「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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その2
弁護士抜きの債権者集会
倒産してからの債権者集会には弁護士さんが付き物らしい。
確かに冷静に物事を見れる立場の弁護士さんは、利害の対立する関係者が一堂に集まる債権者集会には必要かもしれない。
私も最初は知り合いの弁護士さんのところへ行った。
話しているうちに、当たり前のことだが費用がかかるということになった。
頭が混乱している時には、こんなことさえも思いつかないのだ。
任意整理ならこの金額、自己破産ならこの金額と提示されたが、けっこう派手に事業を広げて、負債も大きく膨らんでいる状況で、こちらの金額も馬鹿にならない。
すこしでも債権者への配当を確保するには断るしかなかった。
もちろん手元にわずかの現金さえも残っていなかったのが最大の理由だ。
それでも一般的な債権者集会の進め方を教えてもらい、『債権・債務一覧表』や『倒産に至る経緯について』などをまとめた。
債権者集会では、やはりなぜ弁護士さんを同席させないのかとの疑問が出たが、経費の話を説明すると、こころよく同意してくれた。
さらに、それならば集会議長も事情をよく知っている高石書房の役員でやりなさいと言ってもらえた。
その後、他社の債権者集会へ出向くことも増えたが、このような例にはお目にかからない。
集会で再建に反対した人も、
「事業を継続するために親の家まで手放すのはおかしい。お父さんの自宅を確保するのが先だ。そのような親不孝には協力できない」
と私たちのゆく末を案じての意見も多かった。
その後、一部債権者からの告訴もあり、裁判所へ出頭することが何度もあったが、二度を除いて一人だけで出頭した。
それぞれの裁判官も最初は不思議そうに「なぜ弁護士に頼まないのか」と質問するが、たとえわずかの金額でも事業継続のために使いたいと説明すると、好意的に受けとめてくれた。
二度だけは知り合いの弁護士さんの世話になった。
答弁書の書き方がわからなくて困っていたのだが、たまたま以前に知り合ったことのあるご夫婦の弁護士さんが送ってくれた年賀状が机の上にあったのだ。
何とか書き方だけでも教えてもらおうと電話を入れたのだが、奥さんのほうの弁護士さんが電話に出て、すぐに来なさいという。
費用を払えませんというと、「それどころじゃないでしょう。ともかく来なさい」と一喝された。
事務所へ出向くと、私は忙しいからご主人(の弁護士さん)が担当するという。
やり方さえ教えてもらえればとは言ったのだが、結局すべてをお願いすることになってしまった。
いまだに弁護士費用は払っていないし、その後、自分のこと以外の倒産事件でもたびたびお世話になっている。
一度など、昼頃に法廷が終わって表に出ると、食事をしましょうと誘われた。
財布の中身が百円玉二個しか入っていないので、その話をするとご馳走しますよと日比谷公園の松本楼へ連れて行かれた。
食事が終わると、「はいこれ、少しは持っていないと」。
一万円札を手渡そうとする。さすがにそれだけは固持した。
今は、せめて飲み代ぐらい、絶対こちらで払うぞと心に決めているのだが、飲みに行くと全部ご馳走になってしまう。
どちらが依頼人か本当にわからない。
倒産、そしてラストチャンス
私にとっては、高石書房の二度の不渡りによる銀行取引き停止が、ある意味で、自分を取り戻すチャンスとなった。
不渡りの原因は取引き先の倒産による連鎖であり、債権者の方たちからは私が不渡りを出して迷惑をかけたにもかかわらず同情の言葉さえもらった。
しかし私は、自社の倒産の原因を、取引き先の倒産による連鎖倒産だなどと思ってはいない。事実そうではなかった。
またそのように自分を誤魔化してしまえば、債権者の人たちに対しても無責任であり、自分に対しても甘過ぎる。
本当の倒産の原因は、無謀にも事業拡大に突っ走り、日本型ともいえる借入れ金依存型経営に陥ったことにある。
その必然の結果として、借入れ金も膨らみ、資金繰りに追われる日々を迎え、当然のごとく信用不安のある取引き先にも販路を広げて、これまた当然のように回収不能に陥ったに過ぎない。
もう一つ恥を忍んで告白すると、その後一年ほどで、私の経営していたもう一つの会社『高石企画』を倒産させてしまった。
一刻も早く本体である高石書房を立て直したいと焦ったのが原因である。
事業継続のための糧として商品仕入れに子会社を使い、この程度ならいいだろうと甘さを残したまま事業を続けた結果である。
商品仕入れのための買掛け金も、借金と何ら変わりがない。
周りの債権者が同情的だったことに甘えた結果が、再び倒産を招く原因となった。
当時の関係者の叱責を覚悟の上で告白すると、金持ちは金を貸さない。
安定した企業ほど不安定な企業と付き合わないのだ。
『類は友を呼ぶ』のたとえどおり、青息吐息で事業再建に努力していた私に、再び仕事で協力してくれた企業は、小さなところが多かった。
力がないのに無理をして協力してくれるものだから、その会社の資金繰りも悪化する。
せめて手形でもあれば助かるのだがと泣き付かれれば、その原因が自分だけに断れなくなる。
焦るものだから、仕事のほうも失敗続きだった。
弱り目に祟り目で、ジタバタと喘いでいると、うろんな人物も寄ってくる。
この時期の失敗談だけで本一冊にもなりそうだ。
今度こそ百パーセント自分の責任だと自覚した。
この時、今でこそ言えるが、まず最初に頭に浮かんだのが自分の生命保険のことだった。
ほかには責任の取り方が思いつかなかった。
しかし、何の言葉も交わさなかったが、女房や子供の顔を見た瞬間、そんなことなどすっかり忘れてしまった。
親切すぎるサギ師たち
焦りは禁物と言うけれど、高石書房の倒産からもう一つの高石企画の倒産までのほぼ一年間の失敗を思い出すと、自分でも「なんであの時?」と思うようなことを次々としでかしている。
精神的にも完全に不安定になっていたのだろう。
予想もしていなかった差押えが入って、入金がすべてストップするなどのアクシデントもあったのだが、それ以上に失敗が相次いだ。
「大変ですね。でも社長なら立ち直れるよ。及ばずながら協力させて頂きますよ」
と、近寄ってきた人たちがいる。
「社長は営業力もあるんだから、商品は私が引っ張ってきますよ」
前述のA理工の紹介が多かった。
A理工の元社長から、「迷惑をかけた穴埋めに」とビデオ業者を次々と紹介された。
あまり売れそうもない商品だ、とは思うもののほかに売る商品を仕入れる力もない。
徐々に彼らからの仕入れ商品が増えてきた。
そのうちに、
「こんどの商品は売れセンだよ。でも手形でも切ってもらわないと仕入れがきつい」
と言い始めた。
「不渡りを出したのだから、そんなの無いよ」
と言っても、
「高石書房は無理でも、俺の方で高石企画の当座が開設できるようにしてあげるよ。すぐ手形帳も出させるから」
と手際が良い。
倒産した会社の関連会社が、それも代表者が同じで、一年も経っていないのに、そんなこと出来るのかと思っているうちに、H信用金庫から電話がかかってきた。
「ご用意してありますので、必要書類を持って来てください」
キツネにつままれたような気分だが、商品仕入れのためにはやむを得ないだろうと当座を開設した。
最初に引っかかったのは、P社というところだった。
私の事務所へ来る時は、いかにも高そうな紀ノ国屋の包装紙に包まれた大粒のイチゴを持って現われた。
「いやあ、皆さんご苦労様です。頑張りましょうね」
ニコニコしながらみんなに挨拶していたのだが、何度かの取引きの後、仕入れ代金の内金として渡した百九十万円の手形を持ったまま消えてしまった。
自宅を突き止め、東大和というところまで尋ねて行ったのだが、奥さんが、むずかる赤ん坊を抱いて現われた。
「またうちの人が何かやったのでしょうか。毎日、街金の人が尋ねて来るものだから、あの人、家に寄りつかないんです。一日に一度は電話はかかってくるのですが」
赤ん坊の泣き声を背に、立ち去るしかなかった。
奥さんには「いえ、近くへ来たものですから、居るかなと思って立ち寄っただけです」としか言いようがなかった。
次に引っかかった件は、本当に腹立たしかった。
売上げ伝票を見ていて気がついたのだが、スキー関係の二点のビデオの返品が異常に多い。
出版流通ルートでは委託販売が基本なので返品は避けられないのだが、それにしても余りにも多すぎる。
なんと返品率が六百パーセントにもなっている。
いくら何でもそんな馬鹿げたことが起こるわけがない。
五百本ほどしか出荷していないのに三千本近い返品が返ってきたのだ。
倉庫へ出向いて商品をチェックすると、ビデオジャケットの色がわずかに違う。
海賊版だった。
手立てをつくして販売していたところを付き止めた。
全国でも一、二を争う大手のコンビニエンスストアで売られていたのだ。
コンビニエンスストアの本部へ出向き、抗議と事情徴収をおこなったのだが、
「うちは雑貨の卸問屋から仕入れたので一切責任がない。契約書もこのように整っている」
次に卸問屋へ訪ねて行くと、コンビニエンスストアと同じような答えが返ってきた。
しかし、そこで見せられた契約書の署名を見てショックを受けた。
なんと私の会社の倒産の原因となった、前述のA理工の元社長の名前がそこにあったのだ。
本人に連絡すると、
「アレ、ばれた? ゴメン、金が無くってサア。でも儲かったら、社長のところへ版権使用料をもっていこうと思ってたんだ」
あっけらかんとしたものだ。
返品の分はほかの売上げと相殺されるので、結局一千万円近い損害を被ってしまった。
「損害の分だけでも穴埋めしてくれ」と言い続けたが、いまだにそのままになっている。
ほかにも金額はそれほど大きくはないのだが、情けなくなるほど引っかかった。
そのような『サギ師たち』に共通していることだが、最初はダマす気はない。
あるいは、自分は相手のために良かれと思って仕事を紹介しているのだと、まず自分に言い聞かせてから話を振ってくる。
誰しも「ダマそう」として寄ってくる人間には、態度にそれとはなしに表れるので、警戒心が働く。
生まれつきのサギ師、天才的なサギ師は、自分をダマしてから近寄ってくる。
その上で、最後になってからドンデン返しとなる。
「ゴメン。仕方なかったんだ」という言い訳を何度聞かされたことか。
「ダマすなら、アブク銭を持っている相手から取れよ」と言いたくもなるが、ハゲタカと同じで、弱っている人間の匂いを嗅ぎ付けて寄ってくる。
ダマし盗られた分を取り返そうとすると、また引っかかる。
焦って、心に隙間を作ることほど危険なことはない。
今では、取り返すことを考えるより、彼らには近づかないようにしている。
わざわざエサを、キツネの口の近くまで持っていくこともないだろう。
先払いの香典、三頁だけの校正仕事
ひょんな出会いから、長い付き合いとなることが多い。
私は出版の仕事を、天職とまでは思っていないが、出版業を続けていると、次々と多くの人に出会えるので、他の職業に就こうなどと思ったことがない。
そのような人たちに、大した付き合いでもなく、大した世話をした覚えもないのに、地獄の底で助けられた。
友達を失いたくなかった。
でも金がない。
返せるあてもないのに借金は出来ない。
ないない尽くしのそんな時に、私のことを心配して電話がかかってくる。
「貸してくれ」などとは死んでも言えない。
「金をくれ」と言うべきなんだろうが言葉が出ない。
「悪い、俺の香典を前払いしてくれ」
冗談めかして言ってみた。
翌日、通帳を確かめて見ると入金されている。
これじゃ多過ぎると電話を入れたが、先方は「そうか、そうか」と笑っているだけだ。
本当に有難かった。
「よし、お前の葬儀委員長は俺がやってやる。香典もはずんでやるからさ」
例によって冗談で誤魔化すしかなかった。
こんなこともあった。
倒産の何カ月か前、知り合いの編集プロダクションの社長に偶然会った。
「売れる商品がなくて困っている」
「それじゃ、僕の原稿を本にしてみませんか」
すでに彼の名前で大手の出版社から何点もの本が出されて、どれもこれも売れていた。
それでなくても売れっ子の出版プロデューサーとして名前が知られているのだ。
当然飛びついた。
今、草の根のようなB級の編集者が面白い。
そんなことを書いた『B級編集者入門』という本を出そうと言うのだ。
しばらくして、その原稿を預かったのだが、ちょうどその頃に倒産前のドタバタが始まった。
私の会社の女子編集者に任せはしたのだが、彼女だってそれどころではない。
いつ職を失うかわからない状況なのだ。
原稿用紙二、三枚に朱を入れただけで棚の上に乗っかったままになってしまった。
新刊を出せる目途も立たない。このままではマズイと、原稿を返しに行った。
二、三日して電話がかかってきた。
校正料を払うと言う。
そんな、何にもしていないのにと言ったのだが、たとえ二、三枚といえど赤字を入れてもらったのだからと先方も引かない。
結局「無理しないでよね」と引き下がったのだが、数日後、信じられないような校正料が振り込まれていた。
こんなこともあった。
志賀高原や蔵王のスキースクールやテニススクールを運営する会社の社長でMさんという人がいる。
不思議なキャラクターを持つ人で、頭も切れるが口八丁手八丁でいつも圧倒されている。
彼の会社の仕事の一環として何冊か本を書いてもらっていた。
支払いをズルズル延ばしていたので、倒産時には印税など三百万円以上の債務が溜まっていた。
その社長に呼び出された。恐縮しながら訪ねて行くと、喫茶店へ連れ出された。
「僕のこれから話すことに、絶対ダメとは言わないでよネ」
と前置きして、
「僕からの提案は三つある。一つ目はウチがお宅への売掛債権を放棄することに異議を申し立てないこと。二つ目は今ウチで仕掛かっている本が出せるなら、印税はお宅の会社に再建資金としてカンパさせてもらうこと。最後の三つ目は、もし夜逃げするなら、家族揃って僕の紹介するところへ行くこと」
「本当にいいんですか?」
「ウチの会社が出版などの仕事を始めるようになったのも高石さんのおかげだと思っている」
三つ目の提案の夜逃げだけはお断りしたが、債権放棄と新刊の印税をカンパしてもらうことについては、好意に甘えさせてもらった。
さらば昨日の友よ。借金が世間を狭くした
今にして思えば、何であの時にと後悔することが実に多い。
その中で一番後悔しているのが知人からの借金のことだ。
資金繰りがドタバタしてくると、背に腹は代えられないと手当たり次第に借金に走る。
特に緊急を要するような資金手当ては、手続きの面倒な金融機関では間に合わない。
おのずから取引き先や知人からの借金が増えてくる。
友人に対しては、俺が大変なことをわかってくれるだろうとの甘えがあるせいか、返せるメドもハッキリしていないのに、「ちょっとの間だけ」と頼むことも増えてくる。
ただし、世の中不思議なことに、自分では友人だと思っていても、相手は単なる知り合い程度にしか思っていないことも多い。
普通の時はそれでも何の問題もないが、事件が起きるとそうではなくなるのだ。
こちらも資金繰りが苦しい時は、見境がなくなっているので、相手の事情や思惑も考えずに飛び込んでしまう。
一番困った例は、相手が小遣い欲しさの金利稼ぎのために融通してくれた場合だ。
その時は友達だから無理も聞いてくれたんだと思っていた。
しかし、倒産した直後に「すぐ返せ」と言ってきた。
もちろん約束の期限は過ぎているので先方の言うことはもっともな話なのだが。
「友達なんだから待ってくれ」と言っても、逆に、「友達なんだから、俺の分を先に返せ」
「俺が逃げるような男でないことは良く知っているだろう、必ず返すから」と言っても収まらない。
何度もスッタモンダの末、ようやく分割で納得してもらったが、今度は金利をアップしてきた。
クレジット会社のカードローンでもこの程度の金利が付いていると言う。
「今は株や土地が下がっているから買い時だ。あんたのお陰で損をした」
「やっぱりまとめて払ってくれ、家を買い換える」
などなど。次から次へと揺さぶりを掛けてくる。
率直な話、街金よりもすさまじい。
友達なんだからわかってくれるだろうと、自分勝手に思い込んだための失敗だった。
もう一つの例は国民金融公庫の保証人を頼んだ相手のことだ。
こちらでは気にもしていなかったのだが、奥さんに内緒だったらしい。
倒産したことによってバレてしまった。
奥さんが、せっぱづまった口調で、電話で怒鳴り込んできた。
今すぐ国民金融公庫の分を全額返済するか、保証人を外せと言う。
今さらすぐにはそんなことは出来ない。
一応は謝るしかないので、謝った上で、国民金融公庫のほうへは間違いなく返済しますので待ってくださいとお願いした。
待てない、だいたいこのような時は、みんな街金などに手を出しているから、収拾がつかなくて保証人のほうへ請求が回ってくるという。
私は、街金やサラ金などには一切手を出していないし、必ず返しますというのだが、そんなはずはない、知り合いの弁護士さんに聞いても、会社が倒産する時は、必ず変なところへ手を出しているはずだ、と言われたという。
翌日、夫婦で会社に現われた。私の知り合いのご主人のほうは小さくなっている。
同じ話の繰り返しと、過去に兄弟の保証人になってひどい目に合った、保証人には絶対になるなと主人に言っていたのにとの繰り返しが延々と続いた。
相手も興奮しすぎたのだろう。
「社員に払う給料を回せ」とまで言い出した。
ついに私のほうも我慢できずに、
「冗談じゃない。社員の給料も遅配になっているが、あんたにそこまで言われるスジ合いはない。社員の給料は後回しなんて、そんな馬鹿な話があるか。俺は間違いなく払うと言っているんだから帰ってくれ」
言わずもがなのことまで口走って、追い出してしまった。
その後、彼に保証人になってもらっていた金融公庫の返済も無事済ませて、結果として迷惑をかけないで済んだのだが、倒産する前には仕事でも彼に世話になっていた。
あんなことがなければ、今でも友達として付き合っていられたのにと、苦い後悔が残っている。
もう一件あった。
これは倒産後五年ほど経ってからの話だ。
やはり倒産前に無理を言って借りていた借金の話だ。
借りた時はその相手も、ちょうどそれまで働いていた会社の退職金も入り、友人と事業を始めて間もなくだったので、貯金も残っていたようだ。
快く虎の子を貸してくれた。
その後、友達と始めた会社も辞め、徐々に金もなくなって来た。
その状況も良くわかるのだが、こちらも金がない。
すこし返してはまた返済が滞る。
彼も人がいいものだから直接請求できない。
やがて、しびれを切らして裁判所へ持ち込んだ。
分割返済で和解はしたものの、やはり資金繰りは苦しい。
今でも遅れてはまた支払うような状況を繰り返している。
それでも彼には冷たいようだが借金してまで彼の分を支払おうという気持ちはない。
借金を返済するのに借金をしていては、それこそ彼に最後まで返済することが出来なくなると思うからだ。
たぶん自分がこんなに苦しんでいるのにと恨まれているとは思うが、今は頑固なまでに決めたことを守らざるを得ない。
まだほかにも個人的な借金がいっぱい残っている。
顔を会わせるたびに「ゴメン、もうちょっと待って」とは言うのだが、なかなか返済できないでいる。
不況続きで、みんな大変な状況を抱えているのに、いまだに返せない自分が恨めしい。
借りたものは返す。
この当たり前のことが、なかなか出来なくなるのが事業経営なのかも知れない。
それでも最後には帳尻を合わせたいものだ。
悪友あり、「おっちゃん。仕事頼むで」
年老いた両親が大阪のビル街のど真ん中に住み始めた直後だった。
その場所に住まわせることに決めたのも、そのすぐ近くに私の小学校時代からの悪友が事務所を構えていたので、何か事故があっても頼めるとの安心感からだった。
私は自分のことに追われ、大阪へ出向く機会もどんどん減っていた。
そのうちに親父から電話がかかってきた。
「勝ちゃん(私の友人)、昨日来たで。堺の魚市へ行ったんやて。タコを持って来てくれたんやけど、そのままにしてたら朝起きたら台所を這いずり回ってたわ」
嬉しそうに話している。その声を聞くだけでホッと安心する。
そのうちに、「勝ちゃんから仕事を頼まれたわ。手伝ったろ思てんね」と言って来た。
彼はテレフォンサービスの会社をやっている。
その世界では大手に入るそうで大したものだ。
その彼がやっている仕事の中に、大手新聞社の夜間や休日の電話受けがある。
朝までに受けた電話のメモを本社まで届ける仕事だという。
彼の事務所からその新聞社のある肥後橋まで、雨さえ降らなければ中島公園の緑のトンネルをトコトコと歩いて行けば、年寄りの足でも二、三十分もかからない。
時給も交通費の分を足して二千円だという。
大阪市の無料パスがあるので雨の日だって交通費はかからないのだが、ほかの人に頼めば交通費がかかるんだから気にするなという。
さすがにここ一、二年は足腰もすっかり弱ってしまったので、その仕事も辞めたが、新聞社に出入りするための写真の入った社員証みたいなものを胸にぶら下げて、毎日通っていた。
「ワシみたいな年寄りは、ほかには一人もいいひん」
チョッピリ誇らしげでもあった。
その時は、ファックスもあるはずだし、パソコン通信でも十分なはずだ。
今どきわざわざ毎日報告書を手渡すなんて、そんな話もあるのかと、あまり気にもしていなかったが、すこし気持ちの余裕が出てくると、「アレッ、あいつ考えたな」と気がついて胸が熱くなった。
そう言えば、「年寄りは、家にこもってしまうんが、一番良くないんやで」と言っていたっけ。
若葉マークの暴走
《若過ぎた!》
言い訳のようだが、最大の失敗の要因がここにあったのではないかと、最近になってつくづく思う。
独立したのが三十代の終わりの頃で、自分なら出来るはずだと自惚れていた。
売上も数字上だけは急成長を続けた。
「若いのに大したもんですね」などと言われて有頂天になっていたこともある。
それぞれ、その道の大家の先生たちから、「社長」「社長」と呼ばれると、それだけで自分が一回り大きくなったような幻想を抱いていた。
四十代半ばに、高石書房をいったん倒産させた後でさえも、
「若いんだし、あなたならきっと立ち直れるよ」
「出版業界で、あんたに出来ないことは、誰がやっても出来ないことだよ」
すっかりその気になり、同じ間違いを繰り返してしまった。
若さゆえに出た最大の弱点が『甘え』であったように思う。
もう一つが、自分の力に対する『過信』だ。
体力も気力も、それなりにあるものだから、突発的な障害に対してもウルトラCを連発して、乗り越えることが出来た。
しかしそれも今振り返ってみると、ただ単に運が良かったとしか言いようのないことのほうが多かった。
すべてが誤った自信につながり、『勇気』と『無謀』の間を、彷徨っていたように思う。
四十代のさまざまな失敗が、今の自分の肥やしになっていることも事実だが、そのために周りの人に迷惑をかけたのでは、あまりにも自分勝手過ぎると後悔している。
経営するということは、失敗を許されないことだと思う。
経営上の失敗は、後でうまく行ったからといっても、それぞれの企業が生き残るために全知全能を傾けている中で、取引き先へ計り知れない迷惑をかける。
到底、許されないことだと思う。
毛利元就も、北條早雲も一国一城の主になったのは、五十歳を過ぎてからだそうだ。
あの時代の五十歳は今の七十歳、八十歳に相当する。
彼らの城主になってからの堅実な領国経営と、その後の頒土の拡大は目を見張るものがある。
着実そのものだ。
自らをも冷静に分析出来ることが、トップに立つものの欠かせぬ資質のように考えられる。
自らを冷静に見れない人間が、人を使ったり、取引き先と付き合ったり出来るわけがない。
若くして藩政を立て直した上杉鷹山のような人もいるが、例外中の例外と思う必要があるだろう。
パソコン関連などのベンチャービジネスでは、若くして活躍している人も多いが、この十年ほどだけを振り返って見ても、いったんは華々しく登場しても、いつのまにか居なくなったり、会社は大きくしたものの失脚してしまった人も多い。
ヒラメキや才能は、ベンチャービジネスには欠かせぬものだが、やはりそれだけでは事業は維持できない。
最後には経営者としての、実行力と判断力、そして冷徹なまでのビジネスに対する視点が求められているように思う。
自動車保険にも年齢限定割引きがあるように、冷静な判断力を持つ年齢になってから経営をおこなうことも大切な要素なのではないだろうか。
同じくクルマに例えれば、事業を始めて五年間は、『若葉マーク』だ。
私はその『若葉マーク』の最初の段階で、はやる気持ちを抑え切れなくて、制御不能の暴走状態に陥った。
足場を固めるまでは慎重運転が肝要である。
第二章へとつづく
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