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 光化門がブランデンブルク門、世宗路がウンター・デン・リンデンに、李舜臣将軍銅像がフリードリッヒ大王騎馬像に対応し、光化門・ブランデンブルク門近くの一等地を大使館が占め、青瓦台、ドイツ首相府は、光化門・ブランデンブルク門の裏手というような点。

 ただし、韓国国会とドイツ連邦議会は、まったく対応しませんが。

 また、ウンター・デン・リンデンは、名前の通り、菩提樹の並木道ですが、現在、世宗路にはほとんど緑はない。

 さらに、ブランデンブルク門は、本来は、ブランデンブルクに通じる道が出ているベルリンの西端ですが、光化門は王宮の正門のようです。


 それに、ソウルは坂が多いが、ベルリンはまっ平ら。




 「閔妃暗殺」(角田房子著、新潮文庫)では、この付近のことを次のように書いています。

【中古】afb【古本】閔妃暗殺/角田房子





「 私がはじめてソウルを訪れたのは、一九八四年(昭和五十九年)十二月であった。

私の泊っていたソウル中心部のホテルを出ると、景福宮まで1キロ余りの大通りが一直線に伸びている。



豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき日本水軍を撃破したこの提督の像は、甲冑に身を固め、左手に大剣をひっさげて前方を睨みすえる雄々しい姿である。

李舜臣は今も韓国の国民的英雄として、もっとも人気の高い歴史上の人物だという。



 銅像の背後、世宗路の突き当たりは景福宮の正門――光化門(クワンファムン)である。

閔妃を暗殺しようと景福宮になだれ込んだ日本人の一団が、はしごを使って乗り越えたのはこの門であった。

そして今、光化門にのしかかるようにそびえている青銅の丸屋根は、かつての朝鮮総督府の中央の塔である。

朝鮮総督府が完成したのはもちろん一九一〇年(明治四十三年)の”日韓併合”の後のことで、閔妃事件のころ、この威圧的な建造物は存在せず、光化門を入れば正面に勤政殿(クンジョンジョン)の二重の屋根の美しい線が望見されたはずである。


 景福宮への大通りは李舜臣の銅像に始まり、光化門とその背後の朝鮮総督府――いずれも日韓関係の歴史を強烈に語るものばかりである。

その一つ一つが、この国の人々の胸にどのような感情を積もらせてきたか、それを思うと、私にはとても気楽に歩ける道ではなかった。」





 私が、宿泊したのも、同じホテルか、すぐ、近くのホテルだろうと思います。

 朝鮮総督府の石造りまたはコンクリート造りの建物は、現在はありませんが、光化門のすぐ後ろの勤政殿との間に、光化門をはるかにしのぐ高さと横幅で立っていたようです。



 光化門は、本来あるべき現在の位置より、南にあったようです。


 閔妃が殺害されたのは、乾清宮(コンチョングン)で、私は見ていませんが、現在、国立民族博物館のあるところだということです。


 朝鮮総督府が無かったということもあるのでしょうが、私は、けっこう、気楽に歩きました。



 ベルリンにも、ちょっと奥まった所とは言えウンター・デン・リンデンには、ナポレオン戦争期の 将軍の像 があり、 ジーゲスゾイレ モルトケ像 ビスマルク像 がありますし、また、ブランデンブルク門を最初に通ったのはナポレオンだという話ですが、フランス人は、いちいちそんなことを気にしているのかなあ。


 しかし、そんなことをしている場合ではないにもかかわらず、嫁対舅というパターンで血みどろの戦いを繰り広げる閔妃は、16歳年上の清の西太后より恐ろしい。

 「閔妃暗殺」の表紙の閔妃の顔が、ちらちらして、寝つきが悪かった。


 しかし、本当に、恐ろしいのは、この嫁対舅の戦いに、世界の大国(大国ではないが日本も)が、熱心に介入してきたこと。

 この、本当に恐ろしい方は、嫁対舅が北対南に代わっているだけで、現在の朝鮮半島も根本的には同じです。







 李舜臣将軍銅像もありませんでした。




 写真は、世宗像と光化門。

 世宗路西側に政府総合庁舎があり、さすがに、厳重な警戒をしていました。



 この日は火曜日で、景福宮が休みのためか、人は、ぽつりぽつり。

 そのため、私服の警官が、目立つ。









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最終更新日  2010年12月18日 06時35分08秒 コメントを書く


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