



日頃はその寂しさを忘れている。どんな寂しさかはその人でしか分からないが、誰もそのすべてを引き受けることはできない。そして、自分を過信しないことだ。まだ試してもいない現実を侮ってはならない。そのために死ぬかも知れない。それでも死はタブーではない。それを隠そうとして躍起になっているのは悪意があるからだろう。身の回りのものが死んで行き、やがて自分の番がくる。それは諦めることではない。それは「明日」のようなものだろう。誰も明日が来ることを止められない。
・「時代が変わる」と言い続けてきたが、何も変わらない自分がいる。その時代にすぐ馴染んでしまうからだろう。そして、新しさが、すぐに古くなり、また「時代が変わる」というものが出てくる。新陳代謝のようなもんだろう。それは間違っていない。時には減数分裂もある。いつまでも新鮮ではいられない。そこに価値を求めてはならない。残ろうとするからだろう。「輪廻転生」を断ち切ることが「悟り」だと仏陀はいう。判らないことをいうべきではない。目論見でものを言っているものは必ず破綻するだろう。
・へ2・・・いっていることとしていることが矛盾しがちなのは理由がある。意識と無意識の世界があり、現実が目まぐるしく変化しているから起きる。孤独な脳は、他と繋がらないから起きる。寂しさはどこから来るのだろうか、それはネットのない星間宇宙のドットのようでもある。