オトキチ日記

板門店への道

北朝鮮旅行記2日目

板門店への道

2日目。

平壌は朝もや。朝と夜の気温の差が激しいのでこの季節はいつも朝もやが
かかるとのこと。

7;00 李さんに案内されて2階のレストランで一人で食事。パンもあつて
美味しい。あとはおかゆとおかずがたくさん。水はミネラルウォーター。
(これは李さんからもミネラルウォーター以外は飲まないやうに注意あり。
旅行中はすべてミネラルウォーターだつた)。
食べ終り、「ご馳走さまでした」と声を出して頭を下げて店を出る。

(なんせ、このときは平壌ではじめての一人きりの状態だからね。勝手に
どつか行つたとか騒がれたら大変だし。「ご馳走さま」と言つて店員の顔
色を窺つて、出てもいいんだよね? とアイコンタクトを取つて店を出る。
そんな感じで、結構緊張する瞬間でした。ちなみに店員の美女のほかに私
服の男の人がゐて暇さうにしてゐたけど「監視役」なのだらうなあと思つ
た。事実がどうかは分りませんが)

8:00 板門店に向つて出発。
(その前にロビーでくだんのビデオについての話をした)。
キムさんは昨日と同じピンクのスーツ。李さんは、・・・別にどうでもい
いです。

           *

ちなみに私は開襟シャツにチノパンでして、地味なはうがいいだらうと選び
ました。シャツは日数分替へを持参。ズボンは破れたりとかの異例事態に備
へてもう1本。でも結局は着ていつたズボンを穿き通し。
でも、地味なはうが云々といふのは余計な心配でした。
中国人および白人の観光客がたくさんゐましたが、みんな好き放題の恰好。
Tシャツに短パン、サンダルが当り前。女の人もタンクトップで肌出しまく
り、日本人の私でさへ目のやり場に困るやうなのがゐました。

           *

車が昨日の黒のアウディではなくて茶のアウディに変更。運転手も変更との
こと。
あれ? 5日間一緒つていふからチップ渡したのに。まあ、しやあねえか。

「昨日の車は調子が悪いので替りました」とキムさん。
そりやあ、あんだけエンスト寸前ぢや板門店まで2時間かかるんだし、と
思ひつつ乗り込むと、

げっ、やつぱりフロントガラスにひび!

ほんとに大丈夫なのか? と不安が。オイル切れランプはやつぱり点きま
くりだし。乗り込む前に見たところではタイヤは丸ボーズだつたし。

で、平壌の町を走る。

とにかくボロさが目立つ。
平壌は「ショーウィンドウ都市」とはいふけど「ひび割れたショーウィン
ドウ」といふべきと思ふ。
建物は古くて壁がはげ落ちてゐるし、高架を支へてゐる柱もコンクリー
トがボロボロ。地震が来たらすべて潰れるのは確実。
「わが国は日本のやうには地震がありませんので高層建築が多いです」と
可愛いキムさんは言ふんですけどね。

「わが国は石油が少ないですので、今日は日曜でありますが、日曜はガソ
リンを使つた車は使用が制限されてをります。ですので(ガソリン車の)
バスも走つてをりません。車は少ないです」
なるほど。昨日に比べて確かに通りは閑散。人は結構歩いてゐる。
「町なみを撮つてもいいんですよね?」
「はい、たくさん撮つてください」
といふことで写真を取りまくりはじめる。
ただ、車の中からなので風景が流れてゐるものばかりで、上手くは撮れま
せんでした。
それと、一般市民の姿を撮りたかつたのですが、なんせ車自体が少なくて、
大体車に乗つてゐるのは一般人ではないわけで、車をみんな睨むんですよ
ね。さういふ睨みつける人にカメラを向けるのは勇気も要るし、非礼でも
あるわけで、撮つていいとは言はれても、なかなか思うふやうには撮れな
いものでした。

下はまあうまく撮れたはうの写真です。

人々

建物はこんな感じ。

建物

<斜めに見えるのは走行中の車内から撮つてゐるためで、実際には真つ直ぐに建つてゐます>

一般の建物のボロさとは対象的に党やら金日成関係の記念塔やらはとにかく
でかくて豪華。(その落差は3日目の市内観光のときに更に実感すること
に)。こんなものに掛ける金と労力を道路や建物の民生に回せばもつとま
ともになるんだらうにと思ふ(その後、ますますこの思ひは強くなる)。

平壌市内から高速道路へ。
最近開通した高速道路で板門店まで直通とのこと。
たしかに車は少ない。しかしその替り人が歩いてゐる。自転車も走つて
ゐる。平気で横断してゆく。

市内に近いあたりならまだしも、郊外に出ても人が歩いてゐる。
それも見渡す限り山しかないやうな所も歩いてゐる。どこからどこまで
歩くんだ? と、あとになつてキムさんに聞いたら、フフと笑つて(それ
がまた)「自分の住んでゐるところから、目的のところまでですね」
「でも、まはりにはなんにもないですよね? 半日くらゐ歩くんですか?」
「そんなことないですよお」と笑ふのがまた(略)。

検問がいくつかあつて軍人さんがゐる。この検問は柵で道路を完全に塞いで
ゐて、よしとなつたら軍人さんが手で引いて開けてくれる。
朝鮮国際旅行社の車といふことでほとんど顔パスのやうな感じ。
あるところでは軍人の姿が見えず、、柵も半分開いたままになつてゐて、
走りながらクラクションで合図、反対車線の軍人さんに手を振つてそのまま
通つた。

とはいへ、検問にあたる軍人さんの顔は精悍で目つきは鋭く怖かつたです。

郊外の村のやうすです。

村

<山腹にスローガンの看板が。山腹の看板自体はそんなに多くはありませんでした>

道中、キムさんからなぜ38度線で分断されてゐるかのお話を聞く。

これは非常に詳細な話だつたのですが、かいつまんで言ふと、

・分断のそもそもの原因は日本軍にある。38度線を挟んで北側を関東軍が、
 南側を大本営が管轄してゐた。それで分断されるとき38度線で分けられた。
・朝鮮はもともと一緒の民族である。朝鮮は民族統一を強く望んでゐる。
・しかし、アメリカ軍が朝鮮は重要な軍事拠点であるので南朝鮮の支配を
 やめようとはせず、統一の妨害をしてゐる。
・南朝鮮軍は兵士は南朝鮮人だが将校はアメリカ人でアメリカ軍が支配し
 てゐる。
・日本はアメリカに協力することで一緒になつて朝鮮統一の妨害をしてゐる。
・悪いのは日本政府であつて日本人民は悪くはない。

と、このやうな話(だつたと思ひます)。

聞いてゐて論理に乱れはなく、非常によく練られた話だと感じた。

そしてその話を本気で信じてゐるといふこともひしひしと伝はりました。

つまり、本当は自分たちにも落ち度はあるが、それを言ふのは都合が悪い
ので、いいことしか言はない、といふのではなく、本気で自分たちが全て
正しいと信じてゐる、といふことです。

もちろん突つ込みどころは沢山ありますけどね、例へば旅行中に死ぬほ
ど聞かされた「金日成主席は20年以上に渡り抗日運動を戦ひぬき、遂に
日本軍に勝利した」といふ話だつて、日本はアメリカ(と連合国)相手に
戦争してアメリカ(と連合国)に負けたのであつて、金日成相手に戦争
してゐたわけぢやねえだろ? とかね。

38度線云々にしても、日本軍の管轄がどうかうが関係してゐなかつたら、
38度線が39度になつたか37度に変つたかはしただらうが、分断そのものは
発生しただらうよ、とかね。

まあ、可愛いキムさんの声をずつと聞いてゐるだけで、うつとりとしても
ゐたのですが。

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