ジョナサンズ・ウェイク

ジョナサンズ・ウェイク

もっとも危険な読書(高橋源一郎)



高校の当時、ぼくはジョイス(『ユリシーズ』で有名)の『フィネガンズウェイク』という二十世紀最期の文学的事件のような小説を読んでいたのだが、あまりにも難解で理解不能だったので、古本屋で『ジェイムス・ジョイスを読んだ猫(高橋源一郎)』というタイトルのエッセイを見つけたときは、(よっしゃ、これで『フィネガン』を読み解く鍵を見つけたぞ)と、釣り針に付いた餌に飛びつく哀れな魚の如く、それに飛びついたのだった。
哀れというのは、それ以上に不可解な小説と出会うキッカケとなったからだ。それがタカハシ作品群である。それからは『虹の彼方に』『ジョン・レノン対火星人』『ペンギン村に日は落ちて』『ゴースト・バスターズ』・・・と、彼の書いた絶版本を探し当てては、夢中になって読み進めていった。何だこのダム決壊のようなパラノイアじみた文章の洪水は? しかし面白いぞ、とグングン読み進めた。

小説は理解不能でもエッセイは違った。特にエッセイを読みながら驚いたのは高橋氏の読書の量だ。もうひたすら怒涛のように読んでいる。
例えば旅行先では、
「空港へ到着したら、当然本を読むのである。クアンタンに着いたら、もう11時なので、疲れたから本を読むのである。地中海クラブへ行く送迎バスの中は真っ暗で、おまけにガンガン音が鳴り響く以上、本を読むのである。クラブへ着いたら、花火で歓迎されてもう大変だから本を読むのである。あとは寝るだけなのでパジャマに着替える元気もなくベッドの中に倒れこんで本を読むのである。朝起きると、本を読みすぎて朝食の時間が過ぎてしまっていることに気づき頭に来て本を読むのである。・・・(『ジェイムズジョイスを読んだ猫』より)」

そんな読書好きのタカハシさんが書いた書評コラム集が、本作である。
他の読書エッセイ『平凡王』や『いざとなれば本くらい読むわよ!』よりもわかりやすく、馴染みやすかった。
読みながら思った。これだけの本が読めたらいいな、と。
読み終えて思った。彼のような「読み手」になりたい、と。

もっとも危険な読書。それは今まさに始まろうとしている。

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