第七章~胎動5



 昇級試験当日の朝です。普段あんまり緊張しないラーズが、今日は珍しく緊張しながらアカデミーへの道を急いでいました。

 今回、王都の天文台で採用枠は1人だけです。この春、王都の観星官補だったセージが、どういうわけか総督府のごり押しで無理矢理サリエスに昇級させられ、王都の南側に位置する宝飾品工房の町カンダハルの総督府に出向させられました。
 そのため数年ぶりに王都の観星官補に欠員が生じたための中途採用試験です。

 正直なところラーズには観星官になって何をしたいという明確なビジョンがある訳ではありませんでした。出世欲も野心もそれほど強いわけではありませんし、「お国のために」という類の使命感がある訳でもありません。

 もし目的らしきモノがあるとすれば、自分をスカウトしてくれたシグルと一緒に仕事がしたい、これまで薫陶を受けたテオへの恩義に報いたい、王宮や陽光台の奉公先で肩身の狭い思いをして来た養母ピロテーサが皆を見返せる様にしてあげたい、というものでした。

 (テオ先生は「狭き門」って言ってたからなぁ・・・別に今、無理しなくても卒業まで待てば自動的に准セージなんだよなぁ。でも今から辞めるって言ったら先生方も養母(かあ)さんもガッカリするだろうなぁ・・・。不合格でも落胆するだろうし、あ~あ、どうしようかなぁ~)

ラーズの胸に去来するのはそんな思いでした。

 そんな時、ラーズの目の前の道端で、苦しそうにうずくまる、裾がすり切れた様なボロを身に纏っている老人がいました。肌の色から察するにネグリトの様です。
 「陽光台にネグリトが一人で・・・?」一瞬訝(いぶか)しがったラーズですが、苦しそうな顔を見ると放って置くわけにもいきません。

ラーズ:大丈夫ですか?どこか具合でも悪いんですか?

老人:・・・・・。

ラーズ:(耳が遠いのかな?)大丈夫ですか~!?

老人:・・・ううううう・・・!

突然老人が胸を押さえて突っ伏してしまいました。

ラーズ:(大変だ!!)

 ラーズはすぐさま老人に覆い被さる様な格好で、掌のチャクラでどこが不調なのかを探りました。師匠のテオが得意とする「怜透患(れんとうげん:身体の内部の異常を探る気功の一種)」のごくごく初歩の診断法です。疾患のある部位に手をかざすとビリビリと痺れるような刺激を感じたり、炎症を起こしているところは熱く感じたり、血流やリンパが滞っていると冷たく感じたりする様になります。(師匠のテオはこれをビジュアルで捉えることができます)

 しかし、この老人にはち~っとも悪そうな所が見当たりません。それどころか、見た目は明らかに老人なのですが、身体を覆うオーラは10代前半の少年が持つ瑞々しさにあふれていました。

ラーズ:貴方は、いや君は何者だ!?

ノアロー:俺?ノアローってんだ。結構やるじゃん!取り敢えず「よくできま
     した」

ラーズ:はぁ!?

ノアロー:でも隙ありっ!

ノアローと名乗る老人の様な少年はラーズの右頬に判子の様なモノを「ベーン」と押し当てました。

ラーズ:うわっ!何すんだよーっ!

ノアロー:アンちゃんいいヤツみたいだけど、もしここがティアマトの泥棒
     市だったらケツの毛までむしられるか首が飛んでるかもよ!じゃ
     あな!

そう言うと、バック転から後ろ向きのまま塀を跳び越えて、とある邸宅の中庭に消えて行きました。

ラーズ:ここはテオ先生の家・・・しっかし何なんだアイツ?

 ラーズは頬をゴシゴシ擦りながらアカデミーに向かって小走りに走って行きました。

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 ラーズが城塞部の南門に架かる跳ね上げ式の大橋に差し掛かると、堀の中にちょっと変な感じの青年がいました。溺れている様な、シンクロの演技の様な、ビミョーな感じでした。しかしラーズは「大変だ!」とばかりにローブを脱ぐといきなり堀に飛び込みました。

ラーズ:大丈夫ですか!?

ケディ:まあ、何です貴方?私ケディ、以後お見知り置きを・・・。

ラーズ:えっ?いや・・・、溺れてたんじゃないんですか?

ケディ:ホホホ、大丈夫ですわ。古式泳法の鍛錬ですもの。

ラーズ:もーーーっ!!全く人騒がせなんだから~~~~!

ケディ:えっ?だって私「助けて」なんて言ってませんもの。言いましたっけ?

ラーズ:確かに言ってませんけど・・・取り敢えずここは遊泳禁止なんですよ
    ・・・(▽o▽;)

ケディ:まっ、それは失礼致しました。でも私も仕事でございますので。取り
    敢えず「もっと頑張りましょう」

ラーズ:はあ?

ケディ:隙がございましてよ!

そう言うと、ケディはラーズの左頬に判子の様なモノを「ベーン」と押し当てると、クルクル回転しながら堀の底に沈んで行きました。

ラーズ:さっきから何なんだお前ら・・・(▼▼メ)

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 すっかり調子が狂ってしまったラーズが慌てて試験会場に駆けつけると、そこにシグルの姿はなく、テオが待っていました。

ラーズ:遅くなって済みません!あれ?シグル先生は・・・?

テオ:シグル大兄は今、密命でルーテシアのメリキニク王のもとに陛下の親書
   を届けに行く準備があってね・・・。

ラーズ:じゃあ試験はどうなるんですか?

テオ:いや、実はね、試験は終わってるんだ・・・。おめでとう識者ラーズ、
   戴帽式は追って沙汰する。

ラーズ:じゃあ僕が観星官補なんですか?o(^-^)o

テオ:いや、君はサジ(医師)としてユートムに行くんだ。

ラーズ:えっ?(--;)じゃあダルヒムが王都の観星官補に・・・?

 よりによって一番恐れていたことが現実になってしまったラーズは納得が行きません。同じ観星官補でも王都のそれは事実上准サリエスです。ましてサジでは行政に携わることができませんから、もしもの時にシジムの村人を守ってあげることができません。

テオ:そうだ。・・・君達、ちょっと入って来てくれ。

 テオに促され、仮面をつけた少年とちょっと変な感じの青年が入って来ました。

ラーズ:あーっ!お前ら!!

テオ:そう、彼らは「山猫旅団」のケディ(家猫)とノアロー(黒猫)だ。試
   験に一役買って貰ったんだ。

ケディ:団長のケットC(妖猫)とミアキス(野良猫・女戦士)はシグル様と
    一緒にルーテシア行きですって。王様に謁見中なの。・・・はぁ~、
    それにしても、あなた薄系で私のタイプよ~ン。

ラーズ:ゲッ!!(゛゛)

ノアロー:さっきはどうもね。任務の性格からしてホントの顔を見せるわけに
     はいかないんだ、ゴメンね。

ラーズ:はあ・・・、でもそれとこれとどういう関係があるんでしょうか?ま
    だ筆記試験も済んでないのに。

テオ:うん、結論から言うとね・・・、君に筆記試験は必要ない。セージとし
   ての資質は充分持っているってことさ。ただ人には向き不向きがある。
   そこで今回の試験方法を思いついたって訳なのさ。これを見てごらん。

 そう言ってテオは小さな銅鏡を手渡しました。ラーズが覗き込むと右頬に「斬」左頬に「突」という文字が押印されていました。

テオ:隣にダルヒムがいるからそっと覗いてごらん。

 テオの言葉に隣の部屋を覗いてみると、ダルヒムが無言で座っていました。顔に押印の跡もなく、ローブの下のクルタも濡れていません。
(そうか・・・、そういうことか・・・)ラーズはショックでした。

 今イエルカはちょっと微妙な状況にあるという噂です。
ルーテシアの王「メリキニク」は海賊から成り上がった王です。勺(しゃく・関白=太政大臣の様な役職)の「バトウ」も粗暴で品性下劣という噂です。

 先王の時代、そのメリキニク王が「通商条約を結んで欲しい。応じてくれれば見返りにルーテシア海の海賊から商船を守って差し上げよう」と言って親書を送って来ました。

 水軍を持たないイエルカとしては願ってもないことでしたが本来なら麦一石(約140~160kg)に相当する「紅玉髄の首飾り一連」を麦一俵(約60kg)と交換せよ」という通商条約とは名ばかりの朝貢の要求に近いものでした。

 それでも商船の安全が保証されるなら・・・と、「紅玉髄一連と麦一駄(二俵)」という条件で条約を締結していました。

 しかし、実際はすぐに紅玉髄の代価が麦一斤(約600g)分しか納められなくなり、いくら親書を送っても「なしのつぶて」だったために、現国王が即位するやいなや不平等条約撤廃に向けて動き出したのです。

 舌鋒鋭いオースィラ王を筆頭としたアムリア評議会加盟国の王達の糾弾に屈する形で、メリキニク王は自らの非を詫びて、「紅玉髄一連の価格は麦一石に同ず」との念書に署名・押印しました。

 しかし、最近になって再びルーテシア海に海賊船が頻繁に出没する様になったのは、糾弾されたことを根に持ったメリキニク王が、密かに自軍の護衛艦を海賊船に仕立ててアムリア評議会加盟国の商船を襲わせているのでは・・・と巷間囁かれていました。

 観星官にはこういう難しい交渉事に対応する能力が求められます。「淡い憧れでどうにかなるものではない」ラーズはシグルにそう宣告されたのだと受け止めました。

 何だか全身の力が抜けてしまいました。セージに昇級できた喜びなど、どこかに吹っ飛んでしまいました。

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ダルヒム:本当にこれで良かったのでしょうか?私はあの適性検査を受けてい
     ないことを彼に告げるべきではないでしょうか?

テオ:騙し討ちみたいで私も忍びないのだがね・・・。シグル大兄のたっての
   願いだから仕方ないよ。君が気に病むことはないさ。

ダルヒム:シグル先生はどうしてこんなことをなさるのです?彼を誰よりも高
     く評価していた筈です。

テオ:うん・・・、これは最近になってシグル大兄から聞いた話なんだけど・・・。

 そういうとテオはダルヒムにゆっくりと話し始めました。

つづく

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