今日も他人事

今日も他人事

艦これSS「予感」



今、見ているのは夢か、それとも現実か。何度もそんな思いに囚われ、戸惑った。

暗闇。雷鳴。炎上する船。血飛沫。人。人。人。

もやがかかったようにおぼろげなくせに、それだけは嫌というほどはっきりと分かった。

扶桑は上体だけ起こし、首筋の汗を手のひらで拭った。

冷たく不快な汗だった。

もう11月だ。汗をかくような季節でもない。

何か心配しなければならないことがあるのか、とも思ったが、何も思い浮かばなかった。

隣では提督がいつもと同じように寝息を立てている。

扶桑は眠っている提督の横顔を静かに見つめた。

それから、音を立てないようにそっと床を抜け出した。


・・・


「ふう」

扶桑が小さく息を吐くと、白く染まった吐息が闇に浮かび上がった。

まだ夜明け前である。人気はほとんどない。波の音が静かにざわめいているだけだ。

ただ、鎮守府内はあちこちに灯りが備えられ、夜でも歩き回れるようになっている。

扶桑は桟橋まで出向き、じっと暗い海面を見つめていた。

秋も深まり、季節は冬に近づいている。


この鎮守府で冬を迎えるのは何度目だろうか、とふと思った。三度目、いや四度目か。

この鎮守府に配属されたのも冬だった、と扶桑は気づいた。一年目の冬だ。

今では艦娘の数も140隻にも達し、遠く離れた欧州まで艦隊を派遣できるほどだが、
当時はまだ本土近海の制海権を取り返したばかりで、艦娘の数も少なく、組織の規模も小さかった。

装備や兵術の開発も進んでおらず、皆、ただ必死になって戦い続けたという気がする。

そうやって戦いの日々を送りながらも、いつか自分は不要となって切り捨てられるのだろうとどこかで思っていた。

扶桑型は欠陥戦艦。

そう扱われることに憤りと諦念を同時に抱いてもいた。

何時の頃からか提督に重用されるようになった。少なくとも、扶桑はそう感じていた。

航空戦艦としてはもっと高性能な日向、段違いの火力と防御力を有する長門が配属されたが、扶桑は変わらず第一線で戦い続けた。

時には秘書艦として提督の側で軍務を補佐したりもした。

そして、ある時、妻になってほしいと提督から求婚された。

そう告げた時の提督の顔、声。そして扶桑自身の胸の高鳴りは今でもはっきりと覚えている。

提督は優しかった。男らしく、優しかった。


立場上、指揮官と部下の間柄だったが、時折見せてくれるその優しさが嬉しかった。


その優しさを感じる度、扶桑の心は温かくなる。

そして、二人だけの時は扶桑のことを誰よりも愛してくれる。抱き締めてくれる。

幸福だと思う。これほど幸福であっていいのか、とも思う。

こんな幸せがいつまでも続くはずがない、という思いがどうしても首をもたげてくる。


そう思い続けて、しかし三年の月日が流れていた。

いつの間にか、その幸福を当たり前のように受け止めている自分に気づき、驚きもした。

――夢でもいい。
  ただ、覚めないで欲しい。
  この幸福な夢をずっと見続けていたいから。

「……扶桑?」

聴き慣れた少女の声が扶桑の思考を現実に引き戻した。

「時雨」
「珍しいね。こんな時間にこんな場所で」

不思議そうに時雨は小首をかしげている。

言われてみると、何故だろうと扶桑は思った。

寝つけなかった。冷たい空気に当たりたかった。

本当はそのどれでもないような気がする。

扶桑は頭を振った。

「さぁ、何故かしら……そういう時雨は?どうして、ここに?」
「うーん、そうだね、なんて言ったらいいのかな。
 なんとなく、ここに来たら誰かに会えるような気がしたんだ」
「ふふ、なにそれ」
「おかしいよね。でも、来てよかったよ。こうして、扶桑に会えたんだから」

時雨は嬉しそうに笑みを浮かべ、扶桑の隣に腰を下ろした。

「こうしてゆっくり話すのも久しぶりだね」
「そう、だったかしら?」
「うん、扶桑は提督のお世話もあるから仕方ないよ。
 山城や満潮とはよく合うけどね」
「そうなの」
「山城が寂しがってたよ。扶桑が提督ばかり気にして、自分に構ってくれないってね」
「まぁ」
「山城は扶桑が一番好きだからね。提督に取られたって今でも根に持ってるんじゃないかな」

扶桑は思わず苦笑した。時雨にそう愚痴をこぼす山城の姿が目に浮かぶようだった。

「……ねぇ、扶桑」
「なぁに?」
「今、幸せ?」

思わず、時雨の横顔を見つめた。時雨の視線はまだ暗い海面に向けられている。

「ええ、幸せよ」

心の底からそう思う。立派な旦那、愛しい妹、可愛げのある後輩たち。十分過ぎるほどだ。

良かった、と時雨は笑みを浮かべて頷いた。

「今度は僕が守るよ」
「え?」
「扶桑も、山城も。西村艦隊の皆も。絶対に傷つけさせたりしない」

そう告げる時雨の声には強い決意の色が滲んでいた。

「珍しいわね、時雨がそんなことを言うなんて」
「うん。そうだよね。僕もそう思う。
 ……でも、どうしてかな。
 今、言わないといけない気がしたんだ」

何故、とは問わなかった。

時雨も何かを感じているのかもしれない。

自分と同じように。だから、ここへやって来た。

「ありがとう、時雨」

時雨の強く握りしめた手を扶桑は両手で包んだ。

「大丈夫よ。今度はあなたをひとりにしたりしないわ」

扶桑が言うと、時雨は弾かれたように顔を上げた。

「ね?」

扶桑が微笑みかける。

「―――そっか。うん。それは、嬉しいな」

そう答える時雨の声はどこか少し震えていて。

扶桑はもう一度、海に目をやった。

真っ暗だった海も徐々に蒼く変わってきている。夜が明けようとしている。

何かが近づいている。そんな気がする。

それは懐かしくもあり、同時に恐ろしくもある。

しかし、それを待ち望んでいるような自分もどこかにいる。

様々な感情が入り混じり、胸がざわつく。

―――時が。

来ているのかもしれない、と扶桑は思った。

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