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瀬戸内寂聴の法話を聴いて



 講演開始前に何かトラブルがあったらしくスタッフの不手際をわびるところから話は始まった。会場の時間が決まっているのに早くきた人が時間になる前に会場に入れてほしいといった、という。車椅子できた人を先に入れるのを見ると、身障者手帳を出してそれなら私も入れてというようなことになり、スタッフの一人が「そんな(無理な)ことをいうのなら帰ってください」といったというようなことらしい。そういえば、僕がちょうどはいろうとした時に、「どこかで飲み物を売ってないでしょうか?」と尋ねた人がいて、それに対して(僕は驚いたのだが)「会場内には飲食物は持ちこんでもらっては困ります」と強い口調で応じているのを耳にした。そんなつもりでいったことでないのはよくわかるのに。

 そんな話から始まった寂聴さんの法話だが、寂聴さんはあっという間に聴きにきた人のほとんどの心をつかんだ。皆ではないところがむずかしいところで僕は講演をする時に、話にはいってこようとしない人のことが気になってしかたがないのだが寂聴さんは平気な様子。

 僕の前にすわっていた人は終始不満げな表情だった。なかなか本題に入らない、といらいらしている様子が伝わってきた。ノートを取ろうと用意しているのに、いつまでもノートを取れないのである。いつまで立っても本題に入らないように思えたからであろう。僕は最初から本題だと思ったのだが、きっと真面目な人なのだろう、ついには席を立って出ていかれた。僕も講演をする時、何気ない話から始めてそのままずっとその話にからめて話し続けることもあるが、研修会などだと、「さて…」と、ここから本題です、とはっきりいったほうがいいような時もある。学校の先生の研修会ではこんなことをするが、それ以外の研修会では、ノートを取らなくてもいいように工夫はする。

 寂聴さんのも本題がなかったわけではない。しかし今日は法話をしないといけないので、という言葉が出たのはほとんど持ち時間が終わろうとしていた頃なのだが、その枠で語られた内容(人にされて嫌なことはいしない、悪いことはしない、いいことをする)という話は既に最初の話の中でも言及された内容でもあった。

 寂聴さんは仏教者なので当然その関係の質問が出たのだが興味を引いたのは、幼くして亡くなった子どもが成仏してない、とある宗教者にいわれたという質問に対してきっぱりと、そんなことはない、と戦争中空襲で亡くなった自分の母親について成仏してないといわれた時の経験を語った。ご先祖様がたたるわけないですよ、という言葉にうなづいていた人は多かった。宗教についてはともかくこのような恐れに支配される生き方を好まない。父と長年ぶつかったのはこの点についてであって、いまだに解決しているわけではない。

 若い人で胃の全摘手術を受けたという人がその後いろいろと大変なことがあったが今こうして「生(なま)寂聴」に会えて(年配の人たちから苦笑)よかったといって涙ぐむ場面があった。宗教者に対してこのような尊敬の念を持つのはわかる。

 しかし、法話の中で寂庵で参拝者に用意した湯呑茶碗がなくなるという話を驚いてしまう。要は持ち帰る人がいるわけだが、「持って帰るな」と書いたところ、立派な書体で「尼さんの言葉とは思えない」と書かれたので「お持ち帰られないようにお願いします」と名前を添えて貼り出したら、これは寂聴さんの書だ、と剥がして持ち帰ろうとした人がいたというような話が次々に出て聴衆をわかせた。一種の神格化(神ではなくて仏か)である。

 他に語られたいくつかのトピックについて。

 人には定命というのがあって人間死ぬ時は死ぬが、定命に達してなかったら死ねない。私はいつ死んでもいいと思っている…と会場をわかせた後、「でもまだ今は死ねないと思っている。戦争を経験した七十五歳以上の老人が戦争の悲惨を訴えていかないといけない、とテロと報復への反対、有事法制への反対、と政治むきの話を力をこめて語る。戦争の悲惨さを知らない人がこんな法律を作るのだ、誰が愛する人を戦場に送りたい、と思うものか、と力強い話が続いた。もちろん、寂聴さんの考えに肯んずることのできない人もいるわけで、ざわめきがあって僕にはちょっと驚きだった。


 フロアからの質問に答えて、「ね、それもうすんだことでしょう? 忘れてしまいなさい」「ね、その時になったら考えたらいいでしょう?」と今を精一杯生きることを強調。「もう、会えないかもしれませんね、私、死ぬかもしれないし、皆さんだってわからないわよ」といって会場をわかせる。

 「息子の嫁がひどい人で息子は…」「ほうっときなさい」とピシャリ。「自分の人生を大切にしなさい。あなたおいくつ? 五十二歳…私が出家したのは五十一歳だったわよ、若いね、これからあなたの子どもが生まれるかも知れないよ…」
「娘が孫にくちやかましくて…」「きっとあなたに似たのよね。あなたがいうことなんかないわ」

 いつもは講演しているので稀に人の講演を聴くと学ぶところは多い。深刻な相談もユーモアと笑いで決して重く暗いやりとりにならないところなどさすが、と思った。

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