JEWEL

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青い龍の背に乗って 1



『皆様、間もなく当機は関西国際空港に到着致します。到着後、シートベルトの着用ランプが消えるまで、ご着席をお願い致します。』

乗員乗客200人を乗せた青龍航空羽田発関空行き60便は、何のトラブルもなくフライトを終える筈だった。
突然紅蓮の炎と黒煙に包まれた機内は、たちまち怒号と悲鳴に包まれた。
「荷物を持たないで下さい!ヒールのある靴は脱いで下さい!」
客室乗務員たちの指示に従った乗客達が次々とシューターで脱出する中、一人の少女だけが、恐怖の余り後部座席に座り込んで、そのまま動けなくなってしまった。
「あぁ、ここに居たのか。」
頭上から声がして、少女が俯いていた顔を上げると、そこには自分に笑顔を浮かべて手を差し伸べる機長の姿があった。
「さぁ、一緒にいこう。」
「うん・・」
少女を救出した際、機長は背中に重度の火傷を負っていた。
「先に行きなさい。わたしは、後で行くから。」
「助けてくれて、ありがとう。」
少女が脱出した直後、機体は炎に包まれた。
「え、父上が?それは、確かなのか!?」
「大丈夫ですよ、坊ちゃま。」
執事と共に、有匡が父が入院している病院へと向かうと、父は花に囲まれた棺の中で永久の眠りに就いていた。
「父上・・」

あの悲惨な事故から、10年の歳月が過ぎた。

(も~、どうして目覚まし時計止めちゃったんだよ、僕のバカ!)

羽田空港の中を、一人の女性が走っていた。
青龍航空の真新しい制服に身を包んだ彼女の名は、高原火月。
幼い頃からの夢だったCA(客室乗務員)となり、今日がその初出勤日なのだが、彼女は寝坊して遅刻してしまった。
(な、何とか間に合いそう・・)
職員専用の出入口へと向かおうとした火月は、一人の男とぶつかってしまった。
「す、すいません・・」
「怪我は無いか?」
そう言って自分に手を差し伸べてくれた彼の手が一瞬、“誰か”の姿と重なったように見えた。
「は、はい・・」
火月は俯いていた顔を上げた時、自分とぶつかった男が肩章と袖口に4本線が入っている制服姿である事に気づいた。
(この人、もしかして・・)
「急いでいるんじゃないのか?」
「あ~、そうだった。」
火月は男に頭を下げ、走り去った。
「遅い!」
「す、すいません・・」
「初日から遅刻なんて、先が思いやられるわね!」
憧れのCAとなった火月だったが、彼女を待ち受けていたのは2ヶ月にも及ぶ救難訓練だった。
先輩CA達から、目をつけられてしまった火月は、実技訓練でことごとく駄目出しされて落ち込む日々が続いていた。
(僕、本当にこの仕事に向いているんだろうか?)
そんな事を思いながら火月が社員食堂でサンドイッチを齧っていると、そこへ同期の禍蛇がやって来た。
「どうしたの、火月?また先輩達から駄目出しされたの?」
「うん。僕、この仕事に向いていないかなぁって、思うんだけど・・」
「そんな事ないって!この後、皆で勉強会開くんだけど、火月も来る?」
「うん。」
救難訓練に見事合格した火月は、同期生達と共にサービス訓練を受ける事になった。
「高原さん、良く出来ているわね。飲み物をお客様にお出しするタイミングが良かったわ!」
「ありがとうございます!」
サービス訓練を経て、火月達はOJTを受ける事になった。
「火月ちゃん、地上と上空は全く違う状況だから、その事を頭に入れておいてね。」
「は、はい。」
「そんなに緊張しなくても、訓練の通りにやればいいのよ!」
チーフパーサーの種香は、そう言って火月を励ますかのように、彼女の背中を叩いた。
「何だ、今日は随分賑やかだな?」
火月と種香がそんな話をしていると、背後から美しい男の声が聞こえた。
「あら機長、今日から、この子達をお願いしますね。火月ちゃん、こちら機長の土御門有匡様よ。機長、この子が訓練生の、高原火月ちゃんです。」
「は、初めまして・・」
火月がそう言って機長に挨拶すると、彼は切れ長の碧みがかった黒い瞳で彼女を見た。
「お前は・・」
「あの、どうかしました?」
「いや・・よろしく頼む。」
機長・土御門有匡は、そう言って火月がつけている紅玉の耳飾りに気づいた。
「それは?」
「これ、お守りみたいなものです。邪魔でしたら、外します。」

―先生・・

「いや、いい。」

(何だ、今のは?)

『皆様、本日は青龍航空にご搭乗くださり、誠にありがとうございます。』
火月は緊張した面持ちでマイクを握り締め、機内アナウンスをした。
「はぁ~、緊張したぁ~」
ギャレーに戻った火月は、そう言うと溜息を吐いた。
「初めてにしちゃ上出来よ。それにしても、さっきの機長、火月ちゃんと会った時に少し様子がおかしかったわね。」
「そうそう、火月ちゃんの耳飾りを見た時に、顔色が変わったのよねぇ。」
火月の指導役のCA・小里は、そう言いながらテキパキと機内食の準備をしていた。
「お二人は、機長とお知り合いなんですか?」
「知り合いも何も、殿・・機長とは前世からの縁よ~」
「ぜ、前世!?」
「ちょっと、小里ぉ、そんな事言ったら火月ちゃんひいているじゃないの。」
「あらら、ごめんなさい。」
「前世からのご縁って、どんな・・」
「それは、フライトが終わってから話すわ。」
「は、はぁ・・」
約13時間のフライトを終え、ロンドン・ヒースロー空港へと降り立った火月は、少し時差ボケで頭がボーッとしていた。
「火月ちゃん、お腹空いたでしょ?機長がおごってくれるから、ご飯行きましょう。」
「はい!」
有匡達に連れられ、火月が彼らと向かったのは、ロンドン市内にあるフランス料理店だった。
(うわぁ、高そう・・)
「火月ちゃん、緊張しなくていいからね。」
「そう言われても・・」
「あ、そう言えば、あたし達は前世から縁があるって言ったじゃない?」
「はい・・」
前菜のサラダを食べながら、火月は種香の次の言葉を待った。
「実は、あたし達は殿・・機長の式神だったのよ。まぁ、話せば長くなるけどさぁ・・」
「うちら、全員前世の記憶持ちなのよ。火月ちゃん、陰陽師ってわかる?」
「何となく・・」
「機長は、前世ではその陰陽師だったのよ。」
「え~!」
「うるさい。」
そう言った有匡は、水を一口飲んだ後、眉間に皺を寄せた。
「皆さん、どうして再会されたのですか?」
「まぁ、あたし達がこの会社に入ったのは偶然よ。機長はまだ、小学生だったわぁ。」
「えっ」
「そうそう、可愛かったわぁ~、小学生の頃の機長。」
「じゃぁ、お姉さん達は・・」
「あらぁ、そんな事を聞いたら駄目よ~」
「そうよ~、あ、その時の写真を見る?」
「見たいです!」
「はい、これ。」
種香が火月に見せたのは、当時7歳の有匡少年の写真だった。
「うわ~、可愛い!」
「でしょう!この頃の機長、可愛かったのよ~、今はこんなカンジだけど。」
「うるさい。」
「あら、どうなさったのかしら、機長?少し顔が赤いような・・」
「お酒、お強かったんじゃ・・」
「ちょっと、これ、水じゃなくてカルヴァドス(アルコール度数約45%)よ!」
「ええ~!」
「耳元で喚くな。」
火月達は食事を終えると、有匡を宿泊先のホテルへと連れて行った。
「あ~、もう、どうしてこんな事に!」
「機長、しっかりして下さい!」
三人がかりで有匡を宿泊先のホテルへと運んだ火月達は、彼がソファに寝転がり寝息を立てるのを見て安堵の溜息を吐いた。
「お珍しいわね、こんなに殿が酔われるなんて。」
「まぁ、火月ちゃんと再会出来て嬉しかったのかもしれないわね。」
「本当。殿はずっと火月ちゃんを捜していたんだもの。」
「それ、本当ですか?」
「本当よぉ。毎年入社式がある度に、殿は血眼になって火月ちゃんの姿を捜していたわぁ。」
「ベタ惚れだものね、殿は昔から火月ちゃん一筋だもの。」
「ね~」
元・式神シスターズはそう言って笑い合った。
「ん・・」
「殿、お目覚めですか?」
「お水、飲まれますか?」
種香がそう言って有匡にミネラルウォーターのペットボトルを手渡したが、彼はそれを受取ろうとしなかった。
「・・しで・・」
「え?」
「口移しで、飲ませろ。」
「火月ちゃん、後はよろしくね~」
「おやすみ~」
「え、お姉さ~ん!」
慌てふためく火月とソファで呻く有匡を残し、種香と小里は部屋から出て行ってしまった。
(一体、どうすれば・・)
「き、機長、とりあえずベッドに・・」
「いやだ。」
「そ、そんな事を言われても・・」
火月が有匡の言葉に戸惑っていると、彼が徐に火月を己の方へと抱き寄せ、彼女の唇を塞いだ。
「やっと、会えた・・」
有匡は、火月の耳元でそう囁いた後、彼女を抱き締めたまま眠った。
―先生、愛しています。
“彼女”と別れたのは、再会った冬の夜と同じ、紅い月が空に浮かんだ冬の夜だった。
―泣かないでください、また会えますから。
そう言って、“彼女”は美しい真紅の瞳を閉じた。
二人の間に生まれた双子は既に独立し、それぞれ家庭を持っていたが、心の支えを喪った有匡を気に掛け、度々二人は京から東国へ彼の様子を見に来ていた。
「どう、父上のご様子は?」
「今夜が峠みたい。」
「心の臓が弱くなってしまったからね。いくら妖狐の血をひいているとしても、命には限りがあるからね。」
雛と仁がそんな事を話しているのを有匡は御簾越しに聞きながら、有匡は妻の形見である懐剣を握り締め、目を閉じた。
―先生・・
何処からか、妻の声が聴こえて来る。
―こんな所で寝てちゃ駄目ですよ。
有匡が目を開けると、そこには妻が自分を愛おしそうに見つめていた。
―さぁ、逝きましょう。
有匡は、妻の手を取り、静かに歩き出した。
「父様、さようなら。」
有匡の死に顔は、とても安らかなものだった。
それから有匡は、何度も転生して火月と愛し合った。
だがいつも、火月は自分を置いて逝ってしまう。
(今度こそ、お前を先に逝かせはしない。)
そんな決意を胸に抱いて転生した有匡は、火月を幼い頃から捜し始めたが、中々彼女とは再会えなかった。
そんな中、有匡の元に父の訃報が届いたのは、彼がイートン校の最終学年を終え、卒業を控えた頃だった。
父・有仁は、青龍航空のパイロットだった。
彼は、黒煙と炎に包まれた飛行機の中から一人の少女を救出した後、気道熱傷を負い、事故発生から数時間後に息を引き取った。
有匡は父と同じパイロットとなり、27歳という若さで機長となった。
日本人の父と英国人の母との間に産まれ、容姿端麗で9ヵ国語も堪能な彼の周りには、彼の妻の座を狙っている女性達が居た。
だが、有匡が心から望み、欲しているのは唯一人だけだった。
「ねぇ、聞いた?」
「今年の新入社員に、お人形さんみたいな綺麗な子が居るんだって!」
「金髪碧眼は良く見るけど、金髪紅眼は珍しいわよね~」
(火月だ、間違いない!)
有匡は、火月と再会る日を楽しみに待っていた。
そして、“その日”は来た。
種香と共に機内に入って来た火月を見た瞬間、有匡は喜びで爆発しそうになった。
(火月、漸く会えた・・今度こそ、お前を離さない。)
有匡は、一晩中火月を抱き締めたまま眠った。
「おはようございます・・」
「あらぁ火月ちゃん、酷い隈ね!もしかして昨夜は一睡も出来なかったの!?」
「ヤダぁ~、殿ったら遂に・・」
「ちょっとぉ~、やめなさいよ~」
種香と小里のはしゃぎっぷりに、火月はピンと来なかった。
「おい、お前ら何を騒いでいる?」
ホテル内のレストランで火月達が朝食のテーブルを囲んでいると、そこへ有匡がやって来た。
「殿、昨夜は“お楽しみ”だったのでしょう?」
「何を言っている?」
「んまぁ~、とぼけちゃって!一晩中火月ちゃんを離さなかったのでしょう?」
「あぁ。」
「きゃ~!」
「殿ったら、大胆!」
「違います、機長とはそんな関係じゃ・・」
火月はそう言うと、有匡に助けを求めたが、彼は涼しい顔で紅茶を飲んでいた。
「火月、有匡・・機長と何かあったの?さっきから先輩達がこっちを見る目が怖いんだけど・・」
「それがね・・」
火月は、禍蛇に昨夜ホテルで起きた事を話した。
「え~、そんな・・・っていうか、本当に、あいつと寝たの?」
「そ、そんな事してないよっ!」
「有匡、“昔”もモテてたもんね。」
「え、何の話?」
火月の反応を見て、禍蛇は彼女に前世の記憶が無い事に気づいた。
「有匡、ちょっと来て!」
「何だ、こっちは色々と忙しい・・」
「フライト前で忙しいと思うけど、大事な話があるのっ!」
禍蛇がそう言いながら有匡の腕を引っ張っていると、そこへ種香と小里がやって来た。
「なぁに、どうしたの禍蛇ちゃん?」
「あ、式神のねーちゃん達、いいところに!有匡、少しかりてもいいかな?」
「あたし達も聞くわよ。あそこのカフェで、ゆっくりとね。」
「そうよ。まだフライトまで時間があるし。」
ヒースロー空港内にあるカフェの中へと入った有匡達は、禍蛇から衝撃的な事実を知らされた。
「火月ちゃんに、前世の記憶がない!?」
「それは確かなの、禍蛇ちゃん?」
「うん。」
「道理で話が噛み合わないと思ったのよね。あら、殿、どちらへ?」
「外の空気を吸って来る。」
(馬鹿だな、わたしだけが、火月を想い続けていたのか。)
有匡はそう思って自嘲的な笑みを浮かべながら、紫煙と共に溜息を吐き出した。
(滑稽だな・・)

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