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「恋のゴンドラ」東野圭吾 実業之日本社文庫 東野圭吾は、スノーボードやスキーが趣味なのは読んだだけでもよくわかるが、それをテーマにして描くと筆が滑るのか、軽く滑ってゆく傾向がある。スノーボードと恋を絡めた連作短編集である。 初出は全てスノーボード専門雑誌「Snow Boarder」等の特別付録としてらしいから、軽い読み物として書かれているのは仕方ない。しかし気に入らない。 「Snow Boarder」に掲載された5篇だけに限っていうと、いわゆるブックエンド方式。「ゴンドラ」「リフト」「プロポーズ大作戦」がプロローグにあたるとしたら、「プロポーズ大作戦リベンジ」「ゴンドラリベンジ」はエピローグ。と見事な構成になっている。気に入らないのは、登場人物達の若者描写が、どうも薄っぺらくて楽しめない。オチは、これしか無いオチなんだけど、どうして桃美はこれで「お終い」だと思うのか。広太と、特に水城の浮気性も、東野圭吾は断罪していない。主人公格なので、そういう書き方だと東野圭吾自身の品格も疑われる。 何故か『白銀ジャック』『疾風ロンド』の根津さんも出演するサービス精神も発揮しているだけに残念。
2019年11月30日
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「風の海 迷宮の岸 十二国記2」小野不由美 新潮文庫 十二国記シリーズを、この期、初めて読んで、しかもアニメも全く観たことない自分です。epi.1(『月の影 影の海』)、 epi.0(『魔性の子』)、そしてこのepi.2の順に読んだ者だけが味わえるドキドキ感と、そしてラストの意外感を、私めは味わさせていただき、大変嬉しく思っています。 よって、この巻の大きなネタバレは書かない。でも、文末に主に0、1を通して分かった事を年表にした。ので、それを嫌う方はこれ以降読まないように。 epi.0において「ホラー」だった世界は、epi.2においては、「天上の理」の世界に書き換えられる。この表裏をひっくり返す驚きは、0、2と読んで行くのが面白いので、この読み方を私は推薦します。こういうのは読書の喜びですね。一方1は「天下の理」の世界でした。 このシリーズを、私は「歴史書」として読んで行こうと思っている。よってキャラで読む読み方はしない。「泰麒が可愛い、愛しい」とも思わない。泰麒は麒麟として想定内の成長を遂げた。気になるのは、天上の世界の「不気味さ」である。出てくる人物は、みんな普通の人間だ。不老不死になろうとも、人間として理解出来ないわけではない。しかし、黄海の周りに聳える天上世界は、どうも冷たい。謎がある。例えば、何故突然泰麒は「胎果のまま流されなくてはならなかったのか」そのことの説明も、シリーズラストまで引っ張るつもりかもしれない。 だから私は、世のシリーズファンとは違う向き合い方をするだろうと思う。ただ、傲濫の件はちょっと血がたぎりました。泰麒の絶望感は私も感じていて、景麒の回りくどい説明にはすっかりやられました。また、ラストはてっきりあの場面に結び付くのだと思っていたので中途半端に終わったのは意外(ごめん、未読の人には何が何やらわからないと思います)。 epi.0の「白汕子、傲濫」等の幾つかの伏線回収が行われました。そういう楽しみはある。 年表は、仮に高里こと泰麒が、蓬莱山より胎果のまま日本に流された年をX元年として数えました。数え方が間違って1年ぐらいの誤差はあるかもしれないし、月もあまり自信がない。しかし、作ってみて気がついたことがあります。 (1)X15年-18年あたりが日本の90年代にあたることは、間違い無いと思う。携帯の描写が存在しないからである。その他、マスコミ、テレビ等々の描写はある。 (2)0において高里が呟いた言葉のうち、「角端、孔子、ムルゲン、ロライマ、ギアナ」の言葉の意味が未だ不明だ。「角端」は0でも言っていた「私の麒麟の角がない」ということに対応しているのかもしれない。「孔子」は、高里が日本で論語を読んでいたはずがない。0において何故レン麟がこんなにもが泰麒を助けようとするのかも不明だ。よって回収されていない伏線はまだ多い。果たして回収されるのか、もわからない。注目したい。 (3)著者は90年代のうちにシリーズを終わらせようとした節がある。それは今年の新作がブック紹介を見ると未だX18年あたりらしいということでそう思うのである。少なくとも新作発表が、2019年まで持ち越したのは想定外だった可能性が出てきた。 X元年 泰麒 胎果として日本に流される X8年 景麒 景国に降りる X9年末 景麒 商家の娘である景王を見つける X10年 泰麒 2月蓬山に戻る X11年 泰麒 4月日本に戻る X14年 5月景国王亡くなる。 X15年(1992年?)1月陽子日本より来たる 8月陽子景国王となる X18年 泰麒 9月戴国に戻る
2019年11月29日
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「手書き地図のつくり方」手書き地図推進委員会編著 学芸出版社私の旅のスタイルは、ともかく歩き尽くす、というやつだ。特にちょっとした横道にある地元の人しか知らない、アレコレに出逢うと嬉しくなる。だから、観光センターや駅構内、お店に手書き地図が置いてあると必ずもらうことにしている。そこには、観光雑誌に載っていないディープな情報が満載だからである。この本は、全国の手書き地図を紹介するという面もある。が、メインは、役所や商店街が住民を巻き込んで一つの地図を作るプロジェクト、そのノウハウをまとめたものである。ひとりで作る手書き地図も、もちろんある。埼玉県ときがわ町の「食品具(ショッピング)マップ」などはその雄かもしれない。現在年間10万部が刷られているらしい。私がこの本を手に取ったのは、もしかして趣味でそういうのを作れるかもしれないかな、と思ったからだ。でも、プロジェクトで作ると少なくとも3つの良いことがある。(1)町の魅力起こし。(2)参加者が「娯楽」として参加してくれる。(3)地元住民がヒーローになる。私の住む街には本格的なロケ地マップは無いので、参加している映画サークルでそれを作ったらいろいろ面白いかもしれないなと思い始めた。まぁ未だ夢想ですが。もちろん、手書き地図には弱点もある。沖縄の八重瀬町具志頭村の港川原人の骨が出土した港川フィッシャー遺跡を目指した時に、役所が作った観光パンフに簡単な手書き地図があって、それを目当てに歩いたのであるが、往復30分で済むかと思いきや、実際は1時間以上かかるコースで、しかも迷ったので、実際は2時間近くかかってしまった。でもお陰でちょっとした僥倖もあったのだが、それはさておき、こういう地図では、自分の位置関係がはっきりしないのは、なかなか悩ましいところである(もちろんスマホアプリで自分の位置はわかるのだが、それが手書き地図の何処かよくわからないのである)。「沼津街歩きマップ」では、位置情報を付加して、スマホで見られるらしいけど、そんな仕組みはなかなかできるものではない。遺跡めぐりをすると、アルアルなのだが、住民は自分の家の20メートル先に遺跡があっても、時には裏側にあっても知らないことが多い。観光地でない遺跡は、日本でも韓国でもずっとそうだった(単なる場所でしかない弥生遺跡などはその最たるものだ)。だからこそ、こういう手書き地図は必要だし、そういう手書き地図を書いてみたい郷土の場所が数カ所私にもある。
2019年11月27日
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「沖縄県謎解き散歩」下川裕治 仲村清司 新人物往来社 この前沖縄旅行をして以来、ミニ沖縄ブームになっている私は、沖縄を知る入門書の位置づけで紐解いた。沖縄の人口・雇用動態、歴史、宗教・民俗、飲食、地理・自然・生物、生活・文化を一通り紹介している。一つ一つの掘り下げは少ないけれども、少しは沖縄のことを知っていたつもりの私が知らないことがあまりにも多くて、やはり読んで良かったと思った。下川裕治氏は著名なアジア旅のライター、仲村清司氏はこの前読んだ「沖縄の人だけが食べている」を著していた沖縄在住のライターである。以下、覚書的に新たに知ったことの一部をメモする。 ・長寿県沖縄は過去。男は2000年に25位、77.64歳まで下がった。米国式食生活が影響か。←女性は未だ2位ぐらい。男の自堕落な生活が目に浮かぶ。 ・沖縄方言(琉球語)は、古墳時代の日本語の祖語から分かれて琉球諸島に入ってきたのが定説。今でも肉を「シシ」、魚を「イユ」、種を「サニ」、子どもを「ワラビ」という。 ・「琉球」は朝貢時代の中国語、琉球処分で日本古来の言い方である「沖縄」を充てた(新井白石『南嶋誌』)。 ・琉球にも元寇があった。東アジアの交差点だから当然。1291年、1297年軍隊を送ったが失敗(『元史』)。詳しくは不明。←小説に使えるぞ!誰か書かないか? ・那覇市久米村には、中国テクノラートのチャイナタウンがあった。←この前歩いた。孔子廟があった。 ・琉球王国では、王は神と交信できる聞得大君によって即位を許され、国家の安寧・鎮護も彼女の霊力で保たれるという解釈をした(神聖国家)。←ほとんど邪馬台国の構造。 ・米兵の無法な暴行はペリー来航の時から始まった(恩納村米兵発砲事件、ウィリアム・ボード事件)。 ・沖縄の名字の9割は地名に由来している。名字が読みにくいのは、地名だからだ。←那覇から糸満までバスで行く途中だけでも、「翁長」とか「高良」とか「阿波根」とか沖縄特有の人の名前が地名になっているのを発見した。 ・ユタ(民間にあり霊的な判断を下す人)は、一説によると3000人から1万人いるという。沖縄人口は140万人だから多い。職業にしていない人も多い。ただし、サーダカ(霊力が高い人)と呼ばれる。沖縄では65%の人がユタを信じると答えているデータがある。仏教が根付いていなくて、祖霊神やアミニズムを肯定し、生者と死者の間がボーダレスな社会でもある。←「精霊の守り人」の世界観に似ている。上野菜穂子が学生の頃フィールドワークした地域だからか。 ・沖縄料理に昆布(クーブ)は欠かせない(沖縄そばの出汁も昆布とカツオ、豚骨である)。しかし、昆布は北海道産で沖縄では採れない。18世紀、薩摩藩は昆布を必要としている中国と密貿易するために二重朝貢をしている琉球を利用したのだ。沖縄は数年前まで昆布消費量日本一を誇っていた。←北方謙三「楊令伝」によれば、昆布は中国の脚気治療に効いたらしい。薬並の貴重品だったのだ。 ・タコライスは1984年、金武(きん)町の「パーラー千里」で、メキシコのタコスのトルティーヤをご飯にかえて発祥した。米軍基地キャンプハンセンのゲート近くにあるお店が円高を背景に、米兵でも安く満腹になるようにというコンセプトのもとに作られた。よってその姉妹店「キングタコス」では常に大盛りのタコライスが食べれる。←こんな最近の発明だったのだ!私は「ステーキ88」で850円、普通盛が確かに大盛りだった。美味しかった。 ・先の「沖縄の人だけー」で、私は間違えた。「スパム」は、「ポークランチョンミート」という食品名のメーカー名だと思っていた。実はどちらもメーカー名だった。沖縄の人たちはこれらを「ポーク」と呼んでいる。豚肉のことでは無い。添加物と脂身が多く、健康的ではないのだが、沖縄料理と相性がよくて広く使われているらしい。「スパム」は、米兵が「うまいぞ」と勧めたが英兵が「こんなまずいもの」ということから転じて迷惑メールの意味になったらしい。←この前「カルディ」に置いてあるのを発見した。 ・沖縄の台風で、学校や会社が休みになる基準はバスの運行が取りやめになったとき。
2019年11月26日
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今月の映画評です。 「ボヘミアン・ラプソディ」 音オンチの私は音楽映画に偏見があって、たとえアカデミーの作品賞を獲ろうとも私が面白くないと思う作品はここで紹介するのは避けてきました(「ラ・ラ・ランド」)。でも時々絶賛することがあります。基本はやはりドラマがしっかり描けている、と私が思うかどうかなんだと思います(「レ・ミゼラブル」)。 今年のアカデミー最優秀主演男優賞(ラミ・マレック)を獲ったこの作品も、楽曲が良かったのはもちろんですが、それ以上に誰もが知っているスーパースターの隠れたコンプレックスや孤独、そしてLGBTに対する差別、エイズの問題などをきちんと描いているのが素晴らしいと思いました。 「クイーン」のフレディのコンプレックスは、後に自覚するゲイである事以外にもインド系移民の子供であり、ずっと「パキ野郎(パキスタン人)」と蔑まれていた事もありました。それは本名を突然フレディ・マーキュリーに改名したことでもわかります。彼はわだかまりが解けずに父親と仲違いしています。劣等感をフレディは溢れる音楽的才能で一点突破するのです。だから、彼は自分がゲイだと自覚した時に、性癖を隠すのではなく立ち向かう方向に舵を切ったのだろうと思います。70年代、まだ圧倒的にゲイがマイノリティだった時代であり、陰に陽に差別はあって、誠実でないパートナーやクスリに頼る生活の果てに彼はエイズになります。 映画を観ていて、苦しくなるようなどん底の状況を救うのが、ずっと音楽を共にやってきた「クイーン」の仲間であり、音楽そのものだったという展開は、わかっていても血がたぎります。フレディは言います。「悲劇の主人公にはなりたくない。俺が何者かは俺が決める」 作品はいわゆるブックエンド方式。85年の史上最大級のチャリティコンサート「ライブエイド」に登場する場面が冒頭で先ずあり、ラストは21分間はまるまる彼らの歌でした。その歌がフレディの人生そのものを表しているかのように、脚本は構成されています。4曲とも、私でも知っている曲ばかり。しかも、こんな意味だったのか!と驚きの発見もありました。ラミ・マレックはファンも納得する完コピを果たし、人間関係の修復場面もその曲の間に表現しました。見事な音楽映画でした。(2018年ブライアン・シンガー監督作品、レンタル可能)
2019年11月25日
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11月9日(土)晴れ 大会2日目(面倒なので一回で一日分をUPします)法華ホテルの朝食。思った以上に郷土料理満載。中味汁やアグニー豚のトンカツ、イリチー各種、チャンプルー各種その他、これで沖縄料理を探して食べ損なったと思わなくて済む。ありがたい。食べてみると、中国の色、東南アジアで色、そして日本食が入り混じった食文化だと思う。国際通りは県庁前から始まっている。その近くに分科会会場の八汐荘があった。「日米軍事一体化を止めよう!米軍・自衛隊基地の強化はゆるさない」(第3分科会)に参加。私なりのまとめです。文責は私にあります。助言者 小泉親司(安保破棄中央実委常任幹事)⚫︎極めて異常な米軍基地第増強が進められている・米軍の駐留人数世界第一位 60万の米軍兵力→20万 しかし、日本だけが増えている。・内容的には、①海兵隊が世界で唯一海兵隊部隊を展開している国②原子力空母の母港を置いている国③一国の首都の大都市(横田・横須賀)に広大な米軍基地を置いている。・これが更に異常性を増している。辺野古強行。岩国へアジア最大の海兵隊基地。横田基地に攻撃的なCV 22オスプレイの強行(首都でパラシュート訓練を始めた。読谷では事故多かった、伊江島でも反対した、協定も無しに始まった)。沖縄の属国的状態が全国に拡散している「本土の沖縄化」。・思いやり予算がその異常を支えている。「思いやり予算」と「米軍再編関係費」「SACO関係費」で最高額に急上している。1974億円+1679億円+256億円。思いやり予算への批判が始まってからは、こんな風に使い道を分けて誤魔化しを行なっている。⚫︎米軍・自衛隊の軍事一体化・来年予算防衛費5兆円を突破する。55%のほとんどは借金、累積借金は55兆円。・この防衛費で米戦争政策と米軍事産業を支える。F35の爆買いーロッキードでは大量生産は未だ。しかも欠陥兵器。それを135機を買うと約束した。F 35は2000キロの射程を持つ。先制攻撃戦力へ。「これを使いこなすようになれば、周辺国は日本を専守防衛の国とは信じなくなるだろう。」(空自幹部)と言われるくらい。つまり海外進出を意味する。米軍戦略に基づくもので、日本の防衛でも何でもない。石垣・宮古島では住民の意見を聞かない強行策。・対中防衛の考え方ー日米で戦争するやり方を組んでいる。戦争する理由がない。島嶼防衛という理屈ー上陸作戦というとタブーだったが、島嶼防衛といえば国民は納得するだろう(合田司令官)というような意味である。⚫︎9条改憲と一緒になった闘いこの後討論に入りました。秋田・自衛隊イージス・アショア配備について(山内千恵子)・反対候補の圧勝。無党派の6割が投票した。防衛省の根拠のウソが全国ニュースになったからです。弾道ミサイル防衛システムは、更に危険を招く。米軍にとっては、国土防衛のための10億ドルもの節約になる。ルーマニアの基地は市街地から9キロも離れている。秋田市のそれは隣接する住宅地に1300人、すぐ近くに30万の秋田市。説明会では「核兵器を打ち落とせばどうなるのか?」の質問を無視した。実際は、撃ち落とす直前に自爆して、大規模な電磁波が出て、数年間日本は壊滅的となるだろうと言われている。・イージス・アショア基地は長期間健康に影響を与える電磁波を出す。・現在一基3400億円。アメリカから買う。2つ作れば6000億円超を使うことになる。広島・「かが」空母化について 森さん(呉地区平和委員会)・「かが」空母化 ヘリではなく戦闘機を搭載しようとする計画。専守防衛を逸脱しする空母化に反対して、リーフレットを作る準備している。横田基地の撤去を求める西多摩の会 高橋美枝子11年目の会。平和委員会で監視行動をしている。米軍の第五空軍司令部、在日米軍司令部がある。オスプレイの管制をしている。首都にこんなのがあるのは日本だけ。いつも「植民地ね」と思っている。・C 130HからC 130J30になった。四機編隊でぐるぐる飛行している。あちこちで見られるようになった。・この輸送機でパラシュート降下訓練をしている。12年に100人が展開。戦場のようだった。13、17、18、19年に訓練。18年に中学校校庭にパラシュートがテニスコートに落ちた。・オスプレイ正式配備。575回離着陸も都も調査をやめた。夜間訓練の騒音が激しい。今度十機になる。去年までの事故45件あった。自衛隊ミサイル基地いらない(宮古島)奄美大島含む南西諸島に、自衛隊が配置されている。日本政府アメリカの言う通りにして、作った。「抑止力・災害支援」と防衛省は言っている。離島奪還のイメージ。中国が島を奪う、それを取り戻すらしい。「島の住民は?」防衛省は「住民避難の責任は我々にない。」という。宮古島役所は「そういう計画はない」という。つまり、住民のことは一切考えないで配備している。佐藤防衛副大臣が宮古島市長に打診したときに、福山地区に全部の施設を一ヶ所にまとめる計画をした。宮古島はサンゴの島なので山もなく川もない、地下水で生活している。地下水の種水源が福山の地下にある。自衛隊は一切想定していなかった。地下水汚染の心配がある、どいうことで福山地区は諦めた。そして千代田地区に。基地の中にある集落の御嶽にも住民は自由に出入りできない。弾薬庫、住民に嘘をついて配備した。石垣島に軍事基地は作らない市民連絡会 藤井幸子配備には市長は強行して進めているが、市民を無視して既成事実を積み重ねている。今年造成が始まっている。住民説明会は5回、避難計画を聞くと防衛省は「お答えできません」「防衛上お答えできません」というだけ。環境アセスも大きな不安がある。水を湧くところに埋め立てをしている。県の環境アセス条例にも触れる。弾薬庫つくるが、住宅から150メートルしか離れていない。大きな集落からも400メートル離れている。住民投票しようと頑張っている。住民合意無くして工事強行。矢臼別平和委員会 高橋米軍海兵隊矢臼別訓練500名、白燐弾使用、夜間訓練最終日までやった。53回目の平和餅つき会。自分たちの場所で勝利のために頑張る、非暴力を貫き、人間みたっぷりに闘う、これが沖縄と連帯することにもなる。写真集を作っている。埼玉 所沢平和委員会所沢通信基地がある。横田基地に直接送信。横田基地の強化施設工事で、土砂がら所沢通信基地に搬入。土砂調査は米軍任せ。基地で煩雑に起きた漏えい事故で不安は尽きない。長崎 離島奪還で陸上自衛隊から専門部隊。米軍海兵隊で訓練を受けている。第二次安倍政権時の水陸機動団計画通り。海兵隊を送り届ける輸送団としてオスプレイがある。佐世保と佐賀、中国の脅威をしっかり把握したい。京都福知山平和委員会丹後にエックバンドレーダー基地半年に一度は射撃訓練。福岡 築城基地、新田原基地に弾薬庫など米軍施設を作ることになっている。「自衛隊の基地を米軍が自由に使うことを許すべき」とアーミーテージレポートがある。これは安倍内閣にとっても至上命令。佐賀 オスプレイ配備反対佐賀県平和委員会。佐賀で反対集会している。小泉親司のまとめどいう闘いをやるか国民世論の獲得をどうするか。・米軍基地・自衛隊基地が政治的闘いになってきている(秋田市)沖縄はずっとそうだったが、本土でそういう運動が拡散しているのが重要。秋田市野党共闘、前回は唯一負けたところ、ところが今回は勝った。イージス・アショアを政策課題に挙げた途端に勝利した。。・米軍基地拡張はイケイケどんどんではない。辺野古の軟弱地盤問題は、我々の運動で追い込んで来た。防衛省は柔らかいことは知っていた。運動で暴露したのである。岩屋防衛大臣「極めて難工事である」。私は現実問題として勢いによっては決定的なことになると思う。止めるためには何が必要か。結局自民党は、知事を止める必要がある。その展望は今のところない。2012年までの建白書。ここで、沖縄の闘いは大きな転換があった。ここは、我々が有利なことで闘うことができる。・イージス・アショアも同じ。・日米地位協定は、日米安保条約の心臓である。地位協定の見直しを知事決議があるのは、心臓に剣を打ち込んでいるようなもの。何故知事が賛成しているのか?全国の基地被害が全国に及んでいるから。知事もなんとか東京知事もオスプレイが飛び始めたから、動き出した。心臓に突き刺さっているということは、安保が揺らぎ始める。翁長知事「日米安保条約は砂上の楼閣だ」とい言った。・政府の誤魔化しをつく。南西諸島の災害救援どいう誤魔化し。←戦闘機が「災害救援?」これが肝心。・市民と野党の共闘が必要。この闘いは沖縄の闘いが原点だ。・自衛隊の軍事増強はいつまでも続かない。国民の支持の元は、災害救援。戦争のための自衛隊増強がいつまでも持つか?それに日本がイージス・アショアを運営できるか?運用するのは、アメリカ軍事産業になる。昼食は国際通りの「ステーキ88ハウス」で。ステーキは予算がないのでタコライスにした。城岳公園。学徒動員に参加した中学生を悼む碑があった。そこから、南国の美しい花に囲まれた中学校が見える。翁長知事の裁判闘争で集会をした闘いの現場。ここで閉会集会をする。兵庫「首里城も見たけど、辺野古も見たで」埼玉「1人でも声あげて」以上若い方の挨拶最後の挨拶で「首里城再建カンパは61万集まった。辺野古は完成の見通しはない。二兆円以上かけて完成後に軟弱地盤のせいで陥没する可能性のある基地を作ってはいけないのです。地位協定を改定する歴史的チャンスがおとづれている。日韓関係を克服し、安倍9条改憲を許さず、辺野古返還を勝ち取ろう!」と述べた。国際通りを通って、県庁前まで1時間15分をデモ行進した。沿道の人たちの声援が、他のデモ行進より遥かに多い。みんな暖かい。沖縄なのだ。これが沖縄なのだ、と思った。ホテルにチェックインし、ちゅら亭で沖縄料理を満喫した。この魚はミミジャーというらしい。酔ったのか、そのあとコンビニで更に夜食。こういうのが太るもと。ファミマには沖縄限定商品がたくさんある。これを選びました。(お土産含む)14085歩
2019年11月24日
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那覇市に戻り、弁当を食べて日本平和大会の開会集会に挑みました。始まる前にこれらの平和グッズを購入。首里城炎上の号外と新聞をカンパ200円でゲット!最後のカンパにも千円札を出しました。私としては異例です。遺跡の焼失は、私にとってもショックでした。集会の目玉は、玉城デニー知事がこの大会に登場したことだ。現職知事が登壇したのは、平和大会史上初めてのことではないか。「首里城の焼失 県民は喪失感でため息をついている。首里城の姿を復興・復旧に向けて動き出した。昨日、ワーキンググループを立ち上げた。辺野古新基地建設断念を貫く。住民投票で県民は辺野古新基地反対を選んだ。それでも強行する政府。我が国の民主主義そのものが問われている」高良参院議員がトレードマークの帽子をかぶって登壇。「国会は帽子ダメはおかしい。議場は禁止されたが、以外では被っている。憲法改悪を防止(帽子)する。」赤嶺政賢衆議院議員もやってきた。「今さっき国会で論戦したばかり。『普天間基地は国際法に違反しているので、返還すべきだ』と言えば安倍さんは『確かに米軍占領はいろんなことがあった。地位協定に則っているから合法』という。これは違う。返還時に返すべきだった。基地は返すべきだ」伊波洋一参議院議員も登場。「沖縄問題含めて、今日国会でやり合った。安倍首相が県民市民を置き去りにして、軍拡に進んでいることがわかった。改憲させない。首里城再健させます」韓国の市民運動家オ・ヒェランさんも発言した。舞台を見ただけでも、オール沖縄の力を感じるではありませんか。ここでは、我々は与党なのだ。日本国の中では、最も異常なことが行われている地域で、政治的には最も正常になろうとする力が働いた結果である。各地域からの発言。幼稚園に米軍機からの落下事故のあと「チーム緑ヶ丘」を結成して闘っている保母さん2人からの発言がありました。「2017年幼稚園に米軍の二回の落下物事故がありました。それまでは政治には関心なかったのですが、事故が起きて意識はいっぺんしました。無事で良かったでは済まされません。米軍の「自作自演だろ」の驚きの態度、心ない対応がショックでした。思った以上に励ましと署名が届いて、頑張ろうと思いました。」私たちの要求は3つ「事故の原因究明・再発防止、原因究明までの飛行禁止、幼稚園上の飛行禁止」でも、かえって現状は悪くなっています。皆さんのお知恵を貸してください」また、もう1人の保母さん。「私にも大切な家族がいます。生まれも育ちも宜野湾市で、基地があるのが当たり前でした。事故のあと、子どもたちを守るために思いつくことを全てしてきました。米軍が落下を認めなかったために誹謗中傷がありました。暖かいのは県だけ。後の自治体は、みんな冷たい。あれから米軍機は相変わらず上空を飛んでいます。その度ごとに、まるで空襲警報のような避難です。子どもたちはいまだに「怖い」と泣く。年長さんが耳を押さえてあげる。東京の子の命、沖縄の子の命は、重さが違うのか!」この後シンガーソングライターから「空から降ってくるのは、しとしと降る雨がいい♪」という唄でチーム緑ヶ丘を励ました。辺野古ゲート前で話をした新基地建設反対の瀬長さんの報告(沖縄県統一連)もありました。最後はもちろん「共に頑張っていきましょう!」宮古島にミサイル基地いらない住民連絡会からの発言。「住民がいくら嫌と言っても、説明を求めても基地を押しつけてきた。誰がこんな生活を求めているのか!大臣は是非宮古島や石垣にも来ていただきたい」東村、ヘリパッド反対連絡会。「訓練場で我々のテントを持ち去られた。じゃましない場所に置いていたのに。全国からテントをカンパしてもらい、今も置いている」秋田市イージスアショアいらない、人たち。「「最適候補地だ」と防衛省が言う。住宅密集地の外れが候補地。何故設置するのかと聞くと、中国の弾道ミサイルを迎撃するといった。研究者が解明すると、北朝鮮からハワイ(秋田市と同距離)とグアム(山口萩と同距離)を守る要衝の地となっている。更に6月グーグルアースの間違いを追求すると、彼等も認めて陳謝した。候補者も当選させた。自民党ももうやめろと言い出した。16の自治体も中止の決議をした。秋田県民対象に10万人著名をしようとしている。トランプと安倍の裏取引で始まったこのイージスアショアいらない」東京日野市オスプレイは来るなの人たち。「日野市は横田基地の飛行ルートの真下。昨年6月の夜間無灯火飛行46回です」呉市の人たち。「へり護衛艦「かが」空母化阻止10.6集会350人で成功させた。市民は共存共栄を当たり前にしている」防衛大のいじめ裁判、原告の母が泣きながら訴えた。「裁判は事実を認めながらも、大学校の予見は無理だったという。しかし、このいじめという名の犯罪は、伝統的に起きている。息子の他にも144名が同じ被害にあっている。たくさんの証拠、証言は都合の良い方向に持っていかれた」「このような人権意識の低い幹部が20万の部下に向けられる。或いは、日本国民に向けられる。」「この裁判に勝つことだけが意味があるのではなく、皆さんがちゃんと意識して知ることが意味があるのではないか」最後はいつものように、登壇全員が「勝利を我らに」を歌い、沖縄大会の恒例踊りを踊って閉めた。ホテルに帰ってさらにオリオンビールで夜食。
2019年11月23日
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そのあと、辺野古海岸の団結小屋に移動した。「5682日目」の看板こそは、五年前に来た時よりも数字が増えているが、十年ひと昔の如く何も変わらない。海から見える景色もあまり変わらない。辺野古移設が言われて25年近く経った。それでも、ほとんど進んでいない。この数字が、それを押しとどめている。気の遠くなるような努力だ。「プロ市民が沖縄の運動を作っている」とネトウヨは言う。馬鹿を言うな!お前たちにこれができるか?安倍のように毎月機動隊たちに何億と払っているのではない。普通の人たちが情熱だけで、無償でやっているのだ。プロ市民なんていない。運動家がいるのだ。そして我々がいる。前を辺野古川が流れ、山本さんが説明をする。奥は実弾射撃編集所、ヘリパッド訓練場所、あれがキャンプシュワブ。奥は白波が見えている。サンゴ礁があるから白波が見える。しかし、前よりはコバルトブルーの海が見えない気がする。「アメリカ国防総省では懸念が広がっている。日本政府何がなんでもやろうとしている。10月、機動隊いないと工事ができない。そう言う運動は我々はできている。このまま行くと、工事の申請は県が承認しないだろう。だとすると裁判になる。そして、国が勝利する。それを止めるのは、我々です。国は間違いなく手続きを踏む。それを止め切るのはどうするのか」帰りのバスの中、京都「頑張ってくださいよりは、一緒に頑張りましょうはとても大切な言葉だと思った」という感想が述べられた。「安保が見える丘」の後継地と言っていいのか、この「道の駅かでな」は嘉手納市の経営なのか?基地を見せるために建てたらしい。3階は展示資料館になっていて、基地のことをわりと正面から展示していた。残念ながら、戦闘機は飛ばなかった。いわゆる兵器オタクは近くにいなかったので、2つ確認した軍用機の正確な名称は不明。後ろのカマボコ型建物は、どんな爆撃にも耐えられる格納庫である。1棟何億するかは忘れた。思いやり予算である。仲村さんの嘉手納基地説明があった。「今さっき飛んで行ったのはKC135空中空輸機です(写真には撮れなかった)。ここには、対潜哨戒機ほか100機いる。他に訓練機がある。実弾積んだ訓練、ナパーム弾、劣化ウラン弾、などがあり久米島で訓練する。いろんな小学校の防音施設、この道路の防音壁(あまり役立っていない)、地下シェルターなど全て思いやり予算です。嘉手納基地は20キロ平方キロメートル、他に弾薬庫が26平方キロメートル、ディズニー100個分が入る。元々は民間基地、83%は民間誘致。296億円の地料は税金、9000人が働いている。パラシュート降下訓練は今年4回。トランプ以降、嘉手納には核兵器扱う部隊が存在、居るのは間違いない」
2019年11月22日
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日本大会ln沖縄に来た。5年ぶりの沖縄だ。着いたら先ずは空港で昼食ソーキ蕎麦。チャーターバスで、辺野古に向かう。途中いくつも、基地のそばを通る。バスの中では、岡山、東京、北海道、奈良、京都、宮崎の参加者たちがそれぞれ自己紹介をした。全労連「来るたびに明るさと不屈に励まされている」。奈良「大会初めて。オール沖縄感じ取りたい」北海道4人家族と友人「2018年に緑ヶ丘保育園に署名届けた」東京町田「2人で来た。オスプレイで騒音、落下物で大変、連帯したい」岡山「報告会聞いて沖縄に行きたいと思っていた」舞鶴「中学生10年以上前から舞鶴基地の職場体験学習してきた。今年10月、学生が掃海艇の模擬掃射をした。教職員組合が抗議の声をあげている。」等々。これはバスで配られた当日の日程と「沖縄県」が無料で配布している「米軍基地についてのQ&A」である。「沖縄の米軍基地への依存度」とか、いわゆる本渡の人たちが誤解しているようなことを自治体として責任もってかいせつしている。沖縄県のホームページでも見れるようだ。お勧めだ。辺野古基地ゲート前に着いた。たくさんの人たちが座っているが、これは平和大会参加者である。ずっと闘ってきた代表からの挨拶があった。真っ黒い顔。短い時間で、伝えなければならないことがあまりにもあるから、早口になる。運動にかすってきた私だから知っていること、私でも初めて聞いたこと、様々あった。「今日は工事のためのゲートは閉まっています。何故なら天皇即位パレードのために機動隊は全員いない。これだけ集まったからゲートが閉めた、そう言う事もできる。いつもは8-10人等々で見張っている。1日3回ゲートが開く、その時必ず我々がいる。今進捗は1.4%、まだまだ諦める状況でない。土砂の搬入、赤土混じりの土がダンプスカスカできている。安倍の嘘や改竄が辺野古でも行われている。こんなことに5年も費やしている。目の前の建物、滑走路のために移築予定だ。これも税金で作られる。台風19号被害の時に7億1千万使うと言った。なんて冷たい首相なのかと思った。辺野古での諸々の費用は1か月で5億-6億かかっている。この国の安倍のお金の使い方こんなにも違う!この後の工事、前は1日500-600台、今は150台、それは軟弱地盤のため。今年度中に、工事の承認を取らないといけない。ますます予定は繰り延べられる。政府は日にち、費用を明らかにしない。軟弱地盤だけで13年かかると我々は試算している。忖度するばかりのマスコミのせいで、そのことが全国に伝わらない。みなさんはそれぞれの場で発信してもらいたい。今回平和大会にくる1000名が100人に発信すれば10万人に届く。マスコミは工事は後戻りできない、と言う。それは違う。大量の土砂を何処から持ってきているのか?今は県内土砂だが、直ぐに不足して他県から持ってこなくてはならない。他県の土砂に外来生物がいたら、土砂としては使えない。造成局が言っているのは、「他県の土砂を加熱処理する」という。あの大量の土砂をそんな処理出来るのか?どのくらい、幾らでできるのか?一切言わない。できるはずがない。一緒に頑張りましょう!」一生懸命メモしました(文責は私にある)。是非、全国に届いて欲しい。
2019年11月21日
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「沖縄の人だけが食べている」仲村清司 夏目書房 沖縄の古本祭りでゲットした。残りの日程あと2日、読了出来ず。斜め読みをして、どうにかこうにかゲットできたのが「ポーク玉子おにぎり」である。普通に置いてあるコンビニおにぎりなのだが、なんと沖縄しか無いという。2003年発行のこの本ではローソンで180円となっていたが、私はセブンイレブンで220円だった。表紙の、上から3番目の写真がそれである。この形状と具の組み合わせもなかなか本土にはないが、1番の特徴はポークが豚の精肉ではなく「ポークランチョンミート」だということだ。SPAMというメーカーが最も有名な缶詰肉である。その薄切り肉と卵焼きに薄くケチャップを塗ってご飯でサンドして海苔を巻いている。ホテルのゴーヤチャンプルーの肉はたいていコレだった。輸入缶詰だが、消費は沖縄県が9割だという。元は豚のくず肉をコンビーフ状に固めたものらしく、占領時代に安く肉を使うためにこれが沖縄県内に普及したらしい。食べてみると、普通に美味しく、オカズとご飯を一杯を食べた満足感がある。 沖縄にしかない食べ物は、実はものすごくあると思う。ここで展開されている「島豆腐」「焼きテビチ」「中味汁」「沖縄そば」「古酒」「島ラッキョ」「島ニンジン」等の有名なものだけでなく(この辺りは沖縄旅行をすれば自然と食べることができる)、「スクガラス」「ムーチー」「インガンダルマ」「きっぱん」「マース煮(表紙の1番上にある写真)」「大東寿司」等のマイナーなやつ、聞いた限りでは本土にもあるが実は沖縄独特の「天ぷら」「餃子」「ヨモギ」「味噌」等々と紹介して、文章もなかなか読ませてくれて楽しい。 しかも、那覇市を中心にして何処で手に入れられるか、値段はいくらか、書いてくれていてとても親切だ。食べれるお店を何軒も梯子をする必要があるが、数日で制覇できる可能性がある。 やはりこういう本は、沖縄旅行に行く前に読む本である。次回行く時には、何何を制覇するのか、計画をたてて行こうと思う。
2019年11月19日
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「王都首里見て歩き 御城と全19町ガイド&マップ」古都首里探訪会編・著 新星出版 沖縄に行ってきた。2日目に那覇バスセンター3階の古本祭りで買い求めた本。3日目、荷物になるので、この本の一部をスマホに写真を撮って3時から5時過ぎまで首里城周辺を歩いた。失敗した。マップが親切ではないのと、昔ながらの道で道路が入り組んでいて、行きたかったところの2割も行けなかった。そもそも、この本に載っている300以上はあると思われる首里時代ゆかりの遺跡や土地を、観光で踏破するのは無理なのだ。少なくとも1/3ぐらい見つけようとしたならば、おそらく丸2日はかかるだろう。 復元された首里城が灰塵に化した。行っても、高い壁沿いにその僅かな痕跡をスマホで撮るぐらいしかできなかった。でも行ってみて初めてわかることがある。世界遺産たる首里城の価値は、上の復元お城だけではない。世界遺産に指定されているのは燃えていない王陵やお城の地下構造なのだ。地下構造や当時の城下町の様子を知るためには、恐ろしいほどよく残っている首里城周辺の町を歩いてみると、良くわかる。ということを、ほんの少し歩いただけなのだが良くわかった。 金城町には、沖縄戦の戦禍をしのいで樹齢300年を越す大アカギの大木群があった。その幾つかを神様のように祀っている姿。坂道を石畳にして軍事道路をつくっている。至る所にある井戸は貴重な水源をみんなで分け合う庶民の集いの場で、現在も使えるような綺麗な水が湧いている。至る所に御嶽(うたき)があって、庶民の信仰もまだ守られている気がする。 次回は、この本一冊だけを持って、迷いながら一日中適当に歩けば、きっと様々な発見がついてくるに違いないと思う。
2019年11月19日
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「沖縄県平和祈念資料館総合案内」 何度も来た祈念資料館ではあるが、総合案内図録を初めて買った。 子供やおばあが道端で亡くなっている写真等、いくつか不足しているところもあるが、あの膨大な展示資料を一通りまとめていて、有用な図録だと思う。 以降、沖縄県の戦争に至る歴史、沖縄戦の実態、その後の2000年までの沖縄の歩みを辿る時、教科書的な本になると思う。 沖縄戦があまりにも苛烈だったために、残っているものはほとんどなく、人の「証言」が、大きなパートとして「展示」されていたのが、この資料館の大きな特徴だと私は思ってきた。それは今回見ても変わらないのだけど、それだけではない。ということもわかってきた。特に、殆どの本文を英語併記で書いていることが注目される。米兵に是非この沖縄のことを知ってもらいたいという著作者たちの真摯な想いを感じた。だから戦後の沖縄についてもかなりの分量をかけて解説している。戦後のページが本書の1/3以上を占める。復帰運動、米兵の事故・犯罪も載っていた。正しいと思う。
2019年11月17日
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「ぬじゅん第12号」『まぶいぐみ』実行委員会編 『時の眼−沖縄 批評誌N27』編集室 沖縄で買った本を何冊かシリーズで紹介します。沖縄県平和祈念資料館でゲットしました。『DAYSJAPAN』が惨めな撤退をした後、こういう写真雑誌は貴重です。全面原則1ページ1写真、キャンプションはほとんどなく撮影日のみ、24ページ立て。年6回発行だそうな(やっていけるのかな)。それでも、十分訴えるものはある。わかりすぎるほどだ。「ぬじゅん」は沖縄語で「抜く、撮る」ことらしい。資料館に置いている最新がこれだった。 今回は表紙にあるように、安倍首相は沖縄県知事選挙のあと、昨年10月県知事を迎えて対話すると約束した口の根も乾かぬうちに「12月14日、辺野古土砂投入を強行!」した。この頃は未だドローンを撮影に使えたらしい。辺野古のサンゴ礁の海がみるみるうちに土砂の色に染まっているのを見事に捉えた写真。 土砂投入の写真、カヌー隊で反対に乗り出す写真、「土砂投入阻止 海を殺すな」と立て看板持って抗議するおばあたち、機動隊と対峙する写真、写真、写真。一気に怒りが溢れている。 写真報道誌、頑張ってもらいたい。
2019年11月16日
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「カゲロボ」木皿泉 新潮社 そんなとき、突然、「なに見ているのよッ」と声をかけられたのだった。チカダには、不機嫌そうな顔でにらんでいるその女子が、生々しく思えた。ようやく生きている者に出会えたと思った。しかし、それでもまだ本物かどうか確信を持てなかった。オレをだまそうとそうとしているのではないか。やっぱりすべては、映画のようにスクリーンに映った幻のようなものではないか。チカダは、そのまやかしのスクリーンを切り裂いて、その向こうにある本当の世界を見たかったのだ。切りつけるというより、目の前にあるホットケーキのような太股に線を引くようにカッターナイフを走らせただけだった。(197p) 今朝、14歳の少年が小さな女の子をカッターで切りつけたというニュースを見た。「誰でもいいから殺すつもりだった」と言っているらしい。この「あせ」という短編とのつながりは一切ない。けど、この近未来を描いているような不思議な短編集は、今朝のニュースを見たあと「つながっている」と思った。 読む前は、リード文を読んで近未来の監視国家を描いた小説かと予想していたが、違っていた。近未来ではない、もっと広く、そして深刻な「現代」の「傷ついた人たち」を描いていた。 全ての短編に通じているのは、何故か日常の中に変なロボットが存在している「らしい」ということが描かれていることだけだ。それは、大抵は一つの回答のない問題を解くための「1本の補助線」である。いじめにしても、社会福祉にしても、運命にしても、それはいつもそれ「らしい」けど、よくわからないものだ。 カッターの少年のホントの「心」はわからない。けれども、チカダのようなお父さんが居れば良いな、と思った。 2019年11月14日読了
2019年11月15日
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「なるほどデザイン 目で見て楽しむデザインの本」筒井美希 MdNコーポレーション 全体的には雑誌編集に役立つようなデザインの基礎が「目で見て分かる」ように書かれた良書だと思う。私は別の思惑で本書を手に取ったので、その点に絞って感想を述べる。 20年以上、月1回ある団体のミニ新聞(A4)をボランティアで作っている。ワードで作っているので、あんまり凝った事は出来ないが、それでも一回の作業時間3-5時間のうち、半分以上は「割り付け」「レタリング」に費やされるのである。10年ひと昔、ならぬ20年ほとんど進歩がない私の新聞の少しは改善点があるのではないか?と思って紐解いた。 割り付けについて ⚫︎どんな構成かは「どんな人に」「何を」「なぜ」「いつ・どこで提供するか」で決まる。←当たり前のことだけど、大事。時にはそれを思い起こして作っていこうと思う。←ここまで書いてふと気がついたけど、20年の間に「人」と「いつ・どこ」は大きく変化している。20年ひと昔のように同じ新聞を作ってはいけない、ということに今更ながら気がついた。 ⚫︎誌面構成の解説は、わかりやすいカラー例示と共に整理されていて、本格的にきちんと頭に入れば割り付けに応用が効くのかもしれない。 レタリングについては ⚫︎書体を声音に例えて擬人化してみる 体育会系 ヒラギノ角オールドW9 かわいい子ども 筑紫A丸ゴシック しっとりした女性 筑紫明朝体 おばあちゃん リュウミン+遊筑36ポ仮名 明快なビジネスマン ゴシック体M →ただし、こんな細かい字体は持っていない ⚫︎やはり書体や大きさ、時には字間も「煩雑に」変えよ、と解説している。時間がかかるんだけどなあ。 ⚫︎タイトル・リード以外にキーワードがある。方法は、数字をつける、アイコンや記号、“”、【】、フリガナや英語訳を添える等々。 ⚫︎写真には「感じる写真」と「読む写真」がある。 うーむ、作る時間が増える事はあっても、時短にはなりそうにないなぁ。雑誌編集はいつもこんなことを考えてるのか!時間がいくらあっても足りないじゃないか!
2019年11月13日
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「通販生活2019年冬号」 「通販生活」は年間購読している。マスメディアが次々と忖度メディアと化し、雑誌メディアは売らんかなのセンセーショナルメディアと化している中で、今や数少ない硬派メディアになった「雑誌」として読んでいる。「通販生活」が変貌したわけではなく、世の中が変わったのである。 でも、前号のように紹介する気が起きない記事を書く場合もある。それもこれも、あらゆるモノに忖度しないこのメディアの姿勢だと思えば気持ちいい。 実は今回のラインナップは、恐ろしいほどに参考になる記事が多かった。表紙からして、「戦後最悪の日韓関係」に真っ向から逆らうモノだ。記事の内容だけでなく、通販商品のトップに「韓国の便利生活雑貨」を特集した。なかなかである(←買えないけど)。 他には「憲法改正国民投票テレビCM規制について」「どうしていつまでたっても全国の仮設住宅はなくならないのだろう(木野龍逸)」「通販生活×あすのば 春入学準備金カンパのお知らせと受取者の取材記事」「百歳現役」「舞台裏座談会マジシャン 詐欺とマジックの手法は同じ。騙されていいのはマジックだけ」「介護を考える」「人生の失敗 明石市長泉房穂」「おすすめ本」等々全部紹介したいのだけど、キリがないので題名だけ載せます。 あ、15回にわたって『グーグーだって猫である(大島弓子)』を全て転載していた連載が終わった。私は永遠に続くのかと思っていたら、2011年3月11日の描写があったと思ったら、その1ヶ月後にグーグーが15歳8ヶ月の生涯を閉じて終わらせてしまった。全ての物語には終わりがある。大島弓子は、今もたくさんの猫たちと一緒に暮らしていると「確信」は出来るが、もう名人的な猫のマンガは描かないのだろうか、と思って検索すると『キャットニップ』というエッセイマンガの第3巻目が11月に出るらしい。どうやら全ての猫たちの看取りを描いているらしい。ちょっと心配である。
2019年11月12日
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しばらくお休みしていましたが、実は沖縄で開かれていた平和大会に参加してきました。 開会集会には、玉城沖縄県知事や那覇市長、3人の国会議員たちが集まってきました。我々は与党なのだ。そう思える大会でした。 閉会集会の後には国際通りをデモ行進しましたが、その時の沿道の人たちの反応も経験したこ とないぐらいフレンドリーでした。我々は沖縄では与党なのだと思いました。しかし、それが本土には反対になっている。しかし展望はある。いろいろ学び感じてきました。また詳しくレポートします。 実はそのあと、2日間やはり古代を尋ねる沖縄の旅もしました。これもおいおいまとめていきます。
2019年11月11日
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「ヒトラーの時代 ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」池内紀 中公新書 池内紀の遺作である。ドイツ文学者として多くの訳本を書いていた時に常に「背後に1人の人物がいた」という。それがヒトラーだ。「だが、その男に歓呼して手を振り、熱狂的に迎え、いそいそと権力の座に押し上げた国民がいた。私がさまざまなことを学んだドイツの人々である」。だから池内紀は「自分の能力の有効期限」のうちにこの本を3年かけて書き上げたという。そして亡くなる3か月前に、この明晰な「あとがき」を書いた。新書ながらも淡々と事実を選び、文学者の視点で当時の社会状況が目に浮かぶように書いて完成させた。もともと不勉強な時代だったのでもあるが、私が学んだことはあまりにも膨大だ。その幾つかをメモする。以下は、私の覚書なので無視してくださっても結構です。(←)の中は、私の主観による感想である。ちなみに、池内紀は日本については一言の「ひ」も言及していない事を言い添えておく。 ⚫︎1900年から1913年、画家志望のヒトラー青年がリンツとウィーンにいた間の詳しいことはほとんど知られていない。その間ヒトラー青年が交遊・庇護を受けた大半が、その名前からして明らかにユダヤ人だったからである。ウイーンにいた極貧の5年間をヒトラーは「最も悲惨な歳月」であり「世界観の基礎と政治の見方」を学んだと書いた。どうやらとりわけ憎悪の仕方を学んだようである。 ⚫︎ヒトラーは、演説一本で突然注目された(←現代で言えば突然YouTuberになるようなものだろうか)。1920年党名をナチス(国民社会主義労働者党)に改称。2月24日、ヒトラーの演説日をナチ党大会記念日とした。ヒトラーが大衆に働きかける方法を自覚した日だったからである。 1.簡潔に断定して細かい議論はしない。(←「もし妻が関与していたら辞任する」と言って細かい議論を拒否した一国の責任者がいる。この方は「責任は私にある」を49回も繰り返しているが、一回も責任を取ったことがない) 2.単純化したロジックを用いて、相反する2つをあげ、二者選択を迫る。 3.手を変え品を変えて繰り返す。 ⚫︎派手なポスター、飛行機からパンフをまく、有力者に演説レコードを送りつけ、トーキー映画をつくる。宣伝用キャッチフレーズに特有の文体を使う。簡潔で、文学的レトリックを備え、党首のカリスマ性を掻き立てる。 ⚫︎絶望に瀕していた中流市民層と理想主義的な若い世代を捉え、保守派にも花を持たせた。そして、最初権力層はヒトラーを過小評価していた。せいぜい「共産主義の防波堤」として「利用できる人物」だった。1930年、ナチス第二党に躍進。1932年第一党。(←この過程は、あまりにも維新の党、N国党の躍進と酷似しているし、自民党の選挙戦略とも酷似している) ⚫︎1932年1月ヒトラー首相の内閣は、最初はナチスは2人のみ。ユダヤ人を目の敵にして、過激なことをうたい、政治を祝祭のように儀式化して、事あるごとに派手なデモストレーションを打って出るナチスに対してドイツブルジョワ・知識人層は大方は「呆然たる思い」だったが、「仕方ない」とした。ずっと内閣は半年しか持たず、混乱を鎮めるための差し当たり汚れ役を期待していたからだ。ヒトラーは直ぐに「ドイツ国民保護のための大統領令」を発令。最初はそっと踏み出し、「良識ある」閣僚は誰1人異議を唱えなかった。同年2月27日国会議事堂炎上、翌日「大統領緊急令」(もちろん本質は簡単にわからないように糊塗はしていた)発令、ワイマール憲法で認められていた言論の自由、報道の自由、郵便及び電話の秘密、集会及び結社の自由、私有財産の不可侵性などが一時的に停止。(←「翌日」というのが凄い。そして当然「一時的」ではなかった)翌月、最初で最後の総選挙、ナチスは全議席647のうち288、社民党120、共産党81、中央党74、国家国民党52、その他1だった。直後、ヒトラーは共産党の国会議員無効を宣言、結果ナチスが単独過半数になった。(←ナチスはバカだと思っていた知識人は、その用意周到、手段を選ばないやり口に完全に遅れを取った。今でも某国首相をアホという知識人は多いが、組織としての自民党はいつも戦略的に勝利している。この時ドイツ国民が大統領令の危険性を自覚して選挙で勝たせなかったら、とは思う。しかし、安保法や共謀罪法が成立した後に、選挙でその政党を第1党に祭り上げたのは果たして何処の国の国民だろうか) ⚫︎ナチズムの15年間、最初の戦時体制に突入するまでは、普通の市民にとっては「明るい時代」だった。ワイマール末期に600万台まで数えた失業者は、100万台まで減少した(政権奪取後に車産業にテコ入れ、雇用十数万人を創出失業者を減らした)。ドイツ国民は、一党独裁という極端な形であれ、手の施しようのない分裂状態よりはマシ。少し我慢すれば、自分たちの利益は確保できると希望を見出していた。1934年「長いナイフの夜」事件でSA隊長以下77名を粛正、腐敗に対する断固とした態度を示した。タバコの肺ガン物質の発見の後がん撲滅キャンペーンの世界的な最初、ヒトラー自ら禁煙を説く、「健康国家」の提唱。(←現代の不倫への極端なパッシング等々似た所がある気がしている) ⚫︎当時未だ数十万人しか試聴していなかったラジオは、33年発売して普通価格の1/8、一気に数百万人になった。「ドイツ国民に告ぐ」と始めて、政局の折々に、荘重な音楽が流れヒトラーお得意の弁舌が流れる。ヨーロッパは英米と違い、「部族の太鼓」たる人間の内面への働きに慣れていなかった。ラジオ聞き入り恍惚としたのである。ユダヤ人を槍玉に上げる際に、インフレでマルクの価値が1兆円分の1に下落した国民に向けて、インフレ的に演説した。「最初のユダヤ人」を邪悪な敵として攻撃する。続いて国内のユダヤ人、占領地域のユダヤ人、最後には100万単位で絶滅させるべき「社会の害悪」として攻撃した。(←嫌韓は作られている。日本国民は気がついて欲しい。反対に嫌中は巧妙にトーンダウンした) ⚫︎33年ゲタシュポ(秘密警察)は200-300人、40年には1100人になった。共産党員を「半ナチ陰謀」をでっち上げ、逮捕・勾留・拷問を繰り返した。どれだけが逮捕・拷問されたかは不明だが、Mの姓だけでも45年までに3万4591人が検束され、辛うじて生き延びても強制収容所へ護送された大半が殺された。 ⚫︎独裁制の完成は32-33年の2年以内で急速に巧妙に完全に行われた。(←まるで十数年このために準備した知識人かいたの如くだ。現代日本ならば30年かけてやってきて、あと少なくとも10年は必要な法律ばかり。世界初だったからか) ⚫︎ナチスの膨張時代、33年までの10年間、実は国家人民党、中央党、社会民主党の得票率に変化はない。ナチスは浮動票を攫ったのだ。ドイツ経済の破綻と社会不安、ヒトラーは仮想敵を名指しして、繰り返し、浮動票取り込んだ(←現代日本とよく似ている)。政権奪取後、1年で全ての党を解党に追い込んだ。小都市では、時流に敏感な小市民は小狡く小さな権力者にすり寄っていった。(←結局、社会の空気と絶妙な時代のタイミングがナチスを躍進させた。10年前の日本でも社会の空気と閉塞感は十二分にあっただろう) ⚫︎亡命ハンドブック『フィロ・アトラス』が38年12月に出た。(←このひとつひとつを追っていけば、映画が出来る) ⚫︎大不況の最中に首相になったヒトラーは翌日に「我々に四ケ年の猶予を与えよ、しかるのち批判し審判せよ」と大見得を切った。誰もがいつもの大ボラと思った。フォルクスワーゲン構想、自動車専用道路計画、その他で4年後失業者は1/6の100万人に減っていた。この最初の5年間を「平穏の時代」という。36年にオリンピックがあり、独裁制の国際批判を明るいイメージに修正させた。35年住民投票でザール地方がドイツに復帰、ヴェルサイユ条約破棄、再軍備、38年オーストリアを併合、チェコのズデーテン併合。(←この政局の節々で国民投票をやっている。だからナチスは民主的な政権だと自己主張していた。政局の節々で総選挙をやった某国と良く似ている) ⚫︎作家のケストナーは「雪の玉が小さいうちに踏み潰さなくてはならない。雪崩になってからでは、もう遅すぎる」と言った。
2019年11月06日
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「平和新聞11月5日号」が届いた。1面は、軍事評論家前田哲男さんのインタビュー「日本列島を“アメリカの盾”にする中距離ミサイル配備」である。 思い出したのは、社会に就職した直後に乗った岩国基地に向かう「トマホーク専用列車」である(実際は岩国駅着の貸切列車)。トマホークという怖いミサイルを日本に配備するらしい。というだけを知っていて、ちょっとした小旅行気分だった覚えがある。しかし、ホントの怖さを私は理解していたのかどうか。その弾行を如何様にも制御出来るその「性能」にあるのではなく、いつ戦争が起きてもおかしくはない状態になること、これがホントに恐ろしい事態であり、欧州では空前の規模の「反核草の根のうねり」が起き、それを真似るように日本では「反核草の根運動」が起きた。80年代初めの大江健三郎氏が演説した広島30万人集会もそれだったし、現代まで語り草になっているトマホーク列車もそうだった。 この世界的規模の運動は、超大国米ソの政治を動かした。87年にINF条約が結ばれ、米ソは欧州配備の中距離核戦略全てを解体した。 ところが今年米国トランプは、INF条約からの脱退を一方的に通告、アジア太平洋に早期に中距離ミサイルを配備する考えを示した。40年前の騒がれ方とまるきり違う。日本が一切騒がないからだ。今度は舞台はアジアなのだ。中国がおそらく配備しているだろう中距離ミサイルに向けて、太平洋からインド洋にかけてのアメリカの覇権を守るために、日本をその盾にしようとしているものである。 既に米国シンクタンクの論文では、日本のイージス・アショアの配備は「日本が太平洋の盾になる」と指摘している。つまり、アメリカは「日本が独自に配備する迎撃のための基地」は、「アメリカのために攻撃にも使える」と認識しているということだ。秋田は「イージス・アショア配備反対」の野党統一候補が当選した。山口はどうか?岡山の我々の運動が必要だが、萩はホントに遠い。しかし、この記事を見てなんとかしないといけないと思った。 3面には、去年強行設置された相模原米軍ミサイル司令部が対ミサイル戦の統合化を進めていることを解説している。 8日から沖縄で日本平和大会が開かれる。いろんなことを学びたい。
2019年11月05日
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「図書2019年11月号」 表紙は司修氏の『都市型原子力戦艦』。左右に地球と月が浮かんでいるのを見ると、宇宙を征くクジラのように見える。ところが、この絵の背景を読むとびっくり。奄美大島の隣の大きな無人島・枝手久島に核燃料再処理工場建設とか原子力船「むつ」の受け入れ話が以前にあり、それを巡って起きた事件などもあったらしい。司修さんは少し調べた後、夢の中で出てきた「無人島がそのまま巨大な戦艦となって浮遊している姿」を描いたのだという。ウィキで枝手久島を調べると、石油備蓄基地構想があったとしか書いていない。けれども、司修さん自身が奄美大島の居酒屋で土地の人に聞くと「もう昔のことだが、あそこは無人島だからな、いざと言う時は島ごとコンクリートで固めたらなんとかなるんじゃないか」と言っていたらしいから、かなり信憑性があるだろう。そうやって見ると、まるで悪夢のような絵だ。 私は「図書」を年間購読している。が、どうやらあわせ買いで、個別でも買えるようだ(102円)。※(あわせ買い対象商品は、Amazonギフト券を除くAmazon.co.jp が発送する商品と組み合わせて、合計額が2,000円(税込)以上の場合にご購入いただけます。) 今回の「図書」は豊作だった。雑誌というのは、1/3ぐらい読む記事が有れば充分だと思うのだが、今回はナント!11/17もあったのだ。全部紹介したいのだが、その余裕も力量もない。本屋で手に入れることの出来ない方は、是非「あわせ買い」で手に入れて欲しい。例えば、読売新聞記者の川村律文さんが岩波文庫的『月の満ち欠け』について、私の書評で抜けていた“岩波文庫的"の仕掛けの数々を解説していただけでなく、その裏話、或いは佐藤正午さんの作家としての本質を書いていた。 その他、その他、いろいろ書きたいのだけど、ここまで。因みに「良いな」と思ったのは、上記記事の他に以下のもの。 「三島先生、最後の歌舞伎 坂東玉三郎」「三宅島でトマトを育てる。ドリアン助川」「思い出 麗子のあれこれ 岸田夏子」「人類文明の品格と寿命 家 正則」「俺の人生を聞きにきたのか 赤坂憲雄」「ライオン・総社・高校生 さだまさし」「明治の空気 長谷川櫂」「験す神 三浦佑之」「五色譜と「お座なりズム」山室信一」
2019年11月04日
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「魔性の子 十二国記」小野不由美 新潮文庫 恐ろしいと思う。 物語の内容が、ではない。あの菊池秀行氏でさえ解説はホラー小説として評価していることが、である。91年の8月に書いていて、十二国記シリーズが始まる前の記述なのだから仕方ないのではある。私とて、第一部を読まずに、このエピソード0から読み始めたら、同じような感想を持っただろう。ただただ、理不尽な異世界からの厄災はホラーでしかない(映画の『来る』もこんな感じだった)。学園の中で、「異端の少年」は初めは小さないじめに遭い、その度に祟りのような厄災が起きる。周りの扱いは無視・忌避そして恐れ、攻撃、追従へと移ってゆく。やがてマスコミという巨大な暴力装置が発動し、それらに対する大厄災が起きる。ホラーというよりも、日本人特有の「荒ぶる神」に対する感情を扱った「神話」のような気がする、というような感想を第一部を読んでいなかったならば持っただろう。少し切り口は違ったがホラーエンタメを描いてきた菊池氏にとってはあの解説は当然であった。 ところが、本質は違ったのだ。今や十二国の地図さえ知ってるいる私は、この厄災の意味が半分以上は推察がつくようになっている。シリーズ全部を読んでいるファンたちには尚更だろう。これほどまでの死者が出たことの原因を私は知っている。そんな風に、あたかも「神の視点」を持つようになった自分が恐ろしいと思う。(物凄く不謹慎なので書くのを憚られるのだけど、仮の発想として今回の台風19号の大厄災の本当の意味をもし知っていたとしたら、貴方は『とても恐ろしい』と思いませんか?) 冒頭と終わりに八世紀唐の人、王維の阿倍仲麻呂との惜別の詩が捧げられている。「滄海の東の果てのことはよくわからない」「音信はもう届かないだろう」という詩なので、2つの可能性を考えた。一つは十二国の始まりが唐の時代だったという可能性だが、これは熟考した結果「無い」と思う。ひとつは、「東」を無視すれば、正にラストのある主要人物の気持ちそのものを代弁しているだろう。それはそれで、とても哀しい感情である。
2019年11月02日
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「キリン解剖記」郡司芽久 ナツメ社キリン研究を志した郡司芽久さん(女性・当時23歳)は、論文のテーマが決まらなかった時、先輩にこのように言われた。「凡人が普通に考えて普通に思いつくようなことって、きっと誰かがもう既にやっていることだと思うんだよね。もしやられていなかったとしても、大して面白くないことか、証明不可能なことか。本当に面白い研究テーマって、凡人の俺らが、考えて考えて、それこそノイローゼになるぐらい考え抜いた後、更にその一歩先にあるんじゃないかな」(99p)まぁ、世の中の偉大な発見は「証明不可能」なことを証明してみせたり、「偶然」に見つかることが多いかもしれないけど、その辺りは「天才」に任せて、確かに凡人の私たちにはこんな処に落ち着くんだと思う。その辺りを素人の私も「楽しく」読めるように丁寧に書いている。「難しい事を分かりやすく面白く描く」これって、一つの才能だろう。で、偶然にも若いのにキリンを20体以上動物園から献体してもらいキリン研究をこころざして約7年間で「キリンの胸椎は、胸椎だけど、動くんじゃないだろうか?」という研究論文を書く(当時26歳)。200万年以上前から哺乳類は人間含めてみんな7つの頸椎しか持っていない(マナティとナマケモノは例外)のだけど、キリンは8番目の"首の骨"を持っているのではないか?ということを20代で見つけたわけだ。偶然にも多数解剖できた彼女は基本的にラッキーな所もあったとは思うが、半分以上は情熱とキリンへの愛情が論文を書かせたのだろう(現在30歳)。それだけである。「偉大な発見」じゃない。哺乳類の進化の鍵を見つけたというわけでも無い(と思う)。でも、進化の秘密を少しかすった(とは思う)。キリンは生き残るために、そうやって身体機能を少し変えたのだ。科学の世界が面白いのは、評価された研究ならば、まるで自分の研究成果のように「知識」として、他の研究成果を著作権料を払わずにこういう本で披露できることだ(コラムとして、他の研究成果がたくさん紹介されている)。だから、数年後に郡司さんの研究が大きな謎解明に役立つかもしれない。郡司さんは、「世界で1番キリンを解剖している人間」だと自分を紹介している。「解剖すればするほど、その動物のことを好きになっていく」と言っている。人間ならばホラーだけど、動物ならばあり得るかなと思う(でも、考えたらちょっと怖い)。「今は亡きキリンたちの「第二の生涯」ともいえる死後の物語を読んで欲しい」と著者は思ってこれを書いたという。そういう愛情の表現の仕方もあるのだ。(成る程と思ったキリン知識の一つ)※中国ではキリンのことを「長頸鹿」と呼び、麒麟とは呼ばない。呼んだのはただ一度、明の時代、鄭和がアフリカからキリンを持ち帰り、永楽帝に「これが(あの伝説の)麒麟です」と奏上したらしい。その記録を読んだ『解体新書』の桂川甫周が「洋書のジラフと、この麒麟は同一だろう」と推察した。だから、日本ではキリンのことを麒麟と書くのである。因みに、インドに生息していた絶滅したキリンの仲間、ジラファ・シヴァレンスは長頸ではなく、伝説霊獣の麒麟によく似ているそうだ。むしろヘラジカのような姿をしている(鹿ではない)。なるほど、麒麟伝説は何処から来たのか、少し興味がある。
2019年11月01日
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「縄文人になる!縄文式生活技術教本」関根秀樹 ヤマケイ文庫 なかなか貴重な本です。古代技術を解説した本はいくつかあるけど、専門用語で書かれた専門書が出ているだけで、その本を持って森で実践しようという気にはならない。これは、実践するための教本です。しかも、教師は縄文さんこと、15年間竪穴式住居を構えて実践してきた山崎三四造(現在は故人)さんです。 私の興味関心は弥生時代なのだけど、非常に参考になった。弥生も縄文もやっていることは、そんなに変わらないからです。鉄器があるか無いか、稲作とその消費のための土器や木工品を作るかどうか、人を殺すためのヤジリを作るかどうか、そして祭祀の違い、おそらくそれぐらいです。山崎さんは火を起こし、黒曜石からナイフを作り、様々な石器を作り、翡翠に穴を開け、琴をつくり、笛を吹き、イチイの木を使って弓をつくり、キジやヤマドリなどの矢羽を使ったヤジリをつくり、骨から釣り針を作り、モリやヤスを作り、準構造船ではなくて丸木舟を作り、糸を作り布を編み、クズなどを使ってポシェットを編み、木の実クッキーを焼き、ブドウからワインを作り、家を建てる。 え?それって古墳時代の技術じゃないの?と思った貴方、大間違いです。少なくとも3000年前には、または1万6千年以上前から既に日本人はそういう生活をしていた。案外快適だったかもしれない。 快適ならばクニなんて必要無いじゃない。戦争なんてしなくてもいいし。そうだよね。私もそう思う。でも、その辺りを研究した本は別にある。
2019年10月30日
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「麦本三歩は焼売が好き」住野よる 幻冬社電子書籍 短編一本分、200円。高いのか安いのか。Amazonの溜まったポイントで読んだから、懐は痛まなかった。てなことじゃなくて、価値があったのか無かったのか。 「麦本三歩が好きなもの」を好きな読者を前提にして書かれた一編であることは確かで、断じて初めての読者が読もうものならば図書館の人間関係が全くわからないで置いてけぼりにされる。前回の本の時に(決して責めているんじゃない、むしろ当然の権利だと思うんだけど)「三歩って何か苦手なタイプかも」と思った読者にとっても、三歩の新しい面が見えるわけでもなく、むしろ3年目にして初めて後輩が入ってきてくるのを知るや否や「んぬぇ?」と叫ぶわけだから、更に嫌いになること請け合いです。 で、もはや孫娘のように三歩を愛でて、シブコこと渋野日向子がいくらボギーをたくさん叩いて崩れても応援し続けるファンのように、私は三歩を「推し」続けます。 うん。200円は高くも安くもない。初めての電子書籍購入、無事に買えてホッとしました。
2019年10月29日
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「ミステリと言う勿れ」田村由美 小学館フラワーコミックス 「このマンガがすごい!オンナ編」「マンガ大賞」第2位。いやあ、なかなか良くできている。女性マンガには珍しい上質のミステリでもあるけど、ドラマ「俺の話は長い」系の随筆マンガでもある。いや、どちらかというと哲学マンガでもある。2巻目で、最近小学校の教師が授業で出して物議を醸した「トロッコ問題(5人を助けるために1人を殺すことになったら、どちらを選ぶか)」が出てきた時にはそう思った。 「僕は常々思っているんですが」という決め台詞ならぬ、話をややこしくする台詞があって、これはまさしくテレビドラマ向きだ。どうしてテレビドラマ部門がこの原作に未だ手をつけていないのか不思議でならない。探偵でもなく、刑事でもない大学生の整(ととのう)くんがひたすら喋って事件を解決するお話。 作者の名前が、田村由美さんで、カタカナじゃなくて、なんかものすごく安心する。というところで推理を働かせて調べてみたら案の定、というかそれ以上というか、35年超の大ベテランでした(代表作「7SEEDS」「巴がゆく!」)。おそらく50代か60代だと思うけど、非常にみずみずしい感覚を持っていて、エンタメマンガの雄だと思う。というか、名前も知らなかった。ホントに失礼!すみません。現在5巻まで出ている。
2019年10月27日
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「4分間のマリーゴールド」キリエ 小学館 長期連載中のマンガのドラマ化が多い中で、きちんと(たった)三巻で完結しているこのマンガをドラマ化したことに敬意を表したい。 人の死に際が見える主人公は、最愛の義姉の死を救うことが出来るのか?という物語。ドラマを見ると、原作通りには進行してはいないが、大筋のところは原作通りにするだろうと予測する。そうしないと、このマンガの意味はないからだ。 終わりから始まった、きちんと構成された、今どき珍しい作品だと思う。 因みに、「4分間」の意味は1巻目の最後の章で言及されている。それをどのように料理していくのか、脚本の力が試される。 それにしても、最近の漫画家の名前は、またもや全てカタカナだ。国際化を目指しているとは到底思えない。私的には違和感しか無い。 (作品紹介) すべてをかけて沙羅を救う! 義姉・沙羅との結婚を決めたみこと。 最愛の人と愛し合う、今この瞬間の幸せを噛みしめる沙羅とは対照的に、沙羅の死の運命を受け止め方を、自分に問いかけるみこと。 死は絶望なのか。いずれ来る死に対して、自分は何ができるのか。 そして、運命の瞬間が訪れる・・・ 「命」と「死」と向き合う救命士の祈るような愛の物語、堂々完結。
2019年10月26日
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「月の影 影の海 十二国記(下)」小野不由美 新潮文庫 下巻に取り掛かって数十ページで「面白くなかったらシリーズは撤退する」という方針は、あっさり「シリーズ読破する」にとって変わった。上巻のゆっくりとした展開は、秀才のネズミ半獣・楽俊の登場によって急速に変わった。「世界」の全体像はうっすらと立ち現れた。以降怒涛の展開に至る。すみません、「陽子が実は麒麟の生まれ変わり」という私の事前認識は間違いでした。それぐらい私は、このシリーズのことを知らなかったと思って許していただきたい(「許す」と言われても貴方様にお仕えはしませんが^^)。下巻は久しぶりに1日で読み切った。 理想国家論に「民主主義か、名君による独裁か」という議論がある(cf.「銀河英雄伝説」)。この世界の構造は、とりあえず各々の弱点を克服したものように感じた。それでもやはり綻びがあるらしい。まぁそうだろうな、とも思う。 キャンベルの英雄理論に則して考察するに、陽子は未だ「究極の恵み」と「英雄の帰還」まで至らない。倭国(日本)に戻ることが「帰還」とは私は思わない。「帰還」には長い歳月が必要だと私は予測する。しかも、倭国と十二国との時間軸が同時に進んでいるっぽい。この作品が描かれて、未だ完結していないのはその辺りに秘密があるのではないかと、ふと思った。私の予測が当たっているかどうかは、このシリーズを読み終わって又考察してみようと思う。 また、私の大胆な考察を(未だ第一部しか読んでいないのに)もう一つ披露する(←何の与太話かと笑って貰っても良い)。十二国の地図が下巻で披露された。先ず思ったのは、これは宇宙の自然が造る姿だろうか、ということだ。その規模がいくら巨大だとしても、千年以上の歴史があろうとも、この世界は人造物である可能性が高いと思う。一応メモとして、此処に書いておきたい。 もし気に入ってシリーズを読み始めたら、当初は月2冊ぐらいのテンポで楽しみながら読み切ろうと思っていた。困ったことになった。そんなテンポに我慢できるだろうか。
2019年10月25日
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20日日曜日、岡山県奈義町で岡山県母親大会があった。島洋子さん(琉球新報記者)の講演を聞いた。私なりのメモです。文責は私にあります。 95年に少女レイプ事件と8.5万人集会があった。これにより沖縄の事件の数の多さと、地位協定が日本の上にある現実を明らかになった。日本政府は普天間返還を発表したけど、やがて県民の失望を招いた。当初、浮き桟橋のヘリポートを作るものだった。小泉首相の時に、機能強化の拡大した米軍基地をつくることに変わった。今はジュゴンは一頭も見当たらなくなり、サンゴ礁もなくなった。20年以上座り込み反対運動を、時には踊りながらやっている。 護岸にどんどん土砂を投入している。赤土防止条例に沿って、反対運動もしている。抗議行動も非暴力でずっとやっている。 2014年に翁長知事が誕生した。翌年に安倍首相に「辺野古基地反対の公約を貫く」と言った。 私たちが基地を返して!というと、沖縄県内にまた基地が作られる。何故だろう。 東京の記者と話をすると、沖縄基地負担がなくならない理由は2つだという。一つは「沖縄は基地で食っているんだろ?だから我慢しなさい」という。でも、基地で得られる収入は?と聞くと「30-50%基地で食っている」とみんな思っていた。正解は5%です。しかも、その内訳は1番大きいのは軍用地料、従業員給料(ここまで7割)、調達費、米軍家族の消費額です。この「7割」は思いやり予算である。私たちの税金なのだ。 実際は基地返還跡は基地だった頃の十数倍の経済効果を生む。仲井真知事の経済計画でも「沖縄基地は沖縄経済の阻害要因である」と打ち出していた。政府や官僚に言うと「基地を受け入れて政府からたくさん予算貰えばいいじゃないか」という。これも間違い。仲井真知事はその誤解を広げた。安倍首相が「沖縄に三千億円の予算あげますよ」と言った。それに対して「いい正月を迎えられる」と仲井真知事は言った。しかし、地方自治体へは地方交付税があり、その総額が沖縄は三千億円だったと言うこと。前は二千数百億円だったから少し上がるだけ。県民1人に割ると、全国6位に過ぎない。基地を受け入れるから予算措置がすごいということではない。基地に多くの土地を取られて産業が振るっていない。これが、沖縄県民に見えてきた。ずっと沖縄は「基地か経済か」ということで争ってきた。2014年の県知事選挙でこの二項対立は消えた。 もう一つの言われるのは「抑止力」ということです。「沖縄に基地がないと、沖縄は中国に攻められてしまうよ」という。沖縄基地の多くは、自衛隊は共用していない。全部米軍基地である。キャンプシュワブでずっと都市型訓練をしていた。それでビランディン急襲をやった。ホワイトビーチには原子力潜水艦が寄港できる。那覇軍港もある。そして辺野古基地を作ろうとしている。ジョセフ・ナイは「中国のミサイル能力が向上しているのだから、一発で沖縄(日本)の基地はやられる」と言った。戦争は既に無人機の時代。アメリカはその通りの戦略をとっている。分散ローテーション戦略をとっている。米軍がいるから抑止力になっていない。米軍基地があるから標的になっている。沖縄には70%の米軍施設があるが、普天間をそっくり返しても、施設が69.7%になるだけ。最近は日本本土で引き取れ論も出てきている。森本防衛大臣「政治的理由で普天間基地が沖縄にある。本土に来ないのは、(沖縄に基地があった方が)政治課題にならないからだ」と言った。 安全管理上ホントに必要なのか 国外に持っていけないのか これが国内では、議論されていない。 辺野古大浦湾がマヨネーズ状の土地ということがわかった。政府は2015年に調査したが隠してきた。2000本以上の杭を打つ計画だが、何年かかるのか、幾らかかるのか、一切明らかにしていない。当初は政府は75億円で出来ると予算を弾いていた。5本で既に11倍もの値段がかかっている。沖縄県は最小でも、2兆3千億円だと試算した。政府は反論していない。杭も長さが足りなくて、杭から作らないといけないとも言われている。全く無駄な税金が使われている。オスプレイは沖縄に24機来た。アメリカでは一機16億円、日本では一機126億円である。東日本震災の鉄道復旧に92億円いった。一機分のお金だけ貰ったらよかった。こういう話をしていると「わじわじ(腹ワタが煮えくりかえる)」となる。 安倍首相は「やることは全部やる」と言った。翁長知事の奥さんは「知事選で勝った時に夫婦で約束した。何がなんでも辺野古に基地を作らせない。万策尽きたら夫婦で座り込もう」と言った。恐ろしい言葉だ。地域で選ばれたリーダーが、万策が尽きると予想する。それでも座り込む。それを中央から来た機動隊が排除する。国策という名のもとに、基地でもなんでも政府の思い通りに作れるとなった時、原発もなんでも国策で作れるということになった時に、最後に行き着くのは戦争ではないか?この次は岡山かもしれない。現実にそういう動きは始まっている。オスプレイも、全国に配備している。多くの人に、関心を持ってもらいたい。
2019年10月23日
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「月の影 影の海 十二国記(上)」小野不由美 新潮文庫 本屋がスペシャルセールを組んでいる今、どうしようかと迷っていたこのシリーズに手をつけてみることにした。ファンタジーは好きだ。上橋菜穂子の小説は全て読むことにしている。宮部みゆきもそうだ。『指輪物語』を読んだ時から、壮大な世界を構築して語られたお話は大好きではある。けれども長いので、全部読むのはそれなりの見極めが必要だ。 (上・下)が面白くなかったら撤退しようと思っている。 壮大な「自分探し」の話ならば、要らない。ファンタジーではなく他でやってくれ、と思う。ファンタジーでしか、描けないものがあるからだ。人はこの宇宙の全てを把握することは無理だ。だから、小説は「世界」の一部分しか描けない。でも、人はそういう小説を読んで少しずつ自分と世界との関係を測ってゆくのだろう。そういう小説に、素晴らしいものも勿論たくさんある。一方、ファンタジーはこの「宇宙把握不可能性」の不具合を解消しようとしたものだ。作家1人で「世界」を作ってしまう。だから、個人はその世界と「丸ごと」対峙する。ファンタジーの中では、宇宙の究極の謎を解き明かすことも、それに対して個人が究極の選択をすることも可能なのである。 さて、上巻を読んでの感想である(今ごろかよ!)。私は陽子が実は麒麟(どういうものかはまだ知らない)の生まれ変わりだというぐらいの不確かな事前知識だけを持っている。まだ上巻が終わったばかりのこの時点では、八方美人で何者でもなかった陽子の「自分探し」と見えなくもない。しかし、興味深いことがある。 ジョーゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』では、「英雄の誕生」は古今東西以下のようにパターンがあるという。「冒険への召命」「召命拒否」「自然を超越した力の助け」「最初の境界を越える」「クジラの腹の中」「試練の道」「女神との遭遇」「誘惑する女」「父親との一体化」「神格化」「究極の恵み」やがて「英雄の帰還」へと移って行くというのだ(もちろん、クジラとか女や父親は他に替わり得る)。そういう意味では、現在陽子は「試練への道」「誘惑する女」の最中にぴったり当てはまる。 だとすると、『指輪物語』に通じる壮大な世界が待ち構えていてもおかしくはない。下巻を読み進めたい。
2019年10月22日
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「月の満ち欠け」佐藤正午 岩波文庫的 これは読もうと決めていた。『図書10月号』の「こぼればなし」に、「岩波文庫的」という名称を使ったことの顛末を書いていたからである。初めての岩波書店の直木賞受賞作を、発行後2年半経っただけで「長い時間の評価に耐えた古典を収録する叢書に、みずみずしいこの作品を収録するのは尚早」ということで、「いたずら心で」で使ったらしい。(何故「的」の言葉を選んだのかというのはさて置き)そういう仕掛けは大好きなので、話のタネに読んで置こうと思っていた。ところが、予想以上に岩波書店はこの文庫本の発刊に力を入れていた。本屋で手に取ると、帯に『選考委員を唸らせた熟練の業が、「岩波文庫的」に颯爽と登場。』と岩波文庫的に難しい漢字を多用して煽っていたのだ。だけでなく、中に作者ミニインタビューの特別チラシまで入れているし、普段解説を書かないのに例外的に伊坂幸太郎が解説を書いていると思ったら、なんと『解説はお断りします』という編集者宛メール文をそのまま載せて解説の替わりにするというアクロバット式の解説を書いていた。 読んだ。とーっても面白かった。アクロバット式の小説「的」な仕掛けが随所にある。 メインの話は、小山内さんという還暦過ぎの男が、青森から東京駅に出向いて、ある人に会ってまた帰っていく間の2時間と少しのお話である。その間に登場人物たちの過去が次第に明らかになってくゆく。倒叙方式のサスペンスにもなるし、SFファンタジーにもなるが、そういうわかりやすい結末は排除している。「熟練の業」で余韻残る「お話」を作っていたのだ。
2019年10月22日
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「春と修羅」宮沢賢治 「蜜蜂と遠雷(下)」の感想を書くにあたって、ふと思いついたのが、宮沢賢治の詩「春と修羅」のパロディで書けないか、ということだった。作中で新曲「春と修羅」を演奏したのだから相応しいだろうと思ったからだ。 もちろん、賢治の科学と感性に支えられた奇跡の語彙に敵うはずもないし、何よりも彼の志にたどり着くはずもない。お遊びであり、やってみると、恐ろしく恥ずかしいものが出来上がった。言いたいのはそのことではなくて、やってみてわかったことがある。 「春と修羅」の一部抜粋 いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を 唾しはぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ (風景はなみだにゆすれ ) 砕ける雲の眼路をかぎり れいろうの天の海には 聖玻璃の風が行き交ひ Z Y P R E S S E N春のいちれつ くろぐろと光素を吸ひ その暗い脚並からは 天山の雪の稜さへひかるの (かげろふの波と白い偏光 ) まことのことばはうしなはれ あの詩及びにこの詩集は、単なる「詩」ではなかったということだ。私は単に賢治がリズムをもって詩を作っていたのだと思っていた。違う。賢治は「言葉によって」ひとつひとつ「曲」を作っていたのだ。賢治の中は、明確に世界を鳴らしていた。(と思う。私には曲調まではわからない) 特に「春と修羅」はそうだし、「小岩井農場」は明らかに交響曲だし、「永訣の朝」に始まる三部作、ならびに「オホーツク挽歌」シリーズはレクイエムやそれを超える交響詩だし、「真空溶媒」や「原体剣舞連」などは、もう音符付き曲が出来上がっている気もする。オペラもある。 賢治の住み込んだ花巻の「野原ノ松ノ林ノ䕃ノ小サナ萓ブキノ小屋」には、当時では珍しいレコードが豊富にあり、賢治は毎日のように聞き、それを全く新しい言葉にしたのだ。資産家の息子だからできたのだと言われればそのとおりかもしれない。でも、そこから紡がれた詩は、言葉の神様に愛されたのだ。私は40数年前中学生のとき、写真付き賢治詩集を買って貰って擦り切れるほど読んだ。そのおかげか知らないけれども、思春期の間、その純粋性、理想家、知性に当てられて、ぐれることなく理想家或いは夢想家に育った。文学が人を変える力を持っているかどうかは知らない。けれども、成長期に出逢うそういう本は大きい。 その詩の多くは、意味が全てはわからない。だからいい。人生の大きな謎として、ずっと胸にしまいながら生きていける。 わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体 ) 「序」の冒頭のことば
2019年10月20日
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「蜜蜂と遠雷(下)」恩田陸 幻冬舎文庫 どこまでも 満ちてくる月の光 寄せる、うねる 寄せる、泡立つ 飛べる どこまでも飛べる (フライ・トゥー・ザ・ムーン) 音楽は何処から来たんだろう 太古では ものがたるために そして感じたことを あらわすために 物語はほかに代わり 感じたことは 朗々とした唄へ 今は音楽は 小さな箱の中で 鳴らされているだけ でも作り足りない 箱はいっぱいにならない (音楽を広いところへ連れ出せ) 音楽をもとのところへ 人は生まれた時から 音楽を浴び続ける (世界は音楽で溢れてる) 静かに始まり さざなみが 寄せては返す 波は高まり 咆哮する (音楽を広いところへ連れ出せ) 音楽は宇宙の秩序 叩く、叩く 叩く、叩くー叩く 森を通り抜ける風 いつか新しいクラッシックを この手で (音楽を広いところへ連れ出せ) 一瞬は永遠 永遠は一瞬 風間塵 世界は広い 栄伝亜夜 音楽の神様 マサル 野望の人 高島明石 修羅の人 (音楽を広いところへ連れ出せ) 貴方が世界を鳴らすのよ
2019年10月19日
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今月の映画評です。「ウインド・リバー」岡山ではシネマ・クレールでひっそりと公開してあっという間に終わったので、作品名を聞いたこともない方もおられるかもしれませんが、私は傑作と思いました。第70回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門にて監督賞受賞。言わば「現代の西部劇」です。少女の死亡事件が起きる。外から来ていた荒くれ者が怪しい。町にガンマンがいて、中央から保安官ならぬFBIが来る。ラストで派手な銃撃戦が起きる。悪者が殺られる。という構造は西部劇です。でも、実はそんな簡単な話ではありません。雪深い山奥で女性の死体が発見されます。発見したのはFWS(合衆国魚類野生生物局)のハンターであるコリー、死体は、コリーもよく知る先住民のナタリー18歳です。ナタリーには致命的な外傷はなく、裸足であることから何者かから逃げてきたと考えられ、その死因は寒さのために肺が凍って破裂したための窒息死です。捜査は難航し、殺人事件と認定できず、新人FBI捜査官は中央からの応援は期待できません。コリーに応援を頼み、地元の警察ベンとともに捜査を始めます。ウインド・リバーは全米各地に点在するネイティブアメリカンの保留地のひとつで、荒れ果てた大地での生活を強いられた人々は貧困やドラッグなどの慢性的な問題に苦しんでいます。そんな舞台を背景に、犯人さがしの謎解きが退屈させません。ハンターはジェレミー・レナー、新人FBI捜査官はエリザベス・オルセンで、今年シリーズが一段落ついた「アベンジャーズ 」で弓が得意なホークアイ、念力のスカーレット・ウィッチ役で共演経験があります。『ボーダーライン』(15)『最後の追跡』(16)のアカデミー脚本賞の脚本家テイラー・シェリダンが初メガホンを執っています。全体的にはシリアスだけど、最後の銃撃戦と共にエンタメ要素もあるのも納得です。決着が着いた後に、少女の死の真実が明かされる場面や、冒頭の「事実に基づく物語」と、最後のテロップの「ネイティブアメリカンの失踪者の数はカウント出来ていない」という言葉が、社会派作品として現代アメリカの闇を鋭くえぐったものになっていてあとをひきます。(2018米作品、レンタル可能)
2019年10月18日
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「刑事の子」宮部みゆき 光文社文庫 宮部みゆきの文庫本は、エッセイとアンソロジーと絵本とボツコニアンシリーズを除けば、全て読んでいるという自負を持っていた。だから、読書サイトの著書一覧で検索しているときに、未だ読んだことのないこの題名を見つけた時には、悔しいというよりか不思議だった。ーーいつ見落としたんだろう? それで図書館で予約して読み始めたのであるが、表紙を開けた途端に了解した。『東京下町殺人暮色』を改題していたのである。94年に文庫本が出たときに、あの頃は速攻で買って読んでいるはずだ。読み始めて微かな記憶はあったが、大まかな所は流石に全て忘れていて、問題なかった。こんなことがないと、昔読んだ本の再読なんて滅多にしない。 初出は90年、長編第3作目、著者最初の書き下ろし、舞台はバブル真っ盛りの89年末、著者のホームグラウンドの江東区だ。刑事は中年のいぶし銀を出していて、中学一年の息子は正義感が強くて純粋で賢い。初期の宮部みゆきの鉄板だ。最近は、宮部が描く高校生は純粋とは言えなくなることが多くなった。刑事は主役級では登場しない。きっかけは『模倣犯』だった。この作品と同じで、女性の連続殺人事件が起きて、テレビが追って世間を騒がす構造だった。しかし、本作で簡単に扱われている殺人者の描写を徹底的に描いたお陰で、宮部みゆき本人の精神もかなりやられたようだ。でも、犯人描写を避けてはもう現代サスペンスは描けない。著者が杉村三郎シリーズを始めた所以である。 その最初のきっかけを作ったのが、この作品の冒頭、荒川河川敷の公園にバラバラ死体のビニール袋詰がたどり着いたことだったのである。 著者の作品の中で東京大空襲がサブテーマとして扱われた最初でもある。と今になってわかる。いや、もしかしたらメインテーマだったかもしれない。 80pに、順少年が、隅田川河口に建設中の高層マンションを「下町を見下ろす巨大な監視塔」と感じるところがある。(冗談抜きに、いつかは本当に監視塔みたいなものを作って、犯罪を防がなくちゃならない時代がくるかもしれないな)と呟く。それから30年後の今、ひとつの監視塔ではなく、無数の監視機によってその予想は実現しているけれども、犯罪は一向になくならない。宮部みゆきが人の心の闇を描き続ける所以でもあるだろう。
2019年10月16日
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「台風家族」新井浩文のために、お蔵入りになりかけた作品。狙いは面白いし、なんとか最後まで観ることは出来たのだが、途中から荒唐無稽になり、それを上手いこと落とし込めていない。草なぎ剛の演技が冗長で、笑えばいいのか、真面目に取ればいいのかわからない。新井浩文、尾野真千子は安定した演技。認知症の妻をやった榊原るみが彼女とは分からなかった。歳をとった。非常に達者な演技だった。元気でいてくれることが嬉しい。(ストーリー)銀行強盗事件を起こし2,000万円を奪った鈴木一鉄(藤竜也)と妻・光子(榊原るみ)が失踪する。10年後、いまだに行方知れずの両親の仮想葬儀をして財産分与を行うため、妻子を連れた長男の小鉄(草なぎ剛)、長女の麗奈(MEGUMI)、次男の京介(新井浩文)が実家に集まるが、末っ子の千尋(中村倫也)は現れない。空の棺を二つ並べた見せかけの葬儀が終わったころ、見知らぬ男がやって来る。(キャスト)草なぎ剛、新井浩文、MEGUMI、中村倫也、尾野真千子、若葉竜也、甲田まひる、長内映里香、相島一之、斉藤暁、榊原るみ、藤竜也(スタッフ)監督・脚本:市井昌秀主題歌:フラワーカンパニーズ音楽:スパム春日井2019年9月8日MOVIX倉敷★★★★ 「存在のない子供たち」わずか12歳で裁判を起こしたゼイン。相手は両親。裁判長は「何の罪で?」と問う。「僕を産んだ罪で」やがて、12歳というにはあまりにも過酷な彼の人生が映画として流れる。演じた12歳の少年の本名もゼイン。シリア難民。出演者のほとんどは似たような境遇を持つ素人ではあるが、ドキュメンタリーのように監督が「ありのままの自分」を出せばいいように脚本をつくった。それにしても、ゼインの存在感は圧倒的だ。世界に対する絶望、弱いものに対する愛情、そして儘ならぬ出来事に対する涙、商品の仕分け、セールス等々の手際の良さは、正に「経験値」からきているのに違いない。「世話ができないなら、産むな」。偶然が彼を表舞台にあげる。ベイルートという中東イスラム社会の中で、まるで幾何学模様のように広がるスラム街の風景、決してCGやセットでは作れない、現在世界の現実を、映画は容赦なく写す。ラストカットは、予測していなかっただけに、ちょっと声を出してしまった。(解説)苛烈なまでの中東の貧困と移民の問題に、一歩もひるむことなく果敢に挑んだ監督は、レバノンで生まれ育ったナディーン・ラバキー。監督・脚本・主演を務めたデビュー作『キャラメル』が、いきなりカンヌ国際映画祭の監督週間で上映された逸材だ。本年度のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査委員長にも就任し、今やその才能の輝きはとどまるところを知らない。リサーチ期間に3年を費やし、監督が目撃し経験した事を盛り込んでフィクションに仕上げた。主人公ゼインを始め出演者のほとんどは、演じる役柄によく似た境遇にある素人を集めた。感情を「ありのまま」に出して自分自身を生きてもらい、彼らが体験する出来事を演出するという手法をとった結果、リアリティを突き詰めながらも、ドキュメンタリーとは異なる“物語の強さ”を観る者の心に深く刻み込む。社会の非人道的な深みに設定を置きながらも究極的に希望に満ちた本作は、「何か行動をしなければ」と強く思うほどに心をかき乱すが、中東のスラムという、日本からは地理的・心情的に遥か遠い地域を舞台にしながらも、少年の成長物語という普遍性が魂の共鳴をもたらしてくれる。ゼインが求めているもの、それはすべての子供たちにあるはずの〈愛される権利〉。その権利を手にするまでの長い旅路に胸を締めつけられながらも、一筋の光を求めて、新たなる出発の無事と幸運を祈らずにはいられない慟哭の物語。(ストーリー)わずか12歳で、裁判を起こしたゼイン。訴えた相手は、自分の両親だ。裁判長から、「何の罪で?」と聞かれたゼインは、まっすぐ前を見つめて「僕を産んだ罪」と答えた。中東の貧民窟に生まれたゼインは、両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も知らないし、法的には社会に存在すらしていない。学校へ通うこともなく、兄妹たちと路上で物を売るなど、朝から晩まで両親に劣悪な労働を強いられていた。唯一の支えだった大切な妹が11歳で強制結婚させられ、怒りと悲しみから家を飛び出したゼインを待っていたのは、さらに過酷な“現実”だった。果たしてゼインの未来は―。2019年9月12日シネマ・クレール★★★★http://sonzai-movie.jp/ 「ピータールー マンチェスターの悲劇」いやあ長かった。マイク・リー印の天安門事件。しかし、実際は何人が参加して、何人が犠牲になったか、そのあとの民主主義はどうなったのか、一切言及することなく、ただいろんな人の適当な思惑が入り乱れて、偶然のように虐殺が始まったとなっていて、一体なんためにこれを作ったのか、さっぱりわからなかった。6万人ならばマンチェスター近郊の半分近くは参加したという試算ならば、正に沖縄集会と一緒であり、政府にはなんの痛痒も感じなかったというのも一緒だが、少なくとも映画にする以上は、それがそのあとの運動にどのような影響を与えたか描かないと全く意味がない。(解説)アカデミー賞®7度ノミネート!カンヌ国際映画祭4冠受賞!!名匠マイク・リー監督最高傑作!『秘密と嘘』でカンヌ国際映画祭のパルム・ドールに輝き、同作と『ヴェラ・ドレイク』でアカデミー賞®に ノミネートされた名匠マイク・リーが、監督生命のすべてを賭けて、英国史上最も残忍かつ、悪名高い事件“ピータールーの虐殺”の全貌を明かす! 私たちは、この史実の渦中に投げ込まれ、その目撃者となる。 そして、知るだろう。現在の世界に蔓延している問題と、あまりにも通じることに── 2019年、今こそ必見の傑作が誕生した。1819年、ナポレオン戦争後の英マンチェスター。非武装市民6万人に起きた悪夢。〈ガーディアン紙〉創刊のきっかけとなった事件の全貌がついに明かされる――!ヨーロッパ諸国を巻き込んだナポレオン戦争も、1815年のウォータールーの戦いを最後に、ようやく終結。 だが、英国では勝利を喜ぶのも束の間、経済状況が悪化、労働者階級の人々は職を失い、貧しさにあえいでいた。 彼らに選挙権はなく、あちこちで不満が爆発し、抗議活動が炸裂していた。 1819年8月16日、マンチェスターのセント・ピーターズ広場で大々的な集会が開かれ、 著名な活動家であるヘンリー・ハントが演説することになる。 だがこれは、あくまで平和的に自分たちの権利を訴えるデモ行進になるはずだった。 あろうことか、サーベルを振り上げた騎兵隊とライフルで武装した軍隊が、6万人の民衆の中へと突進するまでは──。 誰がいつどんな指示を出したのか、本当の目的は何だったのか、 どうして止められなかったのか、傷つけられ殺された者たちのその後は?そして政府の見解は──?
2019年10月15日
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9月に観た映画は、久々に少ない6作品だけだった。プライベートで忙しかったことが要因。二回に分けて紹介する。 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」事前情報で、シャロン・テート事件について学習しておいた方がいい、と貰った。ホントだった。作品に散りばめられている、さまざまな「再現度」には気がついていなかった場合もあるだろうけど(でもスティーブ・マックウィーンやブルース・リーには速攻気がついた)、冒頭からシャロンが出てきた時から、どのように事件と結びついて行くんだろ、とドキドキしながら観た160分だった。エンドロールで、ディカプリオがタバコのCMをやっている所の再現が延々と2分ほど流れる。そこに映画のエスプリが詰まっているのかもしれない。ネタバレになるので、それ以上は言えない。(解説)人気が落ちてきたドラマ俳優、リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は、映画俳優への転身に苦心している。彼に雇われた付き人兼スタントマンで親友のクリフ・ブース(ブラッド・ピット)は、そんなリックをサポートしてきた。ある時、映画監督のロマン・ポランスキーとその妻で女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)がリックの家の隣に引っ越してくる。レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピットとクエンティン・タランティーノ監督が再び組んだ話題作。1969年のロサンゼルスを舞台に、ハリウッド黄金時代をタランティーノ監督の視点で描く。マーゴット・ロビー、アル・パチーノ、ダコタ・ファニング、ジェームズ・マースデン、ティム・ロスらが共演した。2019年9月1日TOHOシネマズ岡南★★★★「ローマの休日(1953)」(午前10時の映画祭)映画館で観たのは、これがおそらく最初で最後になるだろう。日本でもっとも愛されている映画のひとつ。しかし、映画としてはそんなに完成度は高くない。話も意外性は多くはない。ドラマ的葛藤も少なく、俳優はチャレンジはしていない。ひとえに、オードリー・ヘプバーンの魅力を引き出したことが成功要因である(←とFacebookで書いたら大いに批判された)。脚本に赤狩りで追放されたトランボが参加しているのは、現代では一種の伝説である。映画館で観る効用の1つに、この作品をあげる人が何人かいる。ラストのオードリーの涙は、大画面でしか確認できないというのである。それはそうだ。しかし、それだけではない。グレゴリー・ペックも実は涙ぐんでいる。誰も指摘していないが、彼ももらい泣きかどうかはわからないが、泣いているのである。また、写真屋のアービングがネガごと王女に渡してしまったのは、全くの衝動だったと思うが、まぁあれが男の性というものなのだろう。一番の見どころは、実はラストではない。護衛の手から流れて川から上がった時点で起きた衝動的なキスの後の、呆けたようなオードリーの表情である。それまで、オードリーも嘘を突き通すつもりだったし、グレゴリーも記事にするつもりだった。ところが、キス一つで2人は恋に落ちる。ものすごい急展開であり、しかし映画マジックでそれを可能にしてしまった。それがオードリーのあの表情である。とてつもなくエロい。どんな男もこれでイチコロだろう。男とは、ホントにどうしようもない生きものだ。(ストーリー)ヨーロッパ最古の王室の王位継承者、アン王女(オードリー・ヘプバーン)は、欧州親善旅行でロンドン、パリなど各地を来訪。ローマでは、駐在大使主催の歓迎舞踏会に出席する。強行軍にもかかわらず、元気に任務をこなしていた王女だが、内心では分刻みのスケジュールと、用意されたスピーチを披露するだけのセレモニーにいささかうんざり気味。就寝の時間になると、侍従たちを前に軽いヒステリーを起こしてしまう。主治医に鎮静剤を注射されたものの、気が高ぶっているため、なかなか寝つけない。ふと思いついた彼女は、宿舎である宮殿をひそかに脱出する。夜のローマをぶらぶら歩いていた彼女は、やがて先ほどの鎮静剤が効いてきて、道ばたのベンチに身体をぐったりと横たえる。そこを偶然通りかかったのが、アメリカ人の新聞記者ジョー・ブラドリー(グレゴリー・ペック)。若い娘がベンチに寝ているのを見て、家に帰そうとするが、アンの意識は朦朧としていて埒があかない。彼女をそのまま放っておくこともできず、ジョーはアンを自分のアパートへ連れて帰り、一晩の宿を提供する。翌朝、うっかり寝過ごしたジョーは、まだ眠っているアンを部屋に残したまま、新聞社へ向かう。支局長から「アン王女は急病で、記者会見は中止」と聞いたジョーは、そこではじめて昨晩の娘の正体が、実はアン王女だったことに気づく。王女には自分が彼女の身分を知ったことを明かさず、ローマの街を連れ歩いて、その行動を記事にできたら大スクープになる! ふってわいたチャンスに色めき立ったジョーは、アン王女の特ダネを取った場合の破格のボーナスを支局長に約束させる。 ジョーのアパートで目を覚ましたアンは、思いがけない事態に驚くが、同時にワクワクするような気分も感じていた。アパートを出た後も、せっかく手に入れた自由をすぐに捨て去るには忍びず、街をのんびりと散策。ジョーに借りたお金で、かわいいサンダルを買ったり、ヘアサロンに飛び込んで長い髪をショートにしたりと、ごくふつうの女の子のように楽しい時間を満喫する。アンがスペイン広場でジェラートを食べていると、彼女の後を追ってきたジョーに声をかけられる。偶然の再会を装う彼の「思いきって1日楽しんだら?」という声に押され、アンは宮殿に戻るのを夜までのばすことに決める。スクープに必要な証拠写真をおさえるため、ジョーは同僚のカメラマン、アービング・ラドビッチ(エディ・アルバート)も誘って、アンにローマ案内を買って出る。オープンカフェでは初めてのタバコを試し、2人乗りしたスクーターで街中を疾走。真実の口や、祈りの壁など名所の数々も訪れた。夜は、サンタンジェロの船上パーティーに参加するが、その会場にはついにアン王女を捜しにきた情報部員たちが現れる。アンとジョーは情報部員相手に大乱闘を繰り広げた後、一緒に河へ飛び込んで追手の目を逃れる。つかの間の自由と興奮を味わううちに、いつの間にかアンとジョーの間には強い恋心が生まれていた。河からあがったふたりは、抱き合って熱いキスを交わす。お互いへの本当の想いを口に出せないまま、アンは祖国と王室への義務を果たすために宮殿へ戻り、ジョーは彼女との思い出を決して記事にはしないと決意する。その翌日、宮殿ではアン王女の記者会見が開かれる。アービングは撮影した写真がすべて入った封筒を、王女にそっと渡す。見つめ合うアンとジョー。「ローマは永遠に忘れ得ぬ街となるでしょう」笑顔とともに振り向いたアン王女の瞳には、かすかに涙の跡が光っていた。スタッフ 監督ウィリアム・ワイラー脚本アイアン・マクラレン・ハンタージョン・ダイトンダルトン・トランボ製作ウィリアム・ワイラー撮影フランク・F・プラナーアンリ・アルカン音楽ジョルジュ・オーリック2019年9月1日TOHOシネマズ岡南★★★★ 「引っ越し大名」越前松平家の長い長い国替え物語。という話だとは、想像していなかった。それにしても、幕府の専横はあまりにも酷い。てっきり福田監督かと思いきや、犬童一心監督のテンポ良い宮仕え映画でした。ラストシークエンスがかなり長いが、これがこの作品の1番訴えたかったことだろうと思うと無碍にできない。高畑充希かわいい。(ストーリー)姫路藩書庫番の片桐春之介は、書庫にこもりっきりで人と話すのが苦手な引きこもり侍。あるとき、藩主の松平直矩は、幕府に姫路から大分への国替え(引っ越し)を言い渡される。当時の”引っ越し”は全ての藩士とその家族全員で移動するという、費用と労力がとてもかかる超難関プロジェクト。これを成し遂げるには、引っ越し奉行の手腕にかかっている。お国最大のピンチに、いつも本ばかり読んでいるのだから引っ越しの知識があるだろうと、春之介に白羽の矢が立つことに。突然の大役に怖気づく春之介は、幼馴染で武芸の達人・鷹村源右衛門や前任の引っ越し奉行の娘である於蘭に助けを借りることに。こうして引っ越しの準備が始まった!監督 犬童一心出演 星野源、高橋一生、高畑充希、小澤征悦、濱田岳、西村まさ彦、松重豊、及川光博2019年9月1日TOHOシネマズ岡南★★★★
2019年10月14日
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「町山智浩・春日太一の日本映画講義 戦争・パニック映画編」町山智浩・春日太一 河出新書 町山智浩さんのいわゆる外国映画講義は何冊か読んでいるのだけど、不思議なことに日本映画については読んだことがない。映画館で年間100-140作観る私が常に感心するのは、町山さんの映画評だけだ。必ず面白い話が聞けるーそう確信して本書を紐解いた。WOWOWの『町山智浩の映画塾!』の書籍化。 残念なのか、流石というべきか、戦争・パニック映画を講義して大きく扱うのは7作品だけだ。『人間の条件』『兵隊やくざ』『日本のいちばん長い日(1967)』『激動の昭和史 沖縄決戦』『日本沈没(1973)』『新幹線大爆破』『MIFUNE THE LAST SAMURAI』である。2作は未見だが選択は納得する。 『人間の条件』原作者も監督も撮影監督も実体験をフィルムに焼き付けようとした。 『兵隊やくざ』は『人間のー』の裏返し。公開当時、実体験を持つ観客は多かったから、さぞかしスカッとしただろう。会社組織の上司の関係も同じ。風呂場で喧嘩シーン、前貼りなしなのに絶対アレは見せない(大映撮影布陣の技術力)。有田と大宮の関係はBLだ。赤ん坊のために戦闘が一瞬止まる場面は後に『トゥモロー・ワールド(06)』が影響されたに違いない。等々参考になった。 『日本のいちばん長い日』脚本との違いがある。阿南(三船敏郎)の切腹場面と森師団長(島田省吾)の殺される場面は、音だけの描写だっが、血みどろ描写を丸見せした。奇跡的に生き残った岡本監督の出発点だったからだ。『ヒトラー 最期の12日間』に、書類を焼いている所はこの作品のオマージュ。横浜守備隊の隊長がポケットに入れていたのは『出家とその弟子』、『シン・ゴジラ』で『春と修羅』が出てくるのと同じ。 『激動の昭和史 沖縄決戦』71年岡本喜八監督、新藤兼人脚本。未見。戦争を憎みながら、戦争アクションは見事。東宝スタッフ子会社化前の、総力作品。一人ひとりの生き方死に方に描いて、ウエットに描かない。 『日本沈没』(73年森谷司郎監督、中野昭慶特撮監督、橋本忍脚本、そして木村大作の撮影デビュー)タイトルが出てくるまで1時間。『日本のいちばんー』でも20分かけた橋本脚本。この映画によって、二本立て興行が一本立てになった。 『新幹線大爆破』(75年佐藤純弥監督、高倉健主演)80キロに減速したら爆発する。『スピード(94)』『アンストッパブル(10)』で使われた。タイトルを聞いて国鉄の協力が得られなくなったので、遠景は無許可、駅は私鉄だった。元ネタは黒澤明脚本の『暴走列車』。東映は社会的メッセージを入れる伝統がある。博多市民を救うために新幹線を止めて乗客を犠牲にしろ、という選択は「トロッコ問題」。選ぶことができない、というのが正しい(と私は思う)。宇津井健は「私は一回でも新幹線を止めようと思ったから国鉄マンとして失格だ」という。 『MIFUNE THE LAST SAMURAI』(三船敏郎のドキュメンタリー)『椿三十郎』の殺陣は三船が考えた。それまでの殺陣ではなく、お互い切るつもりでやっている。黒澤明が要求した。みんな黒澤に酷い目に遭っている。『蜘蛛巣城』で矢を射られたのは、後々トラウマになったらしい。 日本映画の知識は、圧倒的に春日太一が上。そのせいか、対談のせいか、イマイチ切口が鋭くなかった。
2019年10月13日
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「友情について 僕と豊島昭彦君の44年」佐藤優 講談社 佐藤優さんの高校の同級生・豊島君が、すい臓ガンで余命幾ばくもないことがわかった。佐藤優さんはそのことを聞いて豊島君に「2人の自伝を書かないか?」と提案する。 すい臓ガンは怖いガンだ。気がついた時は既に遅く、ある事情で私も他人事ではないと感じている。しかも、この2人とはほとんど同世代ということがわかった。私と違い、優秀な成績で社会に出た後に98年の日債銀経営破綻で人生がガワリと変わった豊島君は、しかし同世代だけに遠い世界ではない。 「それで豊島君は何がしたい」あえてビジネスライクに佐藤優さんが聴くと 「自分がこの世に生きた証を遺したい」 で、2人の自伝を提案すると、豊島君は怯む。佐藤優さんは畳み掛ける。バブルがはじけた時代を語ることは意味があるはずだと。 「でもそれは、あの時代に特有だった特殊な事例であって、今の時代には通用しないのでは」 「そんなことはない。時代は繰り返す」 豊島君の想いは、とてもよく理解できる。佐藤優さんの判断も正確だ。とても理性的だけど、限りなく情に溢れている。これが「友情」というものなのかもしれない。 2人の高校生活を見ると、2人を合わせて1/3にしたようなのが私の大学生活だったと思う。私の3ー4歳先を既に歩いていたのである。なるほど、これが秀才の歩く道なのだ。 90年バブル破綻、97年北海道拓殖銀行破綻、豊島君は、悪循環に落ち入る日債銀の中にいて「一度マスコミに対して弱みを見せるとマスコミは一気呵成に徹底してその弱みを追求してくる」と強く感じた。「結局誰か犠牲を作らないとこの攻撃は終わらないのだ」。この構造は20年経っても1ミリも変わらない。 「外見の強そうな男がメンタルも強いとは限らない。(略)普段は温厚で柔和だが一度決めたことはブレない意志の強さ、そして地頭の良さを兼ね備えた豊島君のような人間こそが、どんな修羅場も毅然と乗り越えられるタイプであることを私は経験的に知っている」(163p) 会社が経営破綻して、外から外国人上司がやってきたときに、いち会社員としてどのように接したかということは書いてあるが、当然だがバブル崩壊そのものの全体像は描かれていない。平成会社員「史」としては興味深かった。上司との付き合い方には普遍性がある。差し障りがあるので詳しい事は書けないが、私は頗る共感した。 数年前に豊島君は両親と死別した。似たような経験を私もしている。また、最後の人生8訓も、私は頗る共感する。やはり、同世代なのだ。
2019年10月12日
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「アジア新聞屋台村」高野秀行 集英社文庫 高野秀行さんは、「ワセダ三畳青春記」で描かれたボロくて狭くて楽しい早大近所のアパートで暮らしていた時期の99年から03年までの5年間、時々アジアの冒険を挟みながら、約5国のアジアの在日外国人のための商業新聞社の編集顧問の仕事もやっていた。新聞社と言いながらも実際ははちゃめちゃな社員と社長を有した、冒険的な編集だったのだが、これはその記録である。 詳しくは読んでもらうとして、文庫本紹介に、これと「ワセダ三畳青春記」と「異国トーキョー漂流記」とが、姉妹編を成していて、自伝的青春物語であると紹介されていた。へー!そうなんだ。3冊ともなんかフィクションのような内容だけど、実際はバリバリのノンフィクションなのである。と思った所でひとつアイデアを思いついた。 高野秀行さんを副主人公にして、映画を作れないか? 絶対面白いと思うんだけどな!どこかのプロデューサーさん!原案権は主張しないから、作ってくれないでしょうか!! 【高野秀行をテーマにした映画】 普通の早大生から社会人になった青年が、その時々で幼なじみの〈高野秀行〉と交流する物語。 高野秀行と幼馴染で共に成績優秀者で一緒に早稲田大学に入学した早大生の存在だけが創作。あとは全て事実で構成する。怪獣を追っていた時のメデイア巻き込んでの騒ぎも、アマゾン源流冒険も、ミャンマーアヘン王国潜入も、三畳一間のめちゃくちゃな下宿生活も、アジア新聞も、東京在住外国人から外国語を短期間で学んで翻訳本まで出した経緯や、次々と単行本を出している様子など「まるで創作のような話」が、全て「事実を元に」描かれる。そして、早大から真面目な会社に就職して長時間労働に苦しむ幼馴染は、最初こそは「コイツ、負け組だ」と優越感に浸っていたが「真面目に勉強して真面目に働いているオレはなんなのか」と悩み始めるのである。 キャストは、真面目な早大生に伊藤健太郎、高野秀行に賀来賢人(「今日から俺は」の2人)を希望。
2019年10月11日
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「地図帳の深読み」今尾恵介 帝国書院 私は地図マニアではないが、本屋でたまたま手に取った本書がなかなか愉しくて紐解いた。世界と日本の地図が全頁カラーで載っているけれども、私の興味関心から日本の「深イイネ!」と思った部分をメモする。 ・四万十川が太平洋を目前にして内陸へ向きを変えているのは、南海トラフ地震が何度もあって、海岸線に山ができたから。 ・この前広島県三次もののけミュージアムに行ったのだが、そこを流れる江(ごう)の川は、そのあと広島港まであと25キロまで来て、八千代から島根県方面に流れて江津にたどり着く。これは、中国山地の隆起量に対し江の川の浸食量が根性で凌駕した結果らしい。 ・私がパラパラめくって面白いと思った所。まるで盲腸の突起のように、境界線が入り組んでいるところがある。最もわかりやすいのが、大阪市が松原市内に細長く飛び出した部分(長さ620m、幅2mほど)がある。地図の赤色点線の市境の記号がとてつもなく異様だ。これは阿麻美許曽神社の参道のためです。この規模の大きいのが、山形、福島、新潟の県境にある飯豊山神社の参道で約8.3キロに及んでいる。地図で、こういうのを見つけれたら、楽しいだろうなぁ。 ・知らなかったが、和歌山県は「飛地」を持っている。新宮市の東北に三重県と奈良県の間に新宮市が2カ所ある。練馬区には、埼玉県新座市の中に練馬区飛地がある。13軒の家があり、ゴミの収集や学区問題では55m離れているだけなので困っていないが、東京ブランドのお陰で隣の土地より2割も地価が高いらしい。他に神奈川県相模原市の東京都町田市飛地、大阪府池田市の兵庫県伊丹市飛地がある。 ・地名の読み方にも一章を設けている。原音に忠実に書くのは難しいらしい。コラムで、岡山は地元民間では「おきゃーま」と言っている、と書いているが、地元民として言うが何十年前の話をしているのやら。 ・わざとなのか?表紙に使われた地図の説明が一切ない。よく見ると、東京都日本武道館の隣に史跡(?)として「ヒカリゴケ生育地」とある。また、大分県、熊本県、福岡県の県境に酒呑童子山がある。九州に何故?そのすぐ側には、カメルーン選手たちの練習場になった中津江があり、鯛生という閉山した鉱山があった。ちょっと調べたら金山で70年代まで掘っていたらしい。いろいろ気になるー! 地図って、楽しそう!
2019年10月09日
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「図書2019年10月号」 「漢字の植物園in広辞苑」(円満宇二郎)の連載が1年巡って12回目、最終回を迎えた。トリビアな植物情報を教えてくれて好きでした。最後は「菊」「金木犀」「藤袴」そして「サフラン」が扱われています。全て10月に咲きます。 「金木犀」の香りを嗅ぐと、私は何時も「何処からか花の香する」と書いた山本周五郎の小説を思い出し「さぶ」のことを考えます。ところで、金は花の色でわかるのですが、木犀がずっと疑問でした。そもそも何故「犀」が「セイ」なのか?答えは、「サイ」は奈良時代以前に伝わった呉音、漢音では「セイ」と読むらしい。立派な中国語なのです。何故植物に動物の名前?12世紀中国書物に「湖南では九里香、江東では岩桂、浙江では木犀という。木肌の模様が犀のようだから」とあるらしい。そこで我が家の金木犀をじっくり見てみました。色は土色で似ているかも知れないが、ぶつぶつ模様でソックリとは言い難い。そもそも浙江に犀は居たのか? 「サフラン」は「サ夫藍」と書きます。「サ」はかなり特殊な漢字で、表せれるか不安でしたが、最近のスマホは一発変換しました(でも楽天では機種依存文字で拒否られた)。すごいですね。 新連載は俳人・長谷川櫂の「隣は何をする人ぞ」。1回目は、昨年皮膚癌になって「考えたこと」をつらつら書いていました。 三浦佑之の「風土記博物誌」は、今回は「神」がテーマです。風土記に出てくる神さまは、たいていは「あらぶる神」のようです。舟の航行を邪魔し(播磨国風土記)、往来の人を殺し天皇が平定したので神崎と言ったり(肥前国風土記)、大和の人に頼んで荒ぶる神の引越しをしてもらったり(常盤国風土記)する。たいていは、天皇関係者が神を鎮めます。思うに地方役人の大和政権への「忖度」でしょう。何処でも、結局風土記における「神」は、西欧のように一神教でもなければ、福を授ける者でも、真実を伝える者でもないのです。日本人は、荒ぶる自然に対してのみ、何時も「神」を感じていたのでしょうか?古代では、恐れだけで神への感謝はなかったのか?新たな疑問が湧いてきました。 今回は連載記事以外に面白いものはなかった。
2019年10月08日
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9月23日(月)2日目。朝の散歩兼朝食のため6時半に出る。宿は西本願寺の真ん前だ。台風の影響は、幸いにもほとんどない。京都らしい建物も物色する。西本願寺前の消防団は、以前も写真に撮ったかもしれない。結局、モーニングをやっている喫茶店は、片鱗さえもなかった。京都は、パンが名物のはずなのに、モーニング文化がない。ファミリーマートの店内で食べる。カードが使えるのが嬉しい。8時半出発、205番バスで衣笠校前で降りて10分ほど歩く。講堂に着いたら、9時半から18時半まである、加藤周一生誕100年記念国際シンポジウムの連続講演は既に始まっていた(会場内写真不可なので、載せられません)。一番手は奈良勝司氏「近代日本の体外観と西洋理解」。頭が悪いので、難しい。加藤周一論ではなくて、江戸時代から明治維新にかけての国民意識の型を述べた。おらが村の中の1番意識(武威)と帰属集団の中で我をはらずに勤勉に努める(通俗道徳)が、現代まで残っている。知識人は個として孤立する(加藤周一)。というような意味だったかどうか自信がない。2番手は中国人の孫歌氏「対談における加藤周一」。1番むつかしかった。竹内好や丸山真男との対談記録を駆使して、なんかいろいろ言っていた。昼休み中に、加藤周一文庫に行こうとしたら休みだった。それはないでしょ!これを楽しみにしていたのに!講堂地下で、丸山真男文庫共同の「<おしゃべり>から始まる民主主義」という展示をしていた。確かに2人は対談の名手ではあったが、あまり大きな感慨はなかった。青春ノートの資料集、高かったし、カードは使えなかったが、約800円近く値引きしていたのもあり、遂に買ってしまった。この旅で本代は13200円にも及ぶ。嗚呼!午後一番手は、池澤夏樹氏「『日本文学史序説』を読む」。喋り慣れていることもあって、1番理解出来た。幾つか重要なことを言っていた。私なりにまとめてみる。加藤周一と初めて会ったのは、父親(福永武彦)の葬儀の時だった。次が1969.8.7の反核シンポジウム、次の対談をした時(2003)に、「あの人のことがわかるようになった」。←これは想定外の遅さだった。理系出身、外国生活が長い、リベラルと加藤周一と生き方が似ているので、もっと前から影響を受けているのかと思っていた(だって加藤周一の親友、福永の息子なんですよ!)。ずっと、あのノンポリの吉田健一から影響を受けていると告白していたのを不思議に思っていたが、少し納得した。池澤夏樹は、日本文学全集を編む時に、加藤の日本文学史序説の「はじめに」部分から、教わった。他にも丸谷才一、吉田健一、中村真一郎の批評家を準拠した。加藤周一は、文学史を書く時に外国文学と比較し相対化する。それは一休宗純を述べる時にイギリスのジョン・ダンを引き合いに出すかの如くであり、狭い比較ではない。そして、客観性を担保する。加藤周一のいう日本文学の特徴は以下の通り。・文学が哲学をも代行する(一休宗純)。・「具体的、非体系的、感情的」で抽象性を欠く(ソクラテス・プラトンは出てこない)。・時代を超えて統一性が著しい。・新しいものの追加とゆるやかな変化、建て増しを繰り返す(長歌→和歌→連歌→俳諧→短歌)。・最初から叙情詩(古事記)叙事詩(万葉集)劇(猿楽)物語、随筆、評論、エセー全て揃っていた。日本語で書かれた文学史として、こんなに長く続いているのは、中国を除いて無いのではないか。・細部に意を注ぎ、全体を見ない。・求心的傾向。京都、江戸、東京。・文学者とその帰属集団との密接な関係(文壇とか)池澤夏樹は、これに加えて、近代以前は・恋愛・性愛の重視(武勲の話はほとんどない、セックスか権力争い)・自然への視線(成る・生るVSつくる)・弱者への共感(勝ち負けの話になると、負けた方に心を寄せた)・平安期までは女性の活躍(応仁から樋口一葉まで)現代は文学が1番ジェンダーが進んでいる。序説への批判・序説は人文地理的考察から始めてもよかったのではないか?何故「建て増しの繰り返し」で済んできたからと言えば、同じ民族で済んで来たから日本の特性としては、島国であること、大陸との距離があること、異民族から独立を保てた「自然災害さえ我慢すれば侵略はなかった」、中緯度のモンスーン気候、キリスト教世界観とは違う「成る・生る」という動詞が基本の世界観質疑応答より・池澤夏樹のいう文学特徴の中で、異民族からの独立は1945年から保てなくなったと思うが、文学の特徴も変わったのではないか?「変わったと思う、弱者への心の寄せ方も変わったと思う」池澤氏は、明治時代に変わったという認識だった。←これはとても重要な指摘である。私は、弥生時代の倭国統一も、維新の戦争を経ない統一も、弱者への視線を重視する日本人の特性が影響している、という仮説を立ているが、日本人がアジア侵略に向かったのは、その特性が崩れたから、という言い方が出来るかもしれない。現代の韓国報道も、近代以前ならば決して起きないことだったのかもしれない。自明のことではあるが、文学史とは、即ち思想史なのである。次は李成市氏「韓国から見た「雑種文化論」」である。韓国にも雑種文化的特性はある、というおおまかに言ってそんな話だったと思う。面白くなかった。娘のソーニャ・カトー氏が短い挨拶をした。これが良かった。(あくまでも私的まとめです)ヨーロッパ連合に対して英国離脱等内から壊されようとしている。日本も韓国に対する植民地的な考えが起きている。父はなんと言うか?どんな答えをするか?どんな質問をするか?と考えてしまう。理想と理性の精神が失われようとしている。次の加藤周一が現れるのを見逃さない様に目を開こう。次の加藤周一が必ず現れると確信しています。この前の李成市氏の講演への質疑応答で、あいも変わらず、韓国を植民地化したことの真偽や、併合中で良いこともしたと言う事を、臆面もなく質問した人がいたので、余計によかった。この後のシンポジウムは欠席した。それに参加していたら、今日中に帰れなかったかもしれない。また、あくまでもアジアの中の雑種文化論を語る大きなテーマは、私的には合わなかった。アジアの中でどのように平和に生きていけるのか、それを探る講演にしてもらわないと、私には合わない。これのために京都に来て1日潰したのだが、うーむ、イマイチだったと言うべきか。鈍行で倉敷に帰る。家に着くと、11時近くになっていた。10123歩
2019年10月07日
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そのあと、約2時間かけて信太山駅から弥生文化博物館に行く。一年ぶり。あの時にどこかの店に置き忘れた図録を買い直すのと、新たな図録を買うのが大きな目的だ。突然の台風の雨に見舞われながら、着くと、二回廊下に萱振遺跡の最新研究成果を発表していた。農村遺跡だけど、いろんなところの土器が集まっているらしい。これはこれで山陰土器。吉備土器。地元の土器。和歌山土器。今回の特別展「白兎のクニへ」説明書がとてもわかりやすく展示されていた。それに沿って写真だけで構成したい。図録を買った。今城塚古代歴史博物館とあわせて約1万円、約15冊、約3キロほどの重さになり、リュックがパンパンになった。けれども、図録は目についた時に買わないと、すぐに売り切れになるし、いつ買えるかもわからない。一期一会なのである。五時まで粘って、博物館を出ると、岸和田ではなく、池上町のだんじり練習が続いていた。5人ほどの中学生が、シャンシャンピーヒャラやっていた。岸和田だけではないんだ。この和泉地方は、岸和田の数キロ北にある。少し見てみたかった。京都駅に到着。古い旅館「あずま屋」。近くのフランス料理店でコース料理。カードが使えず痛かった。16426歩
2019年10月06日
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9月22日(日)晴れ9月23日に京都で1日かけて加藤周一生誕100年記念講演会がある。それにかこつけて1泊2日で旅に出た。とは言っても行くところは単純。1日目は、この10年間ずっと行きたかった今城塚古墳歴史博物館と、去年買った図録を無くした弥生文化博物館である。鈍行で行くつもりだったが、少し寝坊したのと、もしかしてギリギリの予定なので、後悔しないように新幹線を使った。結果正解だったと思う。予定より2時間早く摂津富田についたが、今城塚古墳歴史博物館が思ったよりも充実していて、結局3時間以上も滞在したからである。信太山に行こうと思えば、着くのは3時ごろになるだろう。鈍行で行けば間に合わないところだった。摂津富田からは30分近く歩いて行くしか手段がない。延々と住宅地が続く。途中、宮田遺跡という平安時代の農村遺跡があった。今城塚古墳や太田茶臼山古墳があるこの大槻は、古代から広い平野が広がっていたのだろうと想像がつく。少し迷って、「日本で唯一大王墓であり、中への立ち入りが可能な」今城塚古墳についた。最近の報道では、大山古墳(仁徳天皇陵)を押さえて1番人気のある古墳に選ばれたらしい。着くと、家族連れが多い。それもそのはず、ハニワバルコニーが整備されていて、まるで遊園地の如くハニワが並んでいるのである。説明書は上の通り。今城塚古代歴史館。やっと来れた。ボランティアの人が、私1人だけど説明を買って出てくれた。お陰で、突っ込んだところを知ることができた。宮内省が継体稜と比定している太田茶臼山古墳が天皇陵ではない一番の理由は、同時期に仁徳天皇陵があるかららしい。私はそれだけ?と思ったのだが、突っ込まないことにした。時間がないのである。安満宮山古墳は、3世紀中、卑弥呼の時代である。そこから、青龍3年の青銅鏡含めて5鏡出土している。飛び抜けいる。何故か。海人の一族であり、卑弥呼の中国行きの海先案内人を勤めたからではないか?というのがボランティアの説明だった。4世紀末の郡家車塚古墳の副葬品は、これだけの勾玉を集めていて飛び抜けている。これも、いろいろ言ってくれたが忘れた。普通円筒埴輪は、このように焼きムラが出る。しかし、大王墓の埴輪には出ていない。何故か。近くの新池遺跡で登り窯跡が10基も見つかった。この全てが大王墓のための埴輪作りに使われたらしい。高温度で焼くために、焼きムラが出ない。一基5回は使って閉じたらしいので、50回は焼いただろう。館内では、窯の剥ぎ取り保存をしていた。武人の墓(土保山古墳5C)からは、甲冑と漆塗りの弓、盾が出土した。どちらも漆で仕上げており、保存状態が良かったらしい。日本の漆は世界一だとボランティア。革盾も漆で仕上げているので、当初は祭祀用のものかと思ったらしいが、実は漆を塗ると、剣を跳ね返すほどに強くなるらしい。実際使っていた盾だったようだ。王を守る立場の武人だったのだろうとのこと。模様は直線型。「かっこいいでしょ」とボランティアはいうが、それよりも呪術的特性が見えない、この武人の精神のあり様が興味を引いた。今城塚古墳はどのように作ったか。山を削ったのでも、土を持ってきて盛ったのでもない。二重の濠を掘ればいい。後円部の頂上だけ土を持ってくればできるらしい。だから土を固める必要はない。あとは崩れるのを防ぐために河原石をビッシリとひく。大きめの河原石だった。河原石ならば、外から見ると光沢があり、威信効果があったらしい。埴輪職人のエースは、自分の埴輪に二本マストの船をヘラ書きした。サインであると同時に、船はこの王国の財政の源でもあった。円筒埴輪は6000本も立てられた。外に出て、見事に再現した埴輪群を間近に見る。祭祀は、つくり出しではなく、その北側のテラスみたいなところに、盛大な形象埴輪200体を置いた。これほどの埴輪が伏見地震(1596)のために壊れたお陰で保存された。ほぼそのまま再現できたのは、ここだけだ。継体天皇の姿が、この出土と陵墓で浮き彫りになる。見事な古墳と歴史館であり、人気1番になるのもうなずける。歩いて帰り、摂津富田駅前で、大坂のうどん(キツネ)を食べる。とことん普通だった。
2019年10月05日
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「世界史を大きく動かした植物」稲垣栄洋 PHP出版 私たちは、植物の手の平のうえで踊らされているのかもしれないー(扉表紙裏より) 人類の歴史は、自分や共同体の人々が如何に生き残るか、その知恵の出し合いと攻防の歴史である。そこには、当然食物である植物は大きく関与せざるを得ない。常に植物の見えざる意志によって、人類が翻弄されてきたのは確かだったとは思う。 しかし、もちろん人類史の契機は食物だけで説明はできない。歴史を作ったのは、植物だと理解するのは間違いだと思う。歴史学者ではなく植物学者の稲垣氏の歴史記述は、大袈裟な部分があるので注意が必要だ。例えば「チャの輸出が外貨を得て、日本は近代化の道を進んでいくのである」(143p) 閑話休題。以下クイズに出そうなトリビア情報を箇条書きしていく。特に日本関係を中心にした私的覚書です。無視してください。 ・イネ科の植物がケイ素(ガラスの原料にもなるような物質)を体内に蓄えるようになったのは、600万年前。これによって、草食動物の多くが絶滅したと考えられている。 ・2万年前から1万年前に気候が変化して、乾燥化や寒冷化が始まった。草原は食べ物が少ない。だからこそ、農業が発展した。最初は、イネ科を食用にする動物の家畜化。やがて非脱粒性のヒトツブコムギが炭水化物を種子に蓄えることで農業が始まり、富も蓄積され始めた。 ・農業の魔力によって、人類は人類となっていくのである。 ・戦国時代の日本は、同じ島国のイギリスと比べて、すでに6倍もの人口を擁していた。それを支えたのが「田んぼ」というシステムと「イネ」という作物である。 ・東南アジアでは、イネは数ある作物の一つだが、日本では主食。 ・15世紀ヨーロッパでは、コムギは種子に対して3ー5倍の収穫、17世紀の日本では、種子に対して20ー30倍の収穫。現代でも、コムギは20倍、イネは110-140倍もの収穫がある。 ・イネの栄養は、タンパク質、ミネラル、ビタミンも含む。不足はアミノ酸リジン。それを多く含むのが大豆。味噌汁とご飯で日本人は完全食を食べれた。コムギはタンパク質が不足するので、肉類が必要で、主食にならなかった。イネは日本のモンスーン気候にも合っていた。 ・大航海時代にポルトガルは東回りで、アフリカ、インドへ、スペインは西回りでアメリカ、インドへ到達する。そうやって手に入れたかったのがコショウである。しかし、産業革命で蒸気船ができるとコショウの価格は下落する。 ・1492年、スペインのコロンブスはアメリカのトウガラシをコショウと言い張るために、レッドペッパーとしたが、味も種類も全く違いもの。トウガラシはヨーロッパに受けいられなかったが、1500年にブラジルに到達したポルトガルは、船乗りのビタミンCに必要で、かつ害虫の繁殖を防ぎ、食材や料理の保存に便利で、食欲亢進にもなることでアフリカ・アジアに輸出。受け入れられた。 ・人間の味覚は生存するための手段。苦味は毒の識別、酸味は腐った物の識別、甘味は果実の熟度の識別、しかし、人間の舌には辛味を感じる部分がない。カプサイシンは舌を強く刺激して、痛覚が辛さと勘違いする。カプサイシンを早く消化・分解させるために胃腸が活性化、様々な機能が活性化して、血液の流れは早くなり、発汗もする。更には痛みを和らげるために陶酔感さえ覚える。←辛さを感じる人に個人差かあるのは、こういう仕組みだったのか! ・赤い果実は動物にとって甘いのが常識。しかしトウガラシは、辛味によってカプサイシンを感じる受容体がない鳥だけを、種子を運んでもらうパートナーに選んだ。 ・16世紀初めにポルトガルは中国経由でトウガラシを日本に輸入、よって唐辛子と書く。ジャガイモはジャガタラ芋、つまりインドネシアのジャカルタ経由。サツマイモは、元は中米原産。九州では中国経由で唐芋と呼び、日本全国へ薩摩経由で薩摩芋になった。トウモロコシも南米原産だが、中国経由で唐もろこし又はナンバン、カボチャはアメリカ大陸原産で南京。トウガラシは鮮度を重視する日本ではあまり広まらなかった。加藤清正経由で日本から渡ったトウガラシが韓国で広まったのは、当時は元の支配下で肉食だったから。 ・種芋から増えるジャガイモは悪魔の食物と呼ばれたが、飢饉対策として、王室は栽培を広めるために努力した。イギリスは葉や茎を使って料理してエリザベス一世をソラニン中毒にして失敗、ドイツフリードリヒ二世は成功、ドイツにジャガイモが広まる。フランスで広めたのは、ルイ十六世とマリー・アントワネット。 ・日本ではジャガイモはサツマイモやカボチャと同じ時期に輸入、しかし味が甘くなくて広まらなかった。広まるのは肉食(カレー、シチュー)と合う明治時代。 ・カレー粉を発明したのはイギリス海軍、船の揺れに対応した。コメを食べるベンガルに駐在していたので、カレーライスを作った。シチューも同時に作り、これに航海食として欠かせなかったジャガイモを入れた。日本は1920年に日英同盟が結ばれると、イギリス海軍に見習いカレーライスを作る。更には砂糖と醤油を入れて、肉じゃがも作り、家庭に広めた。 ・トマト、ジャガイモ、トウガラシはアメリカのアンデス山脈周辺原産で、コロンブス以後(16世紀)ヨーロッパに渡った。しかし、トマトだけは200年食用とされなかった。その時ナポリ王国(後のイタリア)だけは、安いトマトをスパゲティソースやピザソースとして使って(17世紀)やっとヨーロッパに広まった(ナポリタン)。そのあと、アメリカがトマトケチャップを作り、フライドポテト、ハンバーガー、オムレツに使った。 ・ワタのおかげでアメリカは経済的に豊かになった。そしてワタのおかげで多くの黒人奴隷たちが犠牲になったのである。 ・ワタは塩害に強く、江戸時代の干拓地(豊田、今治市、倉敷市、北九州市)で広まった。車産業、タオル、ジーンズ、工業地帯の基になった。 ・薬としては、抹茶飲み方が優れている。宋代に日本僧侶(栄西)が伝えて、茶道になる。中国ではそのあと抹茶が廃れる。「茶」は中国「チャー」日本「チャ」ヒンディー語・モンゴル語・ロシア語・ペルシア語「チャイ」福建省「テ」ヨーロッパ「ティー」。ヨーロッパ紅茶ブームが米独立戦争を引き起こす。緑茶と紅茶は同じチャという植物から作られる。チャは抗菌成分を含むので、忙しい工場労働者が沸騰しない水で淹れて飲んでも赤痢菌などにかかる心配がなく、産業革命時に広まる。 ・ソメイヨシノは吉野の桜という意味ではない。「染井村で作られた吉野の桜」という意味である。吉野ブランドを利用された、吉野とは関係ない桜だった。明治時代に命名。散る桜に美を見出したのは、明治以降。本居宣長の桜(敷島の大和心を人ととはば朝日に匂う山桜花)は、大和心を散る桜に求めたのではなく、美しく咲く桜を歌ったものだ。桜が一斉に咲き散るのは、桜が時期を知るのではなく、クローン桜だから。
2019年10月04日
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「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ 早川書房 ノーベル文学賞受賞記念講演を読んで、3冊だけ限定でカズオ・イシグロの作品を読むことにした。作者の27歳時のデビュー作である。作者は幼少時に英国に渡る(まるで万里子や景子のよう)。血は純粋日本人で、その彼が純粋の英語で、長崎の話を書いている。 噂に聞く「わたしを離さないで」と同じ構造なのか、最初は日常風景が延々と続く。縁側、ざぶとん、うどん屋さん、三和土、等々と何処から調べたのか、1950年代地方都市郊外の日本の姿が詳細に描写される。ところが、何か謎を孕んでいる不穏な空気が常にある。 今はイギリスにいる主人公悦子は、おそらく80年代の初めに長女の景子を亡くす。その時に思い出したのが、長崎の暮らしである。まるで「失われた時を求めて」のように(記念講演で影響を受けたことを告白していた)、悦子にとっての過去が現代のように映し出される。 主な登場人物、悦子さんと佐知子さんと万里子ちゃん、3人とも何らかのものを抱えて生きている。それが何なのか、延々と続く会話の中で推測するしかない。私は3人のいずれかが被曝したと途中までは予測していた。 幾つかは、日本語として不自然な語句がある(日本の嫁はいくら心の中でも、舅のことを「緒方さん」とは呼ばない、あ、でも回想の中の語句なのだからその方が自然なのか?)。その他いろいろ。そういうのが、いかにも80年代初めの英国文学青年から見た戦後間もない日本の風景のようで、新鮮だ。長崎弁は一切出てこない。 第二部で、彼女たちはロープウェイで稲作山に登り、復興途中の長崎市内を見下ろす。表紙の絵かもしれない。そこで悦子と佐知子は希望を語るのである。どうも彼女たちの鬱屈は被曝ではないようだ。でも、ナガサキが彼女たちに薄暗い緊張感を与えているのは確かだ。 結局、悦子が歩んで来た人生は現代の次女からは「正しかったのよ」と言われ、過去の思い出からはホントにそうだったのかと悦子を苛む。最後のあたりで、それが読み取れる。非常に計算された、賢い作家なのだろうという印象を受けた。あと2冊、我慢して読んでみよう。
2019年10月02日
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この後、三次もののけミュージアムに行く。予想以上にいい博物館だった。おすすめです。三次は写真のように、中洲の中で発展した町であり、矢谷墳丘墓が山陰と吉備の結節点であったように、江の川に挟まれて、水交通、陸交通共に、交通の要所として発展した。前は三次市歴史民俗資料館という名の辻村寿三郎人形館が大きな観光施設だったのだが、現在は完全にもののけミュージアムにとって変わっている。実際祝日ということもあって凄い人出だった。日本初の妖怪をテーマにした博物館。湯本豪一氏の妖怪コレクション5000点を一括寄贈を受けて作ったらしい。日本最大のコレクションで、ホントに見応えあった。ほとんど写真に撮ってもいいというのが、ブロガーにはたまらない。以下、写真を並べるだけで、下手な私の解説よりも雄弁だと思う。少しだけ、言葉を挟みます。この部屋は「お絵描き妖怪ピープル」。なんと、妖怪の下絵に色を塗って登録すると、壁に自分の絵がふわふわ歩き出す。大人の私が見ても興奮する。子供が描いて動くのを見たら、一生忘れないと思う。これだけのためでも、子供を連れてくるべきだ。寄生獣がいた!以上、特別展「かわいい妖怪展」。館を出た。三次を代表するという、比熊山。見事な円錐形のお盆を被せた形。明らかに神奈備山の形をしていて、弥生時代遺跡があってもおかしくはない。残念ながら、頂上には、中世の領主・三吉氏が天正19年(1591)に本拠を移した山城跡があるのみという。古代遺跡は、その時に破壊されたかもしれない。もののけミュージアムを呼び寄せた「稲生物怪録」で稲生武太夫が肝試しで登ったのが、比熊山であり、それがこの物語の始まりだったことを考えると、大きな意味を持つ山なのである。三次の街中では、まだまだ明治・大正・昭和の建物が色濃く遺っている。湯本コレクションが寄贈されたのは、ひとえにこの妖怪物語が、有名だったからだ。そういう意味では、貴重な碑だろう。人形師が輩出する下地になったか、街の至る所に木場があった。しかし、此処は廃業していた。三次人形は気品ある土人形として有名。北の外れに窯を築いて焼かれた。江戸時代に評判をとったらしい。高速を通って倉敷に帰った。約2時間で帰れた。また、来たい町である。
2019年10月01日
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みよし風土記の丘のジオラマ。浄楽寺・七ツ塚古墳群を中心に整備されている。方墳は計20前方後円墳は計1帆立貝型古墳は計3、そして円墳は計152確認されている。外に出た。民俗資料も、少しある。これは江戸時代の農家の姿を留めている(17C中頃)らしい。旧真野家住宅。古墳時代の竪穴式住居、平床式住居、高床式住居を復元。七塚古墳群。山頂に延々と円墳が並ぶ様は、朝鮮半島伽耶の古墳群と瓜二つだ。あちらは、これより高く土を盛っているが、大袈裟という説もあるので、本当に瓜二つだったかもしれない。二つの国の遺跡の比較研究はどこまで進んでいるのだろう。私が研究者ならば、必ず一冊本をつくるテーマなのだが。戸の丸山製鉄遺跡のたたら跡の復元があった。資料館の中でも、復元実験の細かな解説があった。江の川の砂鉄約20キロを使い、松の灰約60キロも使い、6時間かけて、鉄塊約4キロが出来たらしい。古墳時代から日本の製鉄が始まったとすれば、正にこれが日本の製鉄作業の正確に近い再現になる。詳細な図版と写真と復元現場で、これまでもなく、古代日本の製鉄作業がイメージできた。この後、三次工業団地内にある矢谷古墳(古墳ではなくて、弥生時代の墓なので墳丘墓のはずなのだが、何故か石柱には古墳と書いている)を訪ねた。来て分かったが、一度来ている。あの時は、駅から貸し自転車で来たはずだ。ものすごく苦労したのを覚えている。15年以上前のはずだ。ブログに記録がないので。デジカメの第一世代で、すぐにバッテリーが切れた。一枚か2枚しか撮っていないはずだ。バシバシ写真を撮るぞ!2013年に立てられた説明板。これが最新の研究成果か。特殊器台は10基発見。胎土は吉備のもの、と書かれている。墳丘は、尾根の高まりを利用して作られてはいる。全長18.5m、くびれ部より南側は6m、北側は12.5m、高さ1.2m、周囲は幅2mの周溝が巡っているらしい。ガラス玉が発見されたのは、2012年と最近だった。三次平野を一望出来る、一等地に作られている。どのような「王」だったのか。
2019年09月30日
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9月16日晴れここからは、山大新聞会カテゴリーから離れて、旅(日本)になります。最初の数時間だけ山口(湯田温泉)に居て、あとはずっと三次のレポートになります。朝の散歩。山頭火の碑があった。詳しくは写真を見てほしい。説明書で最後切れているのは、「この碑に彫られた句は山頭火の日記からとった自筆である」と書いていました。さらに行くと交差点に普通のお地蔵さんがあるのですが、「辻の地蔵」ということで、とてもあらたかなお地蔵さんらしい。昔は結婚する度に、しっかり家庭が築かれるようにと祈りを込めて、結婚した家庭に運ばれていたらしい。そう思って見ると、表情に深みがある。戻って、山頭火碑の隣には、郷里の詩人中原中也詩碑があった。「童謡」がきざまれいる。この文字は自筆の原稿から採っている。さて、そこから中国自動車道に乗る。行きとはまた違う道である。途中は工事中でめちゃくちゃ細く感じる一車線道路が延々続いたり怖かった。2時間ほど走って、広島の東北三次に着く。そこから、みよし風土記の丘に行く。近くのうどんやで遅い昼食を食べてリベンジに向かう。この博物館は、、昔一度だけ行って十分に写真が撮れなかった(バッテリー切)ことがあり、博物館フェチとしてリベンジだ。広島県最大の考古学博物館で、「県立歴史民俗資料館」という名前になっている。考古学遺物の充実度を、その館の名称で測るのはNGである。国立、県立、市立も、資料館も博物館も、名前はその博物館の充実度を測る目安にはならない。どの博物館もそうだが、行ってみないとホントの価値はわからないのである。ここは行ってみたら、凄い「考古学博物館」だった。今日は常設展しかない。ラッキー。入って直ぐの廊下展示は、新人学芸員(下江裕貴、松原萌)が博物館実習の一環で採取した土器などを見直したら、古墳の造成時期が1世紀近く遡る発見をすることができた、といういわば「研究発表」だった。内容は、かなり専門的ではあるが、それが結果的には新聞ネタにも成るわかりやすい結果になった。展示しやすい内容だ。この新人さん、いいスタートが切れた。ここの展示は、説明書が大きくてわかりやすい文章で、とても好感が持てる。ただ、年代観は炭素年代法を使っておらずに、なかなか大変そうだ。黒川遺跡出土、袈裟襷文銅鐸(本物)が展示。広島県では、銅鐸は三ヶ所からしか見つかっていない。しかもこの銅鐸は、山中で偶然埋納銅鐸を見つけたものである。使い込まれた小さめの銅鐸で、本気で祭りを行い、本気で埋納した感じが出ていた。「埋納」とは何なのか?改めて思う。この頃の広島県は、吉備、出雲、そして綾野綾羅木の影響下で3つに分かれていたらしい。右は三次矢原遺跡の脚付注口鉢形土器。三次は出雲の影響下だろうか。真ん中は福山御領遺跡の器台と壺、吉備の影響ありあり。左は安佐北区の寺田遺跡の壺型土器。四隅突出型墳丘墓の1番古い型は、三次盆地から見つかっている。一部写真を載せる。歳の神第3号墓。歳の神第4号墓。そこから出土する土器は「塩町式土器」と言われ、装飾性の高い土器だ。そして、最後の最後に矢谷墳丘墓が現れる。大きさ、副葬品共に、この地域としては規格外である。四隅突出墓を二つ足したような形をしている。何と「ローマのガラス玉」が出ている。山陰系の土器。そして、特殊器台が数多く並べられていた。明らかに「吉備から運んだもの」である。厚さが5ミリとは初めて知った。どうやって運んだのだろうか。昔から「大きな謎」である。しかも、向木見型らしい。西谷墳墓は立坂型だったので、それよりも20ー30年あとの墳墓ということになる。何故?そのあと古墳時代の展示に移る。ここの博物館は、むしろこちらがメイン。ただし、私の関心は弥生時代までなので、なおざりに紹介します。古墳時代の山間集落のジオラマ。よくできている。現在の三次工業団地(矢谷墳丘墓もある)のある遺跡を参考にしたらしい。
2019年09月29日
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「昨日がなければ明日もない」宮部みゆき 文藝春秋社 杉村さんは犯罪を呼び込んでしまう「体質」を逆用して探偵業を始めた。杉村さんの願いは、「相談」が「犯罪」になってしまう前に食い止めることだ。その点で、杉村さんは正しく、杉村さんほどに適する人はいない。 と、私は思っていた。 「絶対零度」は、まだ慰められる部分がないわけでもない。蛎殻オフィスの所長からも、杉村さんが「もっと早くに介入できていたらと後悔が多いです」と愚痴をこぼしたことに「それは無理です。全世界を1人で背負おうとするようなものだ」と評価する。「それもそうですかね」と杉村さんも自分で自分を慰めた。 もう一つの(短編はあと2つだけど、そのうちのひとつ)事件に関しては、杉村さんは「私立探偵の形をした石になって、私はただ立ちすくんでいた」と終わる。いろんな意味で、杉村さんは深く後悔することと思う。 でもね、杉村さん。 人の心は、ましてや犯罪という結果に至るまでの心の闇は、日常からダダ漏れになるタイプの小人と、私たちを含め日常はなんとかやり過ごし普通ならば人生を大過無く過ごすけど小さな人物よりもはるかに広い池にかなり大物を、黒も白も飼っているタイプの人と、あるものだと私は思います。作家の宮部みゆきさんは、ずっとそんな様々な人の闇を描いてきました。その闇は、時には時空を超える物語にさえなりました。石になる必要はありません、大丈夫ですよ。やっていけます。がんばれ。 ひとつ気になるのは、中学1年生の漣(さざなみ)さんの明日だ。悪い条件ばかりが彼女の上にはある。けれども、人は変わり得る、良くも悪くも。いつか、その顛末を物語の中に紡いで欲しい、宮部みゆきさん。 でももうひとつ気になるのは、杉村さんの物語が未だに2012年の5月に留まっていること。杉村さんの愛娘桃子ちゃんは、この時点で11歳である可能性が高いので今は19歳になっているはずだ。人生の岐路に立っているだろうか。その間、杉村さんは桃子ちゃんのために自分の命を顧みずに飛び込まないとも限らない大事件が、必ず起きるだろうと私は予測する。その時は短編ではなくて大長編になるだろうけれども、杉村さんの超人的な人の良さと洞察力は、その時のためにもう少し磨いて欲しい。私としてはきっと出てくるそのパートのために、あともう2〜3冊は欲しい。というのはファンのわがままかな。
2019年09月28日
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