★JELLY BEANS★アメリカ生活日記★

保母さん














アメリカで日系保育園(Pre-school)で約2年働いていました。


最初の1年は2歳のクラス。

次の1年は持ち上がりで3歳のクラスを

担当していました。

日系の保育園とあって

経営者ならびに働いている保母全員が日本人でした。

保母として働いたのは初めての経験だったので

本当に毎日が模索状態!

通ってる生徒の6割がハーフ(日本人とアメリカ人)の生徒で

後は仕事の関係でアメリカに住んでおられる

日本人、日系人とアメリカ人でした。

教育の基本はなるべく日本語で子供達に接すること。

子供達が日本語の歌や絵本や日本の行事イベントなどを通して

日本語を学ぶ事を目的としていました。

私もなるべく日本語を使っていましたが

子供達は英語の方が達者なので

どうしても注意するときは英語を使うこともありました。

私が繰り返し繰り返し

日本語の絵本を読んだり日本語の歌を

歌ったのが反映して私のクラスの子供達が

日本語を話し出したり教えた歌を歌ったりしてくれた時は

感動で胸に込み上げてくるものがありました。

大変だった思い出といえば、”工作の準備”。

毎日、家での次の日に使う工作の準備が大変でした。

子供達はアンパンマンが大好きで

毎日私に描いて欲しいとせがむので

最初、アンパンマンを描けなかった私も、

やなせたかし(アンパンマンの著者)もびっくりするぐらい

いつの間にか アンパンマンの達人に!!! (笑)

おまけにアンパンマンの歌は全て暗記してしまいましたよ。

今でも振り付けで歌えるのがちょっと自慢かも。(笑)

子供達が可愛くて可愛くて仕方なかったですよ~。

勿論辛い事も多々あったりしましたが、

毎日子供達から

”元気”をもらっていました。

保母という職業を通して子供達から学ぶことが

とても多くあって私自身

そこで成長させてもらったなぁ...。

(なのに今、育児にその経験が反映してないのはなんでやろう!?)

残念ながら妊娠7ヶ月ぐらいの時に

そこで働くのを辞めました。

辞める時にご父兄の方と子供達が、自分達が描いた絵や写真を

使って画用紙で作った”寄せ書きノート”と

子供達の名前が描いてる”手作りのトレーナー”を頂きました。

本当に嬉しかったです。

今でもそのノートとトレーナーは大切に保管しています。

保母をやって本当に良かったです。



*保母だったくせに自分の子供には何も教えず野放し状態に

育ててしまってスーパー野生児になってしまった息子。

息子の友達のお母さん達に

まさか自分が昔保母をやっていたことを

言えない自分がいる。(笑)




















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