肉食について


それほどの動物好きってわけじゃない。

猫は好きだが、

ほかの種は一緒に暮らしたことがない。

犬のこともよく知らない。

というよりまったく知らない。

だから犬は少しこわい。


さっき、職場からの帰り道、

そこだけ狭くなった歩道の真ん中で

白い犬を散歩させている老婦人がいた。


通りすがりの歩行者にしっぽを振って

私の方へも尻尾を振って寄ってきたから

思わず背中をなでさせてもらった。


犬は喜んで顔を近づけてきた。

人を信じ、安心しきっている犬だ。

背中を見ているだけで犬が安心しているのがわかる。

どの人間も信じていいとは限らないのに・・。

一億人いたら、犬が信じていい人間は

いったいどのくらいの人数だろう、などと考えていた。



猫以外の動物をそれほど知りもしないのに

いろんな動物の痛みについて考えることが多くなった。



食肉にされる豚や牛や鶏を

食べないでほしいと思うのは

そのやり方があまりにフェアじゃないから。


私たちがしていることは、残酷だ。


食べるためだけに彼らを生み出し、

生きている間に、意識のあるうちに

心臓から血を吐き出させ、

肉の部位に切り分ける。その光景を見たら、

肉を食べる人はきっと少なくなるだろう。


いや、その光景を見なくてはならないとしたら、

それだけで肉を食べたくなくなるだろう。


見ていないから食べられる。

知らないから食べられる。



動物を使った実験も同じだ。


その実験がどんなに人間にとって待ち望んでいた薬を

開発することになったとしても、

毎日痛みを与えられ、

苦しめられる動物を目の当たりにして

自分が助かるためとはいえ、

その薬をやはりほしいと思うだろうか。


痛みを知っている者だからこそ

共感できることがあるのではないか。


たとえ、苦しんでいるのが動物であっても・・。



虐待されて殺された猫が苦しんでいたのを想像できるなら、

実験動物や食肉用動物の苦しみを

思いやることができるはずだと信じている。



去年はわたしも肉を食べていた。

そして、こげんたサイトで実験動物の苦しみや

食肉にされる動物のことについての書き込みを

半ば冷ややかに見ていた。


それは仕方がないことなのではないかと。



感謝を込めて食べれば

それでいいのではないかという書き込みに

違和感を感じながらも反論はできず、共感もできず

ただそのころはもう胃が受け付けなくなっていたから

既に肉を食べることは少なくなっていたから

なるべく食べないようにすればそれでいいのではないか

くらいに思っていた。



肉を食べるのも動物で実験するのも

虐待である。



私達は食肉の過程を知らないから

実験施設の中のことを知らないから

ひと事のように通り過ぎていける。


肉を食べながら。

牛乳を飲みながら。



それらはとても高価なもので

簡単に手に入れられるものではないと思う。

彼らの持ち物なのだ。

それは私達に与えられたものではない。



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