「50日間日本列島放浪流し台」旧ページ



さてさて「50日間日本列島放浪流し台」の旅も無事に終わりにけるないたずらに、われチャイマンネン床に戻りダニと戯れる。
なんでやねん。チャイマンネン床は清潔よ。相変わらず臭いけどね。
アホ。臭いというなかれ。ほのかな芳香を放っていると言ってほしいところでござる。
そのチャイマンネン床につつまれて眠ると50日間に及んだ日本列島の旅が夢まぼろしのようですYMCA、ヤングマン!素晴らしいYMCA!

いやさ、アッシはもうとっくにヤングマンではなくなっているのよ。50なのさあ。50になったのさあ。
昭和29年8月3日にこの世にポコペンと生れ落ちた山中環太郎。神童といわれたもんです。末は博士か大臣か。はたまた大名、お代官‥(どんな時代やねん)。
50年後、そのいずれにもならず、ただのアホになっていました。バカおっしゃい。旅人なの。やさぐれ旅人になっていたのさあ。

そのやさぐれ旅人が今年の夏もその「仕事」をきっちりやりとげましたな。「50日間日本列島放浪流し台」、いいんじゃないのう。

今回の旅がそれまでの旅と大きく異なっていた点、それは沢山の人と出会ったこと、お世話になったこと、足のこそばしあいっこをした点でありましょう(それはしなかったかな)。

アッシの旅の基本はそれまで「無言」でありました。
都会の人間関係に疲れ、それを少しでも忘れるため癒すために旅立つのがその旅の主な目的であったわけです。
対話をかさねるのは自然のみ、都会の灯りのみやった訳です。
旅の間に口を開くことは稀でありました。

ところがどっこい池の鯉。今回の旅はその様相を大きく変えました。人と会ってしゃべってしまったのです。これまでのアッシの旅のスタイルにはなかったものです。
よかったのか。悪かったのか。サキイカなのかホタルイカなのか、もうひとつおまけにモンゴーイカなのか。

これもネット社会のなせるワザなのかシーナ・イーストン。
中には32年ぶりに再会した高校時代の同級生もいたし‥。稚内の宿所でたまたま出会った人の広島のご自宅まで無理矢理押しかけたこともあるし‥。

これまでのアッシにはなかった行動ですぞ。
同窓会なんて大嫌い。出席したこともない小生がたった二人であったとはいえミニ同窓会を開き、また、ほとんど面識のないうすい付き合いの人の家にこちらから出向くとは‥。

ありえないことが連日続いた50日間の旅でもありましたな。

その50日間のくさぐさをこれからしばらく書いていこうかいなと思っておりやんす。お付き合いくだされ。



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