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テレビから、優しい歌声が聞こえてきました。ふと見ると、美しいアニメーションの映像と、あたたかい歌詞に目が釘付けになりました。何の歌かと思ったら、「みんなのうた」でした。それから、録画して何度も見ています。NHKのホームページで、みんなのうた「あなたがどこかで」の、一部が見れます。https://www.nhk.or.jp/minna/songs/MIN202206_01/玉置浩二さんの声、どうしてこんなにやさしいのか。アニメーションの絵も、あたたかくて、本当に素晴らしい。自由に心が広がっていくようなそんな気持ちになります。雰囲気が伝わればと思って、歌詞をうつして書いてみました。あなたがどこかで 作詞 松井五郎 作曲 玉置浩二 編曲 安全地帯 うた 安全地帯 あなたがどこかで 悲しいときは あなたが見上げる星になりたい あなたがどこかで 寂(さみ)しいときは あなたに微笑(ほほえ)む空になりたい 忘れないで もう一度言うよ あなたは一人じゃない 忘れないで 何度でも言うよ あなたは一人じゃない あなたがどこかで 苦しいときは あなたを励ます歌になりたい あなたがどこかで 頑張るときは あなたを支える夢になりたい 忘れないで もう一度言うよ あなたは一人じゃない 忘れないで 何度でも言うよ あなたは一人じゃない あなたがどこかで 泣きたいときは あなたを守れる愛になりたい
June 16, 2022
少し前から、僧侶の横田南嶺さんの法話を聞いています。 毎日、動画が更新されています。 2022. 1. 18、第377回「生きているだけではいけませんか」で、紹介されていたのが、このタイトルの詩です。 この詩は、児童自立支援施設で、子どもたちの自立を援助されてきた辻光文先生という方が書かれたものです。 神渡良平さんという方のHPの記事(2015.6.7)のなかに この詩の全文がでています。 かなり長いので、一部のみ書き出しました。 といっても、大分長くなりました。****生きているだけではいけませんか 子どもの頃から、役に立つ人になりなさいヨ 人に迷惑をかけてはいけませんヨ ひとのために 国のために 天皇陛下のために お役に立つ人になりなさいヨ 私はそう親に教えられ、育てられてきました。 けれども 十五才の夏、十五年戦争が終わり、 天皇は神サマから人間となりました。 今頃 天皇のために命を捨てなさい と教える親はおりません。 人のため、国のためは、社会のためとなり 公共の福祉に、変わりました。 そして今、ここまで来てフッと思うのです。 生きているだけではいけませんか。 (中略) 目を閉じて静かに息を調えながら、生きているだけではいけませんか。 (中略) 人は誰でも、いつの日か、なにもかも喪失して 人に迷惑をかけなければ瞬時も生きてゆけない そんな日が必ずやって来ます。 この役立ちの思想の延長線上でゆくと、 いつかは誰でも、生きることの価値をなくします。 老いるということは、そういうことですか。 病むこと、呆けることはそんなことだったのですか。 その時にも尚わたしは生きる価値、生きる資格があると いえる人は かつて役立っていたときの貯金の精算をしている、 そんな気ですか。 (中略) 迷惑をかけるといいますが、生きていて迷惑をかけない人って 本当にいますか。 毎日の、自分のウンコの、オシッコの、その行方をあなたは 知っていますか 生きていることは、はかりしれない人々に迷惑をかけてのことでした。 だからこそ少しでも「役に立つように」ということだと思います。 けれども役に立つ前に、生きる資格を言う前に、 生きている、そのいのちとは何ですか。 (中略) 「いのちとはつながりだ」と平易に言った人がいます。 それはすべてのもののきれめのない、つぎめのない 東洋の「空」の世界でした。 障害者も、健常者も、子どもも、老人も、病む人も、 あなたも、わたしも、区別は出来ても、切り離しては 存在し得ないいのち、いのちそのものです。 それは虫も 動物も 山も 川も 海も 雨も 風も 空も 太陽も、宇宙のちりの果てまでつながるいのちなのです。 (中略) すべてはみな、生かされている、そのいのちの自覚の中に、 宇宙続きの、唯一、人間の感動があり、愛が感じられるのです。 ほんとうはみんな愛の中にあるのです。 生きているだけではいけませんか。****みんなのために、社会のためにならなければいけない。人の役に立たなければならない。周囲の人に、迷惑をかけてはいけない。他の人に迷惑をかけないように、最大限努力しなければならない。人の世話になったのなら、それを返していかないといけない・・などなど。一般的に言われていることであるし、いかにも、あたりまえで、正しいことのようにおもえます。けれども、本当にそうなのでしょうか。いのちとは、なんなのか。さまざまな人が生まれて、ここに居る、在ること。そこにある、目には見えないつながり、その深さ、その複雑さ。植物同士や、植物と虫とが、お互い、生きるためにしていることが、相手のいのちを完璧に支えているように、人間も生きているだけで、知らず知らずに相手のいのちを支えているのではないかと思えてくるのです。生きているだけで、大丈夫なんだ。そのままで大丈夫なんだ、そう自分に言い聞かせています。
June 10, 2022
以前、聞いて、心に響いた言葉を書いてみたいと思います。 NHKEテレ「バリバラ~障害者情報バラエティ~」のコメンテーター、 社会福祉士、玉木幸則さんのメッセージです。 ほんとうに久しぶりの更新です。『 あのね、僕、ずっと言うてるのは、人間生きてる以上は、 みんなが生きづらさを持っているはずなんですよね。 いわゆる、「障害のない人は、生きづらさなんかない」って 思わされているような気がしてるんですよね。 だから、最近ずっと言うてるのは、特に学校で、子どもたちに 言うてることは、 「まず、自分のこと大事にする」っていう、 「その感覚って大事やねん」って。 だから、しんどいときには、「しんどい」って言って、 いいねんでって、 つらいときには、「つらい」って言って いいねんでって。 でも、それを、やっぱし、大人に悩みがあればあるほど、 「みんな、つらいんやから、我慢しよう」とか、 「歯を食いしばって、生きていけ」とか、 なんか、ある方向だけの世界を押しつけられているような気がしている。 だから、これ、一番難しいと思うんやけど、 「自分のことを、どいだけ大事にできるか」とか、 「どいだけ自分のことを、守っていけるか」とか、 まずは、そこを考えていって欲しいなって思っていて、 それが出来ない人は、 他人のことなんか、もっと考えられへん っているふうに、 僕なんかは言うてるんですけど、なかなか厳しいね』 玉木幸則 (合理的配慮とは?~みんなで生きる社会を考える~ 玉木幸則(NHKEテレ「バリバラ」コメンテーター) ・奥田知志(ほうぼく理事長) オンライン対談 2021.11.25 ライブ配信 より 私も、今頃ですが、YouTubeを見るようになり、いろんな人の 話を聞いたり、ふと、心にひびいた歌を聴いてみたり、しています。 また、昔の本を読んで読み返していて、考えさせられたのは、 医師・高柳和江さんの「生き方のコツ」(2004)です。 自分の人生は、自分で決めるというのは、あたりまえのことなのに、 患者という立場に立たされると、途端に言いたいことが言えなくなって しまう、と高柳さんは言います。 高柳さんの知人の医師も、自分が患者になって、納得していないのに、 手術されそうになっていると、入院先から電話してきたといいます。 高柳さんは、すぐタクシー呼んで逃げなさい、とアドバイスし、 実際その医師は 逃げて、別の病院で納得できる治療を受けたと いうのです。 高柳さんは言います。 人は不安と恐怖に捕らわれると、「フリーズ」になって、 「自分で考えて、自分で生きる」という人間の基本を ダメにしてしまう、と。 心も体も痛くて、つらくて、病院だからしかたがない、 あたりまえだと 思って我慢していて、でも心の中では 「なんかおかしくない?」と思っている人が本当に多い、 「みんなガマンしているんですよ」と言われても、 それはウソですから、安心して逃げてください、と。 「病気になったら、自分が病気の当事者なんだ。 自分で判断して、自分で決めて何が悪いことがあるものか」 と高柳さんは言います。 これは、あまりにもおかしくない? 心の中で、なんか変だな、と思っていても、それが、言葉にすら ならないこともあります。 若い頃は、へんだな、嫌だなという、苦しくて重い気持ちを 抑えつけるようにして、生きていました。 それが、私にとって生きることであり、あまりに自然であり、 あたりまえのことだったのです。 中年になってからは、自分の違和感を押さえつけず、そういう状況に 入り込んでしまったら、そこからできるだけ離れるようにして、 なるべく自分の思いに反しないように生きてきました。 ところが、また、昔のような状態になっていました。 嫌だとか、苦しいということさえ、自分では気づかないまま、 それが「普通」になってしまっている。 また、はまりこんでいたのです。 自分で考え、自分で判断すること。 意識して、自分を守っていかなければいけないこと。 あらためて、大切なことではないかと思っています。 去年から、また何か書いてみたいなあと、と思いながら、 今日になりました。 読んでいただきありがとうございます。
June 10, 2022
以前、「いのちの仕舞い」(小笠原望著)という本を読みました。 私は、読んだ本の気に入ったところを抜き出してメモったりするのですが、先日、この本の文章に目がとまりました。 小笠原さんというのは、在宅医療を支えてこられた医師で、前にテレビでそのお考えを話されていたのですが、何かほっとするお話でした、 文章も好きだなあと思いました。 少し、小笠原さんの言葉を書いてみたいと思います。『「どんなに辛くても、そのうち舞台は回ります」 僕の診療所の待合室に、書家に書いていただいた額がかけてあります。 (略) 「舞台は回る」という言葉を僕が使い出したのは、駆け出しの医者の頃。 こころの辛い人に、あせらないで一日一日を繰り返そう、そうしたら自分が 回さなくても、そのうち舞台はまわる、舞台からは降りないで、力を抜いて 立っていよう、とも言う。 (略) こころが落ち込む人が多くなった。 うつ病というのではない、軽い抑うつも目立つ。 気分には気づかず、何となくからだの不調だと思っている人もいる。 介護をしながら、気持が束縛されて元気のない人が多い。 「大変ですね。あなただからできるのですね」、そんな言葉に 涙を見せる人もいる。 一日一回、病院へ見舞いを続けるのも疲れる。 「時にはさぼったらいいのに」と僕が言うと、とんでもないという 顔になる。 いつの間にか、それが当たり前と思って、自分をしばっている。 (略) こころが疲れてくると、いつまでこんな状態が続くのかと感じてしまう。 そして、知らず知らずに発想が硬くなってゆく。 そんなこころをマッサージするのがぼくの役割。』『医療の現場に出て、「人間は死ぬもの」ということを何度も何度も 見せつけられてきた。 周囲の人間関係で、自分を殺して、無理をして、それでどうなるものか。 笑って怒って泣いて、それでこそ人間ではないか。 いい人をするのはもういい。 もっと笑おう、もっと怒ろう。そう思うようになった。』 『ぼくがおすすめの夕焼けスポットは赤鉄橋から少し下流の 四万十川の堤防。 (略) 夕方、訪問診療からの帰りにここを通るとこころがすうっと溶けてくる。 「細かなことはどうでもいい。にんげんなんて、自然のなかのほんの一部分。 生きるも死ぬも自然のなかのもの」と思えてくるから不思議なものだ』 私は、何でも深刻に考え、小さな事が気になる性格です。 「こうするべき」にとらわれて、自分を狭いところに閉じ込めてしまうことが あります。 でも、本当は、人も、うまれてはやがて消えていく、ひとつの いのちに過ぎない・・・。 どうするべきかと難しい顔して考えるより、もっと自由に、なるがままに 身を任せて気楽にしてみる・・・そうできたら・・・。 もっと、大きな視点でとらえることが出来たら、そんなことを思いました。*****************************にんげんなんて、自然のなかのほんの一部分。 生きるも死ぬも自然のなかのもの 小笠原望(医師)
March 7, 2016
「モタさんの言葉」という数分ほどの短いTV番組があります。 精神科医であり作家であった、斉藤茂太さんの言葉が、やわらかな絵と短い文で紹介されています。 今日、その番組を見て、やっぱりいいなあと思ったので、書きとめました。『母が晩年のある日、ネパールに行きたいと言い出した。 世界一の山ヒマラヤを自分の目で見たいという。 そうだろう。どんなに素晴らしい写真やムービーも、現地で見る 感動には かなわない。 そんなわけで異論はなかったけれど、なんといっても高齢だ。 一人で送り出すわけにはいかず、娘を同行させた。 ところが、帰国すると、娘は「ネパールで暮らしたい」という。 しかも現地の人と同じ生活を送りたいといい、一日一ドルくらいの生活を 一年以上送った。 この二度のネパール体験で、娘は、ネパール的な価値観に深くなじんだ ようだ。 いまもそのそれは色あせていない。簡素でシンプル。 ブランド品だの宝石だのには目もくれず、絵を描くことと 料理の研究に熱中している。 上昇志向とは距離をおき、毎日ゆったりとマイペーズで、 好きなことができればそれでよしという 生活スタイルだ。 私には四人の子どもがあるが、娘は一人である。 親としては、特に家内の心底には、あれやこれやを買ってやり、 華やかに着飾らせたいという思いがゼロではなかった。 だが、娘の生き方を見つめているうちに、そんな気持ちを隠し もっている私たちの方が恥ずかしい気になってきた。 「あたしは、自分のほかの誰にもなりたくなんかないの」 というのは、『赤毛のアン』の中でアンが叫んだ言葉である。 娘は娘の人生を歩んでいる。それでいいんだ。 最近は心からそう思う。 滞在中は、娘が心配だからということを口実に、私たちも ネパールを旅した。 ヒマラヤの足元にある国だけに、空気が清涼で、 とにかく空が青かった。 保養地ポカラまで足を伸ばすと、ヒマラヤの高峰が神々しい 威厳をもって、空にそびえる。 素朴で簡素なネパール人の暮らしは、いらいらとせき立てられる ように生活している現代日本人に対する、強烈なアイロニー(皮肉) のようにも感じられた。』 モタさんの言葉 第41話「心はすべての扉を開く」より
February 28, 2016
少し前に、「ハートネットTV」という番組で、タレントの春香クリスティーンさんが、片づけられないこと、人とのコミュニケーションうまくいないことなど、悩みを語る番組を見ました。 春香さんの一番の悩みは、部屋を片づけられないこと。 今は、ときに業者の力を借りながら、きれいに保たれています。 けれど、彼女は、みんなが当たり前に出来ることなんだから本当は出来なくてはいけないのに、なんで自分だけ・・・という気持ちがあるのです。 それで、同じ事で悩んできた男性に話を聞きにいくことになりました。 その男性とは、大橋広宣(ひろのぶ)さんという51歳の方です。 大橋さんは、幼い頃から片付けや計算が大の苦手でした。 けれども、文章を書くことは得意で、新聞記者として17年間勤めた後、独立し、映画のコメンテーターやプロデューサーの仕事をしています。 大橋さんの事務所は、足の踏み場もないほど物であふれています。 物をなくしては、しょっちゅう再発行しているそうです。 大橋さんは、23歳の時に、ADHD(注意欠陥多動性障害)と診断されてから、楽になったと言います。 『だったら、自分のせいでもないし、親のしつけのせいでもないし、 自分の特性というか個性が、そういうものなら、あらがう必要もないから まあいいか・・と』 『どこかに捨てるとか整理するとか出来ないから、出来ないことはやらない』 出来ないことはやらず、目の前の自分の出来ることに手をつけるのだそうです。 春香さんが、このままでは、周りの人にも迷惑をかけるし、自分のコンプレックスをなくしたいという気持ちを話すと、大橋さんは言います。『それを思うと、やれなくなっちゃうのよ。自分が出来ないことを 周りの人がやってくれてるのが確かに申し訳ないんだけど・・・ 素直に感謝するということの方が大事だと思っていて、 だって、出来ないから、それを無理にやったら、自分が 壊れていくんだよ。 僕たちにとってすごく大事なことは、自己肯定なの。 自己否定が一番良くないんですよ。 自分のやれること、出来ることを、得意なことを自分が分かって、 それを自分が愛せないと、その出来ないこと、否定に押しつぶされ ちゃうんですよ。出来ないことが多すぎちゃって・・・。 10できなくても、1とか2でも出来ることがあれば 10を凌駕できるんですよ 』 それでも、春香さんは、でも、駄目なところを少しずつ減らしたいのだと訴えます。 大橋さんは、『でも、駄目なところも春香さんの魅力だから、と思いますよ』 また、春香さんは、今は支えてくれる人がいるからいいけど、いなくなったらどうなるのか、という不安を訴えます。 大橋さんは、自分も、20代から50代の今まで、環境がどんどん変わってきたけど、いつになっても、支えてくれる仲間やスタッフや人が現れてきたから、春香さんも大丈夫だといいます。 また、大橋さんの奥さんからも話を聞きます。 奥さんの妙子さんは、笑って言います。 毎日のように人に語れるエピソードがあり、今日も朝の4時から、彼の捜し物を始めたのだ、と。 妙子さんは、大橋さんが片づけられないことに驚きましたが、それよりも自由な性格に惹かれたと言います。 『そういう物の見方があるんだ、私は真面目にやらなきゃいけないと いう考え方だったのが、そういう息抜きの仕方があるのか、 同じよりは違ったものを見せてくれるかなという・・』 大橋さんは、自己肯定も他者の肯定がないと育たないから・・と言います。 春香クリスティーンさんも、大橋さんご夫婦も、ありのままの自分を表現してて、自然体で素敵だなあと思いました。 長い間やろうとして、何度もやってみて、それでも出来なくて・・・。 私も、出来ないことがいっぱいあります。 けれど、出来ないことを、「本当はやらなきゃいけないのに」と思い悩むのではなくて、どんなにささやかであっても、自分に出来ることを明るく一生懸命やっていけばいいんだと思いました。 自分の出来ない事への罪悪感をもつより、感謝する。 出来ないことはほっておいて、自分に出来ることを黙々やっていく。 とても、大事な話のように思いました。*************************** 僕たちにとってすごく大事なことは、自己肯定なの。 自己否定が一番良くないんですよ。 自分のやれること、出来ること、得意なことを自分が分かって、 それを自分が愛せないと、出来ないことや否定に押しつぶされ ちゃうんですよ。 大橋広宣さん
February 22, 2016
先日、テレビで、うつ病と躁うつ病のシンポジウムを見ました。 実際の当事者とその家族、医療者などがそれぞれの立場で、意見を言うという形で、当事者の方の日頃の生活状況などもVTRを交えながら紹介していきます。 私は、当事者の人の話が参考になりました。 特に私の心に残ったのは、躁うつ病の吉井孝志さんという45才の男性の方の話でした。 吉井さんは、大学に通い始めた頃からうつの症状に悩み始めました。 そして、大学卒業を迎えたとき、気分が高揚する躁の状態、つまり、自分が何でも出来るような感覚になりました。 自分のコントロールがきかず、人に対して攻撃的になることもありました。 その後は、ずっと躁状態とうつの状態とを繰り返します。 その病状にはパターンがありました。 仕事をしては、うつになり退職。すると今度は、躁の状態があらわれるのです。 吉井さんは、27回の転職、8回の入退院をしたといいます。 そんな吉井さんの言葉です。『いやあー、その時は、仕事をしていない人はダメ人間だと思い込んでいましたから。 やっぱり、普通になりたかったんでしょうね』 転機は28歳の時の主治医の先生の言葉でした。 先生から、「あなたの場合、病気は治らない」と言われたのです。 吉井さんは言います。『俺、全然ショックに思わなかったんですよ。 周りの人はなんてひどいこと言う先生だと言ったけど、 俺本人は、ストンってもう肩の荷が下りたっていうか・・・』 その後、病いを世間に隠さず生きていこうと考えるようになった吉田さん。 生き様発表会という会を通じて、音楽にのせて、人前で、自分の過去のことを語り始めたのです。『人に自分の病気を言うってことは、俺はこの病気を持ってて、恥ずかしく ないんだぞって言ってることなんで。 それをすると、自分で自分が恥ずかしくなくなるんですよ』 吉井さんは、音楽活動を通して、今の奥さんと知り合います。 そして、奥さんの支えもあり、病状のほうも落ちついているということでした。 吉井さんは当初のことを振り返ります。 休みたいのに、じっとしていられない。 焦りがあって、仕事、仕事とばかり言っていた。『もう俺頑張るのやめた、と思ったら楽になった』 普通になりたかった・・・・ という言葉が私には胸に刺さりました。 ずっと診てもらっていた医師から、「病気は治らない」と言われたとき、つまり、「あなたは(あなたの思う)普通にはなれませんよ」と言われたとき、吉井さんは、自分の努力でどうこうならないんだということを自分の心に納得させることができたのだと思いました。 自分の根幹の部分は変わらないのだ、「普通」になりたい気持ちを手放したことで、自分を変えることで状況を変化させるのではなく、今のままの自分で幸せになることをを選択したのだと感じました。 通常なら、ショックに聞こえるかも知れない、病気が治らないという言葉によって救われるというほどに、社会には、「普通」という、強固な価値観、メッセージがあるのです。 そして、それを個人の心のなかでも知らず知らずに取り入れているのです。 私自身、何度も、こうした世間的な価値観があり、それが変わったように思っても元に戻ってしまっています。 空気を日々吸っているぐらいに、社会のメッセージ、これはいい、これは悪いという価値基準、ものさしが生活の中に行き渡っています。 この中で、いかにして、自分のものさしで生きていくか。 自分を変えられる人はもちろん素晴らしいと思いますが、自分を変えられない場合、今の自分のまま自分が苦しくならない考え方をすることで、生きやすくなるのだと思います。 変わらないと認めることで、逆に、変わっていくのかも知れません。 お金を稼いでいること、人の役に立つこと、何かが出来ることで、人間の価値をはかるのか。 それとも、いのちそのものに価値を置くのか。そこに在るということ、居るということに意味を見いだしていくのか・・・。 吉井さんの話を聞いていて、前に、何かで読んだ、ある末期のがん患者さんの話を思い出しました。たぶん、中年の女性だったと思います。 その女性は、生涯を通じて、ずっと気を張って頑張り続けてきた女性でした。命の期限を言われて「ほっとした」というのです。「もう頑張らなくてすむんだ、もう寝ていていいんだ」と。 もちろん、ひとそれぞれでしょうが、「頑張ることが素晴らしい」という価値観が、どんなに人を縛っているのか改めて感じました。 番組を見ていて気づいたのですが、私の中には、何度も繰り返し突き上げてくる、「もっと頑張れ、もっと前に行け」という焦りがあります。 そうした焦りとどうつきあっていくのか、なだめながらそれでも、自分の基準(ものさし)に立ち返る、そうできたらいいなと思いました。***************************** 最近読んでいる「求めない」加島祥造著より求めない ー すると 心が静かになる求めない ー すると 楽な呼吸になるよ求めない ー すると 体ばかりか心もゆったりしてくる
February 21, 2016
だいぶ前の話なのですが、テレビで「しくじり先生」という番組を見ました。 その日は、辺見マリさんが、自分が洗脳された体験について語っておられました。 冗談めかして、取り上げられていますが、何か大事なことを言われていると感じました。 私はもちろん、誰でも、とんでもない失敗することはあるんじゃないかなあと思います。 でも、普通だったら、自分の失敗を忘れたいし、人には隠したいものだと思うのです。 その失敗に正面から向き合って、他の人が同じ間違いをしないように、その間違いを人に伝える、それをテレビでやるというのは、今まで見たことのない番組でした。 人の失敗っていうのは、特に、大きな失敗の話というのは、聞く機会があまりないと思うのです。 テレビだから、過激に面白く作ってあるのかも知れませんが、私は、胸にずきんと来ました。 その辺見さんが最後に語られたメッセージが次の言葉です。『私は、13年間もの間洗脳されて苦しみました。 これだけ長引いてしまったのは、一つ大きな理由があります。 それには、私にこの気持がなかったからです。 「途中でやめる勇気」 私は頑固で完璧主義者で、自分が必死になったことを途中で やめるのは未練もあるし、悔しいし、なかなかできないことです。 だからこそ招いてしまった、洗脳という大きなしくじりです。 これは洗脳だけに限らないと思います。 皆さんも時にプライドが邪魔して、自分に合ってないことや 向いていないことを続けてしまう。 無駄に続けてしまうことがると思います。 そんなときに自分から期限を決めることです。 その決めた期限を一生懸命頑張って、駄目だったらそこでやめる。 そうすると、私のように大きなしくじりをおかすことはないはずです』 著名人が、人生について語る時、当然ですが、諦めようとしたけど、乗り越えたという話ばかりです。 苦しい状況で、続けるのも大変な勇気が必要です。 でも、やめるということも一つの勇気ではないかと思うのです。*************************************進みたい方向にどうしても進めない場合、それは自分に適した道ではないといことです。いつまでもそれにしがみつかないで、自分に、よりふさわしい道を選び直しなさい。 「ホワイトウルフの教え」葉祥明 編
November 19, 2015
少し前ですが、女性の生きづらさを考えるシンポジウムというのがあって、それを聞きにいきました。 その時に心に残ったのが、「苦しみを人と比較してはいけない」ということでした。 DVや虐待、母娘関係など、家族の問題を扱うカウンセラ-、信田さよ子さんが講演をされたのですが、その話は、考えさせられるところがありました。 信田さんは、「不幸な人ほど、人と比較する」といいます。 「もっと大変な人もいるのに、私みたいな人間が、暴力を受けたなんて言っていいんでしょうか。」そう言われる方が多いのだそうです。 信田さんは、「暴力に客観性はない」といいます。 そして、「自分が困っている、苦しいということを一番大事にしてください」と言われていました。 彼女は、「家族」を次のように定義していました。 「家族」は、力において不平等な人間が、親子・夫婦の名のもとにともに暮らす集団であり、それが健在化したものが、DVと虐待である、と。 家族は、力を持たない子どもにとって、どれだけ安心できるかが重要であり、「子どもにとってどうなのか」、それをいつも問う必要がある、と。 そして、カウンセラ-として一番大事にするのが、生命維持であり、カウンセリングとは、その人が死なないようにすることである、と言われていたのも印象的でした。 カウンセリングは、心のことのように言われるが、本当は、命(生命)の維持に関わることだ、というのです。 どの話も、はっとするような、ドキッとするような話でした。 家族はいいものだなあというあたたかいイメージをもたれている方が読まれたら、え?って思う話かも知れませんが、実際には、非常に理不尽な硬直した家族関係で悩まれている方も多いのです。 そうした方が、本当は苦しいのに、「私なんか、まだいい方だから、苦しいなんて言う権利がない」と、自分の心にふたをすることはないと思います。 現在の苦しさを耐えるために、もっと苦しい人もいるのだから、と自分を励ますために言う場合もあると思いますし、自分は恵まれているんだからと考える方が良い場合もあるでしょう。 けれど、他の人がどうであれ、自分にとって、嫌なものは嫌だと、苦しいことを苦しいと、言っていいのだと思います。 だから、これぐらいのことで、つらいと感じるなんて、本当に自分は駄目だなあと思わなくてもいいのです。 ある本で、こんなエピソードが書かれていたのを思いだしました。 ある人が病気で入院していて、納得できないような嫌だなあと思うことがあって、医療者に苦痛や不満を述べたと言います。 その時に、ある医療者がこのようなことを言ったといいます。 「こんなことを言うのはあなただけですよ。みんな我慢しているんですよ」と。 そう言われたら、それ以上は言えなくなってしまいます。 もちろん、我慢しなくてはいけない状況もあるでしょうが、みんな我慢しているから、過去の患者さんが今まで我慢してきたからって、その人にとって、その我慢が正しいかどうかは、分からないと思います。 また、昔の本で、今は絶版だと思うのですが、「シリーズマンガ精神医学 うつ病」という本があるのですが、昔は何度も読み返しました。 この中で、主人公の男性が、会社で課長に昇進したことをきっかけにうつ病になる様子が出てきます。 その中で、彼が「みんなはできているのに、自分だけができていないのではないか」、「自分が至らないからこんな事になるんだ」「こんな情けない状態なのは、自分だけではないか」と思い悩む場面があります。 その男性は、このまま消えてなくなってしまいたい・・・と一瞬考え、はっとし、家族のことを思いだし、これではいけない、と思いとどまります。 人と比較すると、他の人は同じような環境でも頑張っているのに、自分がつらいと感じるのは、苦しいことの責任は、すべて自分の中にあるからだというふうに追い詰められていきます。 同じ事でも、一人一人感じ方や受け止め方が、体質が違うのと同じように、違うのです。 また、外からは同じように見えても、周りに理解してくれる人、サポートしてもらえる条件があるかないかなど、いろんな偶然性などが絡み合い、一人一人いろんな違いが出てきます。 苦しくてたまらないけれど、こうするしかない。 我慢するしかないんだ・・・。 という以外の第三の道。 道は一つだけではなく、いろんな選択肢があるのです。 探したら、もしかして自分が安心して生きられる道が見つかるかも知れません。 それを探すためには、まずは「つらい、嫌だ」と言う権利を自分を与えること。 思い切って、声に出すことから始まる気がするのです。 自分を犠牲にしてでも、他の人の命を救っている人を立派だとみんな言います。 もちろん、私もそれは尊いことだなあと思います。 でも、もっと大事なことがあると私は思っています。 それは、自分の命を守ること、自分を助けることです。 自分の心をないがしろにせず、大切に扱うことだと私は思っているのです。********************************************自分が困っている、苦しいということを一番大事にしてください 信田さよ子(カウンセラー)
November 17, 2015
少し前に、テレビで「リプリー」という映画を見ました。 見終わった後は、そんなには面白いと思わなかったので、録画をすぐ消してしました。 ところが、後になって、じわじわと考えさえられるところがありました。 だいぶ忘れているところあるのですが(セリフなど自分流に解釈しています)、感じたことを書いてみたいと思いました。 「リプリー」とは次のような話です。 「太陽がいっぱい」という映画の古い名作がありますが、そのリメイクというか、現代版のようなものだと思います。 一人の平凡な青年、トムが、主人公です。 トムは、ひょんなことから、大富豪と知り合います。 そして、彼の息子が外国へ行ったまま、遊び歩いているのを連れ戻して欲しいと頼まれるのです。 トムは、その頼みを引きうけ、彼の息子のいるイタリアへいく豪華客船に乗り込みます。 彼は、息子の元へ行き、彼と共に生活し始めます。 トムは、富豪の息子の優雅なライフスタイル、その性格の奔放さに魅了されていきます。 結局、二人は仲違いをして、トムはその息子を殺し、その後、トムはその富豪の息子になりすまして、贅沢な暮らしを続けます。 しかし、他人になりすますのは、緊張の連続で、危うく何度も人から見破られそうになります。 トムは、トムとして振る舞っているときに、善良な人と出会い、彼と友人になります。 しかし、罪を隠し、自分を偽りつづけるために、その大切な友人とも、別れなければならなくなります。 トムは、その友人に言うのです。 「僕は、ずっと自分ではない別の人間になりたかった・・・ 自分のようなつまらない人間ではなく・・」 すると、友人は言います。 「なんで別の人間になんてならなきゃいけないんだい。 君は君のままでいいじゃないか」 トムは泣きながら言います。 「じゃあ、僕のいいところを言って・・・」 友人は、笑いながら「朝までかかるかもしれないよ・・・」と始めます。 「やさいいところ、才能のあるところ・・・・」 次々と彼のいいところを挙げていくのです。 しかしトムは、もとの自分に戻ることが出来ないのです。 君は君のままでいいじゃないか。 映画を見てから、この言葉が、心の中で鳴り響いています。 自分が二十代の頃、こうなりたい、ああなりたい、という希望がありました。 三十代になると、思っていた道はどうやら無理らしいと分かってきました。 四十代になると、自分にとって無理のない生活が出来るようになりましたが、最近では、家族のことで気がかりなことがあり、別の部分で「もっとこうできないか」「もっとこうしたらよかったのではないか」と悩んでいます。 自分にできることをやるしかないのに、できないことや、できなかったことを気にしているのです。 悩む内容が変わっても、結局、若い頃と悩み方は変わっていません。 でも、その一方で、こんなことがありました。 少し前から、「大地の子」というドラマを見ています。 中国残留孤児の問題を扱ったドラマなんですが、何十年も前に、見た時には、そんなに感じなかったのに、今度見たら、すごく泣けてしまいました。 人の優しさ、あたたかさがしみじみ心に広がってくるのです。 画家の星野富弘さんの言葉を思い出しました。「わたしは傷を持っている。 でもその傷のところからあなたのやさしさがしみてくる」 年をとると涙もろくなるというのは、いろんなこと、悲しいこと、思い通りにならなかったこと、腹が立ったこと、うれしいこと、いろんな立場やたくさんのことを体験するからなんだろうなあと思いました。 何も形になる成果のようなものはありませんが、私も、自分なりに、いろいろ経験して変化しているんだなあと思うと何だかうれしかったです。 最近、本当に久しぶりに、ジブリの映画「となりのトトロ」を見たのですが、なぜか感動していました。 自分でも、おかしかったです。 実は、今日、ブログの開設10年目の日です。 10年たったのかと思うとびっくりです。 最近では、記念日ぐらいしか更新していない、半分寝ているようなブログですが、おつきあいくださっている方には感謝です。 ************************************大切なのは、どんな生き方も「これでよかった」とみずから認める度量と覚悟を持つことではないか。 NHKテレビ「モタさんの言葉」より
November 9, 2015
先日、NHKのBSで、民放を含めたドキュメンタリー番組のなかで、特に優秀な作品を選び、それを放映するという番組を見ました。 どれも素晴らしかったのですが、その中で、私が心に残ったのは、自閉症の青年のお語でした。 その青年、東田直樹さんは、言葉を話せなかったのですが、訓練により、パソコンを使って自分の思いを文章に書けるようになりました。 そして、自閉症の自分がどういう体験をしてるかを語りはじめたのです。 それが本となり、自閉症の子どもをもち、彼らを理解できずに苦しんでいた親たちを救ったのです。 その一人が、スコットランド人の作家のデイビット・ミッシェルさんでした。 ミッシェルさんには自閉症の息子がいます。 彼は、突然、床に頭を打ちつけるような行動をする息子に対して、どう接していいか悩んでいました。 彼は言います。「自分の人生は、描いたシナリオから外れてしまいました。 健康な息子を望んでいましたが、そうはならなかった。 世界に怒りを抱き、自分を哀れだと思いました。 息子に怒りを覚えたこともあります。」 そんなとき、インターネットで、日本人の自閉症本人が書いた本を見つけます。 日本で8年ほど暮らしたことのあったミッシェルさんは、すぐさま購入しました。 そこには、なぜパニックになるのか、床に頭を打ちつけるのか、大きな音を恐れるのか、その理由が書かれていました。 彼は、息子の行動にも必ず意味があると考えるようになりました。 意味が分かると、息子が、同じ事をしても、前はイラだっていたのに、今はかわいいと思えるようになったと言います。 彼は、その本を翻訳して世界に届けました。 そして、今回、東田さんと直接会って、お礼を言いたいということで来日されたのです。 ミッシェルさんは、東田さんとパソコンを通して会話をします。 その中で、ミッシェルさんが一番聞きたかった質問をします。 それは、父親として、自閉症の息子にどう接すればいいのか、どうしたら助けてあげられるのかということでした。 東田さんは言います。「僕はそのままで十分だと思います。 お子さんもお父さんのことが大好きで、そのままで十分だと 思っているはずだからです」 それを聞いたミッシェルさんは、うれしいような困ったような、何とも言えない表情をされていました。 東田さんは、このときのことを、後日、次のように語っています。「自閉症のお子さんに、父親として何をしてあげればいいかと、僕に質問されました。 僕は、そのままで十分だとお答えしました。 子どもが望んでいるのは親の笑顔だからです。 僕のために誰も犠牲になっていないと、子ども時代の僕に思わせてくれたのが 僕の家族のすごいところです。」 ミッシェルさんは、悩んで苦しんで、いつも考えていたのではないでしょうか。 これでよかったのか。これでいいのか。もっと他のやり方があるのではないか。 子どもの幸せのために、自分が何を出来るのだろうか。 だから、東田さんの本と出会えた。 ミッシェルさんは、自分の心と向き合いながら、息子さんと一緒に、一生懸命生きてこられたのだと思います。 悩んでいるということは、もう十分よくやっているということなのだと思うのです。 たぶん、息子さんはそのことをよく分かっているのだと思います。 これ以上、僕のために悩まないで・・・。 僕のことより、まず、お父さんが幸せになって・・・。 息子さんの思いを東田さんが、代弁したような気がしました。 東田さんの繊細さと優しさ、ミッシェルさんの率直であたたかい人柄、二人の姿を通して、人は誰しも、「そのままで十分なんだ」ということを改めて教えられました。******************************僕はそのままで十分だと思います。 東田直樹さん
October 1, 2015
漫画家のヤマザキマリさんをテレビで見ました。 私は、今、イタリア語を勉強していて、その関係で、ヤマザキマリさんのマンガやエッセイを読むようになりました。 ヤマザキさんはイタリア人と結婚されているのですが、イタリアの夫の家族の話は、ほんとに笑えます。 ヤマザキさん自身も、いきいきしていて、生きるエネルギーにあふれた、おもしろい方です。 イタリア語のテレビ講座で、話されていた、彼女の言葉を書き写しました。今回は、あまりにしゃべりが早くていつも以上に不正確かもしれませんが・・・。 〈イタリア人がどうして家族や恋人どうしで大げさに愛情表現をするのか〉 という問いに、対して、ヤマザキさんはこう答えます。 『イタリアの人たちというのは、ものすごく、恋愛とか異性に対して 心をわくわくさせる、 まあ、異性じゃなくてもいいんだけど、自分がときめく人に対して、 こう、気持ちを高揚(こうよう)させるのが心地いいっていうのを 素直に露見(ろけん)させる人たちなので・・・。 私はイタリアで、子どもを産んでますけど、産んだときから、 周りがうるさい。 子どもに対して、「わあ、もう、ほんとうにかわいい。 きれいな、かわいいお星様。宝物・・・」、ありとあらゆる賛辞の言葉が 用意されている、と。 あんなふうにして育っちゃうと、そういう言葉を使うのが当たり前。 「愛しているよ」だけじゃ足りないから、「Amore mio(愛しい人)」 「Tesoro mio(私の宝物)」になったり、もう、いろいろあるわけ じゃないですか。 だから、ものすごく愛情というものというものに対して、 真に向き合っていて、やっぱり、人間にとって、本当に大事な、 生きるっていう幸せを感じるのに欠かせないひとつの感情だって いうか・・・。』 最後に、ヤマザキさんが、イタリア語でひと言。 『 La vita e bella e emozionante, quindi godiamocela! 』 (人生は美しくてワクワクするもの、だから楽しみましょう) 私は、イタリア映画も見るようになったのですが、そこに貫かれているのも、「愛する」という事だと感じています。 映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のセリフでも、ありました。 「どんなことをしようとも、自分のすることを愛するんだ」 イタリア人は、自分の生まれ故郷、自分の国、自分の友達、恋人、家族、自分の仕事、趣味を心から愛しています。 食べること、遊ぶこと、おしゃべりすること。 もちろん、自分自身のことも大切にしています。 自分の人生そのものを愛し、誇りに思っています。 そして、その気持ちを言葉に表すことをためらいません。 もちろん、一面的な見方かも知れませんが、一番大事なものを大事にして、人生を思う存分味わって楽しんでいる彼らが、私には、まぶしくみえるのです。************************************************************ 人生は美しくてワクワクするもの、だから楽しみましょう! ヤマザキマリ(漫画家)
September 16, 2015
NHKの「スイッチインタビュー」というテレビ番組で、宮沢りえさんとリリー・フランキーさんの対談を見ました。 個性的な二人だけあって、おもしろい話が聞けました。 その中で、私がはっとしたのは、最後のほうに話された、リリー・フランキーさんの言葉でした。 それは、自分の人生において、将来起こることを予想することは出来ない、という話です。 普通「何が起こるか分からない」ということは悪い出来事に対して使うことが多いと思うのですが、悪いことも良いことも、人には、それを予想することは出来ないんだということを改めて感じました。 リリーさんが話されていたことを書き留めたので、書いてみたいと思います。(書き間違えがあったらすいません) 『よくなんか、連載の人生相談とかでも、未来のことを気にして 若い人たちは、先のことがどんどん不安になっていくじゃないですか。 先のことを考えて、こうしたらこうなるだろう。この人と一緒にいれば こうなるだろう、と。この仕事したらこうなるだろうって。 その通りになったやつなんか、俺、本当一人もいないと思うんですよ。 でも、なんかこう、そのことにおびえて、自分がどんどん小さく なっていくと思うんですよ。』 『だって、十何年前の俺が、お芝居してるなんて想像つかないわけじゃ ないですか。 だから、何があるかわかんないんですよ、全然・・』 『だって、俺が、リハウスのCMで、りえちゃん初めて見たとき、 あれ、15、6才ですか? 俺、あん時に「ふといタマ出てきたなあ」と思うわけですよ、 「そうとうなのが出てきたぞ」と思って、 でも、そん時の俺には、そん時に、神様が来て 「君は、このリハウスの子と、二十何年後とかに シアターコクーンで、トークする」って 意味が分からないと思うんですよ。 だから、先のことは、全く想像がつかないわけじゃないですか。 先のことを考えないというのは、悪いことが起きることは考えない、 という・・・。 』 私は、若くないんですが、先の不安から、したくないことをしてみたり、テレビ見ていて、ふと不安に駆られたりすることがあります。 自分の過去のことを考えてみると、すごく落ち込んでいたときに、その時の苦しみ以上に、将来に対する悪い予想や希望の喪失が、自分を苦しめていたような気がします。 「自分の性格がこのままでは、苦しみが一生続く」とか「場所を変えても、結局同じなんだ」とか思って、勝手に追い詰められていたような気がします。 最近読んだ、生物学者の福岡伸一さんと著名人の対談の本、『せいめいのはなし』の中で、福岡さんはこう言っていました。 『細胞は、周囲の細胞によって自分が決まる。(中略) 細胞が何の細胞になるかは、あらかじめ内部的に決められてはいない。 その前後左右上下の細胞との関係性によって初めてなんになるのか 決まるわけです』 こうしたらこうなる、という因果関係より、偶然性というもののほうが、生き物を決定させるのだというような話もあり、私は、ちょっとほっとするものがありました。 人間も生物なんだ、偶然の存在なんだなあと。 「自分」というものも、いまのこの状況の中での表れにすぎず、また、別の場面では別の現れ方をする、という感じを、私は持っています。 備えあれば憂いなし、という言葉もありますし、準備も大事でしょうが、準備したことと違う状況が展開するかもしれない。 だから、悪い想像を、つい私なんかはしてしまうのですが、しないようにしたいなあと思いました。 もしかして、予想もしない、どんないいことがあるかもしれないのですから。 **************************「何があるかわかんないんですよ、全然。」 リリー・フランキー
September 7, 2015
前にもブログで書いた気がするのですが、テレビで、不登校についてやっていて本棚にあった本、「この人が語る不登校」を手に取りました。 この本には、いろんな人が学校や不登校について語っていて、どの話も なるほどと思うのですが、私は、森毅さん(数学者)の言葉が一番 ほっとします。 『どないなっても、なんとかなるで(笑)。 決まった道でないことは確実やしね。 いまから、こうなるはずだと、道を決めてもしゃあない。 いまの人は、わからんことへの、こらえ性がない。 だけど、わからんもんはわからん。 僕は、目標を決めてそれを達成するという考えは、捨てた方がええんと ちゃうか、思ってるんです。 若い人は、夢というのは自分の生きていく未来にあると考えてるけど、 僕なんかは、パラレルワールドやと思ってるんですね。 達成するものというより、現在にある。 だから、がんばるんじゃなくて、自分の想像力との関係で世界が広がる。 道はいろいろあるで。どないなっても、なんとかなる(笑)。』 『どうして数学にハマったかというと、ようわからんからなんですね。 数学は編み物に似てる。 目はしぶいし、肩はこるし、だけど、やめようと思ってもやめられない。 それで一生懸命やったことが全部ムダだったり(笑)。』 『数学に限らず、なんでもそうですよ。 ムダをたくさんやるからこそ、その途中の風景が見えてきて、 おもしろいわけです。 スカタンいろいろあるけど、そういうのを経験しないと 自分の目が肥えてこないしね。 役に立つ本なんて3分の1もない。いい本なんて100冊に1冊よ。 いまは、みんななんでもかんでも、役に立てようと思いすぎている。 だけど、ムダをどれだけ抱え込めるかというのがゆとりやからね。』 『結果的には、ムダの貯金が人生を作ってたりする。 僕なんかムダだらけですよ。だから生きているんですよ。』 **************************************道はいろいろあるで。どないなっても、なんとかなる(笑)。 森毅(数学者)
August 31, 2015
かなり前ですが、NHKの「課外授業ようこそ先輩」で、マジシャンのマギー司郎さんが出ているのを見ました。 この番組は、著名人が自分の母校、小学校で、子ども達に一番伝えたいことを授業にして語るというような番組です。 最近、ノートにマギーさんのことが書いてあるのを見つけたので、書いてみます。 マギーさんは、子ども達に語りかけます。 「だめな所を見せても長い人生のうちには、全然マイナスじゃないの。 だめな自分をみんなに見せることですごく強くなれるっていうことは あるのよね。 マギーさんが、けっこういい例かもわかんないね。 マギー司郎っていう人間は、すごくね、内気だったの。 人前でもしゃべることも出来なかったし、もう勉強大嫌いでね。 一番だめなやつだったのよ。 マジックをやってね、生活しているんだけど、下手なのよね。 でも「下手だ」って言えなかった時期がね、20年ぐらいあったの。 「僕は下手です」って言えるようになってから、生活できるように なっているのよね。 だから、そういう点も少し考えてみてくれる。 そして、今までこれは、今まで隠していて言えなかった部分だけど、 これをきっかけに、ちょっと言ってみようかなって、それも思い出し ながらね、 みんな言えない事ってあるよね。言えないことあるよっていう子、 ちょっと手をあげてみてくれる? でも、僕みたいにね、全然何の問題もないよ、だめな所見せても、 笑ってくれるかもしれないよ」 マギーさんは、マジシャンになって10年は、全く受けずに 悩んでいたそうです。 「私も大変なの」って言ったら受けて、お客さんに笑ってもらえました。 弱さをさらけ出しているうちに、弱さが気にならなくなってきたのです。 他のマジシャンから「下手だ」と言われて、気にし続けた自分。 そう言えないことがコンプレックスだったといいます。 でも、言っても、なんともないことに気づいたのです。 マジックをしながらマギーさんは言います。 「でもね、50才過ぎてこれやるのって結構つらいのよ」 「あんまり上手そうな手品師じゃないよね、鮮やかさがないって 自分でも分かるもん」 子ども達も、だめな自分を語り始めます。 ある男の子が言います。「嫌なことあると八つ当たりしちゃう」 マギーさんはこう答えます。 「これって大半の人そうなんだよ。だけど、それは ほとんどの人は気づかないんだよ。マギーさんだってそうだと思うよ。 これに気づいただけでもすごいと思うよ。何で分かったの?」 今度は女の子が言います。 「算数、国語、運動が苦手です」 マギーさんは言います。 「これ、マギーさんと一緒じゃん。だから、これでいいんじゃないの。 算数も国語も運動も全部苦手です。でも、これからやる手品は、 算数も国語も運動も何も必要ありません。必要ないでしょ?」 この後、子ども達は、自分で考えた手品を、隣のクラスの子ども達の前で 発表します。 子ども達は、緊張して手が震えたり、言い忘れたりしながらも、最後まで やりとげました。 失敗した子ども達にも、マギーさんはあたたかく声をかけます。 「うまくいったよ、うん大丈夫」 「今日一番良かったのはどきどきしながらやってくれたじゃない。 間違えた子もいたよ、セリフ忘れちゃった子もいたよ。 みんな精一杯やってくれたもんね。だからすごくうれしかった」 最後に子ども達が授業の感想を言っていたのですが、ある女の子が こう言いました。 「勉強が出来なくても、生きれるし、運動が下手でも生きれるし、 どんな人でも生きてるということを学びました。」 女の子の言葉が、胸に響きました。 マギー司郎さんのあたたかい語り口に、 ほっとしました。 誰しも、人生という舞台で一生懸命やっている。 それだけでも十分なんだよ。 大失敗したり、もうだめだと思うことがあっても、 生きていけるんだよ。 どんなにだめなところがあったって、どんな人であれ、 生きていけるんだよ。心配しなくたっていいんだよ。 今のまんまで、大丈夫だよ。、 そう言われたようで、うれしくなりました。 仕事や学校、家庭でうまくやれているとき、人と楽しく 過ごせているとき、健康で、頑張れているとき、そんな 言葉は必要ないと思います。 また、そんな甘い考えでは生きていけないんじゃないか、 無責任じゃないか、と思われる方も多いのではないかと 思います。 でも、こうした言葉を心の引き出しにしまっておいて、 自力で何とも出来ないときや、元気のないときに 思い出してみるのもいいんじゃないかと思うのです。******************************人にやさしく自分にもやさしく。難しく生きずに「易しく」生きるのが私のモットーです。人の人生、最後は死ぬと分かっているなら、楽に生きていきたいですよね。 マギー司郎(マジシャン)
August 20, 2015
読んでくださる方もいらっしゃるのだから、時々は更新しようと思っていたのですが、その後すぐ、首と肩がものすごく痛くなって、そのまま、かなり時間がたってしまいました。 机に向かうと苦しく、日常の家事なども、何をするのも下を向く動作が多く、疲れる毎日でした。 病院はもちろん、マッサージ、本を読んで体操など、いろいろ試しましたが、かえって痛みが増したり、なかなかよくなりませんでした。 一時は、痛みのために緊張が強くなり圧迫感から、息苦しいぐらいの状態になってました。 今はひどい痛みは治まりました。テレビで、慢性腰痛についてやっていて痛いから何も出来ないのではなく、痛みがあっても出来る範囲で、楽しいことをやっていくことが大切だと言っていて、なるほどと思いました。 体操、ストレッチなど、数を数えて必死でやるより、薬飲みながらでも、少しでも、楽しいことをやろうと、いろいろ出かけるようにしました。 それから、たまたまテレビ「こころの時代」でやっていた、ティク・ナット・ハンさんの話も参考になりました。 彼は、歩く瞑想というのを提唱していて、呼吸に意識を向けながら、本当にゆっくりゆっくりと歩くのです。 そうやって散歩したり、呼吸をゆっくりするようにするといいような気がします。 彼の言葉にうなづいてしまいました。 「日常 私たちは、求め、走り回る習慣がついています。 いつもまるで 走り回るように歩いています。 みな平和を求めて 成功を求め 神を求め 私たちはいつも走りまわっています。 いつも走ることが習慣化してしまっている人たちにとって このように歩き、走ることをやめるのは「革命」です。 ゆっくり・・ゆっくり一歩歩きます。息を吸って一歩 息を吐いて もう一歩。 息を吸いながら自分のすべてをこの一歩に注ぎ込みます」 そうやって歩いてみると、自分がすごく焦りを感じていたことに気づいたのです。 自分が同じ所にいることが嫌で、もっと前に行きたかったのです。 だけど、体がついてきません。 体は、痛みを通じて、私に話しかけているのです。 今、ここにいる自分を大切に扱って欲しい。 慈しみを持って、自分の体に接して欲しい。 そして、自分のペースでゆっくり生活をして欲しい、と。 実は今日は私の誕生日です。誕生日の日ぐらいブログを更新したいと首に無理をさせてしまいました・・・。 また、勢いが出たときに、ぼちぼち更新していけたらいいなあと思います。 最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
June 9, 2015
私が好きな話があります。 菊池陽子さんというシスターが、布教のため、ネパールに訪れたときに体験したネパール人との関わりの中で、書かれた文章です。 当時のネパールは、貧しくて、電気もない、テレビもない、水もあまり出ない、ご飯は薪で焚くという生活でした。 菊池さんが歩いていると、「あなたたちご飯食べられた?」という言葉が挨拶のように聞かれます。 「食べていません」と言うと、庭から何か持ってきて、「これでも食べなさい」と彼らは言いうのです。 また、ある日、学校の先生であり、村の助産婦でもある女性が、急患が出たと村の人が来たため、授業の半ばで、飛んで行ってしまいました。 翌日、自習を余儀なくされていた子ども達は、口々に、「昨日、先生のお陰で男の子が生まれたんだって」とうれしそうに言い合っていたそうです。 菊池さんは次のように言います。 『彼らは生活や生命(いのち)をまず大切にしながら、自然のままに 生きているんですね。』 そして、日本とは、価値観が違います。 菊池さんの文章を抜粋して書いてみたいと思います。 『彼らには何もせずに時の流れを楽しむ、という価値観があるんです。 日本では、「時間を無駄にするな」「せっせとやれ」「完璧にできた」という 感じですが、向こうではそうではなく、電気がないせいもあるかと 思いますが、夕方になりますと家族が家の前の土間に集まって座っています。 「何してるの?」と聞くと、「座っています」と言うんです。 日本では、「座っています」という言葉がないことに気づいたんです。 そして、肩を寄せ合って、ただ存在しているんです。』 ただ、存在しているんです・・・。 その言葉が、心に残りました。 日本では、「いる」だけでは、ただ、存在しているだけでは、許されないような雰囲気があるような気がします。 有意義なこと、役に立つこと、人のためになること、何かやっていないと、「何してるの?」と言われてしまいます。 人間にとって、生きていること、ここに存在しているということそのものが、本当は、一番大切なことであり、非常に貴いことなのではないかと、この文章を読むたびに思うのです。 いのちを大切にしながら自然に生きられたら、と思うのです。*********************** 彼らは生活や生命(いのち)をまず大切にしながら、自然のままに 生きているんですね。 菊池陽子 『シンポジウム 日常性のなかの宗教』より
April 23, 2015
前に読んだ本の中に、「死にゆく時の後悔トップ5」という一覧表が出ていました。 それは、次のようなものでした。 Top five regrets of the dying(死にゆく時の後悔トップ5) 1. I wish I'd had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me. (もっと自分自身に忠実な人生を生きる勇気を持てば良かった。 自分以外の他の誰かが期待して人生を生きるのではなく) 2. I wish I hadn't worked so hard. (あんなにも懸命に働かなくてもよかった) 3. I wish I'd had the courage to express my feelings. (もっと自分の感情を表現する勇気を持てばよかった) 4 .I wish I had stayed in touch with my friends. (もっと友人と親密にしていればよかった) 5.I wish that I had let myself be happier. (もっと自分のことを幸せにしてあげればよかった) 「死ぬときに後悔しないため今日から大切にしたいこと」中下大樹著 より この一覧には出典先があり、オーストラリア出身の女性の本です。 訳されたものが、「死ぬ瞬間の5つの後悔」ブロニー・ウェア著です。 その本も読みました。 著者は、実際に緩和ケアの介護の仕事をされていた方で、その経験の中で、余命宣告を受けた人たちから、繰り返し、これらの言葉を聞いたといいます。 私は、3番目の「もっと自分の感情を表現する勇気を持てばよかった」と、5番目の「自分のことを幸せにしてあげればよかった」という項目が、心に残りました。(訳された本の中では、5つの項目は、違う言葉で訳されているのですが) 自分も、そして、自分の大切な人も、必ずしも、明日、明後日と今日と同じように、生き続けられるかどうかは分からないのです。 大切な人にどれだけあなたを大切に思っているかということ、そして、あなたのことが大好きなのだということを伝え、一緒に時間を過ごしておかなければ、後悔してしまうことになるんだと思いました。 大切な人には、肯定的なことだけでなく、素直に、思ったことを言えたらと思います。 特に、原家族(親兄弟)対しては、悪い人間だと思われたくなかったり、罪悪感から、なかなか、思ったことが言えません。 私にとって、難しいことなのですが、もし、死を前にしたなら、相手からどう思われるかより、偽りの自分しか見せてこなかったことの方が苦しいことになります。 そして、先のことばかり考えたり、自分の価値を証明しようとあくせくするのではなく、「自分」という「大切な人」を今この瞬間に幸せにしようと思いました。 人に対して出来ることはするという部分と、自分のしたいことやしたくないことその両方の調整を注意して、バランスをとっていけたらいければいいのかなあと思ったりしています。 桜の時期から、体調を崩し、立ち止まって考えていて、この本を読み、考えさせられ、自分の間違いに気づきました。 自分の生活をもう少し、ゆっくり、味わいながら過ごしたいと思っています。*********************************他の誰かの期待に応えるのではなく、本当の自分でいる意志を持つには、正直にならなければならないし、とても強くなる必要もある。そうしなければ死の床で、もっと違う人生を送ればよかったと後悔するだろう。私はここに書いた患者以外にもたくさんの患者を介護したが、自分に正直に生きればよかったというのが、最も多い後悔だった。 ブロニー・ウェア
April 21, 2015
先日、京都の大丸でやっている、岩合光昭さんの写真展に行ってきました。NHKのBSで「岩合光昭の世界ネコ歩き」という番組があります。 世界の美しい風景、そこに住むかわいい猫ちゃん、そして、岩合さんの「いい子だね~かわいいね~」と猫に話しかける様子が好きで、時々見ています。(私もあんな風に言われてみたい・・・)岩合さんの写真展に行ったのは三回目だったのですが、今回は特に、写真の数も多く、笑ってしまったり、ほっとしたり、とっても楽しい時間が過ごせました。行ったのが、ちょうど、トークの日だったので、本人のお話もうかがうことが出来ました。話の中で聞いた言葉ではないのですが、会場に飾ってあったボートに書いてあった言葉が心に残りました。 「ぼくたちが遙か以前に置き忘れてきたものを呼び覚まさせてくれているのが ネコではないでしょうか。 (中略) どんな暮らしであろうがどんな裕福であろうが関係ありません。 ネコは1枚の服を生涯着ています。 一見単純にも見えるネコの暮らしは、実は 生きることへの永遠を見せてくれているのではないでしょうか。 幸せも苦労もたいしたことではないと教えてくれているように 思えてならないのです。」 ネコを飼ったことはないのですが、旅先で、何匹かのネコと出会いました。旅先で、一人ぽつんとしているときに限って、寄ってきてくれるのです。その時は、そのネコちゃんのあるがままでそこにいてくれることのやさしさ、あたたかさを感じました。そしてまた、写真展で、猫たちののびのびとした様子、元気いっぱいに生きている姿に囲まれて、何だかうれしくなってきました。先のこととか人生を難しく考えないで、今日一日を楽しく生きていきたいなあと思えてきました。(実際には、困ったことが起きるたびに、そこに気持ちがいってしまってそうは思えてないのですが) 書いていて、ネコがいろんなことを語りかける葉祥明さんの絵本を思い出しました。その本「ヒーリング・キャット」にはこんなことが書かれています。 「ぼくを 見て ぼく なにも 持ってないけど、 ぜんぜん へいき 今、持っているもので まんぞくすることが 大切さ 持ちものは すくなければ すくないほど 生きていくのが 楽なんだよ」本当は、ネコを見てかわいいなあと思うだけで十分なのであって、こんなことを書いて、考えを巡らしていること自体、ネコのありようとは逆なのかもしれません。でも、ネコって何か深いことを教えてくれるような、一番大事なことを伝えてくれているような、そんな気がするのです。ネコは、いつも居心地のいい場所へ行こうとするという話も聞きましたが、私もネコ化してきているのかなあと思いました。そういえば、「猫侍」というドラマが面白いと聞きました。(トークの時、会場で隣にいた女性が話しかけてくれて、その情報を仕入れました。4月から再放送が始まるとのことで早速家で録画予約をしました。どんなお話か楽しみです) **************************** 文章はアップできなくても、時々は、ブログをのぞいていました。コメントを書いてくださっている方がいるのを見つけたので、久しぶりに書いてみました。最後までおつきあいくださりありがとうございました。
March 28, 2015
今日、録画したテレビ番組を見ようとしていて、間違えて、以前、録画してとってあったドラマが再生されました。 そのドラマを見始めました。 前に見たときももすごく考えさせられたのですが、今また、やはり、このドラマのセリフが好きだなあと思いました。 そのドラマとは、「アイシテル~絆~」というスペシャルドラマです。 連続ドラマ「アイシテル~海容~」というドラマの続編でした。 少年犯罪の被害者家族、加害者家族の思いを扱っていて、深い内容でした。 この続編は、加害者の少年の弟の物語です。 「殺人犯の弟」という理由で、社会から疎外され、「自分は生まれてこなければよかった」と苦しむ青年が、生きる意味を見いだしていく物語です。 青年は、心を閉ざして生きていたのですが、革細工職人の老人とその孫娘に出会います。 彼は、その工房で働き始めて、少しずつ変わっていきます。 青年は、老人とこんな会話を交わします。 青年が言います。 「なんで俺は生まれてきたんだろう。 兄の事件を知ってからいつも考えてきました。 でも、答えは見つからない」 すると、老人はこう答えるのです。 「何のために生まれてきたのか。私は、君の3倍ぐらい生きているんだが、 いまだに分からん。 でもね、それでいいと思っているんだ。 分からんから、また明日の生きてみたいと思ってる。 ただひとつ言えるのはね、君が生まれたことは間違いなんかじゃないさ。 そのおかげで、かな(孫娘の名前)が幸せになれた。私もな。 答えなどいらんのだよ。 君が生きていること、それだけで十分なんだ。」 君が生きていること、それだけで十分・・・。 私も、何となくそう思っています。 人は、気づかないうちに人を傷つけもするけれど、知らず知らずのうちに、誰かを幸せにもしているような気がするのです。 人は知らないうちに人を幸せにしている、という体験で心に残っていることがあります。 私が、京都に来て一年目の頃、新しい仕事も始めて、慣れないことが多く「つらいなあな」と思っていました。 ある日、暗い気持ちで、ある歩道橋を自転車をひきながら歩いていました。 すると、向こう側から、同じように自転車を引いてくる人がいます。 狭い歩道橋だったのか、降りる所だからだったのか、一台しか通れない幅でした。 それで、私は、自分が止まろうと思いました。 ところが、相手の女性が、先に止まって「どうぞ」と笑顔で道を譲ってくださったのです。 私は、「ありがとうございます」と通り過ぎ、歩道橋を降りました。すると、思いがけず、涙が出てきてしまいました。 ただ、道を譲っただけのことですし、その女性は絶対に覚えていないでしょう。 一人の人が生きていたら、必ず、誰かと出会います。 人は、赤ちゃんでも、老人でも、健康でも病気でも、どんな状態であっても、生きているだけで、知らないうちに、互いに助け合っているんじゃないかと思うのです。 この間、100分で名著という番組で、ファーブル昆虫記についてやっていました。 その中でも、こんなことを言っていました。 「どんな虫でも役割がある。 パズルのピースがひとつなくなったら困るじゃないですか。 すべての生き物がジグソーパズルのピースなんです。 微生物に至るまで、すべてに役割があって、そのバランスの中で、 自然が成り立っている。 それを外してしまうと大変なことになるんです」 なぜ、自分がここに居るのか。 なぜ、生まれて来たのか。 いのちとは何なのか。 この疑問は、まだ解けていません。 これも、死ぬまで分からない方が、答えを考える楽しみが あっていいのかもしれません。 自分の中に流れている「いのち」。 その「いのち」がしたいことを、させてあげたいなあと今は思っているのです。******************************「君が生きていること、それだけで十分なんだ」 「アイシテル~絆~」より
July 10, 2014
先日、映画「チョコレートドーナツ」を見ました。 最近、映画館へ行っても、行って良かったなあと心から思えることがあまりなかったのですが、この映画は、本当によかったです。 ブログに何か書いてみたい、と久しぶりに思いました。 ゲイの男性が、薬物依存症の母の元で暮らすダウン症の少年と出会い、深い部分でつながり合い、互いにかけがえのない存在になっていく様子が描かれています。 薬に夢中になっている母親から無視され邪魔にされてきた、少年。 同性愛だというだけで、社会から冷たい視線で見られてきた男性。 そんな二人が、内面に眠っていた愛を開花させて、愛そのものの存在になっていくのです。 そのゲイの男性ルディが、愛にあふれた純粋な人で、見ていて、涙が出そうになりました。 表情や仕草のひとつひとつから、「君が大切なんだよ」という思いや、少年への優しさや慈しみが伝わってくるのです。 「よく来てくれたね。あなたがここにいてくれて本当にうれしいんだ」 「あなたの幸せを、あなたの気持ちを一番に考えているよ」 そんなあたたかい目で、自分を見てくれる人がいる。 少年は、いきいきとした表情を取り戻していきます。 少年は、どんなに、社会が二人を引き離さそうとしても、ルディを求め続けます。 そして、少年の存在によって、ルディ自身が癒やされていき、彼の恋人も変化していくことも、印象的でした。 愛することで愛され、愛されることで愛し、それはひとつなんだなあと思いました。 自分が今いる場所で、自分が求められていない、むしろ邪魔にされている。 そういう思いにとらわれることも、自分が置かれた環境によっては、あると思うのです。 でも、自分の気持ちを大切に扱ってくれる人がいる、優しさに包まれた安心できる場所が、きっとどこかにあるんじゃないか、と信じたいと思うのです。 どんな人でも、人は、愛し愛され、安心して暮らしていくことを求める権利があると思うのです。 話は変わりますが、朝ドラ「花子とアン」を見ています。 もちろん、それもおもしろいのですが、私がさらに楽しみにしているのが、アニメの「赤毛のアン」です。 月曜日の夕方、NHKBSでやってます。 そこで、私が好きなのが、アンとマシュウとの関わりです。 マシュウの慈愛に満ちた「そうさなあ」という言葉かけや、アンを見守る気持ちが、見ていて、胸があたたかくなります。 「愛」というものの意味がよく分からず使っていますが、言葉にはうまく出来ないけど、感じるものなのかなあと思っています。 愛のようなものをいつも感じて生きられたらいいなあと思っています。************************アン 「・・・私が男の子だったらよかったのに」マシュウ 「そうさな、でもわしは、一ダースの男の子より アンの方がいいよ」 『赤毛のアン』より
May 19, 2014
久しぶりに、テレビで、「モタさんの言葉」という番組を見ました。 斎藤茂太さんという方の、温かい言葉を やわらかい絵とともに紹介している番組です。 前にもこの番組が好きだ、とブログに書いたのですが、 やっぱり、自分の心には響きます。 それで、書き写していました。 テレビを見ながら写したので、誤字脱字等あるかも知れませんが、 モタさんのメッセージが、誰かに届けば、と思います。************** モタさんの言葉 第一話「努力してこそ平凡になれる」より「学生時代から成績もぱっとしない、 就職だって、なかなか内定をとれず、いまの会社に 拾ってもらったという感じです。 仕事の実績も今ひとつ。 だからといって 死ぬ気でがんばる気力もない・・・。 一応結婚して子どももいますし、もっと稼がなくては 家族にも悪いと思うのですが、これといって才能もないし 最近は体力にも自信がない。 性格に弱さがあるし」とは、ある患者さんの言葉である。 どうも最近気分が晴れない、ちょっとしてうつなのではないか、と 診察にみえた。 ここまで聞いて、私は思わず、「あなたはすごいねえ」と言っていた。 そうではないか。 ズバ抜けて頭脳優秀ではない。 これといった才能や頑健さもない。 それなのに、ちゃんと仕事と家族があり、生活している。 本当にすごいと思うのだ。 特別な才能に恵まれた人。 きわだって頭脳明晰な人。 意志や体が抜きん出て強固な人。 そんな人なら、道は楽々と開けていくだろう。 けれど、そんな人は、一万人に一人ぐらいだろう。 圧倒的多数な人は平凡で、世間にふれ回るほどの才能や とりえはないのかもしれない。 「でもそんな自分でも、悪事をなさず多少は人さまのお役に立ち 家族と生きている」と思おう。 平凡だけど、ちゃんと暮らしている自分に もっと自信をもっていい。 マスコミに登場するのは、起業して大成功を収めた人とか、 高収入のスポーツ選手など、特別な人がほとんどなのだ。 彼らは特別だからこそ、ニュースバリューがある。 そんな人はごく一部だ。 ほとんどの人がスタープレイヤーになれず、 コツコツと地道な仕事しているのは、普通の姿なのだ。 通勤時間帯の電車に乗ると、「この混んだ電車に毎日乗って 通勤するだけでもえらいものだ」と本気で思ったものだ。 それを十年、二十年と続けるだけで もっと自信をもっていい。 人生は長い旅路だ。 毎日が興奮に満ちていたら、疲れ果ててしまうだろう。 平凡は非凡にまさるという言葉もある。 平凡は地味ではあるが、 そこに奥深い滋味が潜んでいる。 それに気づけば、「どこといって、とりえのない自分」に ふさわしい生き方が見えてくるはずだ。 ***************************** 第四十五話 「幸福を心に植える・・・」より (略) 人はあんがい、シンプルさをゴールに人生を 歩んでくるのではないかと思えてくる。 人生のある時期からは、穏やかな日々が 待っているのだから、 若い日々のアップダウンや乱調に、 激しく一喜一憂する必要などないと知ってほしい。 青春の日々は、まぶしいばかりに素晴らしい。 だが、年を重ねた日々は、目をほそめたいほど いとおしい。 私は、昔はよかったとも思わないし、 年をとることはイヤだと思ったこともない。 どの日、どのときも、まぎれなく私の人生のひとこまだった。 もし、いま、なにか悩みを抱えもっているなら、 悩みはどんなに深くても、それで人生が台無しになるなんてことはないと 確信していただきたい。 「いまの悩みは、明日もまた続くだろう」などと不安に思わないことだ。 今日と明日は、全く別の日なのだ。 「こんなつらいのは、今日だけだ」と思ってほしい。 *************** 春の嵐で、桜が散っています。 みなさんの住んでいるところではいかがでしょうか? よい春を過ごされていますように・・・。
April 4, 2014
先日、NHKスペシャルで、植物写真家の埴沙萠(はにしゃぼう)さんの一年を追ったドキュメンタリーを見ました。 埴さん、82歳。 植物の命の輝き、その不思議な姿を撮り続けています。 埴さんのとる写真を見ていると、植物の「生きよう、生きよう」とする、その生命の力強さを感じます。 植物にとっては、ただ命をつなごうとしているだけなのに、その姿は、とても美しく輝いています。 大豆の芽生えの写真があったのですが、自分たちの上にかぶさっていた、大きな石を持ち上げて命が外へ出ようとしていました。 また、カテンソウという地味な花の、おしべが勢いよくはじけて、花粉を飛ばす映像もありました。 埴さんは、カテンソウの写真に詩をつけます。 「カテンソウの花は、きれいな色の花びらも蜜もない、 だから虫も きてくれない。 バネじかけの雄しべがピッチング・マシンのように 花粉をほおりなげる」 どんな不足があっても、それを補うだけでの力がちゃんと備わっているんだなあと、自然の摂理を感じました。 生き物というのもは、うまいこと出来てるんだなあと。 本当は、生き物は生きるために必要なものは、最初からすべて備わって生まれてくるんじゃないかなあと思いました。 もっと「いのちの力」というものを信頼していいんじゃないかなあと。 また、埴さんの写真は素晴らしいですが、それ以上に、埴さんがつねに楽しそうにわくわくして、植物の写真を撮っているところが印象的でした。 本当に好きなんだなあと思いました。 埴さんは言います。 「どんな植物でも、じっと目をこらしていると必ず輝く瞬間がある」と。 「何もないようでもね、見方によると、また、よく見ると、 いろんな物が見てきてね。 もっとよく見てごらん。 もっと楽しいよ、ってことでしょう」 「そうだよ、楽しいことばかりだよ、世の中は。 その中から、楽しいことを探し出して、楽しむことだね」 埴さんは、座骨神経痛で、立っていることさえつらい時さえあると 言います。 それでも、埴さんは、カメラを手にして、外に出ます。 今日はどんなものが見れるかな~という好奇心いっぱいの顔で。 埴さんが「楽しくてうれしくて仕方ない」という 様子で毎日を暮らしてことが心に残りました。 目をきらきらさせて生きている、こんなふうになりたいなあと 思ったのでした。
July 9, 2013
「自分をえらんで生まれてきたよ」という本を読みました。 そのなかで心に残った言葉がいくつかあります。「いのちはぜんぶ、つながっている。 一人のいのち、というのがあるのじゃなくて、 一人ずつのいのちは、ぜんぶつながっている。」 「心は、神様のかけらで、 体は、地球のかけらだよ。」 私も、本当は、一人一人の「いのち」というはっきりした区切りはなくて、すべてのいのちがつながっているのではないかと考えていたところだったので、心に響きました。 ひとりひとりが自分の人生を生きながら、実は、みんなで全体として、ひとつのいのちを生きている、ということを思います。 自分が、全体から支えられ受け止められていて、一方で、自分も見えないところで全体を支えている、そして、すべてが完璧に調和している、そんなイメージを思い浮かべたりします。
July 1, 2013
やなせたかしさんの展覧会で、 心に残った言葉がありました。 書きうつしてきました。 「なにも知らない。 なにもできない。 なにもない。 なのに、なにかを求めている。 自分の微力は、よく承知している。 とるに足りない才能についても自覚している。 でも、せっかく生まれて来たのだから 感動したい。共鳴したい。 おなじ心のひとに会いたい。 それがせめてみじかい生命の軌跡の中で ぼくらが望むものではないか。 ところであなたは・・・。 やなせたかし『詩とメルヘン』サンリオ刊 1882年4月号 編集後記 」 やなせたかしさんが、以前つくっていた雑誌「詩とメルヘン」に載せる画家を選ぶときに、絵だけでなくその人が魂の美しい人であるかどうかを大切にしていたといいます。 魂が美しくなければ、人の心を打つ絵は描くことができない、とやなせさんは言うのです。
June 30, 2013
先日、自分がとても尊敬している人から、ある絵本をすすめられました。 さっそく、その絵本を買ってみました。 「おくりものはナンニモナイ」パトリック・マクドネル著 短くてシンプルなお話です。 大好きなお友達をよろこばせたくて、何をあげようかと 悩む、ねこちゃんのお話です。 ほんとうのおくりものとはなんなのか・・・ 最後に、胸がじんときます。 ブログを読んでくださった方にお礼をしたくてもナンニモナイ・・・ので、素敵な本の紹介をしてみました。 美術館もよく行くのですが、京都伊勢丹でやっている「革の世界展」はなかなかよかったです。 革で作った人形などの展示ですが、ほっとなごんで、何となく笑える作品に出会えました。お近くの方はどうぞ・・。 また、岐阜県美術館の「やなせたかしと詩とメルヘンの仲間達」展にも行ってきました。 ついでがあったので・・。 これも、心癒やされました。 きれいなもの、かわいいもの、そういうものをいっぱい見たいです。
June 28, 2013
少し前に、最近考えていることについて、書きました。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。 自分を照らす(17) また、幸せについて、考えさせられた絵本があります。「とりかえっこ」というロシアの民話です。 あるおじいさんが、お金持ちの商人がおぼれているのを助けて、金の塊を手にします。ところが、おじいさんは、馬を売り歩く商人と出会って、馬と金の塊と交換してしまいます。 その後も、出会う人に言われるまま、相手のものと交換していまいます。最後は縫い針になり、その縫い針もどこかに落としてしまいます。どこを探しても見つかりません。 でも、家で迎えてくれたおばあさんは「あんたが元気で帰ってきてくれただけでうれしいよ。さあ、ゆうごはんにしましょう」と言うのです。 おじいさんは、もうすでに、金の塊より大切なものを持っていたのです。そして、それは、私も持っているものです。 私は、自分の中で、そして、目の前で輝いている「宝」に気づかず、手の届かない遠くのものに向かって、手を伸ばすことに一生懸命になっています。 けれど、そんなことしていたら、自分が持っている「宝」を味わい、抱きしめ、いとおしむ時間がないまま、人生が終わってしまう。 自分が生まれつき持っているもの、生まれた場所、縁あってたどり着いた場所、いま生きるためにしている「やるべきこと」、自分が今まで体験してきたこと、そのすべてを大切にしたいと思うのです。 先日、漫画家のやなせたかしさんが、「生きていく中で悲しいことがある。しかし、それが生きることそのものである」、という話をされていました。 不幸がなければ幸せが分からない、「悲喜こもごも」という言葉も、悲しみのほうが先に来ている、と。 やなせさんの作詞した歌、「手のひらを太陽に」には次のような箇所があります。『ぼくらはみんな 生きている 生きているから かなしいんだ 僕らはみんな生きている 生きているからうれしいんだ』 そうだったのか。どんな苦しい思いをしようとも、生きるというのは喜びなんだ。 人魚姫もごんぎつねも、悲しい思いをするから、かわいそうなのではない。 悲しいはうれしい、不幸は幸福、そのどちらもが生きること、そのものだったのか。 生きているから悲しいもうれしいも味わうことが出来るんだ。 過去の心の傷が痛んだり、人間関係で傷ついたり、体の不調に苦しんだり、いろんな悩みを持ちながら日々生きている。 悲しみや悩み、喜びやうれしさ、そのどちらがいいとか悪いではなく、どちらも大切だったんだ。 すべてが生きる喜びそのものだったのか。 私は、自分の中にむなしさや悲しさがあって、どこかで生きる理由みたいなものを探していたような気がします。 それで「あなたがいないと困る」と言ってくれる人や場所、仕事を探していたように思うのです。 今は、こんなふうに感じています。 私は、私の心臓を動かしている、自分の体の中にある「いのち」から求められているのではないか。 「いのち」とは、祖先から引き継いできたものなのかもしれないし、自分が今まで食べてきた生き物のいのちが集まって、一緒になったものかもしれせん。 それとも、宇宙全体を司るような、生命の源があってそれが動かしているのか、地球の自然の一部として動かされているのか、神や仏、大いなるものが動かしているのか。 「いのち」の本体は目に見えないし、よく分かりません。 けれど、アスファルトの隙間から芽を出し花を咲かせているタンポポなどを見ると、「いのち」の力強さに圧倒されます。 それと同じように、私を生かしている「いのち」、それは確かに私の中に息づいています。 どこからか、私の中に流れこんできているのです。 私の体の奥にある「いのち」は、私が怒っていようと、苦しんでいようと、笑っていようと泣いていようと、なにも区別していないのです。 「いのち」にとって、どう生きるかなんて関係ないのです。 「いのち」は、私の体を通して、ただただ生きようとしています。 「生きている」、ただ、そのことがうれしいのです。 「生きていて欲しい」、ひたすらに願っているのです。 そして、私は、今生きています。(終わり) ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。 なぜ、この文章をアップしたかというと・・・ 先日、3週間ほど前の6月9日が自分の誕生日で、この日に何かやってみたいと思い、前に書いた文章をブログにアップしようと思いつきました。 それで、その日一日かけて、書いたものを、下書きのところに文章を短く区切って、分けて入れました。 それを毎日、加筆修正したりしてアップしてきました。 付け加えてる内に、長くなり、前の文章から浮いてしまっている箇所もできてしまいましたが、お許しください。 更新日時が、下書きを書いた日の日付になっちゃっているので、日にちが変になってます。 前回くらいに、日付を変更する方法があることに気づきましたが、もう遅いですね。 私の思うこと、感じていることは、みなさんとは違うとは思いますが、もしかして一カ所でも重なる部分があるかも知れません。 どなたかの、何かの参考になればうれしいです。 また、今までの旅のことについての文章もまとめてみたいです。 本当にありがとうございました。
June 26, 2013
少し前に、最近考えていることについて、書きました。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。自分を照らす(16) 自分が今していること、自分に与えられた仕事に対して、自分がどう思っているかということも、幸せに関係してくるような気がしています。 テレビで、清掃員画家ガタロさんという方のドキュメンタリーを見ました。 ガタロさんは、63歳。30年間、清掃員として、ショッピングセンターの清掃を続けています。 彼は、棒のついたブラシ、雑巾など、自分の相棒であり分身でもある、掃除道具の絵を描いています。 ガタロさんは、自分が描いた掃除道具についてこう言います。「僕がいらだって、がーっと使うても、黙って立っとるんよね。その佇まい。何も文句を言わないで、最も汚いところをきれいにする仕事をやっとって、何も文句を言わない。」「僕が描かなきゃ、誰も描かんじゃないですか」「汚いところをきれいにして、そこに、ものすごいシンプルな形に存在している、それが美しくないはずがない」 ガタロさんは、最初の頃、トイレ掃除の時に、トイレを汚して使う人に対して怒りを感じていたといいます。 けれども、文句一ついわず黙々と仕事をこなす掃除道具の姿がガタロさんの心を変えました。 そして、自分から挨拶をして、明るく掃除をしていたら、汚す人が少なくなっていったのです。そこまでいくのに、20年かかったといいます。 ガタロさんは、今も「ここ全体がよくなるように・・・」そう願いながら清掃の仕事を続けています。 自分のしていることを愛し、そこに、「美」を見いだす。 そうすることで、自分の中にある「美」にも気づけるのではないかと感じました。 (つづく)
June 9, 2013
少し前に、最近考えていることについて、書きました。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。自分を照らす(15) また、前に、ホスピスで末期のがん患者さんと接している鈴木秀子さんが、次のような話をしているのを聞きました。 患者さんは、「頑張って」とか「きっとよくなるよ」という言葉ではなく、「もう楽になっていいんですよ」という言葉を求めているんじゃないかというのです。 死ぬ間際まで、もっとよくなることを求められるのはつらいのです。もう自然のままに横たわっていたいのです。 私は自分に対して、「もっとよくならなきゃ、今のままでは駄目」と駆り立ててきました。 現実の自分、状況に対して、これが現実なんだ、こういうものなんだ」といったん受け入れること、そして、どんな現実であれ、何が起こってきても、その現実を愛する能力を育てていくことが大事なんだということを最近思っています。 パイロン・ケイティという作家はこう言います。「現実と闘うと負ける。その可能性は一〇〇%」だと。 現実を受けいれるとは、自分という一番身近な「現実」を受け入れることから始まるように思います。「自分を受け入れる、自分を愛する」とよく言いますが、 具体的にはどういうことなのでしょうか。 先日、リチャード・バーニーさんという方のこんな言葉を聞きました。「愛は、愛する者が存在していることに対する喜びである。 愛は感謝である。すなわち、愛は、愛する者が存在していることに 対する感謝の思いである」 その人が存在している、息をしているだけでいい、そう思うことが愛なのだというのです。自分を愛するとは、自分が存在している、生きていることだけで喜び感謝するということになります。 何一つ条件をつけず、自分が存在することを、ただ喜び感謝するのです。 この世界を愛するなら、世界で何が起ころうと、世界が存在していることに感謝するということになります。 最近は、自分のそのものの姿や、自分の周りのものを愛するという言葉が心に残ります。 韓国の大学教授のキム・ナンドさんが言っていた、「あなたは自分の運命を愛さなければならない」という言葉にもはっとしました。 また、ドラマ「あまちゃん」の脚本を書いた宮藤官九郎さんも「愛する」ということを言っていました。 「自分に近いものを、もっと愛してはどうでしょう」 宮藤さん自身も、「あまちゃん」の舞台である東北出身で、ドラマでは、田舎の人が持っている、自分の持っているものに対して自信のない感じを表現したかったと言っていました。「自分の一番近いところに、一番愛すべきものがあるんだ」彼は、それを伝えたかったのだといいます。 (つづく)
June 9, 2013
少し前に、最近考えていることについて、書きました。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。 自分を照らす(14) 前に、テレビで、ブータンの「国民総幸福」という言葉を知りました。ブータンは、国民総生産より国民総幸福を高めることを目指していると言います。 その中で、キンレイ・ドルジ」さんという方が、幸福について次のように言われていました。「幸福とはどういうことでしょうか。それは喜びとは 少し違います。楽しみでも興奮でもありません。 それは全部一時的な感情です。 本当の幸福とは長期的な満足であり、あるがままを 受け入れるということです」「幸福の本質はその人自身の中にあるのです。 外にあるもの、速い車や大きな家が人に幸福を もたらすわけではない。 幸福はあなた自身の内部に見つけるもの。 自分の中にあるものを知ること、それが幸福なのです」 また、京都大原で自然とともに暮らすベニシア・スタンレー・スミスさんは、自然と友生きることの大切さを言います。「季節とともに暮らせたら、とても幸せです。それは生命の 輪の一部になることです。草や木の鼓動を心で感じ一つになる ことができるのです」「外に出て新鮮な空気を吸えば気分が変わります。 森の中や砂浜、川岸に腰を下ろせば、その瞬間、 地球に生まれた奇跡を思い、すべての瞬間を 賛美すべきだと気づくでしょう」 自分が自然の一部として生きていることを思いました。そんな時、登山家の田部井淳子さんが、エベレスト登頂したときの気持ちを耳にしました。「もう登らなくていいんだと思ったらほっとした」 その言葉に、なぜか感じるものがありました。(つづく)
June 9, 2013
少し前に、最近考えていることについて、書きました。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。自分を照らす(13) この映画『手紙』は、強盗殺人を犯してしまった兄を持つ男性の話です。彼は、身内に犯罪者がいるために、世間から排除され、恋愛も夢も仕事も何もかもがダメになっていきます。 そんな彼に、ある男性が言うのです。「差別は当然なんだよ。犯罪者やそれに近い人間を排除するというのはしごくまっとうな行為なんだ」「ここから始めるんだよ。こつこつとこの場所で」「差別のない場所を探すんじゃない。君はここで生きていくんだ」 その後、主人公の男性は、結婚をするのですが、今度は、自分の娘までが差別にあいます。彼は、兄と決別します。正直に、今の状況を話し、兄からの手紙、接触、すべてを拒否することを伝えたのです。 彼はそれまで、兄を捨てることによって、自分を悪い人間だと思いたくなかったのです。そして、兄を傷つけるのを恐れて、自分が差別されてきたことを話しませんでした。そして、ただ、兄や世間を恨んでいました。 彼は、自分を守るために、毅然とした態度を取り始めます。それも同様に彼にとってはつらいことです。でも、この世界で生きていくためにそうすることを決めたのです。 けれども、本当の気持ちを兄に話したときから、逆に、彼はもっと深いところで、兄との絆を感じることになるのです。 私は、どんな人もありのままでいても批判されない世界に、と言いながら、私の生き方やありようを批判する人を心の中で批判していました。私も同じなのです。 自分に嫌な思いをさせた人には、文句を言いたいのです。 自分に喜びを与えてくれる人は好きで、自分に害を与える人は嫌なのです。 いろんな考えの人がいます。それぞれが違う経験の中で、自分の価値観を形作っています。 自分が経験したこと以外は分からないのです。 自分の側からしか物事が見えないのです。 誰もが、それぞれの考えや意見を持っています。 そして、それを言いたいなら言ってもいいのです。 自分の生き方が理解されなかったり、自分にとって生きづらい世界だとしても、「私は私、これでいいのだ」と思っていればいいのです。 自分が相手の言葉に同調するから、人の批判が苦しいのです。 人の意見や思いは、その人のものなのです。 言われるのが嫌なら、直接、「つらいから、言わないで」と言えばいいのです。「どちらが正しいのだろうか?」ではなく、私が苦しい、そのことは真実です。自分が嫌なら怒ればいいし、理不尽だと思うなら、そう言えばいい。 私は、直接、本音で対決することなしに、周りにこうなって欲い、と願って不満に思っていたのです。 本音の言えない弱さも、私を形作ってきた要素かもしれません。 私は今後も言えないままかもしれませんが、そのことで嫌な気持ちになることは、受け入れていくしかありません。 苦しさが極まったときに、自然に変化していくのでしょう。 変わらないのは、そこまで苦しくなくて、変わる必要がないからなのです。(つづく)
June 9, 2013
少し前に、最近考えていることについて、書きました。 長いので、何回かに分けてのせています。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。自分を照らす(12) 前に、河井寛次郎さんという陶芸家のことを知りました。彼は、陶芸はもちろん、素晴らしい書や言葉を残しています。 そのなかで、心に残ったのは、娘さんの須也子さんとのやりとりのなかで、発せられた言葉です。 須也子さんは、あるとき、「どうしたら素晴らしい人生を送れるの?」と父の寛次郎さんに聞きました。 すると、こんな答えが返ってきたそうです。 「それはね、なにもむつかしく考えることはないのだよ。何でもいい。足元や身近にあるものから、ひとつでも喜びを発見することの出来る人になることだよ」 須也子さんは、それを聞いて、人生に対する不安が消えていったといいます。 庄野潤三さんという詩人の方も、喜びに目を向けることを言われていました。庄野さんは、悲しいことや嫌なことにはあえて目をつぶり、自分がうれしく思ったことだけをひたすら見つめ、自分が何を喜び、どんなことを楽しんでいるかを書いているといいます。 「変わった暮らしが面白いのではない。平凡な生活にこそ、喜びがある。しっかり観察すれば、うれしいことはたくさんあります」彼は、そう言われていました。 私は、この世界に対して、人間、世間に対して不満を持っていたと思います。人は、どうして暴力をふるうのか、いじめるのか、戦争をするのか、自分と違う人を排除するのか。 もっと安全で誰もが自分にあった生き方をして、ありのままのその人でいてもいい世界になって欲しい。普通とは違う生き方をしていようと、どんな人でも、幸せに暮らせる世界になって欲しいと。 すべての人が愛されて居場所があって幸せに生きれるなら、きっと、暴力をふるったりしない、と。理想の世界を夢見ていたのです。 けれども、『手紙』という映画を見て、唖然としました。 自分の間違いに気づいたからです。(つづく)
June 9, 2013
少し前に、最近考えていることについて、書きました。 長いので、何回かに分けてのせていきます。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。自分を照らす(11) 私は、ずっと誰かに照らしてもらいたいと思っていました。 誰かに「あなたは素晴らしい」とか「あなたの生き方は決して間違っていない」、「このままでいい。今のあなたで十分だ」と保証してもらいたかったのです。 もしくは、何らかの形で、社会的に評価されることをひそかに望んでいました。「生きるに値するいい人間である」「何かの能力があり、この世界の役に立っていている」「必要とされている、求められている」と思いたかったのです。 無意識でしょうが、そのために、人を援助する仕事を選んだのかも知れません。 また、仕事を辞めてからは、ボランティアをやったこともありました。 自分にできること、自分の経験を生かして何かできないか。 いろんなことをやってみました。 けれど、心は満たされませんでした。 今思えば、私は、自分が人に光を当てることによって、自分に光が当たることを望んでいました。 私は、自分を取るに足らない、いてもいなくてもいいような人間ではないと思いたかったのです。 人から光を当てられて、自分の存在を確認したかったのです。そして、「自分はここにいていいのだ」と安心したかったのです。 そうでなければ、生きていてはいけないような気がしていました。人のためになっていなければ、立派な生き方をしていなければ、少なくとも、人から納得されるような普通の生き方をしていなければ。 けれども、心の中をのぞいてみると、本当は、人の中に入っていって、何かしたいわけではないのです。 自然の中で、美しいものを見て過ごしたり、家の中で自分の好きなことをしてリラックスして過ごすのが好きです。 それなのに、じっとしていると、「これではいけないのではないか」という焦りが出てくるのです。 これは、人がどうこうではなく、自分の心の問題なのです。 自分で、自分の生き方やありよう、人生そのものに「これでいい、これがいい」と納得することが大切なのです。 また、この世界は素晴らしいのだと確信できる、何かよい考えを誰かから教えてもらいたいとも思いました。 けれども、人と自分は、好きなことも嫌いなことも違います。同じ事を経験しても、感じ方はそれぞれ違っています。 また、自分も人も、常に変化しています。 人生観や世界観は、自分で探し求め、自分で見つけていくしかないのです。(つづく)
June 9, 2013
少し前に、最近考えていることについて、書きました。 長いので、何回かに分けてのせていきます。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。自分を照らす(10) 前に、旅先でもらった小冊子に、男性の保育士の話が出ていました。 彼が、子供たちに、「片付けなさい」と言っても、6、7人の男の子たちが大騒ぎをして、教室は騒然としています。彼は、「みんな静かに」と大きな声を出そうとして、ふと、目の前で、一生懸命片付けをしている女の子に気づきます。 よくよく見ると、数人の男の子以外、ほとんどの子供たちは、黙々と自分の指示に従って、片付けをしていたのです。 彼は、それ以後、出来ている子供たちの方に注目し、子供たちみんなに「よくできているね」「片付けられているね」と声をかけるようになったのです。 すると、言うことを聞かなかった子たちも、次第に、静かになっていったのだといいます。 彼は、成人式で騒いでいた、というニュースがあるが、本当は、ほとんどの成人式では、若者たちは静かに式に参加していたのではないか、と言われていました。 そうだなあと思いました。私たちは、問題のあるところにばかり目をやり、全体がそうであるかのように錯覚します。 そうした悪いもの、不快なことに注目してしまうものの見方は、危険を回避し、身を守るためには必要なことかも知れません。 しかし、無意識にそうしてばかりいれば、不安や不満が大きくなり、幸せを感じにくくなるのではないでしょうか。 少なくとも、自分自身や、自分の生活、自分の家族に対しては、一部でしかない悪いところに注目しないで、意識して、いいところに注目していかなければと思っています。 もちろん、悪いことのほうがいいことより多いという状況もあるかもしれません。そうしたら、よけいに、いいところに注目していく必要が出てきます。(つづく)
June 9, 2013
少し前に、最近考えていることについて、書きました。 長いので、何回かに分けてのせていきます。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。自分を照らす(9) そして、今思うのが、自分自身が、自分と自分の周りのことに、希望を見いだし、ささやかでも楽しいことを見つけ、美しいものを見いだすいうことです。 ニュースを見れば、つらい出来事が、今この瞬間にもたくさん起こっていることが分かります。なぜこうしたことが起こるのかは分かりません。 けれど、自分自身を自分で照らす、自分の身の回りの世界に光を当てることはできます。 自分の中に起こってくる虚無的な気持ち、何をやっても意味がないというようなむなしい気持ちや、悲しみ、自分はだめだという感覚など、そういうものがわきあがるたびに、私はそれを外へ外へととかきだして、自分の内側に新しい風を送り、光を当てるのです。 前に、「しあわせのパン」という映画を見ました。自然の中でささやかな幸せをかみしめるようにして暮らす夫婦の物語です。 その中で、私が「あ」と思ったのが、夫である男性が、ちょっとうれしいことがあるたびに、ガラスの小瓶に百円玉を入れている場面でした。 さっそく、家に帰るとうれしいことがあるたび、瓶に百円を入れました。そのうち、百円の代わりに、うれしかったことを小さな紙に書いて、小さくたたんで入れるようになりました。 「今日の夕食の豚のショウガ焼きがおいしくできてうれしかった」「庭のバラが咲いた」「バスに乗るとき、発車寸前にぎりぎり間に合った」など小さなことです。 でも、あとから、瓶に手を入れて、くじ引きみたいにそれらのメモを引っ張り出し、見返すと、思い出してちょっとだけうれしくなるのです。 本当はこうした小さな喜びが人生にはいっぱい詰まっていたのです。 けれど、今までは、それを見ようとせず、そのときちょっと喜んでも、次の瞬間には忘れてしまっていました。 その一方で、つらくて忘れられない、刺激の強い出来事は繰り返し思い出していました。(つづく)
June 9, 2013
少し前に、最近考えていることについて、書きました。 長いので、何回かに分けてのせていきます。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。自分を照らす(8) 仕事を辞めてから、私は、「死」や「命」についてや、「この自分とは何なのか」、自分なりの答えを探し始めました。 私は、自分のありようを支えてくれる言葉、信念や世界観など、自分だけのバックボーンを作りたかったのです。世間の常識や周囲の声に左右されず、自分の考えで行動できる人間になりたいと思いました。 それまで、人の顔色を見て、何か言われないようにと思って生きてきました。けれども、これからは、人から何か言われても動じないで、「自分が幸せだ」と思う生き方を貫いていける強さをつくっていきたいと思ったのです。 世間の価値観に、がんじがらめに縛られていた自分を解放したいと思ったのです。心の自由を求めていました。 私は仏教の本、自己啓発や精神世界の本、著名人の本、様々な本を読んでみました。 数年前には、大学の聴講生となり、命や死について学びました。 そして、今も、命についての講座を受講しています。作家、画家、僧侶、医師、看護師、全身が動かなくなるという難病を抱えた人、犯罪の被害を受けた人、多くの人の話を聞きました。 まだ答えは見つかっていません。けれど、それでも、少しずつ、感じていることもあるのです。(つづく)
June 9, 2013
少し前に、最近考えていることについて、書きました。 長いので、何回かに分けてのせていきます。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。自分を照らす(7) 患者さんの中には苦しい時期が長く続いている人もいました。支えてくれる家族もなく一人病気と闘っている人に、「生きていれば、これからいいことがある」などと安易な言葉は言えません。 生きることに喜びを見いだせずに、未来に希望を見つけられず、孤独の中で長年苦しみ抜いた上で、「生きていても仕方ない」そう言う人たちと接すると、胸に痛みを感じました。 患者さんの話を聞いても、自分の中でうまく咀嚼できませんでした。 「死にたい」と言っていても、それぐらい今が苦しいということが言いたかったのかもしれません。 「今までこんなに苦しい人生を生きてきたのだ」、「自分の苦しみをもっと分かって欲しい」、ということを伝えるために、そうした言葉を、繰り返し話されていたのかも知れません。 けれども、そのときは、目の前で苦しむ人を見るのがつらくて、もう少し遠いところから、客観的な見方をすることができませんでした。 それがそこで求められている、私の役割だったのですが。 当時は、患者さんのためだと思っていましたが、本当は、自分のつらさから、今すぐに彼らの苦しみを取り去りたいと感じていました。 しかし、苦しみをなくすことはできません 本当は何か言う必要などなかったのです。 彼らが、自分で語る中で、気持ちに整理をつけ、自分の答えを見つけていくことに意味があるのです。 苦しみをなくすことだけが答えではなかったのかもしれません。 あるがままの自分で、苦しみを持つ自分とともに生きていくことを納得していくための時間になれれば少しでも、力になれたのかも知れません。 必要なものは、人によって、それぞれだったと思います。 ですから、私は、心を空っぽにし何の意図も持たずに、彼らが自由に言葉を吐き出せるような場を作れば良かったのです。 何でも言えるような守られた環境を作り、彼らの進んでいこうとする道をともに歩いて行くだけで良かったのです。 しかし、理屈では分かっていても、実際苦しんでいる人を前にして、相手の役に立つことができずに、その場にいることは、自分にとっては難しいことでした。 自分の感情にはふたをして、相手の話を聞くことができると思っていたのですが、実際は違っていました。 患者さんのつらい話や怖い話を聞くと、そのときは何ともなくても、家に帰ると、痛みや悲しみが胸にわき上がり、体に震えがくるのでした。 私は、無力感や罪悪感に苛まれ、心の重さに耐えきれなくなりました。 仕事なんだから大変なのは当たり前だから、とか、みんなはもっと頑張っているんだから、とか、自分の勉強が足りないからだとかいろいろ思いました。 研修や勉強会など、何かヒントになることがあればとあちこちに足を運びました。 このままでは自分の体に危険がある、と思うほどになって、ようやく「自分にはできないんだ」ということが分かりました。 結果として、六年半勤めた職場を去ることになったのです。
June 9, 2013
少し前に、最近考えていることについて、今までのことを振り返って書きました。 長いので、何回かに分けてのせていきます。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。自分を照らす(6) あるとき、患者さんの面接が終わり、やれやれと病棟を出ようとしたとき、ある患者さんから「今から帰るんでしょ。先生はいいね、帰る家があって」と言われました。 その患者さんは、病気の再発を繰り返すうちに、家族との縁も切れて、現住所が病院の住所になっているのでした。 患者さんはそんなつもりはなかったでしょうが、「なぜ私なの? あなたではなくて?」「あなたのような恵まれた人間に何が分かるというの?」と言われたような気がしました。 私は、生きることの意味、なぜ生きるのかという問いを絶えず突きつけられている気がしました。 生きていれば、人の温かみや優しさにふれたり、おいしいものを食べたり、美しいものやおもしろいものを見たりできる。 生きているだけで大きな意味があるんだ。 生きてさえいれば、状況も変わっていくんだ。 言葉には出しませんが、私の心の中に、そういう考えがあったような気がします。 今になって考えると、非常に傲慢なことですが、当時は、患者さんがそんなふうに感じて欲しいと思っていたのでした。 けれども、自分が疲弊して体調を崩し始めると、子どもの頃から私の心の奥に住みついている暗い面が表面化してきました。 自分だって毎日生きることがこんなにつらいのに、本当に生きることに意味があるのかと思い始めたのです。(つづく) 毎日更新しようと思いましたが、明日から三日ほど更新できません。 また、来週から続きをアップします。 毎日読んでくださっている方がおられるかどうかは分かりませんが、話の途中で中断して何ヶ月もあくということはありませんので・・・。 昨日、「一人一宇宙」という言葉を聞きました。 一人一人が全く違う世界を見ている、という話だったのですが、心に響きました。 また、改めて書いてみたいと思います。
June 9, 2013
少し前に、自分の体験と最近考えていることについて、書きました。 長いので、何回かに分けてのせていきます。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。自分を照らす(5) それでも、何とか学校は卒業できました。けれど、就職すると、それでは話になりません。言いにくいことも言わなければならないし、仕事の協力を頼むときにも、なぜそれが必要なのかなど、自分のことを分かってもらうことも必要でした。 自分としては全力でやったのですが、時間がたってもなかなかうまく人とコミュニケーションをとることができませんでした。 私が就くこととなった職業は、心理士という仕事でした。当時、私は、精神科の病院で働いていました。私は、精神科で入院する患者さんと出会い、話を聞きました。 そこには、世の中の不条理にさらされてきた人、家族の中で傷ついてきた人、事故や暴力の被害に遭い心病んだ人たちがいました。 また、目や耳の障害、知的障害を持ちながらさらに精神障害を持った人、また、認知症の方たちも入院していました。認知症がどんどん進行して、その人が別人のように変わっていく姿も見ました。 私は、患者さんの話を聞きながら、その方の人生の重さに絶句しました。患者さんの言葉を聞きながら、私は、彼らの次のような思いを感じ取っていました。 「なぜ、自分だけがこんな目に遭わなければならないんだ」 私は、答えのない問いを考え続けました。(つづく)
June 9, 2013
少し前に、自分の体験と最近考えていることについて、書きました。 長いので、何回かに分けてのせていきます。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。お読みください。自分を照らす(4) もっともっと、つらい子供時代を過ごした人もいるでしょうし、つらいことがありながらも「楽しい子供時代だった」と言う人もいるでしょう。 けれども、私は、子供時代が幸せだったとは言えません。 だから、今でも、子供たちが幸せに育って欲しい、と心から願っています。子供は、学校も家庭も、自分のいる場所が自分で選べないので、どんなつらくても、そこから逃げ出すことができないのです。 とはいえ、こうしたつらい体験が、今の自分の土台を作ってくれたことも事実です。現在の幸せを作っているとも思います。 今、「安心」「安全」な場所にいられること、一人でゆっくりと過ごせる時間があることが、夢のような暮らしをしていると感じられるからです。 また、いろんな状況に置かれている人がいるという想像力が養われたと思います。ひとりぼっちで、誰も味方のいない状況で頑張っている人もいるんだ、ということも分かります。 そして、同じ人でも、ある場面では優しい人であり、ある場面では悪意や人間の残酷さが出てきてしまう、自分も含めた人間の多面性というものを知った気がします。 中学、高校が、一番きつい時期で、その後、大学生になった私はどうなったかというと、人前では思ったことが言えない、おとなしい人間になっていました。 顔では笑っていても、心の中はいつもびくびくしていました。 当時通っていた英会話学校の先生に言われたのが「サイレント・パーソン」でした。フリートークの時に、あまりにしゃべらなかったからです。 正しい英語を言わなければいけないと思う気持ちもあったのですが、日本語であっても、自分の意見を言うことで、周りにどう思われるかが不安だったのです。 人に合わせてばかりいたので、自分の感じていることや考えも、はっきりとは分からなくなっていました。(つづく)
June 9, 2013
少し前に、自分を作ってきた体験と最近考えていることについて、書きました。 長いので、何回かに分けてのせていきます。 よろしければ、「自分を照らす(1)」からお読みください。自分を照らす(3) 当時、私の通っていた学校は非常に荒れていました。生徒たちは非常に反抗的で、先生たちもそれに対抗すべく、ひどい暴力が公然と行われていました。 先生が生徒を殴り、その生徒が机に顔をぶつけて鼻血が出る様子や、先生の怒声や暴言に、私は震え上がっていました。 また、クラスでは、軽い発達障害をもつ男の子が、ある男の子からいじめられていました。私は「何でこんなことをするんだ」を怒りを感じていました。 そして、ある時、いじめられている子が、女の子のスカートめくりをしていました。そうするように命令されていたのです。 私は、それを見たとき、こみあげてくるものがありました。はっきり何と言ったかは覚えていませんが、いじめている子に「そういうことをするなんて馬鹿じゃないの?」というようなことを言ってしまったのです。 次の日、学校へ行って、教室の戸をがらがらと開けると、みんなが一斉に私を見ます。ふと黒板を見ると、黒板一面に私の悪口が書かれていたのです。 そして、私の机、いす、ロッカーにあるスケッチブックや書道用具など私の持ち物すべてに油性のマジックで、ひどい言葉が書かれていたのです。 私は先生が来る前に、黙々と消しました。どうしても消えないものは、マジックで黒く塗りつぶしました。友達が誰も、黒板を消してくれなかったことがさみしく感じられました。家に帰ってからも、延々とマジックで黒く塗りつぶす作業が続きました。 この時以来、余計なことを言うとどんな目に遭うか分からない、と思うようになりました。中学一年生だった私は、「この世界は必ずしも安全な場所ばかりではないのだ」と思いました。私は、人前では、周りの人の反応を見て、言葉を発するようになっていきました。 もちろん、学校で楽しいことはいっぱいあったと思います。けれど、私の心は、心の芯のようなものが凍りついてしまいました。 私は、毎日のように頭痛や腹痛が起こるようになりました。クラスの中で、大勢の人の中にいるということが苦痛でした。どうしても耐えられなくなると、保健室へ行き、少し休んで教室に戻り、ということをしながら、学校時代をやり過ごしました。(つづく)
June 9, 2013
少し前に、最近考えていることについて、書きました。 長いので、何回かに分けてのせていきます。 よろしければ、前回の「自分を照らす(1)」からお読みください。「自分を照らす(2)」 考えてみると、私は、悲しいお話が好きでした。新見南吉の「ごんぎつね」というお話も心に残っています。 兵十という名前の男が、病気で死にそうになっている母親の頼みで、ウナギを捕まえにきます。 ところが、「ごん」といういたずら好きのきつねが、ふざけて、ウナギを逃がしてしまいます。ウナギを食べたいと願っていた母親は、食べることができないまま亡くなってしまいます。 ごんは、申し訳なく思い、毎日、栗や木の実などを兵十に届けます。けれど、そのことを知らない兵十は、ある日、ごんの姿を見つけると、また、いたずらをしにきたと思い、銃で撃ってしまうのです。ごんの亡骸を抱き起こしながら、兵十は、ごんが持ってきてくれた木の実や魚に気づきます。 兵十は、うめくように「ごん、おまえだったのか」と言うのです。 切ない話です。ごんは、深く反省し、心を入れかえて兵十に償いをしようとしました。それなのに、そのことは気づかれないまま、殺されてしまうのです。 「苦しいことがあっても、最後には幸せになれる」、「お互いの誤解があっても最後には理解し合える」、そんなお話が多い中で、死んだ後にしか分かり合えなかったこのお話は、ずきんと胸に響きました。 私は、子供の頃から、知りたかったのです。 なぜ悲しいことや不条理なことが起こるのか。そして、そんな世界の中で、どうしたら生きることを幸せに感じて生きていけるのか。 そして、人は必ず老いたり病気になったりして死ぬのに、なぜ、生まれてきて死に向かって生きていかなければいけないのか。 私は、小学生の頃から、物事の暗い面について深く考えてしまうところがありました。しかし、その悲観的な性格が決定的なものになったのは、中学生の時でした。(つづく)
June 8, 2013
機会があって、少し前に自分のことについての文章を書きました。 それをブログにのせていきたいなあと思い立ちました。「自分を照らす」というタイトルの文章なんですが、結構長いので、何回かに分けてのせていきたいと思います。 ブログにも自分の今までのことについて書いてきましたが、自分のストーリーは、書くたびに変わっていっているような気がします。 自分の物語を繰り返し語ることで、自分のことをより深く理解できてくる気がしています。 よろしければ、私の「こころの旅(スピリチュアルジャーニー)」におつきあいください。「自分を照らす (1)」 私が子供の頃から読み返していた絵本があります。それは、アンデルセンの『人魚姫』です。 実家の縁側の脇の本棚にその絵本はありました。かなり大きくなってからも、本棚から出して、ぱらぱらと見ていました。だいたい次のような話だったと記憶しています。 歌うことが大好きな人魚姫は海の中で幸せに暮らしています。ある日、人魚姫は、浜辺に打ち上げられていた人間の王子様を助けます。そして、その王子様を好きになるのです。 彼女は、人間になって彼の元に行きたくて、魔女の所へ行きます。そして、美しい声とひきかえに、人間の足を手に入れるのです。しかし、その足は歩くたびに針が突き刺すように痛み、彼女がいくら王子様に思いを伝えたくても、口をきくことができません。 さらに、王子様は、別の女性と結婚することになってしまうのです。魔女からは、王子様が他の女性と結婚したら、死んでしまうと言われています。 しかし、もし、王子様を殺せば、自分は死ななくてすむのです。けれど、人魚姫にはできません。彼女は、海の泡となって死んでしまうことを選ぶのでした。 なぜ、こんな悲しい話を私は好きだったのでしょうか。「人魚姫がかわいそう」、子供の頃は、ただそう思っただけだったかもしれません。 でも、この話を何度も読み返したのはなぜだったのでしょう。私は、このお話の根底に流れる「悲しみ」に惹かれていたのだと思います。 子供であっても、心のどこかで、生きていくことの中に、この人魚姫のような悲しみが含まれていたことに気づいていたのではないか。私はそう思うのです。 このお話には、人のいろんな苦しみが描かれています。 好きになった人に愛されない苦しみ、必死になって追い求めたものが手に入らない苦しみ。 人魚姫は、自分の大切な声まで失い、足の痛みに耐えてまで王子様のそばにいたのです。それなのに、結婚相手として選んではもらえませんでした。 普通、こうした童話では、心の美しい主人公は、王子様と結婚できて幸せになり、心の醜い人は罰を受けることになっています。しかし、人魚姫のお話は、そうではありませんでした。 考えてみると、私は、悲しいお話が好きでした。新見南吉の「ごんぎつね」というお話も心に残っています。(つづく)
June 8, 2013
久しぶりの更新になります。 少し前に、機会があって、まとまった文章を書きあげたので、それを少しずつアップできたらなあと思っていました。 と思いながら、時間が過ぎてしましました・・。 その文章を載せようと思ってパソコンに向かったのですが、その前に、この間思ったことを書いてみようと思います。 ここ何年かは、いのちについてや、生きること、死ぬことなど、死生学やグリーフケア、スピリチュアルケアなどを学んできました。 先日、いのちにについて考える講座に参加して、息子を自死で亡くされた女性の話を聞きました。 とても心に響く講演で、様々な言葉が、心に残りました。「悲しみは、取り除かなくていい」「深い悲しみがあるのは、それだけ深く愛しているから」「何十年たっても悲しみがあってもいい、癒やされない悲しみもある」「きれいなものを見ても、心底腹の底からきれいだと思うことはない。 悲しみは消えなくても、それでも笑ったりするし元気に生きていける」 「今生きていることに何の意味があるかと悩む人がいるが、 平凡な毎日がどんなに幸せか、災難に遭わずに生きられることが どんなに奇跡的なことか。 息子(長男)の死まで、夫や息子達に不平や不満があった。 今は、次男、主人が生きてるだけでいい」「自分の悲しみは自分のもの、他人の悲しみはその人の悲しみ」 私は、大きなことがあったわけではありませんが、心の中に、何か「痛み」があります。 その痛みを消そうとして、心理学を学び、人が生きること、いのちについて、心の癒やしについて、考えてきたと思います。 自分の痛みや悲しみを何とかしたくて、そして、自分なりの生きる事への考え方を見いだしたくて、本を読んだり人の話を聞いたり、ワークショップに参加してきました。 講演を聴いて、そうなんだと思いました。 私の心の痛みは消えない、ということなのです。 私は、他の人には分からないし感じられない「自分だけの痛み」というものを抱えながら生きていくのだ、と改めて思ったのです。 私は、自分の立場や経験したことからしか物事を見れないし、自分と感じ方の違う人の痛みは分からないのです。 自分の痛みは、とても大きく感じて、何とか消そうと必死になるし、人の痛みは軽く見て、自分の痛みや喜びに関することを優先して考えてしまう。 そう考えると、自分のぶんだけの痛みだけでいい、けれど、自分の痛みだけは自分で一生抱えて生きていくしかないのだ、と思いました。 悲しみも痛みも、自分だけの、自分にしか感じることのできない、大切な自分の一部。 溶かすこともできないし、自分からひきはがすこともできない。 完全に溶けたと思っても、その下に、その奥に、まだ凍りついた何かが在ることに気づきます。 でも、それは、「いのち」にくっついているものかもしれません。 悲しみとともに生きていく。 痛みとともに生きていく。 取り除こうと、忘れようと、なかったことにしようと思っても、そこにあるのです。 でも、あってもいいのです。むしろ、あるのが普通だし、あってこそ、人間なのかも知れません。 悲しみや痛みや、苦痛を感じる不都合な部分は、悪者ではない、とりのぞかなくていい。 それも大切な私の一部。それをふくめて、個性を形作っているのです。 マイナスに見えることの中にこそ、自分らしさ、自分という人間のおもしろみがあるのかもしれません。 それはともに私の人生の道を歩んでいく仲間のようなものでもあります。 自然の一部としての自分、あるがままの自分ということかもしれません。 自分にしか感じられない、味わえないこと、それを存分に感じること。 それが、生きることなのかも知れないと思いました。 そして、すべてをひっくるめた自分のありように、「これでいい」と心から納得したとき、私が求めていた「やすらぎ」や「安心」を得られるのかも知れないと思いました。
June 8, 2013
何気なく過ごす中に、ふと、気になる言葉を見つけます。 そうすると、どうしてもメモってしまいます。 今日もテレビを見ていて、室井佑月さんという方が、映画「キタキツネ物語」を見て、生きることについての考え方が変わったという話をされていました。 室井さんは、思春期の頃、自分は何で生まれてきたんだろう、と思っていたといいます。 そんなとき、「キタキツネ物語」を見て、自分のことでうじうじ悩んでいないで、もう一歩ひいて視点の高いところから考えてみようと思ったそうです。 そして、「生まれてどう生きるかに意味があるのではなく、生まれてきたこと自体に意味があると考えるようになった」と話されていました。 もう一つは、漫画家の、こうの史代さんの言葉です。 駅に貼ってあった、放送大学の宣伝のチラシに次のような、こうのさんの言葉が書かれていました。「日常こそ、実は冒険の連続だと思うんです。 今日生きて、生活している。 それだけのことが 本当はとても大変なことで みな、努力して勝ち取っている・・・ 普通に生きているって、スゴイことだと思います」 多くの人が「どう生きるか」とか「今日よりもいい明日にしたい」「今よりもっといい自分になりたい」ということを考えているかもしれません。 自分が今持っていないものを、何とかしてつかみ取ろうと頑張っているかも知れません。 けれど、「自分が生まれてきたこと」、「自分が、今日生きていること」、そのことに、大きな意味があるとしたら、そのことにこそ計り知れない価値があるとしたら・・・。 欲しい欲しい、と思っていたものより、ずっと価値のあるものが、もうすでに、自分の中にあるのだとしたら・・・。 なかなかそうは思えないかもしれません。 けれど、たまには、そんな風に考えてみることも大切なのかなと思いました。*******************日常こそ、実は冒険の連続だと思うんです。・・・中略・・・普通に生きてるって、スゴイことだと思います。 こうの史代(漫画家)
January 5, 2013
12月に楽しんだことに、フィギアスケートと、「家政婦のミタ」の再放送がありました。 フィギアスケートは、まず、浅田真央選手の可愛らしい演技に魅了されました。 でも、私が驚いたのが、羽生結弦選手です。 今までも有名だったのかも知れませんが、私は全然知りませんでした。 NHKのエキシビジョンを見て、あまりの美しさに魅了されました。 「花になれ」という歌も素敵でした。 「家政婦のミタ」は、一年前のブームの時には、気づいたのが、だいぶ話が進んでいたので、途中から見ようとしたのですが、分からなくて見れませんでした。 最近、たまたま、一回目から再放送があり見てみました。 おもしろかったです。 考えさせられるし、社会問題になっていることも毎回取り上げられ、家族の崩壊と再生が描かれていて目が離せませんでした。 高い視聴率というのもうなづけました。 ありえない、と思うことばかりなんですが、なんか共感してしまいました。 いろいろ思ったこともあったので、また、機会があれば書いてみたいです。 *********************長年の人生で気づいたのは、星のひとつひとつ、地球上のひとりひとりに美しさが宿っているということです。それは時間を超えたシンプルなもの、平和の種は、常にみんなの内面にあるのです。 ベニシア・スタンリー・スミス
January 2, 2013
明けましておめでとうございます。 みなさんは、お正月はいかがおすごしでしょうか。 私は、「ゆく年くる年」を見てから、近所の寺の除夜の鐘をつきにいき、その後、少し大きめの賑やかな神社にお参りしてきました。 あとは、おせち、お雑煮、お餅を食べて、家でのんびりしています。 とはいえ、あれこれやって過ごしています。 このブログを書くこともそうなんですが。 じっとしているってなかなかできないものですね。 このブログに何度も書いてきたことなんですが、この頃「居る」ことの意味を考えさせられることがありました。 結構前の話なんですが、12月の初め頃かな、胃腸炎になってしまいました。 フウフウ言いながら、三日ほど、苦しんでいたんですが、そのとき、まさに、何もしないで寝ていました。 目を閉じても一日中眠れるわけもないし、トイレに行ったり来たりして、あとは本を読むんですが、落ち着かないので読めなくて、ただただ、布団にもぐっていました。 そのとき、まさに「ただ居る」というのはこういうことだなあと体感。 そこに存在している・・・存在そのものになっていました。 こうやって安心して横になっていられることがうれしくて、しみじみ味わっていました。 それを健康なときには、できません。 こういう状態にまでならないと、「何もしない」ってできないわけです。 何もしてないと、時間を無駄にしていうみたいな気がするし、悪いことをして居るみたいな気がするのです。 私は、存在が大事だと言い聞かせながらも、結局は、外に出て積極的に行動をしていないことや、外で働かないのは「悪」という考え方に悩まされてきました。 「何もしてない、何もしていない」という声がこだましていたように思います。 Doingの世界、Beingの世界。 私には、何かをすること、目に見える成果を残すこと、何かをつかむこと、そういうことに励んでると、何かやっているみたいな気持ちになって、自分は頑張ってるんだ、と思いたいというところがあります。 でも、考えてみると、「生きているだけでうれしい」というそんな気持ちを感じることの方が、本当はもっと大事なんじゃないかと思えてきました。 Doingの人、つまり、活発で世の中に働きかけていく人がいないと、世界は廻っていかないし、私だって困ってしまいます。 ただ、Beingの人もいていいし、いた方がいいのではないかと思います。 前に、「働かないアリに意義がある」という本がベストセラーになってましたが、面白いことが書いてありました。 常に一定の割合のアリが働かなくて、そのアリが、全体を見ているので、集団の危機を察したり、集団に非常事態が起こると、普段動かないので十分に力をためこんでいるアリが動き出すのだそうです。 少し前、近くに住んでいる義理の母が手術することになり、義理の父も意識障害を起こしたり、家族のシステムが機能しにくくなってきたときに、私にも仕事が出てきました。 入院の付き添い、通院の付き添い、買い物付き添い、医師の説明を聞く、ご飯を作ったりご飯を一緒に食べる、連絡する、様子を見にいく、話を聞く。 「そばにいる」「そこにいる」ということが仕事なんですね。 誰かがやらなきゃいけないのですから、Being的な仕事も、なかなか意味があると思いました。 お金も生み出しませんし、何も作り出しませんし、誰にでもできることです。 でも、今回のことで、余裕がある人間が家族の中にいるのは、結構いいことだなあと思いました。 働けないというのが、引け目に感じていましたが、自分も居ていいんだ、と感じる出来事でした。 また、義母に命の危険があると聞いたとき、義母が居ない世界を想像して、「居る」ことの大きさを肌で感じました。 そんなふうに書けるのも、今は、義母も退院して、義父も落ち着いてきて、短い期間だったからかも知れません。 フルタイムで働いた上で、家族のことも親のこともやってる人もいるでしょう。 けれど、それぞれの人の置かれた状況の中で、自分のできないことは置いておいて、それができる誰かに頼む。 そして、自分が苦なくできることだけやっていれば、それで十分なんだと思っています。 Doingが得意な人は外で行動する方をすればいいし、Beingの方が向いているなら、家に居て、「そこにいる」という仕事もあります。 自分にできる「仕事」が出てくるまで、安心してそこにいたらいいのではないでしょうか。 神経質で感受性が強すぎて、人との関係が苦痛だという人がいます。 そういう人は、人といることの喜びより、苦痛の方が上回ってしまいます。 私自身そうですが、心病む人は、感受性が強すぎて、普通に生活するのが大変で、くたくたになってしまうのです。 学校でも、仕事でも、家庭でも、疲れてしまいなかなかうまくいきません。 私の場合、以前働いていたときは、出勤しようとすると、緊張がひどく、精神安定剤を飲まないと出かける準備ができませんでした。 世の中にはいろんな人がいますが、全体から見れば、そこまで感じやすい人は少ないですから、周囲からはその感覚が理解されません。 「なんでそんなことを気にするの?」「そんな弱くちゃダメ」「甘い」「何でもっとがんばれないの」「それじゃ、世の中でやっていけないよ」などと批判されます。 逆に、人と接するのが大好きだったり、働くことに喜びや意義を感じていて、働きたいのに、家に居ないといけない人の苦しみもあると思います。 働くことは当然のことであり、生活のために、どんなに大変でも働き続けるのは当たり前のことととして頑張っている人もいると思います。(私も以前はそう思っていました) それぞれの立場で、価値観や考え方は違います。 私の願いは、いろんな人がいてもいい、どんな人も安心して批判されずにその人らしく生きれるようになれればいいなあということです。 全体で見て、やっぱり、どの人もその人の存在でもって、誰かを助けているのだと、そう思っています。 生きているだけで、全体から見ると、大きな役割を果たしているのだと思います。 そして、自分が生きるために、毎日、野菜やお肉、魚、多くの生き物の命をもらっていたり、多くの人の働きによって生活ができています。 そうやって保たれている、せっかくの命、人生です。 自分に降りかかってきた苦しいことは、受けいれるしかないけれど、選べることなら、苦しいことや無理なことばかりして時間を過ごさないで、ゆっくり、できることをして幸せを感じて生きていくほうがいいなと思っているのです。
January 2, 2013
今年は、ほとんど更新できなかったのですが、元気でやっています。 体調が悪くなったり、精神的にしんどいときがあったり、家族に病人が出たり、ということもありました。 でも、繰り返し繰り返しの家事を中心として、当たり前の暮らしが続いていることをありがたいと感じています。 いろんな事を考えているのですが、最近、ふとテレビで「釜石の奇跡」という番組を見て、そうだなあと思ったことがあります。 小学校低学年の子ども達が、地震が起こった時に、家で一人でいたのですが、親の帰りを待たず、一人で外に出て避難し、津波を逃れたという話がありました。 その子どもの一人が、「まず自分一人でも生きのびろって言われ続けてきた」と話していました。 その子の母親も「この子はこの子で大丈夫、私は私で逃げる、生きていれば会える」と、その子を探しに行かなかったのです。 番組の中で、他人任せにしないで、自分の判断で自分の命を守るために行動すること、そして、一人一人が自分の命に責任を持つことが大事だという話がありました。 私は、思春期の頃から、自分の居場所がないなあと感じていました。 安心して自分の思いを偽らずに居られる場所、リラックスして「そこに居る」ことが許されるような場所がないのか、と思ってきました。 家庭、学校、職場、どこに居てもそれが見つからなくて、いつも心がちくちく痛み、じっとしていられないような落ちつかなさがありました。 それで、誰かに守って欲しくて、周りに人たちに、不満を感じていました。 どうしたら、心の安らぎを得られるのか、その方法を人から教えてもらおうともしてきました。 けれど、こんなに小さな子ども達が、怖くても自分で決めて、自分で自分の命を守ったのです。 それができたのはなぜか。「自分の命を守ることが何より大事だ」と知っていたからです。 周りの人がどうとか、人のことは関係なくて、「自分の命は自分で守らなくてはいけない」と知っていたからです。 誰かを助けようとしなくても、自分たちがまず自分の命を守ろうと動くことで、周りの人に影響を与えることができる。 本当に大切なものは何なのか、自分が何に責任があるのか。 結局、私は、いろんな人に不義理したり、迷惑をかけながら、自分の居場所を見つけました。 自分の思い込んでいた、「こうしかない」という硬直した価値観の中から外へ出ていけば、いろんな人、場所があるものです。 けれども、今度は、自分だけが安全なところに逃げていったことが、罪悪感みたいなものがあって、落ち着けないのですから、困ったものです。 まず自分が安全に生きのびる、そのことを自分で肯定していかないといけないのだなあと思います。 他の人は他の人で、自分で生きのびるだけの力を持っているのだから。 本当は、人は、自分で自分の身を守る、そういう本能、エネルギー、力を持って生まれてくるのだと思います。 家族が病気をして思ったのは、人はどんなつらいことがあっても、自分の体や自分の人生に起こったことは、本人が自分で引き受けていくしかないこと。 そして、一人の人が「そこに居る」ことの重さ、存在というものの重さを感じています。 どこかで、いろんな思いを持ちながら、幸せになろうと一生懸命生きている誰かに向けて、書いています。 そして、自分に向けて、書いています。 今この瞬間、私は生きています。 たぶん、明日も。 鬱状態で苦しかったときは、一日一日、一週間がとても長く感じました。 結局は死ぬのに、死に向かって歩いているのに、なぜ、こんなつらい思いをしてまで今日の日を生きなくてはいけないのか、と思ったこともあります。 今は、一週間があっという間に過ぎていきます。 毎日楽しくやっているのに、時に、体調のことや人間関係で「ああ嫌だ嫌だ」と思い、悶々と悩むこともあります。 それでも、自分に与えられた時間、自分の命を終えるまで生きていかなくては、生きていこうと思っています。 どうぞみなさんも、良いお年をお迎えください。 ************************矛盾と相克ばかりの世の中です。でも、絶望しないでください。あなたがそこにいるだけで、誰かが幸せを感じています。人間は生きているだけで尊いのです。 瀬戸内寂聴
December 31, 2012
朝、「あなたは、尊敬され大切にされるべき存在」という言葉が頭に浮かびました。 このタイトルで、二時間もかけて文章を書いて、ようやくアップしようと思ったとき、確認画面でうっかり消してしまい、文章は消えてしまいました。 思い出して書こうとしたのですが、書けそうになかったので、前に、似たような内容で書いたことを思い出して、それを多少書き加えて貼り付けてることにしました。 『すべての人の中に光を見る』 「ゆるすということ」(ジェラルド・G・ジャンボルスキー著)という本を読んでいます。 そのなかの、私の大好きなエピソードについて2つ書きたいと思います。 メアリーという小学校の先生をしている女性がいました。 メアリーは、子供たちに「ゆるすことが大切だ」いつも教えていたために、「ゆるしの先生」とあだ名がついているほどでした。 その学校には、けんかをふっかけたり、物をこわしたりする、手のつけられない腕白坊主がいました。 ある日、その子が、お金を盗もうとしたところを見つかってしまいました。 校長先生は、体育館にみんなを集め、みんなの前で鞭打ちをしようとしました。 メアリーが、立ち上がって「彼をゆるしましょう」と言おうとしたそのとき、周りの生徒たちが立ち上がり、「ゆるそう!ゆるそう!ゆるそう!」と叫び続け、その声は体育館に響き渡りました。 少年は、やがて、しゃがみこみ、すすり泣きをはじめました。 少年は、何の処分もなしに、ゆるされました。 その日から、彼はけんかをしたり、物を壊したり、盗んだりすることはありませんでした。 そして、その厳しい校長先生もゆるされました。 もうひとつのお話は、南アフリカのペペンパ族のお話です。 この部族では、誰かが、不正を働いたり、無責任な行動をとったとき、村の真ん中に、ひとり座らなければなりません。 村人は、集まって輪になり、その人を囲み、子供も含めた全員が、ひとひとり、「その人が過去にしたよいこと」について、話します。 その人の長所、善行、親切な行為などを、誠実さと愛を込めて、話します。 その人を共同体のメンバーとして、いかに尊敬しているか、村人全員が話し終えると、輪が崩され、その人を再び迎え入れるお祝いが始まります。 悪人というレッテルを貼られて部族から追放されたりはしない代わりに、一人一人が自分の中にある愛を思い出して、周りのすべての人と一体になるのです。 「ゆるされること」「ゆるすこと」の大きな力について、考えさせられます。 ゆるすことは、愛にあふれた行為です。 愛を感じたければ、このことは避けて通れない気がしています。 私も、自分自身、人を傷つけるようなことをしてきましたし、傷つけられた経験もあります。 人を傷つけたという罪悪感。 人から傷つけられたという怒り。 どちらも、根本は同じところからきていて、つながっている気がします。 だから、一方をゆるせれば、もう一方もゆるせる気がします。 これらの感情のしこりが、自分や人をまるごと愛することの妨げになっているように思うのです。 私に出来ることは、まず、「自分をゆるすこと」です。 「人を傷つけてきた自分をゆるすこと」です。 そして、「自分や人をゆるせない、今の自分を、ゆるすこと」です。 犯罪を犯した人は、刑務著の中で、反省文を書かされると聞いたことがあります。 反省文より、自分が過去にした素晴らしいこと、人にした親切、喜ばれた経験などを思い出して書いたり、受刑者同士で、いいところをほめあったりしたほうが、いいんではないかと思ってしまいます。 親を一度でも喜ばせたことはなかったか。 友達に一度でも、優しい言葉をかけたことなかったか。 自分のことを「素晴らしい存在なんだ」と気づいたときにはじめて、その「素晴らしい自分」に見合った行動を取るようになると思うからです。 人が自分をどう思うかということよりも、自分が自分をどう思うかの方がずっと大事です。 人は環境に左右されます。 その中でも、一番身近で大きな影響をもたらすのが、「自分」という環境なのです。 自分の間違いに寛大になり、いいところを認めてあげたいのです。 自分のいいところ、それは、本当にささやかかで、目立たないことかも知れないけれど、それをいつも意識していて、思い出していたいのです。 誰も気づかないかも知れません。 でも、他の人が大切な存在であるように、やっぱり、自分も大切な存在であることを、忘れたくないと思うのです
August 20, 2012
少し前に、テレビで、地井武男さんの追悼番組を見ました。 地井さんについては、ドラマやバラエティ番組で見かけるぐらいで、そんなに知りませんでした。 でも、番組を見て、地井さんが、俳優としてだけでなく、人として、どんなにあたたかくて素敵な人かというのを知りました。 昔、バラエティ番組で、しいたけのかぶりものをして「しいたけお」とか言われているのを見たことがあります。 そのときは、ベテランの俳優さんが、かぶりものをしているということでちょっと驚いたのですが、今思うと、本当に楽しんでいらっしゃったんだなあと思います。 番組では、「ちい散歩」という番組に出演していた地井さんの姿がとても印象的でした。 地井さんは、子供でもお年寄りでも、撮影しているカメラマンであっても、誰に対しても、分け隔てなく、親しく声をかけていくんですね。 そして、その様子は、本当に楽しそうなのです。 また、アルファルトの隙間から出ているたんぽぽ、線路で花を咲かせているたんぽぽに目をやり、心を打たれていたりします。 地井さんは、どこにでもある普通の風景や、普通の人々のなかにこんな素晴らしいものがあるのだということを視聴者に伝えようとされていました。 地井さんが今年の春、入退院を繰り返していた頃の日記というのが、紹介されていたのですが、それにも、共感しました。「あきらめない きれいな森の中を歩くこと 途中、大きな木にさわってお礼を言い 空気を吸える喜びを青空に感謝し 波の音に、世界の、宇宙の、自然の大きさを感じ その中の一点に、俺、自分が居ることを感動できるような 毎日でありたい」 私も、こんなふうになりたいと思いました。 特に、波の音に、宇宙の大きさを感じる、というところがいいなあと思いました。 前に、窪寺俊之さんという方から、こんな話を聞きました。 ある銅版画家がこんな風に言っていたそうです。「『花は美しい』と人は言うが、ほとんどの人が本当にそのものを見ていない. ものを見るということは、その花を動かしている宇宙の法則、いのちの法則を 見るということなのだ。」 窪寺さんは言います。 私たちは、表面的な現象を見ている。 本当は命の法則にこそ目を注ぐべきなのだ。 命を生み出している根源に目を注ぐのである。 そうすれば、私たちが生きているということがどんなに 素晴らしいことなのかに気づくことが出来る。 ものをみるときにその表面的なことだけしか見ていない、という話は心に残りました。 私は、人間をも含めた、命あるものを見るときに、本当に、そのものを見ているのだろうか。 赤ちゃんを見るとき、そこに命の神秘や命そのものの輝きを見ます。 けれども、大人になった人を見るとき、そういう素直な目で見ることが難しくなります。 その人が生きているということの素晴らしさに思いを寄せることなく、その人の行動や外見、言葉だけで判断したりして、いいとか悪いとか決めつけています。 同時に、自分に対しても、そうしています。 私は写真を撮るのが好きで、主に自然を撮っています。 でも、本当に、そのものの奥にあるもの、本質に思いをはせて、美しさを発見し、表現できているかなあと思うと、自信はないですね。 美術館へ絵を見によく行きますが、考えてみると、感動するのは、今にも動き出しそうな、生きている絵です。 もっと観察して、もっと、そのものを見て、写真を撮ってみたくなりました。 レイチェル・カーソンという生物学者が、「センス・オブ・ワンダー」という本を書いています。 その本の中にも、「自分たちの住んでいる地球の美しさや神秘に驚き、その奥にあるものを感じる気持ちがいかに大切であるか」が書かれています。 地井さんは、道ばたのタンポポに何を見ていたのか。 地井さんは、お年寄りにも子供にも、名の知れた人であろうと、ごく普通の人でも、心を開いて同じように接しているように見えました。 命の本当の姿が見えていたのではないかなあと思いました。 身の回りの普通の風景も、よく見ていれば、宇宙が見えてくる。 自分の周りにある自然を敬い、その美しさを見つけることは、自分や周りの人、全ての人が、どれだけ尊く大切かということを気づくことにつながるような気がしています。*************************ものを見る、ということは、その花を動かしている宇宙の法則、命の法則にこそ、目を注ぐべきなのだ。 ある銅版画家の話
August 17, 2012
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