曹操閣下の食卓

☆終講・理想に向かう志





 さて、気がついてみると、われわれの周囲にはビジネス上の戦略問題があちこちで顔をのぞかせている。
 以下は2002年の私の講義記録である。



 三年前(1999)の流行は紫系の中間色、あるいはパステルだった。
 二年前(2000)は黒い服が大流行して全国にコムサとGAPのファッションビルができた。
 昨年(2001)の前半期は、まだまだ黒服が主流だなと思わせたが、実際に夏ごろになると女性の白コートが「神戸系」からジワジワと浸透してきて、アットいう間に黒服を駆逐してしまった。
 INDIVIというブランドがあるが、ある店では、黒コートは二万円にディスカウントし、白コートは五万円の定価で売っているような状況である。

 そのINDIVIが白コートを3割引きで出すというので、学生たちと新春(2002)早々に新宿丸井新館に行ってみたら、もう壮絶で、これは筆舌につくせない状況であった。
 まるで魚市場に来たように、店員が「はい、ただいま在庫が入荷しました」と叫ぶや、若い女性たちがなりふりかまわず飛びつくという光景を私たちは目にして呆然としたのだった。
 これはまさしく戦場だ。冗談ではない。御徒町の有名なディスカウント、多慶屋のブランド売り場では、MaxMaraの黒コートの在庫が売り場の半分を占めるかのように折り重なっていた。
 つまり、今年の冬は文字通り黒白が決したのである。

 つい最近、Max&Coのブティックをのぞいたところ、案の定、残った黒物と前に出した白物がコントラストになっていた。
 「神戸系」の復活は、すでに昨年から「台エリ」の流行で確認されていた。
 「台エリ」はファッションに興味のある女性たちは御存知だろう。
 中袖のシャツに、スキーウェアのように後ろエリを立て、前もトックリのようにエリを上に持ち上げている。
 「台エリ」という名前が神戸で定着する以前には、私は「立ちエリ」と呼んでいた。

 この流行ぶりも強烈だった。
 普通の女性ブラウスが五百円ぐらいなのに、エリが立ち上がった中袖シャツは、春夏の間、ほとんど二万円を下らなかったのである。
 しかも、ほとんど売れ残りが出なかったので、服飾業界の勝ち組は大儲けしたことであろう。
 この傾向は台エリ付き白コートの登場にも引き継がれている。
 神戸三宮のブティック街に行ってみると、すでに秋冬の新作で、「白コート・台エリ」そしてバスローブのような「おむすびベルト」が登場していた。

 この動きをINDIVI・INDEX・MichelKlain・J&Rなど人気ブランドを持つ神戸のアバレル大手、ワールドが積極的に先導した。
 東京では銀座プランタンと大丸が震源地になり、関西の流行に敏感になった伊勢丹も追随した。
 そして全国チェーンの丸井がこれに乗った。今、デパートのキャリアファッションのコーナーでマネキンが身につけているのは、まさに「白コート」なのである。
 そして連鎖反応で「白コート」は、芸能人アイテムにもなって、昨年秋の中盤には大勢が決したと思われる。

 ただし、夏でも結婚式でもないのに、衣服の上下が「白づくめ」というのは、われわれの社会慣習とぶつかるのではないか。
 先日、私も見に行ったシャネルの春夏プレタポルテはズバリ「ブラック&ホワイト」と今年のトレンドを言い当てていた。
 つまり白コートの下に黒いドレスを着たり、白のブラウスに黒いパンツという非情にシンプルかつベーシックな組み合わせに流行が進むだろうというのである。
 すると、すでに安売りされている黒コートも白ブーツや白手袋と組み合わせれば、まだまだ着られるということだ。
 顧客アイテム・ゾーンがシャネルに近いブランドはすでにこの傾向を受け止めて、白黒ものを中心に商品構成をしていた。

 これに対して、東京のアパレル産業では、ほとんどいっせいに秋冬で毛玉のボンボンを流行させようと、ROPEでもHANAE・MORIでも、どこの店でも毛皮のハギレを使って利幅のある毛玉の商品を出していたが、これが見事なくらい全く売れなかった。
 毛玉ベルト、毛玉ブローチ、毛玉バンドなど、どこの店も置いているが、着けている人も買っている人も見かけたことがない。何ともひどい惨敗である。今、私は2002年1月に、この講義録を執筆しているが数ヵ月後の売れ残りセールで、われわれは毛玉の山々を目にすることは確実である。
 一着の服の五百円と二万円の差額に戦略問題があるといえば、どうであろうか。
 現実の戦略論の本質が見えてくるのではないか。



 ちなみに、この講義の後に、ハナエ・モリ(ひよしや)は倒産し、商社に買収された。
 森英恵さんは皇后陛下の民間時代からの親しい友人であり、文化勲章受章者である。
 森ファミリーの関連企業・流行通信は解散した。
 後継者にめぐまれなかったな。

 素直な心で事態をながめれば、未来は予測できるのである。
 私はいつもそう信じている。

  われわれが検討する戦略問題と戦術論は、まさにビジネスにおいても、組織の生死を決する重大事である。
 戦略オプションを持たせないで、硬直化した組織全体をあげて、戦術レベルの闘争に突進してしまうことで、誤った経営戦略理論は数々の大きな失敗を犯してきた。

 戦略オプションを経営に採用して、ヒット商品の合理的かつ効率的な産出につなげるためには、戦術レベルの組織を柔軟なプロジェクト方式に変更しなければならない。
 そしてヒット商品を生み出すことに情熱をかたむける開発や営業の努力を正当に評価し、情熱が冷めた人は他の別のことに情熱を見つけられるようにうながすことが必要になるであろう。

 組織も流動的になり、雇用も流動化する。
 そして、部長とか課長とか、組織の肩書きで人間に上下をつける官僚的な企業組織は、次第に衰亡していくことは間違いないであろう。
 その代わりに
 「あのヒット商品を開発した」とか、
 「あのヒットで稼いだ」という実績の伝説によってのみ人材が評価され、尊重される戦略的な企業組織が、最後の競争に勝ちを占めていくことになろう(と、閣下は2002年に予言したのだ)。

 この意味で、日産のゴーンCEOが「Iモードの生みの親」の女性管理職をヘッドハンティングして、新しい事業展開を委任したのは、確かに時代の先取りだといえる。

 これからの私自身の挑戦は、このような戦略システムを大きな社会の変革に応用し、政策にマーケティングを展開し、政治そのものを合理的な経営システムに改革していくことである。

 われわれは戦略という術語をつかうとき、「敵に勝つ」という目標を立てる。
 しかし、大戦略を立案するときは、こうした概念を捨て去り、「いかに敵を味方にするか」という視点を持たねばならない。
 昨日の敵が今日の味方になれるだろうかと心配する必要はない。

 「敵に勝つこと」は「敵を最小にすること」であるが、最小の敵はテロリズムを使う場合がある。
 われわれはそのことをよく学習したと思う。
 したがって、敵がテロリズムまで追い込まれる前に、無益な戦いをやめて、互いに撤退をすること。
 それからは、かつてのライバルとの対話と、共存共栄の道を模索しなければならないことを知るべきである。

 われわれは人間が互いの争いにエネルギーを用いるより、互いの団結によって、より大きな力が発揮できることを知っている。
 この単純なモデルを応用する限り、「争いの戦略」は限定された期間の、ごく一部分の行動計画を規定するだけにすぎない。
 持続可能な共存共栄の大戦略において本当のリーダーシップを発揮し、主導権を維持することが、われわれの戦略研究の一つの志なのである。

われわれ日本にとって、今、最も必要なことはアジアの団結である。
 国境や民族の違いを認めつつ、戦略的に話し合い、ともに提携する新しいアジアの姿である。
 日本だけが経済大国の地位を維持するのではなく、アジア文明が人類社会に寄与し、貢献するために、アジアの大義の下に団結することなのだ。
 これが私の志なのだ。
 志なき戦略は、ただの陰謀術にすぎない。
 このことを忘れないでもらいたい。


 以上をもって、戦略理論講義を終わる。
 諸君の闘いの成功を祈る。



ban_kanzaki

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