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きょう初めて和田岬線を利用しました。和田岬線は山陽本線の支線で兵庫駅から和田岬駅までの通称です。中間駅はなく2.7キロしかない超ミニ路線で、専用の103系6連で両駅間のピストン輸送を行っています。運行は画像の時刻表の通り朝夕のみで、休日は朝夕1往復ずつしかありません。以前は旧型客車やキハ35系で運転されていましたが、平成13年に電化され現在に至っています。駅前には神戸市営地下鉄海岸線の和田岬駅がありますが、和田岬線の特殊性ゆえ、直接競合にはなっていないようです。【メインページ】JR学研都市線のページ←よければクリックお願いします。
2006/09/27
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場所は同志社大学新町校舎の東側。学生時代、サークルのあと夕食をとるために先輩後輩と何度となく通った思い出のお店です。揚げ物中心でボリュームがあり、安くおいしいので自然と足が向きました。画像はから揚げとコロッケ2種の盛り合わせ「カラコロ定食」でジューシーなから揚げと香ばしいコロッケの組み合わせがたまりません。これで税込¥630.-は安い!メニューは豊富で数えたことはありませんが数十種類あります。きょうも大盛りのご飯と一緒に、すべて平らげてしまいました【メインページ】JR学研都市線のページ←よければクリックお願いします。
2006/09/26
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321系の登場により201系より早く京阪神緩行線から撤退してしまった205系です。国鉄末期の昭和61年に投入され今年初めまでの約20年間走っていました。今では阪和線に集められ元々配置されていたオリジナルの1000番台とともに活躍しています。201系よりちょっとだけやわらかい乗り心地が好きだったのですが、編成数4本と少なく偶然乗車できたときはうれしかったものです。【メインページ】JR学研都市線のページ←よければクリックお願いします。
2006/09/25
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平成15年9月に雷鳥からは画像のボンネット型クハ481は撤退しました。現在、大阪方先頭車はグリーン先頭車で統一されており、列車によってはパノラマ車輌(サロ489-1000、サロ481からの先頭車改造車クロ481-2000)となっています。その雷鳥自体も、サンダーバードへの整理統合により消滅が噂されています。485系は古い車輌ですが、さすがに国鉄特急型だけあって乗り心地はなかなかのものです。機会があればぜひ乗っておきたいものです。【メインページ】JR学研都市線のページ←よければクリックお願いします。
2006/09/24
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西木津(にしきづ)駅所在地:京都府相楽郡木津町相楽小字川ノ尻55位置:起点より2.2km開業:明治27年12月1日駅形態:1面1線接続:なし停車:全列車『JR学研都市線全駅紹介』第二回目は「西木津(にしきづ)駅」です。平成元年の電化時に木津寄りに移設され現在の位置となりました。1面1線の実に簡単なつくりは、三山木・大住の改装後はここが学研都市線最小設備の駅となっています。駅舎はなくアーチ型の雨よけの中にイコカ対応簡易改札に時刻表や券売機等があるのみです。周辺は住宅地と田畑が混在した静かなところで、通勤通学客が主な利用者だと思われます。次回は「祝園(ほうその)駅」を紹介します。【メインページ】JR学研都市線のページ←よければクリックお願いします。
2006/09/23
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完全に過去ネタとなるもの時間の問題となってきました。画像の編成も体質改善を行いオレンジ色となって大阪環状線を走っています。長い直線を爆走する201系が思い出になる日も遠くありません。【メインページ】JR学研都市線のページ←よければクリックお願いします。
2006/09/22
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最大300輌超を誇った国鉄を代表するEF65の貨物専用機、いわゆる『一般型』です。以前は東海道・山陽筋ならどこででも見られたのですが、EF210の増備により急速に数を減らし、画像の98号機もすでに引退しています。昨年秋のJR貨物広島工場一般公開では姿があったようですが、いまはどうなっているのでしょう。JRに引き継がれず消えていった仲間もいる中、最後まで原色のままでいられた同機は幸運なカマなのかもしれません。【メインページ】JR学研都市線のページ←よければクリックお願いします。
2006/09/21
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東京基準で16日発から18日着の運用に引き続き、19日発から21日着までの運用にも1118号機が入りました。画像は前々回同様、上りを新大阪で捉えたものです。かわり映えしない画像ですが…【メインページ】JR学研都市線のページ
2006/09/20
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1974年製の湖西線用の寒地向け仕様車です。現在は高速化改造され5700番台となっています。画像はクハ111-700番台のトップナンバー5701です。【メインページ】JR学研都市線のページ
2006/09/19
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実は15日から18日まで台湾(台北)旅行をしてきました。詳細は後日ブログに載せていきますので、ご期待ください。画像は…行った人は分かりますよね?【メインページ】JR学研都市線のページ
2006/09/19
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【メインページ】JR学研都市線のページ←よければクリックお願いします。すっかり天気は回復し、時折降り注ぐ直射日光が南国を感じさせます。朝食や身支度ののち、荷物をすべてまとめてバスへ。まず、ホテル近くの忠烈祠へ行き、守衛の交代式を見学することに。鉄兜をかぶった守衛は汗だくですが、まばたき以外は禁止とのこと。観光客が取り巻く中で見せ物になっていました。その様子をビデオ・デジカメで撮影していると、ファインダー越しに誰かの手が守衛の腕をわしづかみするのが見えましたよりによってその手の主は義母さんぎょっとした次の瞬間、腕をつかまれた守衛は、銃剣を自分が乗っていた台座に叩き付け、その手を振り払っていましたあれだけ触れたらいけないって注意を受けていたのに…守衛の怒りぶりを見て、娘は号泣義母さんの天然ぶりは理解していたつもりですが、世が世なら逮捕されてたんじゃないかと、いまでもヒヤヒヤします。次は龍山寺へ。無料でおみくじを引けるのですが、木片でつくられた赤い貝のようなものを投げ、おみくじを引いてよいか、どのおみくじを引くのかを神様に問いかけるという方法です。運良くおみくじが引け、結果は「吉」。日本のおみくじに近い雰囲気の書き方でしたが、まったく内容は読み取れず。台湾の人は信心深いとのことで、健康や学業・商売等さまざまな神様が祀られ、参拝客でごった返していました。最後の観光は中正祈念堂です。バスで総統府前を通り到着しました。とても広い敷地に巨大な建物があり、その中に蒋介石のこれまた巨大な像。ちょうどその守衛の交代式も見学できました。日本の戦中派の方々を中心に「蒋介石神話」なるものがまかり通っているようですが、真実は本省人を虐げ続けた独裁者であり、日本人にとっては略奪者でした。終戦時に「以徳報怨」なる伝説で日本兵を中国大陸から無事帰還させてくれたと言われていますが、実際は国民党と内戦をしていた中国共産党に残留日本軍が寝返らないよう追っ払いたかっただけでした。また、台湾に在住の日本人に対しては終戦の引き揚げ時に現金1,000円と身の回りのものだけの携帯を許し、住居・預金等その他財産はすべて没収。これらにより国民党は世界一の金持ち政党となりました。このように本省人や日本人から巻き上げた財産によってこのような自己中心的な施設をつくったのだと思うと、見学しながらはらわたが煮えくり返る思いでした。中正祈念堂を見学したあとは昼食へ。丸林魯肉飯で魯肉飯などの料理を食べましたが、ここでも量が多く、かなり残してしまいました。さまざまな種類の料理が出たのですが、素朴で心躍らされるようなものはありませんでした。娘も食べたいものがなく(当然ですが…)、駄々をこねだしたので店を飛び出し、コンビニでおにぎりを買うことに。ところが見渡してもそれらしいものが全くない!一か八か店の裏通りに探しに行くと交差点から見通せる範囲に4軒もコンビニが!?それも3軒はファミリーマート。もうちょっと考えて出展して欲しい…無事おにぎりを入手して与えるも全く食べず。2歳児ですから仕方ないですね。店で落ち着いて見渡すと隣のテーブルでは日本統治時代に青春を過ごした多桑(トーサン)世代の方々が楽しそうに食事をされていました。遠目で見ているだけでしたがホントに日本人らしい雰囲気でした。魯肉飯はまあまあだったので、他の人の分までいただきお腹いっぱいに。私達は2階で食事をしたのですが、1階ではフルーツジュースの販売やバイキングを行っており、そっちのがいいなぁ~と恨めしく思いながら店をあとにしました。そのあとはまたまた免税店へ。いつもなら何も買わないのですが、残ったNT$を消化するために義母さんと嫁さんのカバンを購入。日本で見かけない柄のレスポを喜んで買っていました。価格もちょっと安かったみたいです。そのあとは空港へ向かうだけです。最後の景色を楽しもうとしたのですが、バスに乗ったらあっという間に睡魔の餌食に。気がつくと空港に到着していました。搭乗手続きなどを済まし、免税品を受取ると飛行機へ。行きより帰りはあっという間であまり覚えていません。機内で流れていたJAAのオセロのCMだけ印象的でした。関空に到着し、義父さん・義母さんとお別れ。車を受取り家へ帰りました。いつもならリムジンバスなのですが、これはラクチン。人数・荷物が多いほどお徳です。いろいろトラブルもありましたが、とても楽しい旅でした。はるか昔からの台湾文化、日本統治時代、国民党時代、そして現代。それぞれが入り混じり、なんともいえない愛着の湧く国。それが初めて行った台湾の感想です。ダジャレは苦手なのですがあえて… また台湾に行きたいわん
2006/09/18
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【メインページ】JR学研都市線のページ←よければクリックお願いします。台北101の見学を終え、ホテルへ帰ると21:30。そのあと家族が気を遣ってくれて、ひとりで士林夜市へ行かせてくれました。ホテルからは徒歩20分弱。夜道をびくびくしながらたどり着くと、たくさんの人でにぎわっていました。いろいろ迷って一軒目で魯肉飯を注文。他にスープは?と勧められましたがメニューには豚の脳みそのスープや豚の血のかたまりのスープなど。どうしても手が出ず、魯肉飯だけ食べましたお腹はそこそこいっぱいだったのですが、二軒目で饂飩(わんたん)麺を注文。次はデザート。これも迷いましたが芒果(マンゴー)かき氷を注文。メニューの写真で見ると大盛りでゴージャスな雰囲気。まさかこんなのホントに出てこないだろと思っていると、その通りのものが!写っているスプーンはカレー用です。食べてみるとマンゴーは甘く、氷はフワフワ。いままでこんなかき氷食べたことありません無理して来た甲斐がありました。家族のみんなありがとう最後に夜市入り口の店で杏仁タピオカのジュースを注文。500ml以上はあるカップに満杯に入れてくれましたが、これは失敗。ほとんど残して捨てましたお腹いっぱいで徒歩でホテルへ。暗い道でまたびくびくしながら帰りました。
2006/09/17
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きょうは一日フリーなので、市内観光を計画しました。まず、せっかく超有名ホテルに宿泊しているということで、ホテル前で記念撮影。集合写真は撮れたのですが、娘の機嫌が悪く親子三人で撮れず。ホテル玄関でタクシーに乗り最初の目的地へ。ちょっとは日本語が通じるかと思いましたが、全くのようなので筆談で伝えました。【台湾旅行】三日目その2(士林夜市)へ←よろしければクリックお願いします。まず向かったのは行天宮近くの占い横丁。交差点の歩行者用地下通路内に占いの店が並んでいます。その中に、うぶ毛取りのおばちゃん達も並んでいて、ちょっと身構えてしまいました。義母さんが最初に占いをしてもらい、その間嫁さんはうぶ毛取。顔全体に白い粉を塗られ仮面のようになっていました。占い・うぶ毛取りが終わると二人とも交代。どちらも15分ずつくらいだったでしょうか。義母さんは占いに不満みたいでしたが結構楽しんでいました。次に向かったのは滋和堂という足つぼマッサージ。どの店がいいのか分からず、有名どころにしました。予想していたより痛さはなく、テレビで見たのた打ち回るようなことはありませんでした。悪いと言われたのは目と腰で当たってました。次は昼食。民生東路四段の「欣欣」でフカヒレ黄金特大と豪州産アワビのセットを食べました。地味な店なので、みんなは不満。でもこの料理を日本で食べたら3倍の値はするのにフカヒレはここまでデカイのかと思うほど、アワビは大きすぎてありがたさが分からなくなるくらいでした食事を終え、タクシーで南京東路駅へ、MRTに乗り忠孝敦化駅へ行きました。目当てはお茶屋さんの「和昌茶荘」。店の入り口に大きなオウムがおり、娘はびっくり店に入りたくないとゴネたので、かわいそうですが娘の意思は無視し強行突入させました。お茶問屋のような雰囲気で、ご主人はとても親切。興味があれば高いお茶でも試し飲みさせてくれます。結局、梨山茶・東方美人一番茶を試飲し、梨山茶と茶器を購入しました。徒歩で忠孝敦化駅へもどりMRTで台北車站~圓山駅へ。圓山駅からはホテルまでの無料送迎バスがありましたが、みな疲れており待ち時間も惜しいのでタクシーに乗りホテルへ。夜は有名な県泰豊本店で小龍包と台北101観光でしたが、出発まで1時間半あったので部屋で休憩。昼間ほとんど食べられなかった娘はレトルトのご飯とアンパンマンカレーをおいしそうに食べていました時間が来たのでロビーで待っていると迎えのガイドが。バスに乗込み予定を聞くと最後に夜市に寄るとのこと。私達と他の一組は夜市に行く予定とは聞いていないと伝えると、予定変更で、夜市に寄る前にホテルまで送ってくれるとこと。私は行きたかったですが、家族を連れて2日連続は無理だったので良かった。県泰豊本店につくと、山のような人だかり。予約されているが約20分待たされるとのこと。疲労で家族のイライラは頂点だったので、一触即発でした。待ち時間に隣にある本屋で台湾全国地図を購入。帰国してじっくり読むつもりで買いました。結局30分ほど待たされて店内へ。改装されて間もないようで、狭いですが結構きれいでした。席に着くと、店内は戦場のよう。食べ方の説明のあと、嵐のような食事が始まりました。料理が次から次へ出され、何を食べたのかはっきり覚えていません。その中で味わいながらデジカメで記録も行いました。評判の小龍包はたしかに美味い。いまでもあのスープのあじわいは忘れられませんまたゆっくり来たい。食事を終え、台北101へ。下層はそごうなどのデパートを中心としたショッピングセンター、89階は展望台です。世界最速のエレベータであっというまに上ると、気圧差で耳が痛くなりました。展望台は結構な人ごみ。夜景はきれいでしたが昼間見たら、その高さでもっと感激したでしょう。展望台の中心部には制震用の巨大なおもりが設置されていました。おもりの大きさには驚きましたが、建物の高さから考えると、こんなもので大丈夫なのかな?とも思いました。ちなみに建設には日本のゼネコン・大成建設がかかわっているそうです。←よろしければクリックお願いします。
2006/09/17
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2日目は野柳・基隆・九フンをまわりました。9:00にロビーに集合だったので朝食・入浴を見越し、7:00に起きました。外は台風13号の影響で雨こそ少ないものの、かなりの強風です。まずホテル1階のレストランへ行き朝食。充実したバイキングで洋食が中心であるものの、和食やピータン・チマキもありおいしいかったですでも冷房が効きすぎていて結構寒かった身支度をして9:00前にロビーに集まると現地ガイドが青い顔で待ち受けていました。説明を聞くとバスのやり繰りがつかないとのこと。その理由までは聞きませんでしたが、結構適当??結局出発は10:30となり、予定を変更して先に九フンへ向かうとこと。まあ、予定の目的地をきちんとまわってくれれば、多少時間やコースが前後しても文句はありません。市街地を抜け高速を走りましたが、台湾のバスは結構揺れます。道路継ぎ目の振動を確実に拾い、かなりの衝撃で飲み物がこぼれるくらい。おそらく道の良し悪しより、バスのサス自体がよくないのだと思います。九フン近づくと駐車場に入り、路線バスを兼ねたシャトルバスに乗り換えます。土日は混雑緩和のため観光バス・自家用車は直接乗り入れができないそうです。到着すると土産物屋がたくさん集まった通りを抜け昼食場所へ向かいます。臭豆腐のツンとした臭いが強烈で思わず涙目に。通りの雰囲気は日本にもありそうな感じで、昔行った金毘羅さんの参道を思い出しました。【台湾旅行】三日目その1(台北市内フリー観光)←よろしければクリックお願いします。昼食は台湾田舎料理で、量はかなりたくさん。炒め物が中心ですが、日本人にちょうどいい味付け。しかし食材は地味で大量に残してしまいました。本当に申し訳なかったです。食後は少し自由時間があったので、集合場所に戻りつつ散策。途中、生春巻き風の生地でナッツと香草・アイスクリームを巻いたデザートや、娘のサンダル購入しました。次は野柳へ向かいます。現地に到着すると映画館のようなところで奇岩の説明を受け、実物の見学へ向かいました。結局、台風の強風・高波のため女王岩等には近づけず、遠方から眺めるだけでした。最後の目的地は基隆の中正(蒋介石の本名)公園です。この公園からは基隆の港(下の画像)が見えるのですが、昭和22年2月に起こった二・二八事件では独裁者蒋介石率いる国民党に本省人が虐殺され、この港じゅうが遺体で埋まったといわれています。その後、世界最長の約40年にわたる戒厳令が敷かれ、台湾人の200人に1人、約28,000人が殺されました。いわゆる白色テロといわれる事件で、現在でも台湾国内ではこの事件について断片的にしか語られていないそうです。その後、台北市内での夕食へ向かったのですが、途中、みやげ物屋に立ち寄りました。得てしてたいした物はないので、店を抜け出し、事前にチェックしていた李製餅家(パインケーキ発祥の店の支店)へ行きました。思わず多めに買ってしまったので、帰りは結構大変でした。その後、バスで直近のDFSへ。みやげ物屋ばかり寄られても仕方ないので、買い物はせず、店内の無料ネットコーナーで日本にニュースをチェック。台風でJRの特急が横転していました。それから徒歩でロイヤルタイペイ内の明宮という店へ。北京ダックありのコースを食べました。初めての北京ダック(下の画像)はちょっと脂濃く、嫁さんは残していました。食後はバスで士林夜市へ。みなさん満腹とのことで食べ物系でないほうの通りへ。結構な混雑で歩くのも大変なところへ雨が。50元の傘購入したのですが、そのとたんに止んでしまいました。通り入り口付近の果物屋でおいしそうな果物が売られていたので思わずマンゴーとパイナップルを購入。ちょっと高めだったようですが、ホテルに持って帰ってぬるくなっていたにもかかわらずマンゴーは驚くほど美味いままで食べたマンゴーだけで判断していたのですが、それは間違いでした。日本の梨や桃に匹敵しますこの日もヘトヘトになり、すぐに就寝しました←よろしければクリックお願いします。
2006/09/16
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着陸すると機外へ。娘を含めトイレを済まします。トイレ器具は見たこともないブランドで、さっそく海外を実感。入国審査に向かうと、たくさんある窓口の半分くらいしか使用されておらず大混雑。15分ほどの待ちのあと審査自体はすんなり終了し、無事入国を果たしました。預けた荷物を受取り到着出口へ。そのとき多数の女の子達の悲鳴が!?ジャニーズの「嵐」がコンサート等のため訪台し、その出迎えに集まったファンが上げたものでした。そのせいで空港内は大混雑。日本からの追っかけも結構いたようで、ちょっとした騒ぎになっていました。ガイドと合流し、手配していたベビーカーを受取るとさっさとバスに乗込みました。ガイドは外省人の女性。日本に留学経験があるとのことで、丁寧で聞き取りやすい日本語を話していました。同乗者は他に2組4名で、大型の観光バスはガラガラ。一人2席を占領しバスは高速へ。途中、田畑やマンションなどが見えたと思ったら、日本でも見たような真新しい高規格のコンクリート高架橋が。地図で確認すると今年10月末に開業予定の台湾新幹線のものでした。試運転車輌見たかったな~。バスは山間を抜け市街地へ。いよいよ台北市内に突入です。右手に新光三越等のビル群、左手に宿泊する圓山大飯店を見ながら高速を降り、故旧博物院へ向かいます。バスが止まったのは故旧博物院の敷地への正面入口。建物入口までは結構高低差があり、結局2階分くらい上ったと思います。ベビーカーありには結構辛かった蒸し暑い外とは違い、中は結構冷房が効いていました。広々とした館内は改装工事中で、一部見られない展示物もあるとのこと。まあ、気にせずガイドのあとをついて行きます。青銅や磁器などの展示物の中に、この博物館で一番有名とされる『翠玉白菜』がありました。加工が難しいヒスイ自体の天然の色、白と緑を生かした作品で、清廉潔白の象徴である白菜を、その上には黒っぽい緑色のキリギリスとイナゴがとまっている姿まで表現してありました。他に象牙や牛の角を加工した奇跡とも思える作品がたくさんあり、見所満載でしたあいにく見学時間が限られていること、説明が現地語でわからないことが残念でした。無料の日本語解説の携帯音声ガイド装置があったので借りておけばよかった。見学後、自由時間を利用して売店へ。翠玉白菜のストラップと館内郵便局で台湾鉄道の切手を買いました。【台湾旅行】二日目(九フン・野柳・基隆)へ←よろしければクリックお願いします。またバスに乗ると、市内のお茶屋さんに案内してくれるとのこと。着いたところは街中の『茶楽』という店。お茶の解説や試飲で楽しませてくれましたが、その後が最悪。店内を見て回っていると店員が各人に張付き購入を勧め始めました。それがしつこいのなんの。高そうな印象もあったため一気に買う気が失せ、さっさとバスに戻ってしまいましたその後、コンビニに寄ってもらい、ペットボトルの緑茶・水を購入。台湾ではコンビニのレジ袋は有料で、手持ちで持って帰りました。また、お茶は砂糖入りが普通らしく、成分を確かめて買わないと痛い目にあいます。その後、やっと宿泊地の圓山大飯店に向かいました。想像通り大きく壮大なつくりで、各国要人を迎える迎賓館として建てられたとのこと。実は何年か前に改装工事中に火災を起こし、屋根が焼け落ち無残な姿をさらしていました。当時は「風水的に不吉な新光三越が建ったからだ」とまことしやかに囁かれたそうですが、この地は日本統治時代に総鎮守である台湾神社が建っていた場所。戦後、共産党に敗れ大陸から逃げてきた蒋介石の妻、宋美麗が神社を取壊し建設したため、本省人(戦前から台湾に住んでいた人たち)はそのことによからぬ感情を持っており、火事で焼けるのを見て「ザマー見ろ!」と喜んだそうです。ロビーは豪華絢爛。中華宮廷風とはこのことなのでしょうか。鍵を受取るとさっそく部屋へ。廊下も広々していい気分です。部屋に入ると窓からは暗くなってきた街が見え眺望満点。ベランダ・室内ともに広いつくりで文句なしです。設備は日本の高めのホテルと特に変わりなし。荷物をといて着替え終えるとホテル内『金龍庁』へ夕食に。期待していたのですが、ツアーに組込まれた食事だからでしょうか、ホントにたいしたことない内容で、ここに書くほどのものではありません。ちょっとがっかりしながら部屋に戻り、明日に備えて早めに就寝しました←よろしければクリックお願いします。
2006/09/15
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15日から18日まで行ってきました。今回は妻と2歳の娘、そして義父義母の5人です。全員初台湾なので生の現地情報がなく、私と妻以外は初海外でもあり、ちょっと不安でしたが、フリー以外は現地ガイド付なので、まあなんとかなるだろうと気楽に考えていました。申し込んだのは『ルックJTB・大阪発 台湾[台北・周遊](8640104) 』の『浪漫紀行・圓山大飯店本館に泊まる魅力満喫台北4(QV008)』というツアーです。【台湾旅行】一日目その2へ←よろしければクリックお願いします。メジャーなJTBであること、初心者でもわかりやすい台北中心の内容であること、いかにも中華文化的な宿泊施設であること、午前出発午後帰着と効率的であることなどから、このツアーを選択しました。申し込み時はキャセイ便にしか空きがなくJAAのキャンセル待ちで、後日予約できました。当日は親子三人でクルマに乗り6:45頃自宅を出発。阪神高速経由で関西国際空港へ向かいました。空港内の民間駐車場へクルマを預け4F出発フロアの待合せ場所へ。いままで関空へは電車かリムジンバスだったのですが、割高でもクルマのほうが楽ちん特に子連れは寝てもゴネても、他人の迷惑とならないので安心です。8:00前に両親と合流しJTBのデスクでチケット受取り。その後両替とドコモ携帯のレンタルをして搭乗手続き。あとで気付いたのですが、関空のレートはものすごく悪い台北のホテルも悪いが、そのほうがまだマシでした。すぐに出国手続きを行い出発ゲートへ向かいます。ゲートへはウィングシャトルと呼ばれる無人の電車に乗りました。ここでしか乗れない電車ですね。ゲート付近に着くと、すでに搭乗案内中娘のトイレを手早く済まし10:00発EG211便B747機内に乗込みました。混み具合は70%程度だったと思います。関空を飛び立ち、水平飛行に移るとすぐに飲み物の機内サービス。ほとんど間もなく昼食のサービスも始まりました。きょうのメニューはカツ丼orビーフストロガノフで後者を選択。娘には事前にキッズミールを頼んでありましたが、出てきても「熱い、辛い!」とほとんど手をつけず。ただ単に、おなかが空いてなかったようです。日本に向けて台風が来ていたので、途中ゆれると思ったのですが、たいしたこともなく定刻どおり中正国際空港へ。着陸直前、窓から日本とは少し違った雰囲気の田畑や住宅が見えちょっと感動。初めて踏み入れる地に、ワクワクしてきました←よろしければクリックお願いします。
2006/09/15
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JR京都線・神戸線系統で活躍していた113系です。平成16年10月の改正で本線系統大阪口からは完全撤退し、新快速・快速は223系・221系のみとなりました。画像はクハ111-5428で428からの高速化改造車です。のちに前面窓は金属製の押さえ、いわゆる「鉄仮面」に改造されてしまいましたが、この頃は大目玉・Hゴム・グロベン・R窓という、初期型の特徴満載でした。【メインページ】JR学研都市線のページ
2006/09/14
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きょうは趣向を変えておいしいものを。これからもちょくちょく紹介しようと思います。京都へ出かけて近くに寄ったので、学生時代に食べたのを思い出しチャレンジしました。場所は京都市役所の西側。ちょっと甘めのソースがかかった巨大なオムライスは、香ばしいご飯がぎっしり詰まったご馳走です。お腹が減っていたのでがんばったのですが、1/6を残してしまいました。これでたったの¥580.-次回は完食します!!【メインページ】JR学研都市線のページ
2006/09/13
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東京基準で11日発から13日着までの運用に1118号機が入りました。画像は上りを新大阪で捉えたものです。銀河では今年6回目の来阪で、冷風器付きとなってからは初の銀河運用だと思います。近くで見た1118はカッコよく、赤く塗られたJR東日本の銘板が特徴的でした。【メインページ】JR学研都市線のページ
2006/09/12
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叡山電車デオ710形712が一足早くが「楓のもみじ」になりました。秋の紅葉をPRするものですが、山は青々としており、まだちょっと早いかな?【メインページ】JR学研都市線のページ
2006/09/11
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早朝、梅田貨物を出発する3170レです。数年前まで回送機関車を連結し重連でしたが、現在はEF66単機での牽引となっているようです。西日本ではワム8が見られる貴重な列車ですが、撮影時期が夏だけに限られているので、見られる人も少ないのでは。ワム8は国鉄最大在籍数を誇っただけあって、以前は頻繁に見ることができ、二軸貨車の『ダッダッダッダッ…』という独特の走行音と輌数を数えるのが楽しみでした。【メインページ】JR学研都市線のページ
2006/09/10
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木津(きづ)駅所在地:京都府相楽郡木津町大字木津小字池田116-2位置:起点開業:明治29年3月13日駅形態:盛土・島式2面4線接続:関西本線・奈良線停車:全列車きょうから始まりました、『JR学研都市線全駅紹介』です。毎週土曜に学研都市線の各駅を紹介してきます。第一回は学研都市線京橋44.8kmまでの起点である「木津(きづ)駅」です。 実は、学研都市線は旧片町駅側から開業したため、起点となっていながら、開通当初からあった駅ではありません。それでも最盛期には三路線の列車や貨物取扱により多数の留置線があるなど、いまよりずっと賑わっていたようです。その駅も駅周辺の区画整理・隣接の町庁舎の新築等にあわせた橋上駅への改築で、数年後には全く違った駅に生まれ変わる予定です。次回は「西木津(にしきづ)駅」を紹介します。【メインページ】JR学研都市線のページ
2006/09/09
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平成14年に製造されたスーパーレールカーゴ(SRC)ことJR貨物M250系貨物電車の甲種回送です。製造元の川重からの出場で、中間にはさむ付随車(コンテナ貨車)12輌を組み込むとフル編成となります。最高速度は130km/hでJR西の223系と同等の性能といわれています。実際走っている姿は、機関車牽引のコンテナ列車とは異なり本当に軽快です。ただ深夜~早朝の運行のため、見られる機会は少ないんですよね。【メインページ】JR学研都市線のページ
2006/09/08
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平成17年4月に廃止となった名古屋鉄道岐阜市内線・美濃町線です。旅客の減少や交通渋滞の原因とされたため、周辺の600V路線とともに縮小され、結局全線廃止となってしまいました。大半が併用軌道となっていましたが、上芥谷から白金あたりではヘロヘロな道端に、これまたヘロヘロな線路が敷かれていて、その上を平成13年製造のモ800形が走るという、なんとも言えない光景が本当にたまらない路線でした。画像は幸運にも土佐電に移籍できた591形の岐阜時代です。【メインページ】JR学研都市線のページ
2006/09/07
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秋篠宮妃紀子さまが親王をご出産されました。母子ともに健やかとのことで、大変喜ばしいことです。また、秋篠宮さま以来、41年ぶりに新しい皇位継承者得られたということで、さらにおめでたいことです。画像は、きょうの京都御所建礼門です。記帳がおこなわれていると思い参ったのですが期待はずれでした。
2006/09/06
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三年前の「シュプール妙高・志賀」号です。583系に485系の電動車1ユニットがはさみ込まれた混結編成で異彩を放っていました。この列車は姫路まで運転されていましたが、今年は大阪までで、混結も解消されてしまいました。583系の原色編成で、もう一度実現して欲しい模型のような編成です。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:485系
2006/09/05
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きょうは北陸方面へ検測に出かけたようです。登場してから30年以上が経ち、東日本の兄貴分(トップナンバー)はE491系に追われ消えてゆきました。残るこちらもキヤ141系の登場で存在が危ぶまれています。現状、キヤにはパンタグラフがないので架線検測ができず役割分担できますが、搭載されればキヤ191系とともにカウントダウンでしょう。【メインページ】JR学研都市線のページ
2006/09/04
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早朝のB快速紀伊田辺行に入った113系阪和色です。一時期、阪和色は阪和線から全車転出し、この光景は見られなかったのですが、最近復活しているようです。しかし、混色で組成されているようで、やっぱりこの光景は「過去ネタ」なんでしょうか。JR西日本のリニューアル車両の設備はありがたいですが、国鉄塗装の中でも秀逸な阪和色だけは残してもらいたいものです。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:和歌山の鉄道
2006/09/03
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敦賀直流化とあわせて新車導入予定の北陸本線米原口へ行ってきました。交直ジャンクションを越えるために581系交直流寝台電車(月光形)から近郊型改造された419系です。仲間は東北地方と九州にいましたが、ここが最後まで残りました。近郊型に改造されたとはいえ、元の寝台特急の室内そのままで、乗り心地も独特のものがあります。先頭車はクハ581そのままのものと、画像の「食パン(本来はイギリスパン?)」がありますが、あえて独特の前面を持つこちらを掲載しました。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:交直流電車
2006/09/02
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きょう乗車した大阪環状線から、青い201系画像を。京阪神緩行線からやってきて、編成を組替え4M4Tの8連になりました。この色を狙うために何本かやり過ごしましたが、半数以上が201系になっていました。321系はすでに30編成を超える勢力となっているので当然ですが、この勢いならオレンジの103系が居なくなるのは時間の問題です。青い201系ともども、早いうちの記録が必要ですね。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:201系
2006/09/01
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今晩撮影の画像です。幡生での検査を終え、無事宮原に帰還しました。減光されたヘッドライトが闇に浮かんだ姿は他のカマにはない魅力で、身震いさえ覚えました。明るいところでしっかり撮りたかったのですが、仕事があったので近場で姿を見られるだけでもと、コンパクトデジカメで無理やり写しました。緊張からか一枚目の流しはサイドのみしか撮れませんでしたが、二枚目には何とか去り行くイゴマルの姿を捉えることができました。本当に見辛い画像で申し訳ありませんが、イゴマルが元気であることを伝えられたらと思い、掲載しました。今度は客車を牽引する姿を期待します。※撮影ではフラッシュは使用していません。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:EF58
2006/08/31
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JR東日本・秋田新幹線「こまち」用E3系甲種回送です。川重から秋田へ向けての発送で、休日であったため沿線にはカメラを構えた方が大勢居ました。しかし輸送障害により数十分の遅れがあったため、あきらめかけたときに来たことを覚えています。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:秋田新幹線
2006/08/30
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きょうは叡山電車に乗って八瀬比叡山口へ行きました。自然がいっぱいで、すがすがしい空気を満喫、といきたかったのですが、あいにくの空模様に湿度全快!立っているのも辛かった…でも、紅葉の時期は最高でしょうね。画像は八瀬比叡山口に停車中のデオ710形711です。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:京阪電車
2006/08/29
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小浜線電化用の125系新製回送です。普段は走らない北方貨物線での姿を捉えました。小浜線に初めて投入された125系ですが、このあと、加古川線にも投入され、この秋からは北陸本線米原口や湖西線北部にも登場予定です。この電車、223系をベースとして作製されたのでローカル線用とは思えないくらい走行性能・居住性が快適です。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:JR西日本の電車
2006/08/28
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電化直前の小浜線です。このキハ58は電化をPRするための特別塗装で、たまたま捕らえることが出来ました。いまでは125系・113系・183系が走る路線です。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:舞鶴の鉄道
2006/08/27
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現在は「あかつき」と併結運転をおこなっている寝台特急「なは」です。大阪駅でお子様鉄道ファンがお出迎えというほほえましい風景を紹介します。牽引機はEF66に変わり単独のヘッドマークもなくなってしまいました。列車自体も九州新幹線博多開業時にはなくなってしまうかもしれません…【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:寝台特急
2006/08/25
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3年前に新大阪で撮影した、北近畿タンゴ鉄道からの乗り入れ特急・タンゴエクスプローラーです。いまはタンゴディスカバリー用車両にて代行運転されており、この様な風景は見られません。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:丹後地方の鉄道
2006/08/24
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地元相模線が平成3年3月に電化される直前の画像です。この頃はフィルム一眼でしたので、色合いが最近の画像とちょっと違います。定期列車はキハ30・35のみでしたが、オリジナル塗装や500番台・900番台、貨物のDD51やDE11(2000番台)、臨客のDE111901号機等、結構魅力的な車両もありました。現在、貨物は廃止、相鉄甲種は深夜運行で定期列車は205系500番台のみ。臨時列車はほとんどありません。うぅ~ん、つまらん。この状態、学研都市線もよく似てるんですよね。【メインページ】JR学研都市線のページ←よろしければクリックお願いします。このキハ35170は電化後、関東鉄道に移りキハ3521として活躍しています。今度乗りに行きたいな【メモリカードでスライドショーできるデジタル写真立て】
2006/08/23
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ネタがない日は過去の未公開ものをご紹介します。出張のついでに鉄しました。元祖食パンは北陸方面に健在ですが、こちらも食パンと呼ぶにふさわしいツラです。なんとも簡易な改造と思いますが、3800番台よりはだいぶマシ??延命更新で当分安泰に思いますが、アーバンネットワークに223系後継車両が登場したら221系が短編成改造で追い出されて、コイツも危ういかも…【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:113系
2006/08/22
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またまた、学研都市線とは関係ない話題を。故郷に帰省の帰りに発見した看板。神奈川県内自治体としては一本化されたのですが、肝心のJR東海の腰が重いようで。JR・地元は乗り気の(仮称)南びわ湖駅とは全く対照的です。周辺を宅地開発し、東京への通勤利用を促進すれば充分採算が取れると思うのですが…ねぇ、JR東海さん。実現するなら提案します!新駅名は『相模ど真ん中駅』で!!【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:相模線
2006/08/19
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帰省ついでに、余命わずかの四国のキハ58・65を撮りに行ったのですが、去年に続き原色に遭遇!これが最後のチャンスとHDVとともに記録しました。近くの彦江のうどんも満喫し幸運な一日でした。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:キハ58系
2006/08/12
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復路は寝台急行銀河で。こちらも終焉近し??寝台列車自体がどんどん消えているので貴重な体験をじっくり味わいながら熟睡。目覚めると大津手前でしたが見慣れた車窓もこの列車からは一味違った風景に見えました。ホントに無くなってほしくないなぁ~。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:EF65
2006/08/05
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ブログ始めました。いままで続けていた鉄道写真日記からネタを移行します。いきなり学研都市線とは関係ない話題を。仕事で出張した合間に鉄してしまいました。どちらもいずれ近いうちに過去帳入りの並びです。特にロクヨンは40+20の原色でした。【メインページ】JR学研都市線のページ【PR】Amazon.co.jpで検索:EF64
2006/08/04
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