1992年8月29日、イギリス・ロンドンにてサマースラム92が開催されました。アメリカ・カナダ以外での開催は史上初で、ウェンブリースタジアムに8万人も動員し、サマースラム最大の観客動員記録(2011年4月の時点)となりました。お目当てはイギリス出身のデイビーボーイ・スミス。メインはそのスミスがブレット・ハートが所持するWWEインターコンチネンタル王座に挑戦するというシチュエーションです。レッスルマニア8に続き世界王座がメインに外れるという状況がエース不在を物語っていますがこの大会後方向が示されることになります。
第1試合はリージョン・オブ・ドゥーム(アニマル&ホーク)VSマネーインク(”ミリオンダラーマン”テッド・デビアス&IRS)。第2試合はネイルズVSバージル。第3試合は”ボーイトーイ”ショーン・マイケルズVS”ザ・モデル”リック・マーテル。第4試合はナチュラル・ディザスターズ(アースクエイク&タイフーン)VSビバリー・ブラザース(ブレイク&ボウ)のWWE世界タッグ王座戦。第5試合はクラッシュVSリーポマン。第6試合は”マッチョマン”ランディ・サベージVSアルティメット・ウォリアーのWWE世界王座戦。第7試合はジ・アンダーテイカーVSキマラ。そしてメインはブレット”ヒットマン”ハートVS!ブリティッシュ・ブルドッグ”デイビーボーイ・スミスのWWEインターコンチネンタル王座戦。
まずは第1試合から。いきなり大物同士が激突します。レッスルマニア8では低迷状態だったウォリアーズのテコ入れとしてマネージャーだったポール・エラリングが復帰し盛り返すかと思われましたが、結局ホークの調子は上がらずこの試合を最後にホークはWWEを離脱。アニマルも負傷が原因で離脱し、ウォリアーズは解散となりました。ちなみにその後ホークは佐々木健介とチームを結成しヘルレイザースとして新日本プロレスで活躍。そして1996年再びウォリアーズを再結成しました。第2試合はネイルズの独壇場でした。刑務所の囚人というキャラでビッグ・ボスマンのライバルとして登場しました。第3試合はショーンのマネージャーであるシェリー・マーテルがリック・マーテルとあやしい関係になっている?というシチュエーションでの試合となりました。嘗てのAWA世界王者(マーテル)と若手タッグチーム(ショーン)の戦いですがヒール同士だったので観客としては応援し難い試合でした。この時点ではショーンやや停滞気味だったかな。
第4試合のWWE世界タッグ王座戦ですが、ビバリー・ブラザースは末期のAWAで活躍していたチームで、レッスルマニア8ではダークマッチで参加していました。レスラーとしてのバランスは悪くはありませんが、WWEで活躍するにはキャラが弱かったかな。第5試合は元デモリッションのメンバーだったクラッシュがハルク・ホーガンっぽいキャラにイメチェンしての登場となりました。でも所詮ホーガンを超えるどころか域に達するまでにはいきませんでしたが。
レッスルマニア8に続きメインから外されたWWE世界王座戦ですが、カードとしてはレッスルマニア7での再戦だけにメインに劣らぬ注目カードではありました。しかしレッスルマニア7の再来とはなりませんでした。サベージの気持ちがどん底まで沈んでいたからです。マネージャーで実生活での妻であるエリザベスとの離婚問題がサベージを打ちのめしていたからです。ウォリアーが試合を作れるタイプではないのでサベージがリードすべきところが、全く出来ず苦肉の策として出場予定のなかったリック・フレアーとカート・ヘニングが乱入して試合を盛り上げようとしましたが、結局グダグダな状態で試合が終わりました。そして9月1日サベージはフレアーに敗れWWE世界王座を失いました。第7試合ですが、テイカー実はこれがサマースラム初登場で霊柩車に乗っての登場というらしい演出が加わりました。ただ試合はテイカーはともかくキマラが…。
それではメインです。リングサイドの席にはスミスの妻であるダイアナが座っていました。ダイアナはブレットの妹で義兄弟同士の対戦となりました。スミスの入場はこの大会最大の盛り上がりでした。スミスにとっては地元での凱旋を飾りたいだけに気合十分でした。ブレットにとってもこの試合は重要でした。WWEで初のメイン登場。真価を問われることは間違いありません。試合はブレットのペースで進行。パワーではスミスですが、テクニック、センスではブレットのほうが遥かに上です。それでも最後はスミスがどうにかブレットを抑えて勝利。試合後ダイアナも加わり2人は健闘を称えあうというシーンで終わりました。
敗れたものの、ブレットは見事にメインの試合をこなし高評価を得ました。これによりブレットはインタコンチから世界王座獲得へという道が開かれました。ここからブレットとショーンの時代へのプロローグとなりました。