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2017年02月26日
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カテゴリ: 本に親しむ
著者は約7年間かけて約4万キロを歩く荒行「千日回峰行」を2度満行した方、 読みやすい文体でサラッと読めそう。

 まずは目次

 第一章 一日一生
  一日一生と思って生きる
  身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す
  仏さんは、人生を見通している
  足が疲れたなら、肩で歩けばいい
  ありのままの自分としかっと向き合い続ける
  人からすごいと思われたくなくたっていいんだよ

  人は毎日新しいきも気持ちで出会える

 第二章 道
  生き残ったのは、生き「残された」ということ
  長い長い引き上げの旅が教えてくれたこと
  同じことを、ぐるぐるぐるぐる繰り返している
  どんな目にあったとしても
  人の心には闇がある
  ある日突然、妻は逝ってしまった
  人生の出会いはある日突然やってくる
  仏が見せた夜叉の顔
  自分は何のために生まれてきたのか、何するべきかを問い続ける


 第三章 行
  衣を染める朝露も、いつしか琵琶湖に注ぐ
  歩くことが、きっと何かを教えてくれる
  知りたいと思ったら、実践すること
  仏さんが教えてくれた親子の情愛

  仏は一体どこにいるのか
  身の回りに宝がたくさんある
  学ぶことと、実践することは両輪
  ゆっくりと、時間をかけて分かっていくことがある

 第四章 命
  ほっこり温かな祖父母のぬくもり
  大きな父の背中におぶわれた冬の日
  子供はおぶったりおぶわれたりして育つ
  夜店で母が隠した父の姿
  心と心が繋がっていた父と母
  東京大空襲の時に鹿児島で見た夢
  死を目前にした兄と弟
  一生懸命生きる背中を子供に見せる
  命が尽きれば死んで、他の命を支えるんだよ

 第五章 調和
  桜は、精一杯咲いている
  人は自然の中で生き、生かされている
  重い荷物を負う国の子供たちにみた「大志」
  心のありようはいろいろなものに作用される
  本当は同じものを見ているのかもしれない
  命あるものはみな繋がっている
  まだ、たったの三万日しか生きていないんだなあ

 目次を見れば、ほぼ内容を察することもできそうだけど、、、

 以下、本文から“”部 抜粋引用

 “何をやるにしても「何のために、何をもって」と考える。これが意外に奥が深くて、何でも通用する。たとえば会社に入ったとしたら、会社の ために仕事をするんじゃなくて、自分の人生として、こうふうにやるべきだと考えて、やればいい。
 「一隅を照らす」とはそのことなんだよ。「温故知新」も、故きを温ねて、新しきを知る。これからどう生きるか‥‥というのが温故知新の本当の意味だからね。
 人はだれもが、どこにいても何をするにしても、「何のためにきた」「なにするべきか」って宿題を仏様から授かって生きているんだよな。”

 “自分なりに腑に落ちると、人はそこで考えるのをやめにしちゃう。でも、答えがわからないといつまでも考えるだろう。肝心なのは答えを得る ことじゃなく、考え続けることなんだな。”

 “今は便利な交通機関がたくさんあるから、人は歩かなくなったよね。ぼくなんか山をとっとことこ、とっとことこ歩いて回って、たとえば夜中の一時に寺を出て朝の八時ごろに帰ってくると六、七時間。成田空港から飛行機に六時間乗ったらタイかベトナムの方まで行けちゃうよ。そんな時 代だもの。本当は人間の心の世界というものはそんなスピードについていけないんだけども、置き忘れてしまう気がする。 
  心がおっつかないから迷ったり、生きるのがしんどくなる。世の中だってぎくしゃくしてくる‥‥。もういっぺん振り出しに戻ったり、本来の姿を振り返る必要があるんじゃないかと思う。
  それには、歩くことなんじゃないかな。人間の自然な姿は歩くことだから、歩くことは人間を振り出しに戻してくれる。
  ‥‥
  何かを置き忘れているような気がしたら、少しずつでいいから、歩いてみるといい。歩くことがきっと何かを教えてくれるよ。”  

 “‥‥人より早く起きてお勤めしようと思った。そこで、夜中から起き出してお参りするようになった。‥‥
  ある明け方、とても美しい光景に出くわしたんだね。阿弥陀堂の近く、眼下に琵琶湖が見えてくるところがある。
  そこに東から朝日が上がってきて、輝きながら空をあかね色に染めていた。なんと美しいなあと思いながら、朝日を拝んで浄土院の手前の山王 院というところまでやってきた。 
  すると今度は、百夜のようなほの明るい空に、お月さんがさえざえと照っている。ものすごく澄んだ青い光だった。太陽の赤い光と月の青い光 。青と赤の光に感動しながら眺めていて、うと思った。
  そういえば、毎日毎日、根本中堂をお参りしている。根本中堂のご本尊はお薬師さんだ。お薬師さんのわきに日光と月光の菩薩が脇を固めてい る。赤いのは日光菩薩で、青いのは月光菩薩だなあと。こりゃ、すごいと。
  お薬師さんが真ん中に座して、日光菩薩、月光菩薩で三尊仏。お薬師さんが、いままさにぼくに、そういう光景を見せてくれる。
  そして、ふと思った。「それならば、お薬師さんご自身はどこにいるんだろう?」って・キョロキョロしてみたんだけど、どこにも見当たらな い。
  そしてハッとした。こちら側にあかね色に照る日光、反対側にさえざえと青い月光。仏さんはその真ん中にいるはずだ。だとしたら、いまぼく が立っているところにいるのじゃないか――。
  ‥‥仏さんはいつも心の中にいる。自分の心の中に仏さんを見て、歩いていくことなんだな。”


  早く起きての月や太陽が醸し出す感動的な光景って、それって、日光菩薩、月光菩薩、そして、、??だったのかな!? 今度、再度そんなこ とを考えながら歩いてみたい。

  修行を重ね、常に魂のありかと対峙して、感じたところから出てきた言葉、平易だけれど、きっと核心を突いているのだろう。



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最終更新日  2017年02月26日 21時02分55秒
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