一番好きな選手

ヨハン・クライフ(Johan Cruyff)
クライフ
☆ニックネーム: ヨハン(Johan)、フライング・ダッチマン
☆国籍: オランダ
☆ポジション: MF/FW
☆生年月日: 1947年4月25日
☆代表デビュー: 1966年9月7日(ハンガリー戦)
☆出身地: ヘームステーデ(アムステルダム)
☆代表歴: 48試合/33得点
☆身長/体重: 176cm/67kg
☆W杯出場: 1974年(準優勝/7試合/33得点)

★選手(クラブ)キャリアとタイトル

☆1964~1973 アヤックス
オランダ・リーグ優勝 (65-66, 66-67, 67-68, 68-69, 71-72, 72-73)
オランダ・カップ優勝 (66-67, 68-69, 69-70, 71-72)
オランダ・リーグ得点王 (66-67, 71-72)
欧州チャンピオンズカップ優勝 (69-70, 71-72, 72-73)
欧州年間最優秀選手 (70-71, 72-73)

☆1973~1978 バルセロナ スペイン・リーグ優勝 (73-74)
スペイン・カップ優勝 (77-78)
欧州年間最優秀選手 (73-74)
ワールドカップ準優勝 (オランダ代表:74年)

☆1979 LAアズテックス

☆1980~1981 ワシントン・ディプロマッツ

☆1982~1983 レバンテ

☆1982~1983 アヤックス
オランダ・リーグ優勝 (81-82, 82-83)
オランダ・カップ優勝 (82-83)

☆1983~1984 フェイエノールト
オランダ・リーグ優勝 (83-84)
オランダ・カップ優勝 (83-84)

★監督キャリアとタイトル

☆1985~1988 アヤックス
オランダ・カップ優勝 (85-86, 86-87)
欧州カップ・ウィナーズカップ優勝 (86-87)

☆1988~1996 バルセロナ
スペイン・リーグ優勝 (90-91, 91-92, 92-93, 93-94)
スペイン・カップ優勝 (89-90)
欧州チャンピオンズカップ優勝 (91-92)
欧州カップ・ウィナーズカップ優勝 (88-89)
欧州スーパーカップ優勝 (1992)

ヨハン・クライフ「美しく勝利せよ」( 著者: フリーツ・バーランド / ヘンク・ファン・ドープ ...

1947年4月25日にオランダのアムステルダムに生まれる。
幼いうちに父を失い、母親が名門アヤックスのスタジアムで働くようになり、
クライフはボールと遊ぶようになった。
やがて、草サッカーで「ヨハン坊やのチームがまた勝った」と大人の話題になる。

15歳でアヤックスと契約し、17歳で一軍にデビュー。
次のシーズンにリーグ得点王、19歳でオランダ代表入り。
CFながら背番号「9」ではなく「14」を付け、
後方に下がってボールを受ける「ロービングCF」。
攻めの基本となり、パスで相手を崩し、ドリブルで守備を切り裂いた。

1965年、リヌス・ミルケス(Rinus Michels)がアヤックス監督に就任し、
その後の欧州チャンピオンズカップでは1967年にベスト8、
1969年に準優勝となり、1971~73年には3連覇を達成する。
1973年、リヌス・ミルケス(Rinus Michels)監督と共にバルセロナへ移籍し、
前年17位と低迷していたチームを 国内リーグ優勝に導き
「エル・サルバドール(救世主)」と称賛された。
クライフ自身は、71年と73年に欧州最優秀選手賞(バロンドール)を受賞。

1974年W杯では、主将としてチームを引っ張り、決勝まで進むが、
「皇帝」ベッケンバウアー擁するドイツ代表に敗れて準優勝に終わる。
しかし、完成されたトータルフットボールは世界を興奮させ、
クライフ自身は3度目のバロンドールを受賞。
1978年、代表引退と共に現役を一時引退するが、
その後カムバックして北米サッカーリーグやオランダリーグでプレイした。
そして37歳で現役を引退。

トータルフットボールの具現者であり、
常に近代フットボールを牽引してきた “空飛ぶオランダ人”は、
オランダ代表のオレンジ色のユニホームと
背番号「14」を一躍有名にした張本人である。


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