五 第二期の二 明治三十四年より三十五年に至る
○ 洋行中の鈴木君 君渡航せんとするとき、ある人その任務の重大であるから信任する通訳者の同行をすすめる者があった。君はこれに答えて、この事業に関しては予の眼識はよくその巧拙を識別し、予の頭脳はよくその良否を判断することができるから、任務についての通訳の有無のごときは論ずべき事ではない。器械の購入に至っては彼れを制する唯一の利器である財を携えるから少しも心配することを要しないと言われた。このようにして君は横浜を出航してハワイに寄港し、同地の製糖所を視察し、それよりアメリカのサンフランシスコに上陸し、シカゴ、ワシントンを経てフィラデルフィアに行き、到る所有名な精製糖所を視察し、あるいはこの業界の第一人者を歴訪した。一日ブロクリンにおいて世界第一の精製糖所を視察するとき、会社の重役及び技師等は三十余種の見本を出し、その産地及び糖分の検定を求められた、君は熟視することしばらくして、一々指摘し終り、彼らがあらかじめ器械をもって検定した表を出して対照したところ、ほとんど符節を合わせるようであったので、彼らは大いに驚嘆してその眼識の高さに敬服したという事であった。このようにして君はアメリカの視察を終り、イギリスにわたりロンドンに到着し、各地の精製糖所を視察し、また器械製作所をも巡覧し、同国内地の旅行を終り、それから欧州大陸にわたり、ドイツ・フランス二国を巡回し、同年十二月二五日ロンドンに帰着した。君はアメリカ大陸上陸以来十五旬の間、汽車汽船に在るときの外は、日として製糖所及び器械工場の巡視をしないことなく、その足跡の到らない所なく、かつ知名の実際家学者を歴訪して研究したことから、各国の長所短所得失は胸中にはっきりとした。そこで君は各国の萃をぬき華をあつめて最新式の機械を選択して完全な精糖所の設計を立案し、これに要する諸器械の購入を為すこととした。この時にあたって各地の器械業者は皆な君の旅宿に集まり、その引請をなさんとし、君にくらわすに利をもってし、希望をとげようとするに至った。君はその卑劣をしかり一物の徴といえどもこれを受けなかったので、彼らもその手段を施すこともできず、遂に君を疑って会社の代表者ではないというに至った。このようにして君は一種の器械ごとに数工場に命じて競争入札をなさしめる事と定め、彼らが最上とするものに対し、詳細な説明書を作らせ、次に代価を入札させ、これを比較しその最優等のものを選んでこれを劣等品の代償にて買う注文をなした。彼はその注文を受けるやその品質を降さんことを請うもこれを許さず。その代償を増さんと乞うもまたこれを諾せず、彼をして最低の製造費をもって契約するの止むを得ざるに至らしめ、稀有の廉価で精良の器械を購入し、翌年二月十日イギリスのサウザンズトンを出航し、シンガポールに到着し、南洋ジャワに航海し内地の調査をし、それよりサイゴンを経て香港に来たり、南シナの産糖地を調査し、更に台湾に入り、同地における糖業の実況を調査し、五月帰京する事となった。
鈴木藤三郎が今市の報徳二宮神社に報徳全… 2022年08月03日
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