二、水之巻
「兵法の道において、心の持ちやうは、常の心に替わる事なかれ。」
いわゆる平常心である。ここでは二つの教えを汲み取りたい。一つは、私事など仕事以外のことで何か心が動揺するようなことがあっても、ことビジネスにおいては平常心を保つよう務めるべきである、という点。
もう一つは、やれチャンスだと言って必要以上に勇んだり、失敗しそうだと言ってあわてたりせず、冷静に判断し対処することが重要である、という点である。そうすることによって、チャンスは確実にモノにし、ピンチをチャンスに変える事ができる。
「総じて兵法の身において、常の身を兵法の身とし、兵法の身をつねの身とする事肝要也。」
前項につづいて平常心についての解説だが、ここでは逆に、仕事を離れた場合の心得として捉えたい。つまり、武士が片時も兵法を忘れないように、ビジネスマンは常に仕事のことを考えられる姿勢でなくてはならない、ということである。
ただ、バカ正直に仕事のことをずっと考えているのではなく、例え休日であろうが深夜であろうが、事があれば対応できる心構えが重要なのである。
「観見二つの事、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。」
いわゆる「マクロの目」と「ミクロの目」についての解説である。マクロで捉えて、ミクロで考える。
「敵のきる太刀を受くる、はる、あたる、ねばる、さはるなどといふ事あれども、みな敵をきる縁なりと心得べし。」
相手の刀を受けるという行為も、全ては相手を斬るためのものだという。受けること自体を目的と思っていると、たとえうまく受けても相手を斬れるものではない。
大きなプロジェクトを進めているときなど、一つの工程で良い成果物を作ることが目的のように勘違いしてしまうこともありがちである。プロジェクトそのものの成功が目的なのを忘れてはならない。
「けふはきのふの我にかち、あすは下手にかちA後は上手に勝つとおもひ、…(中略)…千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす。」
常に一歩前進したいという意欲、そしてそのための努力を継続する意思、この二つがあってはじめて精進となる。
三、火之巻
「三つの先、一つは我方より敵へかかるせん、けんの先といふ也。亦一つは敵より我方へかかる時の先、是はたいの先といふ也。又一つは我もかかり、敵もかかりあふ時の先、対対の先といふ。」
先手を取るための方法論を説いている。待って取る先手もあるのだが、いずれの場合にもそれまでの攻めが効いていることが条件となる。
いざというときに先手を取るためには、日頃のコンタクトの仕方・攻め方、つまりいかに周囲の状況に気を配り情報を収集しているかがポイントとなる。
「敵のうつといふ「うつ」の「う」の字のかしらをおさへて、跡をさせざる心、これ枕をおさゆる心也。」
競争相手に対しては、情報収集、提案など、常に先んじる。落とそうとしているターゲットに対しては、相手の考えていることを読み、先手を打って行動を起こす。
上司などに対しても、例えば「何か言ってきそうだな」と思ったら前もって準備することで、優位に立つことができる。いずれの場合にも、普段から相手の次の動きを知り得るだけの情報を入手することが重要であり、先手を取ろうという気持ちを持ち続けていることで自然と情報は集まるものである。
「人の世を渡るにも、一大事にかけて渡をこすと思ふ心有るべし。」
物事の一連の流れの中で、勝負どころ、キーポイントは必ずある。今がその時と思えば、全力で当たるべきである。勝負どころでほぼ全力を出し切ってしまったとしても、そこを越せばあとは楽になり、勝利への道は開ける。
「敵のながれをわきまへ、相手の人柄を見うけ、人のつよきよわき所を見つけ、敵の気色にちがふ事をしかけ、敵のめりかりを知り、その間の拍子をよくしりて、先をしかくる所肝要也。」
敵のながれとは、相対する敵の流派のことである。たとえばコンペなら、相手企業のグループや企業閥などの情報を頭に入れ、案件の背後関係を調べつくすことで、勝ちに近づくのである。
「敵になりて思ふべし。」
言うまでもなく、相手の立場に立って考えることは重要である。ここでいう相手とは、ビジネス上の敵・味方の両方と考えたい。
「何とも敵の位の見わけざる時は、我方よりつよくしかくるやうに見せて、敵の手だてを見るもの也。」
相手から情報を引き出すテクニックとして考えたい。話が膠着したような場合、場の雰囲気を察した上で様々な手を使い、相手の意表をついて本音を語らせる。あるいは、意表をつかれた瞬間に相手が見せた本音の表情を読み取るのである。
「うつらかすといふは、物毎にあるもの也。」
お互いの気分が伝染するということを解説してある。相手が「まだ先の話だから」とのんびり構えていると、こちらもあわてずに構えて機を失することもある。
逆にこちらが「早急に進めるべきである」と切羽詰った様子を見せると、相手にも急ぐ気持ちが伝染し、早期決着にこぎつけることができる。何より、相手のペースで進めてしまってはいけない。
「一度にてもちひずば、今一つもせきかけて、其利に及ばず。」
一度試してうまくいかなかった方法は、再度チャレンジしても通用しない可能性が高い。常に状況を把握し、新たな手を打つことが必要である。
ビジネス活動の中で、だめだと思いながら同じことを繰り返す膠着状態に陥ることも少なくない。この言葉を思い出して、客観的な見地から状況を捉え、頭を切り替えたいものである。
四、風之巻
この巻は他流派との比較検討論(と言うより他流派の批判)である。この巻では書かれた内容そのものよりも、むしろ比較検討資料を作成しているという事実に学ぶべき点がある。
しかも、当然ながら結果的に自流派の宣伝になっているのである。武蔵がこの巻で一貫して用いている目立つ手法は以下の2つである。
①自流派に有利な視点からだけ取り上げている。
②他流派を取り上げる際に、固有名詞はいっさい出していない。このことによって、他派の反論を巧みにかわすことができると同時に、この資料を用いてプレゼンを行った場合の質疑応答にも柔軟に対応できる。
このノウハウは、我々が取り扱う商品・サービスに当てはめてみても充分に役立つ。
抜粋は、二文のみとした。
「人に先をしかけられたる時と、我人にしかくる時は、一倍もかはる心也。」
構えの重要性を説く流派を批判して、先手を取ることの重要性を述べたものである。相手から依頼を受けて始めるのと、こちらから提案して動くのとでは成功の可能性も生産性も大きく違ってくる。
もちろん、先手を取るためには、それまでの日常の業務の中でいかに「攻めて」いるか(周囲のニーズを捉える動きをしているか)がポイントである。
「兵法のはやきといふ所、まことの道にあらず。はやきといふ事は、物毎に拍子の間にあはざるによって、はやきおそきといふ心也。」
剣使いの速さだけを求める流派を批判したものである。仕事の各ステージのタイミングの取り方に対する教えと考えることができよう。
先方(敵も見方も含めて)の考えていることを知り、早くも遅くもなく、時に応じて相手の望む対応をしなくてはならない。
五、空之巻
既述の通り、この巻は、精神論に終始した内容であり、500字余りの短い巻である。抜粋は、下記の一文だけとした。
「おのれおのれはたしかなる道と思ひ、よき事と思へども、心の直道よりして、世の大かねにはせて見る時は、其の身其の身の心のひいき、其の目其の目のひづみによって、まことの道にはそむく物也。」
正しい道を求める姿勢を忘れてはいけない。勝つためとは言え何をしても良いという訳ではなく、道に外れていないか、常に考慮すべきである。
ビジネスにおいても、仕事がうまくいけばそれで良いというものではなく、常に、目先にある仕事がどのような社会的使命を担っているのか、考えていなければならない。