神戸満味-KOBEMANMI-

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2018年01月20日
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カテゴリ: お知らせ
小室哲哉が19日午後、記者会見を開いた東京都港区のエイベックス本社には150人の報道陣が集まった。たった1人で着席した小室は頭を深く下げた後、静かに話し始めた。支離滅裂な言い分、意味不明に思えた発言も多くあったが、なるべく発言のままにお伝えしていく。

報道により、KEIKOやファンのみなさまにご心配おかけしたこと、相手の方にご迷惑をおかけしたことをお詫びすると同時に、僕なりのこの騒動のけじめとして、引退を決意しました。

話を2009年までさかのぼらせていただきます。僕は事件で有罪判決(懲役執行3年、猶予5年)を受けました。そして2011年10月、妻の突然の病気(くも膜下出血)。予期せぬことではありました。因果関係もお医者さまにもわからないんですけど……。

幸いKEIKOに身体的な後遺症はなかったのですが、脳の方にちょっと障害が残りました。少し、欲がなくなってしまったりとか、僕から見て、女性から女の子という、すごくやさしい性格になったのかなと初期はそう思いました。

一番、ショックを受けたのは、KEIKOは歌手ということで大きな存在だったと思うのですが、残念なことに音楽に興味がなくなってしまって、カラオケに誘ったり、音楽のインターネット番組を見せたり、CDを聴かせたり、僕なりにいろいろと誘ってみたのですが、音楽に興味を持つということは日に日に減ってきました。

今年で7年目になるんですが、初期の頃、何とか無理やりレコーディングスタジオに連れて行き、KEIKOの心境を僕が歌詞にした歌を何とか録音したことがあります。未発表曲になっておりますけど。それ以降は「もういいよね」ということで、ほぼ歌うことということはなくなりました。それが現状です。

これも恥ずかしい話なんですが、今は彼女は小学4年生くらいの漢字のドリルとかが楽しいみたいです。すべてがそういうレベルでは全くないですけど……。

そういう中で、夫婦として、大人の女性としてのコミュニケーションが日に日にできなくなってきています。

電話や会話がだんだん1時間から10分、5分、3分みたいな間しかもたなくなっています。



年々、仕事が増えて、少しずつ音楽に向かわなければいけない時間が増えまして、僕がずっとKEIKOのサポートをするのは不可能なこともありまして、スタッフたち、家族の支援がないと、仕事が追いつかなくなくなってきたという状況が2、3年前くらいから始まったと思います。

 1年の2カ月、3カ月に分けて、実家と僕とスタッフが分担してサポートしていく方向でやってきた。音楽をしたいとか歌いたいということではなく、毎日どうやって、起きて、食事をして、余暇を楽しんで、どう寝るかという日々でのKEIKOのサポートをしてきたつもりです。

 2年ほど前、1カ月ほど仕事が忙しかったということがあり、僕はなぜかわからないですけども、C型肝炎になりました。結局2人でいると、お互い闘病みたいな形になってしまい、当たり前ですが、KEIKOは普通の家庭の奥さんではないので、僕の看病、見舞い、言葉をかける、という行為はなかなか難しい状況で、1人で闘病をしていました。

 病気の中でもテレビ(出演)であったりだとか、音楽創作は続けてしまいました。その間にKEIKOが何を思っていたかというのは想像の域です。

 おかげさまでC型肝炎が陰性になりまして、仕事に復帰した2016年くらいから、病気の副作用もありまして、突発性難聴に近いものに僕がなりまして、現在も左の耳がほぼ聴こえないです。

 今もキーンという音が鳴りっぱなしで、ストレスだろう、ということしかわからないみたいです。診断書によると、ストレスによる摂食障害、それから睡眠障害みたいなことで、8月に入院を1人でしました。

 A子さんを含む複数のお医者さま、看護師のみなさま、そういう方の協力を得ることが日増しに増えました。退院をしましたが、不規則な生活もありまして、通院のみでは治療は不可能な時期もありました。都内はいろんな場所にお医者さまが往診してくれる環境ですから、そういうのを利用させていただき、何とかしようとしてきました。

 順調に戻れたなという感じなんですが、耳鳴りがまだ治ってもいないですし、すぐ熱っぽくなったり。

 その中で、報道されたA子さんは早朝、病院の昼休みであったりとか、時には深夜イベント終了後であったり、ホテルとかに往診に来てくれることが度々、増えてきました。

 自宅でKEIKOがいる時にも往診には複数回、来ていただいてます。ついつい雑談につきあってもらったりとか、確実に僕の甘えなんですが、つきあってくださった。点滴もあります。すべて薬事法に基づいた医師の指示にもとづいたものです。そういう日々が17年のはじまりから後半くらいまでですかね。

看護師さんという立場から少しずつ自分のこともお話していただくようなことがあったりして、仲のよい一番信頼できる人になっていきました。看護師さんが施術をするということで誤解を与えてしまうことは当たり前であって、そこにスタッフの人間であったり、いろんな人がいてくれることも多々あったんですが、誤解を招いてしまいました。



 それから、非常にお恥ずかしい話なんですけれども、僕が男性としての女性を呼び込みたいというような欲求というものとはちょっとかけ離れていまして……。

 心から本当なんですが、男女の関係というのはまったく考えてないです。ありません。誤解を生じさせてしまいましたし、男女を想像させるような環境も多々あったと思います。これをみなさんが使っている言葉を使わせていただきますが、不徳の致すところ以外にはありません。申し訳ありません。

 体調不良は本日も変わらず、残念ながら耳鳴りがどうしても治らなくて。仕事も納期が3日、1週間、締め切りも滞りまして、小室だからこんな音を作ってくれるだろうという期待に応えられるか、ということも2017年秋から、自問自答する日々でした。

 1週間、悩みに悩んでやり直しみたいな日々もありました。10年前、20年前では考えられなかったことなんですが。期待に応えられるレベルなのかな。正直やり直しやり直しということも増えてきました。簡単にいうと不安、自信のなさということが日増しに増えていきました。KEIKOにも簡単な言葉でしたが悩みを言いました。もう音楽に興味がない人になっているので、「そうなんだ」というくらいだったのかなと思います。

 そういう事情で、(A子さんに)ついつい相談ごととか、17年から18年の年末年始、特にそうなってしまいました。奥さんはピアノのフレーズを聴いても30秒ももたない。それで依存がA子さんの方に強くなってしまいました。



僕は裁判所で執行猶予付きの有罪判決を言い渡され、裁判官から頑張るんだよという叱咤激励を受けまして、そのときの判決を見た時のような気分を文春さんの取材を受けた時、抱きました。

 罪を償うとともに、自分の身体的な限界であるとか、この音楽界、エンターテイメント界に僕の才能がほんとうに必要なのか。もはやここまでだな。音楽の新しさみたいなものを作れるものがあるのかな、という自問自答を続けてきました。(週刊文春に)報道していただき、僕は音楽の道を退くことが私の罪滅ぼしであると思いました。

 年末、自分が作り上げた楽曲の中でも愛着がある楽曲もあります。自分でも出来栄えは良かったな、いいんじゃないかという曲もあります。エイベックスにとっても非常に大事な曲もあるのかなと思います。他のレコード会社のアーチストの方にとっても大切な曲もあったのかなと思います。そういう楽曲は生きていって欲しいなと思います。

 僕のものではなくて、歌う方のものなので。そう思えば思うほど、僕の今のふらついた考え、自信のない考え、かんばしくない体調。そういうことでのネガティブというか、あまり明るくない状況みたいなのが、影響がいってしまうのが今の僕が一番、望んでないことです。自発的な音楽活動は本日をもって退こうと思います。

 ほんとは芸能人になりたかったんじゃなくて、音楽をやりたくて始めた。自分もヒット曲をつくる人間なんだと思ってやっていたのではなく、好きな音楽をやれたらいいなと思ってやっていたのですが、90年代の自分でもまったく想像もつかない(CDの販売)枚数であったり、売り上げであったりとか、そういうことによっての過信、慢心があった。

 それから20年以上が経っているので、枯渇している能力、自分でも飽きてきている、みなさんも飽きてきているのに、認識の甘さがありました。

(週刊文春の)取材を受けてまだ5日しかたっていません。今後の生き方は少し時間をいただいて、KEIKOとのことを含めて考えていきたいと思います。勝手な苦渋の決断ではあります。今回のお騒がせした中での僕なりの償いはこれが精一杯です。

 これからどれほど生活水準とかそういうことが下がったりとかははかり知れません。まったく、わからないですが、ただ、こういった場所でみなさんから注目していただけるようなことはもしかして、これが最後かなと思っています。実直に受け入れようと思っています。TMネットワークから始まって35年になりますが、ほんとうにみなさんありがとうございます。心から感謝しています。

〈これ以降、記者団からの質問が続いた〉

――具体的に引退を考え始めた時期は?

 ダメなのは左耳なんですが、どうしても耳鳴りが今も消えなくて、難聴なのかはちょっとわからないんですが、それで音楽が作れないことはないんですが、体調がそれによって非常に悪くなったりすると、介護の方のご苦労ははかりしれないんですが、僕も多少、端くれかなというところがありまして、両立することの限界を感じたのは(昨年の)8月ですね。自分の気持ちを持っていたのと、みなさんにご迷惑をおかけしたのとで、(引退を)決断しました。

――引退はいつから?

 自発的なこれをやりたい、あれをやりたいという音楽活動はきょうから退こうと思っています。それでも責任があるんじゃないかやってくれということはやろうと思っています。

――A子さんとは現在も連絡を取っていますか?

 事務的な連絡はせざるを得ないのでとってはいます。誤解を招かないように今後はいましめ、しっかりしていきたいと思います。

――今回の一連のことはKEIKOさんにはちゃんとお詫びをし、納得してもらっているんでしょうか。

 話はしてあります。納得しているかどうかは今お話させていただいた通りで、しっかり向き合って理解をしてもらえるかというのはこれからです。

――A子さんと腕を組んだりだとか、ベッドで一緒に寝ましたか、と文春に質問されて「そうですねはい」と答えてますが、どういう関係でしょう?

 僕の体調不良で来ていただいている方で、一般の男性が女性を招くというものとは確実に違うと心から言えます。不徳の致すところで誤解を招いた形になってしまった。長い時間続けてもらったりだとか、そういうことだと思います。

――精神的な支えということもあったんですか?

 かなりありました。ほんとにお恥ずかしい話ですが、5年、6年前から普通の男性としての能力というのがなくて、精神的なものの支えが必要だったと思います。

――KEIKOさんにどのように報告したのですか?

 非常に特殊な例だと思っておりますが、簡単な単語でこういうことだと、「ごめんね」とか、「わかったよ」ということであったりとか。「やだな」とか、ほんとに短い言葉のやりとりを昨日までしていました。この会見が(午後)1時からあるということも昨日、話しております。ゆっくりと、これから目を見てしっかりと話していきたいと思っています。

――KEIKOさんは「わかったよ」と言った?

 今、ラインみたいなものがあるので、「わかったよん」みたいな感じ。一般の奥さんとはちょっと違うので、どのくらい理解してくれているのか。過去、何回か時々、正常になる会話ができる時が年に数回あります。その時に「私、普通じゃないよね」って言ってくれる。

――離婚も考えているか。

 僕は女性というよりも、今の子どものようなKEIKOの方が愛は深くなっています。

――夫と妻という関係は今後も続けていく?

 はい、「旦那さん」という言葉を使ってくれる時もあります。

――医療行為とは具体的にはどういう薬ですか?

 こういった公共の場でしっかりお話するのが難しい。病院の診断書に基づいた医療行為だと思います。

――A子さんと知り合ったのはニンニク注射をした時なのか?

 そうですね。初期はそうです。

――今もそれを必要とする状況?

 いや、今は違うと思います。今はC型肝炎からストレスになって難聴であるとか、非常に全体がだるかったりとか思考が鈍ったりとか体力の補給が一番メインだと思います。入院中も2日、3日点滴をし続けているという状況なので。針は刺さっていっぱなしです。点滴を一日中。2泊くらいという言い方をされるみたいですけど、針が刺さったままでも、そのくらいし続ける。

――どなたかに相談されたのか?

 たった1人の判断です。誰にも相談していません。最初からずっと自問自答。

――A子さんの自宅にまで行っていたそうですね

 他のお医者さま、看護師さんはどうしようもない。僕が動くのならやれる。成立できるということでほんの数回うかがっています。

――A子さんに対する感情はどういうふうにお感じになっていますか?

 非常に甘えていたと思いますし、助けていただいた。感謝しています。申し訳ないという思い。

――体調不良ということですが、今後はKEIKOさんも介護が必要です。

 何はともあれ、ホントに頭の中が混乱していて、どうしていいかわからない、正直。どうやって守っていくか、考えなければいけないが、今こうやってお話している報告が先だなと思ってお話している。今はまったく頭が混乱していてどうしていこうかなという気持ちです。

――夫婦間で少し距離をとって、ストレスのない生活を考えていますか?

 現代病といえばそうなのかもしれないですけれども。非常に四方八方から前にも後ろにも右にも左にも動けない状態がずーっと続いたので。今ほんとにキーンという音がずっとしているんですが、これもわかってもらおうとしても難しいと思うんです。これが消えるのかという疑問もあります。

――今回のことでA子さんは何て言ってましたか。

 見守っていると。きょうの会見を。

――引退のことはお話になりましたか?

 はい、しました。もったいないと言ってました。

――音楽生活を振り返って?

 93年、94年から2000年くらいがブームだったと思うんですけれども。それが、一番基準になりまして、それを超えることはできないですし、それを下回ると期待に応えられないという感覚ですね。あの時代の曲は素晴らしいねと言ってくださる方が一番多いので。そのレベルというのは時代の流れもありますが、あれを基準にしてしまう。そこから上じゃないと。枚数ではないんですが、それとの比較というんですかね。何かこの時代、何をもってミリオンセラーというのか、数字が定まってないので、それを模索するというのは難しいんですけど。

――A子さんには愛情に近いものなんですか。

 どうなのかな。作詩でも愛という言葉を使うことが多いんですけれども、あまりに広すぎて、例えばですけど、KEIKOも最初の時には恋愛感情ではなかった。globeという、ボーカリストとしての愛情だったし、結婚してから恋愛感情というものは当然あったと思いますし、病気になってからはそういった愛情ではなくて、無償の愛という言い方なのかわかりませんけど、何がどうあれ、いとおしいというような愛情であったりとか。ひとりの人でもそれだけ変わるので、この短い時間で表現するのは難しい。

――安室奈美恵さんが引退すると発表しましたが。安室さんの引退は小室さんに影響があったのか。

 安室さんの引退宣言というのは非常に理解はすぐできました。美学というか。美学を貫くという意味では、非常に素敵だなと思います。自分もいずれ素敵な形で身を引けたらいいなと思いました。まだ1週間足らずの決断ですので、何までが許されて、何までが許されないのか正直、自分で判断ができてないんですね。お騒がせした、それを償うという図式しか今ないです。

――小室さんは満身創痍。この先、KEIKOさんと引退後、幸せに過ごしていく気力はお持ちですか?

 みなさんの前でお話するというエネルギーだけで今精一杯。1人になって、どのくらい涙が溢れ出るのか、何てことを言ってしまったのだろうという悔いが出てくる可能性は十分にあると思います。悔いなしなんて言葉はひと言も出てこないです。

〈会見の終了間際、スタッフが「みなさん、長時間ありがとうございました。これで会見を終わらせていただきます」と 150 人の報道陣につげると、それをさえぎるように、小室は「最後に一言だけ、すいませんです」と言って話し始めた〉

 僕たった一人の人間の言動などぜんぜん、日本であったり、社会が動くとはまったく思ってませんが、先ほども言いましたように、高齢化社会に向けて、介護の大変さであったりとか、それから社会のこの時代のストレスであったりだとか、少しずつですけれど、この 10 年でふれてきているのかなと思っているので、こういったことを発信することで、この日本を何かいい方向に、少しでもみなさんが幸せになる方向に動いてくれたらいいなと、心から思っております。微力ですが、少し何か、響けばいいなと思っております。ありがとうございます。

〈小室がそう語り終わると、スタッフが「それではこちらの方から退場させていただきます」と言い、小室は退場。本当に会見が終了した〉





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最終更新日  2018年01月20日 22時00分37秒
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