今日も他人事

今日も他人事

艦これSS「鎮守府の春」



遠い先を眺めていた。
遮る物は何もない。何処までも海原が続いているだけだ。
水平線の先。その向こう側に何があるのか。海は何も応えてはくれない。
果てなどない。ただ、ひたすら進みつづけろ。そう言われている様な気がした。



「提督」

聞き慣れた呼び声。扶桑の顔がすぐ間近にある。
先程まで目の前に広がっていた水平線はどこにもない。
ここはどこなのだ。執務室ではない。野外だった。
少しの間を置き、提督は鎮守府に植えられた桜の木の下にいたことを思い出した。

「お昼寝中だったかしら」
「みたいだ。なんだい?」
「何って、そろそろドイツからの派遣艦隊が到着する頃ですよ」
「あぁ、もうそんな時間か」

腕時計に視線を落とす。もう昼休みも終わりかけだった。

「油断したなあ」
「駄目ですよ、提督。初対面の相手を待たせたりしては」
「そうだな。すまん。どうも春先で気が緩んでいるみたいだ。
 赤城の言う通り、慢心はよくないな」

苦笑しながら、提督は立ち上がり、服に付いた草を払い落とした。

「さてと、お客さんが到着する前に執務室に戻ろうか」
「はい」

執務室に向かう途中には桜並木がある。
桜の花びらが無数に舞っている光景はどこか幻想的だった。
日差しが温かい。冬場とは違う緩やかな風が頬を撫でる。それが妙に心地良かった。
春が好きだった。夏のギラギラとした荒々しさも、秋の寂しげな切なさも、冬の厳しい冷たさもない。春は穏やかで、緩やかだ。
隣でクスクスと可笑しそうに扶桑が笑った。

「どうした?」
「いえ、提督がとても嬉しそうな表情をしていたから」
「俺が?」
「はい、目を輝かせて。まるで子供の様」
「恥ずかしい所を見られたなぁ、それは」
「そういう可愛い所も好きですよ、私」

扶桑の可愛いという言葉に、提督は赤面したまま俯いた。
桜並木を通り過ぎると、すぐに本営が置かれている場所に出る。
執務室に戻った提督は、溜まっていた書類の片づけに没頭した。
30分程経った頃、ドイツから派遣されてきた艦娘達が執務室に入って来た。

「ビスマルク型戦艦ビスマルクよ」
「大型駆逐艦、レーベレヒト・マースです」
「着任を許可する。まずは楽にしてくれ」

提督の奨めを受けて、二人はソファに腰を下ろした。
長身の豊かな金髪を靡かせた碧眼の美女がビスマルク。
その横に座っているレーベレヒトは小柄で短髪、一見すると少年としか思えない。
ビスマルクとは対照的に柔和な表情を浮かべ、優しげな感じがした。
最初に交わらされた会話は、互いの国家の戦況確認についてである。
ビスマルク達の話によると、日本程ではないが、ドイツも深海棲艦の出没に手を焼いているようだ。
その状況で戦艦と駆逐艦を一隻ずつ日本へ送ってもらうために、鎮守府からも資源を提供している。
次の作戦用の蓄えを大量に放出することになったが、龍田たち護衛艦隊の働きでもそれも徐々に回復している。

「さて、これからの編成のことだが」

提督は扶桑から差し出された書類を二人の前に並べた。

「ビスマルクにはいずれ突撃艦隊の一翼を担って欲しいと考えている。
 ただ、まだ、日本に着任したばかりで、慣れないことも多いだろう。
 そこで、正式な配属先が決まるまで頼みたいことがある」
「何かしら?」
「先だって鎮守府に配属された艦娘だけを集めた艦隊を作り上げた。
 これを指揮して、新米達に艦隊としての戦い方を一通り教えて欲しいんだ」
「つまり、私に調練を為せ、と言っているのね」
「頼む」

調練と一言に言っても、具体的なやり方は嚮導艦次第である。
ビスマルクが歴戦の艦娘であることは知っているが、その力量を図るのに新兵の調練は都合が良かった。

「いいわ。この私に任せておきなさい。提督の想像以上の精兵に鍛えてあげる」
「よろしく頼む」
「あの、提督。僕はどうすればいいんでしょうか?」
「レーベレヒトには護衛艦隊に所属して貰う予定だ。
 何しろ人手が足りなくてね。シーレーンの防衛を頼みたい」
「ビスマルクとは別の艦隊に配属なんですね」
「すまんな」
「いえ、命令ですから」

レーベレヒトが首を横に振る。その肩をぽんとビスマルクが叩いた。

「大丈夫よ、別に二度と会えなくなる訳じゃないわ。そうでしょ、提督?」
「ああ、勿論だ。勤務シフトは異なるが、寮も同じだし、会う機会は少くないと思うぞ」
「ほら、提督もこう言っているもの。
 寂しくなったら、いつでも部屋に会いに来ていいのよ」
「Danke、ビスマルク」

嬉しそうにレーベレヒトが笑い返す。
まるで姉妹みたいだ、と二人のやり取りを提督が眺めていると、再び、ドアがノックされた。

「提督、金剛デース。龍田も一緒ですけど、入っても大丈夫デスカー?」
「ああ、ちょうど、今、話してた所だ。入ってくれ」
「失礼しマース」

入って来た金剛と龍田にビスマルクとレーベレヒトが敬礼する。

「金剛と龍田だ。金剛が突撃艦隊を、龍田が護衛艦隊をそれぞれ統括している」
「貴女がビスマルクデスネー?よろしくお願いしマース」
「よろしく。良かったら後で演習に付き合って貰えないかしら。
 日本の高速戦艦の力、ぜひ見せて欲しいわ」
「Oh,ビスマルクはチャレンジャーですね。構いませんよ、いつでもお相手しマース」
「私が龍田だよ。貴女がレーベレヒトちゃんね?」
「はい、よろしくお願いします」
「これからよろしくね。仲良くしましょう」
「細かい所は各自で話し合って決めてくれ。金剛、龍田、二人の世話を頼むぞ」

提督の言葉に、金剛と龍田が頷き返す。それから二人を連れて部屋を出た。
それを見届けてから、提督はどかっとソファに座りこんだ。
すっと扶桑がお茶を差し出してくる。

「お疲れ様です、提督」
「ありがとう、扶桑」

出されたお茶を啜る。それから大きく息を吐いた。

「緊張したな。他国の使者に会うなど初めての経験だ」
「そうでしたか」
「あまり人と話すのも得意じゃないからな」

得意と言うより好きではなかった。
人と対して喋っていると、どこかで身構えてしまう所が自分にはある。
それが苦痛で、研究職につこうとしていたのが、中々、人生とは思う様にいかない。
本当は戦も苦手だった。
春の日差しの中で、書物を読みながら、ぼんやりとしている方が好きなのだ。
それが軍に入り、鎮守府に配属され、艦娘達を率いて深海棲艦と戦うことになったのは巡り合わせとしか言い様がなかった。
仕事である。仕事である以上、責務は果たさなければならない。
本当は戦が怖かった。戦場に立つ自分の姿を考えると、思わず身震いしてしまう。
情けない。しかし、それが現実だった。銃声や砲撃音には今でも馴染めずにいる。
艦娘の指揮を執る限り、戦場に立つことはないが、前線に向かう艦娘の姿を見るたびに、胸を後ろめたさが過った。

戦人ではないという自覚は痛い程に感じている。
戦場での果敢さも、臨機応変の機知も持ち合わせていない。
あるのはただ、頭に詰まっている古今の軍学だけだ。
そんな自分がこのまま采配を振るっていてよいのか。
その思いはいつも胸の中に残り続けている。
どこかに陥穽がある。危機に陥った時、自分は対処することができるのか。

「提督」

顔を上げると、隣で扶桑が困ったような表情を浮かべていた。

「また、悩み事?」
「ああ」
「あまり、悩んでばかりいても仕方ありませんよ、提督」
「すまん」

苦笑しながら、飲みかけのお茶を啜る。胸が少し温まった。

「俺は悩み過ぎなのかな、扶桑?」
「そうね。要らないことまで悩み過ぎていることはあるかしら」
「要らないことまで、か」
「まぁ、最初から悩まない人よりは好ましいのだけれど」

扶桑は耳に掛かった髪をかきあげた。

「少なくとも、提督はやれることはやっていると思うわ。
 皆、今は次の敵の侵攻に備える為に戦力の充実と資源の備蓄が急務であることを理解して、積極的に自分達の職務に励んでいる。
 その証拠に、新型艦載機の開発も新造艦の調練も順調に進んでいるもの」
「扶桑にそう言ってもらえると嬉しいが」
「もしかして、自分が提督に相応しいか悩んでいるの?」
「ああ」
「でも、それはいくら考えても仕方のないことじゃないかしら」
「ふむ」
「私も大型戦艦として、相応しくないのではないかとずっと思い悩んでいたから。
 いつ、お払い箱になるんだろうって」

提督は何も言えず、無言でお茶を啜った。

「それでも今はこうして航空戦艦になり、提督の秘書艦も任されている。
 結局、自分にできることを与えられた立場で頑張るしかないと思うの。
 それを私に教えてくれたのは提督ご自身なんですよ?」
「そう、だったのか」
「でも、いつか、提督が鎮守府を去るのなら」

すっと扶桑の手が提督の手に重ねられる。その柔らかな感触に思わずどきりとした。

「その時は私も、一緒に連れていってくださいね?」

扶桑に見つめられて、提督は自分の顔が赤くなるのがはっきりと分かった。
恥ずかしくなって俯き、それから小さな声で、ああ、と呟いた。

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