じゃくの音楽日記帳

じゃくの音楽日記帳

2024.01.27
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興味深いことに、マーラー10番の当該箇所も、同じA→G を3回繰り返しているのです!下の図をご覧ください。10番クック版第3稿の最終楽章第26小節からの楽譜です。クックが補筆したスコアではなく、その下に示されているマーラーの4段の自筆譜(パーティセル)を浄書した部分です。上段に、 Hor に導かれて Fl の旋律が始まる様子が示されています。

Associated Music Publishers, Inc. and Faber Music Ltd. 1989, AMP-7001, F0273 p.123  )


「AーGーーーー、AーGーーーー、AーGーーーー」の3回繰り返しです。
ここまでそっくりとなると、まさかシュレーカーがマーラー10番を引用したのだろうか、という疑問が湧いてきます。

〇時系列で確認すると、
1910年 マーラーが10番を作曲
1911年 10番未完のままマーラー没。アルマは自筆譜の整理を託される。
1913年 シュレーカー「あるドラマへの前奏曲」を作曲
1914年 同 初演(ウィーン)
1918年 シュレーカー オペラ「烙印を押された人々」初演(フランクフルト)
1923年 アルマがクルシェネクに10番の自筆譜を見せ、クルシェネクが補筆する。

となります。シュレーカーはマーラーより18歳年下で、マーラーが没した1911年には33歳頃です。シュレーカーはもしかしてマーラー10番の自筆草稿譜を見せてもらったのだろうか、という可能性を考えてみましたが、自筆譜には、アルマとの愛に苦悩するマーラーが心情を吐露した言葉が書きこまれているわけです。そんなものを生前のマーラーが他の誰かに見せたということは、ちょっと考えにくいです。アルマもまたマーラーの死後に、自筆譜を他人には軽々しく見せたくなかっただろうと思います。後にアルマは、ようやく1923年にクルシェネクに自筆譜を見せ、そこから10番補筆の歴史が始まることになりますが、それよりずっと早い1913年頃までに、アルマがシュレーカーに自筆譜を見せたということは、非常に考えにくいです。

となると、偶然の一致?あるいは、マーラーに先行する誰かの曲にこういう音型があって、マーラーもシュレーカーもそれに影響を受けていたのかもしれません。だとすれば最右翼はワーグナーでしょうか?でもワーグナーの音楽で、短7度上昇音型で始まる重要な動機あるいはメロディは、ちょっと思いあたりません。

少し話がそれますが、コルンゴルトのオペラ「死の都」にも短7度上昇音型が3回繰り返されるところがあります。第2幕への前奏曲の途中です。この曲のこの部分を初めて聴いた時にも僕は結構驚いて、コルンゴルトはマーラーの10番の自筆譜を見たのだろうかとも考えたものです。しかしコルンゴルト(マーラーより37歳年下で、マーラーが没したときには14歳)が、やはり最晩年のマーラーあるいはアルマから自筆草稿譜を見せてもらったということは、かなり考えにくいです。では偶然の一致なのだろうか、とかねてから疑問に思っていたのですが、今回シュレーカーの曲を聴いて、新たな可能性に気が付きました。

〇コルンゴルトを入れてもう一度時系列で並べてみると、
1910年 マーラーが10番を作曲
1911年 10番未完のままマーラー没。アルマは自筆譜の整理を託される。
1913年 シュレーカー、「あるドラマへの前奏曲」作曲
1914年 同 初演(ウィーン)
1916~1920年 コルンゴルト、オペラ「死の都」作曲
1918年 シュレーカー、オペラ「烙印を押された人々」初演(フランクフルト)
1923年 アルマがクルシェネクに10番の自筆譜を見せ、クルシェネクが補筆する。

したがってコルンゴルトは、シュレーカーの前奏曲(あるいはオペラ)から影響を受け、短7度上昇音型を3回繰り返すフレーズを曲中に使用した可能性がある、と思いました。(ただし、「死の都」の当該部分の実際の音高は E→D でマーラーやシュレカーとは異なり、曲調もマーラーやシュレーカーとは異なりやや不穏な感じがする使われ方をしています。)

さてマーラーとシュレーカーに話を戻します。これらの曲に出てくるゆっくりとした短7度上昇音型を聴くと、言わば「オクターブの調和・充足に憧れて、それに届きたい。だけどあと一歩届かない。」というような、はかない憧れのような感情が、僕の中にうずくように生じます。(これはもちろん音程だけだけでなく、背景の和声の雰囲気によるところも大きいです。ちゃんとした言い方でなんという和音かがわからないので(^^;)移動ドで言うと、ソドレファラの和音です。)

愛、あるいは究極の美、あるいは至高の芸術。そういった何か完全なるものに憧れ、求め、熱望しながらも、もしかしたら届かないかもしれない、というせつなさを含んだ、はかなくも美しい短7度上昇音型。これはもう、まさに憧憬の音型と言いたいです。しかもこれが3回も繰り返されることにより、「憧憬感」が強まり、より一層胸に響きます。
「AーGーーーー、AーGーーーー、AーGーーーー」

ここで先ほどちょっと書いたワーグナーについて、「憧憬」の観点から見てみたいと思います。ワーグナーにはあまり詳しくないんですけど、ワーグナーの音楽で「憧憬の動機」として有名なものに、トリスタンとイゾルデの前奏曲の冒頭に現れる動機がありますね。この動機の前半部分は上行音型で始まり、後半部分はいわゆる「トリスタン和音」が半音階的に進行します。

トリスタンとイゾルデの前奏曲を改めて聞いてみました。曲の最初にこの動機が3回繰り返されますが、前半部分の上行音型は、最初は短6度(A→F)で、次の2回は長6度(H→Gis、D→H)でした。そしてそれに続いて、チェロが奏でる美しい旋律が、「眼差しの動機」と呼ばれるそうですが、この旋律に短7度上昇音程が2回含まれています。1回目はC→D→Cと7度下がってまた戻るという流れですが、2回目はC→Bでこの旋律の頂点に跳躍する、かなり目立つ短7度上昇です。このあと前奏曲はこの動機を中心に盛り上がっていき、そのあと静まって、憧憬の動機の前半部分の長6度上昇が何回か聞かれ、最後は静かに、短6度上昇(今度はG→Es)もちょっと聞こえ、低いG音で終わります。(前奏曲に続く水夫の歌は、同じ短6度上昇(G→Es)で始まります。)


結局この前奏曲全体として、短6度上昇に始まって、長6度上昇、さらに短7度上昇と次第に「憧憬度」が増して盛り上がり(トリスタンとイゾルデ、見つめ合う二人)、そのあと再び長6度上昇を経て最後は短6度上昇に戻っていくという、複雑な仕掛けが巧みに組み込まれていることに初めて気が付き、さすがはワーグナー、と感じ入りました。


それにしても、長6度上昇の「憧憬」と短7度上昇の「憧憬」。両者は、同じ「憧憬」と言っても、音楽的な響きの印象はずいぶんと異なりますね。この違いは何なのだろうと考えたところ、何となく自分の中で整理がついたような気がしてきました。誤解を恐れず大胆に言ってしまうと、長6度の方は「きっといずれ届く憧憬」「やがてかなうであろう憧憬」に近く、対して短7度の方は、「おそらくかなわない憧憬」「かなわないかもしれない憧憬」に近い、と言えるのではないでしょうか。

個人的には、ワーグナーの音楽は本質的にしっかりした自己肯定が基盤にある(自分に揺るぎない自信がある)音楽だと思っています。「己の願望は、たとえ死んでも必ずかなう。」そういうワーグナーの音楽における憧憬は、長6度上昇の「いずれかなう憧憬」がふさわしいように思います。ただワーグナーにしても、願いが成就するまでには様々な苦難や葛藤があるだろうし、そのあたりがトリスタンとイゾルデの前奏曲にも、しっかり現れているように思いました。一方マーラーの音楽は、ワーグナーと異なり、「憧れて、届かない」というところに根っこがあるように思っています。特に、アルマの不倫の衝撃にあえぎながらアルマを愛す10番は、マーラー作品のなかでもその性質が最もストレートに出ていると言えるでしょう。これには、短7度上昇の「かなわないかもしれない憧憬」がまさにぴったり一致する、と腑に落ちました。


マーラーとシュレーカーの表現が、そっくり同じA→Gの3回繰り返しなのは、偶然の一致なのか、何かのつながりがあるのか、真相はわかりません。ひとつ思うのは、時代背景です。この時代(1910~1920年頃)が持つ雰囲気そのものの中に「かなえられない憧憬感」があって、その中でマーラーやシュレーカーの音楽表現が醸成されやすかったのだろう、と思います。


このところ、シュレーカーのオペラ「烙印を押された人々」を繰り返し聴いて、はまっています。このオペラ、まさに「かなえられない憧憬」の物語で、それが音楽的に見事に表現された素晴らしいオペラです。そして、ところどころにマーラーの色濃い影響を感じます。たとえば、ここぞというところで、静かに吹かれるバスクラリネットの意味深さ。より具体的なところでは、第二幕中ほどの、点描的なハープや、さらにそれにフルートソロが重なる部分など、9番の第一楽章の雰囲気にかなり近いです。これを聴くと、少なくともシュレーカーがマーラーの9番(1912年初演、ウィーン)を聴いたのは確実だと思います。


マーラーはオペラを書きませんでしたが、その代わりにシュレーカーやコルンゴルトが、素晴らしいオペラを残してくれたこと、実にありがたいことだと思います。

長くなってしまいました。ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。なおマーラ10番については、金子建志氏著、音楽之友社「マーラーの交響曲」(1994年)および「マーラーの交響曲・2」(2001年)に書かれた解説が、楽曲分析、補筆史ともに非常に詳しく、大変興味深いです。今回久しぶりに読み返して、あらためて納得することがいろいろありました






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Last updated  2024.03.31 16:49:11
コメント(7) | コメントを書く


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Re:マーラー10番とシュレーカーの短7度上昇音型・・・憧憬の響き(01/27)  
やぱげーの@神戸 さん
 じゃくさん、こんばんわ。興味の湧くお話、ありがとうございます。音楽に浸る時間が少なくなって来たので、レパートリーが広がらなくって困っています。以前よりコルンゴルドは協奏曲やオペラはよく耳にするので、聞かなくては・・・・・ とは、思いつつ。
 宿題がいっぱい貯まりました。
 まったく、話は変わるのですが、今年の目標は、断捨離なのですが
家にある、大量のレコードとCDを処分しようかと思っています。
すでにカセットテープとDVDは処分すみました。

いろいろとやりたいことがあるなあ、ここ数日、じゃくさんはじめ、ブログ友達から刺激を受けました。私もブログ再開しようかしら、とも。 (2024.01.27 19:50:21)

Re[1]:マーラー10番とシュレーカーの短7度上昇音型・・・憧憬の響き(01/27)  
じゃく3  さん
やぱげーのさんこんばんは!

音楽に浸る時間が少なくなって来たとのこと、私も同様です。私の場合、以前より「音楽を貪欲に聴きたい」という気持ちが減ってきて、聴かなければ聴かないでもまぁいいやという時間が増えてます。今の私の音楽ライフは、NHK-FMのらじるらじるの聴き逃し配信で、クラシック、ジャズ、合唱、現代音楽などのさまざまな音楽番組や、ついでにラジオドラマも、雑多に、ながらで(雑用しながら、あるいは寝ながら(^^;))聴くのが中心です。そして聴いては忘れ、聴いては忘れ、という怠惰な感じで過ごしています。

ブログ拝見しました。ここ1年近く休止していらっしゃるんですね。多方面に関心を持ちアクティブに活動されていると思いますので、書くことはたくさんあるでしょうね。私も今回久しぶりに書き込みしました。今後、あまり頻繁に書くエネルギーはないですが、たまには書いていきたいと思っています。


断捨離進行中なんですか!今度は大量のレコードとCDを処分するとのこと、大仕事ですね。私もレコードとCDを何とかしなければいけないので、やぱげーのさんを見習って、と言いたいところですが、断捨離にもたくさんのエネルギーが必要そうですので、どうなることやら。 (2024.01.28 21:34:07)

Re:マーラー10番とシュレーカーの短7度上昇音型・・・憧憬の響き(01/27)  
ジャック天野 さん
ご無沙汰しております。じゃくさんのお声が聞けて嬉しいです!
シュレーカーの「あるドラマへの前奏曲」もマーラーの「交響曲第10番」も馴染みが無い楽曲なのですが、じゃくさんの記事を想って聴いてみようと思います。
(2024.01.31 23:27:58)

Re[1]:マーラー10番とシュレーカーの短7度上昇音型・・・憧憬の響き(01/27)  
じゃく3  さん
ジャック天野さん、お久しぶりです、コメント大変うれしく拝見しました!!お元気にBGM生活を続けていらっしゃるでしょうか(^^)。

何かと忙しくブログ記事を書かないでいたら、いろいろなことをどんどん忘れていくので、ゆるゆると、書けるときに少しでも、書いていこうと思います。

マーラー10番は、オーケストレーションが薄くて、普通のマーラーと思って聴くと、最初のうちは違和感が大きいかもしれませんけど、水墨画と思って聴いてみてください。マーラーの生涯の締めくくりにふさわしい曲と思います。
(2024.02.01 18:21:12)

Re:マーラー10番とシュレーカーの短7度上昇音型・・・憧憬の響き(01/27)  
やぱげーの@神戸 さん
こんばんわ、ブログ再開しました。3days boyにならないように頑張ります。
マラソンの記事が落ち着いたら音楽のことも書きたいです。
https://ameblo.jp/yapageno/entry-12843225996.html (2024.03.08 20:38:41)

Re[1]:マーラー10番とシュレーカーの短7度上昇音型・・・憧憬の響き(01/27)  
じゃく3  さん
やぱげーのさんこんばんは!ブログ再開されたんですね、楽しく拝見しました。

大阪マラソンを完走したすぐ後に、東京マラソンも完走とは、素晴らしいことですね!しかもマラソン以外にもラーメン、名曲喫茶、サウナ、落語と、東京をフルにエンジョイされたとは、年齢をはるかに超えていく体力と気力のエネルギーの充実ぶりに、敬服いたします。

私はなんちゃって筋トレとインターバル歩行を細々と続けているだけですが、これからも続けられる限りは続けていきたいと思います。 (2024.03.09 23:29:17)

Re:マーラー10番とシュレーカーの短7度上昇音型・・・憧憬の響き(01/27)  
じゃく3  さん
1月に書いた記事の中で、ワーグナーのトリスタンとイゾルデの前奏曲についての記載に間違いがありましたので、そのあたりを修正・加筆しました。

(2024.03.31 16:43:38)

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