追って先祖代々の家名を相続し、親を大切に養育することを根本に工夫するほかはありません。そのほかはみな私欲から出て、後に必ず破れるものです。そのことをよくよく考えなさい。親や先祖を捨て置いて、自分の心のままに行ったことは、たとえば物を干すのに晴れているか雨が降っているかを計らないでやるようなもので、天地の間にいて、天地を恐れず、先祖の家にいて先祖を敬わず、み仏のおもいを失うもので、みな持ち主のあることを知らないで、また父母から預かったこのからだをもって父母に不幸をし、自分の好みにまかせ、自分の心のままに任せて、寝起きし、飲み食いし、田畑や家屋敷を動かし、わが身をわが身と思い、わが家屋敷をわがものと思うから、天理仏意に背き、不孝となるものです。そのわけは、近所隣りの財宝を自分勝手に取り計らったときは、盗みになります。だいたい天地の間に有るものはみな、それぞれ持ち主があるのだから、よく持ち主を知りたまえ。持ち主を知って掛け合いたまえ。掛け合って意のままに行いたまえ。かえすがえすも意のままに従いたまえ、従いたまえ。それ人はわが身の元を知りたまえ。わが身はわがものか。いよいよわがものであるならば、いずこの国から持参したもうたか。いつの頃、何をもって造りたもうたか。いつ口をつくって飲み食いし、味を知りたもうか。いつ手をつくって用をたし、業をしたもうか。いつ足をつくって歩き、諸国へ行き、帰りたもうか。いつ目をつくって世界万物を見たもうか。いつ耳をつくって人の善し悪し、あるいは泣き笑う声、音曲、さらに中国、インドのことまで聞き知りたもうか。いつ鼻をつくって息をはいたり吸ったり、さまざまの香りを知り分かちたもうか。作った覚えがあるか。無ければ全くわが身ではない。このようにわが身さえわがものでないならば、天地の間にあるもの、みんな天地が造化しておいたものであることを知らず、なお田畑、山林、家屋敷、めいめい先祖が丹精して子孫に伝えようとしたことだとも知らないで、生涯わが心のままに、自由自在だとするから、人と生まれて人であるかいもなく、心のままにはならないのです。右の元を知って、ご恩礼を勤めれば、直ちに我と天地と一体になって、富貴万福心のままにならないことはない。」
【47】君子は君子を友とす。(略)
の補注3