「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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JEWEL
希うものは 1
「恥を知れ!」
沿道に居る人々から石を投げつけられ、バッキンガムは刑場へと向かった。
斬首台に跪くと、そこは血で濡れていた。
唯一心残りがあるとしたら、それは―
「ヘンリー。」
耳元で聞きなれた恋人の声。
ふとバッキンガムが首を巡らせば、そこには涙を流しているリチャードの姿があった。
「地獄で先に待っていろ。必ず・・」
“また会える”
(また、あの夢か・・)
「旦那様、おはようございます。」
「熱いコーヒーをくれ。」
「かしこまりました。」
遠くで、朝を告げる鐘の音が鳴った。
かつて自分達が生きていた時代よりも、“今”の方がかなり生き易い。
食事も住居も、医療もあの時代と比べて遥かにマシになっている。
バッキンガムは、今世でも公爵として生きていた。
前世で縁があった者達―エリザベスをはじめとするウッドウィル一族や、ランカスター家、そしてプランタジネット家や、ネヴィル家の者達と、バッキンガムは再び知り合った。
しかし、バッキンガムは未だにリチャードに会えていない。
かつて己がその魂ごと愛した“半身”は、何処を捜しても居なかった。
(リチャード、何処に居る?)
必死にリチャードを捜し続けて、もう半年も経った。
『リチャードは隠れんぼが上手いからな。』
いつだったか、バッキンガムはエドワード=プランタジネットにリチャード捜しを手伝ってくれるよう頼んだら、そんな言葉が返って来た。
『まぁ、焦らずに待つ事だ。』
その日、バッキンガムは朝から仕事に忙殺されていた。
仕事が一段落して外の空気を吸いたくなった彼は、屋敷から出て薔薇園へと向かった。
白薔薇が咲き誇る中を歩きながら、バッキンガムはリチャードと初めて結ばれた日の事を思い出した。
(リチャード、あんたにもう一度会いたい・・)
バッキンガムが物思いに耽っていると、彼は一人のメイドの存在に気づいた。
彼女はその華奢な身体を質素な黒のワンピースに包み、その上に白いレースのエプロンをつけ、頭にはヘッドキャップを被っていた。
メイドの、白薔薇を摘み取る手は、良く見れば細かい切り傷のようなものがあった。
「お前、そこで何をしている?」
「申し訳ありません・・大奥様から今夜の舞踏会に飾る白薔薇を摘めと命じられたので・・」
メイドの声は、心地良いメゾソプラノだった。
その時、突然強風が吹き、メイドが頭に被っていたヘッドキャップが吹き飛ばされ、彼女の美しい黒髪と、宝石のように美しいオッドアイが露わになった。
「リチャード・・」
高貴な女だったあんたが、何故使用人をしている?
「お前とはこんな形で再会したくなかった・・ヘンリー。」
リチャードはそう言うと、目を伏せて屋敷の中へと戻っていった。
「遅かったわね!」
「申し訳ございません、大奥様。」
「まぁ、いいわ。この薔薇を花瓶に活けて頂戴。」
「はい・・」
リチャードは、溜息を吐きながらスタフォード家の花瓶に薔薇を活けた。
(どうして、俺は・・)
かつて、リチャードはバッキンガムと同じ“立場”だった。
プランタジネット侯爵家の末子として生を享けたリチャードは、何不自由ない生活と、質の高い教育を受けて育った。
その生活は、リチャードが15の時に一変した。
リチャードの母・セシリーが、宗教にはまり、侯爵家の財産を食い潰した。
その所為で一家離散し、リチャードは莫大な借金を返済する為、スタフォード公爵家でメイドとして働く事になった。
ハウスメイドとしての仕事は多く、リチャードは一日の大半を仕事に忙殺され、休める時はベッドに入る時だけだった。
「ねぇ、今夜ヘンリー様の婚約者の方がいらっしゃるとか・・」
「どんなお方なのかしら?」
「何でも、ウッドウィル家の方とか。」
「そう。」
(ウッドウィル・・まさかエリザベスの・・)
「リチャード、ヘンリー様がお呼びだよ!」
「はい。」
リチャードは、バッキンガムの部屋のドアをノックすると、中から呻き声が聞こえて来た。
「ヘンリー様?」
「リチャードか・・入れ。」
「失礼致します。」
リチャードがそう言ってバッキンガムの部屋に入ると、彼は己を慰めていた。
「何をしている?」
「あんたを抱きたくなった・・ここへ来てくれ。」
バッキンガムはリチャードの腕を掴むと、己の膝上に彼女を乗せた。
「そういう事は、婚約者にしろ。」
「わかっていないな。俺は、あんたを抱きたいと言ったんだ。」
「そんな事、あっ・・」
その日の夜、スタフォード公爵家で華やかな舞踏会が開かれた。
リチャードは招待客の合間を縫うように汚れた皿やグラスなどを下げていった。
「あ~疲れた!」
「後少しよ、頑張って!」
「リチャード、ヘンリー様がお呼びだよ!」
「はい。」
こんな忙しい時に一体何の用だろうか―リチャードがそう思いながらバッキンガムの部屋のドアをノックすると、中から扉が開き一人の青年が姿を現した。
「リチャード様・・」
「ケイツビー、何故お前がここに?」
「俺が呼んだ。」
バッキンガムはそう言うと、軽く指を鳴らした。
すると、寝室から仕立屋と思しき女性が出て来た。
「あら、誰かと思えば“グロスター公”ではありませんか?」
「ジェーン・・」
「ジェーン、リチャードに似合うドレスを選んでやってくれ。」
「かしこまりました。」
「ヘンリー、俺は・・」
「さぁ、“閣下”、こちらへ。」
半ば強引にジェーンに寝室へと連れて行かれたリチャードは、ジェーンに何着かドレスを胸の前でかざされた。
「やはり、“閣下”には紫のドレスが似合いますわね。」
「ジェーン、俺は・・」
「さぁ、コルセットをつけましょうね。」
そうしなくても、“閣下”のお身体は、コルセット要らずですけれど―ジェーンはそう言いながらも、コルセットを締める手を緩めなかった。
「わたくしの見立ては間違いなかったようね。」
ジェーンは、リチャードの美しいドレス姿を見て溜息を吐いた。
「髪は、そうね・・かつらをつけましょう。」
「失礼致します、リチャード様。」
ケイツビーに薄化粧を施され、リチャードは恐る恐る鏡を見ると、そこには絶世の美女が映っていた。
「ヘンリー様、遅いわね。」
「あんなに可愛らしいお方がお待ちなのに・・」
貴族達がそんな事を話していると、大広間に一組の男女が入って来た。
美しい紫のドレス姿の美女とヘンリーの姿は、まるで一幅の絵画のようだった。
「みんな、俺達を見ている。」
「あんたが、美しいからだ。」
バッキンガムはそう言うと、リチャードの手に口づけた。
「一曲、お願い致します。」
「お前、これは一体どういうつもりだ、ヘンリー?」
「俺はあんたとやり直したい、リチャード。」
「お前は一体何を言っているんだ?」
リチャードはそう言うと、バッキンガムを睨んだ。
「俺は、あんたしか要らない。」
バッキンガムは、軽くリチャードの手の甲にキスをした。
「あの方、誰なの?」
「確か、プランタジネット家の・・」
「何ですって!?」
バッキンガムの婚約者・キャサリンは、そう叫ぶと姉・エリザベスの方へと駆けて行った。
「お姉様!」
「どうしたの、キャサリン!」
「バッキンガム様が・・」
エリザベスは妹に泣きつかれ、バッキンガムの方を見ると、彼は謎の美女と談笑していた。
「あの方は、確か・・」
「リチャード=プランタジネット様ですよ。ほら、数年前に自殺した・・」
「そう。」
プランタジネット侯爵家の“宗教騒ぎ”の事は、まだ記憶に新しい。
宗教に入れあげ、財産を食い潰した侯爵夫人は拳銃自殺した。
まさか、その娘が、こんな場所に―
「ここは人目がある。」
「離せ。」
バッキンガムはリチャードの細腰を掴むと、大広間から出た。
「愛している、リチャード。」
寝台に入ったバッキンガムは、そう言うとリチャードを寝台の上に押し倒した。
「やめろ、俺は・・」
「あんたは、“男”でもあるが、“女”でもある。」
バッキンガムは、そう言うとリチャードのドレスの裾を捲り上げた。
「嫌だ!」
「今世は、あんたを縛る“荊棘”は何処にもない。俺は・・」
「ヘンリー、俺とお前とでは住む世界が違う。」
リチャードはそう言ってバッキンガムを押し退けようとしたが、彼の逞しい身体はビクともしなかった。
「リチャード・・」
黄金色の瞳に“女”の部分を見つめられるだけで、そこが疼くのをリチャードは感じた。
「あっ・・」
バッキンガムがその入口に指を這わせると、蜜が流れて来た。
「これだけで、こんなに濡れているのか。」
「言うな・・」
「リチャード、覚えているか?今世で、俺達が初めて会った時の事を?」
バッキンガムはリチャードの“女”の部分を愛撫しながら、転生したリチャードと初めて会った時の事を思い出していた。
あの頃自分は12か13にもならない位の子供だった。
貴族の子弟の嗜みとして通っていた剣術の稽古場で、バッキンガムは一人の剣士に注目した。
彼は、一人で何人もの剣士達を一撃で倒していた。
「凄ぇ・・」
「どんな奴なんだ?」
「両利きの剣士なんて、見た事ないわ!」
その剣士が徐に顔を覆っていた面を外すと、そこから花のかんばせが現れた。
黒絹のような美しい髪と、黒と銀の瞳をバッキンガムが見た瞬間、彼は恋に落ちた。
「あんた、名前は?」
「ガキの相手をする程、俺は暇じゃない。」
「俺はガキじゃない、バッキンガム公爵だ。俺は高貴な女が好きだ。」
「俺は女じゃない、口を慎め、ガキ。」
その剣士―リチャードは、バッキンガムの頬を軽く抓った。
「ガキ扱いするな。」
バッキンガムはそう言うと、リチャードを必ず自分の伴侶にすると、その頃から誓っていた。
時が経ち、成り上がり者の庇護下から抜け出したバッキンガムは、リチャードを捜し始めたが、その時既にプランタジネット侯爵家は倒産し一家離散していた。
だが、バッキンガムは魂の底からリチャードを求めていた。
そして遂に、リチャードを見つけたのだった。
「リチャード、愛している・・」
バッキンガムの腕の中で、リチャードは何度も蕩けた。
「着替えは俺が手伝おう。昨夜はあんたを苛め過ぎたからな。」
リチャードは、バッキンガムの言葉を聞いた後、彼の頬を軽く抓った。
「ガキが調子に乗るな。」
「そのガキに、あんたは抱かれたんだ。」
バッキンガムはそう言うと、リチャードのコルセットを締め始めた。
「リチャード様、良くお似合いですわ。」
「ジェーン、お前・・」
「お祖母様に、あんたの事を紹介しないとな・・俺の、婚約者だと。」
バッキンガムはそう言った後、口元に笑みを浮かべた。
「どういう事だ?」
リチャードがそう言ってバッキンガムを睨むと、彼はリチャードの華奢な方を抱きながら祖母が待つダイニングルームへと入っていった。
「まぁヘンリー、そちらの素敵な方はどなたなの?」
「俺の、婚約者です。お祖母様、俺はこちらのリチャード=プランタジネット嬢と結婚致します。」
「何ですって!?あなたが・・」
ミセス=スタフォードは、そう叫ぶと美しく着飾ったリチャードを見た。
「そのような事は、許しませんよ!」
「わたしはもう成人を迎えたのですよ、お祖母様。わたしはあなたの許しなどなくても、リチャードと結婚します。」
「そんな・・」
ミセス=スタフォードは、突然胸を押さえて蹲った。
「大奥様!」
「誰か、お医者様を呼んで!」
彼女が倒れた事により、スタフォード家のダイニングルームはまるで蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
「済まない、俺の所為で・・」
「気にするな。」
バッキンガムは、入って来た時と同じように、リチャードの肩を抱いてダイニングルームから出て行った。
数日後、バッキンガムはリチャードの長兄・エドワードの元を訪れた。
「リチャードが見つかった?それは、本当なのか!?」
「はい。彼女は我が家でメイドとして働いていました。」
「まさに、“灯台下暗し”だな。それで、わたしに頼みとは、一体なんだ?」
「俺とリチャードとの結婚を、許して頂きたいのです。」
「許すも何も、君なら安心して妹を任せられる!」
エドワードはそう言って、白い歯をバッキンガムに見せながら笑った。
「ところで、今日はわたしの他にお客様がいらっしゃるのですか?」
「あぁ。ジョージが来ているんだ。」
「ジョージ様が?」
リチャードの次兄・ジョージは、渡米してビジネスで成功したと、風の噂で聞いていた。
「今度、ロンドンで大きなショーをするらしい。その宣伝もかねてここへ帰って来たそうだ。」
「そうですか。」
「リチャードは、どうしている?」
「今は少し動揺しているようです。」
「無理もない。そういえば、そういえば、エリザベスが君に怒っていたぞ、縁談を潰されたと。」
「わたしには、彼女の妹は勿体無いくらいです。」
「はは、相変わらず君は嘘を吐くのが上手いな。」
エドワードは、そう言うと大声で笑った。
同じ頃、リチャードはバッキンガム公爵邸でメイドの仕事に追われていた。
「リチャード、こっちもお願いね!」
「はい。」
「ねぇ、あの子なんでしょう?」
「そうよ・・」
「まさか、あの子がねぇ・・」
「大人しい顔をして、やるわね。」
同僚のメイド達に陰口を叩かれながら、リチャードはせっせと針仕事をしていた。
そこへ、メイド長がやって来た。
「リチャード、あなたのお客様よ。」
「わたしに、ですか?」
「ええ。」
リチャードが針仕事を中断してスタフォード家の温室へと向かうと、そこにはバッキンガムの婚約者であるキャサリンが立っていた。
「キャサリン様・・」
「あなたが、まさかここでメイドをしているなんて思いもしなかったわ。」
キャサリンはそう言うと、リチャードを睨んだ。
「あなたはわたしからヘンリー様を奪おうとなさっているのでしょうけれど、わたしはあなたにはヘンリー様を渡しませんからね!」
「キャサリン様、何か誤解なさっておられるようですが、わたしは・・」
「とぼけても無駄よ!」
キャサリンはそう叫ぶと、リチャードの頬を平手で打った。
「わたしが言いたかったのはそれだけよ。」
キャサリンが温室から出て行った後も、リチャードは暫く温室に居た。
「遅かったわね。」
「申し訳ありません。」
「まぁ、いいわ。キャサリン様とヘンリー様にお茶をお出しして。」
「はい、わかりました。」
リチャードが厨房でバッキンガムとキャサリンの為に紅茶を淹れていると、そこへ一人の青年が入って来た。
「おやぁ、誰かと思ったら“ヨークの白薔薇姫”じゃないか?」
「あの、あなた様は・・」
「まぁリッチモンド様、こちらにいらっしゃったのですね。」
キャサリンはそう言った後、青年に向かって微笑んだ。
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