全4972件 (4972件中 801-850件目)
< 1 ... 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 ... 100 >
「ビッグイシュー357号」ゲット!随分とビッグイシューを買っていない。販売者さんと会うことができなかった。やっと出会うことができて、まとめ買いした。どうやらアルバイトも始めているらしい。そうやって、次第と自立への準備を始めているのは素晴らしいことだ。表紙は「ビューティフル・ボーイ」主演が近づいているティモシー・シャラメ。薬物依存症の彼が、父親とともにそれを克服して行くという映画だ。実在するモデルがすぐそばにいる状態での撮影は、大変だったけど充実したものだったようだ。観に行きたいと思う。特集は「市民発電所」。実は私は、岡山の市民発電所に少し投資している。最初の頃は投資額よりも多くの売電額が振り込まれたのだけど、最近は少ない。その事情がわかった。売電額改定が進んでいるのだ。10kw以上の太陽光発電の場合、12年に40円/kwだった価格は、19年には14円まで下落したらしい。市民団体は、売電するのではなく、自家消費して商品を作る取り組みをするとか、農地の上に発電所を作り、農作物も喜ぶ効率いい発電をするとか工夫してやっているようだ。岡山の市民団体にこれを見せてあげたいと思った。
2019年05月30日
コメント(0)
「大人は泣かないと思っていた」寺地はるな 集英社読み終わったあとに、著者のプロフィールを見る。1977年生まれ。現在43歳か。会社勤めと主婦業のかたわら小説を書き始め、2014年ポプラ社小説新人賞でデビュー、この本が7冊目。1年に1〜2冊の割合だな。書くのが好きなんだなと思う。ライトノベルの流行を受けて描写はやさしい。映画のように場面の切り取りには、かなり神経を使っている。「大人は泣かないと思っていた」いい題名だと思う。人生の何処かで、誰もがそのことに気がつく。読む前の予測は15歳ぐらいの少年の話かと思っていたが、21歳とかなり遅い。しかも時系列では物語が始まる11年ほど前になる。よって、青春モノではない。片田舎の住人の、穏やかな日常と、それなりの人生の転機を描く。いろんな年齢層の人物の視点から紡がれる約1年間の連作短編集になっていて、主人公の青年視点は1番最初と最後に置かれる。でもやはり、30代の人物像が1番生き生きしている。青年が幸せになればいいなと思う。そうなんだよ、大人は案外泣き虫なんだよ。2019年5月28日読了
2019年05月28日
コメント(0)
以下に掲載したような記事を見つけたので、コピペしたうえで、私の感想を述べる。東京23区内だけでも、「1987年には、男性788人、女性335人であったものが」「2015年には、男性4995人、女性は2683人」に膨れ上がっていることにびっくりした。それを敷衍すれば「わが国では、年間孤独死3万人、1000万人が孤立状態」というとになるのだろう。様々な要因が考えられるとは思うが、それはレポーターの著書を読んだときにまたコメントしたい。記事を読んで思ったのは、「若年孤独死」は、私にもあり得るなということだ。さゆりさんは約10年で「ボランティアもしたい」という意欲から「ボツコミュニケーション」になって三ヶ月死を知られなかったという状態になった。それほどまでに、現代は一人になっても気づかれないということなのか。今でこそ、私は今現在突然連絡が取れなくなったら(仕事関係から)一日で探し始められるという自信がある。SNS関係で、一週間で周りの人が動き出す可能性もあるだろう。そういう意味では、私は知らぬ間に「セーフティネット」を構築していということなのだろう。反対に言えば「スマホを落としただけなのに」で描かれたように「なりすまし犯罪」に巻き込まれる可能性もあるわけだが。しかし、実際はそんなにひどいことにならない間に気づかれる関係性は築いている。やはり、人間は人と人との間に生きる生物なのである。孤独死した40代女性が日記に綴った叶わぬ願い男性より見抜きづらい、女性の孤立2019/05/26 16:00「週刊女性PRIME」編集部わが国では、年間孤独死3万人、1000万人が孤立状態にある──。自著『超孤独死社会特殊清掃現場をたどる』(毎日新聞出版)の取材において数々の特殊清掃現場を取材したが、とくに、高齢者と違って地域による見守りなどがない60代以下の現役世代の孤独死は深刻だ。孤独死の8割はセルフネグレクト(自己放任)だと言われている。ゴミ屋敷に代表されるような、自分で自分の首をジワジワと絞めていく、いわば自らを殺すような緩やかな自殺行為だ。ある40代女性の悲しき孤独死今回は、ある40代女性の孤独死の一例をご紹介したい。八王子市の一軒家に住む40代の牧田さゆりさん(仮名)は、孤独死して3カ月以上も発見されなかった。当記事は「週刊女性PRIME」(運営:主婦と生活社)の提供記事ですさゆりさんは両親が亡くなった後、実家で独り暮らし。東方神起の熱狂的なファンで、ポスターが壁の隅々まで飾られていた。部屋のいたるところに、CDやDVDなどの東方神起のグッズがみっちりと詰まった段ボールが山積みになっていた。この現場の特殊清掃を手がけた武蔵シンクタンクの塩田卓也氏が、遺品を1つずつ整理していくと、棚には、ホテルの領収書や新幹線のチケットがバインダーに丁寧に整理されている。どうやら、さゆりさんは、元気な頃は熱心に地方公演の遠征をしていたらしい。棚にあったアルバムをめくっていくと、ハワイ旅行でピースサインをする無邪気なさゆりさんの姿がそこにはあった。20代後半には、彼氏と思われる男性とともに、満面の笑みを浮かべている。アルバムには、彼氏にあてたラブレターや記念日のカードが挟まれていた。そしてその横には、4冊にもわたる数年分の日記帳が立てかけられていた。日記帳によると、さゆりさんに異変が起こったのは、30代の前半だった。肝臓に疾患が見つかり、最愛の彼氏との結婚を断念。その頃から、病弱になり徐々に家に引きこもり、セルフネグレクトに陥っていく。さゆりさんの両親はすでに他界していて、兄とも長年疎遠、誰も頼れる人はいなかった。そのため、さゆりさんは、たった独りで病魔に向き合わなくてはならなかった。LDKには、かつて思いを寄せた男性を描いたと思われる絵が残されており、さらに男性にプレゼントしようと思ったのか、男物の毛糸のセーターや、マフラーなどの編み物がホコリをかぶっていた。たった独りで闘病生活を送っていた初期の日記には、彼女の闘病への決意が綴(つづ)られていた。『病気を乗り越えて、人のためになれるようなボランティア活動をしていきたい。そして、幸せな家庭を築きたい』しかし、その思いは日を追うごとにトーンダウンしていく。『もっと私が元気だったら……生まれ変わったら、今度は、結婚したい』さゆりさんのあまりにはかない、そしてささやかな願い──。しかし、それはかなうことはなかった。そして、亡くなる1カ月前には、自らの病への苦しみや戸惑いを記したものが多くなっていく。『お腹が痛くて、下痢が止まらず、身動きがとれない……。これからの自分は、どうなってしまうのだろう……』日記は死亡推定日時の4日前で途絶えていた。『今日は、お腹が痛くて、あまりよく寝れなかった。倦怠感もひどい……』それは、さゆりさんが力を振り絞ってしたためた最後の文章だった。さゆりさんは、病気のことを誰にも告げずたった独りで闘病し、最後はトイレの中で崩れ落ちるように息絶えていた。直接の死因はトイレで排便中にいきんだことによる、急死。しかし、誰も頼る人がいないという状況が彼女をむしばみ、死期を早めたのは明らかだ。さゆりさんの遺体が見つかったのは、真夏を過ぎて、秋に差しかかった頃だった。2階の窓から、大量のハエが見えることを心配した近所の住民が、警察に通報して孤独死が発覚。死後3カ月が経過していた。ひと夏を過ぎたさゆりさんの体液は、トイレと脱衣所の床一面に染み渡り、大量のウジとハエが発生していた。さらに体液はクッションフロアをとうに突き抜けて、ベニヤや断熱材、建物の基礎部分まで浸透していた。遺体が長期間発見されなかった場合、このように、建物の深部まで体液が浸透するケースも多いのだという。塩田氏は、さゆりさんの死について、無念な思いを語る。「さゆりさんが愛していた彼氏と一緒に人生を歩めなかったこと、肉親を頼れなかったことが、病気だけでなく彼女の精神をむしばみ、死を早めてしまったんだと思います。さゆりさんは、40代という若年層ということもあり、地域包括支援センターなどの見守りの対象者ではない。また、戸建て住宅は、賃貸物件と違いプライバシーの問題で、近隣の住民が立ち寄らないことも多い。それがなおさらご遺体の発見を遅くしたんだと思います。ご本人の孤独な境涯が死を早めるんです。心を閉ざして、人生さえ早く幕を閉ざしてしまう。本当に切ないです」現在、この住宅はリフォームされ、別の住人が住んでいるという。東京23区では1日あたり約21人が孤独死東京都監察医務院では、孤独死を「異常死の内、自宅で死亡した一人暮らしの人」と定義している。通常、人が亡くなった時点で病死と判明している場合は、自然死として処理される。異常死とは、そもそもの死因が不明な遺体のことだ。この異常死に該当すると、解剖などが行われることになる。東京都監察医務院は東京23区内で異常死が出た場合に解剖を行う機関だが、そこでは、この「異常死」のうち、自宅で亡くなった数を孤独死としてカウントし、その統計を毎年公表している。この統計が孤独死の数を知る数少ない手がかりとなっている。それによると、東京23区において1987年には、男性788人、女性335人であったものが、ほぼ20年後の2006年になると、男性では2362人、女性では1033人となっており、20年前に比べて約3倍にも膨れ上がっている。2015年には、男性4995人、女性は2683人とある。1年間に、東京23区において、総数7678人が孤独死しているということになる。東京23区に限定しても、1日あたり約21人が孤独死で亡くなっているのである。女性の孤独死の特徴としては、部屋の洋服や紙などの物量が多いという特徴がある。心が雪崩のごとく崩壊し、家の掃除をしなくなり、部屋の中を徐々にゴミが占拠していく。なかには、衣類を天井ほどまでためこんだ女性もいた。女性の孤立は男性より見抜きづらい部屋が汚くなると、人を招き入れなくなるという悪循環が起こる。とくに現役世代は、健康を害してしまうと誰にも気づかれず、セルフネグレクトに陥り、命を脅かすようになる。身内との縁が切れていたり、近隣住民からも孤立しているという特徴もあり、なかにはペットとともに亡くなっているケースもある。行政も捕捉が難しいのが現状だ。度重なる遺族や現場の取材から、男性がパワハラや失業などいわば、社会との軋轢(あつれき)から、セルフネグレクトに陥るケースが多いと感じた。しかし、女性の場合は、さゆりさんのように、失恋や離婚の喪失感、病気など、プライベートな出来事をきっかけに、一気にセルフネグレクトに陥りがちだ。また、責任感の強さから、誰にも頼れずゴミ屋敷などのセルフネグレクトになり、孤立してしまう。数々のエンディングサポート業務を行っている遠藤英樹氏は、女性の孤独死についてこう語る。「女性が1度、世間から孤立すると他人が見てもわかりづらいのは確かです。まだ自分は大丈夫だと仮面をかぶるからです。しかし実際は、雨が降ると外に出たくなくなり、身体がだるいと動きたくないという狭間で、そのギャップに苦しむ。そんな自分に嫌悪感を覚えて自己否定が始まり、最後に精神が崩壊する。女性の孤立は、男性の孤立より、見抜きづらいと思います」孤独死の現場を目の当たりにすると、筆者自身、同じ女性としていたたまれない思いを抱いてしまう。それは、孤独死は筆者とも無関係ではなく、むしろ、誰の身に起こってもおかしくないという思いを強くするからだ。筆者自身も含めて、誰もが人生の些細なつまずきをきっかけとして、孤独死という結末を迎えてしまう。さゆりさんの死は、孤独死は決して他人事ではないということを私たちに突きつけている。■プロフィール菅野久美子(かんの くみこ)1982年、宮崎県生まれ。ノンフィクション・ライター。著書に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)などがある。最新刊は『超孤独死社会 特殊清掃現場をたどる』(毎日新聞出版)。また、さまざまなウェブ媒体で、孤独死や男女の性にまつわる多数の記事を執筆している。
2019年05月27日
コメント(0)
「住宅顕信句集 未完成」春陽堂若さとはこんなに淋しい春なのか映画「ずぶぬれて犬ころ」(本田孝義監督作品)を観た足で、岡山県立図書館を訪れ、この本を借りた。2003年発行。顕信の一周忌に間に合わせて刊行された88年の句集「未完成」の文庫版である。顕信は、私が岡山市に住んでいた頃、岡山市民病院で闘病し1987年にたった25歳で死去している。岡山リビング新聞という、新聞に挟み込む広告新聞で1度大きく取り上げられてはいるのだが、死後しばらくして有名になるまで一切知らなかった。その死を知らぬ間に、私は彼が全集を2冊ボロボロになるまで読み込んで、遂に彼の行くこと叶わなかった小豆島の尾崎放哉終焉の地を旅している。そこで、私は初めて自由律俳句を本格的に読んだ。咳をしてもひとり放哉の句だ。自由律俳句は引き算である。と、私は思う。定型俳句が、17文字の中に広大な世界を入れ込む試みなのに対して、その対極な所に顕信の句はある。夜の窓にふとうつる顔がある洗面器の中のゆがんだ顔をすくいあげる影もそまつな食事をしている長い闘病生活の中の、切り取られた感情。日本語の、現代語の、磨きに磨きあげた可能性。香山リカさんが「顕信の句は、実は現代的で都会的」と言い、解説の池畑秀一氏も同意しているが、実は私も同意する。気の抜けたサイダーが僕の人生映画「ずぶぬれて犬ころ」では、いじめに遭っている中学生が最初に選ぶ顕信の句である。放哉のように破滅的でもなく、家族の愛に包まれ、それでも白血病と闘い亡くなった顕信の、その心像風景は30年経てもなお、切々と若者に届くだろう。あと30年生きて我々の前に立っていれば、きっと未完成などではなく新たな地平を見せているかもしれない。などとも思う。夜が淋しくて誰かが笑いはじめた
2019年05月26日
コメント(0)
「MIX(既刊14巻まで)」あだち充 小学館「あの」明青高校が、30数年ぶりに甲子園を目指すという漫画を、あだち充が描いているのは知っていた。どうせ上杉達也と浅倉南の息子が出てくるのだろうと無視を決め込んでいたのだが、最近無料で電子書籍を見ることを覚えて、試し読みをしてみたら、そんな単純な話じゃなくて、血の繋がっていない立花兄弟が甲子園を目指し、みゆき等歴代ヒロインそっくりの可愛い女の子2人も出てきて、じっくり高校野球青年群像を描く話になっていた。という話になりそうなところで、無料お試しが終わったので、続きは買うのはやめて、某所で最新の14巻まで一気に読んだ。勢南高校の西村が息子と共に出てきたり、元・須見工野球部が出てきたり、13巻からは原田正平が記憶喪失で出てきたり、完全「タッチ」の続編となっていた。何度も盛り上がりかけた所で、和也のような悲劇が襲いそうな場面を作ってみたりしている。あだち充は、絵柄に似合わない癖のある漫画を描く男なのだ。明らかに「タッチ(ヒーローの交代)」というテーマではなく「ミックス(名作と現代のコラボ)」というお話になっている。まだまだ主人公たちは高校二年生になったばかり。ゆっくり進んでいるので、あと6年ぐらいは続きそう。あだち充は、そう言うことを平気でやる男である。おそらく、最終回は、明青が甲子園出場を決めて、浅倉南が顔を出す所で終わる、と私は見ている。でも、予想を外すのをとことん楽しんでるのが、これまでの14巻だったからなあ。
2019年05月25日
コメント(2)
「女子柔道部物語(既刊5巻まで)」原作恵本裕子 脚色・構成・作画小林まこと 講談社私は中学・高校の6年間柔道部に入っていた。神さまの山下泰裕、天才の古賀稔彦、怪物の田村亮子(決して谷ではない!)を、その初めからテレビ中継されたものは全試合を観てきた。だから、柔道漫画を見る目は厳しい。小林まこと「柔道部物語(全8巻)」は、その時代の中ではピカイチの漫画だった。アクロバット的な技が横行していた柔道漫画のなかで、柔道にはスピードとパワーが必要なのだと言うことを、説得力持ってリアルに描き切った作品だった。その小林まことが帰ってきた。しかも、原作には本当の女子柔道の金メダリスト恵本裕子を迎えて。まだまだ物語の序盤だとは思うが、5巻まで来たので、この辺りで、一言書いておきたい。小林まことの作品は、途中でキャラが暴走してとんでもない所に行くのが欠点だった。ところが、女子柔道部物語は、最初から「タガをはめた」。冒頭は、1995年主人公が日本大会2連覇を成し遂げて、世界選手権一回戦で秒殺11秒で負けるところから始まる。ところが、その一年後にアトランタオリンピックで金メダルを獲ると書いてしまっているのである(あとでウィキで調べると全て恵本裕子の伝説的事実だった)。そして、物語は7年遡って高校1年の神楽えも(恵本裕子の分身?)が初めて柔道を始めて、5日後の新人戦で勝ってしまう所から物語が紡がれるのである。高校時代で終わるのか、社会人になって、最後のオリンピックまで進むのかは、これからの人気次第だろうけど、ここまでは快調だ。なによりも、安定の作画と、小林まことらしいギャグと、恵本裕子の実践的な物語が、予想以上にマッチしている。 もちろん、恵本裕子の純粋な自伝じゃない。でもかなり経験が入っている。まだ高校二年生だ。あと四年、次々回のオリンピックまでは続くと思える。次回書評は10巻目でお会いしましょう。
2019年05月24日
コメント(0)
「鴨川食堂」柏井壽 小学館文庫 鴨川食堂と言いながら、東本願寺の近くである。「正面通の東洞院を東」と京都通ならば、割とわかりやすい住所を明らかにしている。私もこの前の旅で歩いた辺りだったので、とてもイメージが湧いた。鴨川食堂は看板も出していない二階建てのしもた屋だ。実際、根を詰めて探しても現実にその店があるはずもない。想像上の店に、気のいいアラサーのお嬢さんと食の名人で僅かな情報から思い出の食を探り当てる流という料理人がいる。京都を知り尽くしてると自他ともに認める作者が、小説という形で「美味しいもの」を表現している。ここに出てくる京料理のほとんどは、かなり京都に通い詰めてそれなりにお金も落とさないとたどり着けないものばかりなので、私は反感を覚える。一方で思い出を再現する表題の料理は、「鍋焼きうどん」「ビーフシチュー」「鯖寿司」「とんかつ」「ナポリタン」「肉じゃが」と普通手の届くものばかりだ。上手いことバランス取っていると思う。流料理人の推理は、あらかじめ結論が出ているものを探すわけだから、何の驚きもない。ただし、京都の食文化をきちんと伝えたいという情熱は感じた。最後まで読んで、辛口だった評価が、だんだんと豊かな風味を帯びてくるのを認めざるを得なかった。
2019年05月22日
コメント(0)
「インソムニア」辻寛之 光文社現実の南スーダン自衛隊PKO日報隠微問題では、結局担当防衛大臣や防衛省幹部の首が飛んだだけで、具体的な「戦闘」があったのかどうかは、闇に葬られた。世論を受けて早く撤退したおかげか、犠牲者も出なかった。よって、改定された自衛隊法は一切手をつけられなかった。ところが、今年の冬、南ナイルランドという架空の国で、具体的な自衛隊PKOの「駆けつけ警護」任務で、「戦闘」が起き、犠牲者が出たという事件が発端の社会派ミステリーが上梓された、と聞いて本書を紐解いた。小説上では、当然政府は「戦闘」は無く「事件」であると報告を「改竄」しているが、次第と真相が明らかになって行く、というのが本書のストーリーである。物語を動かすために作者は、自衛隊の外の人間はほとんど出さなかった。ジャーナリストや政治家は、少ししか出てこない。その代わり、生き残りの隊員を治療するメンタリストや精神科医などを配置し、一章ごとに生き残った隊員たちが新たな真相を語るという「羅生門」方式を採る。小説だから描ける個々の人間心理に迫った真実を、社会的な視点から描きたくはなかったのだろう。それは、判る。ただ、真相らしきものを玉ねぎの皮をはがすように何度も塗りかえる途中で、最終章では、この本を書いた意図が向こうに行ったのではないか?と危惧を覚えた。最終章の直前の、メンタリストの神谷が最後に選ぶ道の場面で終わらせて欲しかった。その方が、真の国際貢献の姿、現代の国際情勢では「駆けつけ警護」任務は無理があることを鮮明に出せたと思う。人間ドラマを出してもいいけど、私は「アレ」は作り過ぎだと思う。
2019年05月21日
コメント(0)
「アレルギー医療革命」NHKスペシャル取材班 文芸春秋社この春、私は花粉症になった。もう一生ならないものだと思っていたから、かなりショックだった。周りの反応はふた通り、「ようこそ花粉症の世界へ」と「まぁ大変ね」である。2016年刊行のこの本では、日本国民の4人に1人は発症しているらしい(友人情報だと2人に1人だとも言う)。4人に1人以上は仲間意識で一言を言っていたので、実態に合っている。みんなが信じていたのは、「体内に取り込まれた花粉があるレベルを超えると発症する」と言う説だ。しかし、NHKは、それは「間違いだった」と断定する。しかも、治らないと言われた花粉症の治療薬が来年あたりから出回るとの情報も。驚きである。免疫細胞の役割は、戦争の攻撃そのものだ。偵察隊のマクロファージが情報をもたらし、司令官のT細胞が敵(栄養等の有益なものではない)と判断を下し、現場に出向き命令のサイトカインを出す。実働部隊が武器の活性酸素を放出し、B細胞の抗体で防衛する。しかし、司令官の判断は時々間違いを犯す。だから膵臓のβ細胞を攻撃して1型糖尿病になったりする。でも、簡単に間違うようでは人間は直ぐに病気で亡くなるだろう。そこで間違いを正す司令官が存在するはずだと研究して、見つけたのがTレグ細胞だ。これを応用すればガン特効薬にもなる。この本ではノーベル賞を受賞した本庶佑さんは登場しないが、あゝこの流れだったのだ、と腹落ちた。さて問題は、いかに花粉症を防ぐTレグ細胞を増やすかだ。そこで再び注目されたのが「衛生仮説=都市化して衛生的になったからアレルギー発症が増えた」説だ。私の幼少期は、家でニワトリを飼うような片田舎で育った。衛生的でなかったから今まで発症しなかった、といえば確かにそうかもしれないとも思う。実際、都会から養豚業に鞍替えした重症の花粉症患者は、多くの場合根治したらしい。しかし、大人の根治には大きな環境変化と時間が必要だ。では希望はないのか?有る。舌下治療法と花粉症を治療するお米。2015年現在、農水省が2020年の早期実用化を目指していると言う。他にも3回の注射投与だけで劇的に治るとか、日々治療は進歩している。遅れてきた私は、その恩恵を易々と受けれそうだ。これも幼少時の非衛生的な環境のおかげである。
2019年05月20日
コメント(0)
「なぞとき遺跡発掘部 弥生人はどう眠りますか?」日向夏 小学館文庫九州にある大学の考古学研究室の灯里の日常と謎解き小説の第三弾。私はライトノベル文庫シリーズを買うのは好きではないので、第一弾は未だ読んでない。ていうか、ここまで読んだらもうだいたいは内容を推測できる。今回の見どころは1つだけ。二十五年前の盗難事件や謎の事故死の真相の解明の仕方ではなくて、やはり具体的な発掘作業の手順を一部分だけ見せてくれている所だろう(「ガリかけ」とか)。てな、感想は私のような考古学ファンしか持たないだろうけど。そろそろ、灯里も古賀先輩も、西枝教授も、日比野も、同じキャラを使い回しているだけじゃダメと思うよ。灯里も、あまりにも名探偵過ぎる。夫々の登場人物主観から描くとか工夫が欲しい。一度西枝教授の頭の中を覗いてみたい。日常では全く頼りない人だけど、専門の考古学的推理だと、灯里を遥かに凌駕する洞察力があるというような場面を見てみたい。それと、この第三弾、これじゃ終わり方スッキリしないよ。1番人生を狂わされた「あの人」の本懐は遂げることができたのか、書いてあげないと。
2019年05月19日
コメント(0)
「アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」」中川裕 集英社新書パラパラとめくると、人気漫画「ゴールデンカムイ」のカットが豊富に採用されているので、簡単に読み終えることができるだろう、と軽く考えて買うと、何の、なんと2カ月もかかってしまった。予想以上に、アイヌの世界を本格的に論じた入門書だったからである。更に言えば、アイヌを縄文人と同等視するのは厳に戒めねばならないとしても、古代史に興味ある者としては、アイヌの世界観に古代の世界観が生き生きと息づいていることを認めざるを得ないからである。そこがとても驚きで、読むのに時間がかかった。また、「ゴールデンカムイ」が思った以上に、厳密に学問的根拠を元に作画・構想されていたことにも驚いた。以下興味深かった所。・この世の中で、何らかの活動をしていると考えられ、人間に出来ないようなことをするもの、人間のために何らかの役に立ってくれているものを、特にカムイと認めている。人間とカムイ(=環境、自然ではない)は、お互いがお互いを必要とするパートナー。だから、カムイが悪いことをしたら、人間がバチをあてることもできる。・力の強いウエンカムイ(悪いカムイ)を退治するため、肉を細かく刻んで撒き散らし、その肉がじわじわ寄り集まって元のクマの形に戻らないように、火のカムイの垢とされる霊力のある囲炉裏の灰をかけたり、ゴミと一緒に燃やしたりする。更に「地下の冥府」に落とすために「普通の男」がカムイたちに祈る。誰でもできるのは、言葉というのは、それだけの重みを持つから。・アイヌの男に求められる資質は3つ。「雄弁」「度胸」「美貌」。・アイヌは人間が自分の意志だけで行動しているのではないことをよく知っている。言うつもりでないことをつい言ってしまったり。現代で言えば、「意識下」があるわけだが、アイヌは「憑神」がついていると説明する。・普通のカムイは目に見えないが、夢の中でカムイたちは人間の姿で出てくる。普段聞く鳥や獣の鳴き声や木々のざわめきは、理解できないが、夢の中では、ちゃんと理解できる言葉で話しかけてくる。・アイヌ文化と縄文文化は繋がりはある(7世紀まで続縄文文化)。しかし、その間に擦文時代があり、オホーツク文化もある。アイヌは土器の製作をやめている。アイヌの世界観は、カムイとの物々交換、つまり交易という考えを前提としている。これは、和人や近隣諸民族との交易が盛んになって完成されていった考えだろうと思われる。縄文人の世界観とはかなり違うはずだ。・アシリパ(リは小文字)は、「新年」という意味だが「未来」とも解釈できる。・争いは言葉で解決する。体力が尽きてもう弁論することができなくなったら負け。決着がつかなくなれば、ストゥ(制裁棒)を使ってお互い殴り参ったというまでやる。物語には、それでもトパットゥミ(忍び+戦争)という、一切言葉を交わさない恐ろしく悲惨な戦いが描かれる。これを起こさないために、争いを解決する方法が作られてきたのだろう。・ウエペケレ(昔話)とカムイユカラ(歌話)がある。様々な教訓や学びがある。・「ドラゴンボール」とユカラ(英雄詞曲・英雄叙事詩)は似ている。例えば、みんな空を飛べる。・カムイは自分の力ではカムイの世界に戻れない。人間の手で解放する。それが狩猟。あの世の入り口は、人の住んでいる所の案外近くにあり、基本的に洞窟になっていて、死者の魂はそこを通って向こう側に出て、そこでこの世と同じように、狩をしたり山菜を採ったりしていると考えられている(この辺りは映画「洗骨」の世界観と同じだ)。道具も傷をつけて、あの世に返す。・祖先供養では、供物を捧げる時に割ったり切ったり、火をつけたりして、肉体から解放して捧げる。そのあとに肉体を人間が食べる。これは神と人間の「共食」である。酒とかの供物を捧げる時には、必ず捧げる相手の名前と自分の名前を言う。宅配便みたいなもの。あの世は、遠くにあるのではなく、ちょっと離れた実家ぐらいの感覚ではなかったか(この辺りは柳田民俗学と類似している)。・アイヌの弓は、弓ほどにはしなりを作らず、イチイ(アイヌ語でクネニ)の枝をサクラの樹皮を巻きつけて強化して、グッと曲げただけ。矢じりに刻んだ溝にトリカブトなどの毒を塗りこんで強化する。「クマなら10歩歩けるが、お前なら一歩も歩けずに死ぬ」。毒は各自秘密の成分を加えて、毒の調合を図る。もちろん、至近戦用。・日露戦争前後のアイヌの人口は、約1万8000人。ほとんどのアイヌはアイヌ語を話せた。現在は、「北海道アイヌ生活実態調査(2017)」によると、1万3000人。しかし、日常的に自由にアイヌ語で会話できる人はいない。しかし、学ぼうと言う力が働けば、消滅危機の言語でも取り戻すことができる。ハワイ語がそのとても良い例。2019年5月18日読了
2019年05月18日
コメント(0)
「ダンガル きっと、つよくなる」 インド映画が元気だ。上映されるほとんどの作品を無視出来ない。いっときの韓国映画のごとく、これは驚くべきことです。去年の作品では、これが最も注目すべき作品でした。 ダンガルとは、インド語でレスリングのこと。インド版アニマル浜口・京子親子を描いた作品と言えばいいか。メダルの夢破れた父親が、長女ギータと次女バビータが悪口を言う男の子をボコボコにしたのを見て、その才能に気がつきレスリングの特訓を始めます。アマチュア国際大会で、インドで初めて金メダルを獲るまでを描きます。 頑固一徹な父親マハヴィルを演じるのは『きっと、うまくいく』のアーミル・カーン。映画大国インドの大スターが27キロも体重を増やし肉体改造したと話題になりました。男物の服を着せ、髪を切り……暴走するマハヴィルの指導に、流石に姉妹も「あんな父親、要らない」と切れてしまいます。けれども、それを諌めたのは、意外にも友達の花嫁でした。IT産業を中心に急成長を遂げているインドは、それでもその人口の多さから、まだまだ地方には昔の因習が残っています。「14歳になったら、知らない男のところに嫁に出される。この国の女性の人生には、家事をし、子を育てるというほかに選択肢は無いの。それを押し付けないあなたたちのお父さんはよっぽど娘思いよ」友達の言葉をきっかけに、娘たちは「主体的に」トレーニングを始めて、大会で次々と優勝して、インド代表になるのです。これがインド映画で歴代興行収入1位を勝ち取ったのは、単なるスポ根ものではなく、社会派作品でもあったからだろうと思います。 実際に訓練したコーチからは、いろいろと事実とは違うというクレームも起きたようですが、そもそもインド映画はエンタメが基本です。ある程度の脚色はお約束。冒頭の、実況中継に合わせた対決場面など、いたるところにアイディアもあります。ミュージカルではないけど、「♪ダンガル、ダンガル」と繰り返す力強い主題歌や、トレーニングを強いられた中学生の娘たちがコミカルに歌う「♪やめて父さん、私たち体を壊すわ」 等は、とても耳に残る楽曲でした。 13億の人が住むインドが、今大きく変容しつつある。それを楽しく感じることのできるボリウッド映画でした。(2018年インド映画・ニテーシュ・ティワーリー監督作品)
2019年05月17日
コメント(0)
「ハンターキラー 潜航せよ」なかなかハラハラドキドキするポリティカルアクションでした。久しぶりの潜水艦アクションとしても、まあ楽しめました。最後の艦長の決断は、本来は五分五分というところか。上手くいったから、三方一両得、万歳だったが、上手くいかなくても、あそこで証拠映像は既にあるわけだから、本来なら米国は知らぬ存ぜぬでいいわけだ。アクション映画を撮りたかったプロデューサーの杜撰な脚本というべきだろう。ゲイリーオールドマンが、完全脇役なのに、何故か助演男優並に大きく出ています。(ストーリー)ジョー・グラス(ジェラルド・バトラー)が艦長を務めるアメリカ海軍の攻撃型原子力潜水艦ハンターキラーに、ロシア近海で行方不明になった同海軍原潜の捜索命令が下る。やがてハンターキラーは、沈没したロシア海軍の原潜を発見し、生存していた艦長を捕虜として拘束する。さらに、ロシアで極秘偵察任務にあたるネイビーシールズが、世界の命運を左右する巨大な陰謀をつかむ。それを受けてハンターキラーは、敵だらけのロシア海域に潜航する。(キャスト)ジェラルド・バトラー、ゲイリー・オールドマン、コモン、リンダ・カーデリーニ、トビー・スティーヴンス、ミカエル・ニクヴィスト(スタッフ)監督:ドノヴァン・マーシュ製作:ニール・H・モリッツ、ジョン・トンプソン原作:ジョージ・ウォーレス、ドン・キース2019年4月28日ムービックス倉敷★★★★ 「洗骨」今年の邦画では、今のところベスト。監督・脚本の照屋氏の手腕が素晴らしい。郷里に帰った家族が絆を確かめ合う、という縮めれば身もふたもないないストーリーが、実はそうではなくて、日本人が遠い新石器時代から延々築いてきた営みを振り返る壮大な叙事詩にも見えてくる。或いは、良質な喜劇にも見えてくる。という稀有な物語になっている。酸性土壌の本土では、古墳時代以来、絶えて無くなった「風習」ではあるが、沖縄の孤島では、まだ生き生きと残っているのをドキュメンタリー風ではなくて、きちんと「風葬」の本来のあり方を見せてくれる。「何故洗骨するのか、わかった。ぼくたちは、自分自身を洗っていたんだ」という実際作品を観なくてはわけのわからない長男の呟きは、実際そうなんだと思うし、沖縄の人でなくてもきちんと伝わる。証拠に観客の半分は、最後にはみんな泣いていた。岩波『図書』2月号では、風葬の習俗が新石器時代にも認められるという研究者の途中報告を載せていた。私もそう思う。そもそも、三回忌や村のはずれに結界を持つ日本の埋葬習俗は、多くの部分で風葬を受け継いでいるのである。(解説)〈 洗骨とは 〉今は殆ど見なくなった風習で、沖縄の離島、奄美群島などには残っているとされる。沖縄の粟国島(あぐにじま)では島の西側に位置する「あの世」に風葬された死者は、肉がなくなり、骨だけになった頃に、縁深き者たちの手により骨をきれいに洗ってもらい、ようやく「この世」と別れを告げることになる。最愛の人を失くすのは誰しも悲しい。だが数年後、その人にもう一度会える神秘的な風習、“洗骨”。死者の骨を洗い、祖先から受け継がれた命の繋がりを感じる。ユーモアと感動で世界各国で絶賛を浴びた珠玉のヒューマンドラマ。本作の礎になったのは国際的な短編映画祭で数々の賞を受賞し、大きな話題となった照屋年之(ガレッジセール・ゴリ)監督の短編映画『born、bone、墓音。』。12年に渡り短編映画や自主映画の制作で積み重ねてきた照屋監督のその短編を原案に、長編映画として新たに生まれたのが本作『洗骨』です。主演に奥田瑛二を迎え、実力派の筒井道隆、河瀨直美監督作『光』で堂々の主演を演じた水崎綾女ほか、大島蓉子、坂本あきら、鈴木Q太郎、筒井真理子などが脇を固めます。そして主題歌には、数々のアーティストによって歌い継がれてきた古謝美佐子の名曲「童神」が起用され、その余韻が涙を誘います。2018年8月に開催された北米最大の日本映画祭“JAPAN CUTS”では28本の新作日本映画の中から見事観客賞を受賞。モスクワ、上海、ハワイなど国際映画祭でも軒並み高い評価を受けています。世界中で絶賛され、観客の心をつかんできた最高に笑って泣ける至極のヒューマンドラマが、満を持して日本公開を迎えます。(ストーリー)沖縄の離島、粟国島・粟国村に住む新城家。長男の新城剛(筒井道隆)は、母・恵美子(筒井真理子)の“洗骨”のために、4 年ぶりに故郷・粟国島に戻ってきた。実家には、剛の父・信綱(奥田瑛二)がひとりで住んでいる。生活は荒れており、恵美子の死をきっかけにやめたはずのお酒も隠れて飲んでいる始末。そこへ、名古屋で美容師として活躍している長女・優子(水崎綾女)も帰って来るが、優子の様子に家族一同驚きを隠せない。様々な人生の苦労とそれぞれの思いを抱え、家族が一つになるはずの“洗骨”の儀式まであと数日、果たして 彼らは家族の絆を取り戻せるのだろうか?2019年4月21日シネマ・クレール★★★★「マイ・ブックショップ」1950年代のイギリスの田舎の土地の有力者と目をつけられた未亡人との確執のお話。どういうことはない。何故映画になるのか、わからない。結局いつのまにかクリスティーナの時点で物語られるわけだ。あらゆる場面でお茶と共に話をする(一回だけ例外あり)習慣と、手にキスをするのは恋愛の証なのか他の証なのか、わからなかった。いわゆる、既に歴史になった昔のイギリスの話であり、私には興味を持てなかった。(解説)『ナイト・トーキョー・デイ』などのイザベル・コイシェ監督が、イギリスのブッカー賞受賞作家ペネロピ・フィッツジェラルドの小説を映画化。田舎町で亡き夫との念願だった書店を開業しようとするヒロインを描く。主演は『レオニー』などのエミリー・モーティマー、共演に『ラブ・アクチュアリー』などのビル・ナイ、コイシェ監督作『しあわせへのまわり道』にも出演したパトリシア・クラークソンら。(ストーリー)1959年、戦争で夫を亡くしたフローレンス(エミリー・モーティマー)は、書店が1軒もないイギリスの田舎町で、夫との夢だった書店を開こうとする。しかし、保守的な町では女性の開業は珍しく、彼女の行動は住民たちから不評を買う。ある日、40年以上も自宅に引きこもりひたすら読書していた老紳士(ビル・ナイ)と出会う。(キャスト)エミリー・モーティマー(フローレンス・グリーン)ビル・ナイ(エドモンド・ブランディッシュ)ハンター・トレメイン(キーブル氏)オナー・ニーフシー(クリスティーン)フランシス・バーバー(ジェシー・ウォルフォード)ジェームズ・ランス(ミロ・ノース)パトリシア・クラークソン(ガマート夫人)2019年4月29日シネマ・クレール★★★
2019年05月15日
コメント(0)
「バイス」マイケル・ムーア作品のドラマ版とでも言おうか。そもそもムーア作品はドラマ的なドキュメンタリーだったのだから、ドキュメンタリー的なドラマがあったていいのだ。というよりか、こちらの方がより説得力を持つ寄りや演義があるからわかりやすい。何しろ、出演者はオスカー常連の演技巧者ばかりなのだから。予想が外れたのは、思った以上ににチェイニーの伝記作品になっていたこと。まだ死んでないのに、ほとんどここまで批判するのは、基本的には相当調べなくては描けない筈だ。ほとんど真実に基づいているが、限界はあると最初に断っている。その限界は、例えば一旦断った副大統領職を夜中の妻との会話の中で引き受けることにする場面なのだが、シェイクスピアの台詞を借りて演技するわけだ。ハッキリ言って意味がわからなかった。反対にいえば、それ以外はほとんど事実だということだ。ラストシークエンスで、この映画をまとめるシーンがあるのだが、私は当然「バカラル」の立場(映画を観れば意味が解る)だ。面白かった。面白いだけじゃいけないのだけど。(解説)大統領を差し置いてアメリカを操り、世界をメチャクチャにした悪名高き副大統領、その名はディック・チェイニー。まさかの実話&社会派ブラック・エンターテインメント!よほどの政治マニアでなければ、アメリカの副大統領の言動に関心を抱く人はいないだろう。常に陰に隠れた副大統領は、大統領が死亡したり、辞任した際にその代わりとして昇格するポジションであるため、「大統領の死を待つのが仕事」などと揶揄する者もいる。しかし、もしも副大統領が目立たない地位を逆手にとって、パペットマスターのごとく大統領を操って強大な権力をふるい、すべきでない戦争を他国に仕掛けた揚げ句、アメリカを、そして世界中を変えてしまったら……。本作はそんなまさかの“影の大統領”が本当に存在したことを証明し、現代米国政治史における最も謎に包まれた人物に光をあてた野心作。その主人公の名は第46代副大統領ディック・チェイニーである。『マネー・ショート 華麗なる大逆転』のチームが再結集この前例の見当たらないユニークなプロジェクトに挑んだのは、リーマン・ショックの裏側を斬新な視点で描き、アカデミー賞5部門にノミネート(脚色賞を受賞)された『マネー・ショート 華麗なる大逆転』のアダム・マッケイ監督。この“影の大統領”を綿密にリサーチするうちに、底知れないほど深くてどす黒い人物像に魅了され、いかに彼が密かにホワイトハウスの権力を掌握し、その後の今に至る世界情勢に多大な影響を与えたかを徹底的に追求した。ちなみに題名の『バイス』には、バイス・プレジデント(副大統領)を指すだけでなく、“悪徳”や“邪悪”という意味もこめられている。驚異的な役作りで魅せるクリスチャン・ベールと豪華キャストのアンサンブル本年度アカデミー賞を賑わせたオールスター・キャストの豪華なアンサンブルにも、目を奪われずにいられない。マッケイ監督に「彼に断られていたら、この映画を作ることはなかった」と言わしめた主演俳優はクリスチャン・ベール。ハリウッド屈指の“演技の鬼”として名高い彼が、約20キロにおよぶ体重の増量、一度あたり5時間近くを要する特殊メイクを施して、約半世紀にわたるチェイニーの軌跡を体現した。その体型や髪型、顔つきの信じがたい変化に加え、内面からにじみ出すオーラの迫力には誰もが息をのむだろう。自身のキャリアにおいて本作に特別な思い入れがあるベールは、ゴールデン・グローブ賞男優賞(コメディ/ミュージカル部門)に輝いており、アカデミー賞主演男優賞にも順当にノミネートした。チェイニーの野望を後押しする妻のリンに扮するのは、『ザ・ファイター』『アメリカン・ハッスル』に続いてベールとの3度目の共演が実現したエイミー・アダムス。本作でアカデミー賞ノミネートが6度目となる名女優が、タフでしたたかなセカンドレディを演じている。チェイニーを取り巻くブッシュ政権の面々の“そっくりさん”ぶりも驚嘆に値する。『マネー・ショート~』『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』のスティーヴ・カレルがラムズフェルド国防長官、『スリー・ビルボード』でオスカー俳優の仲間入りを果たしたサム・ロックウェルがブッシュに扮して曲者ぶりを発揮。ナオミ・ワッツやアルフレッド・モリナの意外な登場シーンも要チェックである。また、話題作を次々と世に送り出すプランBが全面バックアップした本作には、強力なプロデューサー陣にブラッド・ピット、ウィル・フェレルも名を連ねている。シーンごとに社会派、ブラック・コメディ、家族ドラマ、さらには荘厳な叙事詩やシェイクスピア劇のようにも表情を変える本作は、アカデミー賞でも堂々たる主役のひとりとしてスポットライトを浴びた。2019年4月7日シネマ・クレール★★★★「未知との遭遇」実は初めて観た。有名場面だけは飽きるほど見たから知っているものと思っていた。かなりキワモノ作品だということが今回わかった。世界的ヒットになったのは奇跡のようなものかもしれない。リチャード・ドレイファスは、明らかに変でしょ。それは許せるとしても、これはファイナル・カット版なので最も説明している作品のはずだ。それなのに、説明不足があまりにも多い。ドレイファスとメリンダ・ディロンはどうして山の上でキスをしたのか?音と光で、会話が出来ると判断した研究機関の根拠がわからない。何故今になって(拉致した人を返すのはいいとしても)飛行機や船まで返すのか?果たして彼らとは、分かり合えたのか?これは物語として破綻しているでしょ?でもヒットしてしまった。いったい何が要因だったのだろう。宇宙人と分かり合えるというメッセージは、その後の中東人との戦争を経て、随分後退しているように思える。最新のアベンジャーズ含めて、未だにアメリカンは未知との戦争を続けている。【ストーリー】 インディアナポリスで続発する謎の停電事故。調査のため派遣されたロイは、そこで信じられないような出来事を目撃する。だが、彼の驚くべき体験を誰も信じようとはせず、調査は政治的圧力によって妨害されてしまう。しかしロイは何かに導かれるように、真実の探求を始めた。そして彼が辿り着いた場所とは…。 スピルバーグが初めて監督と脚本を共に手掛けた記念すべき作品。彼のその後の作品に多大な影響を与えたSFスペクタクルの金字塔! 【スタッフ&キャスト】 ≪監督≫スティーブン・スピルバーグ ≪出演≫リチャード・ドレイファス 2019年4月1日TOHOシネマズ岡南★★★★「キングダム」原作は読んでいない。秦国の中華統一を目指す若き王の政と天下の大将軍を目指す奴隷出身の新が主人公であるという情報だけを知っていた。秦の始皇帝を私は良くは思っていないが、始皇帝になる前の政についてはあまり知識はない。新が何処まで政と二人三脚できるのか不明だった。結果はどうであったか。まさか呂不韋(良くは知らないがかなり複雑な関係らしい)が出現する以前で終わるとは、思わなかった。これならば、まだ奴隷と王とで二人三脚できる。結局なんだったかというと、「中国歴史大河の舞台を借りたアイドル映画」でした。いちいち負けそうになって勝負に勝つというパターンが一回ならまだしも4回以上あって、それ全部にアイドルが「見得を切っ」ているのである。あり得んでしょ?でも、アイドル映画だからあり得るのである。長澤まさみが素晴らしいと聞いていたけど、私見ですが、わざわざ観に行くほどじゃありません。自作作るのかなあ。あと4作ぐらい作らないと中華統一まで行かないと思うんだけどなあ。(ストーリー)紀元前245年、中華西方の国・秦。戦災で親を失くした少年・信(山崎賢人)と漂(吉沢亮)は、大将軍になる夢を抱きながら剣術の特訓に明け暮れていた。やがて漂は王宮へと召し上げられるが、王の弟・成キョウ(本郷奏多)が仕掛けたクーデターによる戦いで致命傷を負う。息を引き取る寸前の漂から渡された地図を頼りにある小屋へと向かった信は、そこで王座を追われた漂とうり二つの王・エイ政(吉沢亮)と対面。漂が彼の身代わりとなって殺されたのを知った信は、その後エイ政と共に王座を奪還するために戦うことになる。(キャスト)山崎賢人、吉沢亮、長澤まさみ、橋本環奈、本郷奏多、満島真之介、阿部進之介、深水元基、六平直政、高嶋政宏、要潤、橋本じゅん、坂口拓、宇梶剛士、加藤雅也、石橋蓮司、大沢たかお(スタッフ)脚本・原作:原泰久監督・脚本:佐藤信介脚本:黒岩勉主題歌:ONE OK ROCK製作:北畠輝幸、今村司、市川南、谷和男、森田圭、田中祐介、小泉貴裕、弓矢政法、林誠、山本浩、本間道幸2019年4月25日ムービックス倉敷★★★
2019年05月14日
コメント(0)
4月に観た作品は9作品でした。3回に分けて紹介します。 「ビリーブ 未来への大逆転」法廷劇。最後の10分の逆転が鮮やかだ。結論はわかっているのだけど、その過程を見ると、全く違うように思える。「未来」は、いくつかある選択肢を「闘いとって」選んだ結果の集まりなのだとわかる。1970年までに、日本が民主主義の手本としているアメリカの現実が、現代の日本から見ると、あまりにも「正義からかけ離れている」としかし見えないことを、知ることは、現代の「#ME TOO運動」も歴史的に映画化されると確信できる、運動なのだとわかる。そして、日本も変わらざるを得ない。なぜならば、「現実はとうの昔に変わっているのだから」。ラストソングの「HERE COME TO CHANGE」がとても力強くて素晴らしかった。(ストーリー)ルース・ベイダー・ギンズバーグはハーバード大学の法科大学院の1回生であった。多忙な日々を送っていたルースだったが、夫のマーティンがガンを患ったため、夫の看病と娘の育児を一手に引き受けざるを得なくなった。それから2年後、マーティンのガンは寛解し、ニューヨークの法律事務所で働き始めた。ルースはコロンビア大学で取得した単位を以てしてハーバードの学位を得ようとしたが、学部長に却下されたため、やむなくコロンビア大学に移籍することになった。ルースは同大学を首席で卒業したにも拘わらず、法律事務所での職を得ることが出来なかった。ルースが女性であったためである。やむなく、ルースは学術の道に進むことになり、教職を得たラトガース大学で法律と性差別に関する講義を行った。1970年のある日、マーティンが持ち込んできた案件の一つがルースの関心を引いた。その案件はチャールズ・モリッツという名前の男性に関するものだった。モリッツは働きながら母親を介護するために、介護士を雇うことにしたのだが、未婚の男性であるという理由でその分の所得控除が受けられない状態にあったのである。その根拠となる法律の条文には「介護に関する所得控除は、女性、妻と死別した男性、離婚した男性、妻が障害を抱えている男性、妻が入院している男性に限られる」とあった。ルースは法律の中に潜む性差別を是正する機会を窺っていたが、モリッツの一件はその第一歩に最適だと思った。「法律における男性の性差別が是正されたという前例ができれば、法律における女性の性差別の是正を目指す際に大きな助けとなるに違いない。また、高等裁判所の裁判官は男性ばかりだから、男性の性差別の方が共感しやすいはずだ」と考えたからである。ルースはアメリカ自由人権協会(ACLU)のメル・ウルフの助力を仰いだが、にべもなく断られてしまった。その後、ルースは公民権運動家のドロシー・ケニヨンに会いに行き、必死の説得の末に協力を取り付けることができた。ケニヨンの口添えで、ウルフも協力してくれることになった。それから、ルースはデンバーにいるモリッツの元を訪ねた。モリッツは訴訟を渋ったが、ルースの熱意に心を打たれ、地元の行政府を訴えることにした。ほどなくして、ルースとウルフは第10巡回区控訴裁判所に訴訟を提起した。ところが、ルースには法曹の実務経験がなかったため、口頭弁論でしどろもどろになってしまった。そこで、ルースは法廷経験のある夫、マーティンの力を借りることにした。(キャスト)ルース・ベイダー・ギンズバーグ: フェリシティ・ジョーンズマーティン・D・ギンズバーグ(英語版): アーミー・ハマーメル・ウルフ: ジャスティン・セロードロシー・ケニヨン(英語版): キャシー・ベイツアーウィン・グリスウォルド(英語版): サム・ウォーターストンジェーン・ギンズバーグ(英語版): ケイリー・スピーニージェームズ・スティーヴン・ギンズバーグ(英語版): カラム・ショーニカージェームズ・ボザース: ジャック・レイナーブラウン教授: スティーヴン・ルートルース・ベイダー・ギンズバーグ: 本人監督 ミミ・レダー2019年4月1日TOHOシネマズ岡南★★★★ 「バンブルビー」最初、ホントに犬ころのように縮こまるB-127を見て、まあ女の子ならばみんな保護したくなるだろうな、と思う。そして、同時にメカに強い女の子。憧れのヒロイン像だと思う。だからこそ、せっかく35年前のエピソードを出したのに、現在はどうなっているのか、一言も触れないのは、観客をバカにしているとしか思えない。(ストーリー)1987年、海辺の田舎町。父親を亡くした哀しみから立ち直れない思春期の少女チャーリーは、18歳の誕生日に、海沿いの小さな町の廃品置き場で、廃車寸前の黄色い車を見つける。自宅に乗って帰ったところ、この車が突如、変形≪トランスフォーム≫してしまう。驚くチャーリーを前に、逃げ惑う黄色の生命体。お互いに危害を加えないことを理解した瞬間、似たもの同士のふたりは急速に距離を縮める。チャーリーは、記憶と声を失い“何か”に怯える黄色の生命体に「バンブルビー(黄色い蜂)」と名前をつけて、かくまうことを決めた。思いがけない友情が芽生えるのだが、しかし、予想もしない運命が待ち受けているのだった―監督 トラヴィス・ナイト出演 ジョン・シナ、ヘイリー・スタインフェルド、ジョージ・レンデボーグ・Jr、ジェイソン・ドラッカー、パメラ・アドロン、スティーヴン・シュナイダー、リカルド・ホヨス2019年4月1日(元号が決定しているときに鑑賞)TOHOシネマズ岡南★★★ 「ダンボ」ティム・バートンの描くアンチ「グレイテスト・シャーマン」。ティム・バートン毒が薄れたディズニー映画。時は1919年、コリン・ファレルは西部戦線で腕を失くし、妻はスペイン風で亡くした、そういう家族が見つける、ダンボという奇跡。ジャンボの子供の宣伝ネームが落ちてダンボになったり、ドリームランドの文字が変わって騙しランドになったりのわかりやすい毒は、それとして、ティムがこの作品を引き受けたのは、おそらく「グレイテスト・ショーマン」のヒットにあったことは間違いない。マイケル・キートンの富豪は、サーカスのランド化を唄ったり、ヨーロッパから愛人を引き連れたりしているのは、そういうことだろう。しかし、悪役の行動があまりにもお粗末だ。自ら大火事を作って自滅するなんて有り得ないだろう。この辺りは、ティムは老いたかな、と思う。(解説)ディズニーと、個性の素晴らしさを描き続けてきたティム・バートン監督が新たな「ダンボ」の物語を実写映画化。“大きすぎる耳”を持つ子象のダンボはサーカス団の笑いものだったが、やがてその大きな耳を翼にして空を飛べることに気づく。コンプレックスを強さに変えたダンボは、引き離された母を救うため、サーカス団の家族の力を借りて新たな一歩を踏み出す!大きな耳で大空を舞うダンボが、世界中に“勇気”を運ぶ感動のファンタジー・アドベンチャー監督 ティム・バートン出演 コリン・ファレル、マイケル・キートン、ダニー・デヴィート、エヴァ・グリーン2019年4月1日TOHOシネマズ岡南
2019年05月13日
コメント(0)
『藤沢周平 遺された手帳』遠藤展子 文藝春秋社藤沢周平研究という分野がもしあるとするならば、この本はおそらく最初に挙げるべき第一次資料になると思う。何故ならば、藤沢周平を最も藤沢周平たらしめた「あの」時期に書かれた日記の評論だからである。最初の妻悦子さんの亡くなった後の「鬱屈」の具体的な姿が明らかになっている。没後20年経って、やっと娘の展子さんが発表した。藤沢周平は、業界新聞の仕事をしながら小説の投稿を繰り返していた。そんな時、0歳の娘を遺して最愛の妻がガンで亡くなる。後にエッセイに「人に言えない鬱屈」が、自分に小説を書かせたのだと告白している。しかし「言えない」中身は何だったのか、ずっと想像するしかなかった。初期作品の『闇の梯子』などで、妻の病のために闇に堕ちていく話を読んでしまうと、私などは何か悪いことに手を染めそうになったのではないかと心配していた。悦子さんが亡くなる2カ月前の日記「5月に手術したばかりなので悦子可哀想だ。夕方何も知らぬ展子と一緒に帰ってきた。空虚な部屋。帰ったら7時で、一本のませ湯につかわせたら間もなく眠った。悦子も可哀想、展子も可哀想。なんとか切り抜けよう。全力をつくして。悦子が脱ぎ捨てていったものをみると涙が出る」(31p)ホントに展子さんが居たから自殺を思い止まったところがある。そして、小説への情熱があったから、その中に「鬱屈」を塗りこめることができたから、生きていけたのかもしれない。カネのためではなかった。ガンの新薬を買うために危ない橋を渡ったのかとも思っていた。エッセイに「特効薬は高価で心ぼそい思いをした」と書いていたし。しかし、展子さんの解説では、単に最初から効き目の少ない薬を買った絶望感と一筋の希望があったということらしい。仕事と小説と、何と言っても子育ての両立は、ここで具体的に展開されている。大変だったのだ。ホントに大変だったのだ。どうしてあんな名作を書けたのか、不思議でならない。さすがに、1番手間のかかる展子さんが2ー5歳までの約4年間は、一作も書けていない。再婚をして、「鬱屈」を客観視できるようになって初めて、オール讀物新人賞受賞、2年後直木賞受賞になる。業界新聞時代の知人・日ハム社長の自伝を書いたはずなのに、どうして出版されないのか、ずっと疑問に思っていたが、どうやら社長の道楽?だったようで、出版もされなければ原稿も紛失しているらしい。やっと諦めることができる。ここでは、初期の作品群が、どのような経緯で書かれたのか、完成までにどう変化したかが、興味深く書かれていた。その意味でも貴重な資料だ。、キチンと研究するためには、日記の全貌を知りたいところだ。親族としては、ちょっと公にできない部分もあったのかもしれない。藤沢周平全集の追加編集が待たれるところである。思いもかけない良書だった。
2019年05月12日
コメント(0)
「ドライブイン探訪」橋本倫史(ともふみ)筑摩書房 橋本さんが「マツコの知らない世界」に登場して、俄然興味を持って本書を紐解いた。橋本さんがドライブインに興味を持ったのは、10年前と最近だ。この間に200軒のドライブインを訪問し、記事を書くためには、印象深かった店を再訪し 、一日ゆっくりと顔を覚えてもらって、そこで記事化の許可をもらい、やっと後日足を運んで取材する。典型的なノンフィクション作家なのである。よって、昭和回顧的な軽い読み物ではない。「マツコ」で指摘している通り、「ドライブインには家族の歴史が詰まっている」それは即ち、昭和の側面史にもなる。当然、ドライブインが作られる地域独自の背景(ハイウェイ時代、米国統治、瀬戸大橋時代等々)も詳しく調べられ描写される。また、「明日からやるぞ」と言われて夫について行く妻や、強かに生きる女の一生も描かれる。私は当初、「平田食事センター」が出てくるのではないか、と期待していた。岡山県からは二軒も扱われているのに、2つとも既に閉店しているのに、数年前に閉店したこの超有名トラックドライブインが扱われないのは、おそらく何かの事情があるのだろう。出来たら、次回本では、その事情含めて扱って欲しい。最後の一カ月前の写真ならば、私は持っている。
2019年05月11日
コメント(0)
「精霊の木」上橋菜穂子 新潮文庫デビュー作には、作家の全てが出るという。先ずは、デビュー作から長編であり、かつ未来SFファンタジーというのが上橋菜穂子さんらしい。そして冒頭書き出し。『その不思議な光がナイラ星にあらわれたとき、最初にそれを発見したのは、第四チタン鉱山の夜間監視員だった』この50字の中に既にファンタジーとしての様々な「設定」の多くをぶち込んでいて、デビュー時の気負いと才能と、そして夢を感じる。上橋さんは濃密な「世界」を創ってから書き始めた。未来地球史から未来文明小道具、ナイラ先住民の言葉や地理等々、文章の裏側にある設定が山のようにあるのが判る。また、最初の数ページにアボリジニとオーストリア政府との関係が既に透けて見える。と思って後書きを見ると、未だアボリジニ調査をする前の作品だった事にびっくりした。文化人類学を本格的に研究する前から、既にその方向性は決まっていたのだ。体裁はジュブナイルだが、何の準備もせずにこの作品を読む少年・少女には少し荷が重かったかもしれない。実際、上橋作品を読んで来た我々だからこの世界に付いて行ける処がある。編集者に言われて540枚を400枚に削ったそうだ(私なんかは、その中に原住民と地球史との接点が描かれていたのではないかと想像したりする)。しかし、描き足りなかったから、売れなかったわけではない。世界が濃密すぎたから売れなかったのだ。いや、そうではない。この作品はデビュー30年を経て「とき」を待っていたのだ。若書きが書かせた思える以下のストレートな台詞は(それ以外のステキな言葉も)、今文庫本で広く読まれることによって、やっと「陽の目に当たる」のかもしれない。あの事故にあうほんの2時間前の、ジムの言葉が心に焼きついて、離れなかった。「歴史ってのは、過去におかしたあやまちを、二度とくりかえさないために、学ぶんじゃないんですか?それを、いまいちばん正さなきゃならない恥部を、うそで塗りかためて、おそろしい悪事をつづける手伝いをするんじゃ、わたしは、なんのために生きてるんです?」(73p)「それはわかるけどさ、母さんは北米先住民を美化しすぎてんじゃない?」「彼らも人間だから、みにくい面もあったでしょうし、べつに彼らが理想郷に住んでだなんて思ってるわけでもないわ。自然の猛威の前に、なすすべもない人間っていうのは、ひどくみじめな存在でしょうしね。でも、その自然におびえ、おそれながらも、彼らはその自然が、自分たちを生み、はぐくむ親であることも、心の奥底で知っていて、仲間とつきあうときのような気づかいとやさしさを、自然にたいして持ってたような気がするのよね。 たとえば、ある北米先住民たちは、太陽を父、大地を母だって考えていたの。そして、春は母である大地が、いのちをはらむ時季だからって、きずつけないように、靴をぬいではだしで歩いたの。 文明人たちは、よくまあ迷信を信じられるもんだって笑ったわ。でもね、その大地をはだしで歩いた人たちは、一万年以上も自然を破壊することなく暮らし、文明人たちは、そのわずか四百年後に、地球を破滅させたわ」(124p)
2019年05月10日
コメント(0)
他の記事がたまっているので、あと一日遺す「京都の旅」はお休みします。そもそも今回は日記の描きだめができていない。でも旅の印象はまだ鮮烈なので大丈夫です。『手のひらの京』綿矢りさ 新潮文庫京都の旅から帰って2日目に読み終えた。京都国際漫画ミュージアムから八坂神社近くまで、はじめてのデートでほとんど会話もせずに歩いた長女綾香のコチコチの姿は、その距離の大変さを実際体験しているだけに、「おいおい、そんなに緊張してしまったらダメでしょ」と思ってしまう。そのあと、毎夜のように電話する宮尾さんのマメさが功を奏して上手いこと行くのではあるが。旅のあとのせいか、さりげなく置かれている京都の景色や温度、人の接し方、美しさの一つ一つに共感する。三女の凛が魔物に追われる夢を見るのも、共感する。たった3日間居ただけだけど、京都の街には、至る所に将門や道真の怨念があったり、室町時代から続く流した赤ん坊のお地蔵さんが居たり、異次元に続く迷路のような路地裏が存在したりしたのである。綿矢りさは初めて読んだ。これが芥川賞作家なのかと思うくらい、直木賞好みの文章だった。映画にもなった『海街diary』と似ている所もあり、読んではないが『細雪』や『古都』のように失われ行く京都を描いた作品でもあるらしい。現代の等身大の京都を描いて、もし旅の前にこの本を読んでいたならば、この本の「舞台巡り」を計画していたかもしれないぐらい、琴線にふれた本だった。
2019年05月08日
コメント(0)
「鐡輪の井戸」もそうだったが、京都には、戸を開けるとそこは玄関ではなく、多くの長屋?の潜戸である場合が多々ある。何か異次元に向かう戸のように感じる。北野天満宮に至る。天満宮に用があるわけではなくて、もう一つの蜘蛛塚が、此処の伴氏社の奥にあると聞いたからである。ところが、一通り探したがない。北の門を出るとカフェ「オリーブ キタノ」があった。疲れていたので入る。完全町屋(宿屋)を改築したお店を女将が1人で運営していた。お客が来ないようで、私とのおしゃべりを40分ぐらいした。そこでいくつか情報を得る。どの流れからそうなったのかは、忘れたが女将は「大阪はいけすきまへん。神戸は好きどすえ」正に『アドまっち天国』通りの反応で、彼女にそういうと、全然番組観てないようで真から思っているようだ。京都と大阪の仲違いは根深いようだ。また、ここに来るまでに長屋から機織りの音がしたことを告げびっくりした戸を言うとやはりあれは西陣織の作業所らしい。「もうあきまへん。西陣はなくなります。このあたりでもたくさんの作業所があったんですけど、全部なくなりました」「それはみんな着物を着なくなったから」「そうどす。西陣はなくなります」あれだけいろんなところから音が聞こえていたのだからまだまだ技術の継承はできている気がするのだけど、京都の人はネガティブなことで相手に利害関係がない事ならば、かなり「はっきり」とモノを言うことがわかった。いろいろお話したが、省略。但し、これだけは記さなくてはならない。「珍しいもん、教えまひょうか?天満宮の横に御土居というのがありましたやろ?あの堤は秀吉さんが、築いたもんやけど、洛中洛外を隔てるもんやから、それを築いだときに溝をさらう。この店の横にもそのあとがありますのや。その時にお地蔵さんが大量に出ましたのや。お地蔵さんは、流れた(死産)した赤ん坊をお祀りするもんやけど、いろんな事情で祀ることができへんようになると、人は洛外に持ってくるんや。だから、溝にたくさんのお地蔵さんが捨てられている。でも、出てきたもんは存外に扱うことができへん。それで、お地蔵さんを集団で祀っているところが、其処にある」「ということは、その地蔵堂は、秀吉の時代からずっとこの地域の人たちが祀ってきたということですか?」「そうや。地蔵祭りの時には、新たにお化粧をしている」ひとつひとつの地蔵には、流れ、という歴史がある。その話だと、少なくとも室町時代からの地蔵ということになる。とんでもない「民衆がつくった遺物」である。「見させてください」これが喫茶店から10メートルほど西に寄った所にある地蔵堂だ。「延命地蔵大菩薩」と書いてある。地域が今でも大切に祀っている証拠に、可愛く化粧されている。「これだけ出たんやないんや。もっと出てるんや」と言って、少し北側の御土居保存の堤を見せてくれた。これが秀吉御土居である。京都の洛中をこの御土居で囲んだ。いわゆる権力者の権力の表し方だろう。その横に出てきた地蔵を保存している。これは堤保存整備の時に出土した地蔵だろうか。こうしてみると、地蔵の形は何百年もあまり変わらない。但し、2人並んで彫られている地蔵がわりと多い。昔は、それだけ死産だったり、幼児のうちに亡くなる子供が多かったということだろうか。御土居の前に、大阪でも見た長屋形式の借家があった。関西では広くある形なのだろうか?岡山ではあまり見ない。ずいぶんと雰囲気のある家。未だ一般家屋のようだが、江戸時代では娼家だったような雰囲気がある。さて、北野天満宮の事務所で蜘蛛塚を聴くと、あっさり場所を教えてくれた。但し、5時を遠にすぎているので中に入れない。もっと面白いものを見させてもらったので、これで良し。生粋京都のおばあさん、ありがとうございました。バスで河原町に行く。降りて、何故か方向感覚のいい私が何度も間違える。今回の旅はホテルの場所を勘違いしていたところから始まり、方向間違え放しだった。なんか物の怪のせいだろうか?何度か間違えて、やっと鴨川を渡る。向かいに南座が見える。八坂神社辺り迄行って、フランス人のつくる京野菜料理店を目指すが、どうやら閉店しているようだ。新書に書かれていた住所でピンポイント検索したので間違いない。次の候補店は、川沿いの少し高級な店、これもなんと見つからなかった。閉店かどうかは不明。暗闇の中を1時間半歩いた。鴨川沿いの高級割烹は、未だ納涼床は出ていない。妖しく美味しそうに食べている。足が棒のようで、しかも腹が猛烈に減っている。河原町に戻って、ある店に狙いをつける。京極町の京極スタンドである。昼も夜もやっていることは柏井さんが書いていた。今日を居酒屋で終わらすのは残念だったけど、此処も岡山にはない飲み屋だ。えん豆卵とじ、赤ワイン。スジ肉煮込み。おばんざいの定番である。安定的に美味い。鰻ざく。これが、京都ならではの料理。おばんざいとして、こんなに気楽に鰻料理は、なかなか出てこない。柔らかい。癖はない。コクがあまりないのが物足りない。でも数百円で鰻が食べられるのは嬉しい。ポテトサラダ、竹の子わかめ煮、白ワイン。締めて3660円。安い!場所は新京極商店街。明治10年ごろには、芝居小屋、浄瑠璃、寄席などや飲食店が建ち並び、東京浅草、大阪千日前とともに日本三大盛り場として知られるようになったらしい。再び鴨川を渡り市電で帰る。有名な鴨川沿いの等間隔で並ぶカップルの列。少し寒いのに御苦労さま。写真見て気がついたけど、ストリートシンガーもいるのね。これまでの最高歩数。34147歩。
2019年05月07日
コメント(0)
堀川通りを渡り、さらにテクテクと歩く。称念寺、俗称猫寺に至る。浄土宗のお寺。1603年建立。三代目住職が愛猫家だったが、猫が貧窮しているのにもかかわらず呑気に姫に化けて舞を舞ったのに怒り追放する。その猫が報恩して寺が再興したらしい。老松は、その愛猫を偲び、伏した猫の姿になぞらえているらしい。そのことから、いつしか猫寺と呼ばれるようになった。時が経ち過ぎたためか、全く猫に見えない。千本通に至る。北上している時に、「指物師 普賢」と名乗る暖簾を掲げたボロ屋を見る。「指物(さしもの)とは、板と板、板と棒、棒と棒を組み、指し合わせる仕事のことをいい、また一説に、「物指し」を用いて細工することもいわれる。京指物の源泉は、平安時代にさかのぼり、それ以前の奈良朝の宮廷および寺院においては、正倉院にみられるようなわが国独自ともいえる木工芸が、豊かな木材資源(有用50種以上)をもとに発達している。(京都伝統工芸協議会ホームページより)」検索すると、大谷普賢という指物師が此処に住んでいて、茶の道具などをつくり数々の賞を受賞しているらしい。上品蓮台寺にたどり着く。此処に来たのは、蜘蛛塚があると柏井さんが書いていたからだ。寺の説明板には、そのことは書いていなくて、様々な国宝、重文ほかがあるらしい。仕方ないので、境内の墓をひとつひとつ見て歩く。無い。全然わからない。説明板に書いていた、平安朝屈指の仏師・定朝の墓は見つかった。『京都の路地裏』を精読する。そうすると、欅の木の下にある、と書いていた。それを頼りにもう一回りすると、あった!無縁墓がずらりと並んでいる。説明。蜘蛛塚ではなかった。源頼光の塚になっていた。説明をよく見ると、頼光が退治した土蜘蛛の塚が此処にあったとなっているから、蜘蛛塚でいいのかもしれない。土蜘蛛とは、飛鳥でも、大和政権に対峙する勢力ではないか、と言われていた。よって、この蜘蛛も、その残党かもしれない。と、思いながらこの地域を見る。東に京都に少ない小山、船岡山がある。残党が潜むにはいいところかもしれない。現代も、無縁墓は次々と増えているようだ。千本通に戻って、三停留所ほどバスで南に行き、そこから千本釈迦堂を探す。いつしか長屋通りに紛れ込む。至るところから機を織る音が聞こえる。工場ではない。長屋の中である。細い路が何本も通る長屋町。一軒燃えたら、全てが灰塵に化すような町だ。此処は西陣、これは西陣織なのか。こんな手工業で作られているのか。地図アプリに頼りすぎた。ずいぶん捜したが見つからない。この地蔵堂を釈迦堂と間違えた。大きく迂回する。千本釈迦堂 大報恩寺。(大報恩寺ホームページより)「大報恩寺にお参りすると、境内にある「おかめ塚」に因み、“縁結び” “夫婦円満” “子授け” にご利益があると言われています。「おかめ」は本堂建築で棟梁を務めた大工「長井飛騨守高次」の妻。高次が重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎた際、枡組で補えば良いと助言して、窮地を救いながらも「専門家でもない女性の知恵で棟梁が大仕事を成し遂げたと言われては夫の恥」と上棟式を迎える前に自害した愛妻「おかめ」の物語が伝わる、全国のおかめ信仰の発祥となっています。」疲れた。良い喫茶店があれば入ろうと思ったけど、適当なのがない。柏井さんおススメの蕎麦屋に入る。上七軒ふた葉。ここの茶そばは絶品だと柏井さんはいうのである。「すみません、茶そばというものを食べてみたくて」「茶そばというのは、うちではお蕎麦のことをいうんです」どうやらうどんと分ける名称らしい。「あ、だとザルをください」ザル700円。うどんと同じく、コシがない。出汁を楽しむものなんですよね。これが絶品という京都人の気持ちがわからない。
2019年05月06日
コメント(0)
歩いて行くと、昔ながらのお米屋さんがあった。出雲路橋。鴨川を渡る。柏井氏は「ここから見る比叡山から大文字山に至る東山がもっとも美しいプロポーションを見せる(『おひとり京都の愉しみ』)」という。何をもって「美しい」というのか、わからない。天寧寺の額縁門ここから観る比叡山が額縁のようだと言う。これは、つまり「京都の自画自賛」なのではないか。西園寺という寺の寺号の額の方が、私には、思わぬ発見だった。なぜならば、この寺は鎌倉幕府太政大臣藤原公経の建てた寺であり、その時西園寺と名付けたのであるが、それ以来子孫の家名となり、西園寺家の北山山荘になったと言う。そして、この額の筆は、中江兆民の盟友であり、首相ともなった西園寺公望の筆らしい。明治25年というと、兆民が1年で帝国議会を辞め、北門新報で臥薪嘗胆を狙っている時期である。御霊(ごりょう)神社にたどり着く。堀には菖蒲?が満開。ここは、もともと早良親王、菅原道真や吉備真備などの御霊を慰める神社なのだが、それに加えて、日本最大の内戦・応仁の乱発祥の地らしい。揮毫は応仁の乱東陣総大将細川勝元子孫・細川護煕元首相。ここも、令和元年記念として、この豪華な神輿を担いで、54年ぶり復活の神幸祭をするらしい。本殿の中。遅い昼食。近くの淡海食堂にたどり着く。いやあ、ホントに地域の愛される食堂でした。誰か画家の卵が描いたのか、淡海食堂の絵を掲げている。とても味わいのある絵だ。メニューは、何年も値上げしていないのではないか。柏井氏おススメのキツネカレーうどん(480円)を食べる。なるほど、京都のうどんは、お伊勢さんのうどんと同じコシが全くない。お伊勢さんと違うのは、こちらが少し細めというだけ。なぜコシがないのか?うどんは、出汁を味わうためのものだからだそうだ。そういう意味では、うどん出汁で作ったカレーはとても美味しい。けれども讃岐うどんを良く知っている私は、うどんにコシがあってもいいように思う。ともかく満足して出た。やはり柏井さんおススメの店。御霊神社前まで戻り、水田玉雲堂に入る。疫病を鎮めるための御霊会(863年)の時に神前に供えられた菓子を、応仁の乱後の1477年この場所に店を構えてそのお菓子を復元したのが、唐板(からいた)というお菓子らしい。お菓子ひとつにも、ちょっと歴史の規模が違う。1番小さい袋が650円と思ったよりも高かった(後で全部手焼きと知る)。少し迷ったけど買うことにする。「割れやすいから」と言って、ビニール袋を足してくれた。サイドポーチに押し込む。
2019年05月05日
コメント(0)
三館共通券、買ったからには行かなくてはならない。これが思った以上に面白いところだった。鴨資料館 秀穂舎(しゅうすいしゃ)。元鴨社公文所の学問所画工司浅田家の旧宅。要は神社のための絵を描く人の家。けれども、神社という所は、一般人とは隔絶した生活をするのだということがよくわかる。一子相伝の職能集団だったらしい。約数百人の氏人がこの一帯に住んでいたらしい。この日初めての観覧者ということで、1人だけど説明する人がいて詳しく説明してくれた。華表門。門が鳥居になっている。下鴨神社社家に多い門らしい。よく見ると、鳥居の上に鴨が乗っている。門の裏側に、お客の随行者が待つスペースを設けていた。こんなの見たことない。お客様は全て、随行者を伴う前提で設計されている。タバコの火入れなどもある。座ってみると、玄関が正面に見えて、主人が出た時に決して見逃さないようにできている。井戸(御井)と水を入れる御壺(おつふ)と、その先は枝折戸(しおりど)と言って、この世と清浄界との端、結界になっているらしい。中は写真撮影不可。武具を置いている部屋があった。文化人に相応しくないが、神社は度々動乱に巻き込まれるので必要とのこと。思いっきり古く「応仁の乱の頃ですか?」と聞くと「それよりもっと前です」と言われてしまった。また、側を流れている川で禊をするための場所なども作られていて、画工司にしてこうならば、もっと上の人はどうなるのかと思ってしまった。糺の森は、原生林が残っているという話なのだが、ほぼ全てを管理しているように見えた。糺の森や下鴨神社が世界文化遺産になるに当たって、環境保存調査のために一部発掘調査をして、平安時代後期の祭祀遺構を見つけたらしい。いよいよ原生林ではなくなっている。御手洗場は、舟形磐座石を使っているそうだ。御苦労なことだ。去年の台風21号による被害の復興途中らしい。さざれ石。神霊の宿る石らしんだけど、こんな風に俗化されたらなあ。この連理の賢木はすごいと思う。詳しくは説明版を。下鴨神社本殿前の舞台。本殿前には、干支の社が祀られている。私は子年なので、その前で10円のお賽銭を投げた。本殿前には、一般にある鈴がない。秀穂舎の人が言っていた。「下鴨神社本殿だけは無いのです。なぜならば、神様に来て頂いてお願いするところではないからです。神様に感謝する所なのです。五月の葵祭も、皇室使節がやってきて、一年の感謝するお祭りなんです」とのことです。もう一つの資料館、大炊殿に向かう。浦の廻廊を回る。なかなか興味深い説明が書かれていた。御井の説明板。御井。葵の庭の説明板。フタバアオイ。カリンの花。水ごしらへ場の説明。磐座の上にみんなお賽銭を投げているけど、なんだかなぁ。大炊殿説明板。大炊殿中。大炊殿いろいろ。七五三餅説明。七五三餅。しかし、神社ってホントめんどくさい。唐車説明板。唐車。御手洗川説明板。橋と光琳の梅を見る。ここから、あそこまで抽象する絵画を作ること自体が精神構造がわからない。ここのトイレは、最新のトイレのようなのだが、なぜかトイレットペーパーがなかった。何か嫌なことがあったようだ。しかし、普通知らないで入ってしまうでしょ。たまたま花粉症でペーパー持っていたから良かったけど。下鴨神社を出た所に、加茂みたらし茶屋がある。ここが正真正銘みたらし団子発祥の店らしい。この周りには、みたらし団子の売る店が他に一軒もなかった。下鴨神社の御手洗池が発祥なのに、無いということは、この店に敬意を払っている証拠である。これがみたらし団子420円。小ぶり。三つではなく、五つ。しかも一つは少し離れている。何故かは、以下の説明文。ということらしい。甘すぎくなく、少し焦げ目があって、とても美味しかった。一旦切ります。
2019年05月04日
コメント(0)
二日目、とても三回に収め切れませんでした。五回に分けて掲載します。4月22日(月)晴れ 2日目朝、寝坊した。行きたい所に行けなかった。私の人生っていつもこんな感じだ。朝食は一泊4000円とは思えないバイキング。2泊するので、半分くらいしか乗せなかった。深草駅に行く。龍谷大学正門。ずっと昔、ここに受験に来た。その時と雰囲気がまるきり違う。他にもう一つ京都の私立の受験をした。京都の左京区に、兄貴の下宿があった。今でもイマイチよくわからないのだけど、地下の鰻の寝床だった。玄関扉から地下に降りて、細い廊下の最初の扉を開けると、2人がやっと寝ていられるスペースがある。よって陽は入らない。そこを基地として、受験日と受験日の間の期間を利用して1週間、私は京都観光をした。中学修学旅行は奈良・京都だったが、日本史教科書に載っている京都はそれだけではないだろうと、確信を持っていたから昭文社のポケット地図を持って、行きたい寺は全て踏破するつもりだった。京都をなん分割かして、今日は銀閣寺周辺、今日は六波羅蜜寺周辺、今日は金閣寺周辺、今日は二条城周辺、今日は平等院周辺と歩いていった。行きと帰りだけバスに乗り、地図に載っている有名ラーメンを食べ、時には、同志社映画研究会に入っていた兄貴オススメの名画座「京一会館」などで一日中初めて若松孝二などのピンク映画を延々と観たりした。一本目こそ興奮したけど、三本目からは飽きてしまったのも覚えている。ものすごく、大人になった気がした。今思えば、ピンク映画なのに素晴らしいチョイスだったのだ。その後何回か京都を訪れ、行きそびれた所は補ってきたので、有名所の寺は大抵行ったはずだと思っている(実際はそうではないのではあるが)。この金のかからない旅が、私の生涯の旅スタイルになった。この時、京都の土地勘がついたので、その後歴史小説を読むときや、歴史書物を読む時にどれほど役に立ったかしれない。若い時に、京都を1ー2週間、東京を1ー2週間歩いて回ることは、その後の人生に必ず役に立つ。東京へは私はその後15年経たないと行くことができなかった。私立受験は、ひとつは落ち、龍谷大学は受かった。しかし、そのあと国立の山口大学に受かったので、さすがに兄弟共に私立大学に行くカネはないと、私は自覚していて山口に行った。大学に未練はなかったが、京都の文化には未練はあった。電車で出町柳駅まで来る。糺の森に着く。河合神社。見るつもりはなかったが、説明を見るととっても興味深い。鴨長明の人生挫折の神社だったのだ。三井社。三井物産の社殿ではない。下鴨神社の分霊神社。ともかく、異様に屋根を綺麗に古く保存している。河合神社では鏡絵馬と言って、美人の神社の霊剣新たかにあやかるためか、自分の化粧品で飾り立て奉納するらしい。まあ様々な「化粧」があるものだと、実際の奉納を観て思う。本殿。任部社(とうべのやしろ)。祭神は八咫烏の命らしい。ということで、サッカー選手のサイン入りボールが奉納されていた。鴨長明資料館があった。ほかの2つの資料館と三館共通券。博物館フェチとしては観なくては。中の鴨長明失意のうちに河合神社を去る事情については、冒頭のここを観てもらいたい。彼のいた頃の下鴨神社古図。江戸時代の鴨長明の絵。既に仙人のようになっている。うーむ、違うと思うけどなあ。大福光寺本『方丈記』(複製本)。鴨長明直筆かどうかは不明らしい。ひらがながカタカナになっているところが特徴的。直筆だとしたら、ホントに貴重だ。実際の方丈庵がある場所らしい。行きたいけど、実際は半日仕事になる。諦める。実際の場所の写真。外に方丈庵の復元があった。観たかったので、嬉しかった。こういう生垣はあったと思う(少年の世話する者までいたのだから)。夏は涼しく冬はなんとか凌げそうだ。四畳半。私はそんなに酷い家とは思わないのだけど。瀬木の小川。湧き水から出る水が糺の森を通って行く。今は枯れていた。この川の石橋を渡り、河合神社に向かう、その間の馬場が、なんとラグビーワールドカップの第1蹴の地らしい。八咫烏神社は、蹴鞠の神様なので、ラグビーにとっても神様なのかもしれない。
2019年05月03日
コメント(0)
千歳楽というのは、この地方に伝統的に伝わる山車(だし)のことである。秋のお祭りに毎年出されるが、今年はこういうとをするらしい。もちろん各町内会で「自主的に」決まったことだろうから、表現の自由の観点から私ごときが「出すべきでない」とか云々いうような筋合いではない。実際行ってみると、みんな愉しんでいたので、大いにやるべきだとさえ思う。ただ、このチラシにはひとこと言っておきたい。1937年の南京陥落をうけて、日本各地で行われたというちょうちん行列、あるいは全国各地で行われた青年の出征行列と、その精神構造において、ほとんど変わっていないのではないか?もちろん戦中に生きていた人間が町内会で意見を言うようなことはない。今生きて町内会の役員をしているどんな人たちも戦争を知らないはずだ。だから、このチラシは、当時の精神を知らない人間が「ものまね」をしたのである。しかし、その間の70年近くの「民主教育」「平和教育」とはいったい何なんだったのだろうか。気になって、集合場所に行ってみた。連島町どころか、水島地区全体の千歳楽が二つの子ども神輿含めて11体集まっていた。人出は乗り手とその家族含めて200人程度だろうか。このあと各町内会に戻って午後にかけて町内を引いていく。幾分酒も入ってみんな楽しそうだったが、予想通りの人出だと思う。神社ではこの日のためだけに新調したのぼりがはためいていた。地域からご祝儀がどのくらい集まるかで、実際の成功失敗が決まると、私は思うが、もちろんそこまで調べる手立てはない。
2019年05月01日
コメント(5)
四時過ぎに京都駅に着く。京都駅を見ると、いつも私は「この屋根がガメラとギャオスの戦いで破壊されたんだな」と思う。5条まで地下鉄で行くこともできたけど、つい旅心が出てきて歩いて向かった。もう十分歩いていたけど、ちょっときつい。歳だろうか(この時点でおそらく15000歩ぐらい)。京都は至る所にお地蔵様が祀られている。しかも、それがすこぶるお地蔵様ではない。何やらの神様なのである。この神さん。曰くありげな石の背後に薄古い仏画を飾る。。お供えは持ち帰ってください、と書いていた。京都には突き当たりのある路地と、通り抜ける路地がある。確かに行くと迷宮に入る気がする。森見登美彦の世界ですね。5条まで歩いてきたのは、「鐡輪の井戸」を見るためである。なかなか見つからず苦労する。普通の家の玄関のようにかすかに案内が書いていた。ホントに普通の玄関の隣にあるのだ。入るのに憚れるが、ちゃんと観光客用の説明を書いているので、入っていいのである。元は世阿弥が作った「鐡輪(かなわ)」という能作品。詳しくは、写真を。ここの水を持ち帰らないように、断りを入れるところが、少しぞくりとする。祭神を守るのは、やはり狐様のようだ。絵馬が何やら不気味である。誰が奉納したんだろ。誰かが忘れていった手袋。そうは言っても、縁を切りたい人は多々いるわけで、ペットボトルの水を持ってきて、お供えして持って帰る人は絶えないらしい。恐ろしや、恐ろしや。さて、そこからさらにテクテク歩いて行く。菅大臣神社。あの権力を笠にきている人のための神社ではない。菅原道真さんの神社だ。北野天満宮が有名ではあるが、こちらは生誕の地らしい。飛梅の梅もちゃんとある。京都は、このように恨みを癒す施設が其処彼処にある。この時期特有か、玄関には例外ない確率で、祇園祭の鉾の名前を挙げる飾りを掲げている。鉾への寄付の印なのだろうか。京都の路地は、突き当たりと突き当たりではないものがある。これは突き当たり。これは突き当たりではない。京都の街は碁盤目状にできているが、時々辻子というZ字路やT字路もある。むしろ人が行き交う場所になっている。ここは膏薬辻子という。この説明にあるように、空也上人が平将門の首塚を供養するための神田神社を建てたことから、空也供養から膏薬辻子になったという説を書いている。空也から膏薬になったのは頷けると思うが、供養から辻子は頷けない。これは柏井壽『京都の路地裏』の「空也供養の厨子」が訛ったという説明がわかりやすい。厨子を建てて供養したわけだ。これが神田明神。平将門さん、なかなか恐れられています。最近新しく建て直ししている。明倫小学校旧正門跡。明治の古い小学校跡ならば珍しくないが、明倫舎は、心学の石田梅岩の弟子・手島堵庵(1718-1786)が開いた心学講舎である。その頃からの門ということで、とっても貴重だ。『おひとり京都の愉しみ』で、カジュアル和食のお一人夕食として勧められていた『まんざら亭NISHIKI』に入ってみる。カウンターに座る。以下の注文をする。盛り合わせ5種 1500(牛スジ味噌煮込み、明太糸こんにゃく、茄子の揚げ煮、ポテトサラダ、菜の花のおひたし)銀ダラ西京焼 1000豚トロと9条ネギガーリック炒め 450白ワイン フランス ソーヴィニョンブラン50% 600(マスドジャニー二、サビアンコムサ・ブラン)赤ワイン シラー50% 600(サビアンコムサ)会計6000円予想。銀ダラは、ものすごく脂が乗っていた。私は生涯銀ダラといえば、この脂が乗っていることを思い出すだろう。9条ネギのガーリック炒めは、普通の味なのだけど、9条ネギのしっかりした存在感だけが際立っていたと言っていいだろう。急遽赤ワインを頼んで良かったと思う。盛り合わせ5種を頼んだ時に、ご希望は?と聞かれたので9条ネギは欲しいと言ったが、入っていなかった。それを指摘すると、どうやら伝達ミスがあったようだ。私は追加オーダーはいいよ、としたのだが、カウンターの向こうから「9条ネギと生麩のおから」をサービスで持ってきてくれた。追加で白ワインを頼む。細やかな気配りは、流石柏井壽さんおススメだけはある。会計は、予想よりも下の5500円くらいだった。名刺の住所は、写真をみてください。宿は朝食バイキングがあるのに、一泊4000円と超格安の「アーバンホテル京都」。ところが、私の勘違いしていたのが悪いのだけど、京都駅北かと思いきや、京都駅南のホテルでした。それでも綺麗な良いホテルです。26630歩
2019年04月30日
コメント(0)
平野区民センター。埋蔵文化財倉庫の名前が。ところが、受付で聴くと、あくまでも倉庫であり、職員は常駐していないらしい。展示も非常に貧弱だった。それでも馬野繁蔵採取考古資料の展示は素晴らしかった。瓜破式と言われた弥生前期の壺は、素晴らしい意匠を施していた。蓋も素晴らしい。青谷上寺地遺跡の蓋と形が変わらないのは、何か意味があるのだろうか?イイダコ漁の土器もあった。スクレイバー。石斧。大型蛤刃石斧。くさび。磨製石剣。磨製石包丁。石キリと石鏃。加美遺跡は、大阪平野の重要な弥生遺跡である。河内潟を挟んで、大阪平野に弥生文化が急速に育っていった様子がよくわかる。ここも、見事な方形周溝墓だ(弥生中期)。y1号墳丘墓。26×16×3m。親族全員が埋葬される(23人)。隔絶された首長という概念は未だない。しかし、銅の腕輪をしていた人は居た。縄文時代、長原式土器の元になった土器の展示がされていた。刻み目のある粘土の紐を(突帯)を1ー2本貼り付けている。形は違う気がするが、韓国最古の土器、隆起文土器とは関係ないのだろうか?出土は2800年前。他の土器から籾痕のあるものもあったという。ほとんど弥生早期と言って良いのではないか?疲れた。ランチを出戸駅近くのイオンのレストラン街(と思って入ると、レストランが2つしかなかった)で、チキングリルとビール大瓶一本を飲む。自分への「ご褒美」。このレストランでは、未だに100円コインの星座御神籤が置いていた。大阪やなあ。こういう昔ながらの長屋式家屋は、実は京都でも見ることになる。出戸駅から駒川中野駅に移る。ここは「長原遺跡・瓜破北遺跡・桑津遺跡出土の弥生、古墳時代土器をはじめ、長原遺跡の地層の剥ぎ取り資料など、旧石器時代から室町時代までの平野の歴史を紹介する約150点を広いスペ-スに展示しています。また、平野区在住の大崎辰三氏が昭和10年に瓜破遺跡で採集した弥生土器や石器の写生をおさめた貴重なアルバムのほか、平野環濠都市の立体模型、民具や農具、地車、河内木綿など、平野を様々な角度から紹介しています。」と書いていて、次こそはと期待したのだが、平野区民センターとあまり変わらなかった。また、弥生遺跡跡を彷彿させる地形もよくわからない。もちろん、昔は河内潟の周りにムラは次々とできたのであり、だからこそ遺跡がこの辺りに集中しているのではある。しかし、びっくりするような発見を見つけることができなかった。悲しい。夕方いっぱいまで大阪巡りをするかと思ったが、案外早く(4時過ぎごろ)京都に着きそうだ。ざっと遺跡を紹介します。ホント疲れた。京都に行こう。なんと新快速に乗り換え20分でも着いた。
2019年04月29日
コメント(0)
4月21日(日)晴れ 旅の1日目花粉症デビューして、今日でちょうど1週間が過ぎた。最初は医者の誤診であって副鼻腔炎を疑っていたけど、微熱が薬飲んで嘘のように下がって、薬を飲み忘れると、ものすごい頭痛と目の奥の痛み、さらにはふらつきまで出て、ずっと他人事だと思っていた花粉症の苦しみとはこうなのだと独りごちたところです。それでも予定の旅はそれなりに楽しい。ゴールデンウィーク前にぽっかり三日間だけ空いて(空けて)旅に出た。遠くに行けないので、京都にしたが、実はその前に去年計画だけを立てて行きそびれた大阪小さな考古学資料館巡りもすることにした。岡山駅に新幹線が入る。私は未だにこの歪な新幹線に慣れない。ここでサンドイッチの朝食を摂る。07:15倉敷駅08:45新大阪OsakaMetro御堂筋線・天王寺行梅田(地下鉄)同駅内徒歩東梅田OsakaMetro谷町線・大日行09:15千林大宮ここには、弥生時代の集落遺跡・森小路遺跡がある。旭区民センターに資料室があるとネットで見つけた。資料室と言いながら博物館だったり、資料室と言いながら通路のお飾りだったり、いろいろなので、ここはどうか。区民センター前の一般地図を見ると、淀川流域であり、川沿いの湿地としてムラができたのだと想像する。流石大阪。区民センターと言ってもなかなか立派だ。遺跡は、谷町線の向かい側だと知れた。少し遠い。行くのを諦める。この千林という街は、完全に碁盤目のように街が区間されている。2000年前に絶えて、その後古墳時代になって再び栄えた街のようだから、古い街にには違いないのだが、戦災のためか、それとも他に理由があるのか、若い街になっている。古い家もほとんど戦後製、新しい家だけど、古いタイプの借家系の家並びがあった。資料室は、大きくもなく小さくもなく、まさに資料室という形で置き場所を借りていた。こちらは2200年前の弥生土器。首長土器が大きな特徴だ。こちらは2000年前の弥生土器。形が吉備とは随分違う。首長は少し短くなったが、その分洗練されている。石包丁はこの形が圧倒的に多い。木のクワは、すぐに壊れただろうな、と思う。ナマズや鰻やフナ、いわゆる川魚とイノシシなどの里山獣を食べていたようだ。祭りに使われた土器。穴を空けるというのは、実用性を無くす(死者が使えない)という意味なのか?それとも他に意味はあるのか?人物を、描いた絵画土器が出土してるようだ。頭が丸いだけで、男だと思っていいのだろうか?銅剣形石剣。銅剣そっくり。この地域は、方形周溝墓が主流だ。しかし、大和政権が選んだのは、吉備の隔絶された首長墓だった。何故地域の伝統を拒否してまで、ほかの地域の祭祀を採用したのか?弥生時代にいったん隔絶した後に、古墳時代にまた人が住むようになる。その間約300年間。10代の人代わりがあったと思える。伝説の地に戻ったわけだ。この後、同じ谷町線で大阪南まで移動して、出戸駅に降りる。後でわかったが、森小路遺跡は、弥生時代に大きな河内湖の北の湿地にあり、平野地区は南の位置にある。のちの難波地区はまだ湖の下だ。平野区民センターに行く。ネットでは、「平野区は全国的にも有名な遺跡が数多くある遺跡の宝庫です。エントランスでは長原遺跡から出土したことから「長原式土器」と命名された縄文時代晩期末の土器、加美(かみ)遺跡の弥生時代の墳丘墓に供えられた土器や高廻り2号墳の埴輪レプリカなど、平野区の代表的な遺跡の出土品を展示しています。区民センタ-の地下は大阪市の埋蔵文化財収蔵倉庫になっており、膨大な量の発掘資料が保管されています。」と解説されているではないか!期待が膨らむ。駅から行く途中に、畑をちょっと見ると、弥生土器らしき破片が落ちていた。埋蔵文化財の職員がいるならば、鑑定してもらおうと持ち込む。思えば、ここまでがテンションがマックスだった。長くなった。一旦切る。やはり一日を2回で語りつくすのは難しいみたい。3回に分けます。
2019年04月28日
コメント(0)
「京都しあわせ食堂」柏井壽 PHP研究所京都の旅で、食に絞った紹介本。使えなかった。てか、ほとんどランチの店なのだが、紹介する店は街中に限定されていて、私は他のところにいて使えないのだ。3日目だけは違っていて、タマゴサンドの名店があるというので、随分と探して10時半に行くと「11時半から営業ですが、1時間予約が入っていて満杯です。12時半からお出で下さい」と張り紙が。偶然にも近くの博物館で時間を過ごしてしまったので、13時にもう一度行くと今度は「満杯です。14時半以降お出で下さい」と張り紙が。バカにしている!結局、この店の同じ通りのおばんざいの店でランチを食べた。美味しかった。私の5人後にソールドアウトになったので、この店も名店のはずだが、この本には載っていない。ということで、点数低めです。
2019年04月27日
コメント(0)
「おひとり京都の愉しみ」柏井壽 光文社新書今回の旅では、この本を1番使うと思っていた。まさに今回は「おひとり京都」だったからである。この本の1番のオススメは冒頭の章だと思い、2日目は下鴨神社周りの散策を最初にした。そこから延々と歩いて北野天満宮まで行った。結局この日の歩数は3万5千歩ほどになったのだが、ものすごく役に立った部分と、歩いた割には残念な部分が半々だったと言っていい。よって、点数低め。よかったのは、みたらし団子発祥の店のみたらし団子を食べることが出来たこと(「加茂みたらし茶屋」)。この地域に他にみたらし団子を売っている店はなく、本家宗家を好きな日本人が自他共に認める発祥団子だとわかったし、実際食べてみて形状・味そして店の佇まい共に他と隔絶していた。下鴨神社の御手洗池のぽこぽこと浮かぶ泡を見立てて小ぶりの5つの団子を作り1つを離して頭にして人型にしていた。謂れは鎌倉時代の後醍醐天皇に至る。コレが京都という街なのである。そこから御霊神社に行く途中に出雲路橋を渡る。ここから見る比叡山から大文字山に至る東山が「もっとも美しいプロポーションを見せる」と著者は書く。理解できなかった。比叡山を眺める『額縁門』の天寧寺にも行ったが「まあそんなもんかな」と思った。オススメの昼食は、一つは当たり(「淡海」)、一つは見つけられなかった。夕食は、一つは食べることができて(「まんざら亭NISHIKI」)、もう一つ(二ヶ所回ったのだが)は、見つけられなかった。そのうちの一つは既に閉店しているとしか考えられない。著者がこの本の中でも熱を入れて紹介していたのに残念(発刊から10年経っているので仕方ない所もある)。しかも、この2つを探すために1時間半歩いた。少し怨みが点数に入るのも理解してもらいたい。全体的に、一万円コースの夕食は、著者はなんとも思っていないようだが、それは一般庶民の感覚とは違う。もちろん「カジュアル」と表現しているのは、その半額でもOKだ。まだまだ行き損ねた所や、行きたい所は多い。また来たいと思う。
2019年04月26日
コメント(0)
「京都の路地裏 生粋の京都人が教えるひそかな愉しみ」柏井壽 幻冬舎文庫京都の旅から帰ってきました。今回柏井さんの新書を4冊持って行ったのですが、結果的に1番役に立った(旅途中、最も鞄から取り出した)本がコレでした。食べ物も、旅スポットも、そんなにテーマが統一されているわけでは無いのですが、所謂観光旅をしない私の好みに合った場所がたくさんあったということなのでしょう。実は、約40年前の受験で兄貴の下宿に宿泊しながらこの時ばかりとまるまる一週間京都を観光しました。そこで銀閣寺、清水寺、金閣寺、嵐山等々の観光スポットは回り尽くしたという自覚があって、その時の旅スタイル、歩き通す旅が最も楽しい発見のある旅として私の身に染み付いたのです。だから、京都に来たらもう有名な場所には行かないことにしています。京都に着いていの一番に行ったのは、夜な夜な怨みを抱いて通った女の実家の井戸(「鐡輪の井」)です。貴船神社は丑の刻まいりで有名。そこへ、五条上がるのこんな所から毎夜三時間はかけて呪いに行く。しかし安倍晴明の力の前に女は逃げ帰る。そして身を投げた所らしい。ここの井戸の上にペットボトルの水を一晩置くだけで、縁切りの水として霊剣新たかになるらしい。これがまた、地図アプリでピンポイントで場所を示されても見つけられない微妙な場所にあり、本の文章を精読してやっと印を見つけてたどり着いたのです。この井戸にも鍛治屋町敬神会が解説書を置いていた。他の場所も教育委員会の説明板など大抵付いている。しかし、本の解説はそれとは明らかに違う原典から解説しており、安直な所から情報を得ていないこともわかった。その他にも、土蜘蛛伝説に繋がる源頼光の大蜘蛛退治の蜘蛛塚二つ(上品蓮台寺と北野天満宮の角)、大工の嫁が八百年都を災禍から守り続ける神さまになる「おかめ塚」、実はこちらにも飛梅があり菅原道真産湯の井戸まである「菅大臣神社」、平将門の首が晒されていた場所「神田明神」、猫の恩返しの伝説のある猫寺、全体的に、怨みや不運を避けるための塚や施設が京都には其処彼処にある。京都だから、それが1000年以上伝えられているのが珍しく無いのが、とても珍しいと思った旅でした。
2019年04月24日
コメント(2)
「京都の定番」柏井壽(かしわいひさし)幻冬舎新書G Wは暇がないので、その前に京都を旅することにした。柏井壽(この名前が一発で漢字変換できるiPhoneは凄い)さんの京都シリーズ新書は何冊もあるので、一挙に4冊も借りてしまった(お目当ての本は2冊も既に借りられてあった。同じ考えをしている人がいるのだと思った)。今回の旅はいくつかテーマがあるが、1つは柏井壽さんオススメの京都を旅する、というのも1つに入れる。その中で1番役に立たない本がコレである。そもそも京都の定番は40年前に卒業した。そもそも私は定番の旅は避けてきた。それが、私の旅スタイルの始まりだったと言っていい。それらのことはまたおいおい書くとして、その中で、1つ「ほぉう」となったものは、お土産の定番として、八つ橋と一澤信三郎帆布の2つを挙げていること。八つ橋はどれもいいとしながらも、「聖護院八ツ橋総本店」(丸太町近辺)の看板「玄鶴堂」の書が、富岡鉄斎というのには惹かれる。京都人にとっては八つ橋はあくまでも焼き菓子である、というのもうなづける。今では断然生八ツ橋が多いと思うが、昔は京都土産として貰うのは焼き菓子の方が多かったからだ。生は保存技術の発達で広がっていったようだ。そしてびっくりするのは、八つ橋に餡を包むのは、1960年が嚆矢とのこと。この60年間で、ものすごい変遷を遂げたわけだ。なんかんや云いながら長くなった。すんまへん。しばらくUPお休みします。
2019年04月20日
コメント(0)
写真は、大野智久さんから直接メールで頂いた。大野さんは、写真解析をする事で、この日の飛行高度を1800メートルと、科学的にはじき出した。自覚的な日本人は知っていて、更に自覚的な日本人ならば、怒っていると思うが、米軍機は日本の空を自由に飛んでいる。墜落を繰り返すオスプレイは、沖縄だけに住み着いていると思っている日本人は少ないと思うが、日本の上空を自由に飛んでいると知っている人は少ない。岩国米軍基地に常駐していたが、昨年から東京横田基地にも常駐するようになった。当然訓練飛行はするから、東京上空をぐるぐる回っているらしい。当然基地から基地へ移動するのは、重要な訓練である。岡山県人もみんな他人事だと思う。だから、「騒がなくてはならない」。この記事にあるように、オスプレイが「本土」に入ってくるときに「可能な限り水上を飛ぶ」のは、国と国との「約束」だ。米軍は、約束なんか、なんとも思っていない。なぜならば、それが戦後の日米関係だからである。岡山県平和委員会は、4月16日火曜日夕方、岡山駅西口において、宣伝と抗議活動を行った。倉敷上空をオスプレイ飛行か 目撃情報相次ぐ、SNSに写真も2019年04月09日 21時56分 山陽新聞デジタル更新 米軍の輸送機オスプレイを目撃したとの情報が8日夕、倉敷市であった。防衛省中国四国防衛局によると、同日、米軍の横田基地(東京)から岩国基地(山口県)の間をオスプレイ1機が飛行したという。 倉敷市のアマチュア天文家大野智久さん(70)は、自宅にいた8日午後5時40分すぎ、「ゴゴゴ」と音を立てて北の空をオスプレイらしき1機が通過するのを見つけ撮影した。機体の大きさなどから市役所(同市西中新田)上空の高度約1800メートルを飛んでいたのではないかと推計する。同じころ、真庭市の農業男性(60)も倉敷市水島地区から市街地上空を飛ぶ1機を発見し、撮影。写真を会員制交流サイト(SNS)に投稿した。 オスプレイは事故の多さが指摘されており、日米両政府は「移動の際は可能な限り水上を飛行する」などで合意している。大野さんは「合意に基づき、市街地上空を飛ぶのはやめてほしい」と話した。
2019年04月19日
コメント(0)
今月の映画評はマイベスト3位のこの作品です。「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」昨年春、スティーヴン・スピルバーグ監督は二本のまるきりタイプの違う作品を世に出しました。ひとつは、日本のガンダムや世界のヒーローが一堂に集まって競争するCG満載の春休み映画(「レディ・プレイヤー1」)、もうひとつは骨太の作品「ペンタゴン・ペーパーズ」です。メールも高性能のコピー機もなかった時代の「報道の自由と使命」を描きました。もとは前者の方に力を注いでいた監督は、2017年1月に誕生したトランプ政権に危機感を覚えて急遽製作と監督を引き受けたのです。なんと17年秋の公開に間に合わせ、この作品は昨年のアカデミー作品賞にノミネートされました。1971年。当時ベトナム戦争は明らかに泥沼化して、勝利の見通しはありませんでした。現代の我々がそれを聞くと「当たり前だろ」と、感想を持つかもしれなませんね。でも、アメリカ政府はまるで何処かの国のように、ずっと嘘とごまかしの説明をしていました。戦争調査内容はペンタゴン・ペーパーズ(最高機密文書)として隠されていましたが、NYタイムズがその内容をすっぱ抜きます。実は、アメリカにも秘密保護法があります。NYタイムズは追加記事を出せない状態になりますが、ライバル紙のワシントン・ポストの編集主幹トム・ハンクスは文書を手に入れることに成功します。一方メリル・ストリープ演じるポストの社主は、株式公開を控えて後発の記事を出すのかどうか難しい決断を迫られます。「新聞は国民の繁栄と自由のために尽くすべきです」と銀行を説得するのです。記者が特ダネを報道したいのはわかる。しかし、映画は経営者の矜持と決意を描きました。幹部全員が罪を被ってもおかしくはありませんでした。けれども、最高裁判所は世論の高まりを受けてこのように判決を下します。「報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない」。翻って、日本でこのような映画は可能だろうか?観ている間、ずっと思っていました。日本の報道機関は、一度でもこんな闘いをしただろうか?もちろん、国民の支持がないと新聞社は動かなかったでしょう。米国と日本の違いをいろいろ考えさせられました。ラストシーンは、ニクソンを辞任に追い込んだウオーターゲート事件を描いた映画「大統領の陰謀」の冒頭シーンでした。(2018年米国作品・レンタル可能)
2019年04月17日
コメント(0)
「周恩来『十九歳の東京日記』」矢吹晋編 鈴木博訳 小学館文庫紐解いて中身の濃さに驚いた。二十歳前の中国青年の約一年間の留学準備日記を、言葉の説明はもちろんの事、地図や風俗、時代背景を事細かに書き記して補っているのである。周恩来にあまり興味なくても、1918年つまり100年前の東京の雰囲気を知る上でも興味深い。こんな労作が、99年に文庫本で出たことが不思議でならない。Amazonでは、現在約三倍の高値(1,860~)がついている。こんな良本が絶版になるぐらいに、日本人というのは狭量な民族だったのだろうか。周恩来は、2回受験に失敗する。どうやら日本語が、すらすらと読んだり話せたり出来ないと合格できなかったようだ。無理でしょ、半年そこらの留学じゃ。彼の頭の良さは4月23日の日記で私は認めた。東京堂という本屋で、『露西亜研究』という雑誌を立ち読みし、その場で暗記したことをその日の日記に書いている。ロシア革命は前年の秋のことである。だからここに書いている現在ロシアの党派の分析、特に社会民主党の中のレーニン(この名前も初めて知った筈だ)率いる過激派(ボリシェヴィキ)や温和派(メンシェヴィキ)の方向性の違いをきちんと理解して暗記して、おそらく日記帳数ページに渡り書き記す記憶力は物凄いものがあるし、特にこの内容を日記に記すことを選択した周恩来の時代を見る眼にも瞠目した。日記には常に【通信】欄を欠かさず書いていて、おそろしいほどのハガキ魔だったことがわかる。友愛を大切にする姿勢は、いろんな所に散見する。受験勉強もしているが、時代が要請する愛国運動にも参加する。やがて彼は後者を選ぶ。1人の革命家は、まだ何者でもなかった時期に、それでも非凡だったと私は思う。
2019年04月16日
コメント(0)
「ゼロからやりなおし!日本史見るだけノート」小和田哲男 宝島社著者の言うように、歴史を理解するためには、細切れの知識ではダメで、歴史の流れを理解する必要がある。そのためには「日本史の流れを大まかにわかりやすく一気に学び直す」方法が有効である。それで、どんな本になっているかじっくり検討させてもらった。結論から言えば、この本でそれを試さない方がいい。少し大変だけど、(語句や年代を覚えようとせずに)教科書を4-5時間かけて一回集中して読み通すことの方をお勧めする。なぜならば、(前に読んだ角川版「漫画日本の歴史1」ほどは偏向してはいないけど)その書き方が難しい古代編と現代編を見てみると、やはり納得いかない部分がいくつかあったからである。・10pのイラスト。西日本の顔のルーツは一様に瓜実顔の弥生系と間違うような書き方。しかし、現代の九州や沖縄の顔を見たらわかるように、かなり濃く縄文顔がいるのだ。・15pに、「弥生時代みたいに広い田畑を作ると、定住する必要があるんだ。縄文時代にも狩場争いはあったかもしれないけど、土地を巡っての戦いが多くなったのは定住のせいかな」と書いているけど、その前のページで「(縄文時代に)定住が始まり」と書いているばかり。矛盾している。実際の答えは「余剰作物ができるようになったから」だ。・所々が異様に専門的なのが、この本の特徴。一般男子の服装で、あえて縫わずに腰布を結んでまとっていると表現している。定説ではないと思うのだが。・現代編。207pの(現代日本の基礎となる)安保条約を結ぶ情勢と理由の説明は、そもそも2ページで描けるものではない。私には、大いに異論があるが、ここでは説明は省く。・基本的にこの著者は、護送船団方式の転換、民営化の2つとも大賛成の立場から書いている。それによって日本は繁栄したのだと。果たしてそれしか方法がなかったのか?・バブル破綻はアメリカの貿易赤字と日本銀行の政策によって起きたとしている。まるで他人事である。しかも、日本経済史をほんの数ページで表現するのが、現代編と勘違いしているようだ。・TPPを全面賛成の立場で書いている。納得出来ない。
2019年04月15日
コメント(0)
「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話」ヤニス・バルファキス 関美和訳 ダイヤモンド社確かにわかりやすく書かれている。よく売れているらしい。複雑なことをわかりやすく広めると、世の中が少し賢くなる。だから必要だ。けれども、「わかりやすさが先行して、粗雑なわかりやすさになってはいけない」。害悪を拡げる本は批判されなければならない。私が★ひとつとするのはそのためである(どうでもいい本ではないから、振り幅が大きくなる。価値がないと言っているわけではない)。私は何の専門家でもなく、単なる読書おじさんだけど、それでも瑕疵がいくつも見つかった。でも前半は、ほぼなるほどなるほどと思って、読んでいった。こんなところだ。・通貨には、「信頼できる権威の裏付け」(国家や宗教等々)が必要である。余剰ができたから、国家(軍隊や警察・官僚を持つ)や宗教が生まれた。←それはそうだ。たから、この順番は逆ではないと私は思っている。・アボリジニやアフリカの人々は縄文時代のようなものだ。余剰は生み出さなかったから、ヨーロッパ人に侵略されたのであり、経済格差は人間としての優劣の差ではなかった。←それはそうだと思う。これは地理的な環境下で起きた格差の問題である。・金持ちが「もっと豊かになるのは当然だし必要だ」と思い込むのは、君の生活に便利や快適があるのを当然だと思うのと同じだ。格差は、人のせいではなく、社会のせいだ。君は、賢く、戦略的に怒りを持ち続けて欲しい。そして、機が熟したときには、必要な行動を取ってほしい。・では、国内での格差は何故起きたのか?・昔、人間の欲求の中に「利益の追求」はなかった。これが歴史を動かすようになったのは、最近のことだ。「利益」と「借金」が結婚してからである。←ここまではいい。しかし、この後著者は何度も「ゼロからお金が生み出される」仕組みについて説明する。もちろん、その仕組みはある。けれども、私は変なことに気がついた。・どこからともなくお金を生み出す銀行とその上の中央銀行という国家、そのおかげでずっと自転車操業は続く。←ホントに続くのか?国家の破綻はないのか?好景気不景気の循環で、銀行は国家をコントロールする。国家は銀行をコントロールする。では、その最終的な富の源泉はどこにあるのか?ここで、私ははたと考える。世界の労働者の労働力なのではないか?エネルギー不変の法則は存在する。ゼロからおカネは出てこない。著者は、この本でそのことを説明しただろうか?・経済が社会の「エンジン」で、借金が「燃料」だとしたら、労働力はエンジンに点火するための「火花」で、おカネはエンジンを滑らかに動かし続けるための「潤滑油」だ。というまとめに私は納得いかない。燃料は労働力だろ?著者は、これらの解決策に突然「究極の民主主義」を提案する。まるで「振って湧く」かのように善良な市民が登場するかのごとくだ。そこに至る思考の道筋は、共感するところもあるが、マルクスならば『貧困の哲学』のプルードンを『哲学の貧困』で批判したように、これは「世界が逆さまになっている」というかもしれない。私はマルクスのような頭がないので、著者を論理的に批判出来ない。彼の頭の中には、ホントに生きている市民が、どのようにしたらそういう「究極の民主主義」に至るのか、青写真さえも浮かんでいないように思えるのである。金持ちのための欲望にまみれた経済学者よりも良心的な貴重なものだとはおもうので、誰か根本的な批判が出来ないものだろうか!2019年4月読了
2019年04月14日
コメント(0)
東大入学式における上野千鶴子名誉教授の祝辞が話題になっている。詳しくはこちらを読んでほしい。日本における女性学のパイオニアである。とは言っていも、平成よりは少しまえにしか始まっていない若い学問である。なんでも取り上げた分だけ学問になる。だから、「おひとりさまの老後」問題もパイオニアだった。けれども売れた。理由は一つしかない。学問として提示する前に、既に社会の方が変わっていたからである。大学入試における女性差別も、社会におけるさまざまな差別も、どうも(男)社会だけが気が付いていない場合が多いようだ。日本における「女性」とつく問題は、たいていこの体のようだ。さて、閑話休題。この本を読んだ。「おひとりさまの老後」上野千鶴子 文春文庫文庫本が出たのが、2011年12月である。私は、その時読もうと思ったが、図書館に予約すると、数年待たなくては順番が回ってこないほどの予約が入っていた。しばらく予約していたが、途中で諦めた。当時は今ほど積極的に文庫本を買っていなかったのだ。今回本屋に平積みされていて、何も考えずに買ったのだが、実は単なる重版出来だったのである。この本にも書いているが、2007年に単行本が出た時は、こんなに売れるとは予想しなかったらしい。11年段階で28刷75万部、現在文庫本16刷だから軽く累計100万部は超えている。図書館の予約状況を見ると、300万人以上は実際に読んでいることになるだろう。この本にも書いているが、高齢化社会を迎えて、女性はやがては「おひとりさま」になる。なあんだ、シングルも家族持ちも同じじゃないか。だとすると、「1人で暮らす」ためのノウハウと「心構え」を書いたこの本が売れるのは、理の当然だったというわけだ。さらに言えば、オトコはかなりの数がシングルのまま生活している。ここに書いてあることは、ほとんど男にも当てはまることなのである。私が、読もうとしたのも理の当然なのである。介護保険を使いどんな状態になっても満足して最期を迎えるノウハウに関しては、この本では具体性に欠けていて、既読の『上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか? (朝日文庫)』の方がよっぽど為になる。この本には、まだ実現していないそのような社会になる前の、社会意識みたいなものが見えるということ。そして「おひとりさま」になるための心構えが読めることに意義があるだろう。「おひとりさまで生きるためには、必ずしも家族は必要ない。けれども友だちは必要だ」その他「ピンピンコロリはファシズムだ」とか「介護される側の心得10カ条」とか「孤独死を恐れない。数日で見つけてくれれば十分OK」とか「遺言の書き方」とか、心構え的なことで十分読んで良かったと思った。2019年4月読了
2019年04月13日
コメント(0)
「図説・17都県放射能測定マップ+読み解き集」みんなのデータサイト マップ集編集チーム みんなのデータサイト出版「ビッグイシュー」で存在を知って取り寄せた。直接注文しか手段がないかと思ったためである。後で見ると、Amazonでも扱っていると知った。その方がいいだろう。読者も出版社も、楽になる。本来なら全国の本屋に並ぶべき本だと思う。「予想以上に」売れたのはメディアが取り上げたからだが、売れたのは必要とされる人々に必要とされる情報を書いたのだから、当然なのである。これは、市民の「ホントの汚染状況はどうなんだろう?」という切実な疑問を解明しようと、のべ4000人の市民が測定した「科学的な」土壌汚染状況のマップだ。岡山県に住んでいる私には、関係ないといえば関係ない(ホントは食べ物で気をつけないといけないとは思っているが、それこそどこまで汚染されているかは「科学的には」わからない)。しかし、放射線を出す放射性物質等のいろんな解説が丁寧で参考になった。次々と帰宅困難地域が解除されていく中で、なんとなく放射能汚染は改善されているかのような「雰囲気」が醸し出されているけど、やはり子供が外で自由に遊びきれない所が多くあることを知るのは、私にとってもこれからの事を考えると有益である。なぜならば、岡山県には、伊方原発と島根原発の2つの危険要因があるからだ。特に、南海トラフ地震が言われている中で宮崎沖での群発地震を考えると、ちょっとぞっとする。東京都民にとっては、この本は必読だろう。私も、「えっ?こんなに高いの?」と思った。
2019年04月12日
コメント(0)
「漫画ひりひり」風カオル 小学館1989年の2月9日、手塚治虫が亡くなった日に細川歩は大分県の専門学校の漫画コースの面接を受ける。平成が始まった頃の漫画家志望の青年たち3人の群像を、テンポよく描いた小説である。当然ラストの場面は、平成31年の2月9日前後になる。私は漫画家になりたかった。細川歩は18歳で漫画家を志したけど、私は18歳前後で諦めた。ジャンプで鳥山明の連載が始まって、私には才能はないと早々に思ったからだ。実はそのあとマンガ編集者になりたいと思って、その頃の(私基準の)主要連載漫画約100作品を全て(立ち読みや喫茶店で)チェックするという事も4年以上は続けていたけど、いつしかその習慣もなくなった。平成元年のこの年、『ドラゴンボール』『寄生獣』こそはチェックしていたが『ベルセルク』『SLAM DUNK』『幽☆遊☆白書』は、もう読む事もなかった。だから、漫画家志望青年たちの夢も挫折もいろいろと共感する。だから、漫画家志望青年たちの技術の高さやマーケット感覚を重視する姿勢には、それよりも大切なことがある、とつい思ってしまう。漫画を好きでいるためにけじめをつける。佳奈さんもそうだった。みんな漫画が好きで、それだけはどうにもならなくて、ちがう道を歩き出す。(180p)そうなんです。好きだから嫌いでいたくない。だから諦める。だから私も時々傑作に出会いたくて、未だいくつかの漫画をチェックしている。漫画が大好きだから。「ひりひり」するような痛さと心地良さと。細川歩くんは、たった一年で劇的に変化する。細川歩くんも「それよりも大切なこと」を未熟ながら掴む。大分という東京から見たら田舎の、小さな専門学校という普通成功しないところで、それでも此処は日本なんだ、才能は開花するのだ、というメッセージがとても気持ちよかった。2019年4月10日読了
2019年04月10日
コメント(0)
4月8日は、お釈迦様の誕生日。近所の宝島寺では、昔から「花まつり」をしている。植木市といくつかの出店と、宝島寺秘蔵の屏風絵を展示している。今回は久しぶりに見ることが出来た。近世の四大書僧とも言われる寂厳和尚の書を多く所蔵している。例えば、今回はこんな書が出ていた。達筆過ぎてさっぱりわからない。びっくりしたのは、入ってすぐの突き当たりにあの菅茶山の直筆屏風が置かれていたこと。加藤周一の『夕陽妄語』の書名のもとになった茶山の代表詩「黄葉夕陽村舎詩」の一部が書かれている屏風が展示されていた。菅茶山(1849-1911)。江戸時代後期の儒学者、漢詩人。備後福山の藩校で出講していた。ここの説明文によると、茶山は近くの江長三宅家と縁あり、徳寿院や谷汲寺に度々往来したらしい。この一帯は連島というが、もとは海の中の島だったので、陸地になって連なる島になったというのが、つい最近までの定説だった。ところが、実はここの地名は都羅というところであり、そこから都羅の島、都羅島(つらしま)になった、というのが定説になっている。江戸時代後期のこの時に、菅茶山はこの代表詩の中の1詩として「都羅」という詩を書いていた。びっくりである。江戸時代を代表する漢詩の中に連島を冠した詩がある!それを見ることができた。説明書も一緒に載せる。また、幕末児島郡郷内村の画家、古市金峨の屏風絵も置いていて、その説明に長じて岡本豊彦に師事したと書いていた。和尚に「この岡本は、この近所の岡本唐貴(白土三平の父、昭和を代表するプロレタリア画家)と関係あるのですか?」と聞いた。和尚のいうには、「西浦は文化人をたくさん輩出した。そうかもしれないが、よく知らない。何処かで繋がっているのはよくあることだ」ということだった。岡本唐貴引いては白土三平は、突然生まれた突然変異ではなかったのだ。それも大きな収穫だった。古市の絵を載せる。
2019年04月09日
コメント(0)
最後の二作品です。「金子文子と朴烈」平成の終わりに観た。天皇制に対する徹底した批判を、韓国映画が作ったからと言って、日本人が多く出るこの作品に、日本人が数人しか出演していないのがとても恥ずかしい。日本人の観客は、非常に入っているというのに、である。強烈な法廷劇である。しかも、韓国のロケ村と法廷と、ソウル西門刑務所を使って、富士山の見える風景だけが日本で、非常に安くつくられているが、緊張感のある脚本だった。主人公は朴烈である。そのように作られている。しかし、鮮烈な印象を残すのはあくまでも文子だ。文子のソウル時代を少しでも劇中に入れていたならば「何が私をこうさせたか」というテーマが非常に鮮明になっだのに残念である。(解説とあらすじ)1923年関東大震災後の混乱の中、囚われたふたりは、愛と誇りのため、強大な国家に立ち向かう。韓国で235万人の動員を記録した、激しくも心揺さぶる真実の物語。1923年、東京。金子文子は、朝鮮人アナキスト朴烈が書いた「犬ころ」という詩に心を奪われる。出会ってすぐに朴烈の強靭な意志とその孤独に共鳴した文子は、唯一無二の同志、そして恋人として生きる事を決め、日本人や在日朝鮮人による「不逞社」を結成した。しかし同年9月1日、日本列島を襲った関東大震災により、ふたりの運命は大きなうねりに巻き込まれていく。内務大臣・水野錬太郎を筆頭に、日本政府は関東大震災の人々の不安を鎮めるため、朝鮮人や社会主義者らを無差別に総検束。検束された朴烈と文子は、社会を変えるため、そして自分たちの誇りのために、獄中で闘う事を決意。その闘いは韓国にも広まり、多くの支持者を得ると同時に、日本の内閣を混乱に陥れていた。そして国家を根底から揺るがす歴史的な裁判に身を投じていく事になるふたりには、過酷な運命が待ち受けていた…。本作は『建築学概論』『探偵ホン・ギルドン 消えた村』のイ・ジェフンと、イ・ジュンイク監督のミューズとして『空と風と星の詩人』で注目された新鋭チェ・ヒソがW主演を務め、2017年に韓国で大ヒットを記録。『王の運命』『空と風と星の詩人』のイ・ジュンイク監督がメガホンをとり、大正期の日本に実在した金子文子と朴烈の愛と闘いの物語を描き出した。大鐘映画祭で監督賞をはじめ5冠を達成し、計10冠を記録。日本では2017年の大阪アジアン映画祭のオープニングを飾り、大きな話題を呼んだ。人気スターのイ・ジェフンは、朴烈役を演じるに辺り日本語を習得し、その卓越した演技により表現者として大きな転機を迎えた。チェ・ヒソは、本作で大鐘映画祭新人女優賞と主演女優賞のW受賞のほか、韓国映画評論家協会賞、青龍映画賞などでも新人女優賞を獲得、一躍人気女優となった。日韓両国の実力派俳優による共演も見所のひとつ。布施辰治を演じた山野内扶やキム・ジュンハン、韓国を拠点に活動する在日コリアンの俳優キム・インウ。そして金守珍をはじめとした劇団「新宿梁山泊」のメンバーが顔を揃える。監督:イ・ジュンイク/出演:イ・ジェフン、チェ・ヒソ、キム・インウ、キム・ジュンハン、山野内扶、金守珍2019年3月31日シネマ・クレール★★★★http://www.fumiko-yeol.com/ 「ビール・ストリートの恋人たち」この監督は、黒人の歴史から「黒人悲劇の時代」「黒人運動の時代」「黒人解放の時代」以外の黒人の歴史を吸い上げようとしているように見える。黒人の中には、犯罪者や運動家やスーパースターだけがいたのではない。普通の愛し合う平凡な恋人たちがいたのだと。そういうフィルムを作るのには、成功している。しかし、普通ではあるけど、普遍的ではない。やはり黒人に拘泥している。私もエチオピア生産のカバンを買ったからわかるが、彼らの民族色は、緑であり、水色であり、赤色なのだ。そういう色調でずっと映像をつくる監督のスタイルは、これで確立したが、私はだから何?と思ってしまう。(解説)「ムーンライト」でアカデミー作品賞を受賞したバリー・ジェンキンス監督が、1970年代ニューヨークのハーレムに生きる若い2人の愛と信念を描いたドラマ。ドキュメンタリー映画「私はあなたのニグロではない」の原作でも知られる米黒人文学を代表する作家ジェームズ・ボールドウィンの小説「ビール・ストリートに口あらば」を映画化し、妊娠中の黒人女性が、身に覚えのない罪で逮捕された婚約者の無実を晴らそうと奔走する姿を描いた。オーディションで抜てきされた新人女優キキ・レインと、「栄光のランナー 1936ベルリン」のステファン・ジェームスが主人公カップルを演じ、主人公を支える母親役で出演したレジーナ・キングが第91回アカデミー賞で助演女優賞に輝いた。キャストキキ・レイン ティッシュ・リヴァーズステファン・ジェームス ファニー(アロンゾ・ハント)コールマン・ドミンゴ ジョーゼフ・リヴァーズ監督バリー・ジェンキンス2019年3月31日シネマ・クレール★★★
2019年04月08日
コメント(0)
「運び屋」ずっと、イーストウッドの人生を顧みての呟きに見えて仕方なかった。妻のメアリーが言う。「貴方は外ではいつもすごい人物だと思われたかった。でも、家では何もできない。」最後の時は、ずっと凡ゆる殺される可能性を封じて側にいる。結局それで家族は許してくれた。予想に反して、終始予想通りの展開だったけど、結局家族の許しだけが想定外だった。何処かで見たと思ったら娘役の女性はアリソン・イーストウッド実娘でした。最後の「フォー〜」は、誰だったんだろ。(STORY)90歳のアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は、家族を二の次にして仕事一筋に生きてきたが、商売に失敗した果てに自宅を差し押さえられそうになる。そのとき彼は、車で荷物を運ぶだけの仕事を持ち掛けられる。それを引き受け、何の疑いも抱かずに積み荷を受け取っては運搬するアールだったが、荷物の中身は麻薬だった。(キャスト)クリント・イーストウッド、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、マイケル・ペーニャ、ダイアン・ウィースト、アンディ・ガルシア、イグナシオ・セリッチオ、アリソン・イーストウッド、タイッサ・ファーミガ(スタッフ)監督・製作:クリント・イーストウッド脚本:ニック・シェンク製作:ティム・ムーア、クリスティーナ・リヴェラ、ジェシカ・マイヤー、ダン・フリードキン、ブラッドリー・トーマス撮影:イヴ・ベランジェ美術:ケヴィン・イシオカ編集:ジョエル・コックス衣装:デボラ・ホッパー音楽:アルトゥロ・サンドヴァル2019年3月17日movix倉敷★★★★http://wwws.warnerbros.co.jp/hakobiyamovie/「スパイダーマン スパイダーバース」「スパイダーマンは独りじゃない。勇気を持って、自分らしく生きれば、みんなスパイダーマンだ」というメッセージをストレートに出して、王道のヒーローアニメだった。最初から最後まで目まぐるしく変わる動画をものしたこと。かっこいい音楽で全面覆ったこと。黒人主人公、アフリカ系少女、アニメロボットキャラ、動物、白黒時代、そして中年太りの各ヒーローで、多様性の時代を反映している。なかなか楽しかった。ともかくアメリカは「ヒーロー」が好きなのだ。(1)ある日クモに噛まれてヒーローになる。(2)活動に挫折する(3)親しい人の死で、絶望する。(4)復活する。(5)本来のホームに帰って行く総ての英雄譚にも共通するが、スパイダーマンも、今回は特に6回も繰り返したことで、「お約束」という事がわかった。(ストーリー)本年度アカデミー賞® 長編アニメーション賞受賞ニューヨーク、ブルックリン。マイルス・モラレスは、頭脳明晰で名門私立校に通う中学生。彼はスパイダーマンだ。しかし、その力を未だ上手くコントロール出来ずにいた。そんなある日、何者かにより時空が歪められる大事故が起こる。その天地を揺るがす激しい衝撃により、歪められた時空から集められたのは、全く異なる次元=ユニバースで活躍する様々なスパイダーマンたちだった――。(スタッフ・出演)監督 ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン出演 声の出演(字幕):シャメイク・ムーア、ジェイク・ジョンソン、ヘイリー・スタインフェルド、マハーシャラ・アリ、ブライアン・タイリー・ヘンリー/声の出演(吹替):小野賢章、宮野真守、悠木碧2019年3月14日TOHOシネマズ岡南★★★★http://www.spider-verse.jp/site/sp/「キャプテン・マーベル」マーベルの隠し球。一種、最強なんでもありのヒーロー。女は怒らしたら怖い。結局、あの猫は何者?20年間何していたの?おてんば大将の彼女はどんなレディになったの?なんか、まだまだ?がいっぱい。(STORY)1995年、ロサンゼルスのビデオショップに、突然正体不明の女性(ブリー・ラーソン)が空から降ってくる。彼女には驚くべきパワーが備わっていたが、全く覚えていない“記憶”がフラッシュバックすることが悩みだった。その記憶にはある秘密が隠されており、それを狙う敵がいた。彼女は、後にアベンジャーズを結成するニック・フューリーと共に戦いに身を投じることになる。(キャスト)ブリー・ラーソン、サミュエル・L・ジャクソン、ベン・メンデルソーン、ジャイモン・フンスー、リー・ペイス、ラシャーナ・リンチ、ジェンマ・チャン、アネット・ベニング、クラーク・グレッグ、ジュード・ロウ、(日本語吹き替え版)、水樹奈々、森川智之、日笠陽子、安元洋貴、日野聡、関俊彦(スタッフ)監督・脚本・ストーリー:アンナ・ボーデン、ライアン・フレック脚本・ストーリー:ジェニーヴァ・ロバートソン=ドウォレ ットストーリー:ニコール・パールマン、メグ・レフォーヴ2019年3月21日movix倉敷★★★
2019年04月07日
コメント(0)
「アリータ バトル・エンジェル」鉄腕アトムを作った日本人にとっては、ここまで人間臭い機械人間いな、アンドロイドは何の違和感もなく、しかも時代は26世紀ということで、何でもありで違和感ゼロ。偶然にも、数日前に観た「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」でデビューしたジェニファー・コネリーと、数日前にオスカーをとったマシャーラ・アリに出会えた。アリータには、普通の女性ではあり得ない眼の大きさと輝きを与えた。様々な人間離れの表現の成否は保留したい。その他、21世紀の現代では出来うる限りの「再現力」でもって、力演と世界観を作成をしていたと思う。全ての謎は次回作に持ち越しており、今はこの世界の判断がつかない。(ストーリー)数百年後の未来。サイバー・ドクターのイド(クリストフ・ヴァルツ)は、アイアン・シティのスクラップ置き場でアリータ(ローサ・サラザール)という意識不明のサイボーグを見つける。目を覚ましたアリータは、一切の記憶をなくしていた。だが、ふとしたことから並外れた戦闘能力を秘めていることを知り、なぜ自分が生み出されたのかを探ろうと決意する。やがて、世界を腐敗させている悪しき存在に気付いた彼女は、立ち向かおうとするが……。キャストローサ・サラザール、クリストフ・ヴァルツ、ジェニファー・コネリー、マハーシャラ・アリ、エド・スクライン、ジャッキー・アール・ヘイリー、キーアン・ジョンソン、エイザ・ゴンザレススタッフ監督:ロバート・ロドリゲス脚本・製作:ジェームズ・キャメロン脚本:レータ・カログリディス原作:木城ゆきと製作:ジョン・ランドー製作総指揮:デヴィッド・ヴァルデス撮影:ビル・ポープ編集:スティーヴン・リフキン、アイアン・シルヴァースタイン音楽:トム・ホルケンボルフ2019年3月11日movix倉敷★★★★「天才作家の妻 40年目の真実」ミステリー仕立て。実在作家の真実ならばともかく、虚構の世界の話ならば、プロットは大したことではない。問題は、校正(演出・演技)の間に肉付けされる細部の「リアル」だろう。確かにグレーン・クローズの「内に溜め込んで、全てを表現に昇華させた妻の半生」を演じた表現には説得力があった。死ぬ間際の夫に向かって「愛しているわ。心から」と言っても、「何が真実か、わからない」と夫が言うのも宜なるかな。ただ、このプロットにこの肉付けは弱い。果たして、そういう作品でノーベル賞はとれるのか?どうやらオスカーは逃したのも頷ける。(解説)ノーベル賞に輝いた作家とその妻の秘密にまつわる心理サスペンス。メガホンを取るのは、ビョルン・ルンゲ。『アルバート氏の人生』などのグレン・クローズと『キャリントン』などのジョナサン・プライスが夫婦を演じ、ドラマシリーズ「MR.ROBOT/ミスター・ロボット」などのクリスチャン・スレイターらが共演する。(あらすじ)現代文学の重鎮ジョゼフ(ジョナサン・プライス)と妻のジョーン(グレン・クローズ)はノーベル文学賞受賞の知らせを受ける。息子を連れて授賞式が開かれるストックホルムに行くが、そこで記者のナサニエル(クリスチャン・スレイター)からジョセフの経歴に関わる夫婦の秘密について聞かれる。類いまれな文才に恵まれたジョーンは、ある出来事を契機に作家の夢を断念し、夫の影となって彼を支え続けていた。2019年3月25日シネマ・クレール★★★ 「バーニング 劇場版」世の映画評を読んで驚いた。ヘミはいなかったかもしれない、猫はいなかったかもしれない、井戸はなかったかもしれない。全ては曖昧なお話だった、というところが魅力だ、などと言っている。確かに全ては描いていないが、最後の場面が現実だとしたならば、全ての事は明らかになっていると思う。ヘミはベンによって、要らないビニールハウスのように殺されたか、売られたかしたのである。時計が、他の女性の戦利品のように置かれていたかことからも明らかだろう。猫はいた。ベンの部屋の猫があの猫かははっきりしないが、ウンチがあった以上はもともとはいたのである。井戸はあった。見ようとしない者には井戸は見えない(虐げられてきたジョンスの母親には見えた)。その中で、ジョンスだけはヘミに気がついた。だから最初からヘミは、猫のようにジョンスに懐いたのだ。こんなにもきちんと説明し、その意図も、韓国の格差社会にあると、明確に描いているのに、まるでファンタジーのように捉える、日本の観客の、何という「現実を見る眼」のないことか!ジョンスは、簡単に捕まらないように、裸になったが、あまりにも杜撰な犯行だった。捕まるのは、時間の問題だろう。その時には、ベンの罪も明らかになるだろうか。いや、それなりの保険はかけているのが、現代の富裕層だろう。そういう、韓国の人たちが観ると、極めてリアルな風景を写し撮った、リアルな作品だった。猫のように表情の変わるチョン・ジョンソは素晴らしかったし、長回しのシーン美しさも特筆ものだった。また、「あると思うのではなく、ないということを忘れるのよ、大事なのは食べたいという気持ち」というのは、作品全体を貫いてはいたが、その気持ちが、何処に着地したのか、それだけはわからないミステリーだった。(解説)『ポエトリー アグネスの詩(うた)』などのイ・チャンドン監督が、村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を大胆に翻案したミステリー。小説家志望の主人公の周囲で起こる不可解な出来事を、現代社会に生きる若者の無力さや怒りを織り交ぜながら描く。主演は『ベテラン』などのユ・アイン。ドラマシリーズ「ウォーキング・デッド」などのスティーヴン・ユァン、オーディションで選ばれたチョン・ジョンソらが共演する。(あらすじ)小説家を目指しながらアルバイトで生計を立てているジョンス(ユ・アイン)は、幼なじみのヘミ(チョン・ジョンソ)からアフリカ旅行へ行くのでペットの猫を預かってほしいと頼まれる。帰国したヘミに旅先で出会ったベン(スティーヴン・ユァン)を紹介されたジョンスはある日、ベンに秘密を打ち明けられ、恐ろしい予感が頭から離れなくなる。2019年3月25日シネマ・クレール★★★★
2019年04月06日
コメント(0)
3月に観た映画は全部で11作品。4回に分けて紹介します。「グリーンブック」何故モーテンセンは、あそこまで太らなくてはならなかったのか。もちろん、終始食べてばかりのトニー(よくもまあ2013年まで長生きしたのだとは思う)の役を作るためには必然だった。でも、何故ヴィゴ・モーテンセンだったのか?これは所謂典型的な二人きりのロードムービーだ。その存在感を出さなくては、失敗してしまう。新人は使えない。過去、ある時は英雄の旅を乗り越えた王様、ある時には全身入れ墨を施したロシアン・マフィア、ある時には善良なドイツの大学教授、ある時にはディストピア世界でひとり息子を守る父親を演じたモーテンセンならば、NYブロンクスで生まれ育ち犯罪世界の空気を吸いながらも、善良さを決して捨てなかったイタリア系アメリカ人を演じ切れると踏んだからだろう。時々見せる優しい表情が、過去の映画のことを反映してリアルさを出していた。ドクター・シャーリーの南部演奏ツアーは、62年当時ではかなりの勇気が要ったものだったのだろう。シャーリーは、そんな熱血漢とは思えないけれども、やはり外見とは違う隠された孤独感を持っている。そういう複雑な役を、オスカー俳優マハーシャラ・アリは見事に演じたと思う。外見とは違う隠されたキャラクターが、この映画のテーマなのかもしれない。本来、決して出会わない水と油の2人が、次第とそれを理解する。というのは普遍的なテーマである。登場人物たちが、実は「奥の手を持っていた」という「実話」も、うまく機能している。シャーリーの電話、トニーの銃、奥さんの最後のささやきである。(STORY)1962年、ニューヨークの高級クラブで用心棒を務めるトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は、クラブの改装が終わるまでの間、黒人ピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手として働くことになる。シャーリーは人種差別が根強く残る南部への演奏ツアーを計画していて、二人は黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに旅立つ。出自も性格も違う彼らは衝突を繰り返すが、少しずつ打ち解けていく。(キャスト)ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ、リンダ・カーデリーニスタッフ監督・脚本・プロデューサー:ピーター・ファレリー脚本・プロデューサー:ブライアン・カリー脚本:ニック・ヴァレロンガプロデューサー:ジム・バーク、チャールズ・B・ウェスラー、ニック・ヴァレロンガ2019年3月5日Movix倉敷★★★★★「翔んで埼玉」倉敷でもヒットしています。若者ばかりが、観ていました。ひたすら、県のことをディスるお話。学園ものかと思いきや、実は埼玉解放戦線が活躍する革命物語だったり、複雑な(?)物語入れ子構造になっていたり、同じときに奇をてらった「カメラを止めるな!」がテレビ上映しているときに観たのだが、こちらの方がよっぽど丁寧、かつくだらなかった。ただし、二階堂ふみやGACKTは力演しており、いやあ流石だと思う。機動隊に立ち向かう数万の市民の行動はでてくるが、これを観たからといって決して若者が立ち上がらなければ、と影響を受けるお話ではない。くれぐれも、安倍晋三さん弾圧しないように。(STORY)東京都民から冷遇され続けてきた埼玉県民は、身を潜めるように暮らしていた。東京都知事の息子で東京屈指の名門校・白鵬堂学院の生徒会長を務める壇ノ浦百美(二階堂ふみ)は、容姿端麗なアメリカ帰りの転校生・麻実麗(GACKT)と出会い、惹(ひ)かれ合う。しかし、麗が埼玉出身であることが発覚し……。(キャスト)二階堂ふみ、GACKT、伊勢谷友介、ブラザートム、麻生久美子、島崎遥香、成田凌、間宮祥太朗、加藤諒、益若つばさ、中尾彬、武田久美子、麿赤兒、竹中直人、京本政樹(スタッフ)原作:魔夜峰央監督:武内英樹脚本:徳永友一2019年3月8日Movix倉敷★★★★「ヒューマン・フロー/大地漂流」高野秀行さんがコメントを寄せている。「さまざまな難民キャンプをいろいろな角度で撮ると、焦点がぼけて作品が平板になりがちだ。でもこの作品は圧倒的な映像美と軸のぶれない世界観で軽々とその罠をクリヤーしている。アイ・ウェイウェイ監督おそるべし。」私もそう思った。国際問題の詳しい知識無しには、難民問題の全体像はわからない。しかし、わからないからと言って無視すべき問題でもない、ということをこの映像を通してまざまざと感じることのできる。雄大な自然風景ではない。無機質な自然物、或いは厳しい砂嵐や岩場、それらの景色が何故にここまで美しいのか。美術家の監督の視線から撮っているから、だけではないだろう。そこに「人間」がいるからだ。まるでアリのように動き回る無数の黒い点が、やがて自転車に乗った男や子供の姿で見えてくる。SNS時代に世界は狭くなり、難民は世界史上とてつもない規模で広がり、日本の明治時代の人口よりも遥かに多い人たちが、漂流している。難民を始めた集団に老人は多いが、難民キャンプには圧倒的に若者と子供たちが動き回っている。どれだけ厳しい環境なのか。私は微かに想像する。何度か、観るべき作品だと思う。(解説)今、世界に最も影響力がある現代美術家アイ・ウェイウェイが、"大地の漂流者たち"と共に地球を旋回していく。貧困・戦争・宗教・政治的立場・環境問題など、様々な理由で増え続ける難民たち。その数は、2018年には過去最高の6,850万人に上り(撮影当時の16年は6,500万人)、深刻化する事態とは裏腹に難民受け入れを拒否する国が広がっている。 いま、世界で何が起きているのか。難民たちが辿り着くギリシャの海岸、四方八方の国に散るシリア難民、ガザに封鎖されるパレスチナ人、ロヒンギャの流入が止まらないバングラデシュ、ドイツの空港跡を利用した難民施設、アメリカとメキシコの国境地帯など、23カ国40カ所もの難民キャンプを巡り、彼らの旅路をなぞってカメラに収めたのは、中国の現代美術家であり社会運動家としても活躍するアイ・ウェイウェイ。11年米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出され、その力強い美術的主張が注視される彼が、祖国を追われ地球上を逃げ惑う人々の日常に肉薄する。自らのスマートフォンやドローンからの空撮を駆使し、地球を巡っていく壮大で圧倒的な映像美は、ヴェネチア国際映画祭を始め各国の映画祭で賞賛された。“大地の漂流者たち”が味わう苦難の中に、人間の尊厳と希望を、索漠とした光景に息をのむほどの美しさを見つけ打ちのめされる本作は、“観る”のではなく“体験”するためにつくられた。何度も地図の書き換えが行われてきた動乱の世界で、人間の尊厳への関心を失いつつある社会は予測もつかない分裂の危険に瀕していると、全世界へ警鐘を鳴らす衝撃のドキュメンタリー!難民とは難民については、1951年の難民条約に以下のように定められています。「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」上記に加えて、「平和に対する犯罪、戦争犯罪、人道に対する犯罪、避難国外での重大な犯罪、あるいは国連の目的や原則に反する行為を行ったことがない」、という条件もクリアする必要があります。このように、国際法上でいう「難民」の正式な定義は、たいへん狭く限定的なものなのです。世界の「難民」はここ10年で何とほぼ倍増、国内避難民など強制的な移動を余儀なくされた人を加えると6,850万人にのぼります。これは世界全人口の1%弱。実に100人に1人が移動を強いられ“難民”あるいは迫害や紛争を逃れるため国内避難民になっていたり、他の国に庇護を求めていたりするという計算になります。いまや世界は、難民を抜きにして語る事はできません。Agenda note「国連難民高等弁務官事務所の広報日記」連載より抜粋執筆:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)/ 駐日事務所広報官 守屋由紀日本の難民問題日本に庇護を求める難民申請者の数も年々増えています。10年前には難民申請者がわずか1,600人だったのが、昨年は10倍以上、2万人近く(1万9,629人)ありました。日本は1970年代後半からインドシナ難民の大量流出を受け、1981年難民条約に、翌1982年に難民議定書に加入、新たに難民認定制度を導入しています。日本は、1970年代後半から難民の受け入れを始めてから、インドシナ難民、条約に基づく難民認定された人、難民として認定されなかったものの、人道配慮を理由に在留を認められた人、2010年に開始した第三国定住によって受け入れられた人が延べ1万5,000人近くいます。そんな私たちの身近にいる難民…、彼らはどんな想いを抱いて過ごしているのでしょうか。Agenda note「国連難民高等弁務官事務所の広報日記」連載より抜粋執筆:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)/ 駐日事務所広報官 守屋由紀2019年3月4日シネマ・クレール★★★★
2019年04月05日
コメント(0)
元号が決まった日は、一日中映画を観ていた(三本ハシゴをした)。テレビも何もかも元号一色になるのが嫌だったからだ。案の定そうなっていた。私には既視感がある。1989年の1月の数日間である。あの時は、CMも「自粛」されていたから、余計に息苦しかった。私は「元号なんて、もう二度と使わない」ということを謳った「詩」を書いて、職場の「職員交流」を目的にした会報に投稿して、それが載った。自由な職場だから当然だと思っていたが、あとあと私ではなく、会報担当者が上司から叱責されたということを聞いた。「取引先にも配られてているのだから、こんな詩を掲載する時は気をつけるように」と言われたらしい。思えば、この経験があの職場に見切りをつける始まりだった。実際に去るのは、それから16年も経った後なのではあるが。私はホントにその後ずっと元号は頑なに拒否した。けれどもある時からは使い分けるようにはなった。公文書作成で、選ぶことが出来ない場面が増えたからである。加藤周一は、「廃元号論または『私と天皇』の事」(『言葉と人間』(1977年))において、元号を廃止した方がいいだろう、と述べる。根拠は3つ。(1)元号の存在が人民主権から逸脱していること。(2)元号の文化的歴史的印象が西暦でも代替できること。(3)西暦の方が便利であること。(1)については、日本共産党も「元号は、時を皇帝が支配するという中国の考え方からきているので、国民主権の憲法に馴染まない」と言っている。私は規模的に賛成だ。(2)については、「平成の時代」という表現は必要だから、元号は残した方が良いと言う人もいる。。加藤周一は言う。「しかしそういう反論をする人々の何人が、たとえば美術史家のしばしば用いる「弘仁仏」「貞観仏」という表現と、「九世紀の前半および後半の仏像」という表現の、どちらを容易に理解するだろうか」。「〜の時代」という言い方は、私は必ずしも元号は必要ない。と思う。江戸の庶民には元号は全然一般的ではなかった。一般に使われていたのは元号ではなくて、干支である。丙午などの歳は、60年に一度やってくる。それならば、文章前後の意味で誰でもわかるからだ。江戸時代では、元号は幕府の意向できまったので、4人の天皇の代始めの改元はなかったらしい。改元のお知らせなどは、庶民までは届かなかった。代始改元が決まったのは、明治からである。「平成の時代」は、現代メディアが作った「幻想」である。テレビの製作者も、それを重々承知しながら、視聴者にミスリードさせている。私は、それが気持ち悪くて仕方ない。(3)は、圧倒的に西暦の方が便利だ。「西暦もキリストの誕生日を記念して作られたに過ぎない」という批判がある。その通りだ。でも「時を支配者が支配する」という思想はない。それでも、メディアは、改元が当たり前という前提で報道する。それが気持ち悪くて仕方ない。
2019年04月03日
コメント(2)
「火の鳥 黎明編(下)」手塚治虫手塚の黎明編は、一度「マンガ少年」によって連載され、その廃刊で未完に終わった。手塚は約10年後に構想新たに描き切る。それは、脂の乗り切った時期の手塚治虫自身も満足できる作品だったろうと思える。壮大なテーマ、いまだかって描かれなかった弥生時代末期の歴史大河漫画、数人の魅力的キャラの創設、戦争という大スペクタクルと洞窟の中の静という緊迫した並行ストーリー。更にはシリーズの1巻目として、見事にその後に続く物語にもなっている。以下、今回再読して気がついたことをいくつか。・「俺たちは生き埋めだ。おれたちの子も、このけものたちも、みんな生き埋めだ‥‥」阿蘇山の火山の爆発で、グズリとヒナクの家族と数十体の動物は光の差さない洞窟に生き埋めになる。(集団ではなく)1組の男女が隔絶された環境で何十年も生きるというのは、日本では、おそらく手塚治虫だけが繰り返し描いたテーマだ。科学の目で人類としての人間を正面から描く手塚だけが、描くことが出来たからかもしれない。しかも、この黎明編では、動物たちは、狼さえも生きている生き物を襲うことなく、協力して出口を探していることを描いている。外では、人間同士が殺し合っているのに、である。・弓彦という天才的な狩人によって、火の鳥は1巻目にして「殺され」首を切り取られる。この火の鳥を巡って、対照的な権力者が描かれる。永遠の命を欲しながら死んでゆくヒミコと、永遠の命よりも「征服者の我が名を子々孫々まで伝えること」を願うニニギという高天原族の男(神武天皇)。生命をめぐる価値観の見事な相対化。・上巻でも容赦ないクマソ侵略の戦争が描かれたが、下巻ではいよいよ「戦争」そのものの正体を容赦なく描いた。それはマンガとしては「見せ場」でもある。明らかに手塚は黒澤の「七人の侍」を意識している。職人肌の弓彦の描き方、戦いの始まる前の静かさ、土砂降りの中の騎馬戦、主人公たちが次々と死んでゆく様。黒澤では正義が勝ったが、手塚は外国からの侵略者(騎馬民族)が勝つという理不尽を描く。因みに、手塚が採用したのは大江氏の「騎馬民族国家論」だと思うが、現代の学説では否定されている。・上巻で使われた舞台装置や映画的カット割はこちらでも使われたが、それ以外にも、でれでれする猿田彦を線が崩れていく様で表したり、逆光だけで数ページ描いて見せる実験もしている。・戦争の本質も描く。ニニギとの不利な戦いが近づいた時にクマソ族のナギが参戦してくれて、かつてクマソを滅ぼしたヤマタイ国の女性たちは泣く子を抱えながらナギに聞く。「ホントにおんな子供たちまで殺されたの?理由もなく?うそだ!わたしたちがそんなむごいことをするはずがない!」ナギは言う。「たしかにお前たちの軍隊がやったことだ。今度はお前たちがその番に回ってきたんだぜ」。現代の若者は他人事のように読むかもしれないが、当時のお母さんたちには、(少女のころ戦争が終わっているので)堪えるセリフだったはずだ。・クマソはヤマタイに負け、ヤマタイはニニギに負ける。勝者が勝利者なのか?それが人間の真実なのか?火の鳥の生き血さえ要らないと言ったニニギは、真のヒールヒーローのように見える。しかし、ニニギさえも打ち負かすのが、猿田彦の子供を身ごもったウズメのセリフである。「女たちには武器がある。勝ったあなたたちの兵隊と結婚して、子供を産み、その子を育て、いつかあなたたちを滅ぼすわ」歴史的にも、そうやって権力者の栄光は決して永遠には続かない。こんなにも見事に戦争を描いた漫画は、実は私は今、他には思い起こすことが出来ない。・「かあちゃ、あの空の向こうには何があるの?」「世界が」。水と日光を手に入れて、洞窟の中で10数年を生き続けてきたグズリ親子は、しかし「生き長らえるだけ」で人間として納得しない。子供たちは、いつか命をかけた挑戦をして、世界を見るだろう。見事なラストシークエンスである。
2019年04月02日
コメント(0)
「火の鳥 黎明編(上)」手塚治虫 朝日新聞が、お蔵入りの手塚治虫の「火の鳥 大地編」のプロットを持ち出して、直木賞作家の桜庭一樹に小説版として続きを書かせるという暴挙を企画した。それを記念して、2ヶ月あまり「火の鳥 黎明編」上下巻の電子版の無料配信を始めた。小説版企画には反対だけれども、これを機会に黎明編を再読した。改めて、マンガの古典だと思う。火の鳥黎明編が、初めて雑誌形の大版として世に出た時に私はリアルタイムで購入した。高校生だった。衝撃を受けた。どれくらい衝撃だったかというと、高校2年の夏休みをかけて、既に読んでいた「未来編」を真似て、30ページの「地球の歴史」をテーマにしたマンガを、(百科事典を参考にしながら)ノートに書きつけているのでもわかる。そこから大河ドラマを描くはずだったのだが、「未完」に終わった(^_^;)。あの本は何十回読んだか、わからない。ボロボロになって捨てた。その後もさまざまな単行本で読んだけど、今回は数十年ぶりに読んだ。先ずは上巻について気がついたことをメモする。・「火の鳥」のテーマは、一言で言えば「命とは何か」「人間とは何か」ということだ。後者に関しては、最初から既に火の鳥が明確に断じている。151ページで、火の鳥がナギの心に語りかける言葉で、結論は出ているのではないかのようにさえ思える。ところが、ナギは肯んじ得ない。いや、このシリーズの登場人物みんな「(他の生き物よりも人間はずっと長生きなのだから)その一生の間に、生きている喜びを見つけたら、それが幸福じゃないの?」というような言葉では納得しない者ばかりなのだ。それが人間というものなのかもしれない。と、40数年経った今、私は思う。・初めて猿田彦が登場するシーンは、1ページを6分割して、ヤマト政権から派遣された将軍としてゆっくり顔をアップで見せて、それをナギの眼(まなこ)と被せて、敵の襲来に驚く様を映す。完全に映画的な表現であり、しかもこういう「効果的な」カット割は、現代マンガでめっきり見なくなった。このシーン、あとあとシリーズ通じて副主人公的な役割を受け持つ猿田彦の、まだ鼻が大きくない貴重なショットである。・また、7ページにも渡る、ヒミコとスサノオとの会話の場面は、完全に舞台表現になっている。手塚治虫は、火の鳥において、テーマ的にも、表現的にも、考えつくだけの「実験」を行った。現代マンガ家のように、数年間1作品だけを描き続けるような漫画家にはならなかったし、なれなかった。その一点だけでも、手塚治虫の後には手塚治虫は居ない。・なぜ猿田彦はナギを助けたのか?最初の登場の時に、将軍はナギのムラを襲って一箇所に集めて、女子供含めてほぼ全住民を殺している。だから唯一将軍に怪我を負わせたナギを奴隷として都に連れて行ったのは、彼の気まぐれのように思える。「お前の弓の腕は確かだ。だから、ヒミコさまのために火の鳥を捕まえて欲しい」と、助けた理由をナギに説明しているが、説得力はない。証拠にナギのせいで、猿田彦の鼻は膨れて都を追われる。しかし、コマ間を読んでいくとわかる。と、この歳になって初めて気がついた。独身の猿田彦は一目惚れした可能性がある。少年のナギに恋をしている。もちろん、あからさまな表現は70年代の日本では絶対に許されないので、あとで猿田彦の父性の発現として描かれているが、ところどころ見ようによってはエロチックに描かれていて、独身の猿田彦に突然父性が目覚めたとは思えない。と、いうようなこと、いろいろ発見があるのが古典たる所以である。
2019年04月01日
コメント(0)
〔雨ニモマケズ〕宮澤賢治雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラッテヰル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ䕃ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒヒドリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズクニモサレズサウイフモノニワタシハナリタイ南無無辺行菩薩南無上行菩薩南無多宝如来南無妙法蓮華経南無釈迦牟尼仏南無浄行菩薩南無安立行菩薩底本:「【新】校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇」筑摩書房 1997(平成9)年7月30日初版第1刷発行※本文については写真版を含む本書によった。また、改行等の全体の体裁については、「【新】校本宮澤賢治全集 第六巻」筑摩書房1996(平成8)年5月30日初版第1刷発行を参照した。入力:田中敬三 校正:土屋隆 2006年7月26日作成 私は小学校6年、この詩を暗唱した。私の生涯のうちで、詩を暗唱しようと思ったことや、実際に暗唱したのは数えるくらいだ。お陰で、現在も一二度読めば直ぐに暗唱できる。先の記事で、48年間賢治のファンだったと書いたが、12歳の段階でこういうことをやるのだから、当然だろう。山田正紀「カムパネルラ」を読んで思ったけれども、賢治は昭和8年の亡くなる5年前に大病を患い、生死を彷徨った。その病床で書いたのが、この詩である。草野心平が高く評価してまるで賢治の代表的な詩のようになっているけれども、人に読ませる詩として書かれたわけではない。今回、青空文庫からコピペして初めてわかったが、これのすぐ後に経文を書いていることからもわかるように、「賢治の祈り」なのだ。小学生の私は、無私の人として「世界全体の人が幸せにならない限りは、私の幸せはない」と言い切った賢治に素直に感動した。こういう人になりたい!と素直に思った。そのすぐ後に、私は下村湖人の「次郎物語」を読み、さらには山本有三「真実一路」を読んで「真実一路の道なれど、真実、鈴をふり思い出す」という詩を暗唱することにもなるのである。私は中学生になっていた。
2019年03月31日
コメント(0)
「カムパネルラ」山田正紀 創元SF文庫「何度も改稿される『銀河鉄道の夜』の世界に僕は迷い込んだ」という文庫本の帯の文句が私の眼に飛び込んで来た。それだけで、私は購入を決めた。山田正紀のSFによる宮沢賢治論のようなので、かなり難解になることは目に見えているのだけど、それもまた良し、48年に渡る賢治ファンとしては、山田正紀の「神狩り」を読んで44年、そんな簡単には負けないぞ!という気分だった。賢治ファンならば知っていると思うが、『銀河鉄道の夜』は未完の作品である。しかも、第4次改稿まであり、3次から4次にかけて何故か大きな改稿がされている。謎はいくつもある。(1)最も大切な場面のひとつ、ジョバンニが銀河鉄道に乗る場面の原稿が5枚も抜けている。(2)物語の鍵を握ると思われる「天気輪の柱」の具体的な姿は、遂に明らかにされていない。(3)3次稿において登場したブルカニロ博士も「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の痩せた大人」も、4次稿では何故かばっさりと削られた。(4)4次稿において、カムパネルラのお父さんは「もう駄目です。落ちてから45分たちましたから」と言ったが、45分の根拠は何なのか?それと関連して、ジョバンニは何故かお母さんに「1時間半で帰ってくるよ」と告げている。それは何故か?(5)物語とは関係ないが、賢治の亡くなる前日に見知らぬ人が来て肥料の相談を長々とした。これが病状が急変した原因と言われているが、何故賢治はその人に応対したのか?今や決して決定説は出てこない、これらの謎に対して、山田正紀は、メディア庁に支配されているパラレルワールド軍国未来社会から賢治を考える、という「補助線」を引いて取り組んだ。のだと思う。それは成功したか?私はしていないと思う。補助線が一本だったならば、お見事!となるのだが、もう時空が行ったり来たりで、全然スッキリしなかった。明かさないけれども、瑕疵が幾つもある。でも、山田正紀がそのように「推理をする根拠」には共感する。面白かった。
2019年03月30日
コメント(0)
全4972件 (4972件中 801-850件目)