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2023/11/19にアップした ジャズ喫茶の思い出(その9) の続きです。西宮市にかってあったジャズ喫茶2軒に関する備忘録的内容です。Google先生にいくつかのキーワードで尋ねた結果ヒットしたネット情報・記事がネタ元です。まずは阪神淡路大震災後に閉店してしまった「OutPut(アウトプット)」についてネタ元は↓思い出の建物 2023.08.30 事務長山梨県甲斐市にある「竜王ペインクリニック」の事務長さんのブログのようです。院長さんの経歴は>経歴>神戸大学理学部 卒業>山梨医科大学 医学部 卒業>山梨大学附属病院 麻酔科との記載があるので、西宮市に近い神戸大学卒業生の院長が書いた文章かと最初は思ったのですが、事務長とのこと。ひょっとすると、院長と事務長は同一人物なのかもしれませんが・・・。上記記事から「OutPut」との関連が強い部分のみ以下に引用させてもらいます。------------------- 引用開始 ---------------------皆様は、いかがお過ごしでしょうか?曾祖父の家は、曾祖父の孫によってJAZZ喫茶に一部なりました。そのお店を検索したら当時のお客様のSNSから出てくる、出てくる??その名前、アウトプットです。コンクリートのうちっぱなしで入口にJAZZと型抜きされその当時珍しいハロゲンランプを使用していました。経営していたお兄ちゃんは、「よく、盗まれるねん」と言っていたのを覚えています。いかにもJAZZが好きそうなスリムなお兄ちゃんとそのお嫁さんとで経営していました。(中略)その後、おじちゃんたちは、曾祖父の家を売り、西宮の山の方へ引越しました。目をつぶると思い出す建物ありますか?------------------- 引用終了 ---------------------上記記事には阪神淡路大震災に関しては何も書いてありません。私の勝手な妄想では「書きたくなかった」からでないか、のように感じます。震災に関して何か書くことは当時の強いストレスを思い出させるトリガーになりかねないと私自身は思っています。※全くの余談ですが、左巻きブロガーの中には安倍首相(当時)や自民党政権を貶めたい一心で、九州南部で発生した地震について「天罰でしょうか?」というコメントを書いた「人間の屑」がいます。その発言を嬉々として容認する左巻き・情弱・妄想気味ブロガーもいます。5~6年前に◯◯さんブログで実際に発生した唾棄すべき出来事です。私は地震や台風や洪水などの自然災害を政権批判のツールに使用するクソ野郎やクソ女を決して許しません。こういうクソ人間どもは自然災害に被災しても自治体も自衛隊も国も放置しとけよ、とさえ思いますな(コレコレ私の記憶では曽祖父さんの家は豪邸といえるほどの広さ、造りではなかったと思いますが、あのあたりは当時も今も相当地価が高いとこです。西宮北口駅から徒歩5分くらいで、同駅からは大阪にも神戸にもアクセス至便です。阪急今津線の軌道に面した土地ですが、駅に近いので電車の速度は遅く、電車の騒音がそれほど煩い場所ではありません。西宮市内の住宅地としてはトップランクの地価だと思います。上記引用文で省略した部分には「リビングには小磯良平の絵が飾られていた」という主旨の文章があります。多分曽祖父さんは結構な資産家だったのでしょう。てなことで、阪神淡路大震災で木造二階建ての家が相当大きな被害を受けたので、震災後多少落ちついてきた時点で土地を売却され、西宮の山手の高級住宅地に転居されたんでしょうな。私の勝手な想像では(コレコレ>いかにもJAZZが好きそうなスリムなお兄ちゃんとそのお嫁さんとで経営していました。ここは私の記憶と一致しますな。加えていえば、マスターは背があまり高くなく、ちょっと長髪でした。次は2012年9月3日に残念ながら閉店した「Corner Pocket」(開店時の店名はDuo)についてです。ネタ元は↓「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話 連載第75回 「Corner Pocket」のマスター、有り難う!この記事の中から興味深いとこをいくつか以下に引用させてもらいます。>去る2007年7月に、西宮北口にあるジャズ喫茶「Corner Pocket」のマスターであられた鈴木喜一氏が逝去されました。また50代の若さでおまけに急性心筋梗塞との突然の病魔であったため、生前に親しくして頂いていたミュージシャンや我々ファン達の驚きと悲しみは筆舌に尽くし難いものがありました。マスターが若くして亡くなり後は奥様が閉店まで店を続けてこられたことは知ってましたが、「急性心筋梗塞」で亡くなられたことは初めて知りますた。>「Corner Pocket」は昭和50年(1975年)2月に、当初は「Duo」との店名で開店されました。同じ西宮北口には「Duo」から歩いてほんの2~3分の阪急電車の線路沿いの場所に、既にその約3年前から「Out Put」との名前のジャズ喫茶がオープンしていました。開店時の店名である「Duo」は多分、PianistのKenny DrewとBassistのNiels-Henning Orsted Pedersen(デンマーク人)の二人のDuoアルバム「Duo」(SteepleChase SCS-1002) から付けられたのではないかと推察していました。マスターにこの件を尋ねたことはありません。以下の画像では開店当初のスピーカーはJBL ParagonではなくJBL 4320だったんですねぇ。Duo時代にも何度か店を訪れているはずですが、JBL 4320の記憶は全くありません。後のJBL Paragonのイメージが強いので、記憶から消失したんでせう。>開店当時の「Duo」は、まだ20歳代の若きマスターと奥様(現在の“かーちゃん”)およびマスターの妹さんの3人で店を切り盛りしておられました。僕にとって特に印象に残っている事は、開店当時の奥様および妹さんが共にストレートのロングヘアとスリムジーンズが似合った美人であり(特に“かーちゃん”の事を、僕はずっと栗田ひろみに似ていると思っていたのですが、今では栗田ひろみと言っても誰にもわかってもらえません)、その事が「Duo」に行く楽しみの1つだったという事です。私が「Corner Pocket」について書いた過去記事は西宮市のJazz喫茶Corner Pocket(2005/07/20)西宮市のJazzSpot Corner Pocket(2005/11/03)の二つです。2005/07/20の記事では>私が通っていた頃はマスターの奥さんか妹さんかよく知らないが長い髪のスレンダーで小柄な女性がカウンター内にいることが多かった。結構、かわいい女性だった。私が通っていたのは実はその女性目当てだったかもしれない(笑)。話をしたことはないけれど(涙)。と書いています(苦笑引用した記事では「奥様(現在の“かーちゃん”)およびマスターの妹さん」が店を手伝っていたとありますな。また「開店当時の奥様および妹さんが共にストレートのロングヘアとスリムジーンズが似合った美人であり・・・」とも書いてある。そう言われてみると、奥さんと別にもっと若い幼い感じの妹さんが店にいることもあったような気がします。それほど頻繁に店に通っていたわけではないので、「あれ、奥さん?若くなった? なんか雰囲気がいつもと違うけどな~~。バイトの娘というには奥さん?と雰囲気が似すぎじゃね~~」と感じたことがあったような気がしてきましたよ(笑>僕はずっと栗田ひろみに似ていると思っていたのですが言われてみれば、奥さんは栗田ひろみ風でしたな。小柄で小顔でストレート・ロングヘアーの美人さんだから、そういう女性はみんな栗田ひろみ似なのかもしれませんけど(苦笑>当時のジャズ喫茶はほとんどのお店で会話は禁止であり、「Duo」でも御多分に漏れず話声がうるさい場合には注意を受けるとの習わしでした。僕も1度不用意にも店内でおしゃべりをして妹さんから注意を受けた事があるのですが、そのような本来は恥じるべき出来事ですらも何故か甘酸っぱい思い出として長年記憶に残っています。私が店内でのおしゃべりがうるさいと注意を受けたのはマスターからですた。残念です(笑)。これに関しては上の2つの記事では書いていませんが、「ジャズ喫茶の思い出」シリーズのどこかで書いた記憶があります。高校時代のクラスメートのK君T君とこの店の近所で偶然会ったのか、一人で店に行ったらK君が先客でいたのか忘れましたが、店で結構大きい声で、というかJBL Paragonの音がデカいので大きな声でないとコミュニケーションがとれないのです(苦笑)。マスターに「お客さん、ちょっとうるさいですよ!」と穏やかに注意されますた。学生時代なのか就職してからなのか記憶がありません。K君T君は高校時代美術部だったので、高校時代の私の元カノ(彼女も美術部員)の近況を彼から聞いていたのかもしれません。K君T君が美術系大学に進学してたかどうか全く記憶はありません。絵描きで食っていくのは至難の業なので多分文系の大学に進学したんだと思います。 ※先日の高校時代同級生との飲み会でK君の話題を出したら、そんな男子は知らん!、と返されますた。よく考えたらK君ではなくT君ですた。ということで修正しますた。(2023/11/26 19:40)栗田ひろみさん↓"LAST NIGHT AT CORNER POCKET PV"
2023/11/23
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2005年11月03日に書いた以下の記事に昨日いくつかのアクセスがありました。西宮市のJazzSpot Corner Pocketなので、「西宮市」、「ジャズ喫茶」というキーワードでgoogle先生に尋ねるといくつか興味深いブログ(note)記事がありますた。伝説のジャズ喫茶 バンビには神戸・三宮にあったジャズ喫茶「バンビ」について書かれています。私は「バンビ」に行った記憶がありません。店の名前だけは昔から知っているので、一回くらいは行っているのかもしれません。この店の二階は全国的に有名な進学校である灘高校(灘中→灘高、高校からの入学者はゼロか極めて少数だったような気がします。最近のことは全く知りませぬ)の授業についていけず退学せざるをえなかった落ちこぼれ(正確にはスーパーエリート受験校からの落ちこぼれですけど)のタマリ場であった、とこの記事には書いてあります。私は初めて知りましたわ。半世紀ほど前に私が聞いていたのは、灘高や甲陽学院高等の進学校は高校二年生までに文科省、いやいや当時は文部省ですな、の定めた教育課程(って言うのかな)を終えて三年生では東大、京大、阪大等の旧帝大や国立大医学部受験用の勉強をひたすら行う、てな話ですた。実態は全く知りません。バンビの二階は灘高ドロップアウト組のタマリ場であったとしたら、私はバンビの二階には100%上がったことがないと思います。そういうスカした奴ら(笑)の雰囲気は容易に察知できるので、そういう気配を感じた記憶がないので二階に上がったことはないと断言できます。というか、一階にも多分行ったことないですけどね(笑で、私が注目した部分を以下にコピペさせてもらいます。>その タムロしていた 灘中 灘高 中退組の中に なんと>後で解った事ですが、後に物書きとなる 中島らも>が 居たのです!(◎_◎;)> (中略)>らもさんと美代子さんはは もう一つ 硬派な コアなジャズ喫茶 ニーニーで デートしていたそうですが 私も>よく行っていたので そちらでも 遭遇していたかもしれません。20年くらい前、彼が亡くなる一年か二年前くらいに中島らも氏とは新幹線で遭遇したことがあります。グリーン車ではなく普通の指定席ですた。私の席の通路挟んだ隣に若い男女と計5~6人の集団で座っていました。多分名古屋から乗った下りの「のぞみ」だったと思います。彼はバンド演奏もやっていたのでそのメンバーで大阪でのライブ演奏に向かう途中だったような気がします。メンバーの中の若い女性の人生相談に乗ってるような感じで大阪までの一時間ほどずっと二人で喋ってますた。その女性を口説いている気配はありませんですたよ。彼の小説では「今夜、すべてのバーで」と「寝ずの番」を読んだような気がします。「寝ずの番」は映画が面白かったので、その後で文庫本を買って読んだような気がしますな。で、彼が後に夫人となる女性とよく行っていたのが神戸三宮「ニーニー」だったそうです。ニーニーは「Knee Knee」です。このジャズ喫茶は上記引用文にもあるとおり、「硬派な店」ですたな。ただ、後にできた「クル・セ・ママ」という店の方がもっとハードな店でしたけどね。「クル・セ・ママ」ではアルバート・アイラーやアーチー・シェップやファラオ・サンダーズやセシル・テイラーやオーネット・コールマンなどのフリージャズ系がかかることがほとんどですた。エリック・ドルフィーあたりでもマスターは軟弱な音楽と思っていた気配がありますた。で、、、、今日この記事を書いておこうと思った動機は、同じく上記ブログ(note)記事にあった以下の文章です。>こちらは 西宮北口にあったジャズ喫茶 アウトプット こちらは学生街と言う事もあって 軽めのオシャレなモダンジャズを聴かせるお店でよく行ってました。ううう~~~ん???そうかな~~~??、「軽めのオシャレなモダンジャズを聴かせるお店」ではなかったと私は思いまけどねぇ~~。Fusion Jazz、例えばReturn To ForeverやWeather Report(左記のバンドをFusion Jazzと呼ぶことには異論もありそうですが、そこらあたりは深く追求しないでください)のレコードはアウトプット(Out Put)ではよくかかった。それに対して近所のライバル店(?)であるCorner Pocket(開店時はDuoだったが、後に改名)ではあまりかからかなかったのは事実だとは思います。だけど、Return To ForeverやWeather Reportは「軽めのオシャレなモダンジャズ」では決してありませんぞ。上記ブログ(note)は女性が書かれているようで私の根拠なき妄想では神戸女学院とか甲南女子あたり出身のお嬢さま、OGのように思います。ジャズについてお詳しい方なのかどうか不明ですけど、「アウトプット(Out Put)」についての認識には同意できませんな(苦笑西宮北口に阪神淡路大震災前まであったジャズ喫茶「Out Put」のマッチ↓「アウトプット(Out Put)」は阪神淡路大震災の後、閉店してしまいました。民家の敷地内に別棟で建築されたコンクリート造の独立建屋だったので震災による建物被害は甚大ではなかったように推察しますが、オーディオ装置等(アンプやレコードプレイヤーなど)が棚から転落して全てお釈迦になった可能性は大いにありますな。母屋?は木造二階建てだった記憶があるので、そちらの被害が甚大でジャズ喫茶の営業再開どころではなかったのかもしれません。ジャズ喫茶通いが好きな中学同級生の女子(私とは別の高校に進学)から「Out Put」の震災後のアレコレを聞いた記憶があるのですが、内容は全く忘れました。彼女の友人にもジャズ喫茶に入り浸っていた男子や女子がいたので、そこらあたりから仕入れた情報だったような気がします。店は阪急今津線沿いで軌道の西側にあり、西宮北口駅から歩いて5分くらいの場所にあったように記憶します。ALTEC A-7(本来は映画館等の劇場用スピーカーです)で鳴らす音量(音圧)はかなりデカかったので、ジャズの音を思い切り身体に浴びたい時には格好の店ですた(遠くを見る目・・・・神戸三宮に昭和50年代くらいまであったジャズ喫茶二軒↓ おそらく雑誌「ジャズ批評」や「スイングジャーナル」等に載った店の案内記事でしょう最初に書いた二つのキーワードでネットをつらつら検索していくと、こんなのがありますた。MUSIC ALLEY2023~夙川音街横丁~(2023年度下半期公民館活用促進プロジェクト)私が注目するのは------------------- コピペ開始 ---------------------・第5回 2月17日(土曜日) 18時 受付、18時15分 開始 「レコード音楽とライブ音楽」~西宮にジャズ喫茶があった時代と現在の音楽文化~ 1970年代に西宮北口に生まれた2つの個性的なジャズ喫茶。 当時の音源とともに西宮のジャズ文化を振り返る。 ゲスト:桑島 紳二 氏(大阪商業大学 公共学部教授)------------------- コピペ終了 ----------------------ですね。参加費は800円、定員30名だそうです。どんな話がされるか結構興味ありますが、土曜日の夕方にわざわざ西宮まで行くのも面倒くさい話ですな。土曜日とはいえ、2月中旬だと仕事の締切に追われてヒーヒー言いながら仕事してるかもしれませんし・・・(苦笑
2023/11/19
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今月初旬に亡くなったハードボイルド作家の原寮氏について「原寮」、「ジャズ喫茶」でネット検索すると、2018/02/03 09:51付の佐賀新聞の以下の記事がヒットしました。ファン待望 原尞さん14年ぶり新刊 佐賀県鳥栖市在住、直木賞作家最後の数行だけ以下に引用させてもらいます。---------------------------------------------(前略)原さんは14年をかけたことについて「1行1行のすべてが面白い小説を追い求めた結果だが、そんなにかかってしまったかという感慨もある」とし、「犯人探しのミステリーというよりもハードボイルドとして読んでほしい。ワンステップ進んだと感じてもらえるのではないか」と読者の反応を楽しみにしている。税込み1944円。県内主要書店で販売される。---------------------------------------------はい。わたくしめも「犯人探しのミステリーというよりもハードボイルドとして」読ませていただきました。まぁ、「ワンステップ進んだと感じてもらえるのではないか」はかなり微妙なとこですが・・・この記事の原寮氏の画像を拝借して以下に貼っておきます。画像には>14年ぶりの新作について語る原尞さん=鳥栖市東町のジャズ喫茶「コルトレーン・コルトレーン」と付記されています。うん?。鳥栖市内のジャズ喫茶「コルトレーン・コルトレーン」って以前YouTubeのジャズ喫茶訪問動画で観たことあるよなぁ~~。そん時の動画では原寮の事は何も語られていなかったはず。で、また別のネット記事↓には佐賀 鳥栖・コルトレーンコルトレーン ②18/01【祝35周年/原尞氏新作 情報】>2.マスターの弟で直木賞作家 原尞さんの新作。3/1、14年ぶりに発売!と書いてあります!なんと、この店は原寮氏の実兄さんがマスターなんですね。この記事から氏のサイン入り文庫本の画像を拝借して載せておきます。佐賀県鳥栖市は佐賀県と言っても、県の東端で東隣は福岡県小郡市、南隣は福岡県久留米市なのでイメージ的には佐賀というより福岡です。ほんまかいや?私は鳥栖市を訪れた記憶はありません。上記の記事では2018年で開店35周年とあるので、1983年頃開店ですね。だから、私の学生時代には未だ存在してなかった。だから、ジャズ研仲間でもこの店の話題が出ることも当然ありませぬ。当たり前か(苦笑あ~~~、店名のコルトレーンはTenor Saxの巨人John ColtraneのCOLTRANEです。以下のライブ配信動画ではマスターとママさんが登場します。マスターは原寮氏と顔は似ていますね。高齢なので店のクローズを考えている話がでてきたような気がします。所有する数千枚のレコードを徐々に処分(売却)して減らしていってるという話が出てきたと思います。こういう店は居心地が良さそうだから、後継者が現れたらいいんですがねえ。故・原寮氏は元フリージャズ・ピアニストですが、マスターのお兄さんも元フリージャズ・プレイヤーだったようですね。どっちの動画だったか忘れましたが、Albert Ayler(Tenor Sax Player、Free Jazz系)のレコードをかけてる際、ママさんから「この人(マスター)は昔こういう演奏してたのよ」という話があったはず。"ジャズ喫茶、コルトレーンさんにお邪魔してます。スマホよりライブ配信 Jazz coffee shop"上記動画からマスターをスクショしたものを以下に載せておきます。"佐賀【Coltrane Coltrane】コルトレーン・コルトレーン ジャズ喫茶でひと休み"上記動画から店内に掲示している小説「それまでの明日」の宣伝ポスターをスクショしたものを以下に載せておきます。
2023/05/26
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YouTubeは過去に自分が観た動画に関係した、類似した動画を自動的にリストアップしてくれます。なので、○○○系動画をいくつか観ると、それに関連した動画がリストアップされるため、家族に見られると恥ずかしいことになるので注意が必要です(苦笑)。最近、やっと○○○系動画は表示されなくなりました。ほっ・・・ジャズ関係、オーディオ関係の動画を最近よく観ます。あ~~、高橋洋一チャンネルや元東京新聞の長谷川幸弘氏の動画もよく観ます。ほんこん氏の動画も時々観ます。百田尚樹チャンネルは最近怒涛のように動画がアップされており、よく観るのですが30分前後と長いので飛ばし飛ばし観ます(苦笑で、熊本のジャズ喫茶の紹介動画がアップされたのでちょっと観ました。老舗の「Jazz inn おくら」という店でしたが、私は訪れたことがありません。うん?? 熊本のジャズ喫茶といえば、5~6年前に大学の研究室のOB会が熊本県の田舎の恩師宅で開催された際、時間調整と後輩との待ち合わせのため立ち寄ったジャズ喫茶があったよな、と思い出しました。たしか、新幹線で熊本駅に向かってる最中にジャズ研の後輩(同じ研究室出身)から電話があり「○○○さん、今どのあたりですか? 私と□□はかなり早く熊本空港に着いたので、熊本市内のジャズ喫茶に行ってビールを何杯かひっかけてから先生宅に向かう予定です。○○○さんも来んね?」「行く、行く、行くとよ!」と返事をし、熊本駅から彼に教わったとおりに、路面電車(チンチン電車)に乗り、店に行きました。店の名前は完全に忘れてましたが、ネットでちょっと調べるとすぐに判明しますた。ただし、ジャズ喫茶案内*Gateway To Jazz Kissaによれば、残念ながら 2018年12月閉店 のようです。他のネット情報でも閉店とあるので間違いないでしょう。店の名前、所在地はカフェ・ジャレット 熊本県熊本市中央区水道町1-19です。店の名前は完全に忘れているので、上記住所でGoogle Street Viewで確認したところ、ジャズ研の後輩二人とビール飲んだ店に間違いないです。路面電車の水道町駅から近いビル内の1Fにありました。当時はジャズをたまにPC内のwave file(CDから取り込んだ音源)をPC用Powered SPで聴く程度で、オーディオ関係はプリメインアンプとSPやレコードプレイヤーを10数年以上結線せず放置してたくらいで興味なしな時期でした。なので、「カフェ・ジャレット」のAudio Systemの記憶は全くありません(苦笑)。記憶にあるのは、かなり音量は絞られており一般客から「この音なんなん?うるさかとよ!」と苦情がでるような環境ではなかったです。まぁ、とはいっても一般の喫茶店のBGM音量(音圧)よりは大きかったんでしょうね。窓が広く、昔のジャズ喫茶の薄暗いやばそうな雰囲気とは真逆の明るい健康的なイメージの店でした。あ~~、訪れたのは多分土曜日の真昼間ですね。で、、、一度しか訪れてない店で4年以上前に閉店した店について、この記事を書いてメモっておこうと考えたのは、以下の記事を読んだからです。。。「カフェ・ジャレット」堀江 伸さん熊本、カフェ・ジャレットでネット検索するとすぐにヒットする記事です。エフエム・クマモトの番組内容紹介ブログのようです。ここで、店のオーナーさんのプロフィルや開店に至った経緯・動機等が詳細に書かれています。個人情報的にここまで書いていいのかいな、てな感も若干ありますが、オーナーさんは店の宣伝のためと了承されたんでしょうね。県立済々黌(セイセイコウ)高校出身で元警察の方なんですね。捜一課長や刑事部長を勤めれた方です。で、定年退職後趣味のオーディオやジャズに関係するカフェを開かれたということですね。この記事は2013年7月 1日 (月)なので、5年ちょいで閉店になってしまったんですね。不採算続きでの閉店なのか、他の理由があるのか全く判らないので、テキトーなことは書けません。FM熊本の上記記事から一部だけ以下に引用させてもらいます。----------------- 引用開始 ----------------(前略)Q⑤ 「カフェ・ジャレット」のネーミングの由来は? そこに込めた思いなどあえば教えてください。ネーミングの由来・大学生の時初めて買ったジャズのLPが、キースジャレットのケルンコンサートだった。・周りのアドバイスで、ジャズ喫茶と名乗ると、マニア以外のお客さんが来ないから、ジャズを表に出さないほうがいいということであったので、いろいろと考えたが、カフェジャレットとすれば、ジャズファンもジャズに関わる店であるとわかると思った。(後略)----------------- 引用開始 ---------------->大学生の時初めて買ったジャズのLPが、キースジャレットのケルンコンサートだった。ハンドル名「ケルンコンサート」の私が「ジャズ喫茶の思い出」として「カフェ・ジャレット」を長く記憶しておくために書いておかねばダメな店でしょう。ということです。。。熊本 ・Cafe Jarrett(カフェ・ジャレット) 17/11 から店内の画像を一枚だけ拝借してここに載せておきませう。このブログ主さんは>水道町のバス停前にあるお洒落なビルのトンネルをくぐった先にあるのですが、全然場所がわからず、右往左往。。。結局、お店に電話して教えていただきました。と書かれているが、私も場所がわからず、後輩に電話して迎えに来てもらいました。すぐ目の前にあったんですが、気がつきませんですた。。。McIntoshの高そうプリアンプとモノラル・パワーアンプ×2(画像の中央下のブルーのメーターが光ってる黒いアンプ)が写ってますな。これだけで100万円+100万円×2台=300万円以上はしますな。モノラルパワーアンプは100万どころか150万くらいするかも??私が訪れた際は若い女性(30歳前後と記憶 笑)が客の相手をしていた記憶はありますが、オーナーさんらしき中高年男性がいたかどうかはっきりしません。ただ、若い女性がオーナーなんかな?珍しいなと思った記憶がかすかにあるので、オーナーさんは不在だったんでしょう。カフェジャレット(CafeJarrett) 記載の画像も拝借して貼っておきませう。こっちの画像ではMcIntoshの真空管パワーアンプ1台と半導体モノラルパワーアンプが4台写ってますなぁ~~。青色のVUメーターのサイズが上下で異なるから2機種×2台なんですな。多分、高域(ホーン・ツイ-ター)と低域(ウーファー)を別のアンプで駆動させてるんでしょうな。だからL/R×H/L=4台のパワーアンプがあるわけですな。まぁ商売云々よりもオーナーさんの趣味なんでしょうね。---------------------------------------------------------------OB会の後、早割で購入していた熊本駅発の新幹線の発車時刻までかなりの空き時間があったので、熊本地震で被災した熊本城の状況を見に行きました。城の周りを歩いて一周するのに1時間くらいはかかったように記憶します。震災の傷跡が生々しく残ってる時期でした。以下の画像は2017年7月の画像です。城の近くにあった「熊本城震災復旧工事解説館」のような建物内に説明が書いてありましたが、地震で崩落した、崩れ落ちた石垣を震災前の画像等を基に一つ一つの石を元あった位置に戻すために石にナンバリングした上で、下の画像のように保管しているとのことでした。気の遠くなるような作業ですが、貴重な文化遺産である熊本城の復旧はそれほどの大事業ということですね。----------------------------------------------------------以下は熊本市観光ガイドの画像を借用しています。現在の熊本城の画像です。
2023/04/20
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「ジャズ喫茶の思い出」というタイトルは虚偽というか不適当なんですが、学園祭でジャズ喫茶開店してた時の話なので、まぁよかでしょう。多分M2の時の学園祭でジャズ研のメンバーでライブをやりました。前年の学園祭でもライブやったんだと思います。下記の2枚の画像↓です。5流ドラマーは私です。。。Guiterは同期、Bassは2学年後輩、Alto Saxは多分3学年後輩です。どんな曲を演奏したのか全く記憶にありません。演奏は屋外のみで教室内に開いたジャズ喫茶では演奏していないと思います。まぁ、そんなに客がいない店(苦笑)だから店内で演奏しても虚しいからだと思います。屋外では周辺の通行人にもJazzの演奏が届きますからね。で、演奏が終わって楽器やアンプ等をジャズ喫茶に運びこんでる最中、ちょうど店(教室)の入り口付近で若い女性から声をかけられました。「あの~~、あそこにいる友達(彼女はその方向を指差してたと思います)の女の子が貴方のファンなんです。去年のライブで見てファンになったんです。名前と住所を教えてもらえませんか? ファンレター(手紙)送りたいって言ってるんです。恥ずかしいから自分では貴方に頼めず私が代理でお願いしています」5~10mくら離れた場所に若い女性がいました。校舎の入り口付近で半分顔と身体を隠していたような気もします。赤茶色のベレー帽をかぶっていたような気もします。顔ははっきり見えませんでした(苦笑「名前と住所を教えるのはかまわんけど、ところで君ら年いくつ?」と返しました。『あ~~~、わしにもついにファンの女の子がついたんか。嬉しすぎやろ!、男前ったい!』という心の動きを目の前の彼女に察知されないよう努めてクールに答えました(笑記憶では「高校3年生です」と返されたはず。短大1年生だったら、こちらが返す言葉が少し違ったかもしれません。「え~~、高校生なん!、僕はM2で23歳だよ、5~6歳も年上だよ」と言いつつ、紙に名前と住所を書いて目の前の子に渡しました。それからは心ウキウキ状態。ファンレターを書いてくれるという子の姿をはっきり見ていないという大問題があるのですが、見知らぬ若い女性から手紙が届くのはそれゃ~~嬉しいもんですよ。3枚目の画像↓はそん時のウキウキ気分時の画像かもしれません。画像の奥には運び込んだバスタム(今はフロアタムというようです)とシンバルが写っておりますな。学園祭終了後、研究室の4年生の女子学生にこの件を「自慢気に」(笑)語ったんですが、「へ~~~、よかったわね・・・」とかなり素っ気ない反応。それから3日たっても一週間たっても二週間たってもファンレターは届きませんでした(号泣彼女の気が変わったのか、「5~6歳年上だよ」ってのが余計な言葉だったかいな、としばらく落ち込みましたわ(苦笑
2022/11/06
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今回は学祭にジャズ研メンバーで出店したジャズ喫茶の話です。太宰府天満宮でのJKとのデート画像をスキャンした際に併せてスキャンした画像です。正直あまり記憶にないのですが(笑)、画像に写ってるメンツから大学4年かM1の時の学祭時の写真だと思います。一枚目の画像の左端の男と真ん中でカセットレコーダーらしきものに手を添えている男はジャズ研メンバーではありません。右端のかわいい女性二人は手伝いに来てくれたジャズ研メンバーの彼女さんの女子大生二人か彼女さんとその友人だと思います。帝王Miles Davisの名盤「Cookin'」を4人が掲げておりますな(笑これから判断するに、ジャズ研メンバー間で店に持ち込むレコードの調整は全くしてなかったということですね。多分自分がフルボリュームで聴きたいレコードを各自が勝手に持ち込んだということですな。。。だから二枚目の画像にあるように、最低でも3種類のレコードが4枚も店にあったわけです。全くバカですね。重たいレコードを自宅から大学まで多量に(多分数十枚以上でしょう)どうやって運んだんでしょうかね。人が邪魔してよく見えないけど、後ろのカラーボックスには少なく見ても500枚以上のレコードがあるように見えるんだけど・・・車持ってた奴なんていたかなぁ~。あっ、左端の男は車もってたから彼にメンバーのアパートを回ってもらってレコードを積み込んだんかな? 全く記憶なし。あ~~~、2枚目の画像のレコード(3種×4枚)は右から左に・The Miles Davis Quintet "Cookin' " Prestige・John Coltrane "Blue Train" BlueNote ・Miles Davis " 'Round About Midnight" Columbiaです。いずれもジャズの不朽の名盤です。テーブルの上には当時の学生の定番ウィスキーのサントリー・ホワイトのジャンボボトルが置いてありますね。トリスやサントリー・レッドやハイニッカはさすがに不味すぎるし、何より深酒すると翌朝眼が痛い(苦笑角瓶は贅沢品、オールドなんぞはスナックでオールド以下の酒がない時だけちょこっと飲むという感じでした。
2022/09/11
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ネット上で見つけた「ジャズ喫茶マッチの旅 福岡編」というサイトhttp://adobensya.jp/jazzmach/fukuoka/fukuoka.htmlから文章や画像を一部借用いたします。サイトの冒頭に記載されてる文章は↓>ここは福岡、九州一の大都会・・・>多分比率で見ると日本一ジャズの熱を消さぬ、老舗の店舗数を誇っているのじゃないかな?>また新規開店もこれからどんどんありそうな熱気を感じさせる。>たくさんの店舗数がありすぎるので何時かきちんと整理しよう。>参考資料:スイングジャーナル/ジャズ批評社「ジャズ批評」>「ジャズ日本列島」年度別ジャズ喫茶各県の紹介数>47年<9>/55年<20>/61年<22>/70年<21>このサイトがいつまで存続するか判らないので重要な部分、雑誌「ジャズ批評」の「ジャズ日本列島」特集号に記載されてる福岡のジャズ喫茶やジャズ・バーのリストについてもコピペさせてもらっておきます。ここの著作権は主に株式会社松坂(ジャズ批評社(屋号))にあるのだろうと思います。個人的な利用については多分(オイオイ)「ジャズ批評社」の事後承諾は得られるでしょう。https://www.jazzhihyo.com/about.html※ 以下の記事では昭和○○年と西暦19□□年の表記が混在しています。47年、55年、61年は昭和で95年は西暦だと思います。---------------- コピペ開始 ------------------ジャズ批評 47年「ジャズ日本列島」福岡市駅前:アベベ、中州:ケリー、ジャブ、ブルーノート(昭和41年)、メッチェン(昭和40年)、東中州芳町:リバーサイド(昭和28年)、春吉町:サッチモ(昭和48年)、八幡区中央:むらさき/久留米市:ルーレット(昭和40年)(わずか4坪の見せながら、九州では古い歴史のあるユニークな店だったそうだが、46年夏、銀座商店街の火事に遭い全焼、当時としては膨大な量であった2500枚のコレクションも灰になってしまったそうだ)ジャズ批評 55年「ジャズ日本列島」福岡市博多区博多駅前:エバンス、中州:リバーサイド、ケリー、ブルーノート、メッチェン、天神:コンボ(昭和39年)、中央区春吉町:サッチモ、渡辺通り:JAB、大名:モダン・パルス(昭和51年)、バックステージ、南区井尻:Black&Tan(昭和51年)、大楠町:ル・マン、北九州市小倉北区京町:ミュージック・プラザ・アベベ、魚町:ジャズ・ストリート・52(昭和44年)、若松区本町:える(昭和51年)/久留米市通町:ルーレット(目出度く再開されている、レコードも6000枚とオーナーのジャズに対する熱い思いが伝わってくる)、東町:アフター・アワーズ・バン(昭和52年)、六ツ門町:エイト・モダーン/大牟田市新栄町:スマイル(昭和52年)、上町:ファイブ・スポット/柳川市西鉄通り:FUNCOOL(昭和44年)が紹介。ジャズ批評 61年「ジャズ日本列島」福岡市博多区中州:ブラック・ベリー、リバーサイド、ジャズ・スナックBLUE NOTE、中央区大名:バックステージ、リメンバー、中央区赤坂:バードランド、天神:コンボ、渡辺通り:JAB、春吉町:サッチモ、ニュー・コンボ、南区大橋:セサミ/北九州市小倉北区京町:ブルーノート、若松区本町:えるがELLE EVANSと改名、魚町:ジャズ・ストリート・52、北区真鶴:ペントハウス/久留米市通町:ルーレット、東町:アフター・アワーズ・バン(昭和52年)、六ツ門町:エイト・モダン/柳川市西鉄通り:FUNCOOL、甘木市:喫茶古処が紹介されている。ジャズ批評´95年「ジャズ日本列島」福岡市中央区天神:ブルーノート フクオカ、ブラウニー、コンボ、中央区大名:バックステージ、赤坂:バードランド、今泉:マスカレード、春吉町:ニュー・コンボ、渡辺通り:JAB、中州:ブラック・ベリー、TROMBONE CLUB、リバーサイド、西中州:BAR BUSH DISH、今泉町:マスカレード、南区大橋:セサミ、若松区本町:ELLE EVANS、魚町:ジャズ・ストリート・52/久留米市通町:ルーレット、東町:アフター・アワーズ・バン、六ツ門町:エイト・モダーン/柳川市西鉄通り:FUNCOOL/甘木市:喫茶古処/大牟田市新栄町:ファイブ---------------- コピペ終了 ------------------以前書いた記事、「ジャズ喫茶の思い出 その1~その4」で言及していない店は上記の店名リストの中では多分以下の3軒です。大楠町:ル・マン南区井尻:Black&Tan(昭和51年)南区大橋:セサミ「ル・マン」は私の記憶ではジャズ・バーというかジャズ・スナックです。バンドの仲間がマスターと親しかったのでマスターの家に彼と共に一晩泊めてもらったことがあります。マスターご夫婦は当時多分60歳前後だったような気がします。あ~~~、ここでは一度ライブ演奏したことあります。泊めてもらったのはライブの後だったかもしれません。「Black&Tan」はジャズ喫茶です。多分10回以上は通ったことあると思います。マスターは元NHKの職員で定年退職後に念願のジャズ喫茶を開いたよ! って熱く語っていたような気がします。元マスコミ業界人なので、学生のこっちに対して○〇〇ちゃん、元気だったかい?、今日はいつものコーヒーでいい? てな感じの軽いノリのマスターでした。店は奥様と二人でやられていて、かわいいバイトの女の子などは全くいなかったと思います。SPはJBLのD130を使ったバックロードホーンだったような気がするが記憶違いかもしれません。店はスナック向けのカウンター有りの細長い部屋で、スペースの関係で2つのSPは狹い間隔で置かれていたからか、あまり良い音ではなかったような気がします。開店当時は結構客が多かったような気がしますが、その後はそれほどでもなかった気がします。いつ頃閉店したのかは知りません。「セサミ」は多分1~2回くらいしか行ってないと思います。マスターはハードバップ系が好みだったように記憶します。オーディオ装置はかなり高級なものだったような気がしますが、詳細は記憶にありません。ジャズ喫茶「Black & Tan」のマッチは↓です。私の記憶と完全一致します。「Black & Tan」はDuke Ellingtonの曲「Black and Tan Fantasy」に多分由来します。当時、マスターの言質はとってませんけど・・・。
2022/08/12
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先日書いた「ジャズ喫茶の想い出」https://plaza.rakuten.co.jp/koeln/diary/202204150000/の マッチのコレクションに載ってる福岡、博多の店は「メッチェン」「JAB」、「RIVERSIDE」、「KELLY」、「COMBO」、「EVANS」の6店です。「メッチェン」と「EVANS」は全く知らない店です。上記の店以外に福岡、博多で記憶にある店は「BACKSTAGE」、「○○○」、「○○○○」、「○○○○○○○○」です。「○○○」他の3店については機会があれば後日書くとして、「BACKSTAGE」について、、、「BACKSTAGE」は西新にあった店だと記憶していましたが、よく考えると西鉄福岡駅から西新はかなり遠い。歩いていくのはちょっと無理ゲーで、バスか地下鉄に乗る必要があります。当時、地下鉄は未だ運行していなかったような気がするし、バスに乗るのもお金がかかります。そこまでして、JAZZ喫茶に行く気力も金力(?)もありませぬ。ということで、ちょっと調べると「BACKSTAGE」は今でも営業中でした!!!場所は昔と変わっておらず、赤坂というか大名というかそういうとこです。当時は赤坂の「BACKSTAGE」と脳内のJAZZ喫茶リストに書き込んでいたと思い出しました(苦笑店の公式サイトは 「Jazz & Cafe BACKSTAGE」 です。上記サイトの「HISTORY」から一部引用させてもらいます。>2002年4月には、「カフェ」の充実を図り、より一層お客様にとっての居心地の良さを追求すべく、リニューアルオープンを行いました。 昼間はレコードでジャズを流し、夜はミュージシャン達の音楽追及の場としてのポリシーは変えず、今までのコーヒー主体のジャズ喫茶から「ジャズカフェ」へと、ワイン、カクテルもそろえるように致しました。多くのJAZZ喫茶と同様に昔のスタイルのままのJAZZ喫茶では商売が成り立たないので、昼間の一般客獲得及び夜のアルコール関係の充実等で生き残りをされてきたようです。↓は「BACKSTAGE」の公式Facebookから画像を借用しています。Jazz & Cafeと書かれているので○十年前の昔のものとは別物だと思いますが、昔の看板も似たような感じだった気がします。https://jazz-kissa.jp/jazz-kissa-match-collection1 から店のマッチの画像を借用して↓に載せます。記憶の中の店のマッチと完全一致します。「BACKSTAGE」は私がたまに行っていた当時(○十年前)もライブ演奏を行っていたように記憶します。私は金欠学生だし日本人のライブ演奏にそれほど興味もないので、この店でライブ演奏を聴いたことはありません。ライブのためもあるのか、店はかなり広くゆったりしてました。SPはJBLの大型だったと思います。4344のような縦長ではなく横長だった記憶です。オリンパスのようなあまり大きくないSPではなく、4344系の横長・大型SPだったと思います。4344の高さを2/3くらいに低くして横幅を2倍くらいにした感じだったような気が・・・。型番等はネット検索してません(笑空間が広いためかそれほどの大音量という記憶はありませんが、結構良い音で鳴っていたような気がします。かかっていたJAZZはメインストリーム系でフリージャズ系はほとんどかからなかったように記憶します。雰囲気はかなり良い店なので、西鉄福岡駅に近ければ「COMBO」よりもこっちの店に数多く行ったと思いますが、赤坂(大名)なのでそれなりには歩かないといけないので、ついつい楽して「COMBO」に通ってました(苦笑youtube動画を以下に埋め込んでおきます。上に書いた2002年4月のリニューアルでCafeらしい雰囲気に改装されてますね。私の記憶では席は全てJBLの大型SP方向を向いていたような気がします。当時はBAR COUNTERはなかったような気もします。あまり自信はありませんが・・・"福岡市大名のジャズ喫茶バックステージ Backstage"
2022/05/01
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神戸 懐かしのジャズ喫茶から一部引用させてもらいます。>サンセット通りとトアロードとの角の地下1階にあった「さりげなく」というジャズ喫茶へよく行ったものだ。当時の神戸のジャズ喫茶事情としては、「にいにい」・「ピサ」・「さりげなく」・「トリオ」の4軒が代表格であった。先日書いた「ジャズ喫茶の想い出」https://plaza.rakuten.co.jp/koeln/diary/202204150000/の マッチのコレクションには三宮(最近は関西人以外にも判りやすいように「神戸三宮」と表記されるのかな~~、阪急電車は昔は「三宮駅」でしたがかなり前に「神戸三宮駅」と改名されてます。ちなみにJRは「三ノ宮駅」ですね、正確には・・・)の「ピサ」と「トリオ」が欠落しておりますな。全く余談ですが、何十年も昔、九州在住の友人が関西出張で来阪してて、当時のことだからメールではなく携帯か固定電話での会話で「じゃあ、○月○日18時にJRの三宮駅の西側改札出たとこで待ち合わせて飲みに行こう! って約束したんですが、約束の時間を過ぎても彼は現れず。しばらくして、こっちからかけたか彼からかかってきたか忘れましたが、携帯電話で彼は「いまJR神戸駅の改札口出たとこにおるとやけど、はよこんね・・・」(苦笑) 三宮駅と間違いなく言ったはずですが、彼は「神戸で飲もう」の言葉に引きずられて「神戸駅」と脳にインプットしたんでしょうな。。。>勤め先の大阪では難波と梅田にあったバンビへ行ったものだ。ここでは話をする人もいた。気楽な店だった。alex99さんからの先日のコメントに>今回、バンビに行った記憶がかすかにあり(笑)>京都だったか、はっきりしなかったのですが>道頓堀のあれがそうだったかとありました。上記の「大阪では難波と梅田にあったバンビ」と一応整合してますな。私は三宮に「バンビ」という店があったことはなんとなく記憶にあるのですが、行ったことはありませぬ。話を戻しまして、昭和のジャズ喫茶(64) 神戸三ノ宮 PISA (昭和52年)に載ってる雑誌スイング・ジャーナルのピサ(pisa)の広告の店のロゴは記憶と一致します。店の場所も記憶と概ね合致します。店には1~2回は行ったことがあると思います。店内の雰囲気等は忘却の彼方ですけど。「ボイスの客」はらすすのジャズよもやま話 連載第1回 ジャズ喫茶回想記から以下に一部引用させてもらいます。----------------- 引用開始 -----------------僕がジャズ喫茶に通うようになったのは、昭和47年(1972年)高校1年の3学期の事でした。当時の神戸のジャズ喫茶事情としては、「にいにい」・「ピサ」・「さりげなく」・「トリオ」の4軒が代表格であったように記憶しています。高名な作家の村上春樹氏(彼が神戸高校の出身である事は御存知でしょうか?おまけに僕にとっては西宮市立香櫨園小学校の先輩なのです。)が以前にある雑誌のインタビューで神戸時代によく行ったジャズ喫茶として「バンビ」の名前を挙げておられましたが、僕達の時代には「バンビ」はコンパの後に団体で行く喫茶店という雰囲気になっていました。また、後に神戸の代表的なジャズ喫茶となる「木馬」や元町駅南側にあったフリージャズ専門の「クルセママ」等が登場するのはこの数年後の事です。 「にいにい」は神戸レディスサウナの地下にあった薄暗い店で当時の神戸では最もアナーキーな雰囲気を漂わせていた店といえるでしょう。「ピサ」は生田神社前へ向かう手前右手の岸ビル地下1階にあり、ゆったりとしたソファーが心地よい店でした。「さりげなく」はサンセット通りとトアロードとの角の東のやはり地下1階にありました。マスターの国東さんの優しさがとても印象的でした。「トリオ」はJR(というよりも国鉄という方が当時の雰囲気ですね)元町駅の北側のビルの2階にあり、僕がジャズ喫茶に行きだした頃にちょうど阪急六甲から移ってきた直後でした。この店はその後経営者が代わり、「トンボ」という店名で1995年の震災直前まで営業していましたので、御記憶の方も多いのではないかと思います。大変狭い店でしたがライブ等にも意欲的で、僕も高校2年の頃に初めてジャズのライブを聴きにいったのがこの店で、確か宮本直介クインテットであったと記憶しています。※ フォントの太さ、大きさ、色についてはケルンコンサートの加工によるものです。----------------- 引用終了 ----------------上の文章で「トリオ」がJR元町駅北側のビル2Fにあったと書いてありますが、なんとなく私もそういう気がします。「トリオ」の経営者が代わり「トンボ」になったことは明確に覚えております。「トリオ」、「トンボ」ともに数回は行ったことあると思います。「トンボ」のマッチには「JAZZ in トンボ」又は「JAZZ in TOMBO」あるいは「JAZZ in とんぼ」って書いてあったような気がします。まぁJAZZ喫茶のマッチコレクション・サイトのどこかで「トンボ」のマッチを見た記憶なのかもしれませんが・・・とりとめない話が無駄に長く続いてるので、このあたりで終わりにしましょう(苦笑最後にyoutubeの動画を埋め込んでおきます。村上春樹はどうでもよかですが、三宮の「さりげなく」と「バンビ」が昔あった場所の紹介・案内がされています。"「村上春樹の世界」 No.12 神戸を歩く 其の二 村上春樹が通ったジャズ喫茶を歩く"
2022/04/22
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"宮城県【Count】カウント ジャズ喫茶でひと休み"20年近く前、東北○○大学の□□教授のご指導を賜るため、客先の人と二人で仙台出張しました。仕事が終わった後、客先の人と少しだけ高級な居酒屋(笑)で昼間の反省会を兼ねて夕食をとりました。私としては領収書をもらって接待費で経費精算しようと目論んでいたのですが、客先は純民間企業の人間ではないので、割り勘になってしまった。割り勘だと店に領収書をもらいにくいがな(苦笑彼とはその店で別れて周辺をふらつくとなにやらキャバクラ・ストリートみたいな通りに出てしまいました。道路を挟んだ両側のビルには色とりどりのけばけばしいネオンが輝き、通りには客引きの黒服や○○をそそられるキャバクラ衣装のおねえちゃんがうじゃうじゃおって歩行が困難でした(笑ふと、仙台には「Count」という老舗のJAZZ喫茶があったよな~~と思い出しました・・・って、これは嘘だなぁ・・・(オイオイ当時はスマホを未だ持ってないから、思い出してから「カウント」の場所を探すのはちょっと無理ですな。仙台出張前に「カウント」へ行こうと場所は事前に調べてたのがホントのとこでしょうね。いやいや(どっちやねん?)、出張にはノートPCを持って行ってるので、一旦ホテルに帰ってインターネットで調べたのかもしれません。で、場所はすぐわかりました(笑) 上のyoutube動画と同じ場所・感じでした。内装は特に今も変わってないようですね。音量(音圧)はあまり大きくありませんでした。どんなレコードがかかっていたか全く記憶にありませんが、Blue NoteやPrestigeあたりのメインストリーム、ハードバップ系のJazzだったんでしょう。夜だからJazz Barにふさわしい音楽を流すでしょう。普通は。ウィスキーのロックを2杯飲んでホテルに帰ったように記憶します。キャバクラには行っておりません(苦笑)。雰囲気は非常に良い店でしたが、私以外の客はゼロか又は一人くらいだった気がします。------------------------------------------------"福岡【Modern Jazz & Coffee JAB】ジャブ ジャズ喫茶でひと休み"この店を最後に訪れたのは多分30年以上前ですね。西鉄の福岡駅から少し遠いのと、40年以上前は先代(初代)オーナー(マスター)の好みが強烈に反映されたアーシーで黒黒としたコテコテのJazzばかりかかる(私の個人的印象です)ので、当時の私の好みとはマッチしませんでした。当時一般的に人気だったJohn ColtraneのImpulse盤やMiles DavisのColumbia盤なんぞはまずかかりません。Fusion系(Chick CoreaのReturn to ForeverやWeather Report他)なんぞは絶対にかかりません。多分マスターはFusion系のレコードは一枚も買ってなかったと思いますわ。先代マスターの好みはLou Donaldson、Tina Brooks、Stanley Turrentine、Ike Quebec等のSaxだったような気がします。当時の普通の(笑)Jazz喫茶ではあまりかからないSoul Jazzっぽい演奏です。その多くにConga奏者が加わっております。。。昨日の記事で書いた同じ福岡の「COMBO」はColtraneやMilesの新盤は当然かかるし、Fusion系もたまにかかったような気がします。なにより福岡駅からは「JAB」よりもこの店のほうが近いです。ただ、コーヒーはクソ不味かったです。「JAB」の方が相当まともなコーヒーだったことは間違いところです。店は「JAB」の方がゆったりしてるし、音量(音圧)も「COMBO」よりも小さめだったような気がするので、JAZZ BARとして行くなら絶対に「JAB」ですね。あ~~~、JAZZ喫茶が生き残るためには酒の客をどれだけつかめるかが勝負だと思います。コーヒー一杯で2~3時間ねばる学生や暇人だけ相手に商売していたら1年くらいで閉店の運命でしょうな。。。
2022/04/16
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兵庫県伊丹市にあるJAZZ CAFE BAR「STAGE」のサイトにJazz喫茶(or BAR)のマッチ・コレクションが載ってました。マッチのコレクション私は阪神間育ちで学生時代は九州で過ごしたので、訪れたことのある店はそのあたりに限られます。40~50年くらい前の京都にはたくさんのJAZZ喫茶がありました。上記のマッチ・コレクションにも10軒の店が登場しますが、私は一軒も訪れたことはありません。京都は結構遠いのでJAZZ喫茶に行く目的だけではとても行けません(笑)。大学1年生の時に京都の女子大に進んだ高校時代の彼女とその友達と私の男の友人の4人でのダブルデート(彼女の友人の彼氏探しのため)で京都に遊びにいったことはありますが、そういうシチュエーションではJAZZ喫茶にはとても行けません(笑)。余談ですが、彼女の友人の女性。金沢出身だったと記憶しますが、結構かわいい娘だったなぁ~~~(遠くを見る目・・・)話が横道に逸れました。。。京都のJAZZ喫茶では当時から「YAMATOYA」は有名な店でした。この店は今も営業していてオーナーは代替わりせず、初代オーナーが頑張って営業されているようです。いわゆるJAZZ喫茶(お酒メインのJAZZ BARではないという意味)で京都市内で多分唯一の店っぽいですな。機会があれば、「YAMATOYA」には行ってみたいと思っております。次女が京都市内の飲食店で働いてるうちに・・・。Jazz Spot YAMATOYAで、上記サイトの記載順(上から順)に行ったことがある店について書いていきます。梅田 TIME 多分1回くらい行ったことがあるような気がします。あまり自信なし。大阪 Blue Note 東京や名古屋にも一時あった有名なJAZZ Clubの「Blue Note」の大阪店(梅田にあった)には40年くらい前に1~2回行ったことがありますが、このマッチの店はそれとは別の「Blue Note」でしょうね。だから行ったことがない。大阪 5SPOT 多分1回くらい行ったことがあるような気がします。あまり自信なし。神戸 さりげなく 高校時代以降多分10回くらいは行ってると思います。Jazz喫茶通いの経験ある友人とは「さりげ」で話が通じました。マッチのデザインもなんとなく記憶に一致します。神戸 Knee Knee 多分、私が初めて行ったJazz喫茶がKnee Kneeですね。高校1~2年生の時です。SPはJBL(SANSUI)のLE-8Tでした。マッチが色違いを含めて4種記載されてますが、最後の1種を除いて記憶にあります。高校生ですが、この店ではよく煙草を吸いました(コレコレネット情報では店のオーナーは関西学院大の学生だった、てな情報がありましたが、私の記憶でもいつも店にいるのは若い男性でした。----- (2022/04/17 13:10追記) -----http://meimai2570.livedoor.blog/archives/1670013.htmlによれば、Knee Kneeという店名は2月22日開店だから「ニーニー」とオーナーが名付けたってあります。店名が膝膝(kneeは膝)って一体全体どういう意味なんや?との昔からの疑問が解決しました(笑-----------------------------------------神戸 pisa 多分1~2回行ったことがあると思います。店の中の記憶などは全くありませんが・・・神戸 MOKUBA'S かなりの回数行ってますな。阪神淡路大震災で店を閉めた後、今は別の場所(たしか、JR三宮駅よりも北側の飲み屋街にあると思います)で営業してますが、そこの店は行ったことがありません。SPはJBLだったと思いますが、型番等は記憶なし。この店は三宮のセンター街にあったので買い物の後とかによく行きました。本屋で本を買って、「MOKUBA」で少し読むっていうパターンは結構多かった。店の雰囲気はかなり良かったですし。今の店は↓https://mokuba-kobe.com/福岡 JAB 多分10回以上行ってると思います。初代オーナーは亡くなられてるので今は二代目オーナーで営業されています。6~7年前に福岡市を訪れた際、行こうとしましたが周辺道路の渋滞が酷くて、他の用件に遅れるリスクが高まったので訪問断念しました。この店には色々と思い出話がありますが、今回は非公開にしておきます(笑博多 RIVERSIDE 多分1回は行ったことがあると思うのですが自信なし。福岡 KELLY 多分2~3回は行ったことがあると思います。記憶ではJAZZ喫茶というよりライブ主体のJAZZ Clubという感じだったような気が・・・天神 COMBO 多分20~30回は行ってると思います(笑)。コーヒーの味は酷いものでしたが・・・西宮 Out Put 多分20~30回は行ってると思います(笑)。阪神淡路大震災の被害を受けて、店は閉店しました。民家の庭にコンクリート打ちっぱなしの不整形の独立したJazz喫茶専用の建物を建てて営業されてました。室内もコンクリート打ちっぱなしで公衆浴場のような吸音率ほぼゼロの仕上げです。なので、吸音のため共鳴型吸音ボックス(スピーカーのような直方体の木箱の一面のみ穿孔し、内部に吸音材を入れて吸音機能をもたせたもの)でいろんなサイズのもの(吸音する周波数帯を変えるためと推察)を20~30個くらい内壁面に設置してありました。天井は5~6m以上あるような空間でした。SPはALTECのA7だったと思います。音は結構良かったと記憶します。少なくとも室内の残響が長すぎと感じたことはありませんから、吸音ボックスは設計どおりうまく機能していたんでしょう。デジカメが普及する以前に閉店したので、ネットを探しても店の画像は全く見つかりません。残念。----- (2022/04/17 16:20追記) -----Out Putは私が行ったことあるJazz喫茶では最も音量(音圧)が大きい店でした。前述のとおり、ビル内の店でなく、自宅民家(多分、オーナーの親御さんの持ち家だと推察しますが)の庭にコンクリート造りの独立建物を建ててるので、建物の遮音性能を十分確保すれば周辺住宅への騒音影響(苦情)の心配はほぼなくせます。コンクリートの厚みがどれくらいだったか全く知りませんが、店の前の道路上ではほとんど店で鳴らしてるJazzは聴こえませんでした。風除け室(音漏れ防止のための前室)のドアを開けると多少店内の音が漏れ聴こえましたが、風除け室外部ではほとんど聴こえない。店に入るドアを開けた瞬間かなりの音量に晒されます。店の前は1車線道路を挟んで阪急今津線の軌道なので、店内への電車走行音侵入を防ぐ意味でもコンクリートの建物が必要だったんでしょう。そういう意味では理想的なJazz喫茶なんですが、この店は酒を提供する前提の設計にはなっていなかった。勿論、メニューにビールやウィスキーはありましたが、カウンター席はなかった。仮に阪神淡路大震災の被害が皆無だったとしても、学生たちがあまりJazzを聴かなくなった、自宅でそこそこのAudio SystemでJazzを聴けるように豊かになった時代には、生き残れない店だったとは思います。-----------------------------------------芦屋 Half Note 中学時代の友人の女の子で私とは別の高校に進学した子の不良仲間(笑)がたむろしてたのがこの店だったと思います。私は数回行ったことがあります。一人で行きました。不良連中と関わり合いたくないので(苦笑西宮 DUO (後に出てくるCorner Pocketは同じ店です。店名変更しています) 多分20回以上は行ってると思います(笑) SPはJBL Paragonです。オーナーが亡くなられた後も数年間奥さんが営業されてましたが、10年以上前に閉店しました。店で偶然高校時代の同級生に出会ったのか、店の近所で偶然出会って一緒に店に行ったのか忘れましたが、店で彼と結構喋っていたらオーナーに「少しウルサイですよ!」と注意されこともありましたな。この店については、過去記事で書いております。そちらを参照下さい。西宮市のJazz喫茶Corner Pocket(2005/07/20)西宮市のJazzSpot Corner Pocket(2005/11/03)大阪 OPEN DOOR 多分1回は行ったことがあると思うのですが自信なし。-----------------------------【番外編】上記のマッチ・コレクションに記載がなかった店ですが、神戸元町に「Kulu se Mama」という店がありました。「Knee Knee」は私が大学生1~2年生くらいには閉店しましたが、その後できた店です。"Kulu se Mama"はJohn Coltraneの有名なアルバム・タイトル(Impulseレーベル)です。内容はほとんど憶えていませんが、聴きやすいJazzではないはずです。Free Jazzっぽい部分も多分あったような気がします。これを店名にするくらいですから、店でかかるレコードはフリージャズっぽいものが多かったような気がします。2~3回行ったような気がしますが、結構短期間で閉店したと思います。フリージャズや先鋭的なジャズの愛好家ってそんなに数多くないし、Jazz喫茶は本質的に儲かる商売ではありません(苦笑↓は某所から拾ってきた「Kulu se Mama」のマッチの画像。マッチのデザイン著作権は「Kulu se Mama」にあるので引用元を明示する必要はないでしょう。マッチのデザインは私の記憶と一致しています。「Kulu se Mama」のマッチに記載されたSPの画像を某所から拾ってきました。Altec 604E。私の記憶と一致します。
2022/04/15
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神戸出張から帰る途上、阪急西宮北口駅で途中下車し、先日の日記に書いたCorner Pocketに行ってきた。Curtis FullerのFive Spot After Darkが流れていた。注文をとりにきたマスター曰く、「お客さん、めちゃ久しぶりやねえ。憶えてますよ。昔、よく来てはったよね。髪がだいぶ白くなられたけど、判りましたよ」私曰く、「震災の後、一度このあたりに来たんやけど、店が見つからなかったんよ」マスター曰く、「震災直後はしばらく店を閉めてたからかも」ビール2杯飲んで店を後にした。奥さんらしい小柄の女性は昔の面影通りのイメージでカウンター内にいた。機会があれば、また寄ってみよう。↑店のサイトから無断引用した画像です。マスター、許してね
2005/11/03
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兵庫県西宮市の阪急北口駅の近くにCorner PocketというJazz喫茶が今も営業していることを先ほどwebで知った。若い頃、時々訪れた店だったが、阪神淡路大震災の確か1年後位にこの辺りを訪れた時に店がなかったので、「あぁ、corner pocketもつぶれてしもたんか」と思った記憶があり、まさか、店が存続してるとは知らなんだ。休業中だったのかもしれないし、私の記憶違いで別の場所と間違えていたのかもしれない。私が通っていた頃はマスターの奥さんか妹さんかよく知らないが長い髪のスレンダーで小柄な女性がカウンター内にいることが多かった。結構、かわいい女性だった。私が通っていたのは実はその女性目当てだったかもしれない(笑)。話をしたことはないけれど(涙)。西宮を訪れる機会があれば、ぜひ店に行ってみたい。
2005/07/20
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