全529件 (529件中 151-200件目)
ドイツの若い指揮者マイスター&読響のマーラー6番を聴きました。指揮:コルネリウス・マイスター管弦楽:読売日本交響楽団ハイドン 交響曲第6番マーラー 交響曲第6番 7月14日 サントリーマイスターさんはドイツの指揮者、今年36歳で、来年度からの読響首席客演指揮者に就任が決まっているということです。ハイドンとマーラーの6番同士を合わせるという、変わったプログラムです。オケの配置は、ヴァイオリンが両翼配置です。読響のコンサートにそれほど頻繁に来ているわけではないので良くわかりませんが、読響のヴァイオリン両翼配置は、かなり珍しいのではないでしょうか。読響と言えば、舞台上手の客席側に陣取ったヴィオラ隊が、渋く美しく、大きな存在感をいつも感じさせてくれるオケです。しかし今日は、舞台下手から順に、第一Vn, Va, Vc, 第二Vn, Cbという配置です。Cbまで動かすと大改造になって大変でしょうから、第二VnとVaだけを入れ替えてヴァイオリン両翼配置としたのでしょう。ハイドンの交響曲第6番はまったく聴いたことありません。この日は疲れていたので、「マーラーに備えて(^^;)眠ってしまうかも、それもやむを得ないな」と事前に勝手に納得していました。しかし始まった途端に、すがすがしくさわやかで、きびきびとして目が覚めるような音楽に、たちまち引き込まれて、そのまま最後まで聴いてしまいました。いいものを聴けました。続くマーラーが楽しみになりました。休憩後のマーラーも、弦は同じ両翼配置です。そして舞台下手の客席寄りに、ハープ2台、チェレスタがあります。舞台後方には横一列に打楽器が並び、そのセンターにハンマーがあります。ハンマーはわりと小ぶりの木製とおぼしきもので、叩く台は普通の木の箱でそれほど大きくない、地味なものです。カウベルは事前に視認できませんでしたが、吊り下げているものは見当たりませんでした。普通に手で持って鳴らすのだと思われます。演奏が始まりました。第一楽章、やや遅めのテンポで始まりました。そして弦の刻みに乗って、第6小節から入ってくる第一主題の最初の音(二分音符)が、アタックはそれほど強烈でなく、そのあとぐぁ~んとクレッシェンドというか膨らましてきました。これにはびっくりしました。あとでスコアを確認したら、そういうクレッシェンドの指示はありません。弦パートの二分音符には何も記号がなく、管パートの二分音符にはデクレッシェンドの記号がついています。それにも拘らず、ここをぐぁ~んと膨らまして演奏したのです。続く第7小節の二分音符も同じように膨らまして歌わせます。これが良いです!機械的でなく、歌心があり、これはちょっとすごいです。続くフレーズにも、細かなところひとつひとつに、歌心があり、味わいがあります。第一楽章途中のカウベルは、普通に舞台下手側の裏手で、鳴らしていました。第一楽章が終わって、指揮者は右手に持ったタクトを静かに降ろして行きます。しかし左手は、曲げて、胸にあてたままです。やがて右手のタクトを完全に降ろし切ったあとも、左手は胸にあてたままで、まっすぐと立っていて、身じろぎもしません。時間的な合間をとってこそいるものの、彼の中では集中が連続しているのです。格好良すぎです。普通なら楽章間で多く起こる咳払いその他のノイズも、指揮者の姿をみて遠慮がちになり、ほとんど静かなままです。そしてしばしの間合いをおいて始まった第二楽章は、アンダンテでした。個人的には第三楽章にアンダンテをもってくる旧来の楽章順の方が好きです。しかしこの演奏は、すばらしいものでした。第一楽章と同じように、楽器のバランスにとても気を配って、そして十分な歌心があり、その充実ぶりにうっとりとさせられます。第二楽章の舞台上のカウベルは、見たところ奏者は二人だけで、それも普通に手でもって、がらがらと鳴らすやり方でした。特別に音色が繊細とか、響かせ方にユニークな工夫はありませんでした。音量的にも、マーラーの指示通りに鳴らしていくという、オーソドックスなものでした。アンダンテ楽章全体の設計もきちんとしていました。楽章最後の方、練習番号59~61のテンポ設定に、それが良く現れていました。この箇所は楽章最後の盛り上がりのところで、ここのテンポ設定は、楽章全体の構成上とても重要です。スコアを見ると、この59~61には、マーラーがEtwas Drängend(少しせきたてられるように)とかNicht schleppen(引きずらずに)などの指示を数多く書いています。そこで、多くの指揮者は、マーラーの指示通りということで、このあたりをやや速度を速めて割合一気に演奏していきます。ここをマイスターさんがどうやったかというと、59と60をやや速めに演奏したあと、61をテンポを少し落とし、ここをじっくりと歌わせ、情感豊かに表現していました。そのテンポ変化はそれほど大きなものではないですが、自然で、効果は十分なもので、こういう大きな流れの設計がうまいなぁと感心しました。かくて第二楽章が終わりました。僕がこれまで体験した6番のうち、第二楽章アンダンテという楽章順をとった演奏で言えば、この演奏がアンダンテ楽章の美しさをもっとも現していたと思います。楽章順も大事ですが、より本質的なのは、音楽の中身であり、中身が本当に良ければ順番はどちらでもいいんだ、ということをまざまざと実感しました。第二楽章が終わると、マイスターさんは同じように、右手のタクトをゆっくりと降ろしていき、やがて完全に降ろし切りましたが、やはり左手は胸の前にあてたままで、直立不動を崩しません。集中し続ける指揮者を、聴衆も固唾を飲んで見守る感じです。第三楽章スケルツォも、良く考えられた楽器バランスが絶妙で、ワクワクするような新鮮な響きが満ち満ちて、聴いていて実に気持ち良いです。第三楽章が終わっても、マイスターさんは同じく、「タクト降ろして左手降ろさず」です。さすがに客席からは、来るべき終楽章に備えての咳払いなどの仕切り直しの雰囲気がありましたが、指揮者は直立不動のまま、それが終わるのを身じろぎもせずじっと待っています。終楽章も、とても充実していました。マイスターさんのマーラーは、楽器バランスを良く考え、常にコントロールして、いろいろな楽器の音色が聞こえて来るのが、美点です。たとえば何楽章かは忘れましたが、ホルンのメロディーにファゴットが重なって吹いていることが良くわかり、美しく響いていました。いろいろな楽器の音が良く聴こえてくると言うと、たとえばインバルのマーラーを思い浮かべられるかもしれませんが、インバルとは全然違います。僕にとっては、インバルは、分析的に聞こえすぎるのですが、マイスターのは、あくまで美しい響きとして、音楽的に響いてくるので、すばらしいのです。しかしマイスターさんのマーラーには、圧倒的なパワーというか、どろどろした情念のようなものは、ありません。特に終楽章は、この点が、贅沢をいえば、食い足りない点でもありました。それから、カウベルなどの特殊楽器の響かせ方や音色などにはあまりこだわりがないようでした。そんなマーラー面白いの?と思われるかもしれませんが、これはこれで十分に面白いし、立派な存在価値があるマーラーだと思います。なお、最後の音が消えた後、しばしマイスターさんは右手のタクトを上においたままで、その後ゆっくりとタクトをおろしていきました。そしてタクトを完全に降ろしきりましたが、やはり左手は曲げて胸にあてたままで、「タクトおろして左手降ろさず」のスタイルで直立不動です。今夜の聴衆はすばらしく、タクトが下がりきってもなお、誰も拍手もブラボーも発しません。そのようにしてしばらく完全な静寂が続き、マイスターさんが力を抜いてちょっと体を動かしたのを契機に、拍手が少しずつはじまり、その後にブラボーが始まっていきました。今夜のマイスターさんのこれまでの楽章間の様子を見ていれば、たとえタクトが降りきっても、まだ「音楽モード」にはいったままだ、すなわち、マイスターさんにとって、まだ音楽の「余韻」が続いているんだ、ということを、誰もが明確に理解したと思います。そして聴衆全員が、マイスターさんの「余韻」に合わせて、拍手・ブラボーを見合わせて、やがてマイスターさんが「通常モード」に戻ってから拍手が始まったというわけでした。理想的な拍手の始まり方ですね。やはりこうでなくっちゃ。明るい、明晰な、歌心にあふれた悲劇的。こう考えてくると、ハイドンに通ずる傾向と言ってもよいですね!だからこそプログラムにハイドンを持ってきたのか、と今になって合点しました。マイスターの、新しく、重くないマーラーは、若い新しい感覚ならではの良さですね。ある意味、インキネンのマーラーに似ていると思います。奇しくも、マイスターもインキネンも、同じ1980年生まれです!彼らのような新しい世代によって次々に出てくるマーラー音楽の新しさ、マーラーの音楽の現代性は、まだまだいろいろな未知の魅力を秘めているのではないでしょうか。マイスター&読響のマーラー、今後が非常に楽しみです。来年度から首席客演指揮者ですから、いろいろと聴く機会があるかと思います。もうカンプルランさんはマーラーをやらなくてよいですから(^^;)、マーラーは是非マイスターさんに任せていただいて、どんどん演奏していただければ、うれしいです。
2016.07.21
コメント(10)
ノット&東響のブルックナー8番を聴きました。指揮:ジョナサン・ノット管弦楽:東京交響楽団ブルックナー 交響曲第8番7月16日 サントリーホールますます充実路線を邁進するノット&東響。彼らのブルックナーを聴くのは、7番に次いで2回目です。7番は、両翼配置の利点が良く出た、スケール感はないけれど引き締まった、なかなか好感の持てるブルックナーでした。今度の8番はどうなるでしょうか。ホールに入ると、ステージ上と天井からぶら下げられた多数のマイクが目立ちます。今回の演奏が、録音されCD化されるようです。開演時刻が近づいてきて、いつもの場内アナウンスが流れ始めましたが、あれっ、いつもとちょっと違います。近年のサントリーでのアナウンスは、大体「演奏の余韻を最後まで楽しむため、他のお客様のご迷惑にならないよう、拍手は指揮者のタクトが下がるまでお控えください」というようなアナウンスが流れます。ところが今回のアナウンスは、一段と念入りなフレーズになっていました。正確な言葉は覚えていませんが、「指揮者や演奏者にとっては、余韻も音楽の一部です。演奏に満足していただけましたら、指揮者のタクトが完全にさがりきるまで拍手はお控えください」というようなものでした。今までは「他のお客様に迷惑」だったのが、「指揮者や演奏者にとって」と一歩踏み込んでいますし、さらに「余韻も音楽の一部です」とはっきり言及しています。ここまで一段とメッセージを明確にしたアナウンスを聴くのは、僕は初めてです。今回は録音するという事情もあってのことでしょうが、フライングの拍手・ブラボーをなんとか防止したいという強い気持が感じられます。近年、場内アナウンスがだんだんと具体的・直接的になって来ていますが、それでもなかなかフライングの拍手やブラボーがなくなりませんね。このように一段と明快なアナウンスを繰り返して発していくことが大事かと思いました。さて、オケの人数・配置です。今日も弦は両翼配置です。弦は変則16型で、16/16/12/10/8でした。第二ヴァイオリンを増強して、第一ヴァイオリンと同数にしているわけです。ハープは、舞台下手の前面に、「できれば3台」というスコアの指定通り、3台配置されています。金管は、ホルンはアシストを入れて9人と普通ですが、トランペットとトロンボーンが通常3人のところそれぞれ4人!と増員されています。かなり気合のはいった布陣です。さらに、金管の配置が、良く考えられていました。金管は、舞台後方に横に幅広く広がって1~2列に並びました。指揮者の正面(センター)から向かって左側(下手側)には、ホルンが2列に並びました。前列のセンターに1番が座り、そこから下手側に順に2番、3番、4番で、アシストは1番の上手側でした。ホルンの後列は、センターから下手側に順に5番、6番、7番、8番で、この4人がワーグナーチューバ持ち替えです。センターから向かって右側(上手側)は、1列目は椅子がなくて空間になっていて、2列目は、5番ホルンの隣にバス・チューバが座り、その上手側にトロンボーン4人が座り、そのさらに上手側にトランペット4人が並びました。通常と違ってトランペット隊が一番外側になっていたわけです。こうすることにより、ワーグナーチューバ4人とバス・チューバが5人固まって横一列に並んだわけです。ブルックナーではこのようにワーグナーチューバとバス・チューバを固めるのは、賢明な方法と思います。演奏が始まりました。ノットさんの両翼配置のすぐれたところは、随所でセカンドヴァイオリンを強調して、それにより音楽の構造が立体的になる点です。このことは7番のときに感じましたが、今回も同じ魅力が十分に伝わってきました。このために第二ヴァイオリンを増員しているのだな、と合点がいきます。テンポはわりと早目で、大きなテンポ変化はなく、わざとらしいようなところは皆無で、ぐいぐい進んで行き、推進力と緊張感に満ちています。ノットさんはすこぶる気合が入っていて、「ハッ!」という、半分息、半分唸り声みたいな声を時々、曲の後半ではしばしば、発しています。オケもその気迫を受け止め、引き締まった演奏が進んで行きます。決して悪い演奏ではありません。しかし僕には、何かテンポの運びが単調というか、堅苦しい感じがします。そして何よりも、フォルテの箇所がくると、音楽が力みすぎて窮屈な感じ、耳にきつい感じがしてしまいます。僕の求めるブルックナーのフォルテは、力まず、ある意味力が抜けて、空間にひろびろと拡散していくようなフォルテであってほしいのです。そういう僕のイメージでいうと、ブルックナーを聴いているという感じがあまりしてきません。決して悪くはないのですが、残念です。そんなことを思いながら聴いていると、いよいよ曲の終結がやってきました。ノットさんはタクトを上げ、最後の音が鳴りやみ、残響が消えていきます。さぁ、タクトが降りるまで静寂が得られてほしいです。しかし。ホール内の残響が消えたその瞬間ただちに、たった一人の聴衆から、大きな「ブラボー」の声が発せられ、その声はホールの隅々まで否応なく響き渡りました。余韻は無残にも打ち破られました。普通なら、こういったフライングブラボーに引っ張られ、ぱらぱらと拍手が小さく起こるか、あるいは他からもブラボーの声があがりますね。しかし今回は、そういう「引きずられ現象」がまったく起こりません。その聴衆一人だけの「単独フライングブラボー」が、約2-3秒でしょうか、ホールに響き渡り、そしてそれが終り、再びホール内は完全な静寂に包まれました。しかしもはや、大事な余韻はぶち壊しです。そしてほどなくノットさんはタクトをおろし、ぱらぱらと拍手が少しずつ始まり、だんだんと盛り上がっていきました。僕はこの日はPブロック5列目の右寄りの席に座っていたのですが、この大ブラボーは、僕のすぐ後方から発せられました。おそらくPブロック7列目一桁台の席と思われます。拍手が始まってからすぐに、僕を含む周囲のかなり多くの聴衆は、思わず、声がした方の席を振り返り、誰が声を発したのかと探りました。二度とこんなことされてはたまらない、という気持ちを伝えたいです。すると、発したとおぼしき人とその連れの方でしょうか、お二人が、そそくさと席をたって、逃げるようにホールを出ていきます。僕のそばにいた別の聴衆は、立ち上がって、こぶしを振り上げて、怒髪天を衝く雰囲気で、怒っています。録音していることが一目瞭然でわかるマイク群、そしてあれほど念入りな場内アナウンス。それがあってもなお、ここまで無神経な、無配慮なブラボーを発する人がいるとは。まさか意図的にやったとは思いませんが、ついうっかりだから許してね、では済ませられない、破壊的なフライングブラボーです。サントリーホール30年の歴史上でもおそらく屈指の不祥事たる、巨大単独フライングブラボー。。。その後、拍手は徐々に盛り上がり、そして、ホールの底全体から湧き上がるような重心の低いブラボーが、うねるように生じてきました。これはこれで、すごい迫力がありました。「これが本当のブラボーだ!」という皆の気持ちが一つになったような、ノットさんと演奏者を称えるブラボーでした。かつて2005年、スクロヴァチェフスキ&読響のブルックナー7番の演奏会で、おそらく今回と同じレベルの破壊的なブラボーがあったのだと思われます。(僕はその現場には立ち会っていないので正確なことはわかりませんけど。) おそらくその事件を伏線として、2010年のスクロヴァチェフスキ&読響のブルックナー7番の演奏会から「拍手は指揮者のタクトが下がってからお願いします」という場内アナウンスがサントリーホールで始まったのだと思われます。そして同様のアナウンスが、他のホール、他のオケでも広まっていき、東京一円ではこの頃は普通に放送されるようになりました。こういうアナウンスが、ここ数年、フライングブラボーを減らすのに一定の効果をあげてきているのは確かだと思います。しかしまだまだ、このような酷いブラボーが起こりうる危険があるのだな、ということを痛感しました。早くブラボーを叫びたいという衝動を持っている方、どうか今回のアナウンスの意味を、ご自分の行為の及ぼすひどい影響を、真剣に考えて欲しいです。○「指揮者や演奏者や聴衆、そこに集うすべての人にとって、余韻は音楽の一部です。」そして蛇足を承知で付け加えます。○「残響が消えても、指揮者のタクトが下がりきらない限り、余韻は続いているのです。」付録:2005年や2010年のことは、「拍手は指揮者が手をおろしてからお願いします」というアナウンス in 読響定期演奏会」の記事に詳しく書きました。それに関連して余韻について考えた記事「余韻考(1)」 「余韻考(2)」 「余韻考(3)」も合わせて、ご覧いただければ幸いです。
2016.07.18
コメント(4)
BGM選手権、7月10日のお題は久々のふかわりょうさんご自身のお題、「LET’S DANCE」でした。最初期のBGM選手権を懐かしく思い出します。今回、ギター曲をふたつ投稿しました。○1曲目は、やはりダンスの曲をあててみたいと思いました。フランスのギタリスト・作曲家のローラン・ディアンス(Roland Dyens)の、ソロ・ギターによる「タンゴ・アン・スカイ」。かっこよく、やるせない音楽です。https://www.youtube.com/watch?v=Am0pGhRyb-4これは作曲者自身による演奏です。○2曲目は、しっとり系として、マイヤース作曲、映画「ディアハンター」から「カヴァティーナ」。自分としてはこの曲はもともとソロ・ギターの曲だろうと思っていて、特に演奏は指定せず曲名だけで投稿しました。しかしあとで動画サイトを検索したら、映画のサウンドトラックではギターの他に、弦楽その他の静かな伴奏がはいっていました。このサントラ版だと自分のイメージとは違うので、ソロ・ギターの指定で出しておけば良かったと後悔しています。https://www.youtube.com/watch?v=mwvDon1_iKs
2016.07.17
コメント(2)
(この記事は、関西グスタフ・マーラー響の3番を聴く その2 謎のポストホルン の続きです。)1 第四、第五、第六楽章について第三楽章が終わって、少しの間合いを挟んで、独唱者が舞台上手後方の席から立ち上がり、第四楽章が始まりました。良い歌唱でしたし、オケも静かにきれいに鳴っていて、難しいホルンもきっちり吹かれていました。さて第五楽章が始まりました。2階の左右両サイドの客席に、児童合唱と並んで、ハンドベルを持った女子高生と思しき何人かがいて、ベルを手で持って鳴らしているようでした。いよいよ両翼配置のハンドベルです。しかし、しかし。ベルの音が貧弱で、殆ど聴こえてきません。通常のチューブのベルを叩いて出てくるスコーンという明るく抜けた音がしないのは当然としても、そもそもベルの音自体がほとんど聴こえてこないのでした。所々で、じゃわ〜んとした音がかすかに聞こえてきて、これがハンドベルの音なのだろうと想像する、という感じでした。これは残念の限りでした。。。もしもハンドベルの音色にこだわるならば、人手を大幅に増やして、一つの音高のベルを数人程度で鳴らす必要があると思いました。ベルの音高は6種ですから、相当な大人数が必要となるでしょうけれど。終楽章は、素晴らしい演奏でした。第一楽章と同じように、シャープな輪郭を保ちながら、テンポの落とし方がゆったりとして、大きな音楽の流れができていました。オケも一つになって、良い音を出していました。終楽章最後近くの金管コラールは、曲の最初から舞台上でずっと一番トランペットを吹いていた方が、この難所もきっちりと美しく吹かれていました。なお、ポストホルンを吹いた奏者は、その後の楽章間にポストホルンを持って舞台上に戻り、4番トランペットを吹いていました。この一番トランペット奏者と、ポストホルン&4番トランペット奏者、お二方とも見事でした。それから特筆すべきは一番ホルンで、この方もすばらしく、アマチュアでここまでとはあっぱれでした。またトロンボーン隊は、1番奏者が女性でした。2,3,4番の男性陣がパワーがあり、1番をがっちりサポートしている感じでした。2 第四、第五、第六楽章のアタッカに関連したことここから先は、第四・第五・第六楽章のアタッカ関連の感想と、それに関連しての合唱や独唱の起立・着席のタイミングなどを書いておきます。かなり細かな話でつまらないと思いますので、皆様読み飛ばしちゃってください(^^)。この曲のスコアには、第四・第五・第六楽章の三つの楽章(=二つの楽章間)がいずれもアタッカで演奏されるように指定されています。その演奏スタイルは、指揮者によって大きく三つに分けられます。便宜的にAスタイル、Bスタイル、Cスタイルと呼んでおきましょう。Aスタイルは、楽章間には合唱団や独唱者の起立や着席など一切行わない、厳格なアタッカで演奏しようとする方式です。そのために、起立や着席のタイミングなどに指揮者がいろいろな工夫をこらし、うまく成功すると、音楽的に素晴らしい効果があります。Bスタイルは、それほど厳密なアタッカにはこだわらずに、しかし一応タクトは下げないままで、楽章間に起立・着席をさせる方式です。ある程度の時間的な間合いと精神的緊張のゆるみが生じてしまいます。Cスタイルは、アタッカを完全に無視して、タクトを完全に下げて、合唱団の起立・着席などをさせる、というスタイルです。さすがにこのCスタイルはプロではかなり珍しく、アマオケでも少数派です。楽章間が、第四・第五および、第五・第六の二つありますから、たとえば二つともAスタイルなら「AAスタイル」、最初がCで次がBなら「CBスタイル」、と呼ぶことにします。AAスタイルで行うのがもっとも厳格な方法です。しかしそれを実現するには指揮者の様々な工夫はもちろん、合唱団にも緊張の持続が必要で、小さい児童もいる合唱団に、どこまでを求めるか、音楽的な理想と現実的な条件となかでどのあたりで折り合いをつけるかは、アマチュアによる演奏の場合は悩ましいところだと想像します。プロでは、シャイー&コンセルトヘボウの来日公演のAAスタイルが、完璧な、究極の方式でした。個人的に「シャイー方式」と呼んでいます。「シャイー方式」については、この記事の最後の「付録」に書いておきました。それから、アマオケでも完璧なAAスタイルの演奏が、稀にあります。2009年の三河正典&小田原フィルがそうでした。シャイー方式とはやや異なる点がありましたが、これはこれでやはり妥協のない、完璧なAAスタイルで、感動的でした。このふたつが、これまで体験した3番演奏会の中で、個人的に、最善の、理想的と思うアタッカです。前置きが長くなりました。今回の方式は、CBスタイルでした。すなわち、第四楽章が終わると、指揮者はおもむろに向きを変えて客席の方、正面を向いて立ち、両腕を斜め上に高く広げてかざし、にこやかな顔で、2階客席両サイドの児童合唱に起立を促しました。それで子供たちが起立して歌う準備が整ってから、指揮者はオケの方に向き直り、そして第五楽章が始まりました。すなわち、この楽章間ではかなりの長い間合いがありました。一応タクトは上げたままでしたのでBスタイルと言ってもよいかもしれませんが、間合いがかなり長かったので、Cスタイルとしておきます。なお、第五楽章が始まったときにはまだ舞台後方の女声合唱は着席したままで、第4小節でオケが入ってきたところでただちに女声合唱が起立し、そして第7小節からの歌を歌い始めました。この、児童合唱と女声合唱の起立の時間差方式は、AAスタイルの中で適切に使えば、効果を発揮する方法のひとつです。しかし、Cスタイルでは、あまり意味がありません。だって、楽章間で間合いをとって児童合唱を起立させているのですから、そのときに一緒に立てばすむことです。女声合唱だけわざわざ第五楽章が始まってから起立させる意味というか目的が、わかりません。ついでに、第五楽章半ばで、自分の歌の出番の終わった独唱者は、着席せず、そのままスタスタと歩いて舞台裏に引っ込んで行ってしまいました。このような「独唱者早期退場方式」は、稀にみかけますが、個人的には、なんだかなぁという感じが否めません。それから、第五楽章の終わり際の、女声合唱の着席方法は独特でした。この曲の合唱は、児童も女性も、第五楽章の最後近く(練習番号10の冒頭)に3小節弱の休止があります。今回、女声合唱の右から約2/3の人たちは、この休止のところで座り、そのあと最後の10小節を座ったまま歌いました。残りの左側の1/3の人たちは、第五楽章の最後まで立って歌い、楽章が終わってから着席しました。(おそらく、三声部からなる女声合唱の中声部と低声部の人たちが先に座り、高声部の人が最後まで立って歌ったのだと思います。)このように女声合唱を分割して着席の時間差をつける方式は、初めて見ました。座るタイミングを間違えたにしては整然としていたので、おそらく指揮者の意図だと思います。しかしその狙いというか効果は、見ていて特に感じられませんでした。そして第五楽章が終わってから、続く第六楽章との間に関しては、Bスタイルでした。もはや記憶がややあいまいなところもありますが、第五楽章の音が完全に消えてから、指揮者はタクトをあげたままで、児童合唱に着席の指示をしました。それで児童合唱と女声合唱の残りの1/3が着席し、そして第六楽章が始まったと記憶しています。(独唱者は、上記したようにすでに退場していて、舞台上にいませんでした。)ここでも、さきほどと似たような感想を持ちました。つまり、もしもここをAスタイルでやるのであれば、あらかじめ第五楽章の最後近くで女声合唱を座らせることの意味があります。しかしここをBスタイルで、児童合唱を座らせるのであれば、そのときに女声合唱も一緒に座らせればすむことです。わざわざ女声合唱の一部を、第五楽章の途中で座らせる意味が、不明です。3 まとめ終演後に、プログラムの解説を読んだところ、興味深いことが書かれていました。指揮者の田中宗利さんは、俳優・劇作家・演出家としても活躍されているということでした。なるほど、そう言われると、いろいろと合点がいきます。オケの演奏会では異例のPA使用(確証はありませんが)の発想は、演劇界の人としては自然な発想なのかもしれないです。それからたとえば、第五楽章の開始前に客席を向いて両腕を高く上げて児童合唱を立たせる堂々とした仕草は、ある意味芝居がかっている感じ(悪い意味ではないですが)がしました。ハンドベル使用というのも、従来の発想にとらわれないユニークな試みでした。正直PAの使用(?)は、僕としてはいただけませんでしたし、両翼配置ハンドベルは、残念ながらアイデア倒れだったと思います。また、女声合唱の起立や着席には独特な手法を取り入れながらも、肝心なアタッカにはそれほどこだわらないという点も、僕としてはやや疑問を持ちました。以上、いろいろ細かなことを書いてしまって、自分こそ変なこだわりがある古い偏屈人間だ、と恐縮します。ともかくも、若い斬新な感覚によるユニークな試みが、いろいろと仕掛けられていた個性的な3番演奏でした。そしてオケの技術は本当に立派で、すばらしかったです。今回少しでしたがぐすたふさんとお会いできて、またブロ友さんたちと短いながら歓談のひと時をすごせて、貴重な機会となりました。皆様ありがとうございました!○付録「シャイー方式」について:児童合唱と女声合唱の起立と着席のタイミングに関しては、かつてシャイー&コンセルトヘボウの日本公演が、究極的にすばらしいもので、僕は勝手に「シャイー方式」と呼んでいます。シャイーは、全合唱団を、第四楽章!の始まる前に起立させました。第四楽章は合唱の出番が全くないのに、あらかじめ起立させたのです。こうすることで、第四楽章と第五楽章を、緊張感を保った完璧な静寂の中でのアタッカで演奏することが可能となりました。それから第五楽章の最後近くの練習番号10の休止のときに、全合唱団をすばやく座らせて、その後の約10小節を座ったまま歌わせました。こうすることで、第五楽章の終わりからそのまま完璧な緊張感と静寂のうちにアタッカで第六楽章を開始することができたのです。(良く見られるのは、第五楽章が終わった時に合唱団は立たせたままで着席させず、アタッカで第六楽章を始め、第六楽章が少し進んだあたりで合唱団を着席させる方法です。これでも良いのですけど、第六楽章途中で着席することにより音楽の緊張がわずかに緩むかもしれない可能性をもシャイーは排そうとして、第五楽章のうちにすでに全合唱団を座らせたわけです。まさに究極のAAスタイルでした。)
2016.07.16
コメント(0)
(この記事は、関西グスタフ・マーラー響の3番を聴く その1 の続きです。)さて少しの間合いが終わって、指揮者が入って来ました。このときは拍手は起こらず、第二楽章が始まりました。この第二楽章は、野の花が話すようなチャーミングさがほしいところですが、今回の演奏は硬さが目立ち、やや消化不良の感がありました。もっとも、この楽章はプロオケでもこのようになることが少なからずありますので、やむを得ないところでしょう。第二楽章が終わると、ここで舞台上手から独唱者がさりげなく入場し、舞台後方右端の、合唱団の前の席に座りました。目立たないようなうまい入場でしたので、拍手は起こらずにすみました。すでに記憶が定かでなくて、もしかしたら独唱者の入場は第三楽章が終わったときだったかもしれません。いずれにせよ拍手がなかったことは良くおぼえています。そして第三楽章が始まりました。早過ぎない、丁度良いテンポで、軽やかに進んでいき、聴きほれるような第三楽章の出だしでした。そしてポストホルンの出番が近づいて来たあたりで、テンポがぐっと落とされてじっくりとした音楽になったのも素敵でした。お膳立て十分の中で、いよいよポストホルンが始まりました。今回のポストホルン、僕は奏者を視認できなかったのですか、終演後の友人による目撃情報によると、4階客席左サイドブロックの舞台寄り、譜面台が置いてある位置で吹いていたそうです。そして使用した楽器は、ポストホルンだったそうです。普通のトランペットよりかなり難しいと思いますが、十分に健闘した、いい演奏でした。奏者のかたを讃えたいと思います。しかし。しかしこのポストホルン、聴いていて非常に大きな違和感がありました。僕の席は1階センター前寄りでした。その席で聴くと、右の上の方、どこか良くわからないところから、ポストホルンが聞こえてきました。「どこか良くわからないところから聴こえてくる」という点は良いのですが、その音量に違和感がありました。音量が、異様に大きいのです。力一杯吹いたのなら、大きな音も出るでしょう。しかしそうではなく、柔らかく、さほど強くない吹き方で吹いているのにも拘らず、音量がやたらに、不自然なまでに大きいのです。舞台上で平行して演奏しているオケの音が、半ばかき消されるほど、不釣り合いに大きいです。違和感は音量ばかりではなく、もう一つ他にもありました。あたかも、至近距離で聴いているようなプレゼンスだったことです。ラッパを至近距離で聴く場合、音のアタック時に、タンギングなどに由来するかすかな雑音が、ときとして聴こえてきます。これはどんなにうまい奏者でもあります。このかすかな雑音は、ある程度の距離があると、殆ど聴こえて来なくなります。今回のポストホルンは、その手のかすかな雑音が、あたかもすぐ自分の目の前で吹いているような感じで聴こえてきて、とても不自然です。そのとき僕は突然に、開演前に会場に流れたアナウンスを思い出しました。前回(その1)の記事にかいたように、そのアナウンスの途中に、「本日の公演はPAを使います」という言葉が聞こえてきたのでした。聴き間違いだと思ってスルーしていましたが、そうか、あれは僕の聞き間違いではなかったのだ、あのアナウンスは、ポストホルンのことだったのか!と、合点がいきました。確証はありませんが、おそらく4階左サイドの客席で吹いたポストホルンの音を、すぐそばに置いたマイクで拾い、それをホール内の高い所にあるスピーカーから流したのではないか、と推測しています。このポストホルンに、マーラーは weiter Ferne と指示しています。かなり遠く、はるか遠く、という感じでしょうか。通常このポストホルンは、舞台の裏手で吹かれます。稀に、ホール内の客席で吹かせる指揮者がいます。コバケンがそうです。それから2007年のマーカル&チェコフィルの京都公演がそうでした。このときは、京都コンサートホールの舞台後方の壁、パイプオルガンの向かって左側のすごく高いところにある窪みのようなスペースに奏者が陣取って、吹いていました。(高所恐怖症の奏者だったらちょっと怖かったと思います(^^;)。ただし、彼らがこの直後にサントリーで3番を演奏したときは、普通に舞台裏で吹かせていました。もしかしたら、京都で試してみたがホール内で吹かせるのは良くないと判断してやめたのかもしれません。個人的には、このポストホルンをホール内で吹かせる方法は、良くないと思います。これまでに繰り返し書いているように(2010年のヤンソンス&コンセルトヘボウの3番の感想記事をご参照ください)、このポストホルンは、自分達と同じ場所にいて同じ空気を共有していてはだめなのだと、僕は思います。それはあたかも、遠くからチャルメラのラッパが聴こえて来るとき、何処からかは良く分からないけれど、何処か遠くのほうから聴こえて来るなぁ、という、そのような距離感を持って響いて来ること、まさにマーラーが指示したように、はるか遠くから聴こえてくること、それが大事なのだと思っています。ポストホルンをホール内で吹いてしまうと、奏者と我々聴衆とが、同じ空気で直接つながった空間にいるということが、あらわになってしまい、「はるか遠く」という感じがまったく出ません。単に奏者との直線距離が、舞台上よりも少し遠ければいい、とは到底思えないのです。今回の演奏は、たとえ4階(最上階)であっても、そもそもホール内で吹いたということだけで距離感が出ないのに、それを(確証はありませんが)マイクで拾って流したことによって、遠いどころか、とても「近い音」になってしまいました。しかもそれが、異様に大きな音量で、他の楽器の音を圧してホール内に鳴り響いたのです。折角のポストホルンが台無しです。。。僕は、聴いていて居心地がどうにも悪くて、耳を覆いたくなるような心境になりました。指揮者のお考えによるのでしょうが、正直PAを使う意味が、僕にはさっぱりわかりません。実際にPAを使ったのかどうかは不明ですので、もし使っていないのでしたら申し訳ありません。でも、いずれにせよ、この大き過ぎる音量と、至近距離からのような聴こえ方は、聴いていてかなりの違和感を感じました。もしも、もしも百歩譲ってPAを使うとしたら、このような音響にならないように、ポストホルン奏者と十分な距離を持ったマイクを設置し、そのマイクで拾った音を、ホール内のスピーカーで静かに流す、というのならわかります。(もっとも、そんなことするんだったら、ポストホルン奏者を舞台裏の遠くにおいて、そこで普通に吹いてもらえば、すむことです。それに折角の生音のコンサートにPAは。。。。)(続きはまた次の記事に書きます。)
2016.07.13
コメント(2)
6月19日、関西グスタフ・マーラー交響楽団によるマーラー3番を聴きに、京都にやって来ました。マーラーの全交響曲を10年かけて全部演奏しようという壮大なプロジェクトとして始まった、マーラーに特化したアマオケです。2012年のびわ湖ホールでの5番を皮切りに、13年京都6番、14年兵庫7番、15年京都1番、大阪2番と着々とプロジェクトが進行中です。最初の3年でいきなり難しい5,6,7番をやってしまうというところからして、並々ならぬパワーを感じます。これまではなかなか都合がつかず聴きに来られませんでしたが、このオケがいよいよ3番を演奏するというので、はるばる京都までやってまいりました。指揮:田中宗利アルト独唱:八木寿子女性合唱:女声合唱団「花野」児童合唱:京都市少年合唱団京都聖母学院ハンドベルクワイア管弦楽:関西グスタフ・マーラー交響楽団マーラー 交響曲第3番6月19日 14時開演ロームシアター京都 メインホール京都は、あいにくの雨でした。時々結構強く降って来る雨の中、平安神宮のそばにあるロームシアター京都に無事到着したのが、13時15分頃でした。京都会館がリニューアルとなったロームシアターには、今回初めて訪れました。ホールが沢山あり、日曜日午後で複数のコンサートが行われていて、多くの人々で賑わっていました。マーラー3番の演奏会が行われるメインホールに行ってみると、すでにホールは開場していて、ホール内には早くもびっくりするほど沢山の人が着席しています。1階センターの前の方に空席を見つけたのでそこを押さえました。ホールの奥行きはかなり短くて、客席はセンター、サイドとも4階まであり、どの席も舞台にかなり近めの作りです。また1階席は列ごとの段差がかなり大きくとられているので、前の席の人が邪魔にならず舞台が良く見えます。これほど段差がとられているのはコンサートホールとしては珍しいです。舞台が近くて見やすいので、演劇などにすごく向いていそうです。舞台上を見ると、弦は両翼配置で、ハープは上手に2台。後方の雛壇を見ると、ベルが見あたりません。ですので、ベルは客席のどこかにあるのだろうと、あちこちを見上げても、それらしいものは見えません。そこで、開演まで時間もあることですので、2階客席を偵察に行くことにしました。すると!2階の左サイドブロックの客席が全部、お客さんが入れないように封鎖されていました。なるほどここで合唱団が歌うのだな、と思って、さらにそのブロックを良く見ると、奥の方に、何やら小さな鐘が数個置いてあります!通常のチューブラーベルではなく、ハンドベルに見えます。ぶら下げる器具のような物はありません。そうか、ここで児童合唱と鐘を鳴らすのだな、なかなか良い配置だ、しかしあのベルはどうやって鳴らすのだろう、手で持って鳴らすのだとすると人手がいるな、などと考えました。(プログラムには明確にハンドベルと書いてあったのですが、それを見たのは終演後だったので、このときはまだ、これが本当にハンドベルなのかどうか、確証が持てませんでした。)折角ここまで来たついでに、一応反対の右サイドも見に行きました。するとすると!なんと、2階右サイドの客席も、全く同じように封鎖されています。しかも、奥の方には、やはり小さな鐘が数個置いてあります!これは驚きました!左右両サイドにベルがある、両翼配置(^^)なわけです。これまでのマーラー3番の演奏会で、合唱の高所客席配置は時々体験していますし、合唱の客席両翼配置も、稀に経験しています。(井上道義とオーケストラアンサンブル金沢&新日フィルの2009年の富山公演がそうでした。)しかし、3番の鐘の両翼配置は、僕はこれまで見たことありません。これは一体どんな響きになるのだろうかと、俄然面白くなって来ました。2階に来たついでに、さらに上の階にも行ってみました。するとするとすると!4階左サイドのブロックも封鎖されてお客さんがはいれないようにしていました。いやぁこれは謎です。この4階左サイドは何に使うのだろう?さっぱりわからなくなりながら、そろそろ開演時刻が近づいてきたので、1階の自分の座席に戻ることにしました。1階の座席に戻り、そこから4階の左ブロックを見上げると・・・。ステージに近い端に、譜面台が一つ、謎掛けのように置いてあります。それでは、まさか独唱がここで歌うのだろうか?と謎が深まりました。そうこうするうちに開演時刻が近づいてきました。1階のお客さんはもう満員の入りです。携帯の電源などに注意を促すいつもの場内アナウンスが流れていました。その中で途中1回、「・・・本日の公演はPAを使いますので・・・」というアナウンスの言葉が聴こえたように思い、おやっ?と思いました。通常クラシックのオーケストラのコンサートでPAが使われることはないからです。僕は聞き間違いだろうと思って、そのままスルーしました。やがて定時になり、オケと指揮者が入場し、演奏が始まりました。冒頭のホルン斉奏、力強く立派です。「ギアダウン」(主題呈示の途中で急にテンポを落とす、大植、アルミンク、ノットなどが近年用いる解釈)はなく、主題提示の終わった11小節からじっくりとテンポを落とす、通常の落ち着いたスタイルです。この楽章の途中で、夏の行進が小さく始まってしばらく続いていくところで、弦楽が半分の人数で弾くところ(練習番号21~25と、63~65)がありますね。ここは通常は、指揮者に近い方のプルトで弾かれます。まれに、各プルトのおもて奏者が弾くこともあります。今回はそれらと異なり、指揮者から遠いプルトの奏者が弾いていました。このやり方は、2011年の大野和士&京響で1回見たことがあるだけの極めて稀な方法です。夏が遠くから来てやがてここに来るというイメージなのでしょうか。大野さんのときに感じた少なからぬ違和感は、今回は特に感じませんでした。それから今回、ホルン主題再現の直前の小太鼓は、ちゃんと舞台裏でやってくれました。しかもこのとき良かったのは、舞台裏とステージとの間のドアを閉めて叩かせたことでした。ここはしばしば、舞台裏とは言ってもドアを開けたままドアのすぐ裏で叩かせて、その結果客席にも盛大に鳴り響き、距離感がまるでない小太鼓になりがちです。ドアを閉めることで距離感を保とうという配慮には感心しました。なおホルン主題時のシンバルは、提示部は一人、再現部は二人で、スコアの指示よりどちらも少ない人数ではありましたが、両者の差をつけているという点は、マーラーの意図を汲み取ったやり方でした。オケの技術はアマオケとしてかなり高いものでしたし、指揮者の作る音楽は、輪郭がシャープでありながらも、テンポを落とすところは腰を割ってじっくりと落として、ゆったりした落ち着きも合わせ持ち、なかなか良い感じです。上記したようなマーラーの意図に添った気配りが、あちこちで感じられて、かなり好感を持った第一楽章の演奏でした。第一楽章が終わると、驚いたことに、すぐ指揮者が退場してしまいました。そして合唱団が入場して来ました。女性合唱団は舞台後方に普通に並び、児童合唱団は、2階客席の両サイドブロックに、入場して来ました。女性合唱団も児童合唱団も、どちらもなかなかの大人数です。この入場のひとときに合わせて、オケの奏者の一部も三々五々と舞台から退場し、一呼吸置いていました。先日のアマオケの3番では第一楽章が終わった後に客席を含む完全な休憩が取られましたが、今回は演奏者のみの休憩だったわけです。(ひとまずここまでとし、この続きは次の記事に書きます。)
2016.07.11
コメント(5)
先週の日曜日、職場の親しい仲間のお見舞いに行きました。梅雨の合間の晴天で、空は青く、いい天気でした。車で高速で郊外に走ること数十分、高速を降りると、田圃の緑が鮮やかでした。途中、ジージーと蝉の鳴き声も聞こえてきて、夏がもうすぐなんだな、と感じました。緑の中にある大きな病院に着き、病院ロビーでご家族の到着を待ちました。集中治療室で、家族以外は面会できないので、ご家族と一緒に入れていただくことにしたのです。10年を超え、一緒に仕事してきた仲間です。いつもまわりの人を気遣い、細かな心配りをする人でした。自分の仕事には妥協せず、数年前に大病を患ってからも、休日にも人知れず出勤して仕事をやる人でした。1ヵ月ほど前に、手術を予定して入院し、手術は無事終わって経過良好で、安心していました。しかし数日前に容態が急変し、かなり厳しいとの知らせがあり、急遽お見舞いに来ました。ご家族と合流し、病室に行きました。意識はない彼に、心の中で、もう仕事ができなくとも良いからともかく元気になって、と呼びかけました。面会を終え、病院玄関を出ると、思いがけず青い空が目に飛び込んできました。空にポツポツと灰色の雲が浮かんでいます。夕刻が近づき、やや傾いた陽ざしをあびて、雲の縁が橙色に染まっています。青と、灰色と、橙色の組み合わせが、なんともきれいで、胸が締め付けられるようでした。二日後、彼は帰らぬ人となりました。享年54歳。人にはとことんやさしく、自分には厳しすぎたよ。セーブするように言ってもきかなかったけれど、でももっともっと言えば良かった。そんなに生き急がなくても良かったのに。一緒に仕事できた13年間、幸せな日々でした、本当にありがとう。これからはゆっくりと過ごしてください。
2016.07.03
コメント(2)
きらクラBGM選手権、6月12日のお題は野口英世の母の手紙でした。遠く異国の地で活躍する息子を誇りに思いながらも、年老いて心細く、寂しさがつのり、息子に会いたいと切に願う母の想いに、打たれずにはいられません。これを読む野口英世の胸中はいかなるものだったのでしょうか。僕はこの手紙に、ジョン・ラターの「弦楽のための組曲」第三楽章をあててみました。これはスコットランド民謡「広い河の岸辺」のメロデイを、弦楽合奏に編曲したものです。「河は、広くて渡れない。飛んでいく翼もない。」と歌われる民謡です。弦楽の美しい響きが、遠く離れた息子を想う母の切なさを伝えてくれるように思います。https://www.youtube.com/watch?v=XlOACawTyYU
2016.06.18
コメント(2)
6月5日のきらクラ最初のお便りは、シュトルムの研究家!と旅先でたまたま出会ったというお便りがありました。小説のような出会いですね。その後も交流があり、電話してBGM選手権のことをお知らせしたということでした。シュトルム全集全6巻がお勧めということです。わたくし、みずうみだけなら読んでみてもいいと思いました(^^;)。番組最初にかかったのは、ノルウェー民謡「結婚行進曲」、アントンセン&マーシャル編曲、トランペットとオルガンによる素朴で素敵なメロディーの曲でした。以前は、クーラの結婚行進曲がかかりましたね。世界中にいろいろある結婚行進曲を、番組で少しずつ紹介してくれたらいいなぁと思いました。キラクラDONの正解曲は、バーンスタインのウェスト・サイド・ストーリーから「マンボ」でした。この曲は、昨年夏(8月9日放送)のきらクラで、真理さんの好きな曲でかかりました。いくつか読まれたお便りの中で、ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユースオケの演奏会のアンコールで、最後はオケ全員が立ち上がって踊りながら演奏した、というエピソードが印象的でした。ニアピンがふたつ出ました。T-SQUARE(ティー・スクェア)の「宝島」という曲の冒頭部分ということで、これはリズムが同じで、なかなか似ていて、楽しめました!あともうひとつ、マツケンサンバが出ました、こちらは全然違っていて、違い過ぎておもしろかったです(^^)。近頃番組で、ふかわさんがスペインへの憧れを語っています。それにあわせて、スペインでは4つの言語が使われているというお便りがありました。始まりはクラシックは、ポール・トーマス・アンダーソン監督の映画「ザ・マスター」で使われていた女性ヴォーカル、ジョー・スタッフォードの歌「No Other Love」。原曲がショパンの「別れの曲」で、しっとりと素敵な歌でした。ショパンのピアノソナタ第2番の第一楽章、ポゴレリッチの1980年のショパンコンクールでの演奏のリクエストがありました。いわゆるポゴレリッチ事件の演奏ですね。(本選落選という結果に、当時審査員だったアルゲリッチが怒って審査員を辞任し、その後に急遽、ポゴレリッチに審査員特別賞が与えられた事件です。)ひょっこりクラシックは、タレガの「グラン・ワルツ」が、ノキア社の携帯の着信音に良く使われているというネタでした。ヨーロッパの空港などでは良く耳にするということでふかわさん真理さんはかなり盛り上がっていましたが、ワタクシはまったく馴染みがなくピンときませんでした。しかしそのあとで、演奏会中にこの着信音が鳴り響いてしまったときに、演奏者がすかさず即興的にそのフレーズを変形させて弾いて応えた、という話があり、それにはものすごく驚きました!真理さんもその場に居合わせたということでした。なんとお洒落な演奏者の反応でしょう。先週の悲愴ソナタに続いて、ベートーヴェンとモーツァルトの意外な接点の曲を紹介するお便りが読まれました。モーツァルトの「オッフェルトリウム」 ニ短調 K.222(主のお憐れみを)、が紹介されました。曲の途中にベートーヴェンの第九の歓喜の主題の冒頭部分が弦楽合奏で何回か出てきました!これにはびっくり。番組では専門家(音楽学者の野本由紀夫さん)の、「結論として偶然の一致だと思う」という解説が紹介されましたね。もちろんいろいろな意見があっていいのですが、ベートーヴェンの内的な発想の元は、誰にもわからないでしょうから、これは簡単に結論づけられないと思います。いろいろな可能性が考えられます。偶然の一致、以前どこかで見聞きしたモーツァルトのフレーズが無意識の底に残っていてそれが沸き上がった、モーツァルトのフレーズであることを熟知していて意識的に使用した、などなど。みなさまはどう思われるでしょうか。両者の類似がこの一件だけであれば、偶然の一致かもしれません。でも先週の悲愴ソナタの一件もありました。それで、ネットで検索して事情通の方のブログhttp://classic.opus-3.net/blog/?p=16336を拝見したところ、モーツァルトの歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」K.50(46b)の序曲冒頭と、ベートーヴェンの英雄交響曲の冒頭が似ているということでした。そこで動画サイトで聴いてみました。モーツァルトはこちらです。https://www.youtube.com/watch?v=cYnJWkvOYT8&spfreload=10モーツァルトはニ長調、ベートーヴェンは変ホ長調と調性は異なるものの、弦の刻みの上に主和音の分散和音のメロディが歌われていくという、かなり雰囲気の似たものになっていますね。偶然の一致で、ここまで複数の類似が生ずると考えるのは、ちょっと無理があるのではないでしょうか。僕は、モーツァルトの作品を良く研究していたベートーヴェンが、意識的に使ったのではないかと思います。それは、こっそり隠れて使用した、などというネガティブな意味合いでは決してありません。モーツァルトのフレーズから霊感を受けたベートーヴェンが、モーツァルトへの敬意をもって、そのフレーズを発展させ、あの素晴らしいメロディーが生まれたのではないか、と想像します。先週の記事にも書いたように、天才から天才へ、受け継がれ、発展した楽想、と捉えたいです。BGM選手権、今回のお題はシュトルムの「みずうみ」の一節でした。シベリウス トゥオネラの白鳥 (えんどうのりこさん)ピエルネ ハープ小協奏曲 作品39から 第1楽章 (歌うつぐみさん)モーツァルト ピアノとヴァイオリンのためのソナタ28番K.304から第2楽章(セルシエさん)ベストは、真理さんの「これにしますわ」の一言とともに決まった、シベリウスでした。○ふかわさんの好きな曲:バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」、マイラ・ヘス編曲によるピアノ独奏版。名曲の名編曲ですね。ふかわさんはご自分で弾いたこともある大好きな曲だそうで、「心の平穏を求めるときに、心の起伏をやさしく平らにしてくれる、心のけばけばを整えてくれる」「邪念が頭をうずまくときに、この曲を聴くと、根本に立ち帰れるというか、音楽が好きなんだということをあらためて認識でき、余計なものをそぎ落としてくれる」と語っていました。○真理さんの好きな曲:モーツァルトの、フルート四重奏曲 第1番 ニ長調 K.285から 第1楽章。パユの演奏でした。パユの大ファンだという真理さんが、先日パユさんのコンチェルトのオケ伴で一緒に演奏したということで、その魅力を乙女として(^^)熱く語っていました。お腹が鳴るのが困るというお便りがありました。これ、普段の生活では別に困らないけれど、ちょびっと困るのは、演奏会で聴いているときですね。音楽が静かなときに、思いがけずお腹が鳴ってしまうと、結構恥ずかしいですよね。一方、誰か他の人から発信(^^)されたお腹の鳴る音は、咳とか他のノイズに比べると、不快な感じがかなり少なく、何か微笑ましい感じすらしますね。きっとそれは、これが不随意な現象で、自分では開始・終了はもちろん、その音量をほとんど制御できない、だから仕方ないよね、ということが大きいと思います。またこれを耳にすると、演奏会後に何を食べようかと、楽しい邪念が湧いてしまうからかもしれません(^^)。最後は、湯山昭作曲の、「お菓子の世界」から「ポップ・コーン」「ドーナッツ」の2曲が流れました。これを聴いて、お腹が鳴ったリスナーさんが、全国にどのくらいいたのかなぁ。
2016.06.12
コメント(6)
BGM選手権、今回のお題はシュトルムの「みずうみ」でした。ヤン・フレイドリン作曲の、フルートとハープによる「Lake Reflection」という小品をあててみました。美しく穏やかな風景と光と、でも夕立が来る気配の中で、小舟に揺られ湖を渡りながら、二人が抱くのは、愛する想いと不安の入り混じった気持ち。音楽はそんな二人の繊細な気持ちの揺れと、きらきらと静かに湖面に反射する光を、かすかな憂いを含んで描写しているようです。ヤン・フレイドリンは1944年生まれのロシアの作曲家です。とあるフルートとハープの小品集のCDを買ったところ、その中にたまたま入っていたのがこの曲で、それで初めてフレイドリンという作曲家のことを知りました。CDはSONYから出ていて、演奏はEva Oertleのフルート、Consuelo Giulianelliのハープというスイスのデュオで、アルバムタイトルは、フレイドリンの曲名からとられた「lake reflections」です。知られざる珠玉の佳品がたくさん入っていて、ちょっとした宝石箱のようです。CDのジャケットです。フレイドリンの曲は、このスイスのデュオの委嘱により2014年に作られ、2015年の夏にこの二人が初演したそうです。CDの一番最後に、この曲が収められています。なんとも素敵な曲の、なんとも素敵な演奏です。こちらで聴けます。https://www.youtube.com/watch?v=O96mc825blE
2016.06.05
コメント(2)
5月29日のきらクラは、ふかわさんがご自分の着ているTシャツの文字を喜々として真理さんに読ませるシーンから始まりました。I am Piano ほか、ピアノに関わる文が沢山書いてあるTシャツで、ふかわさん相当お気に入りのようです。もっともふかわさんは、近頃まったくピアノに触れていないとのことでした。最初の曲は、ラフマニノフの「イタリアのポルカ」でした。トランペットとビアノの楽しい曲で、ラフマニノフにもこういう明るく陽気な曲があるとは知らなかったです。きらクラDONは、タレガのアランブラ宮殿の思い出でした。ふかわさんが、すごく好きな曲なのに間違えてしまったと、かなりのショックを受けていました。お題の演奏がセゴビアの2度目の演奏だと看破するマニアックなお便りもありました。ニアピンが二つありました。アルベニスのアスツゥリアスと、古賀政男さんの「影を慕いて」、古賀さんのは、あまり似てないけど面白かったです。ふかわさんの思っていた曲(ニアピン)はさらにまた別で、「春の海」だったそうですが。。。クラシックとビートルズのマリアージュで、池辺晋一郎さんが33歳のときに作ったというアルバム、「ビートルズ・オン・バロック」から、バッハのG線上のアリアと、レノン=マッカートニーのイエスタディを巧みに絡み合わせた編曲による弦楽合奏が紹介されました。これは実に素敵でした!この類のCDだと、Naxosのビートルズ・ゴー・バロックというのを持ってますけど、この池辺さんのイエスタディほどのインパクトはなかったです。続いてのお便りは、イヴァノヴィッチの「ドナウ川のさざ波」のリクエストでした。この曲をきっかけにクラシックに親しむようになり、同じ趣味の男性と出会って、今度結婚することになったということでした。ひょっこりクラシックは、レオンカヴァルロのオペラ「道化師」から、主人公パリアッチの歌うアリア「衣装をつけろ」が紹介されました。映画「アンタッチャブル」と、自動車のテレビCMで2回出会ったという投稿でした、実はワタクシも、この同じネタ(テレビCMは知らなくて映画だけですが)を少し前に投稿して、ボツになっておりました。残念です。パリアッチのように、心で泣きました(ToT)。真理さんの演奏による、シューマンの「アダージョとアレグロ」のリクエストがありました。勝手に名付け親は、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第三番第三楽章のお題でした。6名採用。猫の留守番 (ニャンコおばちゃんさん)ダメ上司による「もう決まったことだから」への抵抗 (きらクラおじさんさん)悩める博士のひとり言 (チリンさん)あートイレ行きたい通学電車編 (5年前から4児の父さん)サッカー (今日は娘の誕生日さん) 初めての首都高ドライブ、家族を乗せて ( ボロンさん)それぞれにユニークな、名前で楽しめました。この中から選ばれたのは、ダメ上司による「もう決まったことだから」への抵抗、でした。なお、「サッカー」を投稿されたのは、ブロ友さんです。なんと2週連続のメインコーナーへの採用という離れ業です!おめでとうございます!人工知能による演奏システムの開発が進められているそうです。他の奏者の呼吸にあわせて演奏できるということでしたが。。。今のところ進んで聴きたいとは思わないです。○ふかわさんの好きな曲、グラナードスのスペイン舞曲集から、「アンダルーサ」。いい曲です。○真理さんの好きな曲、モーツァルトのピアノソナタ第14番第二楽章。途中にベートーヴェンの悲愴の第二楽章と似た部分が出てくる曲でした。おそらくベートーヴェンが、この部分に触発されて、あの名旋律が生まれたのでしょう。天才から天才へと受け継がれ発展する楽想。かっこうの英語名は何?、というお便りがありました。クックウだそうです。鳴き声がそのまま名前になっているのが日本語と同じということで、ちょっとびっくり。この話題から発展して、ふかわさんが、「日本のことわざと同じ内容のことわざが海外にもあるということに興味がある。」とお話してました。それに対する真理さんのレスが、ふかわさんに今日初めて共感した、というのが面白かったです。最後はアルビノーニのオーボエ協奏曲作品9の2から第二楽章で、お開きとなりました。
2016.06.04
コメント(4)
5月22日のきらクラです。5月19日は真理さんのお誕生日ということでした。おめでとうございます!番組収録がおそらく5月20日で、収録中にケーキがふるまわれた模様です。春の運動会の季節、リスナーさんからのお便りで、クシコスポストの替え歌で「明日は地獄の運動会」が紹介されました。オリジナルは嘉門達夫さんの作った替え歌だそうで、動画サイトで検索したら100万回を超えるアクセスがあって驚きました。番組で歌われた歌詞はオリジナルと少し違っていて、オリジナルはもっと過激でした(^^)。おそらく全国に沢山のヴァリエーションをもって広まっているのでしょう。悲喜こもごもの運動会。今回のきらクラドンの答えは、アンダーソンのシンコペーテッドクロックでした。学校の掃除の時間にかかっていたというお便りが多かったそうです。昨年12月20日の放送でも、学校の掃除の時間にアンダーソンのタイプライターがかかっていたというお便りがありました。アンダーソンは掃除に向いている?そもそも僕の世代では、 掃除のときに音楽はかかってなくて、無音でやるものでした。時代とともに、いろいろな生活場面にBGMが広まっているのですね。その功罪はともかくとして。鶯の次はかっこうの季節ということで、ディーリアスの「春を告げるかっこう」がかかりました。先週のレスピーギに続く、かっこうの音楽でした。ひょっこりクラシックにジングルができました。アメリカ横断ウルトラクイズの音楽で、真理さんの声も入っていました。今回のひょっこり野郎は、ドリフターズの「8時だよ全員集合」のなかの少年少女合唱隊が登場するときに流れた曲ということで、アルカデルトという作曲家の書いた「アヴェマリア」でした。僕もそういうコーナーがあったことは覚えていますが、この音楽にはあまり馴染みがありませんでした。話がそれますが、ドリフターズといえば、「いい湯だな」。きらクラの前の番組、きまクラで、「名曲温泉」というおもしろい投稿コーナーがありました。名曲を名湯にみたてて曲を紹介するという趣向でした。このコーナーのジングルが、ひなびた笛で、ゆったりとくつろぐようなメロディで、なかなか気に入っていました。番組のオリジナルだろうと思っていました。あるとき別なラジオ番組で、ドリフターズの「いい湯だな」がたまたま流れたとき、そのイントロが、このジングルそのものであることを知って、かなり驚きました!さらにそのとき初めて、そのジングルのメロディが、「ばばんばばんばんばん」をゆったりと奏でたものであることに気がつきました。僕の「アハ体験」のひとつです。ドリフターズの「いい湯だな」(ビバノンロック)はこちらです。https://www.youtube.com/watch?v=fpTtvvkWAoIそらみみクラシックは、オルフのカルミナブラーナの一節で、以前にも同じ部分が別そらみみで登場したということでした。ふかわさんと真理さんの盛り上がりは今一つでした。始まりはクラシックは、ベートーヴェンの第九の第四楽章をリッチー・ブラックモアがアレンジした、レインボーの「治療不可」というロックの曲。歓喜の歌のメロディーが終わって展開がかっこよく始まるところで曲がフェイドアウトされていくとき、思わずふかわさん、あーっここから先の展開も面白そう、と。僕も同じ気持ちでした(^^)。BGM選手権、今回のお題は「カフカが残した文章」でした。3枠採用。ヴィラ・ローボス作曲、「ブラジル風バッハ”第4番」から第1楽章(五月の蠅さん) ピアソラ作曲「リベルタンゴ」(ラフマネコさん)ヤナーチェク作曲「タラス・ブーリバ」から第2曲「オスタップの死」(石狩亭ぱとりしあさん)なんと3枠ともブロ友さんでした。いやいや皆様すごすぎます、おめでとうございます!ベストは意表をつくアプローチのピアソラでした。近づく福島の公開収録で、温泉などの話でひととき盛り上がったお二人。そのあとにドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」がかかりました。○ふかわさんの好きな曲は、モンポウ作曲「風景」から「 湖」。ふかわさん、「聴いていて、カフカとモンポウの相性が良さそう」と仰っていて、思わず強く頷きました。○真理さんの好きな曲は、ベートーヴェン作曲、チェロ・ソナタ 第4番から第1楽章。5月19日がお誕生日の真理さんから、以下のお話がありました。誕生日だからというわけではないけれど、自分にとって思い出のある曲は何かと考えた。この曲は学生時代に日本音楽コンクールに向けて練習した曲で、当時の師から「楽譜の裏側を読みなさい」と言われても、ベートーヴェンが何なのかずっとわからなくて、師から「全然違う、全然だめ」と言われ続けた。コンクールの前日のレッスンで、とうとう師から「やっとわかったのね」と言われ、うれしくてぼうぼう泣きながら帰った。自分なりの何かを得て、先生に認められた、コンクールなんかもうでもいいや、少し階段登れたんだ、と思えた。あとから考えると、苦しかったけど、ありがたい時間でしかなかった。真理さんすばらしいお話をありがとうございました!このあと最後に、ヨーゼフ・シュトラウスの、「かじ屋のポルカ」、ボスコフスキー&ウィーン・フィルがかかってお開きとなりました。のちの時代のアンダーソンに通ずる、楽しいポルカでした。鍛冶→鍛錬と、さきほどの真理さんのお話にもちょっと重なるようにも思いました。
2016.05.26
コメント(10)
またまた周回遅れになってしまいましたが、5月15日のきらクラの感想記事です。5月15日のきらクラ!は、ふかわさんの短パン予想!のお便りから始まりました(^^)。見事正解で、ふかわさんは今週から短パンになったそうです。短パン履いてても、短波でなくてFM放送で、きらクラスタートです。番組の最初はレスピーギの組曲「鳥」から「かっこう」がかかりました。まさか短パンの恰好、という洒落ではないですよね?きらクラ!ドン、今回は一瞬の短い和音がパンと鳴るだけ、という短パン問題。ふかわさんによると、出題はこだまっちさんらしいです。当然のようにニアピン祭りとなりました。ヨハン・シュトラウス「ラデツキー行進曲」「春の声」、ベートーヴェン「英雄」、プロコフィエフの古典交響曲。しかしそれでも正解応募が多数あったようで、正解はグリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲でした。前回の林さんと真理さんの二児の母の話つながりから、ふかわさんの少年時代のお話になりました。3人兄弟の末っ子だったそうで、「15,6歳まで、この世界は自分が中心だと思っていた。一回、次男の兄貴と大喧嘩した。お前調子のってんだよ、とめちゃめちゃ切れられた。いまだに忘れられない」と仰っていました。二人のお兄さんたちから、いじられた時代だったのかも、と思っていたら、兄わからんや、いや豈図らんや、逆に唯我独尊状態だったとは、びっくりするやら、なんとなく納得するやらの、ふかわさんの少年時代のエピソードでした。ひょっこりクラシックは、吉永小百合さん主演の映画「キューポラのある町」で使われた音楽でした。裕福な友人の洋風の家を訪れたとき、友人が洒落た窓を開けた途端に、友人の兄の自慢のステレオから流れて来るという設定で、ブラームスの交響曲第4番第一楽章が使われているそうです。この楽章は昨年の公開収録のときにもまるまる流されましたね。今回流されたのは、名演の誉れ高いワルターの演奏でした。クラシックギターを習い始めたというリスナーさんからのリクエストで、バリオスのワルス第2番「君の心のほとりに」。そらみみクラシックは、ジョン・ラターのマニフィカトからの一節「へんてこりんすぎ」。ふかわさんに相当受けていました。そのあと、ラターの自作自演による「すべての美しいもののために」が流されました。普通はそらみみでかかった曲がかかると思いますが、今回は違う曲、通常のラターの特徴である美しい曲でした。憶測ですが、こだまっちさんがラターファンで、ラターの本来の魅力を、この機会に放送で流して広めたい、というお気持ちだったのかなと思ったりしました。ラターのシンプルでピュアな美しさ、僕も大好きです。勝手に名付け親の回答発表です。お題は、クララ・シューマンのピアノ協奏曲から第三楽章でした。6名採用。かなしき空中ブランコ (ベビーソープさん)踊る火星のプリンセス (ナッツ@おおみやさん)あの日を胸に秘めて (山好きかっちゃんさん)北国のドン・キホーテ (スピカさん)居酒屋 はしご (佐藤淳子さん)ああ、あの方が結婚してしまう、こんなにお慕いしているのに(チョコチップさん)この中からひとつ選ばれたのは、「踊る火星のプリンセス」でした。そのあとリスナーさんからのリクエストでかかったのが、モーツァルトのピアノ協奏曲第1番から第一楽章。古楽器オケの響きに乗った軽やかなピアノが素敵でした。ふかわさんはスタッフからのおみやげのクッキーをいただきながらこのモーツァルトを聴いて、「クッキーに織り込まれていたメープルがモーツァルトに非常に絡み合ってとてもあう」と力説していました。良くあうBGM(バックグランドメープル)。○真理さんの好きな曲:プロコフィエフのバレー音楽「シンデレラ」から「真夜中」。この日出題されたきらクラドンのお題とシンクロする、なかなかすごい曲でした。真理さん、「娘が今お姫様にはまっていてシンデレラの話をよくしている」ということでした。○ふかわさんの好きな曲:冨田勲さんのシンセサイザーによる、ドビュッシーの「月の光」。さる5月5日に逝去された冨田勲さんを偲んでの選曲でした。ここでリスナーのサマディさんから冨田さんへの敬意あふれる追悼のお便りも紹介されました。冨田さんのシンセ・サウンドには、僕も心ときめかしたものでした。冨田さんのシンセ作品のすべてを聴いているわけではないですが、僕の特に思い入れの強い曲を書いて、僕なりの追悼とさせていただきたいと思います。○第5作「宇宙幻想」(1978年)に収録の、アイブスの「答えのない質問」、アランフェス協奏曲第2楽章、そして「ソラリスの海」(バッハ)。アイブスは、原曲よりも先にこの富田版で知り、宇宙の謎を喚起するスペース・サウンドに非常に惹かれました。のちに原曲を知ってからも、この冨田盤の魅力はいささかも色あせませんでした。それからアランフェス協奏曲の第2楽章のUFOの発進するサウンドスケープ!曲の最後に、UFOが巨大な轟音をたてて発進するさまが描写されますが、僕のしびれるのはここではなく、曲の真ん中あたりで、少し距離を持った遠くの方で、一機、また一機と、UFO群が少しずつ発進していくところです。音楽の運ぶ哀しみの感じと絶妙にマッチして、SFフリーク青年として、ここ、もうたまりませんでした。これも、僕にとっては原曲を超える魅力を放つ音楽です。○第9作「ドーン・コーラス」(1984年)のA面に収められた、ヴィラ=ロボスのブラジル風バッハからの4曲。僕はこれもまた、原曲よりも先に冨田盤で出会いました。この4曲は本当に傑作ぞろいです。シンセサイザーアルバムの最後の作品だけあって、高度な技術を駆使して、ヴィラ=ロボスの音世界を宇宙的にすばらしく表現しています。僕にとっては、これも随所に、原曲をしのぐ魅力が星々のようにきらめいている、今もとても大切にしている音楽です。蛇足ながら、冨田さんのシンセ音楽のアルバム数が、ベートーヴェンの交響曲と同じ9だったというのは、偶然にしてもなかなかすごい一致かな、と思ったりします。あとサマディさんのお便りにもありましたが、NHKの「新日本紀行」のテーマ音楽。これは本当に心に沁みる名曲ですね。冨田勲さんの追悼番組は、是非録音して聴こうと思います。番組最後は、ラフマニノフの6つの歌から「朝」、ヴォロドスの編曲。以前(今年3月6日)の放送でも、ヴォロドスさんの編曲したモーツァルトのトルコ行進曲がかかりました。あれもすごかったです。6月12日には福島県南会津町で番組の公開収録が行われるということです。
2016.05.24
コメント(4)
BGM選手権、5月15日の出題は、「カフカが残した文章」でした。カフカの草稿というかメモのようなものなのでしょう。カフカのお題は、「変身」についで2度目でしょうか。僕は「変身」のときはまだ、投稿しないで聞くだけのリスナーでした。カフカは、青春時代に夢中になって読みました。「城」、「アメリカ」、「審判」。意味は良くわからなかったけれど、圧倒的に迫ってくる世界の不条理に、一人むなしく抗い、あっけなく敗北する主人公の孤独に、ただただ強烈なインパクトを受けました。そのカフカのお題です!そこでいい曲を選びたいと思いました。それで、いくつか思い付いた曲をあててみると、どれもみな、そこそこ合います。さらに、その曲から芋づる式に連想した他の曲をあててみても、どれもみな、そこそこ合ってしまいます。かくて候補曲群は膨れ上がるばかりで、しかし決定打が出ません。これは困った、と思っているうちに木曜日の夜になってしまい、もう仕方がないので、膨れ上がった候補曲を大ナタでばさばさ削り落とし、なんとか3曲に絞り込んだのが木曜の22時半でした。よし、この3曲を出そう、と決めて、そこから三つの作文にとりかかりましたが、これもまた遅筆ゆえはかどらず、ようやく2本投稿したものの、最後の一つの作文が難航し、気が付いたらもう24時ぎりぎり!あわてて、ともかくも送信のボタンを押したのが、おそらく24時ジャストだったかと思います(^^;)。○ヴァレンティン・シルヴェストロフ作曲チェロとピアノによる「三つのポストリュード」(1981/1982年)から第3番https://www.youtube.com/watch?v=7tjP7eF83x8シルヴェストロフの音楽は、ひそやかな悲しみとほのかな温かみと郷愁を秘め、現代に生きる孤独がにじみ出て来るようで、かなり好きです。カフカの世界観と、軋みあいながらも、じんわりと共鳴するように思いました。○モンポウ作曲 組曲「内なる印象」第1番哀歌 第1曲冒頭から、第2曲途中までhttps://www.youtube.com/watch?v=yP3pJ9ZkF3M内なる孤独と向き合う切り詰めたピアノの音が、カフカの不条理な孤独を、鮮やかに際立たせるように思いました。「内なる印象」は、5月1日の番組でもリクエストでかかりましたね。僕はこの曲を、舘野泉さんのピアノで愛聴しています。○アルビノーニ作曲 アダージョト短調https://www.youtube.com/watch?v=zuh3WyfVL2M昔オーソン・ウェルズが、カフカの「審判」を映画化した際に、この曲が使われていました。白黒映画です。この映画の細かいところは全然覚えていないのですが、映像とこの音楽が、僕の中で固く結びついてしまい、カフカと言えばこの曲がまず頭に浮かんでしまいます。「変身」には合わないけれど、このお題には、結構合うように思いました。リンクを貼った画像の演奏は、カラヤンによるもので、一つの美の極致と思います。そしてこの画像は、今回たまたま検索して初めて見ましたが、かなり良いです。SFファンの立場から見ると、かなり見ごたえある、完成度の高い映像作品(静止画のスライド形式)です。ただし途中に映画「ディープインパクト」みたいな津波の絵が、動画ではありませんが出てきますので、試聴にあたってはご注意ください。)それにしても今回のお題、合う曲の範囲がすごく広いなと思いました。カフカの文章の懐の深さゆえでしょうか。
2016.05.21
コメント(4)
5月8日の放送は、母の日特集でした。子供から母への想いと、母から子供への愛情と、両方の音楽やお話が、あちこちにちりばめられた内容でした。番組最初の音楽は、母の日にちなんだ曲として、シベリウスの「5つの小品(花の組曲)作品85 の第2曲「カーネーション」という、愛らしい小品でした。これに続いてすぐ、メゾ・ソプラノの林美智子さんが登場されました。林さんは6歳になる双子の男の子の母親だそうです。林さんの歌で、サン・サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」から、デリラのアリア「あなたの声に心は開く」がかかりました。林さんは「(オペラは、)身を捧げきって投じるだけ、そこにもう自分はない、感じるということに徹する、音楽が自分の声を引き出してくれる」「10年くらい前から、たとえ声が出なくなっても、何かを伝えることができると思うようになった」などなど、のっけから濃いお話をされてました。母の日の風習は国によっていろいろだそうで、オーストラリアでは母の日に菊を贈るということで、母の日にちなんだ音楽の2曲目、プッチーニの弦楽四重奏曲「菊の花」がかかりました。BGM選手権、今回のお題は「寿限無」きらクラ!スペシャル・ヴァージョンでした。4枠採用。ラヴェル「ボレロ」終結部(ばけがく屋さん)オーリック「オーボエ,クラリネットとファゴットのための三重奏曲」第一楽章(ちゃちゃ命さん)アンダーソン 「トランペット吹きの休日」(じゃく!やりました!)武満徹 映画音楽「どですかでん」から(霜月歩さん)自分の投稿が久々に採用されて、笑いも取れて、とてもうれしかったです。"(^o^)/ そして次の武満さんの「どですかでん」、これは感動しました! 先行3曲とはまったく異なる路線で、三丁目の夕日のような、良き時代の郷愁をそそる、ほのぼの、しみじみとしたBGMです。あたかも若い夫婦の人生を、時空を隔てたところから「ここまで来て良かったね、これからもいろんなことがあるけれど、幸せに過ごせるよ」と、温かくやさしく見守っているような感じで、しんみりと、心温まり、じーんとしちゃいました。聴き終わったふかわさんが開口一番「感動~!」、林さんも「音楽って素晴らしい!」。聴く者を幸福で包んでくれるような、何とも素晴らしいこのBGMが、ベストに選ばれました。母の日にちなんだ3曲目、ドボルザークの歌曲集「ロマの歌」から「母が教えてくれた歌」が、バリトンの歌唱で流れました。お便りが読まれました。84歳になる閉居がちの母を、なんとか外で楽しく過ごしてもらいたいと思ってコンサートに誘ったところ、「行く」と即答を得て、メンデルスゾーンのコンサートを楽しんでもらえた、母がクラシック音楽好きだということを初めて知った、母とクラシック音楽を聴きに行く時間という新しい宝物を大事にしたい、という素敵なお便りでした。ここで唐突に、ふかわさんが「息子にしたい作曲家は?」とお二人に質問。それに対する林さんの答えは、大好きな作曲家であるというプーランクでした。そしてかかった音楽が、アポリネール作詞、プーランク作曲の歌曲集「月並み」から「パリへの旅」「ホテル」。林さんのくだけてわかりやすい楽曲解説が面白かったです。林さんは、「プーランクと詩人アポリネールとの名コンビが、日常のちょっとした瞬間に起こることを素敵な形に残した、素晴らしいことです、」などなどと話しているうちに、あっと声をあげ、「そしたら自分の双子の一人を詩人に、一人を作曲家にすればいい!」と名案(^^)を思い付いていました。一方、真理さんが息子にしたい作曲家は、モーツァルトでした。天才教育に走る父親をいさめたい、という母親の愛あふれたお話でした。そして「“ママ、聴いてちょうだい”による12の変奏曲」―いわゆるきらきら星変奏曲―がかかりました。続いてそらみみクラシック。林さんのネタがひとつ、モーツァルトのフィガロの結婚から、レチタティーヴォで「助かりました」。その後は、お二人のリスナーさんからの器楽そらみみとして、バッハの管弦楽組曲第3番第3曲「ガボット」に「あっちかなかぁ、こっちかなぁ、あっちもこっちもどっちもいいけど」と「真っ赤だなー、真っ赤だなー」が紹介されました。母の日にちなんだ4曲目は、ワルラモフという作曲家の「赤いサラファン」。サラファンはロシアの民族衣装で、赤い色は花嫁衣裳に使われる色で、母が娘の花嫁衣裳を縫いながら歌う歌だそうです。勝手に名付け親のお題:クララ・シューマンのピアノ協奏曲イ短調作品7から第三楽章。ピアニストであり作曲家であり、母であったクララ。これも母の日にちなんだ音楽としてのお題ですね。林さんからのおすすめ曲として、ドボルザークの歌劇「ルサルカ」から「月に寄せる歌」がかかりました。太陽のように明るいと言われる林さんですけれど、実は太陽よりもお月様が大好きで、夜は必ず空を見上げて月を確かめたりするそうです。「もしかしたら自分は月から来たのかなと思ったりするほど、月が好き」と仰っていました。林さんがお帰りになった後、母の日にちなんだ音楽のしめくくりとして、ブラームスの歌曲、「眠りの精」、「子守歌」。アメリングの歌、ルドルフ・ヤンセンのピアノで流れました。そして最後のラジオネーム読み上げでは、多くのブロ友さんのお名前が色々と読まれて、びっくりうれしいエンディングでした。林さんの太陽のような明るさと屈託ない笑いに、幸せなパワーをいただいた放送でした。
2016.05.14
コメント(8)
BGM選手権、4月24日の出題は、「寿限無」きらクラ!スペシャル・バージョンでした。楽しい音楽がいいなぁと思って、すぐ思いついたのが、ルロイ・アンダーソンの「トランペット吹きの休日」でした。合わせてみたら、疾走するテンポ感がいい感じでした。このお題には、アンダーソンの明るさとほどよい軽さが、なかなか合うな、と思ってアンダーソンのCDを1枚聴いたら、他にも良いのが二つほどありました。それで、もう他にはあれこれ考えるのをやめて、アンダーソン3本固め打ちとしました。1本目 「トランペット吹きの休日」 疾走路線。https://www.youtube.com/watch?v=N3Q3HP94qCEこれはアンダーソンの指揮による演奏です。快速テンポですね。序奏にあわせて、「ポンポコピーのポンポコナァ」と歌っていただくと、さらに盛り上がります(^^)。2本目 「タイプライター」 ユーモア路線。https://www.youtube.com/watch?v=q_q5iuaBvOk聴きながらこの名前を正しくタイプできるなら、早打ちタイピスト免許皆伝?3本目 「鐘の歌」 あたたか祝福路線。https://www.youtube.com/watch?v=EUjMO9jHymw子供を祝福するような鐘の音が響き、親の喜びがワルツに乗って浮き浮きとはずみます。もしもどれか一つに絞れと言われたら、幸福感ゆえ、これにしたいです。どれもきっと被りまくりだろうと思います(^^;)。しかも、2本目と3本目を投稿したタイミングは、すでに放送収録後で手遅れだったかもしれない、という疑念が(ToT)。。。
2016.05.07
コメント(12)
4月29日、アマオケのマーラー3番を聴きました。今年初めてのマーラー3番です。手作りの、心のこもった素敵な3番で、幸せな気持ちになりました。指揮:岡田真管弦楽:オーケストラ・アンサンブル・バウムメゾ・ソプラノ:愛甲久美合唱:コール・クーヘン山崎朋子 合唱曲「変わらないもの」小宮真美子 合唱曲「いつまでも伝えたい」マーラー 交響曲第3番2016年4月29日 オリンパスホール八王子オリンパスホール八王子は、今回初めて訪れました。八王子駅直結と便利で、2000人収容の規模の大ホールでした。ホールにはいって、1階平土間の客席ほぼセンターに座りました。見たところ、反響板などもしっかり作られています。舞台上で練習している何人かの奏者の音の聴こえ方からすると、響きがかなり良さそうで、良い雰囲気の、本格的なホールです。セッティングを眺めると、ハープが舞台下手に2台、コントラバスが上手に10台、通常配置です。舞台後方の雛壇に打楽器が並んでいますが、鐘が見当たりません。そこで客席をぐるっと見渡すと、おおっ、2階左サイドのブロックの、ステージに一番近いところに、チューブラーベルが鎮座しています。そしてそこのブロックは、お客さんが入れないようにしているようでした。ここで児童合唱を歌わせるのに違いありません。期待が高まります。このように、児童合唱だけでなく、ベルと児童合唱をセットで一緒にして高いところに配置するやり方は、マーラーの指定を守った方法ですし、特にこのように客席などを使って思い切り高くすると、効果絶大です。この高さの指示をきちんと守ろうとする指揮者はそれほど多くありませんが、それでもポツポツと遭遇します。ベルと児童合唱をセットで一緒に高く配置した演奏会について、記憶にあるもの及び2009年以降で自分のブログ記事で確認できるものを列挙してみました。 コバケン&日フィル (サントリー)、客席 三河正典&小田原フィル(小田原市民会館 2009年11月)、客席 尾高忠明&札響(キタラ 2010年9月)、客席(鐘はホール外通路) 大野&京響(京都コンサートホール 2011年7月)、客席 沼尻&群響 (群馬音楽センター 2012年1月)、舞台上の雛壇 大植&大フィル 兵庫県立芸術文化ホール 2012年5月)、舞台上の雛壇 アルミンク&新日フィル (すみだトリフォニー、2013年8月)、オルガン奏者用通路 ノット&東響 (サントリー&ミューザ川崎、2015年9月)、客席他に、記事で言及していない、あるいはそもそも記事を書いてない、というためにもはや確認できない演奏会も少なからずありますが、大体毎年1回くらいは出会えるようです。さて今回のプログラムは、マーラー3番に先立って合唱曲が二つ歌われました。児童と女声の2部合唱で、オケ伴奏でした。プログラムによると、“卒業式でも定番の合唱曲「変わらないもの」は、景色が移り変わる中で友に出会い、支えあい、分かち合った思い出を語る、そんな感謝の気持ちを「1年先も10年咲きも変わらない思い」と歌う。発表されたばかりの「いつまでも伝えたい」は、この星に生まれ、生きてゆく幸せに、心からの「ありがとう」を伝える地球賛歌。これから歌い継がれるであろう名曲。”トロンボーンも加わったオケ伴奏に乗った合唱が心をこめて歌う歌は、素晴らしかったです。3番の合唱は出番が少ないですから、それに先立ってまず合唱を歌うというのは、特にアマチュアの演奏会では、合唱の「やりがい」を高め気持ちを充実させる意味で、とても良い企画だと思いました。歌のテーマもこの時期、この状況の中での演奏会にふさわしく、聴いていて、とても感動しました。このあと休憩を挟まず、合唱団が舞台から退場し、オケの残りの人たちが入場し、そして3番が始まりました。ホルンはアシスタントなしの8人です。冒頭のホルン主題から力強く、ゆっくりしたテンポで、演奏されていきます。岡田さんの音楽は、シャープではないですが、丁寧な、心のこもった演奏で、とても好感を持ちました。こまかなミスや、音落ちは、結構ぽちぽちあって、はらはらしますけれど、指揮者の目指す音楽の方向性と、それに共感するオケの気持ちが十分に感じられて、なかなか良い第一楽章でした。ホルン主題時のシンバル人数は、冒頭も再現部も一人だけで、これは人手の点でやむを得なかったのでしょう。それからホルン主題再現前の小太鼓は、舞台裏でなく、舞台上でそのまま盛大に叩いていました。人手や楽器の事情などからやむを得ない現実的な選択だったのだと思いますが、これはやはり残念でした。あと細かな点ですが、気になったことがひとつありました。演奏中に、ごく微かですが、鐘、あるいは鉄琴のような楽音が、たまに聞こえてきたことです。音源は良く分からないのですが、おそらく、2階の客席に置いたチューブラーベルが、何かの具合でオケの音に共鳴するような現象を起こし、ときどき音が鳴ってしまったのではないかと想像します。本当に微かな音ではありましたが、曲の最初から最後まで時々聴こえてきてしまい、少し気になりました。長く出番のないときの打楽器(ベル?)の消音対策が、ちょっと甘かったのだろうと思います。第一楽章が終わったとき、あらかじめプログラムに書かれていたとおり、15分の休憩が挟まれました。ここで休憩をとるのは異例のことですが、演奏者、聴衆の集中力を保つためには、アマオケとしては悪くない方法と思いました。蛇足ですが、第一楽章が終わって休憩にはいるときに指揮者が客席に向かってお辞儀をされたため、拍手が起こりました。第一楽章終了時の拍手には初演時の歴史的な意味もあり、今回はその意味とは異なるものでしたが、それなりに貴重な体験でした(^^)。詳しくはこちらの記事のコメントの7番目、もぐぞうさんからいただいたコメントと、それ以降のコメントをごらんください。http://plaza.rakuten.co.jp/jyak3/diary/201005040000/comment/write/#comment休憩の終わりごろに、合唱団が2階の客席に入場してきました。静まった会場に入場してくるのでなく、まだ休憩中の会場に、気楽に入ってきて、リラックスした感じでした。そしで2階の左前のブロックに陣取りました。ステージに近い方から順に鐘、児童合唱、女声合唱です。合唱団が着席し、オケが入場し、続きが始まりました。第二楽章以降も、ゆっくりとしたテンポで、あたたかい音楽が進んで行きました。そして第三楽のポストホルン(舞台下手のドアをあけて舞台裏で吹いていました)が、実に魅力的でした!ごくごく微かな傷がないわけではなかったですけれど、何よりもその温かな音色と、歌いまわし、歌心にうっとりとさせられ、大感動しました。第三楽章が終わって、独唱者が入場して指揮者のすぐ左隣の椅子に一度着席しました。幸いにも独唱者の入場に際して拍手が起こりませんでした。そして独唱者が改めて起立し、第四楽章が始まりました。第四楽章が終わると、指揮者は指揮棒をあげたまま、客席の合唱団の方を向き、合唱団を立たせて、すかさず第五楽章が始まりました。これならアタッカと言えます。第五楽章、合唱の出番です。この合唱団は、女声合唱と児童合唱とが同じひとつの合唱団で、その名前が、コール・クーヘン。オケがバウムですから、合わせてバウムクーヘン!というお茶目なネーミングですから、オケと一緒に日ごろから仲良く活動されているのだろうと想像します。そしておそらく、この合唱団にはお母さんとお子さんのペアも少なからずいらっしゃるのでしょう。ほのぼのとした感じがありました。おそらくそれほど場数を踏んでいないであろう小さな子供たちを、緊張させないでのびのびと歌えるように、大人たちがいろいろと配慮していたのだろうと思います。しかしそれでも、合唱団がかなりの少人数(児童合唱14名、女声合唱14名)のため、さすがに声量的にちょっと厳しいものがありました。そしてこの第五楽章は、大きな事故が起こってしまいました。途中何箇所かで、オケ伴奏が止まってしまい、合唱がアカペラで歌うはめになってしまったのです。合唱もあやうく止まりそうになりましたが、踏ん張って歌い続け、オケもふたたび鳴り始めて、なんとか楽章の最後まで、到達しました。良かった良かった。なお独唱者の座るタイミングは確認しそびれましたが、第五楽章の途中で坐られていました。第五楽章が終わり、指揮者はそのまま合唱団を座らせることなく、完全なアタッカで最終楽章が始まりました。(合唱団はそのあと少しして、合唱団への照明が落とされるとともに静かに着席しました。いい感じの着席でした。)そして最終楽章が、一貫してゆっくりした歩みで、名演でした。この指揮者の方、決して急がず、ゆったりとした音楽で、フレーズの最後を良くためて、マーラーの歌を温かくうたってくれます。この指揮者の歌わせ方、好きです。マーラーの音楽が、あたたかく、響き渡ります。やがて、最後近くの金管コラール(練習番号26)のところに来ました。第三楽章でポストホルンを吹いたと思われる女性奏者が、第四楽章は舞台上の雛壇に戻って、トランペット席の一番上手側に座っていましたが、ここまでずっと吹かないで来ていました。そしていよいよ、このコラールで、満を持して吹き始めました、当然一番パートを吹かれたのだと思います。この方、この難所も美しく温かく、見事に吹いていただきました。指揮者は、この部分を、少しも急がずゆったりとしたテンポで進め、素晴らしかったです。そのあと、最後の主題の高らかな歌(練習番号29)は、テンポ少し速めましたが、違和感はありませんでした。そのあとも音楽の響きが輝かしく、最後まで充実した音楽に浸ることができました。ブラボー!☆ 演奏会後に思ったこと僕は、常日頃音楽を聴いていて、ちょっとやそっとのミスがあっても、それでがっかりしたり、感動が損なわれたり、ということはほとんどありません。特にこの曲のように難所が沢山あれば、どこかで音がひっくり返ったり、音が出なかったりすることは、ある程度致し方ないことだし、その手のミスは感動体験とはあまり関係がない、と思っています。もちろん技術は大事ですし、できれば高い技術の演奏を聴きたいです。でも音楽の感動の本質は、そことは異なるところにあると思っています。だからこそアマオケの演奏からもこの上ない感動を受けることがあるのだと思います。今回の3番は、オケや合唱団にとって、技術的には正直ぎりぎりのところだったと思います。小さなミスが多発しましたし、第五楽章にはちょっと前例のないほどの大事故がありました。しかしそれでも、僕はとても感動し、幸せな気持ちになりました。そこに、何かひとつの大きな温かなものを感じたからです。やはり指揮者の力が大きかったと思います。指揮者の岡田真さんという方は、プログラム等に紹介記事が載っていないので、プロではないのだろうと思います。セミプロなのか、アマチュアなのか存じ上げませんが、どちらにしても、ここまで温かな3番演奏を実現するというのは、なかなかできないことだと思います。この岡田さんを中心にオケが一つにまとまり、手作りの、心温まる、ほのぼのとした、アマチュアの良さが十分に発揮された3番でした。聴後に、幸せな気持ちになりました。岡田さんと皆様、ありがとうございました。それからポストホルンを吹かれた方について、是非とも書いておきたいことがあります。今回第三楽章のポストホルンを聴いていて、その明るく美しい音色と豊かな歌心に、僕はすっかり心を打たれました。聴いているとき、何故か、あるアマオケの3番演奏を思い出していました。それは2013年10月に府中の森で行われた、TAMA21交響楽団というアマオケの演奏会です。このオケ、驚異的にうまかったのですが、中でもポストホルンが特筆すべきすばらしい演奏だったのです。ちなみにそのTAMA21響の3番演奏会については、独立した記事には書きませんでしたが、こちらに少し書きました。http://plaza.rakuten.co.jp/jyak3/diary/?ctgy=14このときポストホルンを吹かれたのが、守岡未央さんという方でした。そして今回、ポストホルンを聴いているときに、何故かふと、このTAMA21交響楽団の3番のポストホルンを思い出したのです。「そういえばあのときのポストホルンも素晴らしかったなぁ」と思いながら、音楽に浸っていました。そうしたら! 後日ブログ記事を書くために、プログラムに載っているオケのメンバー表を見たら、なんとポストホルン守岡未央さんと書いてありました!TAMA21響のときと同じ奏者だったのです。道理で素晴らしかったわけだし、聴いていてTAMA21響の演奏を思い出したことにも合点がいきました。僕は、TAMA21響の3番を聴いて以来、この守岡さんという方の名前を意識していました。守岡さんは2014年に行われた第12回東京音楽コンクールの金管部門に出場されたので、結果を見守っていたところ、優勝こそ逃したものの、見事に第3位及び聴衆賞を獲得されました。(☆5月7日追記:つい先ほど知ったのですが、守岡未央さんは、2015年日本音楽コンクールのトランペット部門で堂々優勝されてました!!あわせてE.ナカミチ賞、岩谷賞というのも受賞されてました。今やときの人なんですね。知らないで間抜けなワタクシでした。審査結果はこちらに載っています。http://oncon.mainichi-classic.jp/common/result2015.shtmlいまさらながら、今回の3番、すごい人のポストホルンで聴けちゃったわけです(^^)。幸せ度がさらにアップしました!)守岡さんは、今年の7月14日に東京文化会館小ホールでのリサイタルもあります。こちらです。http://www.t-bunka.jp/sponsership/spo_160714.html昼間で聴きにいけないのが残念です。今回の演奏をきいて、ますます守岡さんの音楽の素晴らしさを認識しました。いずれまたマーラーなどを聴かせていただければ、と思います。今後、新進トランペット奏者としてますますご活躍されることを、大いに期待しています。なおメゾソプラノの愛甲さんは、宮崎県出身で、現在大分県立芸術文化短大で教えられているということです。ロビーには九州の震災の募金が行われていて、僕もささやかながら募金をしました。愛甲さんを通じて、被災者の方に届けられるということでした。
2016.05.05
コメント(4)
5月1日のきらクラは、5月の始まりにちなんだリクエスト、ルネッサンスの作曲家トーマス・モーリーの軽やかで心躍る合唱曲「今や5月」で始まりました。きらクラ!DONの正解曲は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調第一楽章でした。中学の音楽の先生の指導で、先生がピアノを弾き、皆がそれぞれ思い思いのパートで、この曲を演奏したこと、この曲が自分の音楽人生の扉を開けてくれた、というお便りがありました。ユニークな素晴らしい指導をされた先生ですね。それから昔ヴァイオリン発表会でこの曲を弾いたが、出だしのテンポをつかむのを失敗し、ものすごく速い演奏になってしまい冷や汗をかいたというお便りもありました。真理さんも、学生時代、同級生からヴァイオリンを借りてさわりを練習した、それほど誰もが憧れる曲だ、ヴァイオリンという楽器の音色に本当にマッチした音楽だ、というお話をされていました。ニアピンがありました。モーツァルトの交響曲第40番ト短調 第一楽章冒頭。ふかわさんもこれだと思っていたそうです。ステッカーはなし。ドビュッシーのフルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタを聴いて、初めて聴いたのに懐かしい感じがして、なぜか三好達治の詩「甃のうへ(いしのうえ)」が浮かんだ、というお便りがありました。ふかわさんは、この曲を聴いて、映画「ミツバチのささやき」の光景が浮かんだということでした。スペインのビクトル・エリセ監督の第1作、素敵な映画でした。。。ところでこの曲は、第1回BGM選手権で採用された曲で、はからずも先週のラフマニノフ、今週のドビュッシーと、第1回BGM選手権の採用曲が続きました。となると来週はフィンジがかかる?ひょっこりクラシックは、イギリスBBCのコメディテレビ番組「空飛ぶモンティパイソン」のオープニングでした。スーザの行進曲「自由な鐘」をアレンジしたものが使われたそうです。モンティパイソンという番組名は覚えていますが、見たことはなかったです。メンバー紹介は、ヘンデルの「調子のよい鍛冶屋」でした。ワタクシ番組を聴いていて、最初、「えっ!調子の良い鍛冶屋に第一番とか第二番とかあるのか?」と早とちりして、かなり驚きました(^^;)。しかしそうではなくて、ハープシコード組曲第5番の一部だということで、この組曲の他のメンバーが紹介されました。(鍛冶屋というタイトルを付けたのはヘンデル本人ではなく、のちの人だそうです。ここ好きクラシックは、ニールセンのヴァイオリン協奏曲でした。昨年は生誕150周年だったが番組ではあまりかからなかったということで、このあと交響曲第3番(先週のBGM選手権の採用曲です)から第四楽章が、かかりました。勝手に名付け親、今回はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番の第二楽章に、6つの名前が付けられました。日記の時間(ちっちさん)、ベスト獲得。待ち人来ず(もりおかのんさん)天使の涙(スロープさん)飲み過ぎた翌朝の休日に、ベッドの中で昨夜の記憶をたどる(ぱぱきよさん)雨に煙る兼六園(まこさん)産卵を終えた鮭たち(蛙と鮭さん)蛙と鮭さんはブロ友さんで、ワタクシが勝手に「よろず名付けお屋」と呼び、私淑している方です。先日の興奮さめやらないうちの再採用、おめでとうございます!ビーバーのソナタ第四番ハ長調。古楽器の落ち着いたやさしい響きが、素敵です。おふたりの、今週の好きな曲○真理さん:アンダーソンの「ワルツィング・キャット」。真理さんが、「ポップスと言ってもいいキャッチ―なメロディとわかりやすい音楽づくり」とアンダーソンの魅力を語り、ふかわさんがミドルネームを謹呈していました。遠藤アンダーソン真理。そしてもしも真理さんがこの曲を演奏したら、最後の犬の鳴き声は真理さんがやりたいというお話で盛り上がりました。すっかり忘れていましたが、きらクラの始まったころ、真理さんが小型犬の鳴き声名人ぶりを時々披露されていましたっけ。今回真理さんは特に言及されなかったけど、明るい音楽を届けたかったのだと思います。○ふかわさん:ロジャーズ作曲、映画「サウンド・オブ・ミュージック」(栗山和樹による、「名曲アルバム」用編曲版)。近頃ふかわさん、映画音楽志向性がかなり強まっているようです。ところでふかわさんが「この曲が京都のものになってしまっているのがつらい、京都には何の罪もないが、取り戻したい」と熱く語っていました。その意味が謎だったので、検索したところ、わかりました。この映画の中で歌われる名ナンバーMy favorite things(私のお気に入り)https://www.youtube.com/watch?v=33o32C0ogVMを、JR東海が、CM「そうだ 京都、行こう。」のテーマ曲として、20年以上の長きにわたって、使っていたんですね。https://www.youtube.com/watch?v=2MQsCGhIrVs(このCMどれ見ても、京都きれいですね~。)ふかわさんがあわせて「奈良のものになろうとしている、奈良に罪はないが」の謎も解けました。JR東海による奈良のCMに、ボロディンの「韃靼人の踊り」が使われていました。音大合格ならず?浪人となった方からのリクエストで、モンポウの組曲「内なる印象」がリクエストされ、「ゆりかご」「秘密」がかかりました。僕は、舘野泉さんのこの曲のCDで、舘野さんと出会い、モンポウと出会いました。もうそれから四半世紀がたちます。今もモンポウの中で僕が一番好きなのが、この組曲の第1番「哀歌」の第1曲、レントです。この第1曲には、拍子がありません。楽譜を見ると、一応小節線がところどころにあって区切られていますが、小節ごとの拍の数が一定していません。まさに拍節感のない、内なる空間を静かに漂うような、美しい曲です。そして舘野さんの演奏が、素晴らしすぎます。番組の最後に、熊本県菊陽町にお住まいの短大の先生からのお便りが読まれました。学校の体育館が救援物質の集積場になり、学校の復旧と救援物質の積み込みと積み下ろしの作業の毎日で心身の疲労がたまっているある日、作業中に不意にピアノの音が聞こえてきた。体育館のピアノを調律師の方が調律していた。その調律師の方も被災したはずなのに、以前から調律の予定が決まっていたので、その予定通りに来てくれた。調律が終わってから不意にバッハのゴールドベルク変奏曲を弾き始めた。その瞬間、えも言われぬ感動をおぼえた。音楽がこんなに心に沁みたのは初めてだった。今回被災して、改めて音楽の力を感じている。・・・先週の真理さんの1曲、そのあとのふかわさんのお話。この調律師の方は、先週の放送を聴かれたのではないでしょうか。きっと。
2016.05.03
コメント(6)
4月24日のキラクラは、静岡県の、気分はいつもト長調さん(お名前を良く耳にする方です)から、熊本の方々への応援のメッセージと音楽(元気が出る音楽として、ショスタコーヴィチのジャズ組曲第2番からの1曲)で始まりました。熊本の町が教えてくれた「できないことがあるのは仕方ないけれど、できることは懸命にやりなさい」が、一番大切にしている座右の銘だということでした。ふかわさんもそれを受けて、全国に音楽を届ける仕事をしていて、基本的には自分に与えられた仕事をまっとうする、その奥に、聴いている方のいろいろな気持ち・状況を想像しながら発信している、とお話されていました。きらクラDONの正解曲は、ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」から「狩人の合唱」でした。今回も様々なお便りが紹介されました。小学校の時ヴァイオリンの発表会で好きなフレーズを思わず繰り返してしまった方、「魔弾のいて」と読んでいた方(星座は「しゃしゅ座」ではなくて「いて座」なので、無理もないです。魔弾が当たってイテッ!?)、12年前の新潟県中越地震で被災したときこの曲に励まされたというアマチュアホルン吹きの方、47年前のクラス対抗の合唱コンクールで男子クラスとしてみんなで頑張った、本番当日、校庭をうろついていたおとなしい秋田犬をつかまえてステージに上がったという方、などなど。(犬のくだりは、ふかわさんと真理さんは意味が良くわからなかったようです。狩りの歌なので猟犬をイメージしての演出だったと思われます。犬も歩けば合唱コンにあたる。しかし舞台上で吠えなくて良かった。)来たる5月8日母の日の放送は、ソプラノの林美智子さんがゲストとして登場されるというアナウンスがありました。林さんは二児の母でもあり、真理さんの最初の産休のときに、ピンチヒッターとして一度登場されているということです。僕はこの放送は聴いてなかったですが、真理さんが仰るには、ふかわさんが林さんに求婚していた(^^)ということです。ベルトミューという作曲家の、フルートとハープのための「五つのニュアンス」が紹介されました。素敵な曲で、ふかわさんがかなりやられていました。先週のひょっこりクラシックつながりで、サティのジムノペディが、1963年のルイマル監督の映画「鬼火」でも使われていたというお便りがありました。続いて今週のひょっこりクラシックは、メリル・ストリープのファンの方から、映画「めぐり合う時間たち」で使われていた曲を、曲名はわからないがかけてほしいというお便りで、リヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」から「眠りにつくとき」がかかりました。BGMとして流れたのではなくて、映画の中で家の中のラジオから流れたということでした。メンバー紹介は、カバレフスキーの組曲「道化師」から、運動会の定番曲「ギャロップ」以外のメンバーが紹介されました。今年はシェイクスピアの没後400年ということで、(1616年4月23日生まれだそうです)シェイクスピア祭りを提案するお便りもありました。BGM選手権、今回のお題は、茂木健一郎の「カラヤン 音楽が脳を育てる」でした。3枠採用。バルトーク 管弦楽のための協奏曲から第四楽章「中断された間奏曲」(さくらいまさとさん)ニールセン 交響曲第3番「広がり」冒頭(町中の庭師 ケッフェル196bさん)ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲から第18変奏(みこさん)ベストはラフマニノフでした。ベスト選びにあたって、ラフマニノフの曲に対するふかわさんと真理さんのくい違いが面白かったです。ふかわさん、「この音楽は懐が深くて、いろんな世界観に合うけれど・・・」「(自分は)へそ曲がりですから」「この曲は、もう、殿堂入りと言うか・・・」対して真理さん「でも、普遍的なものに対して普遍的な音楽がついて、素晴らしい説得力を持って心に届く。」このラフマニノフの曲は、記念すべき第1回BGM選手権のベストをとっています。このときのお題はふかわさんのエッセイ「風とマシュマロの国」からの一節でした。ふかわさんが感動してこの曲を選んだときのことは、良く覚えています。あれから4年、BGM選手権も91回を重ねてきて、ふかわさんの今の心境はわかる気がします。この第18変奏は、本当に名曲で、いろいろなシーンに合いますね。以前、このブログに少し書きましたたので、そこから転載します。『(この曲は)ウィキペディアによると7つの映画に使われているということです。その中で僕が見たのは1980年の「Somewhere in Time (ある日どこかで)」。タイムトラベルのラブロマンスもので、実に効果的に音楽が使われていて、映像も美しくせつなく、大好きな映画です。』元記事はこちらです。http://plaza.rakuten.co.jp/jyak3/diary/201212310000/それから今回ウィキペディアを再確認したら、この曲はなんとアニメ「こち亀」(「こちら葛飾区亀有公園前派出所」)の第223話「両さん禁酒命令」でも使われているそうです。イメージのギャップが大きすぎます。怖いもの見たさに見てみたいけど、見ない方が幸せでしょう、きっと。ところで今回のBGM選手権のお題の本を、いーともさんが、読んで記事に紹介してくれています。こちらです。「しゃくやんカラヤン」。http://kiracladays.blog.fc2.com/blog-entry-1196.htmlこれによると、かなりのカラヤンファンである茂木さんによる、カラヤンを絶賛する本ということです。番組ではカラヤンへの言及が一言もなかったですが、著者の意図を汲むという観点から、BGMの一枠くらいはカラヤンの演奏をあてても良かったかと思います。あるいはいーともさんが仰るように、せめて番組内で一言カラヤンに触れていただいたら、良かったと思います。勝手に名付け親の出題あり:モーツァルト ピアノ協奏曲第23番から第二楽章BGM選手権の出題あり:落語「寿限無」 きらクラ!スペシャル・バージョン「寿限無」は、ふかわさんと真理さんのかけあいのテンポの緩急や、声のトーンの変化がダイナミックで、最高でした。真理さんは、番組当初の棒読み状態から、別人のような迫真の語り口で、もはや玄人の技、素晴らしいです。ふかわさんと真理さんの、今週の好きな曲。○真理さん:バッハのゴールドベルク変奏曲からアリア、グールドの最後の録音(←*5月4日に、この記事の最後に追記・訂正しました)。余震が続く中で眠れない方々が、少しでも眠れるように、という願いからの選曲ということでした。○ふかわさん:ベートーヴェンの悲愴から第二楽章、フレディ・ケンプ。これは沁みました。このあとふかわさんが、言葉を一つ一つ考えて選びながら、被災された方々に、少しでも重みを軽減できれば、いつか音楽が心地良いものとして届くような日常になってほしい、というお話、じーんとしました。このあとに熊本県の方からのお便りが読まれ、最後に仙台市のsatotakaさんからのお便りが読まれました。東日本大震災で被災され、その悲惨な状況で携帯で聴いたエルガーのニムロッドから希望を得て前向きな気持ちになれたこと、この曲はsatotakaさんともうお一方が、BGM選手権・小説「おやすみラフマニノフ」でベストを獲得した曲であること。そしてsatotakaさんは、この小説の中の『戦争や天災にあっている人々に、音楽を渇望する人がたった一人でもいるのなら、奏でるべきだ』という主人公の言葉を引用し、熊本で被災されている方々にこの曲を送ります、ということでした。そしてエルガーのニムロッドが流れました。番組を聴いているみんなの気持ちが、この音楽でひとつになったと思います。 ---------------------------------*5月4日追記:2度目のゴールドベルク変奏曲のスタジオ録音は、グールドの最後の録音ではありませんでしたので、訂正します。以下Wikipediaから引用しておきます。”最後のピアノ録音は、リヒャルト・シュトラウス「ピアノ・ソナタOp.5」(録音日時1982年7月2日及び9月1-3日)であり、その後同年9月8日にはリヒャルト・ワーグナーのジークフリート牧歌をトロント交響楽団の指揮によって録音しており、グールドはスタジオ録音においてピアノ奏者としてではなく、指揮者として人生を終えている。”https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89
2016.05.01
コメント(4)
4月17日のきらクラ!のまとめです。またまた2周遅れ(2週遅れ)ぎりぎりになっちゃいました。ちっとも追いつきません。きらクラDONの正解曲は、ビゼーの「アルルの女」第二組曲からメヌエットでした。ハープの分散和音に乗ったフルートの美しいメロディが心に染みますね。50年前の学芸会の思い出や、50年前に兄と住んでいた公団住宅で、フルートでこの曲を吹いてくれた兄の友人が帰らぬ人となったというお便りがありました。さらに、小学校からの幼馴染ご夫婦のご主人という方からのお便りが読まれました。奥様が、小学校時代に「アルルの女」を「ある女」と混同していたことを弁明するのですが、『その話す表情も言葉も癖も、小学校当時と少しも変わらないことに、あきれるやら感心するやらなんだかはっとするやら、そしてできることなら自分たち夫婦が年老いて行くまでずっときらクラを楽しませて下さい』というお便りでした。仲の良いご夫婦ぶりが溢れている、なんとも心温まるお便りでした。今回のお題はかなり長い出題でしたけれど、ニアピンがありました。投稿されたかたのお母様、88歳になられる方が、お題を聴いて、「これ聴いたことある、おはなはん」と仰ったそうです。これはかなり似ていて、見事にステッカーを獲得しました。久々のロングショットのスーパーニアピンでした。「おはなはん」は、50年前のNHK連続朝ドラ番組で、高い人気を博したそうです。我が家でも母親が好きで熱心に見ていたので、僕もそばで少し見聞きしていました。音楽が流れた途端に、ああこの音楽!と記憶がよみがえって、懐かしかったです。ところでこの第二組曲のメヌエットは、ビゼー自身がセレクトしたものではなく、ビゼーの死後友人ギローという人がセレクトしたものだそうですが、実は「アルルの女」ではなくて、ビゼーの別のオペラ「美しきパースの娘」の中からとってきた曲だということでした。びっくりですね。ということで、メンバー紹介的な意味あいから、「アルルの女」第一組曲のメヌエットが流されました。こちらが、本来の「アルルの女」のメヌエットということです。有名な第二組曲のメヌエットとは全然違いました。ビゼーがもしも第二組曲のメヌエットを聴いたら、「あれれの女?」と仰るかどうか。今回のひょっこりクラシックは、夏樹静子さん原作の「Wの悲劇」の映画から、サティのジムノペディ第一番でした。映画は1984年ということです。ジムノペディ第一番は様々な映像に合わせられていると思います。僕が印象に残っているのは、背広姿の長嶋茂雄さんがスローモーションで歩く映像に、この音楽が流れるテレビCMです。ずいぶん昔のことで、何のコマーシャルだったかは忘れてしまい、映像と音楽だけ覚えています。(今回検索したら、高級腕時計のCMだったようです。)勝手に名付け親、今回はバッハの平均律第一巻から第10番ホ短調から前奏曲に、6つの名前が付けられました。春霞 (末次博さん)、古今和歌集も引用された格調高い名文章。後悔 (水の泡さん)捨てられたお人形 (三毛猫を飼っていますさん)、ベスト獲得。こんがらがったアクセサリー (らふまにこさん)君は陽炎とともに消えた (ぷっべさん)あなたの心のスイッチをリセットしてみて下さい (ひこうき雲さん)末次博さん、らふまにこさん、ひこうき雲さんはブロ友さんです。おめでとうございます! 続いて、正しき花時計なるものを紹介するお便りが読まれ、フランセ作曲、オーボエと管弦楽のための「花時計」という曲が流されました。なんともお洒落で素敵な曲でした。ふかわさん真理さんの、今週の1曲○ふかわさん:グローフェ「大峡谷」から「日没」。クラシックというより映画音楽のような、美しいメロディーときらきらとしたオーケストレーションが素晴らしく、大自然の夕暮れの風景が目に浮かぶような、素敵なひとときでした。ふかわさんの中学時代の音楽の先生が、グローフェを巻き舌で発音していたというお話でした。○真理さん:ポリーニの弾くショパンのバラード第一番。先日ポリーニのリサイタルを聴きに行った真理さんが、当日券を買おうとしたら、最前列のド真ん中があって、そこを買ってポリーニの音を2時間堪能し、アンコールでこの曲を聴いたということでした。当日にそんな席が買えるなんて、ふだんの行いが余程良くないと巡ってこない幸運だと思います!僕のポリーニ体験は、1995年5月に東京で行われたブーレーズ・フェスティバルでのリサイタル(東京文化会館)を聴いたことを良く覚えています。このときのプログラムのメインがブーレーズのピアノソナタ2番で、なんだか良くわからないなりにも、曲もすごいし演奏もすごく、圧倒されました。その頃に何かの本で読んだのですが、ポリーニは音楽的記憶力が超人的で、ほとんどの曲は一度聴いただけで弾けるのだそうです。ブーレーズのソナタ第2番は、3回聴いて弾けるようになったということでした(^^)。
2016.04.30
コメント(6)
4月17日出題のBGM選手権は、茂木健一郎著『カラヤン 音楽が脳を育てる』からの一節でした。茂木さんの本は、数年前に3冊読みました。 『クオリア入門』 『音楽を「考える」』 『すべては音楽から生まれる - 脳とシューベルト』です。2冊目は作曲家の江村哲二さんという方との対談集でした。これらの本を読んで、クオリアについての解説は興味深かったし、ところどころに出てくる含蓄ある音楽への思いに共感するところも多かったですが、なんとなくその3冊までで興味が薄らいで、そこで止まりました。茂木さんの書かれた膨大な本の中で、そのタイトルに作曲家あるいは音楽家の名前がついている本をWikipediaで調べたところ、3冊だけありました。 『すべては音楽から生まれる - 脳とシューベルト』PHP新書、2007年 『音楽の捧げもの ルターからバッハへ』PHP新書 2009年 『カラヤン 音楽が脳を育てる』世界文化社 2009年最後の本が、今回のお題ですね。しかしこの本のタイトル、良くわからないです。『カラヤン』とは何を意味するのか?カラヤンの音楽が脳を育てる?カラヤンがついていなくてはいけないのか?ワタクシ、そこに引っかかってしまいました。そこでBGMを考える前に、この本のことを調べてみると、この本にはカラヤンのCDが付いていました。そのCDには11曲入っていました。登場順にベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、マスカーニ、リヒャルト・シュトラウス、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、リヒャルト・シュトラウス(2曲目)、ワーグナーでした。茂木さんがカラヤンをどのくらい好きなのかは知りません。ものすごいカラヤン・ファンかもしれないし、それなら納得です。(☆5月1日追記・訂正:この記事を書いた後、この本を実際に読まれたいーともさんのブログ記事を読んで、茂木さんが相当なカラヤンファンであることを知りましたので、納得しました。いーともさんの記事はこちら、http://kiracladays.blog.fc2.com/blog-entry-1196.htmlです。)ともかくも、タイトルに『カラヤン』の名が冠されている本、しかもカラヤンのCD付きの本です。これから先、カラヤンの名がタイトルになった本がお題に選ばれることは、そうはないでしょう。そこで自分としては、今回のBGMにカラヤン以外の音楽をあてることは、もはや考えられなくなりました。カラヤンの本には、ある意味自己完結しているカラヤンの音楽の美の世界が相応しい、と思ったわけです。(別にカラヤンにこだわる必要はまったくないし、どんなBGMでもありなんですけど、あくまで自分のこだわりとして、そうしようと思ったわけです。)ところでカラヤン。もしも好き嫌いが分かれる音楽家のランキングを決めるとしたら、相当な上位にカラヤンが挙げられるのは間違いないと思います。どうしてなのでしょうか。人間カラヤンの非凡さにはいろいろな面があって、いろんな見方ができると思います。個人的には、カラヤンの音楽的才能の高さ、強い自己愛、自らの理想を現実化できるいろいろな才能と行動力のすごさ、この三つに注目したいです。この3点に注目すると、19世紀の大作曲家ワーグナーと、すごく似ているように思えてなりません。ワーグナーは、作曲家としての抜きんでた才能と、強い自己愛と、その他の才能とすごい行動力がありました。そして、自らの作品の理想的な上演を実現するためにバイロイト祝祭劇場を作り、バイロイト音楽祭を始めてしまいました。カラヤンもまた、指揮者としての抜きんでた才能と、強い自己愛と、その他の才能とすごい行動力がありました。そして、ザルツブルグに祝祭大劇場を作り、ザルツブルク音楽祭に君臨したばかりか、さらにはザルツブルク・イースター音楽祭なるものを始め、そこでワーグナーの指輪4部作を上演してしまいました。実に良く似ていると思います。(ワーグナーを得意としたカラヤンは、1950年代にはバイロイトでワーグナーを振っています。しかしその後ザルツブルク音楽祭を統括するようになり、ほぼ同時期に行われるバイロイトの方には登場しなくなりました。それでウィーン国立歌劇場でワーグナーを上演していましたが、1964年にウィーンと決別したため、ワーグナー作品を上演する場を失ってしまいました。それでワーグナーを上演するために1967年からザルツブルク・イースター音楽祭を始めたという流れになります。このあたりの事情については、中川右介著『カラヤン帝国興亡史』幻冬舎新書、に詳しく書かれていて興味深いです。)そして、こうした強烈な方向性を受け入れられるか受け入れられないかが、人によって大きく違い、好きになってのめり込むか、嫌って遠ざかるか、そのあたりの差が大きく出やすいのではないかと思います。ワーグナーにしても、カラヤンにしても。だいぶ話がそれました(^^;)。お題に戻りましょう。BGM選びです。万能のレパートリーを持つカラヤンですけれど、そのなかから何にしようか。僕自身は、こだわりのマーラー・ブルックナーファンにありがちなパターンの通りで、カラヤンとは距離を置きたいほうの聴き手です。でも僕にも数少ないですが愛聴したカラヤンのレコードがあり、その筆頭が、ベルリン・フィルを振った2枚のワーグナー管弦楽曲集(1974年、EMI)です。僕は20代の一時期、良く大学生協でレコードを買っていました。そこの店長さんと時々話をしていて、「カラヤンが好きでない人にも、このワーグナーは絶対お勧めです。」と太鼓判を押されて買ったレコードでした。果たしてその方の仰るとおり、見事にどっぷりはまってしまいました。このレコードの聴体験も影響してか、カラヤンとワーグナーの共通性・類似性についてはかねてから強く感じていました。そこで今回のBGMはワーグナーにしようと決めました。その中でもっとも良いと思ったのが、楽劇「トリスタンとイゾルデ」から第三幕の最後、「イゾルデの愛と死」の中ほど(管弦楽版)です。カラヤンの描き出すワーグナーのめくるめく音宇宙の究極の美が、内なる交響曲の陶酔の無限の深みにふさわしいと思いました。しかも、茂木さんとワーグナーの親和性も高いのです。僕の読んだ茂木さんの本には、ワグナーのことが繰り返し語られていて、「青年期にはオペラと出会い、ワグナーの世界に陶酔した」ということですし(『音楽を「考える」』のあとがき)、ご自身でワグネリアンと仰っています (同書169頁)。特にトリスタンとイゾルデを愛聴されているようで、著書『すべては音楽から生まれる』102~104頁には、「日々と音楽~ワーグナー/楽劇《トリスタンとイゾルデ》」という一項が設けられ、熱く語られています。しかもしかも、今回のお題の本に付属のCDの最後の曲として収められているのが、トリスタンとイゾルデから、前奏曲と「愛の死」なのでした。こうなってくると、「愛の死」をBGMにあてるのは、「いかにもそのまますぎて、工夫のない選択」ということになって、採用されにくいだろうと思いました。それでも今回は自分のこだわりを貫こうと、この曲に即決しました。カラヤンがベルリンフィルを振った「イゾルデの愛の死」管弦楽版、僕の持っているEMI盤です。https://www.youtube.com/watch?v=hD38QAEZZqgこれの14分50秒あたりから朗読開始というイメージです。ただし途中で音量を適宜絞るなどの調整をお願いします(^^;)。大袈裟すぎて合わないかもしれないですが、聴いてみていただければうれしいです。茂木さんとカラヤン、ふたりのワグネリアンの、内なる響きの共鳴。 おまけ:ちなみに、こちらのカラヤンのディスコグラフィhttp://classic.music.coocan.jp/cond/modern/karajan-dg.htmを拝見し、トリスタンとイゾルデの録音をピックアップしてみました。楽劇全曲録音と「愛の死」単独録音を合わせると、5種類の音源があるようです。1952年7月 全曲 バイロイト祝祭管ほか(バイロイトでのライブ) Orfeo1957年1月 前奏曲と愛の死 (管弦楽版) ベルリンフィル EMI1971年12月 全曲録音の一部から 愛の死 ベルリンフィル、デルネシュ EMI1974年9-10月 前奏曲と愛の死(管弦楽版) ベルリンフィル EMI1987年8月 前奏曲と愛の死 ウィーンフィル、ノーマン(ザルツブルクでのライブ)DG
2016.04.24
コメント(4)
間もなく2周遅れ(2週遅れ)となり、今さらですが、4月10日の番組のまとめを一応簡単に書いておきます。4月10日の番組は、季節の歩みに合わせて灯油を使い切ったというふかわさんのお話で始まりました。なおきょうの担当はこだまっちさんでなくて、やまとっちさん(!!)ということでした。新年度になってプロデューサーが増えたのか、こだまっちさんがチーフプロデューサーとかになられたのかなぁ。きらクラDONの正解曲は、ヨハン・シュトラウス二世のポルカ、「雷鳴と稲妻」でした。子供だった時、お母さんからの家族へのプレゼントがヨハン・シュトラウスのコンサートのチケットで、一家で聴きにいって兄弟3人ともクラシックにすっかりはまり、自らも音楽の仕事に就きたくて、調律師になったという方のお便りなどが紹介されました。あとはふかわさんと真理さんが、カルロス・クライバーの「雷鳴と稲妻」の伝説的な演奏の話題で盛り上がっていました。クライバーが1986年5月のバイエルン国立管弦楽団との来日公演で、アンコールにこの曲をやり、超絶の名演だったそうです。最終日の公演はNHKでも放送され、CD化もされているということです。このあたりについては、こちらのブログに非常に詳しく書かれていました。http://musikfreund.blog64.fc2.com/blog-category-22.htmlひょっこりクラシックの第二回は、ブロ友のすだっぴぃさんの投稿が採用され、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の勝ち抜きのBGMとして、グロフェの「ミシシッピ組曲」より第二曲「ハックルベリフィン」と第四曲「マルディ・グラ」が紹介されました。1977年から1992年まで毎年放送された超巨大クイズテレビ番組で、ふかわさんがもう感激しまくっていて、ぽかんとする真理さんとのギャップが大きかったですね。この番組は、僕も好きで良く見ていましたが、音楽は覚えていませんでした。第二曲の方は聴いたら「これか!」と思い出しましたが、第四曲の方はなぜか記憶にありませんでした。この時代に自分もふかわさんくらいに若かったら、もっといろいろなことを覚えていたのだと思います(^^;)。でも最初の野球場で○×に別れるところから、「知力体力時の運」にまさったものが勝ち残っていき、最後にニューヨークの高層ビルの屋上での二人の決勝対決まで、本当に面白い番組でした。Wikipediaを見たら、この番組についてかなり詳しいことが書かれていて、いろいろ楽しく思い出しました。すだっぴぃさんの名投稿でした。4月10日は女性の日ということで、日本の女性作曲家で初めて交響曲を書いたという沖縄出身の金井喜久子(1906―1986)さんが紹介され、交響曲第一番の初演の録音の一部や、「てぃんさぐの花変奏曲」が紹介されました。名付け親のお題は、バッハの平均律からの1曲、ジロティさんの編曲をタローさんが弾いた演奏でした。次郎さんと太郎さん。BGM選手権、4月3日のお題は「北国の春」でした。4枠採用。シモネッティ マドリガル (悪魔の胃袋さん)ガーシュイン 「ボギーとベス」から、「べスよ、お前は俺のもの」 (熱帯凸柑さん)シューベルト 即興曲 作品90-3(ろんこんさん)伊福部昭 「日本狂詩曲」から第1曲、夜曲(大津皇子さん)熱帯凸柑さんと大津皇子さんはブロ友さんです、おめでとうございます!実験的な出題に、斬新な発想でチャレンジして独創的な効果をあげていたお二方でした。ベストは正攻法の抒情路線のシューベルトでした。北欧の作曲家の作品が一つも出なかったのは意外でした。今年生誕100周年となるヒナステラ(1916-1983)の曲がかかりました。ピアソラの先生ということでした。「物忘れの樹」という歌曲と、協奏的変奏曲。今年度は、このようなアニヴァーサリーの作曲家がいろいろ紹介されたらいいなと思います。お二人の好きな曲。ふかわさん「桜舞い散る午後に」:ラヴェル ソナチネから 第三楽章真理さん「桜舞い散る月曜の朝に」:ドビュッシー 「映像」第1集から第1曲「水に映る影」個人的にはドビュッシー的な散り方に、たいそう心惹かれました。最後は、ミヨー作曲、組曲「ルネ王の暖炉」からの抜粋でお開きとなりました。のどかで素敵です。この曲、以前にも番組の最後にかかったことがあるような気がしますが、さだかでありません。まだまだ寒い日が現れるこのごろ、灯油を使い切ってしまったというふかわさん、お風邪など召さぬようにお過ごしください。
2016.04.23
コメント(6)
前回に引き続き、九州の地震関連です。この図は、前回の記事の図6(西村氏による、西日本のブロックの境界線)の再掲です。続いてこちらは、東京新聞4月18日朝刊の一面に載っていた図です。インターネット上の東京新聞のサイトからとらせていただきました。http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201604/CK2016041802000124.htmlこのふたつの図を見比べると、今回の地震の震源が、図1の九州の中央を斜めに走るブロック境界線上にぴったりと分布しています。この線、いわゆる中央構造線にほぼ相当しますね。中央構造線は、こちらです。引用元によって細部は微妙に異なりますが、これはWikipediaの図です。この図の赤い線です。https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tectonic_map_of_southwest_Japan.png?uselang=ja#filelinksさて東京新聞の図には、三つの原発、すなわち愛媛県の伊方原発、佐賀県の玄海原発、鹿児島県の川内原発の位置が示されています。九州の中央構造線を北東にたどっていくと、すぐに伊方原発です。伊方原発は、中央構造線のほんとうにすぐそばに位置しています。Wikipediaの「中央構造線」によると、伊方原発と活断層との距離は約6kmで、もし伊方原発に最も近い活断層で、あるいは中央構造線断層帯全体が一度に動いて、予想される最大規模のM8の地震が起きた場合、原発周辺は震度7の揺れに見舞われる可能性があるということです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0%E7%B7%9Aこんな危ない位置の原発が、「安全」とされて、この夏頃からふたたび動かされようとしています。一方、九州の中央構造線を南西にたどっていくと、そのすぐ近くに鹿児島県の川内原発があります。川内原発は、現在日本で稼働している唯一の原発です。今回の地震があっても、驚くべきことに、運転を止めようとしていません。国も、電力会社も、何の根拠もなく、安全だと言っています。信じられない判断です。今回の地震が南西方向に広がる可能性も指摘されています。もしも原発の近くで強い地震があれば、大変なことになります。運転を止めていても原発は危険ですけれど、運転中だと危険性は著しく増加します。このあたりのことは、はてなのゆりさんのブログ記事「川内原発を止めて欲しい!」http://plaza.rakuten.co.jp/hatenaisya/diary/201604170000/に詳しいので、そちらをご覧ください。ともかく、原発は、止めたり動かしたりをこまめにできません。莫大なお金を使って建設し、昨年夏にようやく強引に再稼働を始めた原発を、いちいち止めたのでは採算があわない、損をする、だから電力会社は原発を止めないのです。電力は足りていて、原発を動かす必要はないのに、ただ自分達の会社の利益のために、稼働を続けています。そして政府・経産省は、いま止めたら原発政策にブレーキがかかってしまうことを恐れているのでしょう。こんな状況でも制止を命じないとは、ありえない判断です。「川内原発を止めて」という人々の声が日本のあちこちから続々と上がっています。ネットでも一個人の始められた署名の呼びかけがあり、僕も署名しました。すでに10万人を突破して、最初の集約分を首相・経産省大臣・原子力防災担当大臣に明日21日に提出予定だそうです。https://www.change.org/p/
2016.04.20
コメント(9)
熊本地震、被災された方々に救援の手が早く届くこと、地震が収束することを願います。熊本の地震が起こる少し前、4月3日に放送されたNHKスペシャルは、シリーズ「巨大災害 日本に迫る脅威」の一つで、「地震列島 見えてきた新たなリスク」という番組でした。この番組を、録画しておいて見たのが、偶然にも今度の地震が起こる前日の4月13日でした。内容の一部がまさに今回の熊本地震のような直下型地震のリスク評価に関する新しい手法をわかりやすく解説するものでしたので、それを書いておこうと思います。いくつか紹介された新しい手法のうち、番組の中ほどで解説されたのが、人工衛星からGPSで観測して、地表の動きをリアルタイムでとらえる方法でした。これにより大地が今どう動いて、どうひずみがたまっているかをかなり評価できるということでした。日本では観測点が現在約1300箇所にあるそうです。そもそも図1に示されるように、西日本はユーラシアプレートの東端にあり、南海トラフの北西に位置しています。西日本は、図の右下のフィリピン海プレートの沈み込みのために、北西方向に常に押されています。図1その押された結果、大地がどのように動いているかが、GPSデータによって、最近詳しく明らかになっているということです。京都大学防災研究所の西村卓也准教授が解析した、西日本の動きを示したのが図2(2005年~2009年のデータ)です。図に矢印で示されたベクトルが、各地点の動きの大きさと方向を示します。硬いもの(西日本)が硬いもの(フィリピン海プレート)に無理やり押されて動いているわけですが、その動きが場所によってかなり異なります。図2例えば四国は、動きは大きいですが、どの地点もほぼ北西から西北西方向と、そろった方向に同じように動いています。しかし他の地域には、複雑な動きをする場所があります。番組では複雑な動きの一例として九州が解説されました。図3に示すように、九州では、大分あたりは西に動き、長崎あたりは南東に動き、鹿児島あたりは南に動いているということです。図3一方、これまでに九州で発生した地震の震源分布を示したのが、図4です。図には地表からの深さの情報も含まれています。比較的浅いところまでに、三本の線上に、驚くほど集中しています。深さを加味すれば、壁のように連なっているという感じです。図4図3と図4を重ねあわせたのが図5です。地表の動きの方向や大きさが異なる境界地域で、地震が多発しているということです。西村氏によると、地表というか地殻は、動き方の違いから異なるブロックにわけられ、ブロックとブロックの境界で歪みがたまりやすく、地震が発生しやすいと考えられる、ということでした。今回の熊本から大分にかけての地震の震源分布も、まさにこのブロックの境界に一致します。図5西村氏による、GPSデータから見た、西日本のブロックが、図6です。図61891年濃尾地震や、1995年阪神淡路大震災は、まさにブロックの境界で起こった大地震であり、その結果大きな活断層が生じたことが紹介されました(図7,8,9,10)。また2015年秋には鳥取で、これまで活断層の指摘されていないところに中規模地震が多発したことがあり、それもこのブロックの境界であったということです。図7,8 濃尾地震図9,10 阪神淡路大震災図11は、ハーバード大学のブレンダン・ミード教授による、日本全体のブロックわけだそうです。西日本をみると、西村氏のものとおおむね似ています。図11このような地殻のブロック化は世界の地震多発地帯についても同じようなことがあてはまること、日本は特にブロックが多くて地震が起こりやすいということが指摘されていました。番組を見て、活断層は、かつてそこに地震があったという証拠にはなるが、活断層が確認されていないからと言って安心はできないこと、その地点に活断層があるかないかをミクロ的に評価してもあまり意味がないこと、むしろこのようなブロックの視点から見ることが、直下型地震のリスクの本質的な評価に迫れる、と理解しました。ご興味ある方は、NHKオンデマンドでご覧ください。続きは、次の記事に書きます。
2016.04.19
コメント(6)
BGM選手権、4月3日の出題は、いではる作詞、遠藤実作曲、千昌夫の歌った国民的歌謡曲、「北国の春」でした。「北国の春」というタイトルから、僕が最初に浮かんだのがシベリウスの「春の歌」、作品16でした。安直かなと思いましたが、朗読と合わせてみると、なかなか合うので、これで投稿しました。このお題には、テンポがあまり遅くない演奏があう感じでした。こちらはヤルヴィとエーテボリ響の演奏。https://www.youtube.com/watch?v=ZGQ5BMYdGbQ&t=0m13s長い冬を超え、ふたたびふるさとに巡ってくる春。そしてまた遠からず去っていく春。それを繰り返しながら齢を重ねていく人間のさまざまな想いを、このシベリウスの音楽は大きく優しく包んでくれるようで、大好きな曲です。シベリウス祭りのときに、自分の一番好きなシベリウスの曲として投稿しました。なおオスモ・ヴァンスカはラハティ響と、この曲の1894年の初稿(初演時のタイトルは「オーケストラのための即興曲」)と、通常演奏される1895年の改訂稿(「春の歌」)の両方を録音してくれています。初稿の録音は貴重です、こちらです。https://www.youtube.com/watch?v=aqYqAhnKGS0こちらが改訂稿です。https://www.youtube.com/watch?v=nCtwSd0Fvq4
2016.04.10
コメント(6)
きらクラ5年目開始の放送は、節目にふさわしい内容のちゃこぺんさんのお便りから始まりました!きらクラDONの正解曲は、シューベルトの 「楽興の時」第3番でした。JR常磐線いわき駅3,4番線の発車メロディーに、この曲が使われているそうです。またNHKのラジオAM放送の長寿番組「音楽の泉」のテーマ曲が、1949年の開始から現在まで66年間変わらず、この曲なのだそうです。現在の解説者、皆川達夫さんによると、初代解説者の堀内敬三さんがこの曲を愛好していたのでテーマ曲に選ばれたのではないか、ということでした。第1回放送は皆川さんが22歳のときだったそうです。ニアピンは、チャイコフスキーの「白鳥の湖」から「小さな白鳥の踊り」でした。まぁ楽器がまったく違うので、前評判(^^)ほど似ている感じはしませんでした。そらみみクラシックは二つで、一つはドボルザークのカンタータ「幽霊の花嫁」の一節でしたが、これはステッカーを逃しました。もう一つは古楽の曲から『木村プリン』が、鮮やかにステッカーをゲットしました。芸能人でこういう名前の人でもいるのかなと思って検索したら、人はヒットせず、その代わりに本物のプリンが出てきて、びっくりしました。新コーナー「ひょっこりクラシック」、がはじまりました。CM、テレビドラマから映画音楽などなど、ともかく広~い範囲をカヴァーできるコーナーとしてうまいこと考えたと思います。記念すべき第一回は、ルパン三世のカリオストロの城の結婚式のシーンで使われたというバッハのオルガン曲パストラーレが紹介されました。勝手に名付け親のお題は、メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲、第四楽章でした。せわしなく動き続ける音楽につけられたタイトルたちは、本州縦断新幹線の旅日曜大工のお父さん鮭の産卵弦楽奏者の暴飲暴食猛練習に励む野球部の高校生糸巻き巻き変奏曲でした。ベストに選ばれたのは、タイムリーな話題と小気味好いテンポ感の文章がぴったりだった、「本州縦断新幹線の旅」、でした。このハーティメン・ロッピさんと、「鮭の産卵」の今生を根性で生きるさんは、親しいブロ友さんです!快挙おめでとうございます!!(^o^)/すぐ続いてかかったジュリーニとウィーンフィルのブラームスの交響曲第2番の終楽章は、ゆっくりした足取りが格調高く素晴らしく、最後の高らかな歌が、念願かなったハーティメン・ロッピさんを祝福しているように聴こえてきて、感動しました。チェロを始めた方の投稿があり、バッハの無伴奏チェロ組曲が流されました。ふかわさんの好きな曲は、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」ギター版でした。番組5年目を迎えたということで、初心に帰るということでこの曲を流したそうですが、真理さんの記憶によると、ふかわさんの最初の好きな曲はドビュッシーの「アラベスク」だったそうです。とても印象的だったので覚えていたということでしたが、対してふかわさんの方は真理さんの曲をまったく覚えてなくて、真理さんから「興味ないんでしょ」と言われて苦しく弁明していたのがおかしかったです。。真理さんの選んだ曲は、ルロイ・アンダーソンの「春が来た」。真理さんが子供たちのオケの中で一緒に弾いたということでした。この曲初めて聴きました。優しく素直で、美しい曲でした。アンダーソンは、この前のBGM選手権スペシャルの曲といい、この曲といい、魅力的な曲をいろいろ書いているんですね。アンダーソン島の内部を探索してみたくなりました。BGM選手権のお題は、初めての歌謡曲の歌詞が登場でした。昭和のド名曲「北国の春」で、ふかわさんが異常な高い声で「しらかば~」と繰り返していました。真理さんはきっと引いていたのではないかと想像します。
2016.04.07
コメント(6)
電力の自由化が4月から始まりました。原発をすすめようとする電力会社からは買いたくないので、今の東京電力から、ともかくも変えようと思っていました。こんど、S石油会社に切り替えました。火力ほか、従来から発電をしていた会社です。電気料金は現在とほとんど変わらないけれど、ガソリン代がかなり安くなるのでお得だし、変更してみました。インターネットから簡単・気軽に変えられました。電力自由化と言っても、送配電の問題など、まだまだ本当の自由化には遠いですが、まずは第一歩。原発をすすめようとする会社の電気を買わないですむだけでも、気持ち良いです。これも、小さいけれど、自分ができる脱原発への一歩です。みんなで歩みたいものです。
2016.04.04
コメント(9)
3月27日のきらクラはヴィヴァルディのマンドリン協奏曲で幕開けとなりました。これを聴いたふかわさんの心にマンドリンの開花宣言が出たそうです。「春のマンドリン祭り」ともおっしゃっていました。マンドリンの音色、確かに、明るく心がはずむ感じですね。以前名古屋に行ったときに、「マンドリンの音の博物館」というところに行ったことがあります。http://www5d.biglobe.ne.jp/~mandolin/市街地に普通にある、小さな、ごく普通の家のような感じですが、中に入ると、沢山のマンドリンや、膨大な楽譜が所蔵されていて、いろいろ試聴もさせていただき、隠れ家的な、なかなかおもしろいところでした。きらクラDONの正解曲は、ラロのスペイン交響曲、第一楽章冒頭でした。読まれた投稿にはご自分あるいは子供がヴァイオリンでこの曲を弾いていたというものや、クラシック好きの自閉症の息子さんとお母さんの共同の投稿で、息子さんがこの曲が好きで、たびたび口ずさんでいるというものがありました。ふかわさんのさりげなくあたたかいコメントが素敵でした。久々におもしろいニアピンがありました。テレビ時代劇、「暴れん坊将軍」オープニングテーマの出だし、というもので、これは楽しかったです!この回答は複数のリスナーさんからあったということで、ふかわさんは「なかにはニアピン狙いの人もいるのでしょうけども」と、とぼけて(?)いました。何をおっしゃるふかわさん、全員ニアピン狙いに決まっているじゃないですか、とワタクシは心の中で叫びました。このようなニアピンがいろいろ紹介されることを期待したいです。「3月27日はイースター」という投稿がありました。ふかわさんから、イースターを日本に広めようとしている商魂を感ずるというようなご発言がありました。スーパーのお惣菜サラダにイースターのシールが貼られていたのは何故か、と訝しがるふかわさんに、真理さんがイースターエッグの説明をしていました。今後イースター便乗商品が増えていくのでしょうか。個人的にはそんなにいろいろなくても、もういーすたーです。メンバー紹介は、チャイコフスキーのくるみ割り人形から、「アラビアの踊り」。小学生の頃この曲をバレーで踊ったという投稿でした。始まりはクラシックは、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークから第二楽章を原曲とする、太田裕美さんの「思い出を置く、君を置く」でした。太田裕美さんの声は美しかったです。そらみみクラシックは、先週に続いて楽器そらみみ、しかも先週と同じチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の、今度は第一楽章、「だーめよだーめよだーめよ」と繰り返すというものでした。先週ほどの強烈なインパクトには及ばない感じでした。さてさてBGM選手権です。今回のお題は昔話の「花咲かじじい」。4枠採用でした。ドヴォルザーク 交響曲第5番から、第一楽章冒頭(むっちさん)ショスタコーヴィチ ジャズ組曲第2番から、リリックワルツ(小心者さん)ラヴェル 「マ・メール・ロア」から「妖精の園」(ディジーさん)マーラー 交響曲第1番、第一楽章の途中(がうさん)マーラーは、序奏の重苦しい感じから第一主題のさわやかさに切り替わるタイミングの指定が絶妙で、陰鬱な気持ちから喜びが開いていく流れにぴったりですばらしかったです。個人的にはマーラーが文句無しにベストかと思いました。しかしふかわさんは、このマーラーの魅力を十分認めつつも、ラヴェルが良かったようでした。マーラーを押す真理さんとジャンケンで決めることなり、真理さんが勝って、がうさんのマーラーがベストになりました。がうさんおめでとうございます!!ふかわさんの好きな曲は、ランゲの「花の歌」。しっとりした一人または二人での花見に合うような曲ということでした。続いて真理さんの好きな曲は、グリーグのピアノ協奏曲から第二楽章。アンスネスのきらきらしたピアノが、美しさの限りでした。番組最後は、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲「糸杉」から「愛しい君の手紙に見入って」「おおただ一人の愛しい人よ」。初めて聴く曲でした。とても素敵でした。次回から新年度です。別れと出会いと、桜咲きこぼれる中での放送になりそうですね。
2016.03.30
コメント(4)
BGM選手権、3月20日の出題は、昔話「花咲かじじい」でした。僕はドビュッシーの「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」から世俗的な舞曲を投稿しました。愛犬シロを失った悲しみをかかえつつ、花開く光景に喜びの気持ちが膨らんでいくおじいさん。ハープの響きは、あたたかな風のようにも、次々に開いていく可憐な花々のようにも、感じられます。https://www.youtube.com/watch?v=f51LBBLzS8M&t=4m45s音楽が始まって5秒くらいで朗読開始してみていただくと、いい感じです。
2016.03.28
コメント(0)
またまた周回遅れの記事です。番組のはじめに、リスナーさんから4月以降の番組継続を祝う曲の投稿がありました。思い起こされるのは昨年の2月、番組継続が発表されたときです。このとき、発表にすぐ引き続いてエシュパイという作曲家の曲(タイトルは忘れてしまいましたが合奏協奏曲?)が流されました。この曲がもう、ふかわさんと真理さんとこだまっちさんの3人が番組継続の喜びを爆発させているのをそのまま音にしたような、楽しくぶっ飛んだ音楽で、すごく印象的でした。番組継続お祝いの曲として、今年かかったのは、ウォルトンの戴冠式行進曲「王冠 (Crown Imperial)」でした。エルガーの威風堂々の1番、4番が流れた放送の後というタイミングもばっちりでした。まさにイギリスの行進曲の王道を嗣ぐ傑作ですね。この曲はジョージ6世の即位に際し、BBC放送からの委嘱で1937年に作られたそうです。ウォルトンはこののち1953年に、エリザベス2世の即位に際して、もう1曲の戴冠式行進曲「宝珠と王の杖 (Orb and sceptre)」を書いています。今度はイギリス政府からの委嘱だったということですから、当時50代になっていたウォルトンが、押しも押されもしないイギリス楽壇の中心的存在だったことがわかります。荘重・雄渾な「王冠」に比べて、この「宝珠と王の杖」は、女性の即位ということのためか、より華やかでゴージャスな曲で、こちらも大好きです。以前、職場の仲間が結婚するときに、「新郎新婦の入場にふさわしいクラシックの曲を教えて」と頼まれて、何曲か選んで渡したときに、この「宝珠と王の杖」も入れておきました。そうしたらこの曲が気にいってもらえて、入場で使ってもらえました。とても素敵な入場のシーンになりました。きらクラDONの正解は、フェラーリの歌劇「マドンナの宝石」から第一間奏曲でした。1970年代の名古屋のデパートで閉店時にこの曲がかかっていたというお便りが紹介されました。この曲の哀切さは、毎日の閉店の音楽というより、惜しまれつつ店が閉店するときの雰囲気に近いかとも思いました(^^;)。さて今回もニアピンが出ました。ドヴォルザークのスラブ舞曲第2集第2番(作品72-2)で、立派な、正統的ニアピンでした。しかしこの頃ニアピンで、ステッカーへの言及がすっかりなくなっています。。。そらみみクラシックに先立ち、先週ふかわさんの頭にとりついた「こればっかりは、こればっかりは、ツツー、ツツー」の曲の正体(^^;)が、メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」序曲だという投稿が読まれ、そのなかで「鼻歌DON」!の提案もありました。今回のそらみみクラシックは、器楽そらみみとして、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第三楽章の途中の「やっぱりな~」。ちょっとだみ声風のこぶしが効いた低音のヴァイオリンは、確かにこの言葉を繰り返しているようで、抱腹絶倒でした。この直後にチャイコフスキーの、心が癒されるようなやさしく素敵なピアノの小品(「18の小品」作品72から第17曲「遠い昔」)が流れました。これは「もしかしてチャイコフスキーの音楽を愛する方々の心情を、逆なでしたかもしれない。そのお気持ちを鎮めていただかなくてはいけない」、というこだまっちさんの細やかなご配慮に違いありません。(いつぞやのはじクラで、モーツァルトのトルコ行進曲のときにも同じご配慮がありました。こちらの記事に少し書きました。)そらみみが器楽領域にも広がったら、さらに続々と投稿が集まるのでしょうか。個人的には、ここはあまり開拓してほしくない気がします(^^;)。これに似た領域に関しては、伝統ある有名サイト「軽メナ・ブラーナ」がありますね。ご存じの方多いと思いますが、こちらです。http://www.carmenaburana.com/このサイトの膨大な森に踏み込んで後悔しても、自己責任でお願いしま~す(^^)。はじクラは、「熊蜂の飛行」に基づいた日本のポップスの曲でした。メロディーをなぞるだけでなく、歌詞も「ちくちく毒針うんぬん」と蜂にちなんだものでした。勝手に名付け親、バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」には、いずれも素晴らしい名前が紹介されました。バッハの音楽の包容力の大きさは、いろいろな名前を自然に受け入れてしまいます。その中での堂々たるベストは、「受験生の母に捧げるアリアー特に不合格者の母のために」でした。着々とプールに行っているというふかわさんでした。「ジムをやめなくてよかったですね」とサポートする真理さんに、ふかわさんは「どっちにせよ背中を押してくれるんですね」と感謝の意を表していました。来たる新年度、8割は今まで通り、2割は新しい風などもいい、とふかわさんがおっしゃっていました。新コーナーのひとつとして、「真理さんの人生相談」なんてどうでしょう(^^)。包容力大きく、背中を押してくれる真理さんが、よろず相談を受けるコーナーです。こう書いていて思い出しましたが、そういえば以前、音楽と関係ない生活上のちょっとした疑問や話題を真理さんが話すコーナーが、ちょっとだけあったような気がします。
2016.03.27
コメント(6)
今回の記事も遅れて、1週半、いや1周半遅れのランナーになってしまいました。いつものようにスポット的に書きます。番組最初の方で、ふかわさんが、昔のとあるバラエティ番組のコーナーで、人のしゃべったのをまねてヴァイオリンが弾くという話をしていました。これは面白そうです!ヤナーチェクだったらとても興味を示しそうな、言葉の旋律曲線の即興演奏ですね。きらクラDONの正解曲はケテルビーの「ペルシャの市場にて」でした。子供の頃にこの曲の合唱の部分が怖く呪いの歌だと思っていた、という投稿が読まれました。それにふかわさんも共感して、子供のころ、お兄さんが調子に乗って合唱の部分でふかわさんに迫ってきて、それがすごく怖かった、という体験を語っていました。この場面見てみたかったです(^^)。兄弟の下の子って、こういう理不尽な仕打ちに合うことが避けられない運命なのですね。この曲について、大分市の某デパートで5時に流れるというお便り、子供の頃SPレコードで愛聴していたというお便り、中東の平和を願うお便りなどなどが紹介されました。ニアピンは、チャイコフスキー「くるみ割り人形」から「中国の踊り」で、前回と同じ正攻法のニアピンで、かなり似ていました。これはこれで良いのですが、このところ奇想天外路線のニアピンが放送されないのが、個人的にはちょっと寂しさを感じます。なおケテルビーは、世界のさまざまな国に因んだ曲を作っているということで、君が代のメロディーを使ったピアノ曲が紹介されました。徳島にお住まいのリスナーさんから、ウエーバーの「オイリアンテ」序曲のリクエストがありました。この曲の冒頭部分が、徳島県の地方テレビ局でニュース番組のオープニングに何十年も前から長く使われていて、それを子供のころから聴いていて、ずっとそのニュースのオリジナル曲だと思っていて、最近原曲があることを知った、というお便りでした。長いことテーマ音楽を変えずに使い続けると、それが伝統になって、新たな歴史が生まれるのですね。そらみみクラシックでは、フィンランドの古い聖歌集の一節でした。北欧の合唱、素敵です。ところで、ふかわさんが読みながら「こればっかりは、こればっかりは、ツツー、ツツー」と歌いはじめ、これなんの曲だったっけと悩んでいました。BGM選手権、お題は星新一のショートショート「オアシス」でした。3枠採用でした。オネゲル 交響的楽章「機関車パシフィック231」(ジャックあまのさん)ドビュッシー「映像」第2集より「葉ずえを渡る鐘」(サマディさん)ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番から第2楽章(のまさやかさん)今回も、恐るべきすごさの3作品の名勝負でした。冷たい肌触りのドビュッシーの、きらきらした不思議な美しさ。これがベストに選ばれました。人の情感に訴えかけるラフマニノフは、悲しみをたたえて静かにすすみ、徐々に盛り上がり、そして朗読終了後にピアノが破滅的にかぶさってくるところが圧巻!しかし個人的には、オネゲルが圧倒的でした。徐々に高まる緊張と、強力に進んで行く音楽の推進力が、ストーリーにぴったりで、すごすぎました。まいりました。オネゲルのこの曲は、大好きです。昔友達に教えてもらって聴いたのが、アンセルメの演奏です。これ、すごいです。特に、発車前に吐く蒸気の描写の鬼気迫る迫力、尋常ではありません。ご興味あるかた、是非一度聴いてみてください。真理さんの好きな曲、アルノンクール指揮、クレーメル(Va)、クレメンス・ハーゲン(Vc)でブラームスの二重協奏曲でした。ハーゲンさんは真理さんの留学中の師匠で、ハーゲン先生からこの曲の楽譜をいただいて、それにアルノンクールとの細かなやり取りが殴り書きで沢山書かれていたり、ハーゲン先生から「ここはこういう風に弾くんだとアルノンクールが言っていたよ」と教わったりしたので、アルノンクールと直接会ってはいないけれど、アルノンクールの偉大さを肌で感じて、先日亡くなられたのがとてもショックで、この曲を今回選んだということでした。。。アルノンクール、僕はバッハの「音楽の捧げもの」が愛聴盤です。レオンハルト(2012年)、ブリュッヘン(2014年)、アルノンクール(2016年)と、古楽界の巨星が亡くなられて行くのは残念なことです。。。ふかわさんの好きな曲、エルガーの威風堂々第4番でした。ふかわさん、1番も好きだが4番がいちばん好きかなぁと仰っていました。僕も4番はかなり好きで、メンバー紹介に出そうかなと思ったりしていました。出しておけば良かった。。ふかわさん、中学の卒業式でエルガーを聴いたのが強烈に印象に残ったということでした。番組最後の音楽は、東日本大震災からの復興を願う投稿が読まれ、ブルックナーの合唱曲「キリストは我らのために」が流れました。そのあとに、次年度も同じメンバーで番組継続、という朗報が発表されました!いろいろ不安があったので、良かったです!ふかわさん真理さんこだまっちさんのトロイカで、素敵な番組が引き続き聴けること、とてもうれしいです。ふかわさんは、200回記念に中トロDONをやりたいと仰っていました。
2016.03.21
コメント(8)
BGM選手権、今回のお題、星新一「オアシス」に、今回もなんともすごすぎるBGMの数々が紹介されましたね。詳しくはまた別記事に書きたいと思います。それはそれとして、自分の投稿した曲を書いておきます。今さらですが、もしも聴いていただければ幸いです。最初に思い付いたのは、ブラックユーモアとして、「水の上」という状況→ヘンデルの「水上の音楽」でした。早速組曲からいくつか合わせてみたのですが、どれもまったく合わなくて、ブラックにならず(^^;)、やめました。それで現代音楽をあてることにして、ペトリス・ヴァスクス(Peteris Vasks)の、弦楽合奏のための「ムジカ・ドロローサ(Musica Dolorosa)」にしました。ヴァスクスは、クレーメルが紹介して世界に名を知られるようになった、ラトヴィアの作曲家です。ムジカ・ドロローサは「悲しみの音楽」という意味で、1983年、姉の死の直後に作られ、姉の思い出にささげられた曲ということです。動画サイトだと、こちらです。https://www.youtube.com/watch?v=D9k4Nh2oRwgこれの中ほど、5分8秒から朗読開始してみてください。(音量は控え目で。)下降ポルタメントや、心臓の拍動のような重いリズムの刻みなどが次々に現れて、緊張感が高まり、迫りくる絶望的な状況を暗示します。朗読の終わりの頃には、ばらばらの音の塊が重なり合ったカオスとなります。最後の操縦士の言葉が終わった直後からは、ふたたび心臓の拍動のような重いリズムが始まり、いよいよ救いのない状況の雰囲気が盛り上がります。ちょっと重すぎました。。。
2016.03.17
コメント(2)
今さらながら、先週(3月6日放送分)のきらクラの記事です。もはや周回遅れのランナーですので、自分が特に興味あったところだけ書きます。ふかわさんから、話の途中で、以前のジムを解約せずプールに通っているという告白がありました。「春の力」と仰っていました。ジム問題の顛末がわかってすっきりしました。きらクラDONの正解曲はビゼーのカルメンから「ハバネラ」でした。ニアピンとして流されたのが、アルベニスの「タンゴ」という曲でした。これは久々の王道をいく、押しも押されもしない堂々たるニアピンでした!ステッカーを楽々ゲットしました。リクエストで流れたハイドリッヒ作曲の「ハッピーバースディ変奏曲」が、とても面白かったです。ハッピーバースディの主題のあと、ハイドン風、モーツァルト風、ベートーヴェン風、ブラームス風、シューマン風、ドヴォルザーク風、ポルカ、ワルツ、映画音楽風、ラグタイム、タンゴ、チャールダッシュの変奏がありました。それぞれの作曲家風のスタイルの描きわけが絶妙で、楽しかったです。この曲は以前この番組で、放送ミスで(?)流れたことがあるらしいのですが、その放送は僕は聴いてなくて、初めて聴きました。これに類するものとして、昔「ビビディ・バビディ・バッハ」というCDを買いました。ディズニーの様々な名曲15曲が、いろいろな作曲家風(古くはグレゴリア聖歌風から、近くはバーンスタイン風まで)の演奏でいろいろ楽しめるという趣向でした。これもそれなりには面白かったですけれど、ひとつの曲が誰か一人の作曲家風に割り当てられるというコンセプトでした。これに対して今回紹介されたハッピーバースディ変奏曲は、ひとつの主題をさまざまな作曲家スタイルで描き分けるという趣向で、より描き分けかたの違いが鮮明になり、面白かったです。ついでにハッピーバースディのメロディーの曲というと、コリリアーノの小品「ラヴェロの鐘」という曲を思いつきます。コリリアーノが、シカゴ響のコンポーザー・イン・レジデンスになったときに、当時のシェフだったショルティの75歳の誕生日を祝う曲として書いたということです。ハッピーバースディのメロディの断片が少しずつ聴こえながら静かな雰囲気が続き、最後に金管のファンファーレで高らかにこのメロディーが鳴り響きます。ふかわさんの好きな曲は、山田和樹さんが前回紹介されたアザラシヴィリの作品として、「ノクターン」が流れました。なんと、あるリスナーさんが保有するCDを番組あてに送ってくれたということでした。続いて真理さんの好きな曲は、ヴォロドスが編曲して自分で弾いたモーツァルトのトルコ行進曲が流れました。これは痛快、すごかった!ヴォロドスさんあっぱれ。この放送の時点では、4月以降の予定についての言及がまったくなく、ますます不安がつのる心境でした。こんなところでおしまいにしておきます。
2016.03.13
コメント(4)
2月28日のきらクラは、さながらヤマカズSpecialでした。きらクラDONの正解曲はエルガーの行進曲威風堂々第一番、卒業式の時節柄での出題ということでした。この曲が進水式で流れるというお便りもありました。今回は出題が長めだったためか、ニアピンなしでした。続いてゲストの山田和樹さんが登場されました。今回は、色々なお話だけでなく、多くのコーナーに山田さんが参加されました。小学校1年生の頃から指揮が好きで、学校から帰ってくると1時間2時間と鏡に向かってひたすら指揮をしていたというお話があり、生まれついての指揮者なのだなぁと思いました。ヤマカズさんの指揮によるビゼーとマーラーの曲が流されました。現在進行中の山田和樹さんと日フィルとの3年がかりのマーラーチクルスも紹介されました。久々にそらみみクラシックのコーナーがあり、高速タンギングさんの投稿(ララ作曲「グラナダ」)が紹介されました、おめでとうございます!そのあとに今度は山田さんご自身の持ちネタのそらみみとして、マーラー8番からの一節が紹介されました。そしてBGM選手権、今回のお題は山田さんが出された、佐藤信「うた」でした。まずこの歌詞に林光さんが作った合唱曲が、山田和樹さんの指揮による演奏で放送されました。そのあとに、採用されたBGMが三つ、発表されました。コダーイの「ハーリー・ヤーノシュ」から間奏曲(となしちさん)サティの「ジュ・トゥ・ヴ」ピアノ独奏版(午後のおっちゃんさん)バッハ作曲、細川俊夫・編曲「おお人よ,おまえの罪に泣け」Va & Piano版(クシシュトフ・ツンデレヅキさん) それぞれに異なるアプローチで、いずれも聴き応えがありました。その中から山田さんが選んだベストは、バッハでした。山田さんはしばし絶句し、「バッハって、すごいな。。。詩と曲が溶けちゃってる」と。真理さん「涙がほーっと流れ落ちそう」と。これはもう、奇跡のような世界で、感動にひたりました。。。いつも思いますが、バッハの音楽は本当に特別だし、そして数多のバッハ作品の中から、細川俊夫さん編曲のこの曲をあてた方、素晴らしいです。現代音楽をいろいろ探していて、バッハのこの曲にたどりついたということでした。また一つ、歴史に残る名BGMが生まれました。バッハの余韻のなか、山田和樹さんの指揮、佐藤信・林光による素敵な合唱曲「ねがい」が流れたあと、続いて、ここ好きクラシック。こちらにも山田さんが参加でした。チャイコフスキーの交響曲第5番の第2楽章の途中、弦の伴奏が第129小節から第130小節に移るところという、非常にマニアックな箇所が紹介されました。山田さんがおっしゃるには、ここがこの曲で一番好きで、ロシアの夕陽が見えるそうですが、それをオケの人に話してもきょとんとされる、ということでした。さらに山田さんから、勝手に名付け親の出題がありました。チャイコフスキーの交響曲第5番の終楽章でした。この終楽章の冒頭部分は、かつてBGM選手権で高村光太郎の「道程」のベストに選ばれましたね。あれも鮮やかなBGMでした。そしてふかわさん真理さんの今週の好きな1曲の代わりに、山田和樹さんが好きな1曲を選び、アザラシヴィリという作曲家の「無言歌」が放送されました。高校1年のとき、欧州旅行の飛行機の中で、機内の音楽を聴いていたらたまたま出会って涙を流した、ということでした。山田さんはふかわさんと真理さんと一緒に「きらクラDON!」と掛け声も出すなど、気さくなお人柄という印象でしたが、真理さんが、「見透かされるような気がする」、「かなり緊張します」、「疲れます」、と繰り返し言っていたのが面白かったです。近くで接したらすごいアウラがあるのだろうなと思いました。一方ふかわさんは全然普通に接していました(^^)、フーマンの貫禄ですね。ヤマカズ色に濃く染まった今回のきらクラ、最後は、鈴木大介さんのギターでクールダウンして締めくくられました。真理さんがほっとしていました。
2016.03.04
コメント(4)
BGM選手権、2月21日のお題は佐藤信の「うた」でした。「うた」って素晴らしいです。喜びも、悲しみも、苦しみも、歌が寄り添い、歌が慰め、歌が支えてくれるから、人は生きていけるのだと思います。その「うた」とともに生きる半生をなつかしく振り返っているようなお題ですので、郷愁を感じさせるゆっくりした曲が似合うかと思いました。しかし最後の段になって「たたかい」が出てくるのが、このお題の難しいところです。もちろん、全体が郷愁的な色彩で一括りできるので、最後まで同じ雰囲気のBGMも似合うかとは思いましたが、今回は、「たたかい」の段で文章の雰囲気が変わるのに合わせて、雰囲気が変わる音楽をあててみたいと思いました。そこで投稿したのは、クララ・シューマン作曲の、ピアノ三重奏曲ト短調作品17から、第三楽章アンダンテです。音楽はしっとりと始まり、さまざまな情念をはらみ、光と翳が交錯しながら進んでいきますが、最後の方で曲調が一転し、決然とたたかいに臨む雰囲気になります。曲調が変わるタイミングと、文章の変化のタイミングを合わせる必要上、演奏のテンポがかなりクリティカルです。テンポ的にぴったりの演奏は、たとえばこちらになります。https://www.youtube.com/watch?v=LQI_U7kZdngこのビデオの9秒ほどから音楽が始まります。18秒のあたり(つまり音楽が始まってから9秒ほどのところ)から朗読スタートですと、丁度「歌はどこで憶えた 立ったままで憶えた」あたりで曲調がぱっと変わって、良い感じになります。それにしてもこんな素敵な曲を書くなんて、クララの才能はすごいと思います。
2016.02.27
コメント(4)
きらクラDONの正解曲は、リストの超絶技巧練習曲集第4曲「マゼッパ」でした。先週に引き続き、正解曲の検索に関するお便りがありました。タイトルがわからず、さる映画で使われていた記憶をたよりに、映画の使用曲一覧を調べて、正解曲にたどり着いたということでした。なるほどいろいろな探し方があるものです。ふかわさんが、スマホで音を拾って検索させるやり方もできると言い、それに続けて「(その探し方を)ダメとは言わないが、しない方がいい。そういうことしてると、そういう人生になっちゃうから」と仰いました。けだし名言ですね。ところで今回のきらクラDON、リスナーの投稿が質量ともに充実していました。中3でこの曲を弾いた息子が今音大の卒業間近、電子ピアノのテレビCMで衝撃を受けて楽譜を買ったが冒頭のアルペッジョだけで挫折した、この曲の譜面が三段ある!という話、(どうやって弾くのか算段が必要?)、のだめカンタービレをきっかけに音楽の道を進むことになった息子の高校受験にエールのリクエスト、小2のときピアノの発表会で1音も弾かずに舞台から去ろうとした娘が高校生になり、その娘から「マゼッパ」のCDはあるかと尋ねられたが、単に学校のレポートのためだったなどなど悲喜こもごも(^^)の投稿が多々紹介されました。なお今回のニアピンはアウトロ一つと中トロ一つが紹介されましたが、どちらもイントロでなく、あっさりとステッカー却下となりました。このあとマゼッパが流され、それが終わると番組が始まって約30分が経過していたという、ボリュームたっぷりな、きらクラ丼でした。福岡での真理さんのサロン・コンサートを聴かれたリスナーの投稿が2通読まれました。最初の方からは、チェロの後ろにぶら下がっていた、衣装と同じ布でできた袋みたいなものは何かという質問がありました。真理さんのお答えは、チェロが湿気に弱いので楽器に直接触れる位置に布をあてるのだが、それが改良されて最近ポケットができて、小物を入れられて便利、ということでした。2人目の方からは、舞台上の席で聴き、チェロのビリビリ感を体感できたことと、真理さんの楽譜にコーヒーのしみがあったという楽しい曝露話などがありました。このあと真理さんのチェロによるフォーレの「夢のあとに」がかかりました。真理さんの素晴らしい歌にうっとり、素敵なひとときでした。映画に使われたクラシック、すなわちシネマクラシックのコーナーを要望する投稿がありました。そのコーナー、賛成ですけど、略称を「シネクラ」とするのはやめてもらえるとありがたいです。それだとちょっと怖いです。ワタクシは「シネマクラ」を提案したいです。これだと音楽をききながら気持ちよく眠れそうです(ーoー)zzzzz。先週のシューベルトのセレナーデの素晴らしいお話に続いて、今回は母と父に、亡くなる間際にニューイヤーコンサートのCDを聴いてもらったという投稿がありました。そしてかかったクライバーの「春の声」、なんとも心に沁みました。さて来週は久々にゲストをお迎えするそうです。そして今度のゲストは、指揮者の山田和樹さんと言う豪華版です。しかも、今回のBGM選手権は、山田和樹さんがお題を出し、来週の放送でベストを選ぶのも山田さんである、ということでした。そして発表されたお題は、佐藤信(さとうまこと)作詞の「うた」でした。この詩にはすでに林光さんが曲を付けていて、有名な合唱曲と言うことでした。ふかわさんは、元の曲を聴かずに選曲したほうがいいんじゃないか、と言っていました。ふかわさんから尋ねられた真理さんは、「聴いちゃいけないと思いながら聴いてしまう」、と答えていました(^^)。ふかわさんの好きな曲は、メンデルスゾーンの無言歌が流され、終わってふかわさんがひとこと。「ふかわが、メンデルスゾーンをかけたら、春はもうすぐそこ。」続いて真理さんの好きな曲は、ヴィヴァルディのふたつのチェロのための協奏曲、颯爽としてかっこよく、いかにも真理さんの好きそうな曲でした。2人のチェリストが丁々発止と応じあうので、「見ても、弾いてもとても面白い」とおっしゃる真理さんが、「バロックはロックだ」という言葉を紹介していました。確かに当時はこれが最先端の音楽だったわけだし、ロックの精神はいつの時代にも息づいているのでしょう。以前、NHKテレビの「名曲探偵アマデウス」で、ベートーヴェンの交響曲第7番の終楽章を、「ロックだ!」と解説していました。それから吉松隆さんも、ロックな曲を書いてますね。いつの世にも、クラシックとロックは意外に近い関係にあるのかもしれません。ショパンのノクターンで始まった今回の放送を締めくくったのは、シベリウスの「美しい組曲」から「小さな情景」でした。この曲、初めて聴きました。愛らしく美しかったです。春の声は、すぐそこに。
2016.02.25
コメント(2)
コンスタンチン・リフシッツのピアノリサイタルを聴きました。ラフマニノフ 24の前奏曲2月23日 紀尾井ホールご存知の方はご存知のとおり、ラフマニノフ に「24の前奏曲」という一つの曲があるわけではありません。前奏曲 嬰ハ短調 作品3の2「鐘」 (1892年)、が書かれたのち、「10の前奏曲」作品23 (1903年)、さらに「13の前奏曲」作品32 (1910年)が書かれ、これら三つを合わせると、調性のすべて異なる前奏曲全24曲のセットになるわけです。ラフマニノフが、ショパンに倣ったこの前奏曲セットの構想をいつの時点で抱いたかの詳細は不明だそうです。今回は、僕の好きなリフシッツさんが、このラフマニノフの24の前奏曲を全部弾くという魅力的なプログラムですので、とても楽しみにしていました。前半に「鐘」と10の前奏曲、休憩をはさんで後半に13の前奏曲が演奏されました。話がそれますが、ラフマニノフの前奏曲と言えば、2015年2月のきらクラBGM選手権、中原中也の「生い立ちの歌」のお題でベストに選ばれたのが、13の前奏曲の第5番でした。ふかわさんが思わず「スタジオに雪が舞っています!」と興奮気味に仰ったように、雪が風に舞いながら降ってくるさまを美しく描写したすばらしいBGMでした。このBGMがあまりに印象的だったので、中原中也のお題が再び出た「月夜のボタン」のときに、僕はラフマニノフのピアノ曲から作品3の1「エレジー」を投稿したのですが、2匹目のドジョウならず、ボツとなりました(^^;)。リサイタルに話を戻します。リフシッツは「鐘」が終わって一旦立ってその場でお辞儀をしたあとは、10の前奏曲を完全にひとつのものとして、続けて演奏しました。1曲弾き終わると、ときに服の袖の具合を調整し、ときには椅子の高さを調整するなどの動作がはいりましたが、そうしている間もダンパーペダルを踏みっぱなしで、前の曲の最後の音の余韻を響かせたままにしていたのです。このやり方は、音楽の連続性が保たれて、すごく良かったです。もちろん1曲ずつ独立した曲ですから、区切って弾くやり方でもOKでしょうけれど、このリフシッツの方法は、緊張感が保たれて、素晴らしいと思いました。おかげで聴衆の方も、曲間に無駄なノイズを出す聴衆もほとんどなく、集中・緊張がずっと保たれていました。後半の13の前奏曲も同じやり方で、途中1回は、曲間にハンカチを出して汗をちょっと拭きましたが、そのときもダンパーペダルを踏みっぱなしで、音楽の連続性・緊張感が保たれ続けていました。僕はラフマニノフのピアノ曲をあまり聴きこんでいないので、リフシッツの演奏がどうだったとかは良くわかりませんが、ともかく素晴らしくて、感動しっぱなしでした。華麗な美しさというのではなく、深みをたたえた抒情と、しかるべきところでの巨大なスケール感と重み、圧倒されました。すべて良かったですが、強いて言えば自分としては10の前奏曲の第4番、第6番、13の前奏曲の第4番、10番、13番などが特に深い感銘を受けました。打鍵パワーのエネルギーに押されて、プログラムの前半・後半ともに、あとのほうでは調律がわずかながら乱れましたが、それもライブならではの趣です。アンコールの1曲目は、リフシッツさんがたどたどしい日本語で「ラフマニノフの、最後の前奏曲です」としゃべってくれて弾かれました。帰りにロビーの掲示を見たら、「前奏曲二短調 アンダンテ・マ・ノン・トロッポ (1917)」とありました。帰宅後ウィキペディアを見たら、ラフマニノフは全部で27曲の前奏曲を書いていて、この1917年の曲は生前は出版されず、自身演奏することもほとんどなかったということでした。これはもしかして、アンコールも全部ラフマニノフを弾くのだろうか、と思いましたが、アンコールの2曲目3曲目は、ショパンの24の前奏曲集から第15曲「雨だれ」と第3曲ト長調でした。ラフマニノフが倣ったショパンの曲で締める、というコンセプトだったわけですね。会場にはNHKのカメラが入っていたので、いずれ放送されると思います。リフシッツさんのピアノは、僕はバッハ以外を聴いたのは今回が初めてですが、ますます好きになりました。次の来日では何を弾いてくださるのでしょうか、今から楽しみです。
2016.02.24
コメント(2)
きらクラ、2月14日の放送は、チューリップの球根の話題、イ・ムジチの演奏するお洒落な編曲の「早春賦」と、春の予感とともに始まりました。ジムやヨガの話題は登場しませんでした、このまま消え去る話題のようです。きらクラDONの正解曲は、マリーの「金婚式」でした。聴いていてびっくりした投稿がありました。メロディーはわかるがタイトルが出てこないので、ラーミッミッミッミーレミファーと入れてネットで検索したら回答が出てきたというのです。音声で入力したのかどうか、詳細は触れられていませんでした。番組が終わってから試しに、「ミーラーミッミッミッミーレミファー」とキーボードで入力し、検索しました。しかしまったく出てきません。そこで今度はダメ元で、「EAEEEEDEF」と打って検索してみたら、なんと「金婚式」が出てくるではありませんか!びっくり~。ニアピンは二つありました。一つはモーツァルトの交響曲第40番の第三楽章。もう一つはクライスラーの「愛の悲しみ」。クライスラーはとっても似ていて、ステッカーをゲットしました。真理さんも、クライスラーが正解曲かと思っていた、ということでした。また、このニアピンの見つけ方にも驚きました。「金婚式 似ている曲」で検索したら出てきたというのでした!これもあとで試しに検索して見たら、本当に出てきましたので、これにもびっくり! でも、何だかこの頃のニアピンは、予定調和的というか、こだまっちさんが最初から予想しているニアピンが多いような感じで、聴いていてそれほど面白みを感じないのは僕だけでしょうか。ひところのような、とんでもない思いがけない方向からの奇想天外スーパーショットが紹介されることを期待したいです。はじクラは、バレンタインにふさわしい甘い歌ということでブラームスの交響曲第3番第三楽章をもとにしたフランク・シナトラの歌が紹介されていました。個人的には、これは甘いというよりも、秋の憂いというか、もの哀しい曲に聞こえました。男性の立場とすれば、チョコをもらえなかった悲哀の歌のように胸に響きました(^^;)。。。ここ好きクラシックでは、映画に使われていたというショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番の第二楽章。これショスタコーヴィチには珍しいロマン的な美しい曲ですね。BGM選手権の芥川龍之介の「ピアノ」にも採用された曲でした。続いて、渡辺岳夫作曲の組曲「アルプスの少女ハイジ」から第1章のリクエストがありました。先週紹介された「アルプスの少女ハイジ」のファンファーレが短すぎてアルプス不足で欲求不満なので、という理由でした。流された音楽の冒頭は、夜明け前の夜のような雰囲気で、メロディーラインはチャイコフスキーの悲愴の冒頭部分に似ていました(ニアピン?)。そこからじわじわともりあがって行って日の出に至るところは、雰囲気的にはリヒァルト・シュトラウスのアルプス交響曲に似ていましたね。その後もたっぷりと音楽が流れ、アルプス不足が解消されたということでした。なんとふかわさんもアルプス不足対策に「アルプスの夕映え」を用意してきたということでしたが、今の曲でアルプス不足は十分補われたようで、ちょっと困っていました。「ビタミン協奏曲」なる言葉も飛び出しました。これ面白かったです。ビタミン滋養強壮曲! 勝手に名づけ親のお題は、モーツァルトのピアノソナタK.331、第一楽章でした。変奏曲なので、その流れ・展開をニュアンスに含めたすばらしい名前が続出のなかで、ベストに選ばれたのは「卒業式の帰り道」でした。この第一楽章と、有名な第三楽章トルコ行進曲にはさまれた第二楽章について、「こここわクラシック」という投稿が紹介されました。トリオの途中に突如、短調となって右手と左手でオクターブのユニゾンで下降音型を奏でるところが、幼稚園児の頃に聴いてとてもこわくて、今でもそれが拭えないという投稿でした。そういわれて聴いてみると、確かに急に雰囲気が変わって、コントラストが際立ちます。幼少時から多感で繊細な方だったのですね。シューベルトのセレナーデを母と一緒に歌ったという素敵な投稿が読まれました。最後に、先週投稿で公開プロポーズした方の続報がありました。それによると、あわてて直接プロポーズしたところ、OKをもらった!ということでした。めでたしめでたしです。バレンタインデーは、外国では男性から女性に花を贈ったりするということですので、まさにバレンタインデーにふさわしい続報でした。以前にも、プレゼントクラシックというか、どなたかに音楽の贈り物をするという投稿がたまにありました。音楽とともに愛の告白をする投稿が、これから増えることを牽制してか、ふかわさんは、「公開プロポーズのコーナーは一切ありません」と念を入れていました(^^)。今週はいろいろなコーナーや素敵な投稿が盛りだくさんでしたが、意外にもBGM選手権のお題が発表されませんでした。。。
2016.02.17
コメント(4)
ヤナーチェクの伝記映画、「白いたてがみのライオン」を見てきました。2月2日、新国立劇場中ホール「白いたてがみのライオン ~大作曲家ヤナーチェクの激しい生涯~」1986年 チェコ映画 監督:ヤロミル・イレシュこの上映会は、3月に新国立劇場で上演されるオペラ「イェヌーファ」の関連イベントとして、入場無料で行われたものでした。開場時刻の2~3分前に到着すると、すでに入場待ちの長い行列ができていて、ちょっとびっくりしました。でもスムーズに入場できて、自由席で、ほぼセンターの良席に座れました。無料なのに解説のチラシが配布され、ホワイエにはヤナーチェク関連の書籍なども展示されていて、なかなか良い雰囲気でした。伝記映画と言っても、生涯をまんべんなく紹介するというものではなく、前半はオペラ「イェヌーファ」を軸に、40代~60歳頃までのヤナーチェクの、イェヌーファ作曲の苦労、愛娘オルガの死、プラハ初演までの苦労が中心に描かれていました。後半は、年下の人妻カミラに寄せる情熱的な愛を軸に、74歳で没するまでの10年あまりのヤナーチェクが描かれていました。ヤナーチェクの生涯についてはほとんど予備知識なく見に行ったので、細かなところはわかりにくいことも多々ありましたが、熱しやすく激しく、自分に正直で、気まぐれで自分勝手という、ヤナーチェクという天才の人間像について、大体のイメージがつかめました。そして、しばしば挿入されるヤナーチェクのオペラ場面の音楽が本当に素晴らしく、2時間を超える長編映画でしたが、いささかも飽きることなく、とても興味深く見ました。恋多きヤナーチェクは、60歳台で出会ったカミラ(38歳年下!)に熱い思いを寄せ続け、それが晩年の10余年の創作の原動力となったということでした。弦楽四重奏曲「内緒の手紙」も、カミラへの手紙ですね。でもカミラはある意味冷静というか、ヤナーチェクと距離を置いてつきあったようです。それだけに一層、ヤナーチェクの創作のエネルギー源になったのかもしれません。この監督は、ヤナーチェクに関する他のドキュメンタリーや、マルティヌーや、ルドルフ・フィルクスニーに関するドキュメンタリーなども作っているということで、それらも是非見てみたいと思いました。映画をみた後で、ずっと前に古本で買って読んでいなかった、ホースブルグ著「ヤナーチェク 人と作品」(和田旦・加藤弘和 共訳、泰流社 1985年)を、この機会に読もうと思って少し読み始めました。すごく面白そうなのですが、400頁を超えるがっしりした大著で、ちょっとすぐには読めそうにありません。とりあえずこちらは後回しにして、やはり買ったまま本棚の奥に眠っていた、佐川吉男遺稿集3「チェコの音楽-作曲家とその作品」(芸術現代社 2005年)のヤナーチェクの項を拾い読みしました。以下に、ヤナーチェクの生涯の概要を、自分の頭の整理のためにまとめておきます。(年齢は、誕生日の関係などから多少の誤差を含みます。)1854年生。 チェコのモラヴィア地方の田舎フクバルディに、14人兄弟の10番目として育つ。父は小学校の教員で、音楽にも造詣が深かった。11歳、モラヴィアの中心都市ブルノの修道院付属の学校に送られ、そこの聖歌隊に入る。12歳、父死去。続いて母も死去。18歳、ブルノの師範学校を卒業し、その学校の教員になる。22際から、ブルノ・クラブの合唱団と管弦楽団の指揮者を34歳まで務める。23歳頃、「弦楽のための組曲」「牧歌」完成。25歳頃から、人の話し言葉の旋律曲線の研究に打ち込み始める。27歳、ブルノ師範学校長の娘ズデンカと結婚。ブルノ・オルガン学校の創立に参画し、そこの校長となる。31歳頃から、モラヴィアの民謡の研究に打ち込み始める。33歳、最初のオペラ「シャールカ」完成。36歳、長男ウラディミールを2歳で亡くす。40歳、3作目となるオペラ「イェヌーファ」の作曲に着手。48歳、長女オルガが21歳でチフスで病死。その3週間後に「イェヌーファ」完成。しかし作曲者の望んだプラハ初演は、指揮者コヴァジョヴィッツに拒絶される。49歳、オペラ「イェヌーファ」、ブルノで初演され好評を博す。敬愛するドヴォルザーク死去。51歳、ピアノソナタ「1905年10月1日」完成。54歳、ピアノ曲集「草陰の小径にて」第1集完成。58歳、ピアノ曲集「霧の中で」完成。61歳、指揮者コヴァジョヴィッツによるオーケストレーション改訂という条件つきであったが、コヴァジョヴィッツの指揮によりオペラ「イェヌーファ」がようやくプラハで初演され大成功をおさめる。ヤナーチェクの作曲家としての名声が世界に広まるきっかけとなる。64歳頃?、カミラと出会う。64歳、「タラス・ブーリバ」完成。連作歌曲「消えた男の日記」完成。65歳、プラハ音楽院ブルノ分校を発足させ、71歳までマスタークラスで作曲を教える。66歳、6作目のオペラ「カーチャ・カバノヴァー」完成。67歳、ヴァイオリン・ソナタ完成。69歳、7作目のオペラ「利口な女狐の物語」完成。弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」完成。71歳、「シンフォニエッタ」完成。72歳、「グラゴル・ミサ」完成。 73歳、第9作(最後)のオペラ「死者の家から」完成。弦楽四重奏曲第2番「内緒の手紙」完成。74歳、故郷のフクバルディ近くの森の中で、カミラとその息子とハイキングの途中で、はぐれたカミラの息子を探し回っているうちに風邪をひき、肺炎になり、近くの病院に入院し死去。生涯のほとんどをモラヴィアですごし、モラヴィアの話し言葉や民謡に基づく独自の音楽語法と、独自の音楽形式による個性的な作品を書いたヤナーチェク。その独自の作風が、オペラ「イェヌーファ」で確立したということです。「イェヌーファ」を観るのは初めてですので、来月の上演、とても楽しみです。
2016.02.10
コメント(2)
2月7日のきらクラ、気になるふかわさんのジム解約問題に直接の言及はありませんでしたが、解約する前にヨガ系のレッスンを受けてみるようお勧めするリスナーからの投稿が読まれました。ふかわさんも「ホットヨガに電話したが男性はダメと断られた」とおっしゃっていました。ということは、もう懸案の解約ジム手続きはすませたのかもしれないですね。きらクラ!DONの正解はリムスキー・コルサコフ「くまばちの飛行」でした。以前生ドンでも出題されたということでした。正解曲の投稿でなんとプロポーズもありました!ニアピンとして、ロッシーニのウィリアムテル序曲第2部「嵐」が出ました。中トロでした。雰囲気は似ていましたが、残念ながらふかわさんの判定は「バンカーショット」でした。今回は中トロだったためかもしれませんが、ふかわ判定が最近明らかに厳しくなっています。何か秘められた事情があるのでしょうか?実はワタクシも、偶然発見したニアピン曲を投稿しました。先週の投稿〆切の木曜日の夜、NHK―FMの「夜のプレイリスト」という番組をたまたま聴いていました。往年の名盤をアルバムまるごと全部放送する番組です。この日は渡辺真知子の曲が流れていて、「かもめが翔んだ」などが流れていて、なつかしいなぁと思いながら何気なく聴いていました。「かもめ」のあと2~3曲目だったでしょうか、とある曲のイントロが始まった途端に、「あっ、きらクラドンの曲にすごく似てる!」と思いました。そこであとで番組表を調べたら、渡辺真知子のアルバム「海につれていって」の中の「愛情パズル」という歌だとわかりました。この歌のことはまったく知りませんでしたが、これはニアピンになるかもしれないと思って、木曜日の夜の〆切ぎりぎりに投稿しました。しかし残念ながらボツでした。渡辺真知子「愛情パズル」、こちらで頭部分だけ聴いてみてください。https://www.youtube.com/watch?v=KFEgUD2Vm9Mくまばちはこちら。https://www.youtube.com/watch?v=dVIA3nJqQ2A続いて始まりはクラシックでは、魔笛のパパゲーノのアリア「恋人か女房があれば」のメロディに基づいた、明治時代に作られた小学唱歌集からの無伴奏合唱曲が紹介されました。西洋音楽の啓蒙活動の一つということでした。明治の方々のいろいろなご努力があったのですね。メンバー紹介では、ゴンチャロフさん(タイムリーなラジオネーム!)の投稿で、「夏の夜の夢」の中の1曲「舌先裂けたまだら蛇」が紹介されました。すごいタイトルだなぁ、こんなのあったかなぁと思って、僕の持っている小澤征爾&ボストン響のCDを見たら、その盤では、「ナイチンゲールの子守歌」となっていました。CDによって曲名表記は異なるようでした。続けて「序曲」が流されて、素敵な曲にうっとりしたひとときでした。さてさてBGM選手権、今回のお題は、福岡伸一著「フェルメール 光の王国」でした。4枠採用。ラヴェルの、「ダフニスとクロエ」から「全員の踊り」(あなごすきーさん)レベッカ・クラークの、ヴィオラソナタから第二楽章(まことさん)ドビュッシーの、小組曲からメヌエット、ギター二重奏版(彦星さん)エルガーの「エニグマ変奏曲」から第九変奏曲「ニムロット」(ロン君のおかあさん)それぞれに素晴らしいBGMの中で、ベストはふかわさん真理さん一致してのドビュッシーでした。このドビュッシーは、ギターの冴えた音が何とも素晴らしく、これまでのBGMとはまた変わった、新たな世界を開拓した感がありました。なお2枠目のレベッカ・クラークはイギリスのヴィオラ奏者で作曲家で、僕も大好きです。芥川龍之介の「ピアノ」のBGMに、レベッカ・クラークのヴィオラのための小品を投稿しました。番組の最後は、編曲ものが続きました。ベートーヴェンのピアノ協奏曲(作曲者自身によるヴァイオリン協奏曲からの編曲版)シューベルトの軍隊行進曲(レオポルド・ヴェニンガー編曲による管弦楽版)渡辺岳夫作曲の、「アルプスの少女ハイジ」オープニングテーマ(轟千尋編曲による、福川伸陽さんのホルン多重録音版)ところで時節柄、今回の放送のオープニングとクロージングは、チョコレートにちなんだ曲でした。ふかわさんが敢えて何も触れないでいたところ、番組の最後に真理さんがそれを話題にし、それに対してふかわさん、最初は「言わずもがニスト」、次に「言いわずもがなー」と仰っていました。言わずもガーナチョコ?果たして来週はどんな展開になるのか、チョコッと楽しみです。
2016.02.08
コメント(4)
BGM選手権、1月31日の出題は、福岡伸一「フェルメール 光の王国」でした。アイヴズの「答えのない質問」をあてました。この曲は、冨田勲さんによる編曲もあって大好きですが、このお題には、より哲学的、思索的な深みがあるアイヴズの原曲がやはりふさわしいと思いました。彼方からの弦楽合奏の響きが、静かに心に沁みてきます。https://www.youtube.com/watch?v=kkaOz48cq2g
2016.02.07
コメント(2)
1月31日のきらクラは、解決したかと思われたふかわさんのジム手続き問題から始まりました。電話したけれど、解約するには来てもらうことが必要だと言われ、まだ行けずに今に至っているということでした。「ジム側もなかなか簡単にやめさせてくれないのではないか、行ったら別室にケーキが用意されていて、慰留されるのではないか」、とおそれるふかわさんでした。もし本当にケーキが出たら、すごくしたたかなジムですね。ケーキをたっぷり食べたあとに次の部屋に案内されると、そこで体重と体脂肪をチェックされ、「どうですか、これでも本当にやめますか」、と迫られるに違いありません。 ふかわさんは、番組最後にかかったスーザの行進曲を聴いて、これをバックに流して応援してもらって解約に行きたい、ともおっしゃっていました。よほどプレッシャーに感じているのでしょうね。次回あたり、ジムの解約にふさわしいBGMの投稿が殺到するかもしれません。もしもそうなれば、新コーナー、Bジーム選手権の誕生です。ジム問題、どこまで引っ張られるのか、楽しみです。 きらクラDONの正解曲は、シューベルト作曲、歌曲集“白鳥の歌”から 「セレナード」 でした。「月光」という回答が多数あったということで、ひとつニアピンとして紹介された投稿が、お母様にささげるという内容で、ステッカーを無事ゲット。ニアピンがもうひとつで、ペピーノ・ガリアルディという人の「ガラスの部屋」が紹介されました。作曲者も題名も知りませんでしたが、ヒロシがBGMに使った曲ということで、そういえばこういう曲がヒロシの登場時に流れていたような気がします。これも十分にピンそばだと思いましたが、ふかわさんがあっさりとステッカー却下!ふかわさんアニメ系には甘いのに、ヒロシ君には厳しい? ところで僕が今回の放送で一番印象に残ったのは、ふかわさんの好きな曲として、マーラーの歌曲「私はこの世に忘れられ」 がかかったことです。なんでもこれが「コーヒー&シガレッツ」というオムニバス映画のBGMとして使われていたというのです。どんなふうに使われているのか、是非見てみたいと思いました。この歌曲は、マーラーの音楽のなかでも、最も深遠な音楽の一つと言っていいのではないでしょうか。マーラーの歌曲の中でダントツの存在感がありますね。管弦楽伴奏版も素晴らしいし、ピアノ伴奏版では、フイッシャー=ディースカウの歌とバーンスタインのピアノという超名盤がありますね。番組では、ハンプソンさんの歌とリーガーさんのピアノによる演奏が放送されました。このお二方も、超強力タッグです。このお二方によるオール・マーラー・リートのリサイタルを2003年11月11日にサントリーホールで聴けたことは、忘れられない体験のひとつです。このときのプログラムの最後に歌われたのが、この「私はこの世に忘れられ」でした。歌もピアノも繊細で霊感豊かで、本当に素晴らしかったです。マーラーの歌曲のリサイタルとして、ひとつの理想がそこに実現していました。
2016.02.06
コメント(0)
スクロヴァチェフスキ&読響によるブルックナー交響曲第8番を聴きました。読響特別演奏会として、1月21日、23日の二日間行われたもので、僕は二日目を聴きました。早々と完売していたコンサートです。指揮:スクロヴァチェフスキ管弦楽:読響ブルックナー 交響曲第8番1月23日 東京オぺラシティコンサートホール・タケミツメモリアルスクロヴァチェフスキのブルックナー8番を僕が聴くのは、今回が5度目になります。過去のものをリストアップすると、2002年9月 読響2003年11月6日 ザールブリュッケン放響 (東京オペラシティ)2006年5月12日 N響 (NHKホール)2010年3月26日 読響 (サントリー)(読響常任指揮者退任前の、最後の演奏会)です。スクロヴァチェフスキの演奏するブルックナーに関しては、これまでも折に触れて書いたとおり、個人的には7番の演奏がもっとも好きです。流麗な美しさが目立つ、内なる世界に向かうような7番は、スクロヴァチェフスキのスタイルに良くあっていると思います。一方で8番は、より外に奔出するような力強さが必要な曲と思っています。これまで聴いたスクロヴァチェフスキの8番は、一流の演奏とは思いましたが、何かちょっと不必要な作為が加わって、スケール感がやや損なわれてしまうような印象を持っていました。今回、いよいよ92歳になられたスクロヴァチェフスキが、8番をどのように演奏するのか、期待して会場を訪れました。舞台を見るとマイクが立ち、録音されるようです。ハープは舞台左手奥に3台並んでいます。コンマスは長原幸太さん。オケがぎっしり舞台上に並んだあと、現在92歳になるスクロヴァチェフスキの登場です。やや足が衰えられたようで、足取りが遅く、指揮台に上がるのがちょっとしんどそうでした。しかし指揮台には椅子のたぐいは一切おかず、全曲を立ったまましっかり振られていました。譜面台にはスコアが置かれていましたが、ただ置いただけで、最後までまったく開きませんでした。譜面台を使ったのは、楽章間の間合いを取る時に、指揮棒を置くのに使っただけでした。スクロヴァチェフスキは以前からブルックナーを暗譜で指揮します。以前、とある演奏会で、前半にご自分の作曲したオケ作品を、後半にブルックナーの交響曲を演奏したとき、自作曲は譜面を見ながら指揮をして、ブルックナーは暗譜で指揮していました。ある意味自分の作った作品以上にブルックナーに通暁しているのだなぁと妙に感心したものでした。さて第一楽章が始まりました。遅めの重い足取りで進みます。第二楽章はさらに遅くなり、びしっと引き締まった重心の低い音楽が進んで行きます。テンポはそれなりに変化があり、アッチェレランドなども行われますが、それほど激しいものではなく、ゆっくりした基本テンポの上に自然な息づかいの音楽が堂々と進んで行きます。従来のスクロヴァチェフスキと同じく、楽器のバランスに細心の注意が払われ、色々なパートの音が良く聴こえるようにバランス良く鳴らされます。見通し(耳通し?)が良く、心地よいです。そしておそらくスコアの細部に様々な手を加えていることも今まで通りで、耳に新鮮な響きが色々と聴こえてきます。それが違和感なく耳に入ってきて、さすがです。そして第三楽章が圧巻でした。冒頭の低弦の導入が、信じがたいほど重く、深く、慟哭のように胸に迫ってきて、一気に深い世界に引き込まれました。そしてこの楽章でさらにテンポは遅くなりました。(念のため断っておくと、もちろんアダージョですから先行楽章よりテンポが遅いのは当然ですが、そういう意味ではありません。仮に楽章ごとにおおむね標準的なテンポがあるとすれば、標準から遅い方にずれるずれ幅というか、偏差が、第一楽章、第二楽章のそれに比べてさらに格段に大きい、ということです。)この遅いテンポの上で、盤石のコントラバスを土台として、重心低く、深く渋く響く弦楽が、実に心に沁みてきます。そして、もう全然うまく言えないのですが、ひとつひとつの音の佇まいが、なんともきっちりしているのです。深く、かつ明晰なのです。スクロヴァチェフスキのブルックナーは良く明晰と言われますが、自分にとって、深みを伴った明晰を心の底からこのように実感したのは、今回が初めてのことでした。これは凄い。この第三楽章は、スクロヴァチェフスキが92歳にして到達した境地そのものでした。第三楽章が静かに終わりました。僕はあまりの充実に圧倒されて、「第四楽章がこの路線のままで行ったら、もうこの先はないだろう。スクロヴァチェフスキのブルックナーを聴くのもこれで最後になるのではないか」、などという変な思いを抱いてしまいました。しかし幸いにも?、そうはなりませんでした。やがて始まった第四楽章は、先行楽章と比べてテンポがかなり速めで(上に書いた意味です)、アグレッシブな色合いを帯び、僕としてはそれまでの方向性との違いが大きすぎて、第三楽章までほどには音楽に入り込めず、変な言い方ですが「これならもう一度聴けるかも」と安心?しながら聴いていました。演奏終了後、スクロヴァチェフスキは、タクトを降ろすまで完全な静寂が起こることをかなり期待していたと思います。スクロヴァチェフスキのこのあたりのこだわりについては、2010 年10月の読響との7番の演奏会の記事「拍手は指揮者が手をおろしてからお願いします」というアナウンス in 読響定期演奏会」に詳しく書きましたので、よろしければご覧ください。僕が今回聴いたのは二日目で、初日の拍手がどうだったのかはわかりません。しかし二日目に関しては、スクロヴァチェフスキのこの期待は、完膚なきまでに打ち砕かれてしまいました。終了後、物理的な残響が鳴りやむかやまないか、もちろんまだ指揮者がタクトを高くあげているうちに、すかさず一人の不心得な聴衆が、ブラボーと叫んでしまい、拍手が沸き起こりかかってしまいました。スクロヴァチェフスキはさぞやがっかりしたのでしょう、直ちに、かざしていた両の手をガッとおろして譜面台につかまり、頭を垂れて、じっとしていました。いかにも残念無念といった雰囲気が全身から立ち上っていました。スクロヴァチェフスキは頭を垂れたままそのまましばらくじっと動きません。湧き起りかけた拍手はすぐに静まったものの、もうタクトは下がったんだから良いだろうとばかり、数人がブラボーを後追いで叫んでしまい、事態をより悲喜劇的にしてしまいました。そのうちに後追いブラボーも止み、ようやくホールは静寂に包まれはじめますが、指揮者はもうあきらめたようにオケの人たちと顔を見合わせ、体を動かしはじめ、それでホールはあらためて拍手が始まり、ようやく晴れて拍手喝采の時間になった、という顛末でした。結果的には十分な静寂もなく、出鼻をくじかれた拍手喝采という、歯切れの悪いものになってしまいました。最初にブラボーと叫んだ方は、悪意はなかったのだと思いますが、はっきり言って鈍感すぎます。この日場内アナウンスでも、念をおすように、「拍手は指揮者のタクトが下がるまでお控えください」と放送されていました。この方一人が気をつけていたら、もしかしたらホール全体が静寂に包まれた、貴重なひとときが実現したかもしれません。。。8番と言えば、ヨッフムの日本公演でのDVDでも、終演直後の間髪をいれない聴衆の歓声に、びっくりしてギョッとするような表情をするのが、クローズアップで写っていますよね。その時代に比べれば今は非常にマナーが向上したとはいえ、まだまだ理想的な状況には遠いということを認識しました。しかしそれにしても、誤解を恐れずにいえば、スクロヴァチェフスキの反応も、大人げないといえば大人げないように思いました。指揮者としては会心の演奏で、完璧な静寂が起こることを確信していたのかもしれません。だからと言って、フライングブラボーに対する失望を隠さず、むしろ大袈裟にアピールするような身振りって、どうなんでしょうか。。。もちろん、演奏直後の静寂を大切にしたいという気持ちは非常に良くわかりますし、全面的に賛成です。それを気にしない指揮者よりも、ずっと共感し、そのお気持ちを尊重したいと思う者です。それが実現するよう、聴衆ひとりひとりが自覚して協力すべきなのは当然だと思います。それでも敢えて言えば、演奏後の静寂は、目的ではないと思うんです。結果的に静寂が実現しなかったからと言って、その失望をアピールするというのは、世界の大巨匠としては心が狭いというか、潔くないような気もします、などと言ったら顰蹙を買っちゃうかもしれないけど。。。まぁしかしそれも小さなことです。ともかく第三楽章までの深遠なる音楽世界は、僕にとって本当に貴重な、稀有な体験となりました。スクロヴァチェフスキと読響の皆様(特にコントラバス!)に感謝です。どうぞお元気で、また日本でブルックナーを振ってくださることを、心から願っています。○2016/2/4 追記です:以前、スクロヴアチェフスキのブルックナー演奏会をきっかけに、演奏終了後の「余韻」について考えたことがありますので、リンクを貼っておきます。よろしければご覧ください。余韻考(1)余韻考(2)余韻考(3)(4)も書くつもりでしたが、中断してしまいました(^^;)。
2016.02.03
コメント(1)
1月24日のきらクラは、いきなりふかわさんの人生相談(^^)で始まりました。足を運んでいないフィットネスクラブをやめようかどうかという相談に対して、真理さんがあっさり一言、「やめましょう」。それでやめるふんぎりがついたふかわさんでした。申し込むと行くのがしんどくなり、やめると行きたくなる、あぁフィットネスクラブ。きらクラドンの正解曲は、モーツァルトの歌劇「魔笛」から夜の女王のアリア「復讐の心は地獄のように胸に燃え」でした。中学の美術部や陸上部の生徒がハハハハハハハハハと呻いていた、さらにこの曲を放送で流して男子生徒にも大うけしたという面白いエピソードが紹介されました。ニアピンとして、同じくモーツァルトのピアノ協奏曲第20番第一楽章が出て、調性も同じで曲想もとても似ていて、見事ステッカーをゲットしました。もう一つ、シューベルトの「魔王」の編曲版という渋いニアピンが登場し、弦楽合奏とソロヴァイオリンの違いを克服して、やはりステッカーゲットしました。きらクラドンの終わった直後に、異例なことにニアピン曲、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番第一楽章が、楽章丸ごとかかりました。ニアピン投稿がかなり多かったためということでしたし、もちろんモーツァルトに敬意を表してという意味もあったと思います。モーツァルトへの敬意と言えば、以前「始まりはクラシック」のコーナーで「浅草バラダイス」がかかったときのことを思い出します。「浅草パラダイス」はこちら。https://www.youtube.com/watch?v=dkrb01v0564モーツァルトのトルコ行進曲のカヴァー(^^)というか、すごいインパクトの曲でしたよね。短調の曲にパラダイスの歌詞をあてるところがいかにも日本人的だなぁと思ったりしましたが、それはともかくとして、このときの放送で、このコーナーが終わったすぐあとに、確かモーツァルトの交響曲第40番の第三楽章と第四楽章だったと思いますが、ふたつの楽章が続けて丸ごと放送されました。ひとつの曲の二つの楽章が全部放送されるというのはきわめて異例なことではないでしょうか。きっと、もしかして「浅草パラダイス」を聴いて複雑な思いを抱いたかもしれない真摯なモーツァルトファンのお気持ちをなだめるための、こだまっちさんの細やかな心使いで、二つの楽章を流したのだろうなどと思いながら聴いたものでした。メンバー紹介では、チャイコフスキーの交響曲第一番「冬の日の幻想」で、第一楽章が流れました。少し前のきらクラドンのニアピンでもブロ友の蝦夷屋犬八さんが絶妙に取り上げていました。冬には良く似合う素敵な曲ですね。さてさてBGM選手権、今回のお題は谷崎潤一郎の陰翳礼賛でした。3枠採用でした。○一つ目はシベリウスの三つのソナチネ第1番作品67-1、第一楽章(とんぼ透きとおるさん)。微妙な陰翳のうつろいが絶妙でした。○続いてはラヴェルの「マ・メール・ロア」から第五曲「妖精の園」、(播州亭レオナルドさん)。お題には美しすぎるほど美しい音楽で、後半のキラキラしたグロッケンシュピールの高音がなんとも印象的でした。○最後はマーラーの交響曲第1番から第三楽章(気分はいつもト長調さん)でした。ベストに選ばれたのはラヴェルでした。播州亭れおなるどさんは、拙ブログにしばしばおいでいただいているブロ友さんで、昨年の山之口貘の「存在」のサティに続くベストです。播州亭れおなるどさん、遅ればせながらおめでとうございます!その後、合唱によせる熱い思いの投稿が読まれ、NHK全国学校音楽コンクールでの中学生の演奏による間宮芳生作曲の民謡に基づく歌が放送されました。「世界のいろいろな国から集めた合唱祭りにしたい」というふかわさんのご発言もありました。合唱祭りの実現がますます近づいてきました。
2016.01.30
コメント(6)
BGM選手権、今回のお題は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」からの一節でした。トイレの文章ということで最初はかなりとまどいましたが、文章を繰り返し読んでみると、この世の雑事から隔絶された特別な場所で、精神の休息と充実を志向するというような格式高い文章が、折り目正しくすがすがしく思えてきました。それで、端正で格調ある佇まいの音楽があうかと思って、ハイドンの音楽をあててみました。ハイドン作曲 ピアノ三重奏曲第37番ヘ長調、Hob.XV;37 第一楽章アダージョ動画サイトではこちらです。ボザールトリオの演奏です。https://www.youtube.com/watch?v=MZoVwwnAPd8
2016.01.24
コメント(6)
2016年初めてのきらクラドンの正解曲は、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ、間奏曲」でした。この曲には思い出がありますので、まずはそれについて書こうと思います。今回の放送で最初に読まれた正解曲の投稿が、札幌のリスナーさんからでした。この歌劇を最初に見たのが、高校の文化祭のときだったというお便りで、ちょっとびっくりしました。というのは、この歌劇は、僕も高校の音楽部のとき、文化祭で上演した、思い出の曲なのです。もう40年ほど前になります。当時の音楽の先生が、ご自身テノールの歌に長け、独唱の指導に情熱を注がれた先生でした。その先生の指導のもと、毎年文化祭に、音楽部でオペラを上演していました。僕はトランペットをかじっていたので、トランペットでオケ伴奏に参加しました。オケと言っても少人数で、多分全部で20人位だったと思います。楽器もそれほどそろっていないので、先輩方が編曲して、自分達でできるようにして伴奏しました。でも独唱や合唱は原曲をそのままで、全曲を上演しました。僕はその頃はもっぱらマーラー・ブルックナーを中心にオケものを聴いていて、オペラはほとんど全く聴いていなかったので、この曲のことはまったく知りませんでした。しかし練習するうちに、きれいなメロディーが沢山出てくるこのオペラを、とても好きになりました。先輩方の歌が素晴らしかったこと、脳裏に刻まれています。この間奏曲は、僕はトランペットだったので出番がなく、練習ではじっと聴いているだけでしたが、世にも美しいこの調べが弦楽合奏で奏でられるのを、いつも感動しながら聴いていました。途中、メロディーに、ドーレミファソラシドーーーとオクターブの上行音階が出てきますよね。これ、古今東西の曲に数多出てくる上行音階の中でも、もっとも美しいものの一つだと思っています。さらにその後、ドをひたすら繰り返すところ、ここ本当にたまりませんね。(なんだかここ好きクラシックのような感じになってきました。)ところでこのオケに、自分と同学年のI君がフルートで参加していました。このI君、滅茶苦茶にフルートがうまくて、I君が吹くとどんなパッセージにも、うっとりとさせられていました。この間奏曲ではフルートはずっーとお休みで、最後の最後に長い和音の一部として一音だけ吹くのですが、その一吹きの美しさに、練習のたびに毎回じ~んと感動していました、この曲を聴くと、今もその記憶が鮮やかによみがえってきます。今回改めて、僕の記憶は正しいのかどうか、本当にフルートは最後のひと吹きだけだったのか、楽譜で確認してみました。まず間奏曲の楽器編成は、弦楽4部(コントラバスお休み)、オルガン、ハープ、フルート3本、オーボエ、クラリネット2本でした。木管に関しては、途中オーボエが、メロディーの合いの手をちょろっといれます。しかしフルートは、ずっーとお休みで、最後の最後に、長い和音に参加していました。やはり記憶のとおり、この一音だけでした。この美しい間奏曲のメロディーに身をゆだねて聴きすすんできて、最後の最後にこの和音に到達するとき、本当にじーんとしますし、I君の奏でたあの美しいひと吹きをいつも思い出します。I君は、周りからはプロを目指したらどうかと言われていましたが、あくまで趣味でやると言っていました。あのI君、卒業してから会っていないけれど、今はどうしているのかな。きっと今も美しいフルートを吹いていることと思います。
2016.01.20
コメント(2)
ハーディング&ボストリッジ&新日フィル他で、ブリテンの戦争レクイエムを聴きました。新日フィルの今年の定期演奏会の、幕開けのコンサートです。指揮:ハーディングテノール:イアン・ボストリッジバリトン:アウドゥン・イヴェルセンソプラノ:アルビナ・シャギムラトヴァ合唱:栗友会合唱団児童合唱:東京少年少女合唱隊管弦楽:新日フィルコンサートマスター:西江辰郎室内オケコンサートマスター:崔 文洙(チェ・ムンス)2016年1月15日 すみだトリフォニーホール新日フィル第551回定期演奏会ブリテンの戦争レクイエムを聴くのは2回目です。ここすみだトリフォニーホールが落成した1997年に、ロストロポーヴィチの指揮で新日フィルがとりあげたのを聴いて以来です。そのときは歌詞の意味をほとんど知らず、ただ聴いただけで、それほど強い感動体験にはなりませんでした。聴き手としてまったくの準備不足でした。それ以来、戦争レクイエムを頭の中では大きな存在として認識していましたが、保有するCDもほとんど聴かず、この曲にほとんど近づかずに過ごしていました。たまに新日フィルなどがこの曲をコンサートでとりあげていましたが、聴きに行くこともなく、時が流れていました。そのようにしてもう20年近くたっているということに驚きです。今回、ハーディングがこの曲を取り上げるということで、久しぶりに聴いてみたいと思いました。今回は、せっかく聴くので、予習でCDを何回か聴き、歌詞もざっとですが目を通し、概略を理解して臨みました。戦争レクイエム。この曲はブリテンからの、人類への呼びかけ、問いかけです。単に平和を願い、祈るだけではなくて、より積極的に、繰り返される戦争や殺し合いに、強く抗議するメッセージです。この曲は、ラテン語による通常のレクイエムの音楽と、第一次大戦の戦場で若い命を落としたオーウェンというイギリスの詩人の詩(英語)に基づく独唱とが交互に組み合わさって登場するという、ユニークな構成です。ラテン語部分は混声合唱とソプラノ独唱と大オーケストラで演奏され、一方イギリスの詩人の歌はテノールとバリトンと室内オーケストラ(12名)により演奏されます。基本的には交代で演奏され、どちらか一方が演奏するときはもう片方は完全に休んでいます。これらの他にさらに、静かな児童合唱がときどき挿入されます。当日、舞台上には演奏者がびっしりと並びました。ハーディングの右側の客席に近い側は、室内オケです。室内オケは各パート一人ずつで、弦5人、木管4人、ホルン、ハープ、打楽器(ティンパニ、タムタム)の12人でした。プログラムの出演者一覧図を見ると、室内オケは崔文洙さんを筆頭に、各パートの首席級の人たちが結集した精鋭部隊です。さらにこれとはまったく別に、14型3管編成(金管は4管)にピアノと打楽器多数が加わった大オケが乗って、しかも舞台後ろには大合唱団が並びます。さらにテノールとバリトンが指揮者のすぐ左前で歌います。なおソプラノは舞台の後ろの高い位置にあるオルガンの横でした。児童合唱もオルガンのところで歌うのだろうと思ったら違って、ホールの後方、左寄りから聞こえてきました。僕の席は前の方だったので、どこで歌ったかははっきりわかりませんでしたが、想像では3階の左奥の、ホールの壁からちょっとひっこんだ通路のようなところで歌ったのかと思います。1999年に、新日フィルがこのホールで井上道義さんの指揮でマーラー3番をやったとき、児童合唱を後方左の壁の奥の高いところに配置して、良い効果を上げていましたので、おそらくそのときと同じ場所で歌ったのだろうと想像します。今回も、距離感を持って響いてきて良かったです。ラテン語の合唱のレクイエムと、英語の詩の歌の内容の対比・対立が、ともかく強烈です。例としてひとつだけ、全曲の中ほどの「奉献唱」について書きます。ここではまずラテン語の合唱が、主はアブラハムとその子孫に繁栄を約束した、という内容を歌います。これは聖書のアブラハムの話に基づくものだそうです。聖書に詳しい方は良くご存じと思います。僕は全然詳しくないのですが、聖書の話をざっくり言うと、アブラハムが、神の命令に従い、自分の息子を犠牲にして殺そうとします。神様はそれを寸前で制止して、アブラハムの信仰心があついことを称え、子孫繁栄を保証するというような内容です。この合唱のすぐあとに、オーウェンの詩がテノールとバリトンの二重唱により歌われます。その内容は、アブラハムが神から命令されて息子を殺そうとするところまでは聖書と一緒ですが、最後が大きく違います。アブラハムは神の制止に従わず、息子を殺してしまうのです。。。神が止めてもお互いに殺しあう人間の性のどうしようもなさをストレートにあらわしているように思います。曲はこのようにラテン語の合唱と、英語の独唱とが交互に歌われながら、両者が極めて対比的・対立的に進んで行きます。おそらく全曲で唯一、アニュスディの中で、合唱と大オーケストラと同時に、テノール独唱が歌う箇所がありました。しかし両者の歌詞内容はそこでも徹底的に相反的です。全曲の最後は、テノールとバリトンが、かつて生きているときに敵として戦った二人として「さあそろそろ僕たちも眠ろう」と静かに唱和します。そこに児童合唱と合唱もかぶってきます。ちょっと聴いた印象では、独唱と合唱は、ここで調和するかのようです。しかし注意して聴いていると、両者はあくまで交代に歌っていて、最後まで同時に歌うことはありません。最後まで両者の緊張関係は解決されずに、静かに曲は消えていきます。曲が終わった後、ハーディングは指揮棒をややあげたまま、身じろぎしません。会場全体も静寂が保たれ、かなり長いことそれが続きました。それは、余韻に浸るというのとは全く異なる時間でした。それは、祈りでした。ハーディングと一緒に、その場の人々がこ心を合わせて祈ったひとときだったと思います。戦争が絶えてほしい。そのためにはどうすれば良いのか。5年前の震災と原発事故の日にマーラー5番を演奏したハーディングと新日フィル。あれからもう5年、あのとき以上に危険な方向に向かう、危機的な状況の日本の新年の幕開けに、ブリテンのメッセージを渾身で発信してくれたハーディングと新日フィル。僕たち日本人は、それをどう受け止め、何を祈り、何に抗議すべきなのか。まとまらなくなりました。最後に演奏のこと。最初から最後まで緊張感が張り詰めた、凄絶な演奏でした。大オケも室内オケも、いい音をしてました。合唱の弱音の美しさは特筆すべきで、ハーディングはこういうところのコントロールが絶妙だと思います。児童合唱も、とても美しく、素晴らしかったです。バリトンは、迫力はやや乏しかったですが、滋味深くやさしい声と歌が素敵だったです。そしてそしてなんといってもボストリッジさんが、圧倒的な存在感でした!全身全霊で没入したボストリッジさんの歌は、鬼気迫るものがあり、強く胸を打たれました。
2016.01.18
コメント(2)
ヴォルフガング・リュプザムのオルガンリサイタルを聴きました。オールバッハプログラムです。1月11日 武蔵野市民文化会館 小ホールリュプザムさんと言えばCDで時々名前を見かけます。なんとヘルムート・ヴァルヒャとマリー=クレール・アランに師事し、二度のバッハ全集を含む膨大な録音を残しているというすごい経歴のオルガニストだそうですが、今回が初来日ということです。ともかくも新年にオールバッハプログラムということで楽しみにしていました。プログラム前半はクラヴィーア練習曲集第3部から数曲と、トリオソナタ第2番ハ短調BWV526。トリオソナタ第2番は大好きな曲で、リヒターの名盤で愛聴しています。プログラム後半は、パストラーレBWV590、そして最後はパッサカリアBWV582でした。一夜全体を通じて、静かな曲は少な目で、大音量で堅牢な構成の曲を主とするプログラムでした。僕としては最後のパッサカリアが、バランス良い響きとがっしりした構成で聴かせてくれて、充実した演奏と思いました。アンコールには静かなコラールを1曲弾いていただきました。なおこのパッサカリアBWV582は、音楽を聴けば「ああこれ」と思われるであろう、有名なメロディに基づく曲です。2014年の1月初めにここ武蔵野で行われたハンス=オラ・エリクソンによるオルガンリサイタル(僕にとっての2014年の初コンサート)でも、この曲がプログラムの中心的作品として取り上げられていました。優れたバッハ演奏には、ある種の微妙な「ため」がありますよね。フレージングというよりも、もうちょっとミクロ的な、小節の中でのちょっと引っかかるようなわずかな「ため」。これがなくてただスムーズに流れてしまうバッハは僕としては物足りないし、ありすぎると不自然に感じてしまいます。そのあたりの微妙な「ため」の違いが、バッハ演奏の個性に大きく関わってくる点のひとつだと思っています。リュプザムさんの演奏には、やはりリュプザムさん独特の「ため」があり、僕にはちょっと耳慣れない感じがしました。むしろもうちょっと長いスパン、何小節かにわたってテンポが変化していくような、そういうところの扱いがリュプザムさんは堅実で、ドイツの職人的味わいを感じました。
2016.01.13
コメント(6)
今年もきらクラが始まりました!新年幕開けの音楽は、ヘンデルのハープ協奏曲 変ロ長調 HWV294から第一楽章で、優雅に始まりました。この曲を僕は、バラのお菓子のBGM候補の一つに考えていました(^^;)。さて第4回BGM選手権スペシャル!今回採用されたBGMの数々、いずれ劣らぬ傑作ぞろいで、聴きごたえ十分のすばらしい番組でした。多方面のバランスが良く考えられた選曲・配列に、こだまっちさんのセンスが光りました。○最初のお題:星野道夫「ノーザンライツ」には4つが採用でした。ブラームスのクラリネットソナタ第1番、第2楽章 (やまだんしさん)バーバーの無伴奏合唱曲「アニュスディ」(天使の裏声のカクさん)ヴィヴァルディ マンドリン協奏曲ニ長調 RV 93 第2楽章ラルゴ(夜半亭あぶらーむしさん)ショパン ピアノ協奏曲第1番、第2楽章(沖縄にさく花さん)お題の文章のさまざまな側面―冬の冷たさ、その中のぬくもり、美しさなど―をそれぞれに生かす素敵なBGMが並びました。ベストはふかわさんが悩みながら選んだヴィバルディでした。なおバーバーの合唱曲を投稿したカクさんが、合唱祭りを提言されていました。これ、実現したらすごくいいと思います。続いてこれまでのBGM選手権から雪に関連するお題のBGM二つと、食べ物にまつわるお題のBGM二つが紹介されたあと、二つ目のお題になりました。○二つ目のお題:古澤千恵「バラの花びらの砂糖菓子」には5つが採用されました。リャードフ 音楽の玉手箱(高速タンギングさん)ストラヴィンスキー 組曲「プルチネッラ」から第3曲スケルツォ(悪魔の胃袋さん)サン=サーンス 「ロマンス」作品37(わっこさん)ドビュッシー 弦楽四重奏曲、第2楽章(気分はいつもト長調さん)ラヴェル 鏡から「海原の小舟」(ソルトさん)それぞれの音楽の性格を指摘するふかわさんのコメントが、また絶妙だったです。最初はバラの花の味と食感、次に紅茶が加わり、続いて味わう人物がはいり、禁断のお菓子的ニュアンスが加わり、最後はお菓子の次元を超越してバラの本質に突っ込んだ音楽、と、まさに本質を突く名コメントでした!思わずふかわさん、自分で自分のコメントをほめてました(^^)。ベストは「薔薇は特別な花」とおっしゃる真理さんがすごく惹かれたというラヴェルでした。このラヴェル、もしかしたらお題の文章以上の深みを顕わしていたかもしれません。もはやバラではなく薔薇と書かないと、という感じで、すごかったでした。続いて昨年のBGM選手権から真理さんとふかわさんがそれぞれ「もう一度聴きたいベストBGM賞」として選んだものが放送されました。真理さんは、「ちげーねー」が誕生することになった銭形平次のシベリウス、ふかわさんは、スティーブンソン「積木の町」のセブラックでした。さらに続いて「同曲異文」。僕は新コーナー誕生か?と一瞬びっくりしましたけれど、そうではなくて、これまでのBGM選手権で、同じ曲が違う文章に使われたものとして、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が使われた二つが放送されました。 ○最後のお題:新実南吉「うられていったくつ」には3つ採用。ブラームス ハンガリー舞曲第7番(ふじわらしょうたろうさん)サティ「風変わりな美女」から大リトルネッロ(すえつぐひろしさん)アンダーソン「忘れ去られた夢」(さかいしげはるさん)三者それぞれ異なる方向からのアプローチで、それぞれが非常に魅力的で、すばらしかったです!ベストはブラームスでした。最後にふかわさんが改めてBGMの影響力の大きさを熱く語り、かくも充実したBGMスペシャル、お開きとなりました。
2016.01.12
コメント(6)
今年最初のコンサートを聴きました。大植さんが日フィル初登場の演奏会です。2016年1月9日 横浜みなとみらいホール 日本フィル第314回横浜定期演奏会ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集「四季」ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」指揮とチェンバロ:大植英次ヴァイオリン:木野雅之コンサートマスター:木野雅之ソロ・チェロ:辻本玲四季は木野さんがソリストで大植さんがチェンバロを弾き振りでした。新世界は、テンポの緩急の変化が激しいユニークなスタイルでした。アンコールにアメイジング・グレースが演奏されました。最初は木野コンマスのソロから始まり、やがて辻本さんのチェロも加わって二重奏となり、そして弦楽四重奏となり、これで1コーラスが終りました。2コーラス目は各弦セクションの第2プルトくらいまでの奏者での合奏で、3コーラス目はさらにその倍くらいの弦楽合奏となり、最後の4コーラス目は全弦楽器奏者による合奏でした。美しい弦楽の響きでした。終演後に引き続き、1階ホワイエでミニ・パーティが開かれました。無料でビールやジュースが振る舞われ、木野さんらによるショート・ピースの生演奏が行われたあと、大植さんがスピーチをしました。大植さんは1冊の古びたスコアを携えて現れました。そのスコアは、大植さんがドヴォルザークのひ孫と会って、その人から譲り受けたという「新世界より」の作曲家自筆譜で、世界に20冊しかないということでした。「今夜の演奏はテンポの緩急変化が大きいと思われたかもしれないが、それはこの自筆譜に書いてある通りなのです」と、第四楽章の冒頭を例示してお話されてました。そのあといよいよ大植話術は熱を帯び、1972年から75年まで日フィルの定期会員で、東京文化会館でしばしば日フィルを聴いたこと、まれに会場にもぐりこんで聴いたこと、などをいろいろ楽しく語っていただきました。最後は平和を願う言葉で締めくくられました。新春にふさわしい、楽しくさわやかなコンサートでした。遠くから撮ったので粗い写真ですが、大植さんの後ろの譜面台に置かれているのが、「新世界より」の作曲者自筆譜だそうです。↓
2016.01.11
コメント(4)
全529件 (529件中 151-200件目)