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江戸の蓄積が生み出した明治維新という革新
冒頭に掲げた「復古が、革命か、革新か」という問いに立ちかえってみましょう。王政復古の大号令をはじめとして、天皇を中心に置いた政権を組み立てる際に復古的な言辞が用いられたことは間違いない。しかし、導入された制度は復古的なものではなく、幕藩体制を否定し、公儀輿論に基づく近代的な政体を目指す改革的なものであった。
他方、担い手の面で見ると、当初は雄藩藩主や公家が高位の議場となる一方、幕末の志士たちが参与となり、維新官僚として実質的な権限を獲得していく。とりわけ実務面においては新政府に知識と経験を持つ人材が乏しく、幕臣たちが多く活用された。その意味において、徳川将軍家が支配的な地位を降りたことを除けば、担い手の連続性は高く、東洋的な意味での革命とはいいがたい。
加えて、知的ネットワークに代表されるように、江戸時代の気候や教育の成果、とりわけ人材登用における能力主義の萌芽が明治維新に果たした役割は大きい。江戸の蓄積を巧みに生かした革新( Innovation )と捉えるのが妥当ではないだろうか。
もっとも、その革新は、徳川による平和を享受していたひとびとには迷惑なものだったかもしれない。彼らは安定した生活から、突如として競争的な近代という新しい秩序の中に放り出された。身分制の解体、旧版秩序の崩壊は、ひとびとに職業選択をはじめとする自由を考える一方で、その責任を負わせるものであった。
【日本史の論点「近代」清水唯一郎】中央新書 2500
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