られた時代には、水没する村で生活拠点からの立ち退きシーンが繰り広げられたに違いない。山奥の人の営みを害しない地域での造営にとどまっていたものも、治水、灌漑も求められ、狭い国土故、巨大都市活動を支えるために人の住む渓谷にも設けられていかざるをえなくなったのであろうか。 木曽三川治水工事や利根川東遷など江戸時代にみたような日本の水との格闘史は、21世紀もまだまだ、続いている。 八ッ場ダム上流(2018.5) 河原湯温泉は、宿は事業移転したものの水没と。旧吾妻線上にはコンベアが設置され、搬入路に。山腹からの採掘、コンクリートの製造、投入と、一連の巨大プラントの様相。巨大ケーブルクレーンを架け、重量物を搬入、投入か。ダム下流の鹿飛橋からの渓谷美。
Jun 10, 2018
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新清水トンネルの上越線下り土合駅に通ずる通路。486段と。伊香保が365段だからそれより深い地底駅。国道291号と湯檜曽川を渡った先に忽然とトンネルが。 清水トンネル、新清水トンネル、大清水トンネル・新幹線、大清水トンネル・関越自動車道四本もあり、鉄路はループトンネルまで。土木の迫力に圧倒された。 吾妻の八ツ場ダムの建築現場も大迫力に息をのんだが、ここの地底造営も想像を絶するものだったのでは。
Jun 6, 2018
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「長英逃亡」では、赤岩からの逃避ルートとして、沢渡、四万川を渡り、大道峠を越え、猿ヶ京関所から二丁の地点で三国街道を横切り、利根川に達して、湯檜曽口留番所の周辺を抜けて、湯檜曽川を遡上して、秋深い谷の廃道を辿り、清水峠越えを果たしたとされていた。吉村昭のあとがきには、三国街道は逃避に不向きでこのルートを長英は選んだに違いないと結論したとあった。 清水峠越えのルートは、今でも国道291号線として点線のまま据え置かれていて、通行不能の廃道が実態の国道らしい。江戸時代は三国街道をとり、近代では、大清水トンネルで貫通でき、ともに清水越は廃道にしたらしい。清水は、土木の難所との格闘史の舞台でもあるらしい。湯檜曽口留番所は、通行止めとする番所であったと読んだ。湯檜曽公園から見ると、湯檜曽川の先に谷川岳と一ノ倉岳がそびえたっている。
Jun 6, 2018
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にぎやか。若い人も多い。外国人まで。渓流の風情もさることながら、大きな湯舟が並び、壮観。広すぎて落ち着く位置をあれこれと試すはめに。
Jun 6, 2018
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清津川の車一台幅の橋を渡ると広い前庭があった。五月の初めは満開で見事だったろう。広くゆき届いた宿玄関に入ったとたんくつろいだ気分になれるぬるく、長く、まんじりとひたれた。巨木の梁で天井が高い内湯も、森に囲まれた露天も実に気持ちがよい。
Jun 5, 2018
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