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姓のはなし


2005年01月05日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私は女子高に進学した。

当時そこの地域はほとんど男子校、女子高にわかれるのだ。
共学なのは私学ぐらい。

中学時代にモテモテ気分を味わった私は、どうもそこで男運をすべて使い果たしてしまったのかもしれない。(爆)

女子高だったこともあり、その後は誰かを好きになったり、告白されたりということもなく、高校生活を送ることとなる。高校時代ももちろんいろいろ楽しい思いでもあるんだけど・・・・ま、ここは割愛して、話は一気に高校卒業の時期にまで移り変わる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

高校卒業の時期が近づいてくると、女の子は地元で就職したり仙台に進学するぐらいだが、男の子は進学で東京の方へ出て行く人、就職で出て行く人、などなど、地元が田舎なだけに、ほとんどの人が仙台やら関東方面に出て行くことになる。

私はちょうど親の転勤が重なり岐阜県へ戻ることになり、名古屋への就職が決まっていた。多分友達の中では一番遠くへいくことになっていたと思う。

そんな中、にわかに中学時代の友達とクラス会をやったり、飲みにいったり(あれ??まだ未成年かな??)という機会が増えた。


もう、自分たちはけっこう大人になったつもりで、お酒も飲むし、女の子はお化粧もしはじめて中学時代は目立たなかった娘がものすごい綺麗になっていたり・・・・
いろいろ、にわかにカップルができたり、そんな時期であった。

部活内の同窓会なので確か少人数だった。
そこに、哲郎君も参加していた。全くあったことがないわけではなかった。友達を含め映画を見にいったこともあったし友達関係は続いていたのだけど、ま、さすがに私も恋心はさめていて、普通に友達として接していたと思う。

その同窓会の終わりに哲郎君がこっそりと私に声をかけてきた。「話がしたいから、今度俺の家に来い。」

私たちは男女も中がよくてよく家にいったりはしていたので、別に変な気もしないで「いいよ」と気軽に返事をしたと思う。きっと、懐かしいはなしでもゆっくりしたいのかな?ぐらいに思っていた。

で、数日後哲郎君の家に遊びにいった。指定された日はなぜかバレンタインデーだった。もう、恋の期待はまったくなかったけど、ま、一応近くのお店で義理チョコを買ってもって行ったと思う。

遊びに行ってみると、哲郎君は一人だった。きっと何人か友達が来ているものとおもっていたのでちょっとびっくり。

そして、いろいろ話をしていると、なんと私はそこで告白されてしまったのだ。

実はずっと好きだったという。でも、私は名古屋に行くことが決まっていたし、哲郎君は確か千葉だったか・・?栃木だったか???そこらあたりに行くことが決まっている。

それでも、いいから付き合いたいといってきたのだ。


中学の頃にかなわなかった夢がかなう!!という思いもあったのかもしれない。

もう、車の免許ももっていたので、車でドライブしたり、家に遊びにいったりが何度かあったと思う。

しかし!!!!

付き合ってみると、哲郎君の意外な性格が浮き彫りになってきたのだ!!!!

彼はとても口うるさい奴だった。


私も一応人揃えのお化粧道具をそろえていろいろやってみたい時期であったので、これにはちょっとカチンときた。

もちろん、「パーマもかけるな」

それだけに限らず、「その服は似合わないからもう着るな」までいい始めた。

免許を取ったばかりの私に「運転をみてやる」といい、私が運転をすると、「まず、クラッチの踏み方!!!つぎにはんどる!!!」とくどくどといい始めるーー;;;;;

憧れの人とやっと付き合えるという私の淡い期待はがらがらと崩れてしまったのだ。

そんな時期に中学のクラス会やら、他のグループとの飲み会なども頻繁に行われていた。

クラス会に出席した私は、その後同じクラスだった今井君からも猛烈なアタックを受けることととなった。

今井君というのは、学級委員をしていて優等生タイプ。石巻では一番頭のいい高校へ進学していて、今は国立大学の受験が終わり結果待ちのじきであった。
合格しても、もし落ちても、東京方面に行くことになっていたと思う。

哲郎君の意外な内面をみてしまい、ちょっと幻滅していた私は、ついフラフラっと、今井君とも何回か会っていた。(罪な奴です^^;;;;)

今井君には今付き合い始めた人がいることははなしていたけど、「そいつとわかれて、俺と付き合ってくれ」とかなり積極的にアタックしてくる。

どうしようか・・・と思っていたとき、哲郎君と合っている時に哲郎君の話のなかで、彼はかなり本気であることがわかった。

彼はもう結婚まで考えていたのだ。結婚前提のつきあいを親にあいさつをしたいと言い出した。
浮かれ気分で付き合いをOKしていた私には、ちょっと重過ぎる話題であった。
それで、これは深くなる前に別れたほうがいいかも・・と思い、ちょうど今井君という存在もあって、私は哲郎君とは付き合えないと告げた。

彼はかなりショックだったようだ。理由を問い詰められたが、遠距離恋愛には自信がないということだけいったと思う。今井君の事はもちろん言わなかった。

かなりショック状態だった彼はそのまま、千葉だか、栃木だかに旅立っていった。駅まで見送りにいったけど、涙ぐんでたな~~~。^^;;;;;

中学の甘酸っぱい思い出はやっぱりそのままのほうが良かったのかもしれないね。

そして、私も岐阜へ引っ越す時がきた。時々今井君とは会っていたが、彼は別にまた会おうともいわずにあっさりとわかれることとなる。

岐阜に引っ越してからも、何度かは今井君の家に電話をかけたが、彼から電話がくることはなかった。
(やつめ、ただの気まぐれだった様だ!!!)

その後、岐阜の家にも哲郎君からは時々でんわがあった。
なれない土地でひとりでがんばっている哲郎君にはなぐさめがほしかったようだ。
電話があれば一応話はする。落ち込んでいるようなら励ましてあげたりはしていた。

そんな時期に私は以前日記にも書いたと思うけど、ある訓練所に入部することになったのだ。
ここはとても厳しいところで実家への連絡もとってはいけないという規則がある。もちろん恋愛なんてご法度。友人とも気軽に連絡が取れない。

引っ越してからも女友達とも手紙のやり取りをしていたのだが、私のこの入部をきっかけに私は音信不通となってしまったのだ。

母がいっていたけど、私が家を出てからも哲郎君は時々電話をかけてきていたようだった。
「連絡がとれません」とだけ母は答えたようだ。それで、そのうち電話もこなくなる。

今になってみると、ちゃんとした付き合いはなかったけど、私が一番好きだったのも哲郎君だし、私のことを一番好きでいてくれたのも哲郎君だったのではないだろうか。
そんなふうに思うようになっていた。

彼は高校のとき私が中田君と付き合っていたことも知っていたし、私がどうやって高校時代をすごしたかも詳しく知っていた!!!!
今井君のことは話さなかったけど、狭い町のことだ。あとできっと耳に入っただろう。
私はかなり彼を傷つけてしまったかもしれない。そんな思いもあった。

仕事を始めた私は忙しすぎて、もう昔の友達とれんらくをとることもなくなってしまった。女友達から「結婚するから出席して」とれんらくがあっても、とても出席できず・・・お祝いだけ贈るのが精一杯だった。

そしてだんだん年賀状も途絶えてしまったのだ。

30歳のときに私は結婚することになり、その仕事を退職することになった。
結婚することは何人かの友達に知らせたくて、昔知っていた住所にはがきをおくったが全部あて先不明でかえってきた。

私はまったく誰とも連絡を取れない状態になっていたのだ。
実家もその後引越しをしたので。あちらからも住所をさがせなくなていたようだ。

今になって中学校時代や高校時代というのはやっぱり自分にとっても懐かしい思い出である。
そして、一番思い出すのはやっぱり哲郎君のことなのだ。
もちろん、今になって恋心があるわけけではないけど・・どうしてるのかな~~?
結婚して子供ができたらきっといいお父さんになってるだろうな~~ぐらいは思っていた。

そんな今になって、同窓会の案内が自分のところに舞い込んできたのである。

もちろん、合いたい女友達もたくさんいた。でも、男の子でちょっとあってみたかったのは、中田君でもなく、今井君でもなく、哲郎君であったのだ。

同窓会に行ってみると懐かしい顔があふれていた。会いたいと思っていた女友達はきていなかった。
ま、連絡先はきいたので、これから連絡は取ってみたいと思っている。

今井君は来ていた!!!でも、なんとなく照れくさくて私からははなしかけなかった。彼も声はかけてこなかった。
あの時一浪はしたが、その後大学に進学して今は仙台で学校の先生になっているのだそうだ。

哲郎君の姿は見えなかった。(来てないんだね・・・)ぐらいに思って楽しく参加していたわけだ。

途中で盛り上がると、○○組集合!!!!と声が上がり、クラスごとで写真を撮る。
次に、○○部集合!!!!!と声があがり、部活ごとでも写真をとった。

吹奏楽部集合!!!の声があがり、みんなが集まってポーズをとっているときに、一人の女の子がつぶやいた。
「あ~~ここに哲郎がいたらいいのにね」
すると、他の子がその子をつっついていた。誰もその話題をそれ以上は続けなかった。

2次会で飲んでいるときに私のとなりにある男性が座ってきた。哲郎君ととても仲がよかった子だ。(内藤君ではない)
そいつが私をみるなり「おまえ、1・5倍になってるからわからなかったじゃないか!!」と、どついてきた奴である。

ま、そいつは3倍になってたけどね。(爆)

そいつとは、好きだとかそんな話はまったくなく、本当の男友達だったので気軽に話せる。いろいろ話していると、そのうち哲郎君の話になってきた。

その時、私はもっていたグラスを落としそうになった。

彼は亡くなっていたのである。

32歳の若さだったそうだ。

そういえば、彼は中学に入ったときは陸上部だったそうだ。その練習中に心臓発作を起こして倒れたことがあるらしい。
それで、運動はできなくなって吹奏楽部にかわったときいたことがあった。

彼は一生懸命働いて、結婚もしたそうだ。子供も2人できて
幸せだったそうだ。

その日、子供二人と寝た哲郎君は次の朝になってもおきてこなくて、奥さんが起こしにいいくと、子供の横で安らかに眠っていたそうだ。

きっといいお父さんにちがいなかっただろう。奥さんのことも大事にしていたんだろう・・・
32歳の若さで突然子供と奥さんをのこして逝かなければいけなかった哲郎君。きっと残念だっただろう・・・・

これが、今回楽しいなかでとても自分にとってはショッキングなことだった。

私は全く知らなかったのだ。

それと同時に中学の思い出が哲郎君でいっぱいだったことにあらためて気がついたのだった。

帰りの高速バスの中でも哲郎君のことばかりが思い出された。
それで、どうしても書き留めておきたくて、今回の日記となったのである。

この日記を私からの哲郎君の追悼として、哲郎君に捧げたいと思う。





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最終更新日  2005年01月05日 21時27分47秒
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