「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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曹操閣下の食卓
☆アレシアとアフガン
シーザーは自著《ガリア戦記》に、ウェルキンゲトリクスの性格や言行など、詳細な個人情報を記述している。
脱走を企て、殺害されたドゥムノリクスについても、シーザーは反抗分子だということを知っていたが、
「友人たち」を側近や手下につけ、動静や連絡交遊関係を細かく洗わせていた。
これと同じ方法を用いて、ウェルキンゲトリクスの身辺調査もしたのであろう。
ウェルキンゲトリクスに賛同して、部族全体が反ローマに転換したのはごくわずかであった。
しかしローマ軍との協力行動に参加するため、ほとんどの族長や主な貴族が自分たちの領地を離れていて、自分たちの本国でいったい何が起きているのか、国内に不満分子や同調者、協力者はどれだけいるのか、実情は把握できないでいた。
これも現在の状況と非常によく似ている。
サウジ・アラビア王国ではあまり公式の世論調査はない。
しかし、賢明な王族たちは、国内の世論はよく把握しているだろう。
最初の反乱がケナブム(現在のオルレアン)で発生した時には、シーザーは北イタリア・ルッカにいた。
この時点で、シーザーは首謀者が脱走兵・ウェルキンゲトリクスであること、彼がアルウェルニ族の出身で、さらに大規模な反乱を計画していることを察知していた。
シーザーは執政官のポンペイウスとクラッススをガリア総督官邸があるルッカに招いて、ガリア方面軍の二個軍団増強を働きかけていたところだったのである。
このルッカ会談には主な政務官やサルディニア総督、シチリア総督、元老院の重鎮なども参加し、集まった先駆警吏(リクトル)の数も百人以上。
まさに「ローマがそっくり移動した」と歴史家が特筆したほどである。
これはもちろん政治家シーザーの権力を、ローマの政治中央に強烈にアピールするイベントであった。
その最中に反乱の一報はドラマチックにもたらされた。
クラッススとポンペイウスは永年の対立心をとき、ガリアの反乱、ローマの危機に団結を誓った。
これが年表では「第一次三頭政治」といわれる出来事である。
シーザーは会議を切り上げ、まず北イタリアのジェノバから船で南フランスのナルボンヌに到着し、そこに駐在していた二個軍団を越冬陣地から引き出した。
この軍団はその前年に執政官クラッススの次男ププリウス・クラッススが部将となり、ブルターニュ地方からアキテーヌ地方にかけて、西フランスを征服してから、ナルボ・ガリアの植民市に駐在して越冬していた軍団である。
シーザーは直ちに出撃を命じ、南仏からオーベルニュ山地を越えて、ウェルキンゲトリクスの故郷であるアルウェルニ族の領地を南方から侵略した。
この経緯と事実から、シーザーがウェルキンゲトリクスに関する情報をかなりつかんでいたと確実に推理されるのである。
シーザーが騎馬で全軍団の先頭に立ち、オーベルニュ越えに難儀する歩兵たちを叱咤し、励まして引っ張ったという。
こうしてケナブム虐殺事件から二週間でガリア駐在のローマ軍団は全面警戒に入った。
この時、アルウェルニ族はどちらかといえば中立的な立場であったが、シーザーはそんなことは問題としなかった。
ローマ軍が実際にやってくるとアルウェルニ族は覚悟を決めて、さかんにウェルキンゲトリクスを招いた。
ウェルキンゲトリクス本人は故郷よりもずっと北方のビトゥリゲス族とカルヌテス族と協力して、ガリアの中心部でさらに大きな反乱を企てていたが、故郷の人々に激しく懇請されるとやむなくその場を離れて、アルウェルニ族の土地に戻らねばならなくなった。
シーザーはこのことを見越して、まず反乱勢力から最も優秀な指導者を引き抜くことで反乱の激化と拡大を抑えたのである。
「先ずその愛するものを攻めよ」という孫子兵法の格言がそのまま活きている。
首尾よくアルウェルニ族の領地に侵攻して目的を果たすと、シーザーは前線指揮を部将の青年デキムス・ユニウス・ブルトゥスに任せた。
自分は少数のガリア人護衛兵とともにプロバンス地方に抜ける険しい山道を馬で一気に駆け下り、プロウィンキア(現在のリヨン)に駐在していた四個軍団を率いて、反乱の震源地・ケナブムに急行した。
反乱の指導者がいなくなったケナブムは、ローマ人と関係した者どもを一掃して勝利感に酔いしれ、ローマ軍が到着するまで城門を開いていた。
ローマ軍がひそかに包囲した後にも、夜になって小さな門から逃げ出そうとする者たちがあった。
そこでシーザーは徹底的な報復を命じ、ケナブムはローマ人虐殺事件の後、半月ほどで廃墟と死体が重なる光景に一変したのである。
次にシーザー軍は間髪いれずに反乱に荷担しようとしたビトゥリゲス族を攻撃し、次々に都市を攻略して破壊した。
ウェルキンゲトリクスはローマ軍の補給路が続いていないことをにらみ、ビトゥリゲス族に穀倉地域と都市を焼き払って撤退する《焼土戦術》を提案した。
しかし、これにはさすがのビトゥリゲス族にも決断がつかなかった。
そうこうしている間にローマ軍はビトゥリゲス族の首都アウァリクムを包囲陥落させ、すべての住民を報復の手にかけた。
しかし、この後はウェルキンゲトリクスの《焼土戦術》のワナの中にはまり、さすがのシーザーも糧食の不足からプロバンス地方からの補給線がまだ生きている地域まで撤退をしなければならなかった。
ここから本題のアレシア攻城戦がはじまる。
アレシア城は小さな山の上に築かれた砦で、マンドゥピ族という小さな部族の防衛目的のための城であった。
都市としてはあまりに不便で、周囲には湿地帯もあり、大きな軍勢が攻め寄せても進路は限られていた。
シーザーは以前からこの城の特徴に目をつけて、何かのときには利用できる地形だと思っていたに違いない。
それが活きた。
マンドゥビ族も最初からウェルキンゲトリクスに味方をしていたわけではない。
しかし、シーザーがこの城にウェルキンゲトリクスを誘い込み、篭城したところを包囲したので、やむをえずに受け入れたのである。
「もともと仲の良くない敵を、やむをえない状況で一緒に追い込む」
これもシーザーがよく用いた定石の戦術である。
『孫子兵法』にも、反逆を決意した女鳩族と楚の東部方面軍をあえて抱き合わせておき、決定的な局面で「寝返り」をさせている。
つまり、内部を分裂させ、パニックで全軍を崩壊させる策略がききやすくなる一手として示唆されているのである。
ウェルキンゲトリクスもシーザー軍の引き際があまりにも鮮やかであったので、ガリア全土から兵力を集めるまで待っていることができず、チャンスだと思って追いかけてきたのだろう。
そこを突然迎撃で逆襲され、やむなく逃げ込んだところが、近くのアレシアだったというわけである。
まったくシーザーの戦略通りに事が運んだわけであった。
したがって、ウェルキンゲトリクスは、このアレシアの戦いで最後まで指導力を発揮できず、篭城の仕切りにおいても隔離されていたと考えられる。
シーザーはここで不思議な包囲陣地を構築した。
それはアレシアを包囲する攻城塔を林立させながら、その外にも外周に防衛線陣地を建設し、包囲を破るためにやってくるであろうガリア全土の反乱軍に備えたのである。
当然、全ガリアから援軍がやってくるだろうと待ち構えたのである。
このような攻城陣地と防衛陣地が表裏一体になった包囲は現実には不可能であり、シーザーだからなしえたともいえる。
つまり、マンドゥビ族とはすでに話し合いがついていて、彼らはシーザーの意を受けてウェルキンゲトリクスをかくまいながら拘束したのである。
シーザーはウェルキンゲトリクスをアレシアに釘付けにすれば、ガリア全土に散らばっている隠れた不満分子がすべて結集され、アレシア救援に集まってくるであろうことを予測していた。
国際テロリズムはいつどこで起きるかもわからない恐怖のため、一人でも十人でも大変な大事件を引き起こすことができる。
しかし、そんなテロリスト・グループも、情熱に駆られて戦場に出かけて、一兵士や一将校として参加するならば、数百人の兵力を動かすにとどまってしまう。
ここでもシーザーはスパイを多用して、アレシアの救援を誰が呼びかけたか、ローマ軍の一掃を誰が唱えたかをしらみつぶしに一人一人チェックさせていったに違いない。
「アレシアを攻める」というのは、形式だけのことであった。
マンドゥビ族もローマ軍が完全な包囲をしながら総攻撃しないので、シーザーの約束を信じたのか、さすがのローマ軍も反乱軍に苦戦をしているチャンスにあえて反撃することもしなかった。
降伏落城したアレシアはウェルキンゲトリクスを差し出して、それで破壊も懲罰も免れている。
このようにアレシアの戦いは、最初からウェルキンゲトリクスを拘束し、その救援のためにガリア全土の不満分子を明らかにし、彼らを集めて誘い込むように仕向けるための「アリ地獄」のワナだったのである。
このアレシアの戦いの戦略的な構図もとに、現代に話を戻すとしよう。
オサマ・ビン・ラディンを生かすか殺すかという問題で、アメリカのCIAと国防省は真っ向から対立した。
国防省は「死」を選んだ。
ラムズフェルド国防長官も「オサマの死を望む」と公式に発表した。
これに対して、CIAは「あれは腎臓病なので、放置すれば自然死するから」といって、アメリカ軍の武力で一人の人間を狙って殺すようなことはすべきではないという。
孫子兵法にも「敵を殺すのは怒なり。敵を活かすのは利なり」とある。
国防省は同時多発テロの標的となり、多数の高級幹部が被害にあって死亡した。
飛行機爆発による破壊はラムズフェルド長官の事務室のすぐ近くまで及んだ。
したがって、ワシントン郊外のラングレイで安閑としていたCIAと比較すると、国防省とDIA(国防情報作戦部)が復讐としてアル・カーイダの物理的絶滅を誓っているのは、あながち批判的にみることはできない。
これに対して、CIAが考えていることは何か。
オサマとその側近たちを、アレシアのように狭く限定された天然の地形の中に閉じ込めて、外部との情報連絡を絶ち、本人が逃げられないような状況をつくる。
そしてなるべく多くのテロ・グループに誤った情報を流し、旅費の補助や国境の潜入ルートを支援しつつ、オサマの救援という名目で全世界に分散している勢力をアフガニスタンに再結集させることである。
いわばオサマはテロリストを釣り出す「餌」であり、数人で先進国社会に大混乱を引き起こすかもしれないテロリストたちは、誘い込まれてアフガニスタンの戦場で包囲されたら、あくまで小隊以下の兵力にすぎないことがわかる。
これでガリア諸部族の反乱を一網打尽にしたのが、かのシーザーの戦略だったのだ。
オサマをテロリストたちを無力化する「エサ」にする目的であったならば、疑似餌でもかまわない。
つまり本人は実際に死亡していても、動けない状態でも、雪男やネッシーのように「生きている証拠」を人工的に捏造して、何もない山地の拠点にテロリストたちを集める。
生きている人間は、意外な発言をしたり、アメリカの思惑通りに働くとは限らない。
しかしアメリカが捏造した「証拠」に基づく「デコイのオサマ」は、アメリカの戦術や作戦にしたがって、都合よくオペレーションやトランス(変容)が可能である。
興味深いことに、オサマの挑発的なイスラエル批判は、むしろヒズボラなど反米的な武装勢力の資金源を断つことになり、オサマがアメリカの大統領選挙でブッシュを非難し、アメリカでの大規模テロ再現を公約すると、ブッシュは選挙に圧勝してしまった。
現在のところ、アメリカ政府は、今やオサマの存在をうまくコントロールしているというべきだろう。
以下は、アフガニスタン戦争前の2002年2月の戦略学講義である。
例えば、「デコイのオサマ」はイスラム教諸国の団結を阻止するような命令、アメリカ寄りのイスラム教徒をテロの標的とするかもしれないし、タリバン政権の支援をしていたパキスタンのムシャラク軍閥政権の倒壊を扇動するかもしれない。
アメリカ寄りと名指しされて、テロを予告された国はもちろんそんな脅迫に屈することはなく、ますますアメリカを支援する側につく結果になる。
そうすれば、第三次中東戦争のように、アラブ石油輸出国が団結して原油の禁輸に踏み切って、全世界的なオイル・ショックを引き起こしたりする危険性はなくなるわけである。
「デコイのオサマ」が文明社会に一方的に宣戦布告まがいのことをやれば、タリバン政権はパキスタンに見捨てられ、これまで受けてきた物資補給や武器弾薬の供給なども一方的に停止される。
半年もすれば、タリバンの戦車はガソリンがなくなって走れなくなり、タリバン政権が支配する地域は食糧も水も絶たれて、飢餓状態が背中についてまわることになるであろう。
実際には頼まれもしないのに、オサマ本人と側近のスポークスマンがアメリカ寄りのイスラム諸国を非難し、パキスタンのムシャラク政権の崩壊をベラベラと呪い、ついには国連さえも敵に回すような発言をしていた。
「デコイ」をつくる手間がはぶけて、オサマが全人類を敵視している「全人類の敵」を自作自演してみせたのである。
これでオサマも、タリバンもアメリカと対抗する勝ち目はなくなったわけだ。
それどころかオサマはますます調子に乗って、「アメリカのテロを引き起こしたのも自分たちだ」という声明を発表するところまでエスカレートした。
その結果、オサマとその仲間は完全に孤立し、アメリカに非協力的な中立国からも敵視されるに至った。
アメリカはその補強として「押収した」というオサマの問題発言のダメ押しのビデオを公開した。これは非常によくできている。
実写の映像と発言がベースとして使用されているので、問題発言が人工的に挿入、あるいは実際の発言と置換されていたとしても、よくわからないような形になっている。
さらに、オサマ本人が行方不明になってから、顔のホクロもうぶ毛もない、ツンツルテンのオサマの映像がイスラム・アラビア語圏の衛星放送ネットで流されたが、アメリカの当局者はこれには否定的であった。
「自分たちの聖戦の究極の目的はパレスチナ問題の解決だ」という内容だが、パレスチナの人々にはこのラブ・コールは有難迷惑なものであった。
ニュースを注意すればわかるが、パレスチナ人はアル・カーイダにほとんど参加していないし、パレスチナ人の幹部もいない。パレスチナの組織と連絡関係を持っていた事実もない。
アラファト議長もこのことを再三にわたって主張している。
このような次第で、ツンツルテンの「デコイ」は、パレスチナ独立を抑圧して、PLOを孤立化させようとするイスラエルの戦略的な利益に貢献しており、イスラエルの情報機関が念入りに制作したコンピューター・グラフィックスではないかというのだ。
「デコイのオサマ」は名前だけ生きつづけるが、世界各国に分散して作戦決行を待ちかまえているテロリストたちは、「どうしてオサマを見捨てるのか」と周囲に尻を叩かれ、その救援にのめりこんでいくであろう。 彼らが集まってきたところ、その地点にCIAはミサイルを打ち込んでくる。
帰れる人間は誰もいない。
そこでまた誤った情報を流して、テロリストたちがアフガニスタンの「ワナ」に自分から飛び込んでいくように促進する。
表現は悪いが、ゴキブリ・ホイホイとかゴキブリ・ゾロゾロと全く同じ手法だ。
現在のブッシュ政権の論理では、「テロリストは他者の人権を踏みにじることを神に誓っているような計画的な大量殺人者であるから、その生命抹消は、テロの被害にあうかもしれない多くの人命を危難から保全するものである」という。
このような講釈をする私などは事実のみを述べるが、このようなアメリカ一辺倒主義の議論には決して組しない。
そんなことを言い出すのは、むしろ独立国の戦略研究とはほど遠い、よく事情も知らない旗振り人形だと切って捨てる。
この講義をやっていたとき、PLOのアラファト議長はまだ健在で、ラマッラの議長府公邸に軟禁中だった。
逢沢一郎代議士たちは、そこを訪問して会談し、かなり叱咤激励を受けたようであるが。
今から読み返しても、ほとんどアフガニスタン戦争の展開を予測していると思う。
それは本質を衝いた議論だからだ。
軽薄な評論ではない。
しかし、アメリカはその後、イラク戦争に踏み込んだ。
今は過去だ。
その論評は最後の講義テーマにとっておこう。
国家戦略、そして大戦略の理論は独立のための学問である。
国益を実現する方法論なのだ。
わが国の独立を傷つける学問は、そもそも戦略学の意義をわかっていない人間の仕業なのである。
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