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3月5日の土曜日、 六甲病院緩和ケア病棟 で昨年中に亡くなられた患者遺族の家族会が有りました。
午前10時30分から12時30分までの開催と言う事で、出席はちょっと難しいかな~と思いましたが
比較的近い場所に職場が有るので、都合をつけられない事もなく
一応出席のお返事は出しておいたんですが
やはり、土曜日でちょっとバタバタしていて、時間的に間に合いそうもなく
元々行きたい気持ち半分行きたくない気持ち半分だったので
お花だけ届けて出席するのはやめる事にしました。
でも、仕事が12時過ぎに一区切りつき、その後2時間くらいぽっかり時間が空いてしまい(出席予定で1時半頃まで予定入れていなかったので)
家族会は12時30分閉会予定なので、タクシーすっ飛ばせばぎりぎり最後くらいには間に合いそうで…。
ここはスパッと気持ちを入れ替えて、きれいにラッピングされたお花を自分の手で届けがてら、お世話になった病棟の医師や看護師さんにご挨拶くらいはして来ようと思い、急遽六甲病院まで行く事にしました。
到着すると、ボランティアの方たちが、相も変わらず優しい笑顔で出迎えてくれました。
父が入院中にもボランティアスタッフの方たちには本当にお世話になりました。緩和ケア病棟は、医療スタッフはもとより、このボランティアの方々の存在なくしては成り立たないのではないかと思えるほど、ボランティアの方々はとても重要な存在で有ると私は思っています。
六甲病院の緩和ケア病棟が、終末期を迎えた患者の治療や患者家族の心のケアなどのフォローがきちんと出来ていたのは、心やさしいボランティアの方々がしっかりと、医療スタッフの手の回らないところのサポートを請け負っていたからだと言う事も忘れてはいけない事だと私は思っています。
ボランティアの方の案内で家族会の会場に入ると、ちょうど緩和ケアの看護師さんが最後のご挨拶をされているところでした。
私の到着は本当に会の最後2~3分だけの参加となってしまいましたが、閉会後に懐かしい先生や担当看護師のMさんと少しだけですがお話する事が出来ました。
みなさん、父亡き後の私の事を気に掛けて頂いていたらしく、元気に少し太った私を見て心底ホッとして頂いている様子がとてもうれしく、重い気持を振り切ってほんの少しの時間だったけど、参加出来てよかったと気持ちが軽くなりました。
昨年の12月、家族会の案内状を受け取った時に私は、その封書の病院名を見ただけで大泣きしてしまったので、本当に出席する事がつらく、かなり迷って、それでも、いつまでもめそめそしているんじゃない!と、自分で自分の背中を強く押して、出席の返事を出したのですが、実際の所は家族会の当日になってもまだまだ気持ちの踏ん切りがつかず、仕事にかまけて欠席しようと考えていたのです。
でも、頑張って六甲病院まで行き、懐かしい皆さんの変わらない優しい笑顔に再会して本当によかったと思え
何となくですが、父を蝕んだ成人T細胞白血病の呪縛から解放されたようで、ちょっとは明るく軽い気持ちになる事が出来ました。
自分自身ではとうに父との闘病生活には踏ん切りをつけているつもりではいたのですが
実際は全然吹っ切れていなかったようです。
私は、ホスピスと言う所は、治療の手立てが無くなった患者が苦しむ事なく穏やかに最期を迎えるところだと、漠然とした知識だけで苦しむ父を何とか救って欲しくて、ここでなら父も少しは楽になれるんじゃないかと、すがる思いで父の最期を託した訳ですが
入院して初めて私は緩和ケアと言う言葉を知り、ホスピスと言う所は患者本人の苦しみを緩和してくれるだけでなく、患者家族の行き場のない心の緩和ケアもしてくれるんだと言う事を知り、どれほど感謝した事か…。
治療の最前線の病院から、静かに死を迎える病院へ・・・
私は今でも時折、この選択が正しかったのかどうか切ない思いに駆られる事があります。
父の人生の幕引きを私がしてしまったことへの後悔。
本当は父はもっともっと病魔と闘いたかったのではないか!?
有り得ない事だったとは思うけど
ひょっとしたら、あのまま市民病院で治療を続けていれば、父は病気を封じ込め今も元気に生きていたかもしれない・・・。
・・・本当の意味で病気に負けたのは、父ではなく、私の心の弱さだったのかもしれない。
なんか色々思いだして、久々に泣けてきちゃいました。
この続きはまたいつか、
もっと心の整理が出来て、
私なりの結論が出た時にでもまた書く事にしましょう。
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