曹操閣下の食卓

☆シーザーの大戦略(1)





 私は体系的な大戦略の成功者として、古代ローマの政治家、ガイウス・ユリウス・カエサル、英語読みでジュリアス・シーザーを筆頭に挙げることにしている。
 古代中国にも、《逸周書》の中味に関係した太公望・呂尚とか、始皇帝の軍師だった尉繚という人物がいて、それぞれ大戦略について思想体系を持っていた。
 これについては銀雀山竹簡・馬王堆漢墓帛書にもテキストがあり、私はそれについても解読・解明した業績が多数あるが、この一般講義では割愛し、質問や議論などに応じて適切な部分をわかりやすく紹介していきたい。
 インターネットによる漢字制限のために、ほとんどの文章が「?」になりかねないし、その解釈も専門的になりすぎると本講義の本筋から脱線してしまうからである。

 始皇帝の大戦略については、最初に紹介したような徹底した合理的大量生産体制があり、品質管理システムがあった。
 しかし、これを創造したのは呂不韋という当時の高級織物商出身の政治家であった。
 このようにあらゆる軍事戦略や国家的な経済戦略を一人で実現した人物は、歴史資料の中でいえば、このジュリアス・シーザーを筆頭にあげなくてはならない。
 私は戦略・戦術問題では《孫子兵法》を高く評価するが、大戦略の問題は彼の上司的な立場であった伍子胥が外交問題を含めて一手に担当していたと考えられる。
 また財政問題とか民生問題のブレーンも専門家が孫子と並んで協調して仕事をしていたようである。
 中国は抜群の英雄で治められた国ではなく、歴史の初めから賢者と官僚で政府を形成した。
 古代の殷文化にも強固な官僚組織の痕跡を認めることができる。
 サッカーもそうだが、チーム・プレーと個人技はしばしば対立する。

 この点、シーザーは幸運だった。
 彼は多くの師匠と先輩に恵まれていた。
 まず大叔父の軍人ガイウス・マリウスである。

 マリウスは庶民の出身であったが、カルタゴのハンニバル軍と戦った小スキピオ・アフリカーヌスの旗下で、イスパニアのヌマンティア(現在のスペイン・ヌマンシア)の陥落に抜群の武勲をあらわし、栄誉勲章を贈られて将校に出世した。
 それから護民官に何度も当選し、貴族出身の将軍たちが恐れをなした辺境の遠征将軍を引き受け、ガリア地方(現在のフランス・プロバンス地方)の反乱を平定した。
 彼はこれら勝利の数々で国民的な英雄となった。
 彼は無学だったので政治的な問題は不得手であった。
 そのことがローマ貴族たちの陰謀や政争に巻き込まれず、庶民派の看板を背負いながら対外戦争に専念する軍人政治家のスタイルをつくった。
 また彼は徴兵制だったローマ軍を常備軍として維持するために、初めて《給与制度》を制定した。
 この軍制改革によって古代史上はじめて「職業軍人」が生まれた。
 彼は七度にわたってローマ共和政の執政官に当選し、これらの国政改革の要請をローマ元老院に次々に承認させた。
 この偉大な叔父は、シーザーの父親の姉の夫君だったのである。

 シーザーが幼年期のころ、すでにマリウスは晩年に達していたが、実際に同居もしていたし、強烈な記憶が残るような幼児体験もあったであろう。
 またマリウス家の召使や側近、友人たちは、主人の死後、そのまま少年のシーザーを養育し、庇護する立場でもあったのである。
 彼が未成年にもかかわらず、マルクス・ミヌキウス・テルムスのエーゲ海遠征軍の幕僚に参加して、軍人として天才的な活躍したり、政治家になってから貴族階級出身なのに、わざわざ庶民の街に質素な家を構える素地は、こうしたところから発していると思われる。

 シーザーが生まれたユリウス氏は、ローマの建国者ロムルスの実家、アルバ王国のシルヴィウス家から出ている。
 シルヴィウス王家は、トロイ戦争の亡命者アエネアスの子孫を称していた。
 アエネアスは愛の女神アフロディテの血を引く半神であり、シーザーもアフロディテのローマ名で女神ヴィーナスを直系祖先の神(ウェヌス・ゲネリクス)として、後に神殿を建設した。
 ウォルフガング・ペーターゼン監督の映画の『トロイ』だと、アエネアスはパリス王子から「トロイの宝剣」をあずかって逃げただけの「トロイ兄チャン」(爆)になっているがね。

 この高貴な血筋が何度も彼の生命を守った。
 政敵の権力者が圧倒的な弾圧を加えて、彼の処刑を考えた時に、彼は少年ながら最高神ジュピターを祭礼する重要な神官職にあったので、他の神官たちが一斉に反対した。
 ローマの政界に登場すると、彼は神祇官長職の選挙に当選し、この終身職の地位を死ぬまで維持した。
 ガリア戦争でローマの政局が心配された時、シーザーは若い側近のマルクス・アントニウスを「ト鳥官」という占術の神官職選挙に出して、地位と身分を安定させてから政界に送り込んでいる。
 アントニウス氏族も半神ヘラクレスの子孫を称する貴族であった。

 シーザーの父は執政官に次ぐ政務閣僚だった法務官の地位のまま政敵に暗殺された。
 彼が多感な十五歳の時だったと伝えられている。
 この父の逸話は全く伝えられていないが、父の盟友で、シーザーの許婚者コルネリアの父、シーザーの岳父であるルキウス・コルネリウス・キンナは、有名なグラックス兄弟の改革政治の流れを継承し、《プルータルコス英雄伝》にも一章が挙げられている偉大な改革派政治家であった。
 この岳父の政敵コルネリウス・スラはローマ市内に自分の軍閥の兵士たちを侵攻させ、今日でいう軍事テロリズムによる独裁政権を樹立した。

 スラ政権で出世した後継者は二人いて、軍人のポンペイウスと富豪のクラッススである。
 ポンペイウスは貴族より格下の騎士階級の出身だったが、父親は徴税請負人の富豪だったので、ローマで民衆が暴動を起こすと、真っ先に焼き討ちと打ち壊しの標的になった。
 家族はなすすべもなく全員が虐殺された。
 スラはこの事件の非道を喧伝するため、またローマ侵攻の大義名分とするために二十歳そこそこのポンペイウスを数個軍団の指揮をする大将軍に指名した。
 任命されると、彼はたちまち天才的な組織指導者である実力を発揮した。
 クラッススは平民であったが、サビニ族の有力な家系で代々野党政治家になっていた。
 やはり民衆の暴動で標的になり、家族と財産を全て失った。
 スラと出会うまではイスパニアに逃亡して、海岸の洞窟に隠れて食事も着物もままならない飢餓状態の生活を送った。
 彼もスラから将軍に任命されたが目立った戦功はなく、灰燼となったローマ市街の復興事業に利権を持ち、イスパニアから木材と食糧を運んで都心の一等地ばかりを地上げで買い占め、高級住宅やオフィスビルを建設し、たちまち富豪となった。
 イスパニアで植民地の建設にあたっていた旧軍人や身分の低い技術者を自前の人脈から抜擢し、成果主義で優遇して手腕をふるわせたのである。

 シーザーは青少年期を通じて、スラと側近に弾圧され、生命を狙われていた。
 しかし、スラの死後、政界に復帰すると、シーザーは小さな復讐心を捨て、まずクラッススから財政的な支援を受け、出世の階段をのぼりはじめると、少し年上で先に出世していたポンペイウスに接近した。
 こうして若手政治家のシーザーは、ポンペイウスとクラッススという先輩を立て、この二人の天才的指導力に敬虔に頭を下げつつ徹底して学んだことが、後の大戦略構想の基本になっているのである。

 シーザーが自著《ガリア戦記》で記述し、解説している戦略や戦術の中には《孫子兵法》と全く同じ共通点がいくつも散見される。
 シーザーがベルギカ地方(現在のベルギー・フランス国境)でガリア諸部族の五十万以上の大軍勢に、たった三万人の軍団で当たった時のこと。
 彼は同盟部族のアエドゥイ族に使者を急派し、敵対勢力の首領格の出身部族スエッシオネスの領地を背後から襲わせた。
 戦場でも、この情報に噂の尾ヒレをつけてバラまいた。
 すると、五十万の軍勢の結束もたちまち瓦壊し、五月雨式に解散逃亡してしまった。
 これは前々講で紹介した 《魏を攻めて趙を援ける》 という三角関係の戦略法そのものである。

 また、その後のガリア諸族の反乱についても、反乱が起きた場所ではなくて、反乱に間接的に加担したり、首謀者の出身地など関連した地域を最初に襲撃して、反乱者たちが急いで救援に来なければならない状況をつくり、反乱の現場から引き剥がして、強行軍の行路で疲弊させてから迎撃して殲滅するという手法を多用している。
 これは「その愛するところを奪う」という《孫子兵法》の基本的な戦術である。

 このように巧妙な戦術の数々がシーザーの後にも先にも古代ローマの歴史の中では全く存在しない。
 しかし、存在しないのは「歴史記録」であり、正確に言えば、歴史的事実が「伝わっていない」というのが、私の見解である。
 ローマの政治や皇帝たちの伝記を書いたのは、タキトゥス以外は軍歴のない作家たちであり、タキトゥスも将軍として戦闘を指揮した経験はない。
 知識も経験もない人間が、現在の政治評論をしても、悪口や偏見ばかりで、何も面白くないようなものだ。
 シーザーは自分で考えた軍略もあったであろうが、いろいろな戦史を研究したり、ブレーンを活用したと思う。

 シーザーの大戦略は、このような巧妙な戦術を駆使して、何をガリア・ブリタニア地域で実現しようとしたか。
 第一に森林資源の獲得である。
 このことはゼネコン富豪として活躍していたクラッススの要請にも応えるものであった。
 ローマ人は、すでにイタリア半島の森林を大規模に破壊しており、シーザーの時代には巨大な公共建設事業に必要となる巨木は、主にレバノン杉を地中海をこえて輸送しなければならない状況であった。
 レバノンの杉材は旧約聖書のエゼキエル書にも神殿建設に不可欠なものとされており、伝説的なソロモン王の大神殿の屋根を持ち上げ、ペルシャ帝国ではペルセポリスの大宮殿、ギリシャのアテネではアクロポリスの列柱を覆っていた。
 最近の調査では、エジプトのピラミッド建設や後代の神殿建設にもレバノン杉が用いられたことがわかっている。
 このレバノン杉を世界最初の国際資源としたのは、シリアのフェニキュア人であった。
 後にクラッススが自ら息子たちを従え、シリア総督になって出征したのは、この重要資源確保が目的だったのである。
 クラッススは「森林の利権は儲かる」という教訓をシーザーから明示され、喜び勇んでシリアに出かけたのである。
 このことをプルータルコスは「最初から欲得ずくの出征であった」と非難している。
 クラッススも食指を動かされた木材資源の利権であったが、扶養家族が少ないシーザーはこれを私利に独占せず、ほとんどをガリア戦争の戦費と、兵士たちの分配金に当てたと考えられている。
 そのためにシーザー軍は、計画的な領域侵攻作戦には必ず商人や民間の運送業者たちを後方に置いており、敵軍が降伏して武装を解除されると、死体が山となっている戦場に商人たちを集めてさっそく戦利品や奴隷の現地競売を実施している。

 そしてシーザーが侵略したり、征服をしたフランス・ドイツ・イギリスに対する領地経営の継承は、後のローマ皇帝に引き継がれ、現在のヨーロッパ世界を構成する概念に発展していった。
 それまでの古代ローマ共和政の関心は、明らかにエジプトなどアフリカ方面に向いていた。
 これらの古い王国の王族たちが維持している資源や財宝、穀物輸出などの利権がイタリア半島で急成長したローマの繁栄を支えていた。
 イギリス王国の中でイングランド王国領が三分の一に過ぎないように、シーザーがガリア総督になった時点でも、ルビコン川以北の北イタリアはローマ共和政から隔離された外地であった。シーザーの祖父の世代には、現在のオーストリア・チロル地域に居住していたヘルウェティ族が北イタリアに侵攻し、出征したローマ軍を包囲して降伏させた。
 その時に戦死した将軍のマルクス・カルブルニウス・ピソは、シーザーの正妻カルプルニアの曽祖父にあたる。

 ガリア戦争の発端は、このヘルウェティ族がゲルマン・ハルデス族アリオウィストスの軍勢に押し出され、現在のオーストリア領ボーデン湖からスイス・レマン湖畔に移動してきた事件がきっかけになった。
 執政官を退任してガリア総督に任命されたシーザーが最初にやらねばならなかったことは、現在のジュネーブ近郊でジュラ山地からレマン湖畔まで長大な防衛陣地を建設し、ヘルウェティ族の移動を阻止することにあった。
 現在のスイスは別名をHELVETIAというが、これはシーザーの征服によってスイス・アルプス地域に定住し、後にローマ市民権を獲得したスイス諸部族の由来を表しているのである。

 現在でもフランス各地にシーザーのガリア戦争に由来する地名が残っている。

 ミネラルウォーターのヴォルビックの産地オーベルニュAurvergneは、シーザーに反抗して征服されたアルウェルニArverni族に由来する。

 首都のパリParisはルテキアLuteciaという古名があるが、英語名はルーテシアで、そんな名前の車もあったと思う。
 ここには現在のパリの中州シテ島に砦を構えたパリシParisi族がシーザーの部将ラビエヌスが率いるローマ軍と戦って降伏した。

 シャルトルの大聖堂があった場所には、ガリア人の民俗宗教だったドルイーズ教の本拠と聖地、僧院施設などがあったが、中世のキリスト教会はこれらを徹底的に破壊し、邪教が浸透した大地を十字架の構造を持つ大聖堂を建設することで封印しようとした。
 同じことはスペインでもアラブ人が建設したモスクの土台と建物を、わざわざ屋根と塔だけ付け替えて、キリスト教会堂に転用する動機になったし、後にスペインに征服されたメキシコやペルーでマヤ王国やインカ帝国の壮大な建築物を破壊して教会堂の土台の下敷きにすることになった。
 しかし、そのシャルトルCartreの地名は、この地域に住んでいたガリア人カルヌテスCarnutes族に由来しているのである。

 民族や宗教は滅びても、地名と人間は歴史の中に生きつづけている。
 シーザーのガリア戦争こそ、「ヨーロッパ・ゼロ年の出来事」であった。
 シーザーのガリア戦争は、このように古代ローマ帝国の大戦略を地中海諸国での覇権支配から大転換した。
 以後のローマ帝国は、フランス・イギリスという開拓地を経営し、そこに定住するガリア人の諸部族を徐々にローマ帝国に同化させ、最終的にはローマ人にしてしまうことによって、「ヨーロッパ」という特殊な地政概念を育んでいったのである。
 それは、私の言う「ロムルスの理想」であり、その精神は「移民連邦共和国」・アメリカ合衆国の建国の大義にまで影響を及ぼしている。


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