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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2025.08.02
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 ピーター・ファーディナンド・ドラッカーは、1909年ウィーン生まれのユダヤ系オーストリア人です。
 経営学者として、現代経営学あるいはマネジメント の発明者として知られています。
 ”ピーター・ドラッカー”(2024年12月 岩波書店刊 井坂 康志著)を読みました。
 20世紀から21世紀にかけて経済界にもっとも影響力のあった、経営思想家であるピーター・ドラッカーについて、アウトサイダーとしての実像を紹介しています。
 マネジメントとは、目標達成を見据えた組織の経営資源の活用やリスク管理を指しています。
 分権化、目標管理、民営化、ベンチマーキング、コア・コンピタンスなど、マネジメントの主な概念と手法を生み発展させました。
 未来学者とかフューチャリストと呼ばれたりしましたが、自分では社会生態学者であるとしました。
 社会の生態に関して、東西冷戦の終結や知識社会の到来をいち早く知らせました。
 産業社会と企業、そして働く自由な人間に、未来への可能性を見出しました。
 井坂康志さんは、1972年埼玉県加須市生まれ、國學院大學栃木高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部を卒業しました。
 続いて、東京大学大学院人文社会系研究科社会情報学専攻博士課程を単位取得して退学しました。
 2020年3月に、専修大学より商学博士を授与されました。
 東洋経済新報社を経て、現在、ものつくり大学教養教育センター技能工芸学部情報メカトロニクス学科教授を務めています。
 上田惇生氏とともに、ドラッカー学会を創立し、NPO法人ドッカー学会の共同代表です。
 2005年5月に、ピーター・ドラッカーに外国人編集者として最後となるインタビューを行いました。
 ピーター・ドラッカーは2005年に亡くなりましたが、今なお注目されつづけています。
 しかし、ビジネスや経営の世界では誰もが知っているのに、人物像はいまだに謎が多いです。
 産業界や学界が取り上げてきたのは、ほぼマネジメントのドラッカーだったからです。
 しかし一歩踏み込むと、経営論は表の顔に過ぎず裏側は、哲学、文学、芸術、全体主義批判の支えがあります。
 それは、一つの問いの体系と言ってよい構成をとっていました。
 実人生と問いの体系は、精密にリンクしていました。
 父親はウィーン大学教授で、家庭はドイツ系ユダヤ人の裕福な家族でした。
 父親はフリーメイソンのグランド・マスターでした。
 1917年に、両親の紹介で心理学者ジークムント・フロイトに会ったといいます。
 ドラッカーは、第一次世界大戦を人生で最初の断絶だと見ていました。
 その体験のあるなしで、世界の解釈は違ったものになります。
 ドラッカーは早熟の天才ではなく、1916年に地元の公立小学校に入学しました。
 悪筆と不器用で、自信もなく学校に適応できなかったといいます。
 1919年に、私立のシュヴァルツヴァルト小学校に転校しました。
 この小学校から、ドラッカーにとって運命的な影響を受けました。
 ドラッカーの、生涯にわたる知的活動を決定づけました。
 1918年にハプスブルク帝国は崩壊し、共和制が導入されました。
 ドラッカーは1919年に小学校を卒業し、デブリンガー・ギムナジウムに入学しました。
 しかし、ここでの8年間は退屈な時間だったため、外に目を向けるようになりました。
 1920年代のウィーン体験は、後の全体主義批判につながるものでした。
 当時のギムナジウムは、卒業試験に合格すれば大学への進学資格が得られました。
 しかし、ドラッカーにはインテリ嫌いの傾向が芽生えていました。
 1927年にギムナジウムを卒業して、ハンブルクで機械製品の貿易会社の見習いになりました。
 勤務のかたわら、ウィーン脱出の口実だったハンブルク大学法学部に在籍しました。
 講義には一度も出席せず、代わりにハンブルク市立図書館分室に通いました。
 ここで、思想書や社会科学書を手当たり次第に読みました。
 それが、本物の大学教育だったと振り返っています。
 ここで、フェルデナンド・テニエスとセーレン・キルケゴールに出会いました。
 以来、専業学生にならず労働現場で学ぶ人生を死ぬまで続けました。
 1929年に、ドイツのフランクフルター・ゲネラル・アンツァイガー紙の記者になりました。
 1931年に、フランクフルト大学にて法学博士号を取得しました。
 この頃、国家社会主義ドイツ労働者党のアドルフ・ヒトラーやヨーゼフ・ゲッベルスから、度々インタビューが許可されました。
 1929年に大恐慌が起こって、会社が倒産して失業しました。
 直前は空前の好景気でしたが、ドラッカーの甘い予測は粉砕されました。
 以後、ドラッカーはありのままの現実の観察を心がけるようになりました。
 1929年から1933年まで、フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガーという日刊新聞の記者生活を送りました。
 記者生活のかたわら、フランクフルト大学で研究も行いました。
 昼は記者として、夕方以降は大学での講義という日々でした。
 1933年に、発表した論文がナチ党の怒りを買うと確信し、退職して急遽ウィーンに戻りました。
 イギリスのロンドンに移り、友人の紹介でフリードバーグ商会に職を得ました。
 ドラッカーはエコノミストとして、主にアメリカ株の取引き業務に携わりました。
 生きて働く知性から、実践知が学知に匹敵することとなりました。
 この頃、独力で大学の職を得る試みをしましたが、叶いませんでした。
 1936年には、ケンブリッジ大学でジョン・メイナード・ケインズの講義を直接受けました。
 1937年に、同じドイツ系ユダヤ人のドリス・シュミットと結婚し、アメリカ合衆国に移住しました。
 当時、移民家族の生活は不安定で、なかなか職を得ることができませんでした。
 文筆で生計を立てようとして、地元の新聞社をいくつか訪ねました。
 紹介状なしで『ポスト』を訪ねて、発行人のユージン・マイヤーと面談して記事の前金を入手しました。
 ほかにも、いくつかの新聞社で記事掲載の約束を取り付けました。
 1939年に、処女作『経済人の終わり』を上梓しました。
 この一作をもって、ドラッカーは論壇の寵児となりました。
 1940年に、サラローレンス・カレッジから非常勤講師のオファーがありました。
 1942年に、ヴァーモント州ベニントン・カレッジの専任教授となり、1945年まで務めました。
 1942年に、『産業人の未来』を上梓しました。
 1943年に亡命生活を終え、アメリカ合衆国国籍を取得しました。
 1946年に、『企業とは何か』を上梓しました。
 1950年から1971年までの約20年間、ニューヨーク大学、現在のスターン経営大学院の教授を務めました。
 1950年に、『新しい社会』を、1954年に『現代の経営』を上梓しました。
 1959年に初来日し、以降も度々来日しました。
 そして、日本古美術のコレクションを始めました。
 1966年に「産業経営の近代化および日米親善への寄与」が認められ、勲三等瑞宝章を受勲しました。
 1969年に、『断絶の時代』を上梓しました。
 1971年に、晩年の創造のため、西海岸に移住しました。
 カリフォルニア州クレアモントのクレアモント大学院大学教授となり、以後2003年まで務めました。
 1979年に自伝『傍観者の時代』を、1982年に初めての小説『最後の四重奏』を上梓しました。
 2002年に、アメリカ政府から大統領自由勲章を授与されました。
 そして、2005年にクレアモントの自宅にて老衰のため95歳で死去しました。
 ドラッカーの生涯は、大きく前半と後半に分けて見ることができます。
 前半は、マネジメントの探求に至る少年から壮年期にかけての時期です。
 後半では、期待をかけた産業社会の行き詰まりから一転して、コミュニテイ人間社会へ舞い戻ります。
 19世紀は合理主義が進むとともに、生きた人間社会が否定される過程でした。
 20世紀は、そのつけを支払うための100年間でした。
 このような認識には、ビジネスの視点だけからは迫ることができません。
 ドラッカーの紡いだタペストリーの、鮮やかな横糸のみではなく、縦糸に着目することが必要です。
 ドラッカーの20世紀の苦闘と苦悩を抜きにして、その業績の全貌をとらえることは不可能であるといいます。
第1章 破局 一九〇九ー一九二八/第2章 抵抗 一九二九ー一九四八/第3章 覚醒 一九四九ー一九六八/第4章 転回 一九六九ー一九八八/第5章 回帰 一九八九ー二〇〇五/終章 転生 二〇〇六ー






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Last updated  2025.08.02 08:17:41
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