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「芸術新潮7月号」大特集 萩尾望都かつて80年代初めに漫画専門誌「ぱふ」なるものがあった。私をそれを読んで初めて、萩尾望都がいかに漫画の革新を行ったかを知った。それ以降、本人ならびに他者による本は何冊も刊行されたが、一度も満足を覚えたことがない。だから舐めていた。特集を組んでいると言っても例によって、著者描き下ろしの絵で誤魔化しているのではないか。甘く見ていた。実に約40年ぶりの本格的な萩尾望都解体である。本格的な論文は、小野不由美のそれだけではあるが、萩尾望都の一面を丁寧に書いただけに過ぎない。驚くべきは、おそらくインタビュアーの内山博子や編集者の努力と思うが、出てきた昔の作品の一コマ一コマのキャンプションがあまりにもよく調べ、マトを得ていることである。例えば、p17の「エドガーのふわふわふわ巻き毛は、どの向きから見ても同じ顔にするために考えた髪型だそう」、p18「トーマの心臓の最終頁の原稿。ユーリ、エーリク、オスカーそれぞれの新たな門出を象徴する忘れがたいラストシーン。光、風、植物といった萩尾お気に入りのモチーフによる見事な構成だ」p37には、連載開始前のクロッキー帳が公開されていて、そこに既に「火の塔の‥‥アランの死」と書かれている。「この時点で、物語のはるか先の終着点まで見えていたということか」衝撃の事実を公開している。私にとってもショックだ。アランの登場を最初から予定していて、しかも終わり方まで構想に入れていたとは!萩尾望都が、しっかりしたコマ割りを壊して、時空を超えた夢の表現を、その描写方法から、ストーリー構成まで牽引したことは40年前から既に橋本治が指摘していたのだが、我々の想像以上にそれはかっことしたものだった。だとすれば、やはり今回の「ポーの一族」再開は、かなりある程度時空を行ったり来たりはするが、きちんと構成されたものであるということだろう。同時にクロッキーブックに対する萩尾望都インタビュー、或いは他のロングインタビューもあるが、これもかなり貴重な証言が幾つかある。美術雑誌らしく、物語のテーマよりも、作画構成に寄った切り取りをしている。それはそれで、私にはとても新鮮だった。以降、萩尾望都を論じる時には、必携すべき本になっていると思う。
2019年09月27日
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東に向かう。小京都なので、当然低い山が連なる。そこに、鴨川のように小川が流れている。一の坂川である。清流である。しかも、土を残して、蛍が住める様に気をつけている。このまま、街中を横断するこの川は、毎年蛍が飛ぶ。大学時代はその有り難さは分からなかったが、今はとても貴重な川であることが分かる。この様な小さな森も整備している。官軍の錦の御旗を作った工房跡もその辺りにあった。県庁所在地と言いながら、これといった産業もなく、まだ中心部も昔工法の家々が残っている。これは庶民の家。これは弁護士さんの家のようだ。明倫館跡に、赤レンガの観光拠点が作られていた。橋から玄関に入る家。唯一の商店街、道場門前にたどり着く。ひとつだけだったが、京都にあるクランクの様にZ字路なっている小径を見つけた。京都では辻子と呼んでいたが、元の意味は厨子だと言う説もある。単に人の流れをまっすぐ通れない様にして関心を持たせただけでなく、この通りに神様を祀っているのが特徴だ。ここにも西向き地蔵が祀られていた。この道場門前通り。かなり前からの歴史があるらしい。これも初めて知った。その西端の安部橋のたもと枕流亭跡があり、薩長同盟を相談したところらしい。この辺りを歩いたのは、ひとつのミッションがあったからだ。新聞会のゆかりの地を訪ねるのが今回の大きなテーマなのだが、この町の一角の何処かに、山大新聞を印刷していた印刷所、俗称「けんしん」(山口県新聞社の略だろうか)があったはずなのだ。当時としても、珍しい活版印刷で、ひとつひとつ文字を拾って作っていた。流石に今は無いはずだ。跡地だけでも特定したかった。住所はわからない。行けば思い出すのでは、と期待したが、ほとんど思い出せなかった。よく門前でトンカツを食べたのだが、当然その店もなくっていた。とうとう諦めた。もう2時前になっていたので、一の坂川沿いの一柳という食事処で定食を食べた。思いのほか、あら炊きや酢物が豪華で、これで千円弱は安かった。そのあと、県立博物館に車を取りに行っていると、市役所隣にもしかしてあるかな、と行くと本当にあった、昔初めて「辛いカレー」を食べて感激して数回通った「ぶるうべる」がまだあった。ご主人に聞くと、40年間やっているらしい。私が食べたのは、開店して間もなくだったのだ。ここは辛みで辛くしているのではなく、香辛料を煮詰めて行ったら、美味しく辛くなったという辛さなのだ。ルーを別に盛っているのも、薬味にらっきょを使っているのも、今では当たり前だけど、あの時は衝撃的だった。そうそう、こんな感じだった。ご飯の上にうずら卵が載っている。とってもおしゃれで、1食600円近くしたので、特別な時にしか食べなかった。今でも800円だ。信じられない。美味しい。あまり辛く無いが、辛い。定食を食べたあとだったので、食べきれるか不安なほどに腹一杯になった。県立美術館横にひっそりと説明立て看も立てずに「青春譜」の石碑かあった。明治32年建立と読める。この辺りにあった山大の寮歌だろう。これはもっと注目されていい石碑だ。コーヒーを飲んでホテルに帰る。夜は軽く、昨日の同窓会の二次会の場所「ROCCA」で、ワインと秋刀魚のアヒージョで終わらした。13620歩
2019年09月25日
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9月15日 晴れ 2日目朝の朝食。車でザビエル聖堂前まで行ってみる。今日はミサがあるということで、駐車場は満杯だった。91年の焼失によって、98年に再建されたというこの記念聖堂を観たのはこれが初めてだった。元のどっしりと構えた茶色い聖堂から一新してモダンな建築に変わっていた。洞穴の中のマリア像。外なので、焼失からは免れているはず。最近このような事情で鐘が寄贈されたらしい。打たせてもらった。余韻の残る見事な鐘だった。このザビエル聖堂がある亀山記念公園には、思い出がある。あれは80年の12月8日のことだった(と思う)。私たち新聞会は、忘年会を終えてたいていはこの公園に登ることが多い。酔い覚ましの運動である。その日、ジョンレノンが射殺されたという一報が入ってきた。私は、そんなに思い入れはなかったが、相当なショックを受けている先輩の影響もあり、その時のこの階段からの眺めが未だに頭に残っている。平和を願った世界的ミュージシャンの死を、世界的に有名な聖堂が悼んでいる。気がした。亀山記念公園の頂上からは、龍泉寺方向の市街などがよく見える。これは、県庁方向。かつて、新聞会で、60年安保の体験者の話を聞くために、私がインタビューをしに行った木造の県庁はもはやない。これは湯田温泉方面。ずっと向こうに山口大学があるはずだが、見えない。そのあと、山口市歴史民俗資料館に向かう。博物館フェチとしては、空いているところは一応チェックしておかないと、という気持ちだったのだが、実は今日最大の収穫だった。企画展は「信仰でたどる江戸時代」だったのだけど、常設の考古遺物がとても充実していたのである。県立博物館の比ではなかった。こういうことはよくある。私の関心事、弥生後期の遺跡は、ここにもあった。赤妻遺跡(山口市内付近)、上東遺跡、下東遺跡(湯田温泉東あたり)と、弥生から古墳時代にかけて、やはり住居などが発掘されていたのである。弥生終末期、山口県空白説は、これにより先ずは宙に浮いたと思う。しかも、この遺跡からは下関の綾羅木郷遺跡に特有な木の葉紋の土器も出土していた。自然模様のようで、幾何学模様のよう。この紋様の変遷はとても興味があるのだが、いま私はそこまで手が伸ばせない。誰かやってもらえないかしら。いちおう、県立博物館に行く。まあ、総合博物館なので、地学とか生物とか理系の展示が多い。秋吉台を形成している石灰石は、もともとはサンゴ礁だったかららしい。つまり、あの山は元々は海の底だったのだ。ところが、すぐそばにはジャングルもあり、それが積もって泥炭層になっていたりするから、数億年前の山口県は、海やら森やらあるグズグズの浅瀬だったわけだ。県立博物館なのに、あまり質のいい土器は置いていなかった。考古学コーナーは申し訳程度にしか無い。全ては下関市の考古学博物館にあると言う事なのだろう。しかし、県教育委員会の力の入れようの無さには呆れた。県立博物館に車を止めて長いお散歩。瑠璃光寺隣の洞春寺に行く。毛利元就の菩提寺。そこにある美術館に寄るためである。そこにある「のむら美術館」という小さな美術館。観覧料200円。割と良かった。なんでこんなものがここに、というものがたくさんあった。我が郷土備前国の江戸時代の画家、岡本豊彦の絵もあった。差し障りがあるので、絵は見せれない。なんと、伊藤若冲の絵もあった。鶏がビックリ顔をしている。ほとんどマンガである。この革新性は正に若冲!でも、なんでここに?間違いなくホンモノらしい。雪舟の絵もあったが、こちらは管理人の方は「多分」と歯切れは悪かった。一つの目玉として、桂小五郎(木戸孝允)が、桜田門外の変の時に、たまたま隣の長州藩屋敷に居て、(どの時点でかは不明だが)事の次第を見て、水戸藩士の「快挙」に共感して、各地の同志に決起の檄を飛ばした文章が昭和の時代に発見されて、(何故か)この美術館に展示されていた。桂小五郎の文章は達筆である。勢いは、そのまま桂小五郎の心情を表しているのかもしれない。それにしても、何故こんなものがここに?隣の瑠璃光寺五重塔に行く。近影。亀山公園から見た五重塔。そして近づいて見た近影。日本三大五重塔の一つらしい。全部で41基が作られて、現存している。(現在は67塔)瑠璃光寺資料館には、その全国の五重塔模型が全て展示されていた。この日は暑かった。久しぶりにかき氷を食べた。瑠璃光寺には、実は初めて来た(と思う)。もしかしたら、入学式の時に母親と来たかもしれない。どちらにせよ、山口市最大の観光地なのだが、大学時代一切興味がなかった。今回は湯田温泉といい、瑠璃光寺といい、40年経って、やっと山口を観光した。そうは言っても、普通の観光とは少し違う。五重塔を見た司馬遼太郎の碑があった。まぁ私もそう思う。小京都といいながら、都会には無い、優しさがある。ところが、田舎とも言えない。雅なところはある。面白い。若山牧水歌碑もあった。はつ夏の 山のなかなる ふる寺の 古塔のもとに 立てる旅人明治40年6月に中国地方を旅した時にここに寄り詠んだらしい。岩越しに塔を見る。
2019年09月24日
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いつも大学前の長門館で夕食や夜食を取っていた。ないと思っていたが奇跡的にあった!なんか半分はジーンズ屋になっていたがやっていた。ところが、中は真っ黒。ジーンズ屋のいうには、いつもはやっているけど、お昼お休みかもしれないとのこと。ここでも昼食を食べれなかった。ここの中華丼がたまらなく安く大盛りで、野菜もとれてみんなの栄養素になっていた。今はどうなっているのか知りたかったが、仕方ない。前に書いた通り、新聞会の部屋は大学外のアパートにあった。今はなくっているが、その場所を確認した。こんなところだったっけ。なんか、あまり感慨が湧かなかった。一回一番左側の部屋だったはずだ。前に神社がある。それも思い出せない。この前の小川は、椹野川の支流で、毎年蛍が見えた。そのことだけはよく覚えている。その日のホテルに入って遅い昼食をとった。そのあとホテルに入り、大学入試の際に泊まった旅館で入って以来40年間、おそらく1-2回しか入っていない(大学時代には一度も入っていない)湯田温泉のお湯に入った。単純アルカリ泉。大学時代には、いつでも(外湯に)入れると思ってとうとう入らなかったのだ。お金がもったいなかった。同じ理由で、成人式にも行ってはいない。‥‥それはそうと、さっぱりしてホテルのすぐそばにあるとある磯くらという料理屋に向かうと、新聞会OB会と言いながら、私の先輩しかいなかった。総勢19名。同期も後輩もいなかった。ほとんどが連絡が取れない状態らしい。私も、先輩がFacebookで検索して連絡してきたのだ。ちょっと怯む。そうは言っても、私の先輩の4ー5年上までが上限までの先輩たちばかりなので、一度はお目にかかった方達が多い。しかも、席は1−2年先輩の人たちの所に紛らせてもらったので、なんとか楽しく過ごさせてもらった。ここでは紹介出来ないが、当時の写真や当時の思い出話に花が咲いた。新聞会は、私のすぐ後輩の代で消滅したようだが、誰一人としてその真相はわかっていない。「おまえは時間があるんだから、この連絡先の空白を埋めろ」と先輩が命令してきた。「いや、無理です。それに、最近は忙しい。手がかりもない」しかし、まるきりないことはない。僅かな手がかりは、久しぶりにもらった連絡先一覧に少しある。少しはやってみようとも思った。次回は2年後に決まった。しかし、東京在住の方も多いのに、よく集まったものだ。
2019年09月22日
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9月14日、おそらく20数年振、卒業して36年ぶりの新聞会同窓会で、山口に行きました。同窓会レポートをするつもりだったのですが、やはり何処に行っても遺跡めぐりはやめられません。どっちつかずのレポートになりました。3日分を3回で終わらそうと思ったけど、無理みたいなので、6回連載になります。前半4回は、古代レポートが含まれているけど、山大新聞会にカテゴリーさせます。新聞会メンバーの詳しい紹介は出来ないけど、例によって旅レポートだけはしておこうと思う。今回は軽四を飛ばして、4時間半かけて来た。小郡インターで降りて、先ずは向かったのは朝田遺跡(どうしても古代レポートになる)。ところが、住所を調べて地図アプリに入力しても一向に場所を示さない(どうやら遠に消滅した住所だったのかもしれない)。朝田のコンビニで、ダメ元でで朝田遺跡の場所を聴くと、なんと教えてくれた。これは遺跡巡らーにとってはとっても珍しいことです。どうやら維新公園の中にあるらしい。「20年前のことだから」とオーナーは詳しい場所は、わからないようだったが、それなりにこの遺跡の発掘は大きな出来事だったようだ。少し迷ってたどり着く。どうやら小山の上にあるらしい。国道9号線を作るにあたって、発掘された遺跡であり、国道のトンネルの上にあった。国指定になっている。道理で綺麗に復元されてあるわけだ。私はメインは古墳時代で、弥生がかすっているのかと思いきや、そうではなくて、弥生から古墳にかけてずっと続いていて、しかも大きくはないが、土壙墓や周溝墓、壺棺墓や石棺墓などあらゆる弥生墳墓が集合している、墳墓群だった。これだけ多くの墓がいっぺんに集まっているのは、珍しい。しかも、山口県には、後期弥生遺跡が無いと聞いていたので、「あるじゃないか!」と思った。そのあと、実は大学時代下宿していたところへあいさつに向かった。既に住所も名前も忘れていたので、たどり着くだろうかと心配していたが、もしおられた時のことを考えて倉敷名物「むらすずめ」の5個入り1番安いやつ(おられたら夫婦2人暮らしなのでそれで十分)は買っておいた。なんと一度も迷わずにたどり着いた。自分でもびっくり。25年ぐらい前に一度あいさつに伺ったことがあるのだが、よく考えたらあの時はバスで行ったのだ。家は空き家みたいになっていた。あの時は離れを利用して2部屋だけを下宿にしていた。四畳半一間一か月1万円という破格の下宿代だった。二人だけの共同でトイレ風呂が付いていた。これなしでは、奨学金5万、仕送り3万、アルバイトもせずの生活はできなかっただろう(食費は外食ばかりで4万、部屋代1万、あと3万円で本や諸経費を作っていた)。それなのに私は卒業時、軽く荷物をまとめて、掃除もせずに、バタバタと出て行った。確かまだまだ小さな荷物もあり、風呂やトイレはかなり汚かった筈だ。あとで、なんと失礼なことをしたのかと思った。25年前に一度詫びて許してもらっているのだが、思い出すたびに恥ずかしい。この一部屋から田んぼの風景がいつも見えた。冬は必ず雪で真っ白になった。盆地の山口は必ず雪が深く積もるのである。ここから見える風景は、なんと36年前と少しもかわっていない。ここは、町から遥か離れた郊外の下宿宿だったのである。最初の1年は自転車で通っていた筈だ。でも、高校の延長だから、なんとも思わなかったようだ。この日は離れに甥が一人で住んでいた。家の売れるまでの管理として住んでいるらしい。叔母夫婦は3年前に亡くなったらしい。手土産を置いてお礼を言って帰った。山口大学に行ってみた。教養学部、1番2番教室。ここで大学祭の講演をやった。この前で、いろんなチラシを撒いていた。今日は土曜日で人っ子ひとりいない。昔は土曜日は休みじゃなかった気がする。人文学部。そうだった。こんな建物だった。不思議なことに何一つ思い出がない。何処に自転車やカブを止めていたのか、一切思い出せない。それほどまでにここで学問をした覚えがない。新しく学生施設を立てるにあたって発掘したらしい。ここへ来た目的の一つは、ここの遺跡を見るためだ。山口大学埋蔵文化センター。その前に、遺跡から移設した墓石があった。ここも、遺跡跡。もう一つの目的は、ここの学食で昼食をとること。ところが、土曜日は休みだって?なんてこった。
2019年09月21日
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「モンスーン」ピョン・ヘヨン 姜信子訳 白水社 「ユジンさんには幼稚な質問を沢山しました。なぜ台風の進路の正確な予測は不可能なのか、風向きはいつ変わるのか、といったことです。気温差や自転が風を起こすのだということは常識的にわかっています。しかし、モンスーンのようなものの場合ですよ、あのように規模の大きな風は、いつ風向きを変えるのか、その瞬間をあらかじめ知ることはできないのか、といったことを理解するのが難しかったのです。それについてはご存知ですか?」(23p) 妻の上司であり科学館館長であるこの男は、もしかしたら赤ん坊が偶然の事故で亡くなった日に妻と会っていたかもしれない。カウンターで何も無かったように話しかけるこの男に、夫のテオは怒りの衝動を起こしかける。もっとも、それだけの話である。この短編「モンスーン」が韓国の文学賞を獲ったのは、妻の不倫も明らかにせぬまま物語を終える構造が、セマウル号事件が起きたばかりの韓国の人々の琴線にふれたからかもしれない。しかしそれだけではない。 私は仕事の関係で、雨雲レーダーをよくチェックする。直後の1時間の間に雨が降るかどうかを確認するのに、これは95%ぐらいは信頼がおけると思っている。同僚は黒雲が低く立ち込める空模様を見て「雨が降りそう」と不安がっているが、私は降らないことを知っている、バカだなぁと優越感にふける。人は、雨が降り始めるまで予想も出来ない人、経験値で予測できる人、私のように神の視点(ツール)で予測出来る人にわかれているのではないかと思ったりする。しかし、3時間後には雨雲レーダーはゴッソリその前の予想を変える。現代の科学は、2時間過ぎれば風の向きを予測出来ない。でも、確率的には、天候は人類が未来を予測できる分野としては最も進んだ分野だろう。 偶然の事故を人は予測できない。 けれども人は、その原因を探って、人を責めたり自分を責めたりする。その心の動きを作者は恐ろしいといっているようだ。 私は、それを認めながらまた別の感想も持った。 韓国社会は、まるで日本のパラレルワールドみたいだ。小説で読むと特に感じる。いろんなところが我々と同じようで、少しづつ何処か違う。団体観光は遺跡や産業団地になんかは行かない。もっとも韓国における遺跡は古代だけを意味しない。バスに押し売りも入ってこない(「観光バスに乗られますか?」)。日本には蚕のサナギのカンヅメは普通に商店に置いていない(「夜の求愛」)。日本ではタクシーの一斉ストライキなどは存在しない(「訳者あとがき」)。韓国旅行の時には感じないのに、小説を読むと感じるのは、当たり前のように、それが日本語で書かれているからに他ならない。少し怖い。
2019年09月20日
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後半の4作品です。 「工作 黒金星と呼ばれた男」 「タクシー運転手」「1987 ある闘いの真実」に続く衝撃作、との煽り文句の意味がやっとわかった。これは、核兵器をスパイした者の話ではなく、南北対話を実現した、知られざる南北人民の話だったのである。 北朝鮮の有名建物のシーンはどう撮ったのか? 或いは、金正日の役者をどう撮るのか? 黒金星は、ホントはどうなったのか? フィクションを入れているらしいので、どこまでが真実なのか?このスパイも政変で揺れ動いたはず。 (解説) 北朝鮮の核開発をめぐり緊迫する1990年代の朝鮮半島を舞台に、北への潜入を命じられた韓国のスパイの命を懸けた工作活動を描き、韓国で数々の映画賞を受賞したサスペンスドラマ。92年、北朝鮮の核開発により緊張状態が高まるなか、軍人だったパク・ソギョンは核開発の実態を探るため、「黒金星(ブラック・ヴィーナス)」というコードネームの工作員として、北朝鮮に潜入する。事業家に扮したパクは、慎重な工作活動によって北朝鮮の対外交渉を一手に握るリ所長の信頼を得ることに成功し、最高権力者である金正日と会うチャンスもつかむ。しかし97年、韓国の大統領選挙をめぐる祖国と北朝鮮の裏取引によって、自分が命を懸けた工作活動が無になることを知ったパクは、激しく苦悩する。監督は「悪いやつら」のユン・ジョンビン、主演は「哭声 コクソン」「アシュラ」のファン・ジョンミン。 (キャスト) ファン・ジョンミン(パク・ソギョン) イ・ソンミン(リ・ミョンウン) チョ・ジヌン(チェ・ハクソン) 2019年8月8日 シネマ・クレール ★★★★ 「さらば愛しきアウトロー」 1981年のアメリカで、ここまでの銀行強盗歴と、脱獄劇を繰り返すことが出来たタッカーに敬意を表する。 「俺はヤツ(タッカー)にもっと人生楽に生きることはできるだろう、と聞いたんだ」 「どう答えたんだ」 「そんなことには興味がないようだった。楽しく生きるかどうか、が大事だったんだ」 彼女(シシー・スペイセク)が彼を受け入れたのは、思う通りに生きれなかった自分の人生の代わりに彼を応援したかったからだろう。 「ほとんどが事実」と冒頭キャンプションにある。日にちと時間がある場面は少なくともそうならば、刑事が彼に出会う場面はそうなのだろう。正に人を食った男である。 老人映画が、1つのジャンルになってきている。その中で、きちんと記憶されるべき作品である。 ■ 解説 1980年代初頭からアメリカ各地で多発した銀行強盗事件の犯人であるフォレスト・タッカー(ロバート・レッドフォード)は、15歳で初めて投獄されて以来、逮捕、脱獄を繰り返していた。彼は発砲もしなければ暴力も振るわないという風変わりなスタイルを貫き、粗暴な強盗のイメージとはほど遠い礼儀正しい老人だった。監督、プロデューサーとしても活動している俳優ロバート・レッドフォードが主演を務めたクライムドラマ。タッカーを追う刑事に『マンチェスター・バイ・ザ・シー』などのケイシー・アフレックがふんするほか、『歌え!ロレッタ愛のために』などのシシー・スペイセクらが共演。デヴィッド・ロウリーがメガホンを取った。 2019年8月18日 シネマ・クレール ★★★★ 「ライオン・キング」 これは弥生映画だ。多分、誰もそうだとは言わないだろうけど。 まるで、古代の自然の「命の環」の中で生きて行く生活スタイル、その中で「王とは何か。自分とは何者か」と悩む若き王子。王国を離れ、旅をして帰還する、英雄譚に必須の物語構造。亡くなった王の魂が、雷(龍神)となって、王子を導く構造。これが弥生映画と言わなくて何なのか! もちろん、瑕疵は有り、傑作ではない。英雄譚として、「試練」はほとんど無く、雑食であそこまで大きくなって狩の経験のないシンバが、何故突然強くなったのか?スカーは必然性の全く無く自ら罪を告白するのは、物語上都合よすぎる。スカーの王国の荒れようと、シンバが王になってあっという間に元に戻る都合の良さ。2時間に治めよとして、大人の都合で、都合の良い物語を作れば、すぐに子供から見捨てられる。 自然の再現度、その中で俳優のごとく「演技」をする、CGの技術はもはや「神の御ワザ」である。 (ストーリー) アフリカのサバンナに君臨する偉大なる王、ライオンのムファサが息子シンバを授かり、さまざまな動物たちが誕生の儀式に集まってくる。動物たちは、ヒヒの祈祷師ラフィキが皆の前にささげた将来の王シンバに深くこうべを垂れる。だが、自分が王になれないことに不満を募らせるムファサの弟スカーだけは、シンバの誕生を苦々しく感じていた。 (キャスト) (声の出演)、ドナルド・グローヴァー、セス・ローゲン、キウェテル・イジョフォー、アルフレ・ウッダード、ビリー・アイクナー、ビヨンセ・ノウルズ=カーター、ジェームズ・アール・ジョーンズ、(日本語吹き替え版)、賀来賢人、江口洋介、佐藤二朗、亜生、門山葉子、大和田伸也、根本泰彦、駒塚由依、駒谷昌男、沢城みゆき、白熊寛嗣、加瀬康之 (スタッフ) 監督・製作:ジョン・ファヴロー 脚本:ジェフ・ナサンソン 製作:ジェフリー・シルヴァー、カレン・ギルクリスト 製作総指揮:トム・ペイツマン、ジュリー・テイモア、トーマス・シューマカー 撮影監督:キャレブ・デシャネル プロダクションデザイン:ジェームズ・チンランド 編集:マーク・リヴォルシー、アダム・ガーステル アニメーションスーパーバイザー:アンドリュー・R・ジョーンズ 視覚効果スーパーバイザー:ロバート・レガト オリジナルソング:ティム・ライス、エルトン・ジョン オリジナルスコア:ハンス・ジマー 2019年8月27日 MOVIX倉敷 ★★★★ 「永遠に僕のもの」 1971年、天使の顔をした殺人犯に世界は発情した。アルゼンチン映画No.1を記録した妖しく美しいクライム青春ムービー。衝撃の実話。 という、煽り文句に全てがある。他にはあまり訴えることはないように思える。こういう少年もいるのだ、ということを映画という圧倒的なリアリティで我々の目の前に提示したかったのだろう。 冒頭の本人の呟き。まだコソ泥を働いていた頃。「僕は自由に生きたいだけだ」「僕は神の使徒(スパイ)だ」。それを観客は、時には否定し、時には誘惑に負けそうになる。登場人物たちが、1人たりとも、アブノーマルな関係を結ばなかったのが、反対にこの作品の意図を明確に示している。つまり、男女問わず、監督は観客を欲情させようとしている。つまらない映画だ。実際の本人は42人も殺しているらしい。一種のサイコパスだろう。 (解説) 1971年のアルゼンチン・ブエノスアイレス。美しい少年カルリートス(ロレンソ・フェロ)は幼いころから他人のものを手に入れたがる性分で、思春期を迎え窃盗が自分の天職だと悟る。新しい学校で出会ったラモン(チノ・ダリン)と意気投合したカルリートスは、二人でさまざまな犯罪に手を染め、やがて殺人を犯す。アルゼンチンの犯罪史に残る連続殺人犯がモデルの主人公をロレンソ・フェロが演じ、『オール・アバウト・マイ・マザー』などのセシリア・ロスらが共演。『トーク・トゥ・ハー』などの監督であるペドロ・アルモドバルがプロデュースを務めた。 2019年8月29日 シネマ・クレール ★★★
2019年09月18日
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8月に観た映画は、8作品でした。2回に分けて紹介します。 「いつのまにか、ここにいる乃Documentaryof木坂46」 撮影は2017年の12月末から。今までのAKBグループのドキュメンタリーとは違い、既に日本を代表するアイドルグループになった後の撮影ということになって、監督も手探り状態。かなり、監督の独白の多いドキュメンタリーだった。気持ちはわかる。アイドルが何故ドキュメンタリーとして絵になるかといえば、普通の少女がアイドルに「変貌」してゆく様が絵になるからである。AKBはそれを最初から最後まで見せるのが、新しい商業スタイルであり、私もそれに魅力を感じていた。 西野七瀬の卒業を軸に、構成していたが、ネームバリュー的にやはり第4期生までいる乃木坂グループの中で、やはり第1期生中心に登場する(与田祐希だけは別)。その中で監督が目をつけたのは、白石ではなく、齋藤飛鳥だった。アイドルグループとして、異様に(でも演技ではなく)仲がいい乃木坂グループなかなかで、1人クールに1人立っている飛鳥の内面まで掘り下げたのが、今回の特徴になっている。二十歳過ぎの普通の女の子であるというのを再確認するドキュメンタリーだった。 私は、やはりAKBの「今」の方が気になる。8年(ユーチューブで見れば12年)リアルタイムで映像で追っかけてきて、女の子たちの変貌がわかるからである。 (解説) 結成から7年目を迎えた2018年9月。22枚目となるシングルの選抜発表の場で、エース西野七瀬の口から自身の卒業が明かされた。いつまでも変わらないと信じていた、しかしいつか失ってしまうとわかっていた、戸惑うメンバーたち。今や自らの予想をはるかに超える人気を獲得し巨大化したアイドルグループ、乃木坂46。その“うねり”の中にいる自分は、はたして何者なのだろうか?エースの卒業をきっかけに自分探しの旅に出る少女たちの心の葛藤と成長をこれまでにない親密な距離感で、物語はつむがれていく。 監督 岩下力 出演 乃木坂46 「愛と青春の旅だち」(午前10時からの映画祭) どうもテレビのロードショーをつまみ食いしていたようだ。映画は、最初から最後まで集中してみないと、その作品の訴えたいことはわからない。 81年卒業生の士官学校の1年間を描く。親の愛をまともに受けていないと勘違いした青い若者が、大人の訓練の中で、仲間と女性への愛に目覚める青春ものである。製紙工場からお姫様抱っこで奪いにくるラストだけが印象的で、シンデレラストーリーのように思っていたし、今でもそう勘違いする中年女性は多いとは思うが、士官学校を出たからといって、それはサクセスストーリーではない。この映画のいくつかの悪いところは、士官学校を出ることが成功だと世の中に勘違いさせたところだろう。 私はこの映画ではなく、この後「フルメタルジャケット」(1987)を観たので、士官学校は実はこんな人間的なところではなく、反対にいかに1年間で人間性をなくさせるところかを知っている。実際そうではないと、人を戦争に送れないのだ。ついていけなければ発狂するしかないのだ。その帰結が沖縄の数多くの事件でもある。 (解説) 士官養成学校生の友情と恋を描くドラマ。製作はマーティン・エルファンド、監督は「アイドルメイカー」(81、日本未公開)のテイラー・ハックフォード。同じような体験を持つダグラス・デイ・スチュアートが脚本を執筆。撮影はドナルド・ソーリン、音楽はジャック・ニッチェが担当している。出演はリチャード・ギア、デブラ・ウィンガー、デイヴィッド・キース、リサ・ブロント、ルイス・ゴセット・ジュニア、リサ・エイルバッチャーなど。1982年作品。 (ストーリー) ワシントン州、シアトル。その日の朝、ザック・メイオ(リチャード・ギア)は、全裸で寝ている父バイロンと娼婦を見ながら、少年時代を思い出していた。海軍の兵曹だった父の不実をなじって母は彼が13歳の時に自殺。ザックは父の駐屯地であるフィリピンにゆき、悲惨な思春期をすごしたのだ。目覚めた父に、彼は子供の頃からの夢だったパイロットになるため、海軍航空士官養成学校に入ると告げると、父は軍隊なんかに入って苦労するのは馬鹿げたことだという。しかし、彼の決意は固く、シアトルの近くにあるレーニエ基地内の学校に入学する。彼を含め34人の士官候補生を待っていたのは訓練教官の黒人軍曹フォーリー(ルイス・ゴセット・ジュニア)のしごきであった。34名の中にはケーシー(ルイス・アイルバッチャー)のような女性もいた。女性を除いて皆丸坊主にされ、ザックはオクラホマ出身の純朴青年シド(デイヴィッド・キース)、妻子持ちの黒人ペリーマンと同じ部屋を割り当てられた。13週に及ぶ過酷な訓練が始まった。フォーリーは皆を徹底して罵倒し、ザックはメイオではなくメイヨネーズとののしられる。4週がすぎ、候補生は市民との懇親パーティーに出席することが許された。フォーリーは「娘たちは士官候補生をひっかけようと狙っているから注意しろ」という。ザックとシドは、パーティーでポーラ(デブラ・ウィンガー)とリネット(リサ・ブロント)と知りあう。彼女らは製紙工場の女工だった。そして何となくザツクとポーラ、シドとリネットのカップルが出来あがった。週末になると2組のカップルはデートした。ポーラはザックの内面の屈折した影が気になりながら、彼を愛するようになる。フォーリーは、仲間と溶けあおうとしないザックを特別しごきにしごき、任意除隊(DOR)を申請せよと迫る。ついに、極限状態に達したザックは「ここ以外に行くところがない」と叫ぶ。それを境にザックは、チームの一員として行動するようになつた。日曜日、ポーラの家に招かれたザックは、彼女の父も士官候補生だったことを聞かされる。ポーラも士官候補生をひっかけ、あわよくば玉の輿を狙っているのかも知れぬと思うザック。ザックは翌日、ポーラがかけてきた電話に出ようとしなかつた。一方、シドはリサから妊娠したと聞かされると、DORを申請。結婚指輪を持ってリサの所へかけつけた。だが、彼女は士官としか結婚しないという。ショックを受けたシドは、モテルに行き、自殺する。シドのDORを受けつけたフォーリーに、ザックは挑戦。2人は凄絶な闘いをくり広げた。やがて、卒業式の日が来た。少尉に任官したかつての候補生1人1人に敬礼するフォーリー軍曹。「君のことは忘れない」と言うザック。彼は製紙工場に入り込むとポーラを抱きあげる。背後で拍手するリサ、ポーラの母親ら。 2019年8月1日 TOHOシネマズ岡南 ★★★★ 「アルキメデスの大戦」 久しぶりに★2つが出た。インタビューを見ると、山崎貴監督はこの作品を反戦映画として認識している。映画を観て、その要素がないどころか、歪んだ歴史認識を植え付ける有害映画としか思えなかった。「永遠の0」の主人公が特攻する前に、原作にはないニヤリと笑う場面を作るなど、この監督の歴史認識には前から疑問を持っていたが、やはりねと思った。 「巨大な戦艦を作れば、それを頼みに戦争に突き進んでしまう」という論理が、9割大手を振るっていて、米国に留学しようとしていた櫂直は取りやめて、戦艦大和の発注のゴマカシを証明しようとする。数字は嘘をつかない。けれども、歴史認識は嘘が大手を振ってきたのが歴史的事実だ。ラストで、櫂直はもう1つ2つの嘘を承認してしまう。それは、この作品自体がその嘘を承認したということだ。それを堂々と作った監督はバカとしか言いようがない。 (ストーリー) 昭和8年(1933年)、第2次世界大戦開戦前の日本。日本帝国海軍の上層部は世界に威厳を示すための超大型戦艦大和の建造に意欲を見せるが、海軍少将の山本五十六は今後の海戦には航空母艦の方が必要だと主張する。進言を無視する軍上層部の動きに危険を感じた山本は、天才数学者・櫂直(菅田将暉)を軍に招き入れる。その狙いは、彼の卓越した数学的能力をもって大和建造にかかる高額の費用を試算し、計画の裏でうごめく軍部の陰謀を暴くことだった。 (キャスト) 菅田将暉、浜辺美波、柄本佑、小林克也、小日向文世、國村隼、橋爪功、田中泯、舘ひろし (スタッフ) 原作:三田紀房 監督・脚本・VFX:山崎貴 音楽:佐藤直紀 製作:市川南 2019年8月1日 TOHOシネマズ岡南 ★★ 「COLD WAR あの歌、2つの心」 久しぶりに★5つ。大傑作というのではなく、好みの問題だと思うのだが。冷戦下の15年の西欧の愛の物語を88分で駆け抜ける。映画マジックだ。冷戦状況を批判する話でもなければ、濃密な男女の心理戦を描く話でもない。その代わり、美しい歌と、美しい映像がある。その行間は、観客が埋めなければならない。ポーランド版テオアンゲロプロスともいえるかもしれない。 パヴリコフスキの膨大な写真展を高速で、バックにドルビーサウンドの音楽を聞きながら、駆け抜けるとこうなるのかもしれない。 「向こう側に行こう。もっと綺麗な処へ」。「浮雲」と重ね合わせた観客が居たが至言である。 (解説) 第71回カンヌ国際映画祭に正式出品され、光と影のコントラストでモノクロなのに鮮烈としか言いようのない映像と、愛し合う男女の引き裂かれてはなお一層求め合う行方の分からないストーリー展開、さらに二人の心情を奏でる音楽が絶賛され、見事監督賞を獲得した2019年最高の話題作が、遂に日本を陶酔させる。 忘れられない歌 「2つの心」があったから…… ポーランド、ベルリン、ユーゴスラビア、パリを舞台に、西と東に揺れ動き、別れと再会を繰り返して15年。過酷だがドラマティックでもあった時代に流されながらも、「黒い瞳を濡らすのは一緒にいられないから」と、愛を知る者なら誰もが魂を揺さぶられる「2つの心」という名曲で結ばれ、互いへの燃え上がる想いだけは貫こうとする二人。民族音楽と民族ダンス、さらにジャズにのせて、髪の毛1本、草の葉1枚、そよぐ風と揺れる水面まで、すべてのショットが私たちの生きる世界はこんなに美しかったのかと教えてくれる映像で綴る、心と五感を刺激する極上のラブストーリー。 2019年8月8日 シネマ・クレール ★★★★★
2019年09月17日
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実は3日間旅をしていました。記事アップは2日ぶり。家を空けるのを大ぴらにしない方がいいのかな、と思うようになりました。ここまでブログをやると、見る人が見れば、もう家を特定できてもおかしくはない、と思ったからです。山大新聞会の同窓会です。なんやかんやあったので、また旅レポートします。ちょっと憂鬱です。新聞会の先輩たち方はみんな、私の文章にダメ出しをする「権利」があるからです。3回ぐらいで毎回長文書いてサッサと終わらそうかと思い始めました。 閑話休題。今月の労組機関紙に連載している映画評です。 「万引き家族」 私は、映画は、だけでなく芸術作品総ては、直に自分の目で見ないと「批評」しないことにしています。絵画もそうですが、映画も直接観ないとわからない事がたくさんあるからです。残念ながら最近、観ないで褒めたり貶したりする人が多すぎる。「主戦場」然り、「従軍慰安婦像」然り。 この映画は、DVで可哀想な少女を貧困家庭の父親と息子がつい拾ってしまう所から始まります。そして、万引きや年金不正受給をしながら、家族みんな幸せに暮らそうとした話です。 カンヌ映画祭パルムドールを獲ったからなのか、家族を非難する炎上騒ぎは起きませんでしたが、本当はこれらは明らかな違法です。可哀想だからといって両親から隠せば誘拐になります。家族をどのように、評価するのか?それは観た者だけが言及する権利を持っています。多分人によって変わると思う。物語の真実は、たいていは揺れて微妙な処にあると、私は思っています。だから、祖母(樹木希林)、夫(リリー・フランキー)、妻(安藤サクラ)、叔母(松岡茉優)、息子?の祥太(城桧吏)そして拾われた少女のゆり(佐々木みゆ)たちは、そういう微妙な監督の要請にきちんと応えて絶妙な演技をしていたと思います。 また彼らは、ちゃんと罪にも向き合っていました(リリー・フランキーだけは疑問符がつきますが)。それだけではない。樹木希林が海を見ていたとき、安藤サクラが「何なんだろうね」と涙を拭ったとき、松岡茉優が無人の引き戸を開けたとき、城桧吏がけじめをつけたとき、佐々木みゆがラスト「外」に何かを見つけたとき、彼らは何かをつかんだような気がします。 あ、それから、日本の貧困に対するセーフティネットの欠如の告発もありました。老人の年金受給が2ヶ月で12万円もない。日雇い労働者が明らかに仕事中事故をしても、労災が下りない。長年勤めている非正規労働者の首切りが平然と行われる。こういう社会ががさりげなく描かれていました。SNSでは「政府から助成金もらっているのに、そんな告発映画作っちゃダメだろ」といっとき話題になりました。「忖度」意識も極まれりですね。改めて言いますが、そんなことをいう若者(だけじゃなく大人も大勢いるけど)の殆どは、作品を実際に観ずに言っています。映画の批判は、作品を観てからにすべきです。 (2018年監督・脚本・編集:是枝裕和作品、レンタル可能)
2019年09月16日
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「KOKKO第36号」日本国家公務員労働組合連合会 特集の「労働組合はSNSで運動できるか」に興味を覚え、わざわざ取り寄せました。労働組合をNPO団体に換えれば、現在私が参加している団体&サークルでも、そのまま活用できるのではないか、と目論んだからです。 座談会の司会者を務めていて、本雑誌の編集者の井上伸氏は、私はFacebookもフォローしているが、労働問題の労働状態分析のエキスパートで、一時期ヤフニュースの個人オーサーをしていた時には常に労働問題では上位アクセスを稼いでいた。彼が作るグラフや表には、滅多にマスメディアに載らない視点に溢れていて、いつも目を覚まされる。 マスメディアに載らないけれども、どうやって運動を作っていくか(特定の人や世の中に認知されるか)、ずっと試行錯誤を繰り返してきた彼だからこそのノウハウや問題意識があるのではないかと期待したわけです。 先ずは「サルでもわかる」と副題をつけたらいいかと思われるような資料「国公労連版SNS活用のススメ」がオススメです。特にNPO団体には、「いいとわかってんだけど、やり方がわからん」「炎上とか怖いんじゃないの」というお年寄りが大勢いらっしゃる。その方達に向けて、親切丁寧に書いている。私は第2部「SNS実践編」で、いくつか参考になるところがあった。その更に実践編が、座談会である。東京と地方では全く状況が違うのではあるが、やってみなくちゃわかんないところもある。 面白かった。
2019年09月13日
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ビッグイシュー366号ゲット! 特集は「プラスティック革命」。リード文は以下の通り。 2050年、海の中のプラスチックの量は重さで魚の量を超える、との試算がある。 1950年頃からのバージンプラスチックの生産量は約83億トン、うちリサイクルされたのは1割弱。今も毎年900万トン以上が海に流れ着き、5ミリ以下のマイクロプラスチックとなって魚などの体内に取り込まれ、生態系の連鎖が始まっている。 ようやく各国が「使い捨てプラスチック使用禁止」に取り組み、欧州などではプラスチックごみを資源化、再循環させる「サーキュラー・エコノミー」への産業政策が加速している。 環境ジャーナリストの枝廣淳子さん(幸せ経済社会研究所)、徳島県上勝町でごみのリサイクル率8割以上を実現した「NPO法人 ゼロ・ウェイストアカデミー」の坂野晶さん、プラスチックごみを分子レベルに戻して再資源化する「日本環境設計」の岩元美智彦さんに取材した。 プラスチックごみの環境流出を防ぎ、再資源化する「サーキュラー・エコノミー」への動きに注目し、市民ができることを考えたい。 プラスティックの海汚染は、今はなき「DAYS JAPAN」の中で、海鳥の腹いっぱいにプラスティックが詰まっていたという衝撃的な写真を見てから、やっと私も意識するようになった。海汚染は待った無しの状況になっている。 ショックなのは、「容器包装プラスティックの廃棄量」の一人あたりの量は、約35キロで、世界の中で、米国に次いで2位だったということだ。あと、EU、中国、インドと続く。これは、国民の意識の問題だと思う。 リサイクル技術の解説があったのだが、今ひとつよく分からなかった。勉強が必要かもしれない。 スペシャルインタビューは、クリスチャン・ベールだった。あの、カメレオン俳優だ。 2013年 アメリカン・ハッスル 2012年 ダークナイト ライジング 2010年 ザ・ファイター 2009年 パブリック・エネミーズ 2009年 ターミネーター4 2008年 ダークナイト 2007年 3時10分、決断のとき 2007年 アイム・ノット・ゼア 2006年 プレステージ(2006) 2005年 ニュー・ワールド 2005年 バットマン ビギンズ 2004年 マシニスト 「バッドマン」の時以外、あまり印象にないのは、彼の本当の顔がよくわかっていないからかもしれない。 今年春に公開された『バイス』で恰幅のよいチェイニー元米国副大統領を演じたクリスチャン・ベールが、今作『荒野の誓い』では西部劇の伝説的陸軍大尉に“変貌”を遂げた。らしい。「白人とアメリカ・インディアンたちの和解を描くこの作品は、分断の広がる今日の世界で大きな示唆を与えてくれます。」とのことである。西部劇だと思っていたら全く違うみたい。見ておきたい。
2019年09月11日
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『「坊ちゃん」の時代』関川夏央 谷口ジロー アクションコミックス 思うところがあって、再読した。再読、再々読、再々再読に耐え得る漫画は少ない。その数少ない作品のひとつ。その度にもちろん発見がある。 ほぼ20年ぶりに読んだ。その間、私も経験をつんできた。p66の明治38年東京の街並みの風景。千駄木の漱石邸から東京帝国大学まで2キロほど歩いて通ったらしいが、私も2年前たまたま歩いて踏破した。確かに歩いて通えないことはない距離だ。約10人の群衆の中に1人洋装の紳士(漱石)、あとは車夫の2人、和服の侠客1人、和服の婦人3人、屋台の親父、和服の子供2人。本瓦の二階建て土蔵造の商家、後ろに晩鐘が見える。谷口ジローの誠実な仕事は驚くばかりだ。この時は際物扱いの連載だった。ここまで丁寧に描く必要はどこにも無かったのである。編集者も原作者も全5巻の長編になることなど考えもしていなかった。第2回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞。 この20年間に、私は本郷区丸山福山町の元樋口一葉が居たという長屋のあった階段を眺めたことがある。本書には、その同じ風景に、漱石と森鴎外、そして森田草平、平塚明子(らいてう)を配している。もちろん創作ではあるが、そんなこともあってもいいではないか、と思わせるのが「画」の力である。 漱石は、「坊ちゃん」のモデルとなったという車夫(坊ちゃん)と侠客(山嵐)、警視庁警視(赤シャツ)を思いつき、森田草平(うらなり)、山縣有朋(校長)、桂太郎(野だいこ)、平塚らいてう(マドンナ)などをモデルにして坊ちゃんを創作した、と関川は創作した。そうすることで、「坊ちゃん」が単なる痛快活劇ではなく、鬱々たる気持ちに居た漱石から見た明治の姿だったのだと世に問うた。思うに名作である。 赤シャツと野だいこは中学校すなわち日本そのものを牛耳りつづけるだろう。 坊ちゃんも山嵐も敗れたのだーしかし 坊ちゃんには帰るべきところがあった それは清のいる家、すなわち反近代の精神のありかであった (p238) 名作は1巻目までだった覚えがある。そのあとは、力作だが、冗長になった。
2019年09月10日
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「亡き人へのレクイエム」池内紀 みすず書房 ドイツ文学者・エッセイストの池内紀氏が8月30日に亡くなった。78歳。膨大な著作のほとんどに、私は接していないが、晩年の2つの仕事を読んで私は深く感銘を受けたので、残念でならない。ただ、近年次々と刊行された著作ラインナップを見ると、この数年間死への仕度をしてきたようにしか見えない。 森鴎外『椋鳥通信(上・中・下)』(2014-15)は、鴎外全集の中でも際物に扱われていた20世紀初頭の何処よりも速い西洋ゴシップ記事レポートを、あまりにも詳細な注解を付して立体的に提示したものだ。鴎外研究にも大きく与するはずだが、第1次世界大戦前のヨーロッパを、我々がインターネットで知るかのように見せてくれるという意味でとっても面白い著作だった。またその後に、しばらく絶版だった池内最初の訳書であるカール・クラウス『人類最期の日々(上・下)』(2016)も再発行された。正に第1次世界大戦下の、直ぐに勝利のうちに終わるだろうと思っていたドイツ国民を、政治家・庶民まるごと「同時進行で」劇化した大作である。これを留学生だった池内紀氏が翻訳し、そして現代に再度問うたことに、池内氏の企みがある。高価なこともあり、おそらくほとんど売れていないはずだが、これらの仕事は後世必ず評価されると思う。 そして今年は、亡くなる直前に『ヒトラーの時代 ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか』という現代日本を見据えた評論を出している。 文章の振り幅は、ドイツ文学に偏らず森羅万象に及び、現代日本については批判的で、正に日本を代表する知識人の一人だったと思う。 長い前振りだった。本書を紐解く。2016年発行。21世紀を迎えて以降の、様々な知り合いの追悼文や思い出話に、「死について」の短文を添えて書き遺している。森浩一、北原亞以子、森毅、小沢昭一、米原万里、児玉清、高峰秀子等々、私の知っている者だけさっと読んだが、長い間常連役をしていたラジオ番組「日曜喫茶室」への歯に衣を着せぬ批評など、辛口であることを意外に思った。けど、亡くなった人への評価は愛がありやさしい。そして自らの死期を悟って書いているのかまったく不明ではあるが、「自分の死を他人にゆだねない」と自らの尊厳と自由をかけて宣言している。思うに、根っからの西欧的知識人かつ自由人だった。
2019年09月09日
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赤旗(19.08.28)が「表現の不自由展」で中止に追い込まれた「平和の少女像」の作者キム・ソギョンさん キム・ウンソンさんのインタビューを掲載している。 この前、私が書いていることを裏付ける記事であるばかりではなく、大事なことも言っていた。詳しくは実際に読んで欲しいのだけど、該当箇所をコピペして、のちに私の意見を述べる。 金学順(キム・ハクスン)さんが実名を公表し、被害を告発したのは1991年8月でした。その時、私たちは、その事実に心を痛めつつも、被害者がいて加害者もはっきりしている、解決はそう遠くないだろうと考えていました。 しかし2011年1月、水曜集会に遭遇しました。まだ解決していなかったのかという驚きと、そのことを知らなかったという申し訳なさが募りました。集会の主催団体を探し訪ねると、支援者から寄付を募り「平和の碑」建立プロジェクトが進行中で、芸術家としてできることをやろうと決意しました。 再展示求める声に希望 芸術家たちの表現の自由が守られることは民主主義の基本です。「表現の不自由展」で、少女像が最後まで展示することができれば、日本に民主主義があるということが証明されると考えていましたが、そうはなりませんでした。 短い時間でしたが、私が会場にいて感じたのは、日本の市民の成熟した姿勢です。 説明を熱心に読みメモをとる人や、ハルモニたちの境遇を思って涙しながら鑑賞する人もいました。多くの人から「展示してくれてありがとう」「反日の象徴だと誤解していた」と声をかけられました。中断している「不自由展」の再開を求め行動する市民もいて、被害者の人権を無視している安倍政権とは違うと感じ、本当にうれしく思いました。 反日ではなく共感 少女像の隣には誰も座っていない椅子を置きました。亡くなったハルモニたちが隣で見守っているよ、という意味があります。そして通りかかった人が、なぜここに椅子があるのかと考え、座って少女像の手を握り、ハルモニが夢見る平和を想像したとき、この作品は完成します。 実際に作品を見た人が「反日の象徴だと誤解していた」と感想を言ったことは重要である。少女像は貴方を嫌っているのではない。「私を知って」と願っているのだ。 「反日ではなく共感」の小見出し通りである。 「 芸術家たちの表現の自由が守られることは民主主義の基本です。「表現の不自由展」で、少女像が最後まで展示することができれば、日本に民主主義があるということが証明されると考えていましたが、そうはなりませんでした。」 ホントにそうだったと思う。反対に言えば、現代日本は民主主義の基本が損なわれていることを明確に自覚しなければならないということだ。ある程度は「そうではないかな」とは思っていたが、結果をこのように示されると少なからずショックだ。普通理系ではなく社会系のことは、リトマス試験紙みたいなもので検証することは不可能だが、これはそれが出来たということだろう。 日本は表現の自由が守られていない、民主主義実現未満の国である。 私たちは、この認識をしながら生活をしなくてはならない。
2019年09月08日
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丸善のPR誌「本標(ほんのしるべ)」9月号が上梓された。ウェブ版で拝見した。 表紙は今回は、マレーシアのコタキナバル(ボルネオ島最大の都市で約55万人)のタイヤングエンタープライズという本屋さんだ。この街で1番大きな本屋らしい。何か、日本の昔からある町の本屋さんの雰囲気。二階建てで、一階は新聞、雑誌、書籍(実用書・料理書などが中心)、二階はコミック、参考書など。お母さんが教育熱心でよく売れるらしい。でも、これがホントに都市1番の本屋なのか?小説や専門書は?でも、これが現代のマレーシアの文化的水準なのかもしれない。 巻頭書評は、この前読んだ「生き物の死にざま」だった。次は、「菌は語る」星野保 春秋社。文章の面白さが冴え渡っているらしい。興味深いのは、「仮病の見抜き方」國松淳和 金原出版。なんと専門医が「医療現場を取り巻く嘘と偽りを小説という形で表現」したのだそうだ。普通は本屋の専門書コーナーにあるらしい。これは読んでみなくては!
2019年09月07日
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「蜜蜂と遠雷(上)」恩田陸 幻冬舎文庫 「おたくの業界(クラシックピアノの世界)とうちの業界(文芸業界)は似てるよね」と、開始早々、芳ヶ江国際ピアノコンクール審査員の三枝子の友人、ミステリ作家真弓は言った。コンクールの乱立と新人賞の乱立、どちらも斜陽産業、普段は地味にこもって練習したり、原稿を書いたりしている。 「コストが違うわよ」三枝子は反駁する。ピアノは金がかかるのだ。 でも、「世界中何処に行っても、音楽は通じる」そこは、作家は羨ましそうに三枝子に云う。おそらくこれきりの登場だったと思うが、真弓は作者の分身である。 そう!だから恩田陸という作家は言葉を使って「言葉の壁を越えて、感動を共有する」場面をつくるという無謀な試みに足を踏み入れたのかもしれない。言葉にならない感動を、言葉を使って表現する。でも考えれば、それは古(いにしえ)から文学が試みてきたことでもある。 ーーー結局、誰もが「あの瞬間」を求めている。いったん「あの瞬間」を味わってしまったら、その歓びから逃れることはできない。(25p) 風間塵、栄伝亜夜、高島明石、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール。4人の紡ぐ音が非凡なこと、そして個性的なことは、読むだけで明確にわかった。 でも、それがホントはどんな音なのか、ましてや「あの瞬間」を私は味わう事が出来るのか?筋金入りの音オンチの私は全然イメージできなかった。でも、努力はしようと思う。幸いにも、図書館ウェブサイトの提供で「蜂蜜と遠雷」関連の曲集を見つけた。下巻に取り組むまでに、ちょっと練習してみようと思う。
2019年09月06日
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「図書 2019年09月号」岩波書店 非常に気がかりな事が書いてあった。掲載文章のことではない。巻末の編集後記「こぼればなし」のことである。KADOKAWAのPR誌「本の旅人」の休刊に関して述べて、「PR誌のあり方も変化していくのが趨勢」と述べているのである。 かつては広告媒体も新聞や雑誌に限られていて、そのメディアの多くが書籍の読者と重なっていた。しかし、それらの読者の減少が続いている。他方SNSで発信された、ある個人の「つぶやき」がベストセラーをもたらすことも、もはや特別な風景ではなくなってきている、とこの編集子は認識している。 ただ一方で、電子書籍が紙媒体を近いうちに駆逐すると思われていた米国でも、紙への回帰と見られる現象があるらしい。 だから、「本の旅人」の休刊に伴って、PR機能は文芸情報サイトへ、連載媒体は既刊雑誌や電子雑誌へ移行するのは、単純に「紙vs.デジタル」といった構造ではないだろうと分析する。 「PR誌のあり方も、PRの方法にあわせた最適なものが考えられてゆくことになるのでしょう」と編集子は結ぶ。素直に読めば、「図書」の休刊を模索しているとしか思えない。止めて欲しい。この形態だから、気軽に読めるのである。書き手も、此処だから書けることを書いてきたのだと、私は想像する。 巻頭の伊東光晴氏の「私にとっての加藤周一」もそうだ。一見、鷲巣力『加藤周一はいかにして「加藤周一」になったか』の書評の体裁をとりながら、明らかに、新しい加藤周一評伝の新材料を提供する貴重な論文になっている。どこかの雑誌が加藤周一特集を組まない限りは、決して書かれることのなかった論文である。加藤周一ファンの私としては、とても参考になる論文だった。6月号の朝日まかて氏の「富嶽三十六景」論もとても参考になったし、2018年12月号の加藤周一の娘さんの寄稿は、とてもびっくりしたし、貴重なものだった。 休刊が私の杞憂であることを願います。
2019年09月04日
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「特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスルー(ノーベル文学賞受賞記念講演)」カズオ・イシグロ 土屋政雄訳 極めて明確に、簡潔に、美しく、イギリスの地で創作を開始した日本人の血を持つ作家が、半生を語った。ノーベル文学賞受賞記念講演。 始まりの2冊は日本を舞台にした英語の文学だった。次は、きわめてイギリス的な話なのに、世界的な世界観を描いた。らしい。 私はカズオ・イシグロの小説は読むまいとしてきた。人生は短く、読まなければならない本ははるかに多い。読み始めたならば、一冊だけで済むとは思えなかった。ただ、この小さな講演記録文章によって、世界基準とも言えるかもしれない文学を見渡す地図を貰った気がした。「遠い山なみの光」と「日の名残り」と「わたしを離さないで」を読んでもいいかもしれないと思い始めている。 最後に一つの呼びかけをー僭越ながらノーベル賞受賞者からの呼びかけをーお許しください。この世界の全体を正すことは困難です。ならば、せめて本を読み、書き、出版し、推薦し、批判し、授賞しつづけられるよう、私たちの住むこの「文学」という小さな一角だけでも、維持発展させていきましょう。不確かな未来に私たちが何か意味ある役割を果たしていくつもりならー今日と明日の作家から、それぞれのベストを引き出そうと願うならー私たちはもっと多様にならなければなりません。(95p) 「この世界」をどう見るのか、なぜ「全体を正すことは困難」なのか、「多様」とは何なのか、は此処に簡潔に語られている。
2019年09月03日
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「北斎 富嶽三十六景」日野原健司編 岩波文庫 「どうだ、面白ぇか。え、こっちはどうだ」と、北斎の娘、葛飾応為を描いた朝井まかてさんがこの三十六景の北斎の「企み」を説明していた(「図書2019年6月号」)。「これは活き活きと自由に虚構を用いた、壮大な物語なのではないか」。私も今回初めて全ての作品を一覧してまかてさんの説に同意する。 例えば「深川万年橋下」。大勢の人々が行き交う万年橋を真正面に捉え、その先に隅田川、対岸には武家屋敷、橋の下のに富士山を置く。けれども、実際には橋の下の富士山を眺めるのは角度的に無理なのだ。構図的には、透視図法で両岸を描き、画面いっぱいに弧を描く万年橋。しかも中央に富士山を配置せずに、やや左にずらして、しばらく絵を眺めさせて発見させる。技巧を凝らし嘘をつき、何かの「夢」を見させる。見事である。「東海道吉田」の富士見茶屋の富士山も、あんなに見事には見えないらしい。承知で描いているのである。 「三十六景」と言えば、「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」ばかりが表に出てくるが、やはり「観た」というならばひと通り観なくては、北斎のたくらみには乗れない。文庫本は小さいし、真ん中で改貢のために絵が切れてしまうし、色も正確とは限らない。でも、ホンモノを全部実際に観るのは、現代日本では夢物語なのだから、私はこの夏ゆっくりと手元に持って愛でて、日本美術の教養を堪能した。
2019年09月02日
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「100分de名著 小松左京スペシャル」宮崎哲弥 NHK出版 実は久しぶりに買って読んでみて、なおかつ録画していた番組も100分視聴したのであるが、遥かに宮崎哲弥の文章よりも、NHKの番組の方が良かった。プロの俳優の朗読や、アニメ化された作品の方が多くを語ってくれた。宮崎の文章は、新たな知見も多かったが、それ以上のものではなく、かえって内容を難しくするだけの知識の羅列であり、役には立たなかった。 素晴らしかったのは、改めて小松左京を思い出したことだ。高校生だった私に、世界(日本を含めた宇宙)を見ろ、未来を想像しろ、と促した恩人だったと思い出した(新書「未来の思想」)。SFというものを知らしめてくれた人だった(「果てしなき流れの果てに」)。 「地には平和を」(1963)は、偶然にも最近読んだ本と関係があった。『日本のいちばん長い日』の1945年8月15日のクーデターが「成功していた場合」どういうことが起きるのか、という問いかけだった。これがコンピュータ付きブルドーザーと言われた小松左京の実質デビュー作であり、やはり彼の膨大な著作の原点だったのだ。 「地には平和を」で、歴史の改変を行ったキタ博士は、タイムパトロールにこのように反駁する。 「悲惨だと?」「悲惨でない歴史があるか?問題はその悲惨さを通じて、人類が何をかち得るかということだ」「20世紀が後代の歴史に及ぼした最も大きな影響は、その中途半端さだった。世界史的規模における日和見主義だった」「日本の場合、終戦の詔勅一本で、突然お手上げした。その結果、戦後彼らが手に入れたものは何だったのか?20年を待たずして空文化してしまった平和憲法だ!」(24p) この「戦後」に対する明確な違和感。これが小松左京の出発点だった。 「日本沈没」(1973)は、高度成長期の終わりに、もう一度それを壮大なシュミレーションSFとして作ったものである。 「ゴルディアスの結び目」(1977)は、左京の思想の影響を与えたダンテ「神曲」の小松版地獄編である。 その地獄編を更に進めた未完「虚無回廊」(2000)。 未来を想像し、創造しようとした小松左京が、阪神大震災のルポを書いている途中に神経をやられて休筆し、東日本大震災で混乱している2011年の半ばに亡くなったことを知った。"未来"が彼を殺したのか?絵に描いたようなSF人生だったと思う。
2019年09月01日
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「意外と知らない岡山県の歴史を読み解く!岡山「地理・地名・地図」の謎」柴田一(しばたはじめ) 実業之日本社 岡山大水害から1年。本屋で手に取りパラパラめくると『「晴れの国」はとてつもなく雨に弱い「水害の国」でもあった!』という小見出し以下の文章が目に付いた。予言的である。発行は2014年。18年大水害の4年前である。 去年まで岡山県民はみんな、「(岡山県は)晴れの国」と思っていた。雨が少なく温暖、災害も少ない。震度4の地震なんて数十年に一度だ。台風はずっと直撃が無かった。ところが、実は一旦大雨が降れば大きな被害が出る、(この時まで)水害被害額全国第6位の大雨弱小県だったのである。これは、近世の岡山平野の出来方に原因がある。ほとんど干拓によって平野を作ったのだ。標高ゼロメートル地帯が230平方キロにもおよび、なおかつ天井川が多い。18年の時に町ごと水没した真備の小田川も天井川だった。しかも「小田川の流れは昔は逆だった」と、私も知らなかったことを書いていた。広島県福山側に流れていたのだが、当時の福山藩主が洪水を防ぐために井原で逆にしたらしい。ところが、大きな工事だったはずなのに、一切記録がないという。岡山県最大の謎と書いている。しかも、これがなければ小田川の氾濫は起きなかったのである。これは、小説にしても面白い謎だろう。 このような「謎」或いは「トリビアな情報」が、なんと70以上も綴られている。著者は高校教師、博物館学芸員、大学教授、名誉教授等々の来歴。かなりの勉強家なのだろう。惜しむらくは、ひとつひとつのエピソードの原因の掘り下げ、なおかつ問題点の掘り下げが、ページ数の関係から無いこと。岡山県在住の学生・研究者は、是非ともここに提示されている「不思議な出来事」を探って欲しいと思った。 素人の私は、私で、地道にやっていきます。
2019年08月31日
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後半の3作品を紹介します。「天気の子」伏線回収の前回の成功体験はバッサリやめて、分かり易い話にしなかった、新海誠監督の勇気を先ずは讃えたい。「岡山の人間にとって、あのラストに不快感を持つ」という人がいたならば、たかだか100年の岡山を知らない人間が何を言っているの。江戸時代以前は、岡山市倉敷市のほとんどは海の中だったんだよ、と言ってあげたい。そして吉備女性が龍神を治めて、その神の系統が天皇の世紀を作ったんだって、私の持論を言ってあげたい(笑)。え、そんなアニメじゃないって。まぁそうだけど。単に監督の天気論の話かなと、心配していたけど、エコロジー文明論で武装していた宮崎駿とは全く別系統の世界観を持ったスケールの大きい話を描ける人だと分かってよかった。次回を期待したい。STORY高校1年生の夏、帆高は離島から逃げ出して東京に行くが、暮らしに困ってうさんくさいオカルト雑誌のライターの仕事を見つける。雨が降り続くある日、帆高は弟と二人で生活している陽菜という不思議な能力を持つ少女と出会う。キャスト(声の出演)、醍醐虎汰朗、森七菜、本田翼、吉柳咲良、平泉成、梶裕貴、倍賞千恵子、小栗旬スタッフ原作・脚本・監督:新海誠音楽:RADWIMPSキャラクターデザイン:田中将賀作画監督:田村篤美術監督:滝口比呂志演出:徳野悠我、居村健治CGチーフ:竹内良貴撮影監督:津田涼介助監督:三木陽子音響監督:山田陽音響効果:森川永子製作:市川南、川口典孝企画・プロデュース:川村元気エグゼクティブプロデューサー:古澤佳寛プロデューサー:岡村和佳菜、伊藤絹恵音楽プロデューサー:成川沙世子2019年7月25日MOVIX倉敷★★★★「アマンダと僕」観る前の目論見とは違っていた。「大切な姉を失った青年ダヴィッドは、母を亡くしひとりぼっちになった姪アマンダの世話を引き受けることに」という設定は知っていたので、青年の子育て奮闘記と思っていた。そうではなかった。突然の「事件」によって失われた心を、おじ姪によっていかに回復していくかの物語だった。「事件」に至るまで全体の1/3を使う。異例の長さである。それも「事件」のせいだとも言えなくもない。アマンダは強かった。それは不思議ではない。ただ、青年にとってはラッキーだったかもしれない。最初の頃は、要らない映像が多くて退屈だった。「事件」の後は、見事にそれがなくなる。「事件」は国際的なことであり、フランス人にとっても我々にとっても未知の出来事だから、同じ土俵に立っていたからかもしれない。だとすると、前半のた退屈はもしかしたら意味ある映像だったのかもしれない。最後は、アマンダのアップを見ていて、この姪を引き取って一緒に暮らしてもいいな、と思うようになった。映画の力だと思う。(解説)夏の日差し溢れるパリ。便利屋業として働く青年ダヴィッドは、パリにやってきた美しい女性レナと出会い、恋に落ちる。 穏やかで幸せな生活を送っていたが―― 突然の悲劇で大切な姉が亡くなり、ダヴィッドは悲しみに暮れる。そして彼は、身寄りがなくひとりぼっちになってしまった姪アマンダの世話を引き受けることになる…。悲しみは消えないが、それでも必死に逞しく生きようとするアマンダと共に過ごすことで、ダヴィッドは次第に自分を取り戻していく――。愛する人を奪われ遺された人たちは、どのように折り合いをつけながらその先の人生を生きていくのか。その一つの答えを、本作は青年と少女にとことん寄り添い映し出す。そして、今もなお傷を抱えた、現在のパリの社会情勢が垣間見える。あの頃にはもう二度と戻れないが、この映画は誰かの存在によって、悲しみはきっと乗り越えられるということを教えてくれる。希望の光が差し込むラストは、観客を大きな感動に包み込む。「傑作!人間が立ち直る力を、静かに感動的に祝福している」(ハリウッド・リポーター)、「深く胸を打つ。過剰に演出することなく人物を輝かせた、まさに完璧な映画!」(フィガロ)など、ふたりの強い絆を世界中が大絶賛!さらに、第31回東京国際映画祭では、審査員の満場一致でグランプリと最優秀脚本賞W受賞の快挙を成し遂げた。メガホンを執ったのは、本作が初の日本劇場公開作となるミカエル・アース監督。画面に映る繊細で優しい眼差しが、多くの人々の心を掴み離さないでいる。主演は、フランスで主演作が立て続けに公開され、いま最も旬で引く手あまたの若手俳優 ヴァンサン・ラコスト。戸惑いながらもアマンダに向き合おうとする、心優しい青年を瑞々しく演じている。姪のアマンダ役は、奇跡の新星イゾール・ミュルトリエ。自然な演技を求めた監督が見出し、初演技とは思えぬ存在感を放つ。子どもらしさと大人っぽい表情の両面を兼ね備えており、観る者を釘付けにする。さらに『グッバイ・ゴダール!』でジャン=リュック・ゴダールのミューズであったアンヌ・ヴィアゼムスキー役が記憶に新しいステイシー・マーティン、『グッドモーニング・バビロン!』『ザ・プレイヤー』 のグレタ・スカッキなど実力派が脇を固めている。2019年7月28日シネマ・クレール★★★★「駄菓子屋小春」悪役俳優の八名信夫さんが、熊本地震復興の為に監督・脚本・製作・主演した映画。地上げ屋と戦う駄菓子屋の春さんを助ける植木屋職人を演じる。6人の役者以外は地元の素人を使った。ストーリーは、ほとんど昭和の任侠映画から借りてきたようなものだったが、舞台はまだ震災傷跡生々しい熊本の街を使い、その中でサークル活動で頑張る地元の人の活動をドキュメンタリーとして挿入するなど、ユニークなつくりを持つ。素人の割には、何人かは達者な演技をしていた。ラストの不知火の海をバックに熊本三味線で盛り上がり、リュウさんが(ガンを患っているので)死んだように眠っているシーンはよくできていた。なんと2日がかりで撮ったらしい。八名信夫さんが岡山出身で空襲に遭っていたとは知らなかった。2019年7月28日灘崎文化センター★★★
2019年08月30日
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昨日は観た映画は9作品と書きましたが、ひとつ見落としていました。よって、今日は一つ増やして4作品を紹介します。『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』 今回のテーマは、ヒーローの目覚め、かと思っていたら、それはフェイクで、実はフェイクを見破れ、だった。という話。でも、あんなんやられたら、全部フェイクで出来ちゃうじゃん!MJ凛々しくて好きです!STORY高校生のピーター・パーカー(トム・ホランド)は夏休みを迎え、親友のネッド(ジェイコブ・バタロン)やMJ(ゼンデイヤ)たちとヨーロッパへ旅行に行く。ところが、ピーターの前にS.H.I.E.L.D.の長官ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)が現れ、彼にある任務を与える。キャストトム・ホランド、サミュエル・L・ジャクソン、ゼンデイヤ、コビー・スマルダーズ、ジョン・ファヴロー、J・B・スムーヴ、ジェイコブ・バタロン、マーティン・スター、マリサ・トメイ、ジェイク・ギレンホール、スタッフ監督:ジョン・ワッツ脚本:クリス・マッケナ、エリック・ソマーズマーベルコミックブック原作:スタン・リー、スティーヴ・ディッコ2019年7月8日MOVIX倉敷「僕たちは希望という名の列車に乗った」戦争時における「抵抗」の話ではないと思う。これは、人生に何回か訪れるはずの「岐路」に当たった若者の「選択」の話だ。ただ、これが凄いのが、「選択」に国家が介入していることと、「選択」が続けざまに2回や3回ではなく、人によれば4回も5回も起きたことだ。その1つ1つで、彼らは間違いもあったが、基本的に誠実に向きがあった。その知性と勇気は、「事実に基づく話」であるだけに、我々を驚かす。(解説)すべては、たった2分間の黙祷から始まった――なぜ18歳の若者たちは国家を敵に回してしまったのか?ベルリンの壁建設の5年前に旧東ドイツで起こった衝撃と感動の実話1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、列車に乗って訪れた西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を目の当たりにする。クラスの中心的な存在であるふたりは、級友たちに呼びかけて授業中に2分間の黙祷を実行した。それは自由を求めるハンガリー市民に共感した彼らの純粋な哀悼だったが、ソ連の影響下に置かれた東ドイツでは“社会主義国家への反逆”と見なされる行為だった。やがて調査に乗り出した当局から、一週間以内に首謀者を告げるよう宣告された生徒たちは、人生そのものに関わる重大な選択を迫られる。大切な仲間を密告してエリートへの階段を上がるのか、それとも信念を貫いて大学進学を諦め、労働者として生きる道を選ぶのか……。新たな実話映画に挑んだラース・クラウメ監督のもとにドイツの若手有望株と実力派キャストが結集!監督は、ナチスによる戦争犯罪の追及に執念を燃やした孤高の検事フリッツ・バウアーにスポットを当て、ドイツ映画賞6部門を制した『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(16)の気鋭ラース・クラウメ。原作者ディートリッヒ・ガルスカ自身の実体験を綴ったノンフィクションを、緻密なリサーチで迫真のサスペンスと繊細にして深みのある感動のドラマとして描き上げた。また、注目すべきは本作のために発掘された新人俳優たちのフレッシュな魅力。そして過去の戦争や悲劇的な事実を語ることができない親たちの愛と葛藤を体現するのは、『東ベルリンから来た女』のロナルト・ツェアフェルトら旧東ドイツ出身の実力派キャストたち。無意識のうちに政治的タブーを犯してしまった若者たちが、仲間との友情や恋を育みながら、あるときはまっすぐに主張をぶつけ合い、人間として正しきこととは何かをひたむきに模索していく姿は観る者の心を強く揺さぶる。過酷な現実にさらされた彼らの、人生のすべてを懸けた決断とは?希望を追い求めた若者たちの“小さな革命”を未来へと続く“列車”とともに描き上げた感動の実録青春映画!2019年7月9日シネマ・クレール★★★★「誰もがそれを知っている」ファルハディ監督の緻密な作風とは到底思えない。ありふれたストーリーだった。(以下、ストーリーの核心には触れないが、重要なヒントを呟きます)それでは。ラウラは、そしてその家族は、直ぐに警察に知らせる事をしなかった。それは、みんな過去に脛に傷持つからだとずっと思っていた。そうなるように、わざわざ秘密の匂いのするカルメン誘拐事件の切り抜きを置いて行く。この事件が今回の事件に絡んでいるのだとずっと思っていた。ところが、それは単なる警察通報をためらせるための小道具だった。それならば、もっと他にやりかたがある。また、いかにも何か匂わすように時計塔の屋根裏が使われる。それもフェイクだった。それを覆すストーリーがあるのならばいいしかし無かった。ガッカリである。2019年7月14日シネマ・クレール★★★「トイ・ストーリー4」初めて眠らず最後まで観れた。きちんと完結した。(STORY)ある日ボニーは、幼稚園の工作で作ったお手製のおもちゃのフォーキーを家に持って帰る。カウボーイ人形のウッディが、おもちゃの仲間たちにフォーキーを現在のボニーの一番のお気に入りだと紹介。だが、自分をゴミだと思ってしまったフォーキーはゴミ箱が似合いの場所だと部屋から逃亡し、ウッディは後を追い掛ける。キャスト(声の出演)、トム・ハンクス、ティム・アレン、アニー・ポッツ、トニー・ヘイル、クリスティナ・ヘンドリックス、キーガン=マイケル・キー、ジョーダン・ピール、キアヌ・リーヴス、アリー・マキ、ジョン・キューザック、ウォーレス・ショーン、ジョン・ラッツェンバーガー、ジム・ヴァーニー、ドン・リックルズ、エステル・ハリス、(日本語吹き替え)、唐沢寿明、所ジョージ、戸田恵子、竜星涼、新木優子、松尾駿、長田庄平、森川智之、竹内順子、日下由美、三ツ矢雄二、咲野俊介、辻親八、辻萬長、松金よね子スタッフ監督:ジョシュ・クーリー脚本:ステファニー・フォルソム脚本・製作総指揮:アンドリュー・スタントン製作:ジョナス・リヴェラ、マーク・ニールセン製作総指揮:ピート・ドクタースーパーバイジングディレクター:ボブ・モイヤー2019年7月22日MOVIX倉敷★★★★
2019年08月28日
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遅まきながら7月に観た映画は9作品でした。3回に分けて紹介します。特に、映画の日に一日で三作品を観たこれは、後々に尾をひくいずれも力作でした。「日本のいちばん長い日」(午前10時からの映画祭)原田眞人監督のそれと、ここまで違う作品だったとは思わなかった。こちらの方は、阿南陸相(三船敏郎)はあくまでも最後まで本土決戦を主張する冷静な軍人として描き、新作の天皇と鈴木首相との阿吽の呼吸で終戦に導いたという説を取らない。松坂桃李の畑中も狂気を出していたが、この作品の黒沢年雄のそれとは全然違う。岡本版は、あくまでも15日真夜中から明け方までの近衛兵の暴走に力点があった。だから民間兵の狂気とも言える挙兵や14日深夜の背後の特効に力点を置く。原田版は終戦の意味に力点があったようだ。原作も読んで、新作ももう一回観て見比べなくてはならないと思った。(解説)大宅壮一名義(実際の著者は当時編集者だった半藤一利)で当時の政治家宮内省関係、元軍人や民間人から収録した実話を編集した同名原作(文芸春秋社刊)を、「上意討ち -拝領妻始末-」の橋本忍が脚色し、「殺人狂時代」の岡本喜八が監督した終戦秘話。撮影は「喜劇 駅前競馬」の村井博。(ストーリー)戦局が次第に不利になってきた日本に無条件降伏を求める米、英、中のポツダム宣言が、海外放送で傍受されたのは昭和二十年七月二十六日午前六時である。直ちに翌二十七日、鈴木総理大臣官邸で緊急閣議が開かれた。その後、八月六日広島に原爆が投下され、八日にはソ連が参戦、日本の敗北は決定的な様相を呈していたのであった。第一回御前会議において天皇陛下が戦争終結を望まれ八月十日、政府は天皇の大権に変更がないことを条件にポツダム宣言を受諾する旨、中立国のスイス、スウェーデンの日本公使に通知した。十二日、連合国側からの回答があったが、天皇の地位に関しての条項にSubject toとあるのが隷属か制限の意味かで、政府首脳の間に大論争が行なわれ、阿南陸相はこの文章ではポツダム宣言は受諾出来ないと反対した。しかし、八月十四日の特別御前会議で、天皇は終戦を決意され、ここに正式にポツダム宣言受諾が決ったのであった。この間、終戦反対派の陸軍青年将校はクーデター計画を練っていたが、阿南陸相は御聖断が下った上は、それに従うべきであると悟した。一方、終戦処理のために十四日午後一時、閣議が開かれ、陛下の終戦詔書を宮内省で録音し八月十五日正午、全国にラジオ放送することが決った。午後十一時五十分、天皇陛下の録音は宮内省二階の御政務室で行われた。同じ頃、クーデター計画を押し進めている畑中少佐は近衛師団長森中将を説得していた。一方厚木三〇二航空隊の司令小薗海軍大佐は徹底抗戦を部下に命令し、また東京警備軍横浜警備隊長佐々木大尉も一個大隊を動かして首相や重臣を襲って降伏を阻止しようと計画していた。降伏に反対するグループは、バラバラに動いていた。そんな騒ぎの中で八月十五日午前零時、房総沖の敵機動部隊に攻撃を加えた中野少将は、少しも終戦を知らなかった。その頃、畑中少佐は蹶起に反対した森師団長を射殺、玉音放送を中止すべく、その録音盤を奪おうと捜査を開始し、宮城の占領と東京放送の占拠を企てたのである。しかし東部軍司令官田中大将は、このクーデターの鎮圧にあたり、畑中の意図を挫いたのであった。玉音放送の録音盤は徳川侍従の手によって皇后官事務官の軽金庫に納められていた。午前四時半、佐々木大尉の率いる一隊は首相官邸、平沼枢密院議長邸を襲って放火し、五時半には阿南陸相が遺書を残して壮烈な自刃を遂げるなど、終戦を迎えた日本は、歴史の転換に伴う数々の出来事の渦中にあったのである。そして、日本の敗戦を告げる玉音放送の予告が電波に乗ったのは、八月十五日午前七時二十一分のことであった。出演宮口精二 東郷外務大臣戸浦六宏 松本外務次官笠智衆 鈴木総理山村聡 米内海相三船敏郎 阿南陸相小杉義男 岡田厚生大臣志村喬 下村情報局総裁高橋悦史 井田中佐井上孝雄 竹下中佐中丸忠雄 椎崎中佐黒沢年雄 畑中少佐吉頂寺晃 梅津参謀総長山田晴生 豊田軍令部総長香川良介 石黒農相明石潮 平沼枢密院議長玉川伊佐男 荒尾大佐二本柳寛 大西軍令部次長武内亨 小林海軍軍医加藤武 迫水書記官長川辺久造 木原通庸江原達怡 川本秘書官三井弘次 老政治部記者土屋嘉男 不破参謀島田正吾 森近衛師団長伊藤雄之助 野中俊雄少将青野平義 藤田侍従長児玉清 戸田侍従浜田寅彦 三井侍従袋正 入江侍従小林桂樹 徳川侍従中谷一郎 黒田大尉若宮忠三 水谷参謀長山本廉 伍長森幹太 高嶋少将伊吹徹 板垣参謀久野征四郎 大隊長小川安三 巡査田島義文 渡辺大佐森野五郎 大橋会長 加東大介 矢部国内局長石田茂樹 荒川技術局長田崎潤 小薗大佐平田昭彦 菅原中佐中村伸郎 木戸内大臣竜岡晋 石渡宮内大臣北竜二 蓮沼侍従武官長野村明司 中村少佐藤木悠 清家少佐北村和夫 佐藤内閣官房総務課長村上冬樹 松阪法相北沢彪 広瀬蔵相岩谷壮 杉山元師今福将雄 畑元師天本英世 佐々木大尉神山繁 加藤総務局長浜村純 筧庶務課長小瀬格 若松陸軍次官佐藤允 古賀少佐久保明 石原少佐草川直也 長友技師石山健二郎 田中大将滝恵一 塚本少佐藤田進 芳賀大佐田中浩 小林少佐佐田豊 佐野恵作上田忠好 佐野小門太勝部演之 白石中佐加山雄三 館野守男新珠三千代 原百合子宮部昭夫 稲留東部軍参謀関口銀三 岡部侍従関田裕 神野参謀井川比佐志 憲兵中尉須田準之助 高橋武治小泉博 和田信賢大友伸 陸軍軍務局長堺左千夫 厚木基地飛行整備科長2019年7月1日TOHOシネマズ岡南★★★★「エリカ38」思った以上に良い作品だった。邦画における樹木希林の遺作としてもふさわしい。樹木希林のプロデュースとしても、冒頭から終わりまで、きちんとお金が取れる作品だった。実際の事件に取材して、ほとんどそれにそっくりというか、ドキュメンタリーといっても良い(だって首謀者の名前がそのまま使われている)のだが、もちろんほんとのエリカがどんな人間だったかはわからない。けれども、顔のシミをどんどん出した浅田美代子のそれでも時々コケティッシュ、時々ほんとのおばさんぽい表情から、ホントにこんな女性だったかもしれないという説得力があった。彼女がこうなった原因もなんとなくわかる。親の愛は、やはり必要なのだと思わせる。堂々の主役である。オールヌードこそ、出さないが、ちゃんと濡れ場もこなしている。最後にホントに騙された人たちの肉声が流れる。映画の通り、彼女たちは望んで金を騙し騙された、のである。びっくりする。ホントにそれで数億円が集まるのである。(解説)樹木希林が盟友のために手がけた渾身の初「企画」作品!浅田美代子、45年ぶりの主演作&演技派・個性派が揃う豪華キャスト「浅田美代子が女性詐欺師を演(や)ったらおもしろいと思うのよ」。2018年に惜しまれつつ逝去した役者、樹木希林の一言が、この映画のはじまりだった。ドラマ「時間ですよ」で共演して以来旧知の仲である女優、浅田美代子の“代表作”にしたいと、樹木希林は自ら企画に乗り出し、その熱意は、ニューヨークで写真家としても活躍する映像作家・日比遊一監督、『その男、凶暴につき』『銃』など多くの日本映画を手がける奥山和由プロデューサーらを衝き動かした。役者として数多くの映画に出演し、日本アカデミー賞ほかさまざまな映画賞を受賞した樹木の、初の「企画」作品となる本作で、樹木は木内みどりら出演者たちのキャスティングや脚本のチェックにも関わり、さらに浅田演じる聡子の母親役として出演もしている。タイトルロールのエリカこと主人公の渡部聡子を演じるのは、国民的人気ドラマ「時間ですよ」でデビューし、アイドルとして人気を博したのち現在は映画やテレビ、バラエティと幅広く活躍する浅田美代子。これまでの作品で見せてきた“愛らしく優しい女性”といった浅田のイメージを打破してあげたいと、犯罪者役での主演作を企画した樹木の期待に応えるべく、体当たりの演技を披露し新境地を拓いた。本作は、『あした輝く』(74/山根成之監督)以来、45年ぶりの主演作となる。そのほか、聡子を投資詐欺犯罪に巻き込む男女、平澤役に平岳大、伊藤役に木内みどりがそれぞれ扮し、ミステリアスな魅力で異彩を放つほか、小松政夫、古谷一行、山崎一、窪塚俊介、山崎静代、小籔千豊、菜 葉 菜、佐伯日菜子ら、演技派・個性派が揃う豪華な顔ぶれとなっている。(ストーリー)渡部聡子・自称エリカ(浅田美代子)は、愛人・平澤育男(平岳大)の指示のもと、支援事業説明会という名目で人を集め、架空の投資話で大金を集めていた。だが実は、平澤が複数の女と付合い、自分を裏切っている事を知る。彼女は平澤との連絡を絶つと、金持ちの老人をたらし込み、豪邸を手に入れた。老人ホームに入っていた母(樹木希林)も呼び寄せ、今度は自ら架空の支援事業の説明会をおこない金を詐取していく。旅先のタイで、若者ポルシェと出会う。恋に落ちるエリカ。蜜月の時。だがもう警察の手はすぐそこまで伸びていた。※PG12監督 日比遊一出演 浅田美代子、平岳大、窪塚俊介、山崎一、山崎静代、小籔千豊、小松政夫、古谷一行(特別出演)、木内みどり、樹木希林[ 上映時間:103分 ]2019年7月1日TOHOシネマズ岡南★★★★https://erica38.official-movie.com/「凪待ち」断じて気持ちのいい作品ではない。ギャンブル依存症とも言うべき、どうしようもなくダメな男が主人公で、それを克服するという話でもない。しかし、いちばん最後の場面に、ストーリーとは関係無く、津波で波の中に沈んだ街の遺物が映し出される。正しいのか、正しくないのか、わからないけど、これは鎮魂の映画ではないかと思ったのである。香取慎吾の異様に肩幅の広い、顔さえ映っていなければ、フランケンシュタインと言われても信じてしまう容貌は、この作品の狙いだったのかもしれない。(解説)愚かな者たちの切ない暴力と狂気を描いた映画が誕生した。誰もがその恍惚に陶酔した『孤狼の血』、誰もがその偏愛に涙した『彼女がその名を知らない鳥たち』など日本映画界を担う監督・白石和彌の最新作だ。主演を務めるのは、『クソ野郎と美しき世界』『人類資金』などエンタテイメントから人間ドラマまで幅広い役柄をこなすだけでなく、オリジナリティ溢れるアートでも才能を発揮しつづける香取慎吾。白石和彌と香取慎吾が初のタッグで挑み、『クライマーズハイ』の加藤正人が脚本を手掛けたオリジナル作品だ。主人公の恋人を、誰が殺したのか?なぜ殺したのか?「愛」という名に隠された事件の真相とは――?容赦ない絶望を描いた、魂を破壊する衝撃作だ!本作に集結したのは、『くちびるに歌を』『散歩する侵略者』の恒松祐里、映画・ドラマ・モデルと幅広い分野で活躍し、そのライフスタイルも注目され同世代の女性から支持を得ている西田尚美、『龍三と七人の子分たち』や白石組常連の吉澤健、『孤狼の血』など白石組の名バイプレイヤー・音尾琢真、『万引き家族』『そして父になる』など数々の話題作に出演し見事な存在感を放ち続ける俳優リリー・フランキーら、目が離せない面々が揃った。(ストーリー)毎日をふらふらと無為に過ごしていた郁男は、恋人の亜弓とその娘・美波と共に彼女の故郷、石巻で再出発しようとする。少しずつ平穏を取り戻しつつあるかのように見えた暮らしだったが、小さな綻びが積み重なり、やがて取り返しのつかないことが起きてしまう―。ある夜、亜弓から激しく罵られた郁男は、亜弓を車から下ろしてしまう。そのあと、亜弓は何者かに殺害された。恋人を殺された挙句、同僚からも疑われる郁男。次々と襲い掛かる絶望的な状況を変えるために、郁男はギャンブルに手をだしてしまう。※PG12監督 白石和彌出演 香取慎吾、恒松祐里、西田尚美、吉澤健、音尾琢真、リリー・フランキー[ 上映時間:124分 ]2019年7月1日TOHOシネマズ岡南★★★★
2019年08月27日
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「ビッグイシュー365号」ゲット!表紙は「ライオンキング」。知らなかったが、ディズニーが「初めて」作ったオリジナルストーリーの「アニメ」だったらしい。作ったのは、結局王道の英雄物語。観てはないが、イーリアスからヤマトタケルまで続く、英雄の試練と帰還に渡る物語をトレースしているのではないかと推測する。もちろん「ジャングル大帝」も、そのバージョンだったからパクリ疑惑が出た。「パクられるぐらいなら、誇らしい」と虫プロが問題視しなかったため大ごとにならなかった。オトナな対応だったと思う。結果、それだけでなくアフリカ文化を世界に紹介するツールとなり、今回の実写版に繋がったようだ。観る気は一切なかったのだが、ビッグイシューで扱われたので、観ようかな。特集は「漢字を包摂した日本語」。リード文は以下の通り。アルファベットは52文字。漢字は5万305字。圧倒的に数が多いうえ、4千年前の原型がいまも生きる、一番古い文字、漢字!私たちがいま日本語で読み書きできるのも、先人たちが漢字を導入したからこそ。さらに、固有の文字のなかった日本が、外来の“異なる文化”を包摂したからでもある。21世紀に入って、そんな漢字のルーツ(字源)をめぐる研究は急速に進展。個々の漢字の誕生とその歴史をたどれる「字形表」が世界で初めて作成されるなど、漢字研究は今、新たな展開を見せている。阿辻哲次さん(京都大学名誉教授)に「知られざる漢字のおもしろさ。日本語の成立と漢字の果たした役割」について。落合淳思さん(「立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所」客員研究員)に「漢字は“タイムカプセル”。世界初の『字形表』誕生」について聞いた。日本語は漢字をどう包摂したのか? 日本文化のルーツと未来を考えたい。阿辻哲次さんが紹介する「武」の字。元のつくりは「戈を止める」、つまり「武器の使用(戦争)をやめることこそが、真の武(勇気)である」という平和を願う文字であることが、「春秋左氏伝」に載っているそうだ。過激な家臣を諌めるために、楚の王が語った言葉である。しかし、楚王は実は嘘をついていた。この時代、止は既に止めるの意味だったが、元々は進むの意味だっだのだ。それを楚王が敢えてこのように説明するところに、現代に通じる、「武」(戦争)に関する真実がある。戦争の二面性は2000年以上前から、人々の間で揺れていた。これは「歴史的な証拠」である。人類はこの2000年間、何をしていたのか!卵の元々の意味は、鳥や動物の卵ではなくて、魚類か両生類の卵だった。これは卵の出自表である「字形表」を見ると一目瞭然。しかも、卯は卵からは来ていないらしい(^_^)。
2019年08月26日
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「生き物の死にざま」稲垣栄洋 草思社 セミは必ず上を向いて死ぬ。脚が硬直して縮まるからだ。ついでに、目の構造から空を見て死ぬことはできない。それでも、自らの役割を全うすることが昆虫としての幸せに繋がるとしたならば、そういう死に方は、別に惨めでもなんでもなく、多くは繁殖行動を終えた後のプログラミングなのだ。 というようなことを冒頭6pは書いていて、延々と29の生き物についての死にざまを説明してくれている。「幸せ」という言葉は、私が付け足した。レビュアーの多くは彼らの行動を「切ない」という。でも、それは1つの解釈に過ぎない。「メスに食われながらも交尾をやめないオス」カマキリとか、「生涯一度きりの交接と衰弱しながら子を守りきるメスの」タコとか、その行動原理は唯一だ。如何に種として生き延びるか。それに尽きる。 ところが、「もしかして5億年の間不老不死だったかもしれない」ベニクラゲの章が登場する。それでも、個体はウミガメに食べられてあっさりと死ぬという。プランクトンなどの単細胞生物はどうだろう。ずっと分裂を繰り返し、コピーして行き、38億年、生きものに「死」はなかったのかもしれないという。でも、それだとコピーミスによる劣化も起きる。新しくもなれない。一度壊して作り直す。10億年前、「死」が生まれた。これは「生物自身が作り出した偉大な発明」であるらしい。さらには「オスとメスという仕組みを作り出し、死というシステムを作り出し(環境変化に対応し、「進化」する仕組みを作った)」。単細胞生物のプランクトンは、寿命はないが、わずかな水質変化で死んでしまう。知らなかったが、身近な石灰岩は、有孔虫というプランクトンの殻が堆積して出来た岩らしい。 面白い話が山のように語られるが、みんなさらっと終わるので深められない。もともと著者は、植物の専門家なのだ。専門に必要な「ちょっとした」知識が惜しげもなく語られているのかもしれない。
2019年08月25日
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「麦本三歩の好きなもの」住野よる 幻冬社 初、住野よる。 ふむふむ。まるで孫娘を愛でるように読ませていただいた。孫、居ないけど。 私は、ずっと前から、一生懸命頑張る女の子のお話が大好きだ。だからナタリー・ポートマンは「レオン」以来一貫して全作観ているし、AKBは何人か推しメンはいる(いた)し、「村上海賊の娘」は、そのキャラだけで一気に読んでしまった。序でに言えば、現在は同郷のゴルファー渋野日向子にメロメロである。あ、いや、三歩と全然キャラ違う、ってわかっております。でも、私から観たら皆んな同じに見える。少女が果敢に世界に向かって、前を向いている。 「その見方、甘すぎるんじゃないの?」と"おかしな先輩"は言うかもしれない。三歩はまるで少女マンガから抜け出てきたような「ドジな女の子」であり(まぁそれだけじゃない所がこの作者のキモかもしんないけど)、三歩を愛すべきキャラだとするのは買い被りだと言うのだ。確かに三歩を彼女にしたら、毎日が心配で堪らなくなるかもしれない。でも孫娘ならば、生きてくれているだけで嬉しい。 前の彼氏とは、どんないきさつで別れたのか?三歩の名前の由来は?聞けば教えてくれるんだろう。あわわ、と戸惑いながら。でも、それは次に会う楽しみにとっとこ。
2019年08月24日
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「おにぎりの文化史」横浜市歴史博物館監修 河出書房新社 大変面白く、貴重な本だった。2014年企画展「大おにぎり展」の図録がやっと出たのか、と思ったら、それを基にした普及版だった。もはや幻の図録だったので、それはそれで素晴らしい。 おにぎりの歴史は、即ち日本人はどうやってお米を食べてきたのか、という大問題に直結する。おにぎりの文献記録を辿る第1章〜2章は、戦後のおにぎり呼称の変遷や、中世から近世にかけての絵巻物語や浮世絵に登場するおにぎりの姿を記録する。ご飯は主食なので、あまりにも当たり前に存在する。だからみんな、それぞれの地方色豊かなおにぎりを作っていたことの自覚がない。そして、実は国民のイメージが「三角おにぎり」に劇的に変化したのも1980年代で、つい最近のことなのだ。コンビニの普及によって国民意識が「統合」されたのである。つまり、歴史は現代も動いているのだ。また、中国地方だけは、まだ半分くらい「おむすび」の呼称か続いているらしい。そういえば私も「三角おむすび」とか言っている。 面白いのは、世界のおにぎり文化圏は日本以外では、タイ・ラオス・雲南地方だけらしい。粘り気のある米を使う中国や朝鮮半島でも、冷えた米飯を食べる習慣がなく、米飯とおかずを混ぜて食べることが多いのでおにぎりは無いという(韓国のキンパブはどう位置づけるのだろ)。だとすると、おにぎりは基本的に日本人の発明なのではないか? いつから始まったのか? 第3章にご飯や籾の炭化遺物がずらっと並んでいる。これだけのモノをよくも集めたと感心した。そして遺物観察と考察の結果、現存してる確定的な最古のおにぎりは、表紙にもある古墳時代横浜市北川表の上遺跡(6C)のものである事が明らかになった。いくつかの塊がくっついているらしい。しかも竹籠(弁当箱?)に入っていた。 おにぎりは弥生時代から始まっていてもおかしくないじゃないか? しかし、そうでもないらしい。ご飯を握れるように炊くまでには、古墳時代の蒸炊きを待たなくてはならなかったのである。実験考古学の説明が、実にわかりやすく出ていた。 炊飯の方法は、世界的にも大きく分けて6種類だ。 (1)湯取り法(炊き上げる)。途中で湯を捨てて炊き上げる。一部東南アジアで使用されていて、弥生時代もこうだったようだ。 (2)炊き干し法。現在の炊飯ジャーで炊く方法。 (3)蒸器で蒸す。赤飯・おこわなどはこれ。振り水で補う必要あり。古墳時代はこれだと言われている。 (4)湯取り法(蒸しあげる)。途中ザルなどにあげて蒸す。江戸時代文献にあり。 (5)煮る。お粥(炊き粥)を作るのに、使われる。 (6)炒め煮。西洋のリゾット、ピラフ、パエリアなどはこれ。 あと、チャーハンは炊いたご飯の再利用。雑炊は炊いたご飯の煮たもの。 私は弥生時代は蒸器はなかったのだから、雑炊やお粥が多かったと思っていたが、土器の付着物で他の穀物と混ぜて調理した例はないらしい。だとすると、ご飯を炊くのは、竪穴式住居の外で、かなり慎重に、技術を持って毎日作っていたことになる。感動する。それを高坏の食器を囲んで手づかみで家族で食べていた。パサパサのお米だったから、おにぎりは握れない。しかも、学芸員は三回試してやっとまともに炊けたのである、。そんなに苦労しても、お米が良かったのか?雨の日はどうしたのか?またもや新たな疑問が出てきた。古墳時代になって、やっとかまどを家の中に据えて蒸して炊くことができるようになる。 次第とパサパサ米から粘り気のあるウルチ米に変わって行く。そして弥生時代晩期から個別食器に変わって行く。食卓の情景はこの頃大きく変わったのだ。お箸が使われ始めたのも、この頃の少し後である。弥生時代、ご飯は必ず家族で鍋をつつくように手づかみで食べていた。人生の中で、食事がいかに大きな構成要素だったか、私は想像する。
2019年08月23日
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「邪馬台国時代の王国群と纒向王宮」石野博信 新泉社 二上山博物館主催の17回に渡るシンポジウムに寄稿した論文に加えて、関連論文をまとめた。シンポの中心者である著者の邪馬台国論の集大成。それは即ち現代の邪馬台国近畿説の集大成ということになるだろう。かなり専門的だが、それでも短文が多いためにラフな論考が多い。ザッと読んだだけだが、細かに検討する時には再読しなくてはならないと思う。 以下は、あくまでも私的メモ(ウェブ上に残しておくと、何かと便利なんです)。特に吉備との関係で前半部分から少しメモした。無視してください。 ・「倭人は文字を使っていた」唐古・鍵遺跡(1ー2C弥生後期)で使われていた記号は後続の纒向遺跡(3C)では消滅する。漢字の導入のせいではないか。卑弥呼の外交と関連しているのでは。伊都国三雲・井原遺跡の1ー2世紀の硯片、島根田和山遺跡の硯片、福岡県薬師の上遺跡から完全形の硯等で、文字使用は決定的に(←最新報道では弥生中期の硯片が大量に発見された)。 ・「半島との交易」日本海航路では、松江市南講武草田遺跡、太平洋航路では高知市仁淀川河口の仁ノ遺跡に近畿系土器出土。瀬戸内航路では、姫路市丁・柳ヶ瀬遺跡で丹波系土器、総社市津寺遺跡・ほか酒津遺跡、楯築遺跡など。福山市御領遺跡には纒向甕、湯田楠木遺跡には第5様式系の叩甕。大分安国寺遺跡には纒向大和型甕、宇佐市豊前赤塚古墳周辺から纒向型壺。関門海峡の航行には熟練の海導者が必要。田布施町国森古墳に楯築・ホノケと共通するヤス(への字型鉄製品)がある。海峡通過後は、中津宮、沖津宮(沖ノ島)等のコースを辿ったろう。 ・「阿波・讃岐・播磨の連合はあったか」1-3世紀にかけて、積石と石囲いの遺跡と吉備・大和の葬儀用器台のグループに分かれる。 ・「3世紀の大和と吉備の関係は?」楯築は180年ごろ、纒向石塚は210年ごろ、と一世代遅れた、と分析。大きさは楯築(80m)を超えた(96m)が、葺石も墳頂の列石なし、突出部は1つ(総社立坂、宮山)。特殊器台採用は、3世紀の中山大塚古墳(130m)、箸墓古墳(280m)まで待つ。しかもこの時期は器台と壺が分離、葬送儀礼の変質があった。ホノケ山(3C中、80m)は阿波・讃岐の海洋民か。 ・「3世紀の三角関係 出雲、吉備、大和」楯築のころ、越の人々が因幡に集団移住(西大路土居遺跡)。2-3世紀は越と因幡・出雲(吉備)に航路があった。3C前半から後半にかけて、伯耆西部と出雲東部(南講武草田遺跡)に大和・河内の人々が現れて定住した。それとともに、吉備は出雲から姿を消した。四隅突出墓も衰退に向かった。出雲は吉備との連合を解消し、大和との連合に向かったのだろうか。2世紀末大和に多くいた吉備が3世紀に激減、しかし特殊器台は採用し続ける。河内は繋がりを持っていた。河内を通じて大和は瀬戸内航路を持っていたのか。3世紀前半まで多かった尾張が激減し、3世紀中以降近江系が増加、かつ大和は出雲に進出、日本海ルートを選択。3世紀中は卑弥呼・トヨの交代時期。2世紀末は吉備主導だったが、3世紀後半から4世紀中にかけて大和主導に転換した。 ・卑弥呼登場の時期の2世紀末の各地域を見て、楯築の被葬者が中心になって卑弥呼擁立を決めた可能性が高い。箸墓はトヨの可能性が高い。邪馬台国は吉備ではなく、大和だ。
2019年08月21日
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「ビッグイシュー364号」ゲット! 写真はセサミストリートのリリー。NHKの放送は終了していたので、しらなかったのだが、なんと家族でホームレス状態にある子供らしい。アメリカの子供番組の懐の深さに脱帽する。まさか、こういうこともあってNHK放送が終了したのか? 特集は稲葉剛責任編集の「ホームレス支援をアップデートする」。うーむ、ひとつひとつの事例が、今ひとつ具体的にイメージできなかった。 「大英博物館で「マンガ」展!」の記事。老舗の博物館でマンガ展とは何事か、との声はあったらしいが、一方ではその発言者は英国で炎上したらしい。確実に時代は変わっている。図録があれば是非手に入れたいが、無理だろうな。 投書コーナーで、高知県の山間部でビッグイシュー含む古本の良心市を始めた、というのがあった。そういう手があったか! 今回の号は楽しい読み物が多くあった。
2019年08月20日
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「ぶらりあるき釜山・慶州の博物館」中村浩・池田榮史・木下亘 芙蓉書房出版 過去7回ほどに渡り、述べ70日ほど韓国の古代遺跡と博物館巡りを1つの目標にして歩いたことがある。よって、ここにある主要な博物館は踏破してはいるが、それでもまだこんなにも行っていない所があったのか!と驚いたのが正直な所。個人のインターネット検索では網羅しきれない博物館はまだまだあるのだ。遺跡となれば言うまでもない。この本の発行によって、個人で韓国の歴史を学ぼうとすれば、この本によって旅の計画を練ることが必須になるだろう。貴重な仕事だと思う。 しかし、だからこそ、この後に続く「済州島」「ソウル・韓国南西部」編では軌道修正してもらいたい所がある。(1)おそらく、この後の10年以上に渡る読者を意識したので敢えて最新情報は載せなかったのかもしれない。しかし、観覧料はともかく、休日と観覧時間は載せて欲しかった。例えば日曜日休みなのか、月曜日休みなのか明らかにしておいて欲しかった。旅の計画に必要なのだ。大学博物館は多くは日曜日休みだと思う。苦渋を何度も舐めた。また、私は年末年始の休みを利用しての旅行が多かったので、臍を噛むことが多かった。年間の休み予定は知りたい。 (2)簡略な場所の地図しかない。行くための交通手段の詳細が必ずしもない(最寄駅は記載ある場合もある)。有名博物館ならばガイド本でわかる。しかし、地方にある、特に大学校博物館などは、なかなかわからない。バスで行くしかないが、これは検索で知るのは至難の技である。特に韓国は大学校博物館に素晴らしい遺物が置かれていたりするので、尚更である。 ここに書かれている博物館は、新羅や伽耶の考古学遺物が豊富である。この時代、倭国(日本)は常に学ぶ時代だった。よって、自らのルーツを知ろうとしたならば、この国々を知らなくてはならない(例えば、なぜ製鉄技術は6世紀まで日本列島に渡らなかったのか等々)。私が、情熱もって韓国を旅した理由のひとつである。 未見の博物館で、私の興味関心に沿うもの。 ・国立日帝強制動員歴史館 ・東義大学校博物館 ・新羅大学校博物館 ・国立慶州文化財研究所 ・玉ヒョン遺跡展示館 ・昌寧博物館 ・嶺南大学校博物館 ・国立伽耶文化財研究所 ・慶南大学校博物館 ※普州の青銅器文化大坪里博物館が無かった。私は今まで観た中で五本の指に入る博物館だと思っているのでとても残念だった。序でに普州慶尚大学校博物館は、偶然教授と色々お話できた思い出ある博物館で懐かしかった。
2019年08月19日
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「日本の文様解剖図鑑」筧菜奈子 文・絵 エクスナレッジ発刊 私の目論見が外れて、私にはあまり役に立たなかったが、力作である。しかも、オールカラーでこの値段ということは、案内役の「うめモン」ちゃんだけでなく、ここに出ているあらゆる「文様」を筧さん独りで描いたということでしか説明がつかない。いくら芸大出身だからといって、恐ろしいほどの力技だと思う。 第1部「日本の文様77種」に平均4つのイラストを配置したとして約300、その他いろいろで400-500の文様を正確にトレースしたはずだ。表紙を見たらわかるように、ひとつひとつが、ほとんど絵画だ。 しかし、残念ながら、日本と世界の文様の比較や、歴史から来るその大きな特徴、また、弥生時代の流水紋は現代まで生き残っているのだが、それは何故か等々の考察はほとんどされていない。ただただ、どんな文様(意匠)があるのか、分類して紹介しているだけなのである。目論見が外れたと言った所以である。 もちろん、着物を説明して「貝尽くし文様夜着」と聞いてどんな着物か想像できたら楽しいだろうし、京都四条通界隈に錦天満宮の梅、1928ビルの星、京都大丸の八芒星、先斗町入り口の千鳥、松竹南座の松竹等々の意匠を見つけたら楽しくて仕方ないだろう。 この本を持って、古い街に行き日本を感じる、そういう使い方がよく似合う本だと思う。
2019年08月18日
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「看板建築」萩野正和 トゥーヴァージンズ発行 看板建築という建物をご存知だろうか?そうそう!正面は立派な洋風建築なのに、裏や横に回ってみれば、木造建物だった、というアレである。特に商店が並ぶ街並みの中で作られて、商店街の景観を作っていた。 歴史はなんと昭和の一時期に限られている。関東大震災の復興中に、潤沢な資金のない個人商店が採用した方法が、やがて全国に波及した。よって竣工は、昭和初年からいくら遅くても昭和40年ごろまでの建物しか存在しない。現在次々と解体されている。 しかし、この本を見てビックリしたのだが、日本人らしい細部に凝った意匠が一軒の中にもたくさん採用されていて、時の大工さんたちの心意気が見事に見えるのである。 昭和遺産とも言っていい建築物の数々が載っている。多くは既に解体された貴重な写真がある。そして現在でも現役で頑張っている建物を、約80軒近く記録し、更に色濃く看板建築の暮らしを、10軒にかけて詳しく記録している。なかなかの労作だ。 私が東京に住んでいたならば、必ずこのうちの数軒は尋ねると思う。なぜならば、ほとんどが店なので中まで入れるし、外の窓枠や装飾だけでなく、中も職人の技が極まっているからである。住んでいる人たちは、文化財だから残そうという意識はまずない。時期が来たら無くなるからである。 荻野正和さんの企画を支持する。ここに記録されているのは、実はほとんどが都内だけだ。これからは全国の看板建築を記録するか、ホームページを開設して、全国から記録や写真を収集して欲しい。もう一つの視点は、海外の看板建築の記録を撮って欲しいと思う。韓国の釜山や江景や地方の街で、私は数多くの看板建築を見てきた。昭和の風景を残そうという意識ではなくて、改築が出来ないので残ったという残り方だった。そういうのもプロの視点で是非記録してほしいなぁと思うのである。
2019年08月17日
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今年の県労会議機関紙8月号に載せた映画評です。「日本のいちばん長い日」 今年は1945年8月15日の玉音放送までの24時間を描いた「日本のいちばん長い日」を取り上げます。14日の深夜に、陸軍将校畑中少佐を中心とする若手軍人によるクーデター未遂事件があったことはあまり知られていません。最後の最後まで綱渡りだったのです。誰がどう決断したのか?岡本喜八監督(1967年)と原田眞人監督(2015年)の2作あり、2つとも力作です。岡本版は、オールスターがドキュメンタリーのように膨大な台詞を発して庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」の手本になったと言われたました。岡本版と原田版を、今回見直してかなり違っていました。大きく違うところが、何点かあります。1つは、岡本版も鈴木首相(笠智衆)と阿南陸相(三船敏郎)が阿吽の呼吸で、主戦論渦巻く陸軍を御しながら終戦まで持って行った様に描いていました。しかし、原田版はそれを更に強調します。原田版は岡本版で出すこと叶わなかった天皇(本木雅弘)をほとんど主人公のように出演させています。あえて、軍閥とは程遠い老獪な鈴木貫太郎(山崎努)を首相に据えたのも天皇の意向ということになっています。阿南陸相(役所広司)と鈴木と天皇は、侍従武官、侍従長、天皇と旧知の仲という事を明かし、阿南の「腹芸」の場面を新たに作っています。確かに、敗色決定とも言える状況で「あともうひとつ成果」を求めた政府の対応が、国民に大きな犠牲者を出した事は否定出来ないものの、あの時点の様々な「決断」がなければ、更に敗戦日が延びた可能性は十二分にあったのです。1つはクーデターの首謀者、畑中少佐は、岡本版では黒沢年男が演じて、直情決行、狂気とも言える存在感を出していました。原田版は松坂桃李がまた違う狂気を演じています。1つは岡本版には女性は新珠三千代しか出演しなかったが、原田版には重要な役で何人もの女性が出演しています。よかったら、岡本版原田版と続けて見ると、日本の政治の意思決定の複雑さと、当時の戦争の雰囲気が良くわかって面白いと思います。動き出したら止まらない。戦争は、巨大な機関車のようです。車輪が外れ、燃料がなくなり、それでも運転しようとする狂気の機関士を止めないと、止まらないのです。(2作品ともレンタル可能)
2019年08月15日
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「日本のいちばん長い日」半藤一利 文春文庫 「天運がどちらに与するかそれはわからないでしょう。どちらに与してもいい、判決は実行することによって定まると思うのです。そしてその実行が、純粋な忠誠心より発露しているものである以上は、臣道としてなんら恥ずるところはありません。…中佐殿、私は、まず宮城内に陣どって外部との連絡を断ち、時局収拾の最後の努力をこころみるため、天皇陛下をお助けすべきだと信じます。将校総自決よりその方が正しいと思います。近衛師団との連絡はもうついているのです。必要な準備はととのっております。あとは、少数のものが蹶起することによって、やがて全軍が立ちあがり、一致して事にあたればいいのです。成功疑いありません。中佐殿にはぜひ同意されて、この計画に加わっていただきたいのです」(115p) 岡本喜八版の映画では黒沢年男が、原田眞人版では松坂桃李が演じた畑中少佐が、8月14日の午後4時、聖断が降りたことで諦めきっている井田中佐にクーデターへの参加を詰め寄っている「記録」である。生き延びてしまった井田正孝の証言なので、かなり正確だろうと思う。中佐も少佐もない。最後の段階では、声の甲高い「狂」が、時を動かしかけた。 今から観ると、狂気の言としか思えない。ところが、井田や当時の陸軍士官のほとんどは、14日の前までは、この方向でみんなまとまっていたのである。「成功疑いありません」当時の最高の知性が、74年前のこの夏の日に、そういう判断をしていた、ということを私たちは忘れてはならない。 彼らが護ろうとした「國體」は、天皇そのものではなく(何しろご聖断に背いてクーデターを起こすのだから)、むしろ実体のない「こころ」のようなものであったのだが、それが多くの国民の命よりも、自分の命よりも大切だった(蹶起した3人の士官は15日に自決した)。現代ならば、実体のない「成長神話」がどんな国民の生活や命よりも大切だと思っている頭の良い人たちが存在するのと、同じかもしれない。
2019年08月14日
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「縄文ZINE 10」望月昭秀編集発行 フリーペーパー界の雄!3万部近く発行しているはずの縄文時代に特化したフリーペーパーの最新号をゲットした。とは言っても、今回は珍しく岡山市埋蔵文化財センターでゲットしたので、一か月前の話なんだけど。いつも岡山市の無印良品でゲットするので、こんな「まともなところ」でゲットすると、なんか新鮮! 今回は特集2つがなんといっても面白かった。「わけのわからないものばかりの縄文時代で、とびきりわけのわからないもの」と「遺跡はみんなキラキラネーム」である。これはそのまま弥生時代でも当てはまる。 これは雑誌にはなくて、望月氏のツイッターから拾ったもの。尿瓶?そんなはずはないよね。わけわかんない。 これはテレ丸さんのツイートから拾ったもの。わけわかんない。 一般的にも「トロトロ石器」と名付けられているらしい。本来尖っていないといけない先が尖っていない。誰も傷つかない鏃だ。しかも、西日本の広範囲に渡って、ほぼ同じものが出土している。「かなり重要なものだったのではないか」と専門家の意見である。縄文早期に限られている。そうやって考えると面白い。 前から思っていたけど、遺跡って、字で名前つけるので、キラキラネームって多い。でも、編集人は100個も拾っている。ご苦労様。 多いのは、流石に甲信越、東北。私は近くの、岡山、鳥取、島根から採る。 【岡山】溝落遺跡 【鳥取】陰田隠れが谷遺跡、井図地中ソネ遺跡 【島根】面白谷遺跡、金クソ谷遺跡、アガリ遺跡、田中ノ尻遺跡 「金クソ」は、製鉄の際に出来る鉄鉱石のカスではあるが、知らない人にはインパクトがある。逆に、どんな土地なんだろうかと想像が膨らむ。面白谷は、ホントに私にもインパクトがある。なんでこんな名前? 名前の由来を深掘りしてもらいたかったが、無かった。次回に期待する。
2019年08月13日
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「ポーの一族 ユニコーン(1)」萩尾望都 小学館 「ポーの一族」への40年以上に渡る想いや予想は、文庫本「ポーの一族3」にあらかた書いてしまった。予想通り、この(1)には、予想以上のことは幾つかしかなかった。もちろん、バリーという新キャラについてはまるきり予測できなかった。しかし、彼は「解」を導くための補助線みたいなものだ。 最大の予想外は、アランが生きているかもしれないということだ。悲しいけれど、これでシリーズが終わるだろう、という私の予想は変わらない。これからのことを、大胆に予想してもいいけど、それは自分の胸に秘めておく方が粋というものかもしれない。 「VOL1わたしに触れるな」は、過去作品のようにコマ枠を破って人や言葉や夢や時が溢れ出ていた初期の萩尾望都から比べると、まるできちんとし過ぎた舞台劇みたいで気に入らない読者が出てくるのは、ましてや顔つきもかなり昔と違うし、当たり前だと思う。けれども、このきちっとした構想を背景にしたセリフのひとつひとつは、やはり初期の萩尾望都の特徴でもあるのだ。1巻目を最後まで読んで、もう一度VOL1を読み返すと、あら不思議、8割方意味がわかるだろう。わからないところが、次巻の核心部分だとも予想できるだろう。次巻が楽しみだ。
2019年08月12日
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「ポーの一族3」萩尾望都 小学館文庫 「ポーの一族」の新作が刊行された。噂によると、最終編『エディス』の 正当な続編らしい。それで急遽これを取り寄せた。そうせざるを得なかった。読む前に、ファンとして私の40年間のあれこれの妄想を、もう一度整理しておきたかったからだ。 以前、前回の『春の夢』連載開始時に復刻版『小鳥の巣』を紐解き、こう書いた(16.6.25記入)。 「現在キリアンがドイツで生きているならば、おそらく71歳。ドイツ統一のために闘って来たのではないかと(勝手に)想像する。」 「キリアンは微かにマチアスに噛まれて仕舞う。萩尾望都はついつい書いて仕舞った。『パンパネラの血は、キリアンの体内に深く沈んで存在した。それは潜在的な因子として子孫に受けつがれてゆき‥それはもっとのちの話となる』この記述があるがために、「ポーの一族」ファンたちは、一生「続編」を待ち望む「呪い」をかけられてしまった。もちろん、私にも。その呪いは未だ解けていない。」 つまり現代は、ポーの一族が再び現れるならば、キリアンの14歳の孫の前に出現しても可能な時代になっているのだ(晩婚化が進んでいるからちょうどいいだろう)。ちなみに『小鳥の巣』はシリーズの中でも屈指の傑作である。 その妄想を膨らますために、1976年当時の『エディス』を読んだわけだ。この時点で、アランはエディスを助けるために消滅してしまったことになっている(ロンドンでの事件)。「消滅」するのである。マチアスは肉体どころか靴さえも消滅してしまった。だとすれば、他の次元に移るとした方が正しいのかもしれない。この本には、そのほかに1966年にエドガー研究家のオービンが関係者を集めた『ランプトンは語る』も収録。時系列の歴史を解説した便利な本になっている。しかし、最初に読むべき本ではない。文庫本なのであまりにも画が小さいのだ。あれから40数年。オービンは当然、エドガーについての総括的な一書をしたためているはず。エディスは50歳後半だ。テオの血液研究はどうなったのだろうか。66年当時に血液保存技術はないだろうから、成果も出ずに終わった可能性が高い。 『春の夢』(2017年刊行)も、当然この「続編」のために準備されているはずだ。改めて読み直す。ポーの一族の間の中のいろんなランクと、消滅への危機感を持ったクロエのような人物がいることが明らかにされている。ポーとはまた別系統の異能種のいることも明らかになった。「ポーの一族」とは何なのか?それが最終的に明らかにされるのが、最終章になるはずだ。それを意図して始めたのが『春の夢』だろうと、今なら想像できる。 『春の夢』の中にいくつもヒントがある。ファルカは言う「(アランがすぐ眠るのは)"気"のヒフが薄いんだよ。すぐシューシュー漏れちまう」。吸血鬼とは実は病原菌とかの生物が中に入ってなる病気ではなかった。気はエナジーとルビを振る。だとすれば、バンパネラの正体は、エネルギーだ、ということになる。ファルカは瞬間移動が出来る。だとすれば、バンパネラの存在は、異次元の存在なのかもしれない。それから、大老ポーが老ハンナを仲間にしたのは、8世紀だ。一体何があったのか。一方、ファルカはウクライナ・ポーランドの「紅いルーシー」という一族。800年(600年かもしれない)も生きている。さらにルチオというギリシャ系の一族さえいる。紀元からいると言われる「さまよえる者」がホントだとしたら、本当の起源は2000年前から居るのかもしれない。 しかし、バンパネラの正体だけならば種明かしに過ぎない。エドガーの約240年間にわたる、魂の遍歴の意味を明らかにするのが、最終章の役割のはずだ。 それにしても、本当に終わるのだろうか?今、あらゆる情報は今回が「ポーの一族最終章」だと囁いている。知りたいのと、知りたくないのと、半々だ。「カムイ伝」「火の鳥」と未完に終わった名作を抱えて、私たちは長編漫画の夢の中を生きてきた。その正当な継承者である萩尾望都が「終わらす」と言うのならば、やはり私たちはそれを真正面から受け止めなくてはならないのかもしれない。襟を正そう。そして、新章を紐解こう。
2019年08月11日
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あいちトリエンナーレで「表現の不自由・その後」に出品されていた「平和の少女像」(俗称・従軍慰安婦像)の展示等が、大阪市長や名古屋市長などの公権力からの圧力と「ガソリンまくぞ」という脅しFAXが直ぐに警察が動かない事を知らされて、遂に中止に追い込まれた。表現の自由への侵害と公権力からの検閲・圧力という点で、憲法違反の事案だとは思うが、今回は展開しない。 取り上げるのは、中止するかどうかが懸念されていた時に、ツイート上に展開されていたフェイクニュースが、今も根強く拡散され続けていることである。 それは例えばこんなツイートだ。 アメリカ軍装甲車にひかれた少女は2人いて、空いてるのはもう1人のひかれた少女の像を作って座らせるところだったのが、作りかけで世に出されて、なぜか反日プロパガンダに使われているかわいそうな少女というのは結構知られています。学生ボランティアの方に伝えていただければと思います。 このツイートは、私が(平和の少女像に)「昨年冬に初めて逢いました。学生ボランティアが24時間体制で、ガイド兼守っていました。隣は、一緒に座るために椅子があることを知っている日本人が如何に少ないことか。」と、本当の意図をツイートしたものに対して某氏がツイートしてきたものです。この写真は悪質だ。あたかもこのように展示されるのが意図されていたかのように加工したものである。同じオカッパだし、隣の椅子が空いているのはわけわかんない、と思っている若者にストンと落ちるように作っている。 完全なデマである。写真でしか見たことがない人はコロリと騙されるかも(この某氏もホントに信じてツイートしてきた可能性が高い)。しかし、芸術作品は、直に見ないとわからないことが多い。この作品はその最たるものだと思う。 私の意見を言う前に、この「噂」に対してちゃんと反証した記事がある。そこには、根拠のない噂であるし、いろんな証言からデマであることを立証している。 文春も報じた「慰安婦像の正体は米軍事故被害者」は完全なデマだった! 官邸とネトウヨ情報に丸乗りし印象操作 (2017年12月7日) - エキサイトニュース しかし、そんな記事を読む前に私はこれがデマだと直ぐにわかった。なぜならば、2点の点で(前掲記事に触れられていない)、他の塑像を作り変えたとは到底思えないからである。 1つは、この彫刻の後ろには明確に中学生ではなく「老女」の姿の影が刻印されているからである。しかも、自由の象徴である蝶を胸に潜ませている。この像が、元従軍慰安婦を表していなくて何なのだというのであろうか? 1つは、あの米軍装甲車女子中学生事件は、私もよく覚えている。私が韓国によく行き始めた頃の事件で、街中で何度もソウルの人たちのデモに遭遇したからだ。それは2002年の秋、21世紀に入った時のことだった。しかしながら、この像はチマチョゴリを着ているのだ。明らかにおかしいだろう。21世紀の女子がチマチョゴリを着て通学するか?万が一頭だけが、作家が彼女をモデルに作りかけていたとしても、ここまで違えば、それは芸術の常識として「作りかけで世に出されて」ということでは絶対にない。もちろん、先のエキサイトニュースを読んだらわかるように、作りかけを流用したというのは、何処にも根拠のない、オカッパだけの頭が似ているだけの、「デマ」なのである。 芸術作品は、直に観てどう感じるか、が全てである。直に観たらわかるように、少女はまるで生きているかのようであり、しかも品がある。全ての無垢な少女の象徴なのだ。観てもないのに、反日だと「批判」する輩は、映画を観てもないのに「面白いはずがない」という輩と同じ穴の貉である。そういう輩を私は軽蔑する。私は映画を直接見ないで批評したことはない。その他の芸術作品も同じである。 こういう「フェイクニュース」が、何度否定されても、まるで鬼の首を取ったように、今回何度も何度も拡散されている。その拡散が、今回、戦後最悪の部類に入る「表現の不自由」の結果になった。 おそろしい、と思う。 おそろしい時代になっている。
2019年08月10日
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「健康で文化的な最低限度の生活8」柏木ハルコ 小学館 読んだ漫画を全てレビューしていたらきりがないので、私は漫画の場合は時々まとめて書評を書く。しかし、この漫画だけは全巻感想を書いている(序でに購入さえしている)。漫画として飛び抜けて素晴らしいわけではない。しかし、一巻一巻きちんと対峙しないと、ここで描かれている事に対して申し訳ないと思うからである。そう思わせるだけの「取材」を柏木ハルコはしているのだ。 今回は「子供の貧困完結編」である。間違ってはならないが、このシリーズはノンフィクションではない。しかし、フィクションだから描ける真実があると思う。最初取りつく島がないように見えた佐野さんも、DVを受けて二児の母として、恋人にも逃げられ自暴自棄になっていたと判明。そう言う複雑な状況を2巻かけてゆっくりと見せている。恋人との間にできた赤ちゃんを産むのか産まないのか、栗橋さんがどう対応するのかが、この本のクライマックスだった。主人公義経えみるだと、この複雑な状況をさばけなかったかもしれない。 それと同時に不正受給問題で登場した欣也くんのその後も描かれる。貧困の子供は、はたして大学や専門学校に行けないのか? 『現在、7人に1人の子どもが貧困状態にあると言われている。子どもの貧困は子ども本人には全く責任がない。では誰の責任か?父親か?母親か?』『両親が離婚し、母子家庭になる。父親が養育費を払わない。母親は子育てのため正規の職に就けず、不安定な仕事を掛け持ちする。教育には金がかかり、公的な支援は不十分なまま』という栗橋さんの呟きの後ろで、よく見ないとわからないが「子どもがいるひとり親世帯の相対的貧困率」や「教育支出の対GDP比(公費負担及び私費負担の合計)」等々のデータが載っている。西欧や南米諸国と比べて、日本は最下位だ。チェコやチリよりも、日本は劣っているのだ。もちろん、佐野さんの元夫は酷い男だったと思う。欣也くんは進学したいけど、なかなか学力が追いつかない。しかし、それを含めて「支援」するのが国の責任だと、私は思う。戦闘機に一機100億円以上も払い、さらに百数十機も買いますよと大盤振る舞いするよりも、こちらにお金をかけるべきだ。その方が未来の国家に向けて、よっぽど「戦略的」だと私は思う。
2019年08月09日
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「死にがいを求めて生きているの」朝井リョウ 中央公論新社 初、朝井リョウ。物心ついた頃からゲームやSNSがあって、ゆとり教育やら同調圧力があるのを当たり前の社会だと思って生きてきた世代の、それでも対立と和解をどう解決して行くのか、探って行く物語。のように思えた。納得できなかった。以下、なぜかを述べる。 「俺は、死ぬまでの時間に役割が欲しいだけなんだよ。死ぬまでの時間を、生きていい時間にしたいだけなんだ。自分のためにも誰かのためにもやりたいことなんてないんだから、その時々で立ち向かう相手を捏造し続けるしかない」(398p) 「自分のためにも誰かのためにもやりたいことなんてない」なんて、平成生まれのこの子は、どうしてそんな風に自分のことを思ってしまうんだろう。どうして、いつも誰かにどう見られるかが、何かの基準になるのだろう?こんなに若いのに、何を焦っているんだろう?丁寧にその心理を幼少の頃から辿っているはずなのに、やはり私にはピンとこない。 組み体操のピラミッド存続問題やRAVERSや大学寮存続問題、無人島仙人問題など、現実にあった問題からモチーフを「強引に」自分のテーマに引き入れる書き方は、感心しなかった。揶揄はしていないが、あの事柄をある程度知っている人にとっては、揶揄されていると怒るかもしれないような書き方もあった。安藤くんじゃないけど、この作者に対しても「こうやって喋って満足するだけのおままごとはもう、終わり」にしよう、と言いたくなる書き方もあった。朝井リョウは何を焦っているんだろう? 自分に求められている「役割」を過剰に意識し過ぎているんじゃないか?こんな風にホントにあったことをなぞるならば、表層だけを見るんじゃなくて、「核」の部分を描いて欲しい。その表現、作者は、その部分で1番もがいているのかもしれない。そこは伝わってくる。でも、まだ足りない。決定的に何かが足りない。人気作家だけど、こんな感じならば、認めるわけにはいかない。
2019年08月07日
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「ワセダ三畳青春記」高野秀行 集英社文庫 高野さんは昨年の今頃、数少ない私の「お気に入り作家」に昇格した。そうなれば、出ている文庫本の少なくとも8割くらいは読まなくては気が済まないのが、私の性分。恋でも本でも、原理は同じですね。これで7冊目。まだまだ道のりは長い。この本で、第1回酒飲み書店員大賞を受賞。読めばわかるが高野さんは全ての作品が名文なのである。読み始めると、直ぐに高野節に染まってゆく。 でも、家賃1万2千円の三畳間には別に驚かない。私は2年間、家賃1万5千円の「家」に住んでいた。学生時代ではない、社会人になってからである。1つのボロ屋を2つに仕切って、半分に住むのだ。こちらは1人、向こうは一回も顔を合わせていないが、おそらく4人以上の家族だった。私が使わなかった部屋はふた部屋もある。最後は畳がブヨブヨになったが、全くノープロブレム。途中で私の母親が亡くなったので、夜になると真っ黒い部屋の片隅をよく凝視した。一度も出てきてはくれなかった。 話がそれたが、ともかく高野さんは、私のような孤独な下宿生活ではなく、普通の冒険旅行と同じく変人と共になんやかんや起こしながら、11年間、元気に「生活」してゆくのである。思うに傑作だろうと思う。
2019年08月06日
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「図書」2019年8月号 さだまさしの連載もの(「さだの辞書」)では、長崎に伝わる幽霊話を紹介しています。「飴屋の幽霊」という話は、いかにもありそうなお話でおそろしいのではありますが、さだまさしの伯母が死に目に仲良しの親類の老母に報せに来たという話も書いていました。 それで、私が直に体験したことも思い出しました。昔のことなんですけど、まざまざと覚えているのは、それが私の中学の入学式当日の朝だったからです。 その少し前から、私の母は家を留守にすることが多かったのです。どうやら母の実母が危ないということで病院に通っているということだけは聞いていました。その日はそれでも私の入学式なので、母は無理して私の式に出る予定でした。朝食の時に、家の屋根の上で、カラスがかなり大きな声で三鳴き四鳴きしました。「なんか不吉じゃねぇ」と言っていた時に黒電話が鳴ったのです。母は急いで受話器を取りに行き、暫く話したあと、私に「式に行けなくなった。ごめんね」と言ったのです。泣き虫の母が涙も見せていないことに「悲しくないのかな」と思ったことを覚えています。「あれはおばあさんが報せにきたのかなあ」と家族の誰もが思いました。まぁ、何処にもあるような話です。 三浦佑之さんの「風土記博物誌」は、今回は各地に伝わる大男伝説の話。ちょっと近くの兵庫県の伝説は、現在現存する山がちゃんと比定されているので、機会があれば行ってみたい。 山室信一さんの「モダン語の地平から」は、なんと現代もある常用漢語は1921年から始まっているという話。漢字学習の効率化と新聞など活字を選ぶ職工の作業軽減などが求められたらしい。最初から1962字。かなり絞っていたことに驚いた。常用漢字表にない漢字は仮名で書くことにした。現在では2010年から2136字が用いられている。 それでも外語は入る。この時の外語は実は中国語だ。マージャンは1909年に初めて入ってきて、20年代に流行、「テンパる」「面子」などは今は意味は転用されて使われている。他には裏面工作の「工作」、「合作」、「下野」、「要人」等も。軍事用語として「改編」「改組」。とても面白い。外来語は特に近代はカタカナ語ばかりと思っていたけど実は違っていたのである。
2019年08月05日
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「将軍」芥川龍之介 おそろしいはなしです。 青空文庫で、20分ぐらいで読めます。 伏せ字だらけ、芥川だけでなく、なにやらいろんな方の怨念が棲んでいそうな文章です。 大正10年の発表。N将軍と書いていますが、誰が読んでも日露戦争を勝利に導き、明治天皇崩御の際に殉死した乃木希典について書いたと分かる小説です。 日露戦役での将軍の白襷隊への激励、戦時に間諜を発見する将軍、慰問団劇にクレームをつける将軍、亡くなった後に青年が持つ違和感の四章で成っています。 乃木の殉死については、漱石も(「こころ」)鴎外も(「阿部一族」)それなりに反応を示した大事件でありました。「なんか嫌な感じ」と文豪たちは思ったのだと、私は解釈しています。 乃木希典は、決して自ら「死んで神様になりたい」と言ったことはないと思います。芥川も、この作品で一言もそういうことは書いていません。ただ、最後の青年の違和感と、この作品の5年前に「乃木神社」が建てられ、実は現代まで綿々と「格式ある神社」として続いているという事実を知るにつけ、なんかこの日本という国が、私はおそろしいのです。 最後に第2章「間諜」の一節。 将軍に従った軍参謀の一人、──穂積中佐は鞍の上に、春寒の曠野を眺めて行った。が、遠い枯木立や、路ばたに倒れた石敢当も、中佐の眼には映らなかった。それは彼の頭には、一時愛読したスタンダアルの言葉が、絶えず漂って来るからだった。 「私は勲章に埋った人間を見ると、あれだけの勲章を手に入れるには、どのくらい××な事ばかりしたか、それが気になって仕方がない。……」
2019年08月04日
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「桃太郎」芥川龍之介 おそろしいはなしです。 芥川龍之介の書いた変わり種「桃太郎譚」。青空文庫で10分ぐらいで読めます。 黄泉比良坂でイザナギが追っ手を防ぐために撃った桃は1万年に1度成るというもの。その桃は核に赤ん坊を孕んでいたそうな。 そこから産まれた桃太郎。現在人口に膾炙している彼とは真反対、ニートの食いつぶし、サイコパス紛いになって、平和に暮らしている鬼ヶ島へ侵略戦争を仕掛けるというお話です。 降参した鬼が桃太郎に、どうして私たちを征伐に来たんですか?と尋ねた時に桃太郎はこう答えています。 「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」 「ではそのお三かたをお召し抱えなすったのはどういう訣でございますか?」 「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。──どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」 見事な二段論法。まるでどこかの国の首相のようなはぐらかし答弁です。これをどこかの国のパロディとみるのか、どこかの会社のパロディとみるのか、単なるギャグとみるのか、は貴方次第。芥川龍之介はこれを書いた3年後に自殺しているのですが。 大正13年、「サンデー毎日」初出。
2019年08月03日
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「絵物語 古事記」富安陽子・文 山村浩二・絵 三浦佑之・監修 偕成社 世に「現代語訳古事記」は多い。易しく書かれた絵本もかなり出ている。しかし、原文の形を残したままに、絵本形式の古事記は、ほとんど例がないのではないかと思う。 古事記は、粗筋も大切だが、細部にこそ命がある。もっと言えば、リズムや比喩表現が大切なのだが、この本にそこまで求めるのは無理だ。そのかわり、この本ならではの絵画表現が、大人にも数々の発見を持たらすのではないか?と思う。 私は古事記初心者なので、簡単なことに感心する。例えば長い矛で「コオロコオロとかきまぜ」て生まれたオノゴロ島は、いったい何処なんだろと思ったのと同時に、矛の形は明らかに弥生後期にしか出現しない形態で、古事記作者の視点は作成時の700年ぐらい前にしか遡れないのだな、と独りごちた。本当は皇紀で言えば、1300年以上は遡るはずだ。 涙や雫から次々と生まれ出ずる神々の姿は、原文ではイメージが湧きにくいけど、絵で見ると、あゝなんて簡単に神々が出てくるのか、と思ってしまう。神が神を産んで、綿々と繋がって、天皇に成って行くことを「説明」している。この本の大きな特徴だ。 イザナミは火の神カグツチを産んだ火傷がもとに亡くなるのだが、イザナギは怒りに任せてカグツチの首をちょん切ってしまう。その剣の滴る血から戦さや水の神など、災いと生産の神々が次々と産まれる。小さな事件は、次の来たるべき社会の転換点になったことを示していると思う。絵を見ると、まだ子供のような神なのである。小さく産んで大きく育つ。そうやって、日本人は神々(社会)と向き合ってきたのかもしれない。 何年か前、出雲の国で黄泉比良坂(よもつひらさか)と言われる森の中を訪ねたことがある。死の国の住人になったイザナミを閉じ込めた岩も見た。真偽はどうであれ、1300年近くそういう伝説を伝える人々のエネルギーに圧倒された。絵の中の最後の彼女の姿、子供が見たら夢の中に出てくるかな。 ヤマタノオロチは、ずっとキングギドラみたいな姿を想像していたけど、原文をきちんと読めば「ズルズルと体をひきずり」やってくるのだ。絵を見て初めて知った。巨大な大蛇が8匹同時にズルズルやってくるのは、確かに気持ち悪い。 等々、書き出すとキリがないのでここまで。大人が読んでも、大人が読んでこそ、面白い絵本でした。
2019年08月02日
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「きつねのはなし」森見登美彦 新潮文庫 京都には魔物が棲んでいます。それはこの本の話ではなく、この前京都に旅した私の実感です。 「ついこの間の戦(いくさ)」と住民が言えば、それは74年前のことではなく、ましてや外国との戦さのことではなく、600年前の応仁の乱のことだと言うのだから、時間の概念が違うのです。だから、秀吉が築いた都をぐるりと周らす堤を築くために掘られた溝に捨てられた無縁地蔵を、未だに住民が懇ろに供養しているのが、平気でそこら彼処にあるのです。 さて、はなからいつもの森見登美彦と雰囲気が違うこの短編集、21世紀の現代に延々と続いている吉田神社の節分祭に、主人公の男が魔物と取り引きをして得たものは、それはもうホントは何だったのでしょうか?ナツメさんは本当は何者だったのでしょうか?(「きつねのはなし」) 千年の都に張り巡らされた神秘的な糸が、それはもう、不思議な音を立てています。私はウソと信じながら迷い込み、迷宮の壮大な門の前で引き返した気がします。(「果実の中の龍」) (「魔」)という名の短編であるのにも関わらず、これはジュブナイル・青春ストーリーとも言っていいような短編。でも、ある一点を除いて。それが、この本の一頁から最後に至るまで棲みついている魔物のひとつであるから。 吉備国の弥生時代には、龍の信仰が確かにあり、何かうねうねとした奇怪な模様が壺に書かれています。やがてその模様が、古墳時代の大王の代替わりの際に使われる壺の特殊器台の模様に変わって行くのに、更に数百年の年月を要したとのことです。すみません、物語とは全く違う話を最後に書いてしまいました。(「水神」) 決して怖くはないのです。ただただおそろしい。
2019年07月31日
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「違国日記」マシタトモコ 祥伝社 現在4巻目まで出ているようだけど、1巻目を読んだ段階であまり大きな進展はないタイプの話のようなので、1巻目だけの感想を書く。というのは、気に入ったから。「このマンガがすごい!オンナ編」第4位。 田汲朝(15歳)は、交通事故で亡くなった両親の母親の方の妹と一緒に住むことになる。妹は高代槙生(35歳)小説家である。1話目は、突然朝が高校3年で出てくるが、2人の日常生活を描いているので、おそらくこの物語は、その3年間の「日常」を描くことなんだろうな、と見通しを立てた。2話目からは、朝を引き取る時の中学生の頃に戻る。 なにが面白いのか。人見知りの一人暮らしの女性の小説家が、女の子を引き取って、初めて「人間」と暮らし始める。その1つ1つがやはり発見の連続。朝の視点と槙生の視点。人間とはいえ、まだ犬ころを拾ったような感覚が槙生にはある。 槙生は小説家なので、言葉を大切にする。朝に日記を勧める。「この先誰があなたに何を言って、誰が何を言わなかったか。あなたが今、何を感じて何を感じていないのか。たとえ二度と開かなくても、いつか悲しくなったとき、それがあなたの灯台になる」。よくわかる。 私も中学生から高校生にかけてずっとつけていた日記があった。数年前にそれを見つけて、何か文章を書こうとしたら、それ以降一度も開けることがなかった。「そうだ、日記は灯台なんだ」まだ私には、必要ないのかもしれない。このマンガが完結した時に、また改めて感想を書きます。 どうでもいい話なんだけど、どうして最近のマンガ家は全部カタカナの名前が多いんだろう(コナリミサト、ヤマザキマリ等々)。そんなにもデジタル化(or記号化)したいんだろうか。
2019年07月30日
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久しぶりに岡山市埋蔵文化財センターに来た。大きな展示会もしていないし、報告するようなことはないと思ったら、意外とたくさんあった。建物の意匠は千足古墳石障の直弧文です。 千足古墳石障(仕切り石)の展示は、今は既に無いのですが、以前はなかった石室模型がありました。西田和浩氏の論考ペーパーがあり、天草・宇土半島との結びつきを考察していました。 収蔵展示室には、「発掘された日本列島2019」で展示されている金蔵山古墳(4C後半)の家型埴輪に漏れた埴輪群がありました。 展示室には多くは南方遺跡(弥生中期)の遺物がずらっと並んでいました。分銅型土製品に、農耕儀礼と関係する高床倉庫が描かれている?これは家族祭祀の道具だと理解していたのだが? 九州や四国、近畿から来た土器や、ジョッキ型土器などの変わりものや、南方遺跡土器群の編年などを見る。 びっくりしたのは、南方遺跡のこんな分厚い発掘報告書全3分冊が、800円700円700円で販売されていたこと。安売りセールじゃないらしい。最近の報告書はだいたいこの値段なんだと。技術の革新?つい全部買ってしまった。 南方遺跡発掘報告書より「旭川西海岸平野のほぼ中央に位置する集落遺跡。弥生時代中期を中心とするこの地域を代表する拠点集落であり、山陽東部の弥生中期の土器形式「南方式」の名祖遺跡」
2019年07月29日
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6月に観た映画の後半です。 「アラジン」何度も作り変えられる魔法のランプの世界。その度ごとに、アラジンも、ジャスミンも、ランプの魔人も過去の数々の、「欲望にはキリがない」「自由が1番尊い」「世界を知ろう」という教訓を上書きしながら、「女性権利の尊重」という新しい価値観と、実演でもアニメと全く遜色ないファンタジーの世界を実現した。ハリウッド化した中東の世界、米国美男美女インド系俳優の誕生、思いっきり楽しんでいるウィル・スミスと俳優の力も大きかった。楽しめました。冒頭、「船乗り」のウィル・スミスが子供達に物語を始めるという構造。「千夜一夜物語」の1つにもなっていて、しかも上手いこと仕掛けがあって、子供達目線の物語になっている謎が解ける。上手いと思った。(STORY)貧しいながらもダイヤモンドの心を持ち、本当の自分にふさわしい居場所を模索する青年のアラジン(メナ・マスード)は、自由になりたいと願う王女のジャスミン(ナオミ・スコット)と、三つの願いをかなえてくれるランプの魔人ジーニー(ウィル・スミス)に出会う。アラジンとジャスミンは、身分の差がありながらも少しずつ惹(ひ)かれ合う。二人を見守るジーニーは、ランプから解放されたいと思っていた。(キャスト)メナ・マスード、ナオミ・スコット、ウィル・スミス、マーワン・ケンザリ、ナヴィド・ネガーバン、ナシム・ペドラド、ビリー・マグヌッセン、(日本語吹き替え版)、山寺宏一、中村倫也、木下晴香、北村一輝、沢城みゆき、平川大輔、多田野曜平(スタッフ)監督・脚本:ガイ・リッチー脚本:ジョン・オーガスト2019年6月25日MOVIX倉敷★★★★ 「幸福なラザロ」冒頭。貧しいムラの夜中。若者たちが音楽を鳴らしながらやってきて、娘との婚約を宣言する。たった58人のムラではあるが、女子供は多く、中世の共同体とはかくあるかと思わせる。しかし、支配者の侯爵家は携帯を持っていた。少なくとも90年代の携帯であり、侯爵家は大量無賃労働をしていたということで、ムラ人は離散を強いられる。リアリズムとファンタジーの融合。社会派ではない。おそらく20年の月日が流れて、ムラ人たちの心は荒んでいる。そこへタイムスリップしたかのごとくラザロが現れる。しかし、昔の共同体を全面的に良かったとは言っていない。熱を出しただけで、死んでしまうという諦めがムラ人にあるように、それは厳しい生活なのである。子沢山は、彼らの防衛手段だ。映画の寓話性、神話を作る力は、この作品で如何となく発揮られた。ムラ人たちは語り伝えることだろう。やがてムラに帰って新しい共同体を作るために。そして、それが人類の特性なのだ。(解説)第71回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したヒューマンドラマ。キリスト教の聖人ラザロとイタリアの詐欺事件から構想された物語で、無垢(むく)な青年を主人公に、孤立した地で生活する村民が外の世界に触れる様子が映し出される。監督は『夏をゆく人々』などのアリーチェ・ロルヴァケル。新人のアドリアーノ・タルディオーロ、『ハングリー・ハーツ』などのアルバ・ロルヴァケルらが出演する。(あらすじ)20世紀後半のイタリア。純朴な青年ラザロ(アドリアーノ・タルディオーロ)は、社会と隔絶した小さな村に住んでいる。そこの人々は、小作制度が廃止されたことを知らずにタダ働きを強いられていた。ある日、領主の侯爵夫人(ニコレッタ・ブラスキ)の息子が誘拐騒ぎを起こし、労働搾取の実態が世に暴かれる。2019年6月20日シネマ・クレール★★★★ 「町田くんの世界」失敗作である。原作を超えることができなかった映画は久しぶりだ。石井裕也は、原作を変えて自分なりに作って超えることができなかった。あと一回これが続けば見限った方がいいと思う。原作はとても難しい素材だった。一見普通の高校生がとんでもない天然人たらし(女たらしではない)だったという構造。それ以外は普通の世界を描いていて、最も理想的な作品にしようとするならば、是枝ばりのリアル作品にするべきなのだが、とても難しいだろうと思っていた。監督は、それをユーモア映画ならびにファンタジー映画にしてしまった。原作にない作家池松壮亮は、監督の分身だと思うが、池松壮亮の演技がそもそも大袈裟すぎて、そこから監督自身が「町田くんの世界」を信じていないことが見え見え。「もしかしたら、町田くんているかもしれない」そう思わせなくてはならないのに、最後の最後で恋に目覚めた町田くんが「君のことしか考えられなくなりそうだ。それっていいことなんだよね」と言わせてしまってはいけない。町田くんは、一瞬そう思っても、決してそうはならない青年なんだから。大人の実力俳優を高校生に4人も持ってきたのは、狙い通りだと思う。しかし、空回りした。(あらすじ)町田くん(細田佳央太)は運動や勉強が不得意で見た目も目立たないが、困っている人を見過ごすことのできない優しい性格で、接する人たちの世界を変える不思議な力の持ち主だった。ある日、町田くんの世界が一変してしまう出来事が起こる。(キャスト)細田佳央太、関水渚、岩田剛典、高畑充希、前田敦子、太賀、池松壮亮、戸田恵梨香、佐藤浩市、北村有起哉、松嶋菜々子(スタッフ)主題歌:平井堅監督・脚本:石井裕也脚本:片岡翔2019年6月27日MOVIX倉敷★★ 「新聞記者」ある程度は期待して観た。私には、普通のサスペンス映画にしか思えなかった(「相棒」外伝と言われてもおかしくはない)。そんなに悪くないけど、少し甘い。2人の俳優は頑張っていたが、脚本はもっと作り込むべきだ。現政権批判は、前半こそはそれらしきもの(前川事件、詩織さん事件、森本問題)が出てくるが、後半は普通のフィクションになっている。ラストは変な盛り上げ方をしたが、韓国映画ならばもっと二転三転するはずだ。これだけの内容で130分は長すぎる。この映画の一番の驚き(売り)は、ノンフィクションでないこんな作品でさえ、テレビが一切タイアップをかけなかったこと。それに尽きる。この見事な忖度社会を証明した作品は記憶されるべきである。追記それでも、「相棒」では決して出てこない場面として、薄暗い内閣調査室の中の無数の所員が延々とパソコンに向かってカタカタカタカタやっている場面は良かった。1つは、ニセ世論作りのための直のツイートか、それへの指示とも思われるが、映画の中でははっきりしない。まあ不気味なところは描いていた。新聞記者は、切り込んだ記事を書いても「誤報」とされてしまう仕組みを、不十分ながら描いていた。若い官僚の逡巡を2時間かけて描いたのだから、それに見合ったドラマとラストにして欲しかった。(解説)韓国映画界の至宝シム・ウンギョン×昨年度映画賞に輝く松坂桃李権力とメディアの“たった今”を描く、前代未聞のサスペンス・エンタテイメント!一人の新聞記者の姿を通して報道メディアは権力にどう対峙するのかを問いかける衝撃作。東京新聞記者・望月衣塑子のベストセラー『新聞記者』を“原案”に、政権がひた隠そうとする権力中枢の闇に迫ろうとする女性記者と、理想に燃え公務員の道を選んだある若手エリート官僚との対峙・葛藤を描いたオリジナルストーリー。主演は韓国映画界の至宝 シム・ウンギョンと、人気実力ともNo.1俳優 松坂桃李。(STORY)あなたは、この映画を、信じられるか―?東都新聞記者・吉岡(シム・ウンギョン)のもとに、大学新設計画に関する極秘情報が匿名FAXで届いた。日本人の父と韓国人の母のもとアメリカで育ち、ある思いを秘めて日本の新聞社で働いている彼女は、真相を究明すべく調査をはじめる。一方、内閣情報調査室官僚・杉原(松坂桃李)は葛藤していた。 「国民に尽くす」という信念とは裏腹に、与えられた任務は現政権に不都合なニュースのコントロール。愛する妻の出産が迫ったある日彼は、久々に尊敬する昔の上司・神崎と再会するのだが、その数日後、神崎はビルの屋上から身を投げてしまう。 真実に迫ろうともがく若き新聞記者。「闇」の存在に気付き、選択を迫られるエリート官僚。2019年6月30日イオンシネマ★★★★
2019年07月28日
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