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2021/03/11
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目が覚めた時から重苦しい一日が始まった。
毎年来る3月11日、そして今日は大震災から10年。
残された者として全ての事に感謝の念を抱きながら
被災し亡くなった方々への思いを馳せ、哀悼の意を
表する一日。
此の事を風化させず一生背負い続け、教訓として活かし、行動できる人間に成る事をお誓いする。





​​​​​「津波まで50分あったのに、なぜ」大勢が犠牲になった大川小で、遺族は2000人の子どもたちに問いかけた。 ​ハフポスト日本2021/03/1117:27​​​​​ ​​
​「ここには街があって、生活があって、命があって、子どもたちが走り回っていました」​
​東日本大震災の津波で 児童・教職員84人が死亡・行方不明 になった、宮城県石巻市の旧大川小学校。震災から10年目となる2021年3月11日、全国2000人の子どもたちが遺族の話を聞く「防災と命の授業」がオンラインで行われた。主宰したのは、認定NPO法人「カタリバ」。​
旧大川小は現在、震災遺構として保存が進められている。学校を見渡せる場所から、子どもたちに語り掛けたのは、当時6年生だった次女のみずほさんを亡くした佐藤敏郎さんだ。現地で語り部活動をしている。

​「地震から津波まで50分あったのに、なぜ多数の犠牲が出たのか」​

この日、佐藤さんはそれを子どもたち自身に考えてもらう授業を行った。
校舎の場所は、海から3.7キロ、北上川沿いの低地にある。地震発生からおよそ51分後、川を逆流してきた津波は3時37分に校舎を襲った。
佐藤さんは、まず「みーこ」と呼んでいた次女の遺体と対面した時のことから話し始めた。

震災当時は隣の女川町の中学校教員で、そのまま中学校に泊まっていた佐藤さん。妻から、次女の死を聞かされたのは3月13日だった。
3月13日の夜に家にたどり着いた。しかし堤防が破壊されて車では大川小に近寄ることができず、14日の朝に船で渡り、ようやく遺体に対面した。

​泥だらけの子供たちが何十人もブルーシートをかぶせられて並べられていました。うちのみーこも、その中にいて、名前を叫んで肩を揺さぶっても目を覚ましませんでした。ブルーシートをかけられていた子、皆、知ってる子でした。その光景は忘れられないし、忘れてはいけないんだなと思いました。このことを何て伝えたらいいか、まだ私も受け止め切れていないです。​
だから、それぞれが想像できる範囲で考えて受け止めていただけたらなと思っています。
佐藤さんは、針が3時37分を指したままになっている泥まみれの時計の写真を見せた。
地震から51分経っているんです。何とかならなかったのかなって。
裏の山に走っていけば間に合いました。宮城県には津波が来るという情報もありました。時間も情報も、手段もありました。でも、助けられませんでした。これが大川小学校であの日起きたことです。
どうすればよかったのか、皆で考えてほしい。佐藤さんにそう呼びかけられて、画面の向こうでは、小学校〜高校までの子どもたちはそれぞれに自分が考えた、あの日大川小学校に必要だった対策を話した。
「今まで大きな地震を体験したことがないから大丈夫だと思ってしまったのでは?震災まで、どんな訓練をしていたんですか」
「津波の対策が不十分で、想定していなかったからでは。阪神・淡路大震災は火災がメインだったと聞きました。津波が来ると思っていなかったのではないでしょうか」
「僕は、非常用の食べ物とか、逃げ道とかを用意していたら助かったのかなと思いました」
「小学生の中にも『先生、裏山に逃げよう』と言った子がいたと聞きました。逃げなかったのは、津波は来ないと言い伝えられているからだと。言い伝えのような固定概念を捨てて避難する必要があった」

子どもたちの答えを受けて、佐藤さんはこう語った。
私たちもたくさん調べました。調べれば調べるほど、あの時、学校はパニックになっていたんです。
私も、自分の勤めていた学校のすぐ下を津波が流れて行って、パニックになった。ならない人はいません。
​「予想していなかった」と言った子がいましたが、予想はされていました。津波が来るぞということは予想されていた。 予想されていたのに対策は不十分だったんです。 でも例えば、今後、南海トラフ地震が来ると予想はされていますね、でも本気になって準備はしていますか?​
いざという時にパニックになる。みんなそうです。パニックになっていない時に、準備をしておかないといけないんです。何もない、落ち着いている時にちゃんと準備をしているかどうか。していた学校は助かりました。
大きな揺れの後、校庭に避難していた子どもたち。あの日の大川小学校では、そこから津波を想定して裏山に避難すべきかどうかで教員たちの意見が分かれ、結局、北上川にかかる橋の堤防道路の方向、つまり津波が来る方向に子ども達を歩かせていたことがわかっている。そこは、坂の上だが高台とは言えない場所。水は堤防を乗り越えて子どもたちがいる場所に流れ込んできた。
遺族が学校を訴えた裁判では、震災前の防災対策が不十分で、津波の際の避難場所や経路を決めていなかったことが仙台高裁の判決で認定された。

​平和な時ってみんな気づかないんです。震災後に改めて思いました。あの日大事だと思ったことは、今日も、いつも大事だということです。飲み物、食べ物、寝る場所は、震災後だけじゃなくて、今も大事ですよね。空気と同じ。でも失った時に気付く。それでは遅いんです。大事なもの、見えにくい、気付きにくいもの。命はその際たるものだと思います。​
「もしもは、いつもの中にある」この10年間で気づきました。何事もない時にどう準備すればいいのか。避難するっていうことは、この裏山をちょっとだけ登ればよかっただけのこと。大事なのはいざという時に、避難するそのスイッチを入れやすくなっているかどうかなんです。
「校庭を出て津波に向かって行った時、娘はどんな顔をしていたかな」って想像します。怯えていたと思います。自分たちもそこにいると考えてください。それが想定です。私も津波のいろんな訓練もしました、準備もしました。でもその準備の中に、私は娘を想定に入れていませんでした。

今日、お話を聞いたその中に、自分や自分の大切な人がいると思ってください。だから防災っていうのはそれを助けるということ。防災は恐怖ではない。助かるためにやるんです。希望です、ハッピーエンドです。津波は襲ってくる、でも皆さんは助かるんです。避難訓練も、自分や命を守ることを思ってください。今日の授業を聞いている先生たちも大勢いますね、すぐスイッチが入れられるように本気になって準備してください。
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最終更新日  2021/03/14 02:50:53 AM
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